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主日礼拝

正しいひきこもり生活の過ごし方(ガラテヤ5:13-26)

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週報/メッセージ(説教)概要

 

 現在、コロナウイルスのために、今まで普通にしていた事業や学校生活が出来ず、先が見えない状況だ。
そんな中にあっても私達キリスト者には、主イエス・キリストと御言葉にあって希望がある。私達はこの時期、与えられた時間をどのように有効活用して、時代の有力者へ飛躍して行けるか、ガラテヤ書から学びたい。
 
 パウロは言う。与えられた自由は肉の働く機会とせず、愛をもって互に仕え合いなさいと。(ガラテヤ5:13)
愛をもって仕え合う相手は、まず、家の中の目の前にいる夫や妻、子供、親である。『律法の全体は「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」というこの一句に尽きるからである。』(14節) 彼らが健やかになるよう仕え、時に戒め、共にいのちの喜びを増し加えて行くのだ。もし互いにかみ合ったり食い合ったりしているなら、互いに滅ぼされてしまう(15節)。もし家族が噛み合う相手なら、この時勢どれほど辛いだろう。
 さらにパウロは言う。『私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。』(16節) 生まれつきの人間は「肉(サルクス)」の存在である。「肉」とは、神を除外した人間的な考え方・肉体的な力を行うもので、そこには、罪の棘が刺さっており、罪に傾く性質がある。
 このようなご時勢、世の中では、持て余した時間を、映画や動画、漫画やゲームなどに投じる人が多い。
それらはインターネットから、幾らでも観たり遊んだり出来るが、それらは御霊ではなく肉を刺激するものが多い。事実、人気と言われる番組やゲームは、19-21節に記されている性質を「売り」にしている事が多い。
『不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のもの』(19-21節) 人には罪のとげが刺さっているため、どうしても不品行や好色、魔術や魔法、妬みや憤り、戦闘意欲を駆り立てる系統のテーマや話題に、惹き込まれる性質があるからだ。
 「偶像」を表すヘブライ語の一つに、「エリィル」がある。エリィルは偶像の他に「空しいもの」「意味の無いもの」、特に、占い師が作った実体的な意味が無い、空しいものを現す。仮想世界の映像やゲームは、視覚・聴覚などあらゆる感覚に訴え、夢中にさせ、それに時間、お金、エネルギーを費やさせ、神の似姿である人の尊い霊性と人生の時間を奪っていく。まさにエリィルだ。それらの映像や物語という「偶像」に浸り切っていると、神が創造してもいない魔物や架空の能力、架空の恐怖や架空の快楽を夢想するようになる。
 それは「肉」にとっては非常に心地よく、どんどん霊的な感覚や健全性や、真理の感覚がすたれて行くのみならず、肉体的・精神的にも不健全になり、社会性や、コミュニケーション力、思考力、生きる意欲がどんどん萎えて行く。そして、現実世界の、目の前の愛し仕えるべき家族や伴侶が、つまらなくてうっとおしい存在となり、罵声を浴びせたり、攻撃したりするようになってしまう。サウル王がまさにそうだった。
 サウル王は、健全な主の言葉に耳を傾けず、気分に流されるまま、「妬み」「怒り」「殺意」など悪霊好みの言葉をいつも思い巡らしたため、悪霊に憑かれ、常に刃物を持ち歩くようになり、自分の思い通りに行かないと、ダビデであろうとヨナタンであろうと槍を投げつけていた。それで自分の身を滅ぼしてしまった。
 私達の「思い」は、常時、何かの「言葉」が電光掲示板のように流れている。その思い巡らす言葉の内容を、管理し、支配すべきだ。なぜなら私達は、内外に流れる「ことば」に影響を受けながら「人となり」が形成されて行くからだ。こうした思いが思考パターン化してしまった「要塞」は、普通なら到底太刀打ちできない。
 
 もし、そうした「要塞」が構築されてしまった場合、それを打ち破る効果的な武器がある。その武器とはキリストへの服従である。自分の理屈や計算を破り、神の知恵に逆らって立つあらゆる高慢を打ち壊し、全てのはかりごとや所存をイエスの名によって「逮捕」し、キリストに服従させ、その服従が完全になった時、要塞をも破る大砲の玉が込められ、全て不従順なものが処罰される準備が整うのである。(2コリント10:3-6)
 ただ、服従には骨が折れる。一番ラクな方法は、御言葉をそのまま暗記し体質化する「テフィリン」である。
 御霊の剣である神の言葉が入り、体質化すると、肉への攻撃も防御も全自動となる。御心にかなった健全な方法を選択し行う事と、罪と滅びの性質を避ける事が、思考パターン化・行動パターン化するからだ。
そうなると、22節以降に記されている御霊の実(愛、喜び、平安など)を結んで行くのも、自動化される。
だからこの時期こそ、テフィリンをして、将来に向けて知恵と洞察力と人間力、霊性を磨いて行くべきだ。
 肉に興じて、ラクな”時間つぶし”をしている人が多い中、家族に愛をもって仕え、御霊に従って歩み、時の有力者を目指して、ぐんぐん成長する皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

 早天礼拝

御霊が来るとどうなるか(ヨハネ16:1-16)

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 早天礼拝

邪悪な時代に染まらず栄光の次世代を残すために(エレミヤ35章)

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主日礼拝
主の民は、主の御名にふさわしく生きよ(黙示録3:8-11)
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週報/メッセージ(説教)概要

 現在、コロナウイルス感染症緊急事態宣言が、全国都道府県にも拡大され、平和に生きてきた私達は、今まで体験した事の無い時代に突入している。今、全世界が、特に政府や指導者が、試されている。
この時代を私達キリスト者は、いかに無事に乗り切って行くべきか。その秘訣は、主の御名にある。
 
 主は「忠実また真実」と呼ばれる方であり、その名は「神のことば」と呼ばれ、その着物にも、ももにも、「王の王、主の主」という名が書かれている(黙示録19:11-16)。もしこの時期、忠実さ・真実さを捨て去って、嘘で塗り固めたり、事実とは違ったふりをしたり、現実的でないロマンを押しつけたり、怠慢や不真実な対応で乗り切ろうとするなら、コロナは無慈悲なまでに襲いかかって来る。これは誰に対しても同じである。
 主は言われる。たとえ小さな力しかなくても、忍耐してわたしの言葉を守り、わたしの名を否まないなら、地上に住む者達を試みるために、全世界に来ている試練の時に、あなたを守ろう、と。(黙示録3:8-10)
 主の民は、主の御名にふさわしく生きるべきであり、そこに留まるために、忠実と忍耐が求められている。
 
 主ジェホバの呼び名は、聖書全体では81種類も登場すると言われる(ジェホバ・ジレ、ジェホバ・シャンマ等)。それらを代表する8種類の呼び名が、実は、詩篇23篇に隠されている。
1,「主はわたしの牧者」(1節a) ヘブライ語では「ジェホバ・ロイ」、羊飼いである主の御名が表現されている。私達が主が羊飼いである事を否まず、あくまでそれを認めるなら、以下の特典が私達へついて来る。
2,「わたしには乏しいことがない」(1 節b)。ここには「ジェホバ・イルエ」という主の御名が隠されている。
この御名が登場するのは創世記22:14で、「主の山には備えあり」として有名であるが、正しくは「ジェホバ(主)+ラアー(見つめるの未完成形)」、「主は今なおずっと見つめ続けておられる」である。主は見つめておられる。主は確かに必要なものを備えて下さるが、それは人の欲する最善ではなく、「主の最善」である。
3,「主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいの水際に伴われる」(2節)。ここには「ジェホバ・シャローム(主は平安)」という主の御名が隠されている。それが示されたのは、部族の中で最も小さく、弱く、臆病だったギデオンに対し、彼を大勇士にして下さった場面においてである(士師記6:24)。イエス様も、恐れ隠れている弟子達に現れ、平安(シャローム)があなた方にあるように、と宣言し、その手とわき腹を示された。
4,「主はわたしの魂をいきかえらせ」(3節) ここには「ジェホバ・ロフェ」すなわち「癒し主」という御名が隠されている。『あなたが、もしあなたの神、主の声に良く聞き従い、その目に正しいと見られることを行い、その戒めに耳を傾け、すべての定めを守るならば、わたしは、かつてエジプト人に下した病を一つもあなたに下さないであろう。わたしは主であって、あなたを癒やす者(ロフェ)である。』(出エジプト記15:25-26)
5,「み名のためにわたしを正しい道に導かれる。」(3節) ここには、「ジェホバ・チヅケヌ(義なる主 エレミヤ23:6)」の御名が隠されている。主が人を立て直す順番は、最初に「たましいを生き返らせ」、次に「義の道に導かれる」であり、主が人を義とする理由は、ただ「主ご自身の御名のために」である。
6,「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。」(4節) ここに隠されている御名は「ジェホバ・ニシ」、「主はわが旗」(出エジプト記17:8-15)という意味である。その箇所では、モーセが手を上げて祈り、勝利をもたらした。同じように、私達が手を上げて祈る事は、主の旗を掲げる事なのである。
7,「あなたがわたしと共におられるからです」(4節) ここには「ジェホバ・シャンマ」、すなわち「共におられる主」(エゼキエル48:35)の御名が隠されている。イエス様は、インマヌエル(主が共におられる)であられる。
8,「あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる」(5節) 
ここには「ジェホバ・メカディシケム(聖別する主 出エジプト記31:13)」という御名が込められている。主は、敵の面前で油を注いで聖別し、任職して下さる。そして主は、敵の面前で、宴会を設けてくださる。
 
 以上は、主のご性質を表す御名の、ほんの一部である。私達がこの時代、主の御名を否まず、忍耐して主の言葉を守るなら、既に来ている全世界の試練の時、主に守られ、主から栄誉を頂く事ができる。
この素晴らしい御名という冠を、誰にも奪われないようしっかりと持ち、勝利を得る者として、主の御名と、新しいエルサレムの名が書き記される皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

 金曜徹夜祈祷会

閉じこもっている中に平安をもたらしに来られる復活の主(ヨハネ20:19-23)

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 ピレモンへの手紙 講解説教 水曜夕礼拝

ピレモンへの手紙概要(ピレモン1-7)

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 哀歌 講解説教 水曜昼礼拝

だちょうのように子を顧みないとどうなるか(哀歌4:1-12)

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 早天礼拝

主がきよめた(使徒10:9-23)

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 早天礼拝

小さな心配事を爆発的に吹き飛ばす復活の力(マルコ16:1-8)

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主日礼拝
キリストの十字架と、死と、復活に参加せよ(1コリント15章)
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週報/メッセージ(説教)概要

 本日は復活祭、イエス・キリストの復活を祝う日である。キリスト者にとって「復活」は、重要な救いの根拠であり、パウロも第一コリント15章にて福音の根幹である「復活」について詳説しているので、詳しく見たい。
 
 あの日、イエス様は十字架上で、確かに死なれた。大勢が見ている中、息を引き取り、槍で突かれると血と水が流れた。遺体となったイエス様は十字架から降ろされ、布で巻かれ、葬られた。墓は封印され番兵が守った。祭司長や律法学者達は勝ち誇り、弟子達は逃げ隠れした。イエス様は明らかに、死んだのだ。
 もしイエス様がよみがえられなかったとしたら…。イエス様を見殺しにした弟子たちは、イエス様が葬られて三日目、勇気を振り絞って番兵達を気絶させ、封印を解いて、重い石をころがし、イエス様の遺体を盗み出し、至る所で「イエス様は蘇った」と流言した、のだろうか。果たして、みすみす見殺しにしたような弟子達が、見殺しにした彼らの師匠を、命がけで「よみがえった」と吹聴するメリットは、どこにあるというのか。
 ところが、あらゆる敵にとって残念な事に、イエス様は確かに復活された!封印は破られ、入口を塞いでいた大岩は転がされ、番兵達は、御使いを見るなり死人のようになった。イエス様の遺体に香油を塗ろうと女達が来てみると、遺体は無く、御使いがいて、「ここにはおられません。よみがえられました」と言われた。
 
 イエス様は、私たちを愛するその愛の激しさのゆえに、激しい苦しみ・悲しみをものともせず、十字架の上で死んで、陰府に降られた。それは、私達を愛して、愛し抜いた故、私達の罪を一身に負い、私達の身代わりとなるためであった。そして彼が死人の中からよみがえって下さったのは、彼が眠った者の初穂となり、イエス様に続く私たちも、彼とともに全く新しく生まれ変わって、共に永遠に生きるためである。(20節)
死が一人の人を通して来たように、死者の復活も一人の人を通して来るのであり、また、アダムにあって全ての人が死んでいるように、キリストによって全ての人が生かされるのである。(21-22節)
 最初の人アダムが罪を犯した時、アダムの腰にいた何億何千万という全人類も、共にその罪に参加した。
故に、人から生まれ出る人は全て、罪の責め苦を負わなくてはならない。しかし、イエス様が十字架で全人類の身代わりに罪を負って下さった事を信じ、この御方を「わたしの主」とするなら、その人は救われる。
信仰をあらわすヘブライ語エムナーの動詞「アーメン」には、「サポートする」「確認する」「忠実である」の意味がある。信仰とは、共に参加する事。相手と連合し、結束する事なのだ。
 だからキリストを信じた人は、キリストの、あの十字架刑に共に参加した者となり、共に陰府に降った者、共によみがえった者となるのだ! 「私達の内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、私達がもはや、罪の奴隷となる事がないためである。」(ローマ6:6)
 私達は時間に縛られ、過去に犯してしまった事はどうする事もできないが、信仰は時間を超越する。
アダムの腰にいた時に参加してしまった罪を、帳消しにするには、イエス様が十字架で成して下さった事を信仰じ、「参加する」事により、アダム系列とは全く別次元の、キリスト系列の者となるのだ。『もし私達が、彼に結びついてその死の様に等しくなるなら、さらに、彼の復活の様にも等しくなるであろう。』(ローマ6:5)
 
 「赦し」は、信じ、告白し、参加した人だけのものであって、イエス様が十字架にかかった時点で人類の誰も彼もが赦された訳ではない。イエス様が十字架にかかった時、わたしもそこに参加した!と、信仰告白し、そして信じて告白した事に見合った、「行い」という実体が、継続して実を結んでいるかが大事である。
 パウロも言う。『兄弟たち。私にとって、毎日が死の連続です…思い違いをしてはいけません。友だちが悪ければ、良い習慣がそこなわれます。目をさまして、正しい生活を送り、罪をやめなさい。』(31-34節) 
 だから、キリストに連合しキリストの死と復活に参加した信仰者は、信仰者らしく、昔の友だちや、昔の生き方、すなわち世と連合し、罪の交わりに参加した生き方から、離れ続けなくてはならない。『肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない…なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。』(50・53節)
 この4月、新しい学期が始まり、新しい年度が始まった。ますます、世の罪に参加するかのような行いや友人からは離れ、キリストの十字架の死と復活に参加した者として、ますます日々、朽ちない者、神の国を受け継ぐ者として創り変えられて行く皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
 
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