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主に従わない者に振りかかる呪いのケーススタディ:サウル(1歴代誌10:1-14)
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歴代誌は10章以降、人の名前の羅列という形での「系図」は終わり、イスラエルの歴代の王の歴史となって行く。

歴代誌だけを読む人にとっては、10章で唐突に舞台もストーリーも変わるので、驚くかもしれないが、結局、歴代誌全体の根底は「系図」である。
人が生まれ、その人生の中で主に対して何かしらの事を為し、やがて死んで、その子どもたちが主に対し何かしらの事をして行く。
10章以降も、その繰り返しである事には変わりはなく、主に対して誠実に歩んだ人は祝福を受け継ぎ、不誠実に歩んだ人は呪われる所に、例外は一切無い。
神の民の「系図」は今なお続いており、それは現代の私達も、その中に含まれている。
歴代誌はヘブライ語ではディブレー・ハッヤーミーム、「日々の出来事」ユダヤ人の「日々の出来事」であると同時に、私達にも「日々の出来事」なのだ。

この10章は、主に対して不誠実に歩んだ一人の男・サウルの、呪われた最後が記されおり、ダビデ家へと王権が移っていく事の前奏が記されている。

10:1 さてペリシテびとはイスラエルと戦ったが、イスラエルの人々がペリシテびとの前から逃げ、ギルボア山で殺されて倒れたので、
10:2 ペリシテびとはサウルとその子たちのあとを追い、サウルの子ヨナタン、アビナダブおよびマルキシュアを殺した。

9章最後に、サウルへと続くベニヤミンの系図があったが、そのサウルの子たちのうち、エシュ・バアル(サムエル記:イシュ・ボシェテ)以外は、全て殺されてしまった。
そのイシュ・ボシェテも、ダビデのご機嫌伺いをしようとする者達の手によって殺されてしまう。
それは、サウルは主を捨てて悪を行ったからである。
申命記28:20 主は、あなたのなすすべての手のわざに、のろいと恐慌と懲らしめとを送り、ついにあなたは根絶やしにされて、すみやかに滅びてしまう。これはわたしを捨てて、あなたが悪を行なったからである。

10:3 戦いは激しくサウルにおし迫り、射手の者どもがついにサウルを見つけたので、彼は射手の者どもに傷を負わされた。
10:4 そこでサウルはその武器を執る者に言った、「つるぎを抜き、それをもってわたしを刺せ。さもないと、これらの割礼なき者が来て、わたしをはずかしめるであろう」。しかしその武器を執る者がいたく恐れて聞きいれなかったので、サウルはつるぎをとってその上に伏した。
10:5 武器を執る者はサウルの死んだのを見て、自分もまたつるぎの上に伏して死んだ。
10:6 こうしてサウルと三人の子らおよびその家族は皆ともに死んだ。

サウルの最後は、矢傷を受けて敵が迫っているのに、介錯をしてもらえず、やむなく、自ら自害するというものだった。

なお、第二サムエル記1章には、サウルは最後の最後、まだ息があるのにひどいけいれんが起こったため、そばにいたアマレクの若者にとどめを刺してもらった、というアマレク人の証言がある。
自刃してもなお死にきれず、最後にアマレク人に止めを刺されたのか、それとも、アマレク人は褒美欲しさに「自分がとどめを刺した」とうそぶいたのか、定かではないが、いずれにせよ、アマレク人がサウルの死に関わったのは確かである。
サウルの死後、彼の王冠と腕輪はアマレク人に盗まれ、ダビデへと渡されてしまった。(2サムエル記1:10)
サウルは、聖絶せよと言われたアマレクを聖絶せずにいて、そのアマレクによって王冠が奪われ、そえれはダビデへと手渡される。実に象徴的だ。

10:7 谷にいたイスラエルの人々は皆彼らの逃げるのを見、またサウルとその子らの死んだのを見て、町々をすてて逃げたので、ペリシテびとが来てそのうちに住んだ。

サウルの周りからは、人々は逃げ離れて行ったが、それは彼から主の御手が離れたからであり、そなったのは、彼自身が主と主の言葉から離れたからだ。
彼は普段から主からの「方向修正せよ」というサインを、ことごとく無視し続けた。彼は預言者を退け、祭司を虐殺し、油注がれたダビデをも殺そうと執拗に追いかけ、ついには預言者にも祭司からも、油注がれた者からもそっぽ向かれ、そして最後には、主が忌み嫌われる口寄せに頼るという、信仰とは程遠い歩みをして、それを止めなかった。
結局彼は、長い信仰生活の間、「主により頼む」という信仰を育まず、ついには、与えられていた長い憐れみの期間を使い尽くしてしまい、リミットが来て、このような悲惨な最後になってしまったのだ。

10:8 あくる日ペリシテびとは殺された者から、はぎ取るために来て、サウルとその子らのギルボア山に倒れているのを見、
10:9 サウルをはいでその首と、よろいかぶとを取り、ペリシテびとの国の四方に人をつかわして、この良き知らせをその偶像と民に告げさせた。
10:10 そしてサウルのよろいかぶとを彼らの神の家に置き、首をダゴンの神殿にくぎづけにした。
10:11 しかしヤベシ・ギレアデの人々は皆ペリシテびとがサウルにしたことを聞いたので、
10:12 勇士たちが皆立ち上がり、サウルのからだとその子らのからだをとって、これをヤベシに持って来て、ヤベシのかしの木の下にその骨を葬り、七日の間、断食した。

ヤベシ・ギレアデは、サウルがまだ若かりし頃、王になった当初、サウルに救ってもらった町である。(1サムエル記11章)
サウルは、最初の信仰の行い故に、そのささやかな報いを受ける事ができた。

10:13 こうしてサウルは主にむかって犯した(ベマーアロ アシェル マーアル)罪のために死んだ。すなわち彼は主の言葉を守らず、また口寄せに問うことをして、
主に問うことをしなかった(リドローシュ・ヴェロ・ダラシュ)。それで主は彼を殺し、その国を移してエッサイの子ダビデに与えられた。

「マアール」と「ダラシュ」がここで繰り返されているが、マーアルは不信の罪、裏切る、不誠実の意味であり、ダラシュは求める・探す・通い続ける事である。
彼は主に信頼せず、主対し不誠実を続け、すなわち、主を裏切った。
そして彼は主を求めず、探さず、通い続けず、かえって、口寄せに解決を探し求めた。
そのように、主に対して不誠実を続けに続けた故、彼は、王から退けられてしまった。

箴言17:11 悪しき者はただ、そむく事のみを求める、それゆえ、彼に向かっては残忍な使者がつかわされる。

私達はこの書から、二通りの道を見る。
優れた王となって行くダビデの道と、御声に従わずに身勝手な自分の道を貫こうとしたサウルの道を。
この章は、身勝手な道を選んだ王の、悲惨な結末で締めくくられている。私達はここから戒めを受け、失敗の道を歩まず、ダビデのように優れた「王」となるろうと務めるべきだ。

御国の系図へと入れられる事を求めつつ読むべき歴代誌の系図(1歴代誌9:1-44)
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9章は、バビロン捕囚後の各部族、特に祭司・レビ族の主だった人々の系図が簡潔に記され、そうして10章以降のイスラエルの王族の歴史へ、すなわち、サウルから始まり、ダビデとその子孫のバビロン捕囚に至るまでの歴史へと続いていく。
9:1は、それを簡潔に記している。

9:1 このようにすべてのイスラエルびとは系図によって数えられた。これらはイスラエルの列王紀にしるされている。ユダはその不信のゆえにバビロンに捕囚となった。
バビロン捕囚後、神の定められた約束の地へ帰還した人達は、少数であった。
70年も異邦の地におり、異邦の価値観、異邦の娯楽に染まった人達はそれぞれの場所に埋まってしまうものだが、その70年の中でも、自分のアイデンティティ、すなわち、神の国の者としてのアイデンティティを保っていた人達が、なお存在した。
その人達は第一に、祭司やレビ人の、御国の奉仕をしていた人達である。

9:2 その領地の町々に最初に住んだものはイスラエルびと、祭司、レビびとおよび宮に仕えるしもべたちであった。

そして、いわゆる一般信徒もエルサレムに戻ってきた。
それは、ユダ族、ベニヤミン族、エフライム族とマナセ族である。
その主だった人の簡潔な系図が3節から9節に記されている。
また、10節から13節には、捕囚から帰ってきた、神殿奉仕をする祭司の、簡潔な系図が記されている。
14節から16節にはレビ人の奉仕者の簡潔な系図が記され、17節以降、ダビデとサムエルが定めた神殿奉仕者の職責が記されている。(9:22)

9:17 門を守るものはシャルム、アックブ、タルモン、アヒマンおよびその兄弟たちで、シャルムはその長であった。
9:18 彼は今日まで東の方にある王の門を守っている。これらはレビの子孫で営の門を守る者である。

門衛や監守人は、聖なる場所を守る者である。
現在で言う警備員であるが、これが重要な奉仕として真っ先に記されているのは、私達もその価値観によって生きるためである。
私たちという生ける神の宮(2コリント6:16)もまた、門をしっかり守るべきである。すなわち、目、耳、口という門を。
世の汚れた価値観によって汚されないようにするために、出入りすることばや情報には常に注意を配るべきなのだ。
バビロン捕囚から帰ってきた彼らは、しっかりガードしてきよい価値観を保ったから、神の定められた相続地に住む幸いにあずかる事が出来た。私達も、しっかりガードするなら、御国の相続地にあずかる事が出来るのだ。

24節以降を見ると、本当に色々な奉仕があった事が分かる。
神殿の財を守る者、門の鍵をもって朝ごとの開け閉めをする者、器物の数を調べて出し入れする者、主への捧げものを管理する者、香料を調合したり、主に捧げるパンを造ったりつかさどったりする者など。

9:33 レビびとの氏族の長であるこれらの者は歌うたう者であって、宮のもろもろの室に住み、ほかの務はしなかった。彼らは日夜自分の務に従ったからである。

私達も現在、主のために諸々の奉仕があるが、それを単なる「作業」としてでなく、永遠のいのちの書に記される尊い奉仕として、日夜、主にお捧げするべきである。

9:35 ギベオンの父エヒエルはギベオンに住んでいた。その妻の名はマアカといった。

35節から44節は、ベニヤミン族の系図となり、8:29-38と重複する内容となる。

それは10章以降、列王記のように、再びイスラエルの王族の歴史となり、それは初代の王、ベニヤミン族のサウルから始まるからであろう。

歴代誌の系図と歴史、それは現代の私達には関係ないと思われがちだが、決してそうではない。
私達も御国の系図へ、いのちの書に名が書き記され、私達がイエス様にあって為したわざが書き記されるために、日々、天の御国を求め、勝ち取っていくよう努力して行くべきであり、この御国の系図の中に入れられる事を、私達も積極的に求めていくべきなのだ。

マタイ11:12 バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。

「生まれてきてすいません」と思わせる声に対抗する圧倒的方法(ヨハネ1:1-14)
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太宰治は人間失格で「生まれてきてすいません」と書き、それがこの国で大きな反響を呼んだ。
そして彼自身は愛人を道連れに自殺した。

主は、存在そのものなるお方であるが、サタンは、真っ向から存在を否定してくる。

生きていてはならない
存在してはならない
そのように、自らの存在そのものに、漠然とした不安を抱かせ、死へと追いやる声は、闇から来る偽りである。

1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
1:2 この言は初めに神と共にあった。
1:3 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
1:4 この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。
1:5 光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。

「わたしはある」と自らを表明し、そして全被造物を存在させ、存続させておられる、全き「存在」されるお方は、愛なるお方であり、世の始まる以前から、既に愛をもって私達の存在を認め、御前できよく、傷の無いものにしようと、あらかじめ定めておられた「御言葉」なるキリストである。

エペソ1:3 ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、
1:4 みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、
1:5 わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。
1:6 これは、その愛する御子によって賜わった栄光ある恵みを、わたしたちがほめたたえるためである。

このお方の愛の光に輝かされる時、全て、存在を否定しようとたくらむ悪魔サタンの声をかき消される。
主は、その者共を永遠に消えない火へと投げ込まれ、そしてキリストの愛に向かって歩み寄る全ての人を、永遠のいのちへと入れられる。

1:12 しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。
1:13 それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。
1:14 そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。

全能者の「存在」を私達の中に在らせるために(申命記6:6-8)
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週報/メッセージ(説教)概要

 神は人を、神のかたちに創造された。ところが今、人は神を離れ、各々自分勝手な善悪判断をしつつ、罪と肉欲に従って生きている。神である主の最終目標は、人を本来あるべき「神のかたち」「神の子」へと回復する事であり、私達もそれを目指すべきだ。どうすればそれが回復するのか。それを今日見ていきたい。

『神はモーセに言われた、「わたしは、有って有る者(イェヒエ・アシェル・イェヒエ)」。』(出エジプト記3:14)
ここの神の「イェヒエ」はハヤーの一人称単数未完了形で、ヘブライ語の未完了形は、動作が未だ終わっておらず、ずっと続いて行く事である。すなわち神の「ある」は、過去・今・未来に至る、永遠の「ある」だ。
神は、ご自身で存在されるお方であり、そして、私達を存在させるお方。イエス様もまた、ご自身を幾度も「わたしは有る(ギ:エゴ・エイミー)」と言われ、人を活かす者・いのちを有らせる者としてご自身を証された。
『もしわたしが「そういう者である(エゴエイミー)」事をあなたがたが信じなければ罪のうちに死ぬ事になる…よくよくあなたがたに言っておく。アブラハムの生れる前から「わたしはいる(エゴエイミー)」』(ヨハネ8:24,58)
イエス様はもとから世におられ、世はイエス様によって創られたのに、世はこのお方を知らなかった。
しかし彼を信じた人、すなわち彼の名を信じた人には、神の子とされる特権が与えられる。(ヨハネ1:12)
イエス様ははじめから、人を活かす目的で、自らが死ぬ存在として人としてこの世にお生まれになった。
そのイエス様は、世を創造されたのみならず、愛ゆえに身代わりとなり、そして命吹き込むお方として「有られる」。イエス様は「御言葉」であられ、彼は、肉の幕屋を張って私達の内に宿られた。(ヨハネ1:1,14)

この、永遠から永遠の「ハヤー(ある)」なるお方を、私達はいかにすればハヤーさせられるか。その答えが、申命記6:6である。『きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に「留め(ハヤー)」』
ハヤーとは、存在をあらわすBE動詞である。ハヤー。それが主の名前であり、アイデンティティである。
私達が御言葉を暗唱(テフィリン)し、心に、思いに、知性に刻みこむ事によって、この神から離れ死に陥ってしまう私達の中に、全能者なるお方が、私達の内に「存在(ハヤー)」させる事が出来るのだ。その時、全能者であり、永遠から永遠に至るまで「存在(ハヤー)」されるお方のハヤーが、その人の中に起こる。
主はテフィリンを命じておられる。『努めてこれをあなたの子らに教え(シャナン:シャープにする、研ぎ石などで鋭くする、コツコツと刺激を与える)、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない(ダバール:論じ合う)。またあなたはこれをあなたの手につけて(カシャール、結合、連盟、同盟する)印とし、あなたの目の間に置いて(ハヤー)覚えとし』(申命記6:7-8)
主の御胸は、神のいのちを持った神の子が、生んで増えて満ちて行く事である。だからこれらの事を命じられたのだ。こうしていつも御言葉に浸され、馴染んでいる内に、御言葉と一体化して行く事で、天地を創造した神の言葉による再創造が、その人の中に構築されて生き、神のかたちが出来上がっていくのだ。

クリスチャンはよく口にする。「イエス様は共におられます」と。しかしそう口にするものの、「本当かな」と揺らいでしまったり、あるいは全然実感なく機械的に「イエスサマハトモニオラレマス」と言っていないだろうか。
全世界を御言葉によって創造されたお方の「ハヤー」が無い人、すなわち、テフィリンしていない人は、その伝道には力は無く、また、何か不安な事が起きると、土台の無い家のように、心がぐらぐら揺らいでしまう。
しかし、その人の中に、御言葉の蓄えが増えれば増えるほどに、自分が存在(ハヤー)する根拠、生きる根拠、伝道の根拠が、くっきり土台づくりされて行くため、心も、人格も、ことばも、人生も、全て安定して行く。
御言葉の根拠が無い、自分に神の子としてのレベルが低いままであるなら、いくら祈っても、いくら主のミニストリーに励んでも、目が見えないまま闇雲に数を撃っているようなもので、たとえ祈りが「聞かれた」としても、数撃ってようやく当たったような、おこぼれの、憐れみ故の「聞かれ方」である。その生き方は、疲れる。
しかし、テフィリンして御言葉のハヤーがある人は、見えないけれど確実に「ハヤー」されるお方があるため、たとえ今、必要なものが目の前・現実に無いとしても、全能者のハヤーを根拠に、揺るがず、無駄な祈りを乱発せず、無駄な動きをせずに、本当に的を射た祈りと行動が出来、無駄をしないので、疲れない。
そういうわけで、私達はぜひとも、御言葉を蓄え、テフィリンするべきなのだ。自分で善悪判断する事を下ろし、御言葉なるキリストのハヤーを自分自身の内に構築し、全てに安定して行く皆さんでありますように!

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
主の食物を食べ、汚れた食物をシャットアウトする(ダニエル1章 小林伝道師説教)
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在りて在るお方を私達の内に在らせる方法(ヨハネ1:14)
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人生という荒野を渡っていく際に気をつけるべきこと(1コリント10:1-13)
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ルカによる福音書 講解説教メッセージ
この女の多くの罪は赦されています(ルカ7:36-50)
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イザヤ書 講解説教メッセージ
主に祝福された子孫であるとして周りから羨ましがられる人になるには(イザヤ61:4-11)
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ベニヤミン族の系図 - 必ず報われる誠実な者(1歴代誌8:1-40)
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歴代誌の系図で一番の主人公は王族のユダ族、その次に祭司系のレビ族であるが、その次にあたるのは、ベニヤミン族と言える。

8:1 ベニヤミンの生んだ者は長子はベラ、その次はアシベル、第三はアハラ、
8:2 第四はノハ、第五はラパ。

8章は、ベニヤミン族の系図である。
ベニヤミン族はイスラエルの末っ子であるがその子孫は戦いに長けた者が多い。
しかし士師記の時代、ベニヤミン族はその力に傲慢になったのか、ソドムにも劣るような性的にも道徳的にも堕落した者となってしまった記事が、士師記19章以降に記されている。
この堕落してしまったベニヤミン族を取り締まるために他の11部族は戦いを仕掛けるが、イスラエルのほうは甚大な被害を受けながらも、真剣に主の前にへりくだった時にようやく勝利した。
ベニヤミン族のほうは、生き残った男子600人以外は皆殺しにされ、さらに他の11部族はベニヤミン族には娘はめとらせないと誓ってしまい、一時期はベニヤミン族は滅亡の危機に陥ってしまったが、主の憐れみによってなんとか持ち直した。
それら一連の事は、歴代誌には記されていないが、しかしサウル王の時代に至るまでの系図が、いくつかの挿話と共に記されている。

8:33 ネルはキシを生み、キシはサウルを生み、サウルはヨナタン、マルキシュア、アビナダブ、エシバアルを生んだ。

サムエルの時代、人々は主の御心に逆らって王を求め、主は彼らの望み通りに王をたてた。それがサウルである。
サウルの名は「尋ねられる」「面会を求められる」という意味である。
彼は「若くて麗しく、イスラエルの人々のうちに彼よりも麗しい人はなく、民のだれよりも肩から上、背が高」かった。(1サムエル記9:1)
そればかりでなく、裕福な家出身であり、場の空気をよく読む、思いやりのある人だった。
まさに、人々から「求められる」という名前の通りの者であった。
人を思いやるのは良いことであるが、神よりも人を優先して思いやるとしたら、それは災いの性質であり、それが後の彼にとって罠となってしまう。
彼は二度、主の言葉を覆した行動をした故、彼から王権は取り上げられ、ダビデに移された。

8:34 ヨナタンの子はメリバアルで、メリバアルはミカエルを生んだ。

サウルの子ヨナタンは素晴らしい信仰の持ち主で、ダビデに対しても、そして父に対しても誠実であった。
ただ、滅びの性質を持ったサウルを父に持ってしまった故に、彼は非業の死を遂げた。
ただ、ヨナタンの子メリバアル(サムエル記ではメフィボシェテ)には、ダビデは、ヨナタンのゆえに誠実を尽くした。

サウルには他にも子孫がいたが、サウルが生前した罪のゆえに全員殺されてしまった。
ヨナタンの子メフィボシェテは、その時、うばが彼を抱いて逃げたのだが、逃げる時、彼は落ちて足なえとなってしまったのだった。

ダビデ王の子アブシャロムがダビデ王に反乱を起こし、ダビデ王が都落ちした時、国はダビデにつく者とアブシャロムにつく者とに真っ二つに分かれたが、メフィボシェテはダビデについて行こうとした。
しかし、彼は彼のしもべ・ツィバに陥れられてしまった。ツィバは後にダビデが勢力回復する事を踏んで、この危急の事態を利用し、のし上がろうとしたのだろう。
ダビデはツィバの讒言を真に受けて、メフィボシェテのものはみなあなたのものだ、と、約束してしまった。

しかしアブシャロムが死んだ後、メフィボシェテの真実が発覚する。

『サウルの子メピボセテは下ってきて王を迎えた。彼は王が去った日から安らかに帰る日まで、その足を飾らず、そのひげを整えず、またその着物を洗わなかった。』(2サムエル記19:24)
メフィボシェテは、いつとも知る事の出来ないダビデ達の帰還まで、その足を飾らず(七十人訳による補足:爪も切らず)、ひげも整えず、着物も洗わず、ダビデが苦難を受けている期間、自分自身も、身を悩ませていた。
という事は、彼の爪は、それなりに伸びていただろうし、ひげも、長期間整えていなかった有様であったろうし、着物もそれなりに汚れていた事だろう。
シムイやツィバは、美辞麗句と言葉で下心を隠して来たが、メフィボシェテは、その有様からして、ダビデを心から心配し、帰る日を待ち望んでいた事を、偽りようが無い。

ダビデがアブシャロムに追われエルサレムから落ちのびて行った時、ツィバはメフィボシェテについて偽りの報告をし、ダビデはそれを真に受け、真実を確認しない内に「見よ、メピボセテのものはことごとくあなた(ツィバ)のものです」と約束してしまった。
それ以降、ダビデはずっとメフィボシェテについて、良くない印象を抱き続けて来たのだろう。
メフィボシェテが会いに来た時、ダビデの最初の対応は、そっけなかったが(2サムエル記19:25-27)、ダビデは、彼の伸びた爪、乱雑になったひげ、長期間洗わなかった服を見て、彼の言った事こそ真相だった、と知っただったろう。

『わたしの父の全家はわが主、王の前にはみな死んだ人にすぎないのに、あなたはしもべを、あなたの食卓で食事をする人々のうちに置かれました。わたしになんの権利があって、重ねて王に訴えることができましょう」。』(2サムエル記19:28)
メフィボシェテは、自分のひげや服を見てください、などとアピールする事は一切無かった。
ダビデがそれまで自分に尽くしてくれた真実だけでも十分です、どうして尚、何かを訴える事が出来ましょうか、と、一切の判断をダビデにゆだねている。

『王は彼に言った、「あなたはどうしてなおも自分のことを言うのですか。わたしは決めました(原語:既に言っている)。あなたとヂバとはその土地を分けなさい」。』(2サムエル記19:29)

ダビデは既にツィバに約束してしまった。メフィボシェテのものは、ツィバのものだ、と。
事の真相をダビデが知ってから、それを取り消しができなかったのは、もう既に、その方面で諸々の手続きが進んでしまっていたのかもしれない。

足が不自由で、機敏に動けない事を良いことに、ツィバはメフィボシェテを貶め、騙し取るような事をしたが、それでもメフィボシェテは、一切の文句も無しに言う。
『わが主、王が安らかに家に帰られたのですから、彼にそれをみな取らせてください。』(2サムエル記19:30)

ダビデのエルサレム帰還に際し、色々な人々の思惑が交錯する中、一番真実にダビデを思い、待っていたのは、このメフィボシェテだろう。
彼は、彼のしもべの讒言と、ダビデの早まった決断のゆえに、本来自分のものだったものを、半分取られてしまったが、ダビデは彼を憐れみ、守り続けた。(21:7)

人は不完全である。
偽りを見抜けなかったり、偽りの言葉を鵜呑みにして早まった決断をし、尊いものを卑しい者に騙し取られたり、本当に憐れむべき真実な人をぞんざいに扱ってしまったりもする。
体が不自由であったり、言葉達者でなかったり、世渡り上手でない人が、健康体な人や、言葉達者な人や、世渡り上手な人に、出し抜かれてしまう事が多々あるのが、この世であり、また不完全である故に判断を誤ってしまう事もあるが、主は全てをご存知であり、全ての偽りを見抜き、そのさばきは真実である。

メフィボシェテはこの時、報われなかったかのように見えても、彼の子孫は、ベニヤミン族の中で栄えて行った事が、歴代誌の以下に続く系図から明らかである。

8:34 ヨナタンの子はメリバアルで、メリバアル(メフィボシェテ)はミカエルを生んだ。
8:35 ミカの子らはピトン、メレク、タレア、アハズである。
8:36 アハズはエホアダを生み、エホアダはアレメテ、アズマウテ、ジムリを生み、ジムリはモザを生み、
8:37 モザはビネアを生んだ。ビネアの子はラパ、ラパの子はエレアサ、エレアサの子はアゼルである。
8:38 アゼルには六人の子があり、その名はアズリカム、ボケル、イシマエル、シャリヤ、オバデヤ、ハナンで、皆アゼルの子である。
8:39 その兄弟エセクの子らは、長子はウラム、次はエウシ、第三はエリペレテである。
8:40 ウラムの子らは大勇士で、よく弓を射る者であった。彼は多くの子と孫をもち、百五十人もあった。これらは皆ベニヤミンの子孫である。

そうしてヨナタンの子・メフィボシェテの子たちは増え、栄え、ユダ族とともにイスラエルの中で永らえた。
結局、サウル王家は主に対して不誠実な王として衰退して行ったが、信仰において人に対して誠実だったヨナタン・メフィボシェテの子孫は栄え、彼らゆえに、ベニヤミン族は保たれた。
「柔和な人者は幸いである、その人は地を受け継ぐ」の御言葉の通りである。

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