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詩篇 講解説教

聖霊に送り出され、聖霊に導かれ、聖霊によって働く教会(使徒13:1-12)

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主日礼拝

神から計り与えられた、誠実を養うべき時(創世記40章)

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週報/メッセージ(説教)概要

 
 主は、この不正と災いに満ちた時代に、御手をのべて介入したい、と願っておられるが、出来ないでいる。
今まで主は「人という器」を用いて、時代に介入されて来たが、現代、主は介入したくても、器がいないから、それができない。主から大いに用いて頂く器となるためにどうすればいいか。引き続きヨセフから学びたい。
 
 ヨセフは正直である故、また潔白を貫いた故に、ポテファルの妻から濡れ衣を着せられ、牢屋に入れられてしまった。世の人は、これを「正直者は馬鹿を見る」と言うかもしれないが、そういう価値観の人は、神から大きく用いられる器ではない。主は、きよい器をこそ用いられるからである。ヨセフは、与えられた仕事は、奴隷仕事であっても、監獄であっても、誠実に行ったため、やる事なす事全て祝福された。その事で得た特権や信頼、金銀を、彼は、脱獄や暴動といった自分勝手な方向には用いず、むしろ、与えられている小さな持ち場で、誠実に住み、そこの権威に忠実に従う、という方向に用いた。それで神は、彼を後にエジプト一国という、「大きな持ち場」を任せ、そしてイスラエルの全家族を救い養うという大役が任せられた。
  『さて獄屋につながれたエジプト王の給仕役と料理役の二人は一夜の内にそれぞれ意味のある夢を見た。』(5節) それまでヨセフは、牢屋という狭い世界にいたため、主が与えた夢を解き明かす賜物を発揮する機会は、ほぼ無かった。狭い世界に閉じ込められている故に、与えられている霊的な賜物が発揮できずにいる事を、人はもどかしく思うかもしれないが、主は、誠実を養う人のために、時を計っておられる。
 
 『彼らは言った、「わたしたちは夢を見ましたが、解いてくれる者がいません」。ヨセフは彼らに言った、「解くことは神によるのではありませんか。どうぞ、わたしに話してください」。』(8節) ヨセフは、自分に与えられた賜物は、神からのものであり、それを用いるのは、神の栄光を現すためだ、と公言していた。
 献酌官長が夢の内容を語った時、ヨセフはその夢を見事に解き明かした。すなわち彼は、三日目に開放され、元の地位に戻る、と。そこでヨセフは献酌官長にお願いする。ここから出た暁には、パロに自分の事を話して、ここから出られるように計らってほしい、と。『わたしは、実はヘブル人の地からさらわれてきた者です。またここでもわたしは地下の獄屋に入れられるような事はしなかったのです」。』(14-15節) 
ヨセフは「兄のせいで」とか、「ポティファルの妻のせいで」などと、人のした悪は言わず、ただ「わたしはここに入れられるような事はしなかった」とだけ言った。地を相続するのは、平和な人なのである。(マタイ5:5)
 また、調理官長も、自分の夢をヨセフに語った。その夢の解き明かしは、調理館長には災いの内容だったが、それでもヨセフは、神から与えられた事をそのまま正直に伝えた。私達も、神から与えられた事は正しく伝えなくてはならない。たとえ災いだとわかっていても。彼がこの時、正直に伝えたからこそ、彼には確かに神の力が宿っている、と、パロに伝えられたのだ。世の中が、いかに「正直者はばかを見る」と評価しても、神の国は「正直な人は地に住みつき、潔白な人は地に生き残る。」(箴言2:21)のだ。
 
 果たしてヨセフの解き明かしの通りの事が、二人の身に起きた。しかし献酌官長は、ヨセフから頼まれていた事を、すっかり忘れてしまった。あれだけ生々しく、他方の首が飛んで、自分は助かった、というのに。神は物事を成し遂げるために、人の心からすっかり忘れさせたり、また思い出させたりできる方である。
もしこの時、献酌官長がヨセフの願いを忘れておらず、実行し、ヨセフが釈放されていたら、彼はきっと、あの問題だらけの父や兄達の所に帰って、全てを父に正直に伝え、一悶着を起こして、問題だらけの家で一生、羊飼いとして過ごしていたかもしれない。しかし、それは御心ではない。しっかり神の家族の問題が解決され、清められ、より優れた仕事をし、より優れた民族、王国へとなって行く事が、主のご計画なのだ。
そのためにヨセフは、まだまだ、彼が望まない監獄に、居続けなくてはならなかった。そのような時期がある。
 私達も今、目の前の現実において、牢獄のような狭い世界で、つまらないと見られる事を任されていたり、賜物を発揮できないような状況にあるとしたら、与えられている目の前の仕事を、主にあって誠実に為すべき時である。小さな事に忠実であり続けるなら、さらに大きなことが任されるからである。(ルカ19:17)
 目の前が牢獄であっても、主はきよらかに透き通った天から見ておられ、時を計って、栄光に満ちた未来を用意しておられる。主がおられる天の雰囲気、天の清らかさ、天のすがすがしさをいつも忘れず、どんなに悪の状況でも、そのきよさを失わない皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

早天礼拝
神が神の民を祝福するのはなぜか(詩篇67篇)
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詩篇67篇表題『聖歌隊の指揮者によって琴にあわせてうたわせた歌、さんび』
 
・この詩は神の民が祝福される理由が記されている。
・その理由は、7節でまとめられているように、全世界の人々が神を恐れ、神の救いへと入る事である。
・全世界が、神の民を通して、救いに入り、祝福を受けるという神の動機は、ずっと変わっていない。それは、全て神の民の先祖・アブラハムが呼び出され、祝福された理由であった。(創世記12:3)
 
67:1 どうか、神がわれらをあわれみ、われらを祝福し、そのみ顔をわれらの上に照されるように。〔セラ
・1節は「われらの祝福」を求める祈り。それは民数記6:24-26の大祭司が神の民へ向ける祝福と同じである。1節は7節に対応。
 
67:2 これはあなたの道があまねく地に知られ、あなたの救の力がもろもろの国民のうちに/知られるためです。
・2節では、1節の「われらの祝福」が、すなわち、あまねく地へ、そしてもろもろの国民に主が知られて行く事へとつながる事が記されている。
 
67:3 神よ、民らにあなたをほめたたえさせ、もろもろの民にあなたをほめたたえさせてください。
67:4 もろもろの国民を楽しませ、また喜び歌わせてください。あなたは公平をもってもろもろの民をさばき、地の上なるもろもろの国民を導かれるからです。〔セラ
67:5 神よ、民らにあなたをほめたたえさせ、もろもろの民にあなたをほめたたえさせてください。
・3節と5節にサンドイッチされた4節が、この詩の中心。
・そこに何度も「国々の民が(アム×5回)」「国民が(レオーム×2回)」が出てくる。主体的な願いは、全人類が主をほめたたえる事。
・もろもろの国民を楽しませ、また喜び歌わせる事、これが私達がまず祈り求めるべきことである。
・なぜなら主が公平をもってさばきを成し、地のもろもろの国民を導く事が、全人類の幸いにつながるから。全人類は今、不正なさばき、不当な支配によってうめいている。
 
67:6 地はその産物を出しました。神、われらの神はわれらを祝福されました。
・地の産物が与えられる事は、世の人々にとっての救い。
・ヨセフは7年の豊作の時に、地の産物を溜め、7年の凶作の時にそれをもって全世界の人々を救った。
・ヨセフのこの施策によって、2節が成就した。「これはあなたの道があまねく地に知られ、あなたの救の力がもろもろの国民のうちに/知られるためです。」
 
67:7 神はわれらを祝福されました。地のもろもろのはてにことごとく/神を恐れさせてください。
・結論。神の民の祝福は、全世界の人々が神を恐れ、神の救いへと入る事である。
 
・ゆえに、神の民が祝福される理由は、全世界を救いたいという神の願いを私達が成就させるため。
・与えられた祝福に安住し、主の栄光を伝えず、むしろそのリッチさを用いて罪を犯したイスラエルの民は、呪われた。
・その警告は、申命記28章であらかじめ示されていた。
 
申命記28:1 もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行なうなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。
28:2 あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。
・・・
28:9 あなたが、あなたの神、主の命令を守り、主の道を歩むなら、主はあなたに誓われたとおり、あなたを、ご自身の聖なる民として立ててくださる。
28:10 地上のすべての国々の民は、あなたに主の名がつけられているのを見て、あなたを恐れよう。
・・・
28:13 私が、きょう、あなたに命じるあなたの神、主の命令にあなたが聞き従い、守り行なうなら、主はあなたをかしらとならせ、尾とはならせない。ただ上におらせ、下へは下されない。
28:14 あなたは、私が、きょう、あなたがたに命じるこのすべてのことばを離れて右や左にそれ、ほかの神々に従い、それに仕えてはならない。
28:15 もし、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主のすべての命令とおきてとを守り行なわないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたはのろわれる。
 

主日礼拝

世と人の汚れから自由になろう(創世記39章)

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週報/メッセージ(説教)概要

 主はヨセフを当時の一流国・エジプトの総理大臣とし、世界的な飢饉から多くの命を救い、そして、神の民イスラエルの「一家」を「民族」へと成長させるために、素晴らしく肥えた地・ゴシェンの地を受け継がせた。
私達も彼のように、御言葉で養育した栄光の次世代に、素晴らしい相続財産を受け継がせ、この時代の多くの人々を永遠の救いへと導く、「栄光のリーダー」となる術を、引き続きヨセフの箇所から身につけたい。
 
 『ヨセフは連れられてエジプトに下ったが、パロの役人で侍衛長…ポテパルは、彼を…買い取った。 主がヨセフと共におられたので、彼は幸運な者となり、その主人エジプト人の家におった。その主人は主が彼と共におられる事と、主が彼の手のする事を全て栄えさせられるのを見た。』(創世記39:1-3)
 ヨセフは何をしても栄え、仕えた主人を富ませた。そうなるための答えは詩篇1篇に書いてある。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かない。そして主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ事である。その人は水路のそばに植わった木のように、時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても、栄える。ヨセフはその通りの人だった。
彼は兄達の悪事には一切加担せず、いつもそのまま父に告げていた。彼はエジプトで一人になった時も、彼が見た悪事は、全て「父なる神」へそのまま告げ、むしろいつも主を思い、主が喜ばれる事を選んでいた。
 ヨセフは、奴隷として売られる、という理不尽な目に遭ったのに、不平不満を言った記述が一切無い。
どんな災いに見える状況に陥っても、人の悪を思わず、むしろ、この状況は神が与えたものとして、受け入れ、地に住み、誠実を養っていた(詩篇37:1-6)。そんなヨセフに、若い男子には抵抗し難い誘惑が訪れる。
 
 『これらの事の後、主人の妻はヨセフに目をつけて言った、「わたしと寝なさい」…彼女は毎日ヨセフに言い寄ったけれども、ヨセフは聞きいれず、彼女と寝なかった。また共にいなかった。』(7-10節) 罪には「楽しみ」があり、その快楽には抵抗し難い魅力がある。私達の「肉」は、それに強烈に引き寄せられてしまう。
 性的な誘惑に限らず、酒やギャンブル、ドラッグなど、はまってしまうと滅びに至る事は分かっていても、その魅力やその快楽を敢えて断絶せず、ちょっと味わっては、滅びの一線は超えない「ギリギリ」を楽しもう、とする人がいるが、そういう人は100%、それに飲み込まれ、身を滅ぼす事になるだろう。
 最も力強い男・サムソンは、デリラという美女を手放さず、彼女とのギリギリの駆け引きを楽しんでいる内に、ついに致命的な秘密を明かしてしまった。ダビデさえ、性的な罪の最初の誘惑を拒否せず、一線を超えてしまったために、その後、ずるずると殺人の罪さえ犯すはめになってしまった。
  こうした誘惑への、唯一の対処方法は、ヨセフがしたように、「逃げる」事である。誘惑に見入ってはならない。それが服をつかんで来たら、服を脱ぎ捨てて、逃げるべきである。これは性的な罪や、ドラッグなど、明らかに悪いと分かっているものには限らない。スマホやインターネットなど、正しく用いれば有益なものであっても、それがあなたをつかんで、堕落へと誘い込んで来るなら、服を捨ててでも、逃げるべきだ。
 ヨセフはなぜ「逃げる」という賢い選択ができたか。人の悪や、理不尽な状況を見ると、怒りや妬み、破壊的な思いが沸き起こって、それを思い巡らしたり、あれこれ言ったり、何か行動したい、という強力な「粘着力」がある。しかし彼は、そうした汚れを、ぺたぺたと付着させない、思い巡らせない、すぐ忘れる、「すべすべした心」だった。「ストレスフリー」という言葉があるが、ヨセフの性質は「汚れフリー」なのだ。人からの理不尽な対応や、不条理な世の有様に、心を付着させたり、思い巡らしたりせず、いつも自由だった。
 そうなる秘訣は、人が仕掛けてくる理不尽や、世に不条理な事が起きた時、それを思い巡らさず、1秒でも早く、父なる神へ「スルーパス」し、彼自身の中に1秒も長く留め置かなかったのだろう。むしろ、彼がいつも心に留め置いたのは、神が見させて下さった夢だった
 
 私達も彼の性質を目指すべきである。ヨセフのように、人のした悪や、理不尽な状況に一切捕われない、汚れをぺたぺたつけない、すべすべした心を。心が汚れに飲み込まれそうになった時、1秒でも早く、父なる神へ「スルーパス」するのだ。イエス様も言われた。心のきよい者(単一な者)はさいわいだ、その人は神を見るから(マタイ5:8)、と。天にはいつでも、主イエス様がおられる。その、主がおられる天の雰囲気、天の清らかさ、天のすがすがしさを醸し出し、どんな悪の状況でもそれを失わない皆さんでありますように!
 

主日礼拝

真の自由人・天国人となろう(創世記37章)

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週報/メッセージ(説教)概要

 私達はこの時代、栄光の次世代を御言葉で養い、育て、多くの人々を救いへと導くリーダーとなる事を求めている。ヨセフはエジプトの総理大臣となって多くの人々を救い、イスラエルを「家族」から「国家」へと成長させるシステムを、よく肥えた地・ゴシェンの地においてつくった。まさに私達のお手本と言える人物である。彼の性質はどのようで、どうすれば彼のようになれるか。今回、新たに得た恵みを分かち合いたい。
 
 ヤコブの子・ヨセフは、信仰の優れた父から、特別に愛され、父から直々の信仰教育を受けた。それで彼は、神を第一に考え、悪には一切手を染めず、正直に生きる思考パターンを、幼児期から身につけた。
子供は幼い内から、御言葉教育を、親が直接する事が重要である。幼い時にしっかり御言葉を思考に刻みつけておけば、たとえ、環境が悪い人が集まる所に放り出されても、神中心の思考から離れないからだ。
 ヨセフは、兄達の悪事には一切加担せず、むしろ、その悪事をいつも正直に父に告げていたので、ますます父から愛され、兄達から憎まれるようになった。神はそんなヨセフを、乱れた世を変える救済者、指導者、そして少数だった神の民を国家へと成長させるリーダーとして選び、その将来を、夢によって示された。
 『私達が畑の中で束を結わえていた時、私の束が起きて立つと、あなた方の束が周りにきて、私の束を拝みました…。私はまた夢を見ました。日と月と十一の星とが私を拝みました』(創世記37:6-9) これらの夢は、あまりにリアルで、印象深く、何年も記憶に残った。これは神が見せて下さったと確信したので、兄や父に言わざるを得なかったが、兄達の”ヨセフ嫌い”は決定的なものとなった。ヨセフは確信していた。この夢は必ず成る、と。そしていつも思い巡らしていたので、兄達は彼を「夢見る者」と揶揄するようになった。
 私達もヨセフのように、神を第一にし、世の罪には一切加担せず、むしろ世の指導者の悪事はいつも父なる神に告げているなら、神は、夢をはっきり見させて下さる。世を変える救済者、神の民を養うリーダーとしての夢を。その夢が与えられたなら、それをしっかり握りしめ、いつも思い巡らし、周囲の人に証するのだ。
  ヨセフはそんなある日、父から用事を言いつけられた。兄達が遠く離れ羊を飼っているので、心配だから見に行ってほしい、と。兄達は、いつも悪い事をしては、それをヨセフに告げ口されていたので、彼が近づいて来るのを見ると、「あの夢見る者が来る」「さあ彼を殺して、彼の夢がどうなるか見よう」と言い合った。
しかしヨセフは殺される事を免れ、兄達が知らない間に、別の者にエジプトへ売られてしまっていた。
 ヨセフはこれを機に、何度も理不尽な目に遭ったのに、不平不満を言った記述が一切無い。彼はどんな災いの状況に陥っても、人がした悪を思わず、神から与えられた状況を受け入れ、「誠実」を養っていた。
 どうして彼は、そんな人間離れした考え方なのだろう。それは彼は、人のした悪に心が囚われ縛られるよりも、神が与えて下さった壮大な夢のほうに目を留め、思い巡らすのが好きだったから、ではないだろうか。
 例えば、Aという人が、理不尽で腹立たしい事をした時、Aに腹を立て、Aを思い巡らしている間は、Aの悪に負けている状態、捕縛されている状態である。その「思い巡らし」を止めないなら、その監獄に何年、何十年も、囚われ続けてしまう。神の民である私達は、そんなものに囚われたり支配されるべきではない。
 他人から受けた汚れに囚われ、不満や怒り、そねみ、殺意に燃えている状態では、主は働けない。ヨセフが世界的に用いられたのは、そうした汚れから、自由な人だったからであろう。この粘着性のある腹立たしさや、汚れた情欲を、唯一、打ち破る事が出来る方法は、人のした悪は全部、イエス様の名前によって神に告げ口し、吐き出し、そして神が見せてくださる夢やビジョンにこそ、目を留め続ける事である。
 ヨセフは、人の悪意、仕掛けて来る罪や誘惑、理不尽な仕打ちに、心縛られず、ただ神に心を向け、与えられた役割が、もし奴隷仕事なら奴隷仕事に、監獄の囚人なら監獄の囚人として、最善を尽くし続けた。
 そうして自分の価値を高めて行く事を続けて行った結果、仕えた主人を富ませる者となり、さらには総理大臣とされ、闇にあえぎ旱魃に苦しむ世界を救う者、神の民を大いに養い増え広がらせる者となった。
 ヨセフは、本当に自由だった。これは、怒りや誘惑をむりやり押し込めたりガマンするのではなく、神が与えて下さった夢をいつも握りしめていたから、どんな状況にも、希望を失う事無く、高貴さを失わなかった。
  私達も、世に属する者ではなく、天に属する者だから、この世のどんな状況にもどんな罪にも束縛されない「自由人」になる事を目指すべきである。いつでも主イエス様を思い巡らし、主がおられる天国の雰囲気、天国の美しさ、天国の広大さ、天国の清らかさ、天国のすがすがしさを醸し出し、どんな悪の状況でもそれを失わない皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
 

群れの模範となる牧者となりなさい(1ペテロ5:1-11)

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他の引用箇所:
ヨハネ21:15-22
 

主日礼拝

パウロとテモテから学ぶ真の親子関係の絆(2テモテ1:1-8)

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週報/メッセージ(説教)概要

 本日は父の日、普段から一家を守り養うために働いている父に感謝する日である。私達には肉の父がおり、霊の父もいる。たとえ血の繋がりはなくても、キリストにあって、血の繋がりよりも濃い「真実な父子関係」がある。今回、パウロとテモテの霊的父子関係から、キリストにある親子関係のあり方を見直して行きたい。
 
 パウロは結婚はしておらず、子はいない。しかしテモテを「真実のわが子」(1テモテ1:2)と呼んだ。つまり、福音を伝道されて、信じて、霊において新しく生まれた人にとっては、イエス様を伝えてくれた人こそ霊における真の親であり、また、常日頃から御言葉によって霊的に養っている人こそ、真実の父、また母なのだ。
 霊の親は、夜となく昼となく、霊的に面倒を見ている「真の子供」のため、祈るものである。パウロは日頃、夜昼祈る習慣があり、その祈りの内で、いつもテモテの事を思い起こしていた(2テモテ1:3)。
 『わたしは、あなたの涙を「おぼえ(させられ)ており(現在形受動態)」、あなたに会って喜びで満たされたいと、切に願っている。』(4節) パウロはこの時、聖霊によって、テモテの顔が思い浮かばされたが、その顔は、涙を流していた…。それでパウロは、是非ともテモテに会いたいと思った。けれども今、牢に繋がれており、しかももうすぐ処刑される事が何となく分かる。その状況で、このテモテへの手紙を書くに至った。
 現代は、顔を見たくなったり、声を聞きたくなったら、スマートフォンを取りだせば良いし、また何千キロの距離でも、車や飛行機で、すぐに行く事が出来る。しかし当時は、そう簡単には行かない。切に会いたい時は、ただ相手を思い巡らし、祈る以外には無かった。私達も、霊的息子・娘を養う時、日夜、愛を込めて祈り続けるなら、彼らの状況が、霊によって良くわかる。あ、今この子は泣いている。今この子はうまくやっている、と。世の理論やモノ、方法に手軽に手を伸ばす以前に、よく祈るなら、その子は健全に育つのだ。
 
 テモテはその時、なぜ涙を流すような状況だったか。彼はその当時、エペソ教会の担任牧師としてパウロから按手を受け、若きリーダーとして頑張っている最中だった。当時、エペソの教会は、異端がはびこる危険性があり、教会の中でも諸々の問題があった。そんな彼に、パウロは的確にアドバイスをする。
 『こういう訳で、あなたに注意したい。わたしの按手によって内に頂いた神の賜物を、再び燃えたたせなさい。というのは、神が私達に下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。』(6-7節)
 
 今、本当に私達も、涙を流したい時代に生きている。コロナがはびこり、諸々の情勢は悪化し、将来の不安がある。若い世代がこれから生きていく将来のため、自分達は何を彼らに備え、残してやれるだろうか…。
 パウロはアドバイスする。全ての肉の親・霊の親に、全て涙を流しながら任に当たっている働き人に、また、リーダー達に。「神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである」と。
 私達に助け主・聖霊が来るなら、イエス様が成したわざをする事ができ、また、それ以上の事ができる!
その助け主は、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊である。聖霊の第一の現れは「力」であるが、ただのイケイケな力ではなく、慎みの霊でもある。その、力と慎みとの中心にあるのが「愛」、これこそ重要である。
 全き愛は、恐れを締め出す。もし恐れているなら、愛が全うされていない状態だ。しかし子供や兄弟姉妹を何とかしてやりたい、という愛が燃え立たされているなら、恐れず、ひるまず、大いなる働きをしていく。
 テモテは思い起こす事が出来た。自分は、パウロから按手を受け、その時にいただいた霊は、力と愛と慎みの霊だ!と。 その後、テモテが素晴らしい牧会をして教会を成長させた事は、エペソ教会の遺跡が物語っている。今は廃墟だが、エペソ教会は、長さ400メートル、馬が内部を通れるほどの建物だった。
 
 肉の親子関係であれ、霊の親子関係であれ、私たちはどれほど、愛をもって父母の役割を果たしているだろう。あるいはどれほど、日頃養いをいただいている父母に感謝しつつ従っているだろう。
 私達もパウロにならい、子のために日夜、祈りに覚えるべきである。また、テモテのように、霊の父母からいただいた御言葉を思い起こし、与えられている御言葉と聖霊によって、力と、愛と、慎みに富んだ働きをしてゆくべきである。私達はますます立派な霊の親となり、また、霊の養いをいただいている霊的な父母を敬い、素晴らしい愛の関係を保っていく皆さんでありますように、イエス様のお名前によって祝福します!
 

金曜徹夜祈祷会

あなたがたこそ、いつもわたしについて来てくれた人たちです(ルカ22:14-34)

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他の引用箇所:
ヘブル12:18-25
箴言30:24-28
 

早天礼拝

闇の次元から光の次元へと乗り越える門(哀歌3:22-27)

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早天礼拝

私達を練り、清め、神の民として下さる主(詩篇66篇)

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詩篇66篇表題『聖歌隊の指揮者によってうたわせた歌、さんび』
 
前の詩篇のいくつかは、ダビデが作者だったが、この詩篇は、作者の名は記されていない。
 
この詩篇は,国家的な危機からの救いを感謝するものである.背景は不明であるが,13節からは1人称になっているので,王が民を代表して神に感謝をささげていると考えられる.
1節.〈全地よ〉を,神の世界支配の告白と最近の具体的な出来事において示された神の主権への言及とすれば,アッシリヤの敗退というヒゼキヤ王の時の出来事を示唆すると考えられる。(実用聖書注解)
 
詩篇66:1 全地(エレツ)よ、神にむかって喜び呼ばわれ。
 
エレツは、地、地球、世界などの広い意味があり、その、エレツの上にある全ての生き物、植物、鉱物、そして悪人も善人も含めた全人類に対し、呼びかけでこの詩は始まる。
それら全ての創造主である、神に向かって、喜び呼ばわれ!と。
 
詩篇66:2 そのみ名の栄光を歌え。栄えあるさんびをささげよ。
 
実際、全被造物の美しく調和が取れた存在によって、また、それら各々の働きと営みによって、神の栄光は表れており、誰にも弁解の余地は無い。(ローマ1:20)
しかし、全被造物の中で唯一、神の栄光をあらわす事をしない「例外」が、堕落してしまった人間である。
唯一、神に似たものとして創られた人間が、唯一、神の栄光を貶める存在となってしまったという「究極の皮肉」に、全被造物は、うめきつつ、彼らが贖われて神の子があらわれる事を、切に待ち望んでいる。(ローマ8:19-20)。
 
詩篇66:3 神に告げよ。「あなたのもろもろのみわざは恐るべきかな。大いなるみ力によって、あなたの敵はみ前に屈服し、
66:4 全地はあなたを拝み、あなたをほめうたい、み名をほめうたうであろう」と。〔セラ
 
神の御業が恐ろしい、と、ことさらに感じるのは、神に敵対する者達である。
エジプトのパロは、最初、神の言葉を伝えるモーセを侮ったが、最終的に、エジプトの軍隊は海に沈められ、神の前に屈服させられた。
また、ペリシテの神ダゴンも、当初はイスラエルの神に勝ったと思われて、ダゴン神殿に契約の箱が安置されたが、ダゴン像は、神の契約の箱を前にひれ伏せられた挙げ句、頭と胴体が切り離された状態で発見された。(1サムエル記5章)
 
5節以降は、神の民に対しての呼びかけである。
 
66:5 来て、神のみわざを見よ。人の子らにむかってなされることは恐るべきかな。
66:6 神は海を変えて、かわいた地とされた。人々は徒歩で川を渡った。その所でわれらは神を喜んだ。
66:7 神は大能をもって、とこしえに統べ治め、その目はもろもろの国民を監視される。そむく者はみずからを高くしてはならない。〔セラ
 
神は、神の民イスラエルをエジプトを脱出させる際、紅海を割って、海をくぐらせた。
彼らはみな、雲と海とでモーセにつくバプテスマを受け、みな同じ御霊の食べ物を食べ、みな同じ御霊の飲み物を飲んだ。彼らについて来た御霊の岩とは、キリストの事である。(1コリント10:2-4)
イスラエルの民は、モーセを通して律法が与えられ、荒野にて、主ご自身が与える食物によって養われつつ訓練を受けた。
 
その後、神は、ヨシュアを通してヨルダン川を渡らせ、ついに約束の地へと入らせた。
そのヨルダン川は、バプテスマのヨハネがそこで人々に水のバプテスマを授け、イエス・キリストへと導いた所である。
 
モーセは神の民を、エジプトという世から脱出させ、神の訓練所である荒野へ導いたものの、モーセ自身は、約束の地に入れなかった。
同様に、モーセを通して与えられた律法は、神の民を訓練する養育係ではあっても、約束の地には到達し得ない。
しかし、ヨシュアが神の民にヨルダン川を渡らせ、荒野から約束の地へと入らせる事が出来たように、まことのヨシュア(=ヘブライ語イエシュア=イエス)であるイエス・キリストを信じる信仰によって、私達は、永遠の約束の地・天国に入る事が出来るのだ。(ガラテヤ3:17-29)
 
66:8 もろもろの民(アム)よ、われらの神をほめよ。神をほめたたえる声を聞えさせよ。
66:9 神はわれらを生きながらえさせ、われらの足のすべるのをゆるされない。
 
1節は「全地(エレツ)よ」の呼びかけで始まったが、8節は「もろもろの民(アム)よ」という呼びかけによって始まる。
アムは「人々」を意味するが、人々の中でも「善」に属する人々を、特に、イスラエルの人々や神の民をあらわす事が多い。
つまり1-7節は、神を敬う民も、敬わない民も、全部ひっくるめた全被造物に対するメッセージだったが、8節以降は、特に神の民に向けてのメッセージである。
それで作者は、「われらの神をほめよ。神をほめたたえる声を聞えさせよ」と呼びかけている。
神の民は、神に対し声を上げて賛美するべきだ。なぜなら神は、神の民を「生きながらえさせ、われらの足のすべるのをゆるされない」からだ。
 
66:10 神よ、あなたはわれらを試み、しろがねを練るように、われらを練られた。
 
炉の中で鉱物を溶かして、かなかすを除くのと同じように、神は、神の民を試練の中で精錬して、より純化する。
神はイスラエルの民に荒野を通らせ、不従順な世代を取り除いたように、私達を試練の中を通らせ、私達の中から要らない性質、不従順な性質を取り除かれる。
そうして純化された神の民を、広い、祝福の地へと導き入れてくださる。
 
66:11 あなたはわれらを網にひきいれ、われらの腰に重き荷を置き、
66:12 人々にわれらの頭の上を乗り越えさせられた。われらは火の中、水の中を通った。しかしあなたはわれらを広い所に導き出された。
 
神は、私達の中に、神を離れて自分勝手な所に行ってしまう性質がある時、それを取り除くために、敢えて貶め、人々が彼の頭の上を乗り越えて行くような所を、通らせる。
放蕩息子が、父の元を離れて、世に出ていって放蕩した時、人々はよってたかって彼から剥ぎ取り、彼が全てを失った時は豚の世話をさせ、しまいに彼は、豚の餌さえ食べたいと思わせる程、みじめな思いをした。(ルカ15章)
しかし、全てを支配しておられる神は、憐れみのゆえに、彼らが火の中、水の中をくぐっても助かるように、手加減をしてくださり、しかも彼らの中から要らない部分「かなかす」だけを焼き尽くして取り除いて下さる。
これは、神は私達を愛しておられ、私達がより純粋な者となるために、取り計らってくださっているのだ。(イザヤ43:2-4)
 
放蕩息子が困難の渦中で、我に返り、父の元に帰った時、父は放蕩息子が帰ってきた事を喜び、宴会を開いて祝った。
同じように、神の元を離れた罪人が、悔い改めて立ち返るなら、天において、御使い達の間に、大きな喜びと、宴会が沸き起こるのだ。
 
66:13 わたしは燔祭をもってあなたの家に行き、わたしの誓いをあなたに果します。
66:14 これはわたしが悩みにあったとき、わたしのくちびるの言い出したもの、わたしの口が約束したものです。
66:15 わたしは肥えたものの燔祭を/雄羊のいけにえの煙と共にあなたにささげ、雄牛と雄やぎとをささげます。〔セラ
 
神の民が苦しみに遭った時、思い出すのは、主の家(神殿、教会)である。
ハンナは、苦しみの時、主の宮にのぼって、言葉にならない祈りと誓いを捧げた(1サムエル記1章)。
またヨナは、神の命令とは逆方向に行った時、あらしに遭って船から放り出された挙げ句、魚に飲み込まれたが、彼はその魚の腹の中から、主に祈り、主の宮を慕い求め、かろうじて助かった。(ヨナ書1-2章)
 
人は苦しみの中で、神に誓いを立てるが、その立てた誓いは、しっかり果たすべきである。
ハンナが祈った通りに、神は彼女に男の子を与えられ、ハンナは、誓願した通りにその子を捧げた。
その結果、神はハンナを豊かに祝福し、さらに子を与えられた。彼女は大きな喜びの内に、素晴らしい賛美を主に捧げた。(1サムエル記2章)
 
ヨナのほうは、助かった後、主の言葉どおりニネベに行って宣教したものの、まだ心に苦さを覚え、主に不服を申し立てたが、主はヨナを、その苦々しさから救い出すために、東風と虫を備え、実体験を通して主の御思いを知らされた。(ヨナ書4章)
 
66:16 すべて神を恐れる者よ、来て聞け。神がわたしのためになされたことを告げよう。
66:17 わたしは声をあげて神に呼ばわり、わが舌をもって神をあがめた。
 
この詩の最後は、主をほめたたえる賛美で終わる。
 
66:18 もしわたしが心に不義をいだいていたならば、主はお聞きにならないであろう。
66:19 しかし、まことに神はお聞きになり、わが祈の声にみこころをとめられた。
 
主は、心を見るお方である。
外見はうやうやしく礼拝しているかのように見えても、心が御前で純粋でないなら、主は、その祈りを聞かれない。
しかし、心が主に対してまっすぐなら、主はその祈りを聞かれる。
そうして純粋に御前で祈り、心を尽くして礼拝するなら、その祈りが聞かれた時には大きな喜びと感謝があふれる。
 
66:20 神はほむべきかな(バラク)。神はわが祈をしりぞけず、そのいつくしみをわたしから取り去られなかった。
 
バラクは元々、ひざをつくという意味である。主の前にひざをついて低くなる事こそ、人の側の分である。
 
神が人を祝福する、というのは、神が、天の高い所から下りてきて、ひざをついて低くなって便宜を図って下さるものである。
だから、究極に低くなられたイエス様の十字架こそ、祝福の真骨頂である。
高き所から降りて来られ、弱く罪を犯しがちな私達を憐れみ、救い、贖って下さった、素晴らしい神の御前に、いつも低くへりくだり、声をあげて主を賛美し、感謝を捧げるのが、私達が為すべき分である。
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