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神の国は人が地に種を蒔くようなもので(マルコ4:26-29)
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イエス様はよく「神の国のたとえ話」をされた。

マルコ4:26  また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、
Mar 4:27  夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。
Mar 4:28  地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。
Mar 4:29  実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」

神の国とはバシレイア・トゥー・テウー、神の支配領域である。
種は、人はどのようにして育つのかは知らないが、しかし特定の条件下になれば、ひとりでに芽が出て育って行くものである。
神の国もまた、人手によるのでなく、以下の御言葉のように、神の支配によって物事が為されていくものである。

申命記 11:10 あなたがたが行って取ろうとする地は、あなたがたが出てきたエジプトの地のようではない。あそこでは、青物畑でするように、あなたがたは種をまき、足でそれに水を注いだ。
 11:11 しかし、あなたがたが渡って行って取る地は、山と谷の多い地で、天から降る雨で潤っている。
 11:12 その地は、あなたの神、主が顧みられる所で、年の始めから年の終りまで、あなたの神、主の目が常にその上にある。

マルコ4:26の「種」はスポロス、すなわち「蒔かれた状態の種」であるが、その他にも、人を援助できる資力という意味もある。
人を助けたり御霊の実を結ばせたり、神の国を成長させるためには、「蒔かれた種」である事が大切である。
太陽と雨の恵みを受けていれば何の苦労も無く自然すぎるほど自然に実を結ぶものである。
神から産まれた人は、神の種が宿っているから罪を犯さない。(1ヨハネ3:9.10)
罪も犯したとしても、神の種が宿っているなら、罪を犯し続けるということはできないのは、神の種が宿ってから、罪を犯し続けると苦しくなるのである。
それに対し、悪魔の子達は罪を犯し続けても何とも無く、正しい生活を続けられない。たとえ神を信じると言っていても、兄弟を訴え続けたり、分裂を促したりしているようでは、神の種が宿っているとは言えない。

蒔かれた状態となるのは、種自身の死を意味する。
それは人の目には絶望のように見えても、その死からいのちの何倍もの実りがはじまる。

使徒8:1  サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。
ここの「散らされた」はディアスパイロー、すなわち「あちこちに」「種が蒔かれる」事である。
神が、キリスト者を各地に蒔かれたのである。その結果、御言葉の種が広がり、キリストのいのちが爆発的に広がっていった。

神が蒔かれたなら、光なるキリストに照らされてひとりでに育ち、以下の御霊の実を豊かに結ぶ。
ガラテヤ5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、
 5:23 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。

イエス様は主の祈りにおいて、神の統治が為されるようにと祈るように教えられた。
マタイ6:10  御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。

結局、神の統治は人にとって最善・幸いなのだ。

申命記11:8 ゆえに、わたしが、きょう、あなたがたに命じる戒めを、ことごとく守らなければならない。そうすればあなたがたは強くなり、渡って行って取ろうとする地にはいって、それを取ることができ、
 11:9 かつ、主が先祖たちに誓って彼らとその子孫とに与えようと言われた地、乳と蜜の流れる国において、長く生きることができるであろう。
 11:10 あなたがたが行って取ろうとする地は、あなたがたが出てきたエジプトの地のようではない。あそこでは、青物畑でするように、あなたがたは種をまき、足でそれに水を注いだ。
 11:11 しかし、あなたがたが渡って行って取る地は、山と谷の多い地で、天から降る雨で潤っている。
 11:12 その地は、あなたの神、主が顧みられる所で、年の始めから年の終りまで、あなたの神、主の目が常にその上にある。
 

しもべは知っていた(ヨハネ2:1-12)
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イエス様が公生涯において最初に起こされた場面は、結婚式という場面だった。
結婚式、それは人生の重大なイベントであり、何か不足や粗相があったなら大きな恥となってしまう。
イエス様の最初の奇跡は、男女が一つとなる「結婚式」という場面であり、そしてその奇跡の元となった事は、人の側の「不足」であった。

2:1 三日目にガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
2:2 イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれた。
2:3 ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った、「ぶどう酒がなくなってしまいました」。

集う人数の公算を誤ったのか、貧乏ゆえに用意し切れなかったのか、ともかく、ぶどう酒が途中で切れてしまう、という、新郎新婦にとって大きな恥となる「不足」が起きてしまった。
普通なら、それは単なる「不足」のままで終わり、一新郎新婦の「恥」として終わってしまうものであるが、あいにく、この結婚式には、イエス様が招かれていた。
イエス様を呼び込み、イエス様を主とし、イエス様の言われた通りに行う時、その結婚式や結婚生活、あるいは、事業や諸々の活動における「不足」「死」は、単なる不足や死で終わるものではなく、神の栄光へと変えられる。

2:4 イエスは母に言われた、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません」。

この時点でイエス様はまだ誰の前でも奇跡を行った事が無かった。
母マリヤは、イエス様を自分の子として呼んだのであろうが、イエス様を王として、主としてでなく、低い地位として見積もって呼ぶなら、イエス様は何の関わりも持ってくださらない。
しかし、イエス様を主人とし、イエス様の言われる通りに行う「しもべ」は、イエス様の御言葉に従う事ゆえの大きなわざを見る事ができる。

2:5 母は僕たちに言った、「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」。

ここの「僕」のギリシア語はディアコノス、「塵灰をくぐる」事の意味から、奴隷、あるいは仕え人の事である。
主人としてイエス様が言われる「御言葉」に対し、なんでも従う「しもべ」としてのスタンスが準備が整えられる時こそ、すなわち、イエス様のわざが起きる用意が整えられる時である。

2:6 そこには、ユダヤ人のきよめのならわしに従って、それぞれ四、五斗もはいる石の水がめが、六つ置いてあった。
2:7 イエスは彼らに「かめに水をいっぱい入れなさい」と言われたので、彼らは口のところまでいっぱいに入れた。
2:8 そこで彼らに言われた、「さあ、くんで、料理がしらのところに持って行きなさい」。すると、彼らは持って行った。

人の目から見るなら、イエス様は時に無意味な事を申し付けられる事がある。
しかし、御言葉であるゆえに従うなら、人には出来なかった事がイエス様を通して為される。

2:9 料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、(水をくんだ僕たちは知っていた)花婿を呼んで
2:10 言った、「どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわったころにわるいのを出すものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました」。
2:11 イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行い、その栄光を現された。そして弟子たちはイエスを信じた。

この「よいぶどう酒」は、花婿が用意したぶどう酒よりも、良かった。
高級なワインは何万円もするものだが、その良いワインが風呂おけ6杯分もあるとするなら、それはどれほど結婚式を満たすのみならず、その後の結婚生活の必要が満たされただろうか。
そうである。イエス様は、圧倒的に、必要を満たされるお方である。
次のように書いてある通りである。

2列王記4:1  預言者のともがらの、ひとりの妻がエリシャに呼ばわって言った、「あなたのしもべであるわたしの夫が死にました。ごぞんじのように、あなたのしもべは主を恐れる者でありましたが、今、債主がきて、わたしのふたりの子供を取って奴隷にしようとしているのです」。
2Ki 4:2  エリシャは彼女に言った、「あなたのために何をしましょうか。あなたの家にどんな物があるか、言いなさい」。彼女は言った、「一びんの油のほかは、はしための家に何もありません」。
2Ki 4:3  彼は言った、「ほかへ行って、隣の人々から器を借りなさい。あいた器を借りなさい。少しばかりではいけません。
2Ki 4:4  そして内にはいって、あなたの子供たちと一緒に戸の内に閉じこもり、そのすべての器に油をついで、いっぱいになったとき、一つずつそれを取りのけておきなさい」。
2Ki 4:5  彼女は彼を離れて去り、子供たちと一緒に戸の内に閉じこもり、子供たちの持って来る器に油をついだ。
2Ki 4:6  油が満ちたとき、彼女は子供に「もっと器を持ってきなさい」と言ったが、子供が「器はもうありません」と言ったので、油はとまった。
2Ki 4:7  そこで彼女は神の人のところにきて告げたので、彼は言った、「行って、その油を売って負債を払いなさい。あなたと、あなたの子供たちはその残りで暮すことができます」。

結婚式に参加した多くの人々は、花婿さえ、その良いぶどう酒がどこから来たのかを知らなかった。
知っているのは、ただ「しもべ」だけであった。
私達も、イエス様のお言葉どおり行う時、イエス様の為された秘密を知り、イエス様の素晴らしい御業に「参加」する者として、大いに喜びに溢れる。

イザヤ65:13 それゆえ、主なる神はこう言われる、「見よ、わがしもべたちは食べる、しかし、あなたがたは飢える。見よ、わがしもべたちは飲む、しかし、あなたがたはかわく。見よ、わがしもべたちは喜ぶ、しかし、あなたがたは恥じる。
65:14 見よ、わがしもべたちは心の楽しみによって歌う、しかし、あなたがたは心の苦しみによって叫び、たましいの悩みによって泣き叫ぶ。
65:15 あなたがたの残す名は/わが選んだ者には、のろいの文句となり、主なる神はあなたがたを殺される。しかし、おのれのしもべたちを、ほかの名をもって呼ばれる。
65:16 それゆえ、地にあって/おのれのために祝福を求める者は、真実の神によっておのれの祝福を求め、地にあって誓う者は、真実の神をさして誓う。さきの悩みは忘れられて、わが目から隠れうせるからである。
 

門衛となって聖なる所を守れ(1歴代誌26:1-32)
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26:1 門を守る者の組は次のとおりである。すなわちコラびとのうちでは、アサフの子孫のうちのコレの子メシレミヤ。

26章は、主の宮の門や宝物庫を守る門衛の組み分けが記されている。
門衛というと今で言う所の警備員である。コンサート会場では、皆の前で歌う人に比べれば警備員は全く見向きもされないかもしれないが、ことに、主の宮において門衛は、歌う人、奉仕をする人に負けず劣らず大切である。
実際、門衛についての記述は、前章の聖歌隊の記述よりも文面が多く割かれている。

門衛は、出入り口に立ち、汚れた者、不法な者が出入りしないように守る。

黙示録21:25 都の門は、終日、閉ざされることはない。そこには夜がないからである。
21:26 人々は、諸国民の光栄とほまれとをそこに携えて来る。
21:27 しかし、汚れた者や、忌むべきこと及び偽りを行う者は、その中に決してはいれない。はいれる者は、小羊のいのちの書に名をしるされている者だけである。

黙示録におけるまことのエルサレムには、不法者は一切入れないように、今、私達という生ける神の宮については、私達自身が、私達の門、すなわち、目や耳、口という出入り口をガードする役割が、私達に与えられている。

2コリント6:15 キリストとベリアルとなんの調和があるか。信仰と不信仰となんの関係があるか。
 6:16 神の宮と偶像となんの一致があるか。わたしたちは、生ける神の宮である。神がこう仰せになっている、/「わたしは彼らの間に住み、/かつ出入りをするであろう。そして、わたしは彼らの神となり、/彼らはわたしの民となるであろう」。
 6:17 だから、「彼らの間から出て行き、/彼らと分離せよ、と主は言われる。そして、汚れたものに触れてはならない。触れなければ、わたしはあなたがたを受けいれよう。
 6:18 そしてわたしは、あなたがたの父となり、/あなたがたは、/わたしのむすこ、むすめとなるであろう。全能の主が、こう言われる」。

この、私達という生ける神の宮をしっかりガードするなら、その人は豊かに祝福される。

26:4 オベデ・エドムの子たちは、長子はシマヤ、次はヨザバデ、第三はヨア、第四はサカル、第五はネタネル、
26:5 第六はアンミエル、第七はイッサカル、第八はピウレタイである。神が彼を祝福されたからである。

主は、門衛をするオベデ・エドムを祝福された、と書いてある。
彼の子孫には、有力者が出て、子孫の数も増えて行った事が続く節にあるが、23章以降に登場する神殿奉仕者の中に、「彼を祝福した」とわざわざ記述された事はなかった。
聖なる門の出入りを守る者は、確かに祝福を受けるのだ。

26:13 彼らはそれぞれ門のために小なる者も、大なる者も等しく、その氏族にしたがってくじを引いた。
26:14 東の門のくじはシレミヤに当った。また彼の子で思慮深い議士ゼカリヤのためにくじを引いたが、北の門のくじがこれに当った。

門衛の奉仕もまた、くじによってその分担が割り当てられ、人の意図は一切排除された。
続いて、聖なるものを保管する宝物倉の奉仕者についてである。

26:20 レビびとのうちアヒヤは神の宮の倉および聖なる物の倉をつかさどった。
26:21 ラダンの子孫すなわちラダンから出たゲルションびとの子孫で、ゲルションびとの氏族の長はエヒエリである。
26:22 エヒエリ、ゼタムおよびその兄弟ヨエルの子たちは主の宮の倉をつかさどった。

私達は、倉である。
善人は良い心の倉から良い物を取り出し。悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。心からあふれ出ることを、口が語るものである。(ルカ6:45)
だから、私達自身という倉に、良い物をたくわえ、悪いものは排除する管理責任は、私達にある。
ネヘミヤは、邪悪な者が神の宮の部屋を私物化して占有している事を許さず、それを外に投げ出したように(ネヘミヤ13:4-9)、私達も自分の中に邪悪な者と結託しているものを外へ投げやるべきである。

預言的賛美(1歴代誌25:1-31)
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25章は、賛美の歌声や色々な楽器をもって主を褒め称える聖歌隊の編成である。

25:1 ダビデと軍の長たちはまたアサフ、ヘマンおよびエドトンの子らを勤めのために分かち、琴と、立琴と、シンバルをもって預言する者にした。その勤めをなした人々の数は次のとおりである。

奉仕はアサフ、ヘマン、エドトンの指揮下にあり、三者はそれぞれレビ族のゲルション、ケハテ、メラリの子孫である。(6:33,39,44)

ここで特筆すべき事は、彼らは神殿において、琴と、立琴と、シンバルをもって「預言」した事だ。
「演奏した」ではなく、楽器をもって預言をしたのだ。

預言と訳された言葉「ナーバー」には預言する事の意味の他、恍惚状態になって霊に導かれた事を語る事の意味もある。
サウルは、悪霊にはげしく臨まれて家の中で「狂いわめいた(ナーバー:預言した)」事が書いてあるように(1サムエル記18:10-11)、霊によくよく気をつけ、吟味するべきである。

預言的な賛美というものがある。
預言は神から言葉を預かって、それを人に届けるものだが、ある人は、この楽器のメロディが伴われた御言葉の宣言 - それは賛美集会とも預言集会とも言える集会 - の中において、心刺され、癒され、解放される。
アサフやヘマン、エトドン、共々、詩篇の作者であるが、彼らが霊に促されて記した預言の詩篇は、現代の私達にはどのようなメロディに載せられて宣言したのかは分からないが、しかし、彼らが霊に促されて記した詩篇は、確かに読むだけで心刺され、癒やされ、解放される力がある。

旧約・ダビデの時代にそれがなされたように、新約でも、預言の集会は教会で為され、その際の注意事項が、パウロにより、第一コリント14章に記されている。

1コリント14:1 愛を追い求めなさい。また、霊の賜物を、ことに預言することを、熱心に求めなさい。
14:2 異言を語る者は、人にむかって語るのではなく、神にむかって語るのである。それはだれにもわからない。彼はただ、霊によって奥義を語っているだけである。
14:3 しかし預言をする者は、人に語ってその徳を高め、彼を励まし、慰めるのである。
14:4 異言を語る者は自分だけの徳を高めるが、預言をする者は教会の徳を高める。
14:5 わたしは実際、あなたがたがひとり残らず異言を語ることを望むが、特に預言をしてもらいたい。教会の徳を高めるように異言を解かない限り、異言を語る者よりも、預言をする者の方がまさっている。

預言は、ダビデの時代は神殿に集う人達全体の徳を高め、教会時代は教会の徳を高めた。

その預言的賛美をするにおいて、ダビデが重視したのは、秩序である。

25:2 アサフの子たちはザックル、ヨセフ、ネタニヤ、アサレラであって、アサフの指揮のもとに王の命によって預言した者である。
・・・
25:6 これらの者は皆その父の指揮の下にあって、主の宮で歌をうたい、シンバルと立琴と琴をもって神の宮の務をした。アサフ、エドトンおよびヘマンは王の命の下にあった。
25:7 彼らおよび主に歌をうたうことのために訓練され、すべて熟練した兄弟たちの数は二百八十八人であった。

その奉仕者は「訓練され」「熟練した」者達であった。
歌において、あるいは楽器の巧みさにおいて熟練され、それのみならず、霊性において熟練していなければ、その奉仕者として立てられない。
1節では、この奉仕はダビデの一存のみならず、長達からも認められた者でなければならなかった。

教会の礼拝における奉仕も、単にテクニックに優れたというだけではなく、霊性において「訓練され」「熟練した」者達でなければ、奉仕はしてはならない。
パウロもまた、異言や預言において重視したのは、秩序であった。

14:23 もし全教会が一緒に集まって、全員が異言を語っているところに、初心者か不信者かがはいってきたら、彼らはあなたがたが気が変になったと言うだろう。
14:24 しかし、全員が預言をしているところに、不信者か初心者がはいってきたら、彼の良心はみんなの者に責められ、みんなの者にさばかれ、
14:25 その心の秘密があばかれ、その結果、ひれ伏して神を拝み、「まことに、神があなたがたのうちにいます」と告白するに至るであろう。
14:26 すると、兄弟たちよ。どうしたらよいのか。あなたがたが一緒に集まる時、各自はさんびを歌い、教をなし、啓示を告げ、異言を語り、それを解くのであるが、すべては徳を高めるためにすべきである。
14:27 もし異言を語る者があれば、ふたりか、多くて三人の者が、順々に語り、そして、ひとりがそれを解くべきである。
14:28 もし解く者がいない時には、教会では黙っていて、自分に対しまた神に対して語っているべきである。
14:29 預言をする者の場合にも、ふたりか三人かが語り、ほかの者はそれを吟味すべきである。
14:30 しかし、席にいる他の者が啓示を受けた場合には、初めの者は黙るがよい。
14:31 あなたがたは、みんなが学びみんなが勧めを受けるために、ひとりずつ残らず預言をすることができるのだから。
14:32 かつ、預言者の霊は預言者に服従するものである。
14:33 神は無秩序の神ではなく、平和の神である。

教会においては、一人の人に預言が与えられたなら、それまで語っていた人は黙るように、パウロは指示した。秩序正しく行われるためである。
コロサイ3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。あなたがたが召されて一体となったのは、このためでもある。いつも感謝していなさい。
3:16 キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。そして、知恵をつくして互に教えまた訓戒し、詩とさんびと霊の歌とによって、感謝して心から神をほめたたえなさい。

現代、教会においては、御言葉のメッセージや預言の言葉に心刺されたり、癒やされたりするが、パウロの時代の教会やダビデの時代の神殿では、預言の言葉や御言葉に、さらに霊に促された奏者によって導かれるメロディが加わり、明るい音色や暗い音色、早いテンポやゆったりしたテンポが御霊により巧みに奏でられ、今の私達には想像できないような、霊において濃厚な礼拝が為されていたのだろう。

ダビデの時代、その奉仕者は血筋においても練達においても申し分の無い奉仕者が立てられたが、いつ、どのような奉仕をするかは、前章の祭司のように、くじ引きにより神から示され、人の意図によってではなかった。

25:8 彼らは小なる者も、大なる者も、教師も生徒も皆ひとしくその務のためにくじを引いた。
25:9 第一のくじはアサフのためにヨセフに当り、第二はゲダリヤに当った。彼とその兄弟たちおよびその子たち、合わせて十二人。
・・・
25:30 第二十三はマハジオテに当った。その子たちおよびその兄弟たち、合わせて十二人。
25:31 第二十四はロマムテ・エゼルに当った。その子たちおよびその兄弟たち、合わせて十二人であった。

現代、当時のような預言的賛美が回復されるよう、私達は、祈りに覚えるべきである。

祭司の奉仕(1歴代誌24:1-31)
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23章に続き、24章は祭司の奉仕分担である。

24:1 アロンの子孫の組は次のとおりである。すなわちアロンの子らはナダブ、アビウ、エレアザル、イタマル。
24:2 ナダブとアビウはその父に先だって死に、子がなかったので、エレアザルとイタマルが祭司となった。

祭司はアロンの血筋であると、主は指定された。
次のように書いてある。
ヘブル 5:1 大祭司なるものはすべて、人間の中から選ばれて、罪のために供え物といけにえとをささげるように、人々のために神に仕える役に任じられた者である。
5:4 かつ、だれもこの栄誉ある務を自分で得るのではなく、アロンの場合のように、神の召しによって受けるのである。
ゆえに、祭司たるものは、血において相応しくない者がなるのでなく、主が指定された血筋によって成るものであり、主に呼びだされたものがなるのである。
私達はキリストを信じる信仰によって、もはや人の血によってではなく、ただ神によって生まれたのであり(ヨハネ1:13)、祭司としての勤めが与えられた。

さらにその子孫の中から、それぞれ部族ごとに分け、その中から勤めのグループを細分化した。

24:3 ダビデはエレアザルの子孫ザドクとイタマルの子孫アヒメレクの助けによって彼らを分けて、それぞれの勤めにつけた。
24:4 エレアザルの子孫のうちにはイタマルの子孫のうちよりも長たる人々が多かった。それでエレアザルの子孫で氏族の長である十六人と、イタマルの子孫で氏族の長である者八人にこれを分けた。
24:5 このように彼らは皆ひとしく、くじによって分けられた。聖所のつかさ、および神のつかさは、ともにエレアザルの子孫とイタマルの子孫から出たからである。

祭司はただ神によって召された者がその勤めをなすが、その、神の家での「つとめ」もまた、人の考えに依らず、ただ神によって「くじ」で選ばれる。

24:7 第一のくじはヨアリブに当り、第二はエダヤに当り、
24:8 第三はハリムに、第四はセオリムに、
・・・
24:19 これは、彼らの先祖アロンによって設けられた定めにしたがい、主の家にはいって務をなす順序であって、イスラエルの神、主の彼に命じられたとおりである。

以上のように、人の知恵によらず、人の選びによらず、ただ主に選ばれた人々が祭司の勤めを果たした。
ルカ1章の、バブテスマのヨハネの父ザカリヤも、アビヤの組の祭司で、くじによって主に奉仕が選ばれ、そして、彼が神殿で奉仕する時に、主のお告げを受けたのだ。

24:20 このほかのレビの子孫は次のとおりである。すなわちアムラムの子らのうちではシュバエル。シュバエルの子らのうちではエデヤ。
・・・
24:31 これらの者もまた氏族の兄もその弟も同様に、ダビデ王と、ザドクと、アヒメレクと、祭司およびレビびとの氏族の長たちの前で、アロンの子孫であるその兄弟たちのようにくじを引いた。

レビ人も、同様に主から選ばれた血筋の者であり、奉仕も、くじによる主の選びによる。
私達は、イエス様にあって、王族の祭司、聖なる国民として選ばれた者である。
神と人との間に立ち、自分の思いではなく主の御心を選び、祭司とされた者としてのつとめを果たしていくみなさんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

秩序正しく行うべき礼拝の奉仕(1歴代誌23:1-32)
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ダビデは、神殿建設の準備を周到に行ったが、晩年は、神の国イスラエルにおける要職の役割分担を細かく定めた。
特に心を注いだのは、神殿奉仕である。

23:1 ダビデは老い、その日が満ちたので、その子ソロモンをイスラエルの王とした。

ダビデは、まず、ソロモンに王位を継がせる。
そして真っ先に定めたのは、神殿奉仕をする者達であり、この23章は、レビ人の組み分けを細かく行った事が記されている。

23:2 ダビデはイスラエルのすべてのつかさおよび祭司とレビびとを集めた。
23:3 レビびとの三十歳以上のものを数えると、その男の数が三万八千人あった。

レビ人として登録されるのは30歳以上の男子である。

23:4 ダビデは言った、「そのうち二万四千人は主の家の仕事をつかさどり、六千人はつかさびと、およびさばきびととなり、
23:5 四千人は門を守る者となり、また四千人はさんびのためにわたしの造った楽器で主をたたえよ」。

正式に奉仕に当る事が出来るのは、30歳以上の男子である。(民数記4:2-3)
彼らは主の家の仕事を「司った」。何を司ったのか。
24節と27節に、「20歳以上」のレビ人達が奉仕の仕事をする事が記されているが、すなわち、30歳以上は20-29歳の若いレビ人達を統率し、教育しつつ、組織的に神殿の奉仕に当たったのだろう。

23:6 そしてダビデは彼らをレビの子らにしたがってゲルション、コハテ、メラリの組に分けた。
23:7 ゲルションの子らはラダンとシメイ。

ダビデはレビ人の奉仕者を、部族ごとに分けて、奉仕分担の組織をたてた。
それぞれの仕事に、それに相応しい奉仕者をたてて、相応しくない者はそこに置かない。
なぜなら主の宮の奉仕は聖なるつとめであり、正しく行うべきものだからだ。

新約・第一コリントにも、礼拝では秩序正しく行うべき事を、パウロは指示している。
14:33 それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。聖徒たちのすべての教会で行なわれているように、
14:40 ただ、すべてのことを適切に、秩序をもって行ないなさい。

新約においては、教会が主の宮であり、そして、私達キリスト者が主の住まわれる神殿である。

3:16 あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。
3:17 もし人が、神の宮を破壊するなら、神はその人を滅ぼすであろう。なぜなら、神の宮は聖なるものであり、そして、あなたがたはその宮なのだからである。

そうであるからには、私達が誠実・自制をもって自らの体を正しく保ち、コントロールし、メンテナンスするべきである。

23:25 ダビデは言った、「イスラエルの神、主はその民に平安を与え、ながくエルサレムに住まわれる。
23:26 レビびとは重ねて幕屋およびその勤めの器物をかつぐことはない。
23:27 ――ダビデの最後の言葉によって、レビびとは二十歳以上の者が数えられた――

ダビデは、レビ人の奉仕を宣言した。
神殿が無かった時代、主の宮は移動式の幕屋であり、レビ人が各々の部族に従って、幕屋を運搬する奉仕分担を神によって指示されたが、神殿が建てられるなら、運ぶ奉仕はなくなる。
しかしその代わり、主の宮において仕事をする奉仕がある。それに当たらなくてはならない。

現代、私達・神の神殿は、組織的に、ひとつとなって、まことの大祭司キリストに熱心に仕える者であり、そして、私達一人ひとりが祭司であり、王である。
誠実に、自制をもって、主への奉仕を秩序正しくしていくべきである。

神の国を建て上げる事が出来るのは、平和な者(1歴代誌22:1-19)
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22:1 それでダビデは言った、「主なる神の家はこれである、イスラエルのための燔祭の祭壇はこれである」と。

ダビデは主のために家を建てたいと願って来たが、主が言われたのは、あなたは家を建ててはならない、むしろ、わたしがあなたのために永遠の家を建てるのだ、と、17章で主が仰せられている。
前回の所では、自らの罪ゆえの災いを被ってしまったが、しかしそれがきっかけで、エブス人オルナンの打ち場こそ、その、主の宮となるべき所だと悟り、ダビデは「これこそ、その場所だ」と言った。
それで早速、ダビデは準備のための行動を起こす。

22:2 ダビデは命じてイスラエルの地にいる他国人を集めさせ、また神の家を建てるのに用いる石を切るために石工を定めた。
22:3 ダビデはまた門のとびらのくぎ、およびかすがいに用いる鉄をおびただしく備えた。また青銅を量ることもできないほどおびただしく備えた。
22:4 また香柏を数えきれぬほど備えた。これはシドンびととツロの人々がおびただしく香柏をダビデの所に持って来たからである。

ダビデ自身は主の宮を建てる事はできなかったものの、準備は出来た。
彼の生涯の前半は、イスラエル周辺を戦いによって平定する事に心血を注ぎ、後半は、神殿建設のための準備に心血を注いだ。

22:5 ダビデは言った、「わが子ソロモンは若く、かつ経験がない。また主のために建てる家はきわめて壮大で、万国に名を得、栄えを得るものでなければならない。それゆえ、わたしはその準備をしておこう」と。こうしてダビデは死ぬ前に多くの物資を準備した。

ダビデは「主のために建てる家はきわめて壮大で、万国に名を得、栄えを得るものでなければならない。」と言ったように、それは全世界の人々を前に、スケールにおいても細微さにおいても美しさにおいても全ての面において抜きん出たものでなくてはならない。
それは、「きよい事」「聖である事」においても、同様である。
この神殿が、きよく、聖なるものとしなくてはならないという点において、ダビデは、神殿を建てる事が出来なかった。

22:7 すなわちダビデはソロモンに言った、「わが子よ、わたしはわが神、主の名のために家を建てようと志していた。
22:8 ところが主の言葉がわたしに臨んで言われた、『おまえは多くの血を流し、大いなる戦争をした。おまえはわたしの前で多くの血を地に流したから、わが名のために家を建ててはならない。

ダビデは主の前に(原意:主の顔の前に)、多くの血を流して来た。
もっとも彼は、いつも周囲から戦いを挑まれて仕方なくであったものの、聖なる宮は、血で汚れた者の手で建設される事は、ふさわしくない。
それは神の前でもそうであるが、同時に、人の前でもそうである。

もしダビデが神殿を建設したとしたら、ダビデが戦った戦争において負けた国々、肉親がダビデによって殺された人が、果たして、彼が建てた神殿を心よく思うだろうか。
神の国の建て上げは、そのような、後ろ指を指されるようなものであってはならない。
神の宮は、平和の人が建てなくてはならず、主のミニストリーは、戦いや血を流す事によって建て上げられてはならない。

22:9 見よ、男の子がおまえに生れる。彼は平和の人である。わたしは彼に平安を与えて、周囲のもろもろの敵に煩わされないようにしよう。彼の名はソロモンと呼ばれ、彼の世にわたしはイスラエルに平安と静穏とを与える。
22:10 彼はわが名のために家を建てるであろう。彼はわが子となり、わたしは彼の父となる。わたしは彼の王位をながくイスラエルの上に堅くするであろう』。

ソロモン(シェロモ)は、シャローム(平安)という言葉が元である。
エルサレムの名は、平和の礎、平和の町という意味もある。神の宮は、平安な人によってこそ建て上げられる。

7:1 このメルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司であったが、王たちを撃破して帰るアブラハムを迎えて祝福し、
7:2 それに対して、アブラハムは彼にすべての物の十分の一を分け与えたのである。その名の意味は、第一に義の王、次にまたサレムの王、すなわち平和の王である。
7:3 彼には父がなく、母がなく、系図がなく、生涯の初めもなく、生命の終りもなく、神の子のようであって、いつまでも祭司なのである。

メルキゼデク、すなわち義の王であられると同時に、平和の王であられるイエス様は「平和の君」として現れて下さった。
それゆえに、罪の中を歩んでいる私達を、罪を犯したからといってすぐに裁くのではなく、立ち返るための憐れみの期間を設けてくださり、それ故、私達は主に立ち返って救われた。
それだから、イエス様こそまことの神殿として、まことの大祭司として、そしてまことの王として相応しいお方である。
神殿は、平和の君によってこそ建て上げられるからである。
イエス様はやがて、戦いに長けた君として来られ、あらゆる死を、あらゆる悪を滅ぼし、悪魔サタンを永遠の火に投げ込み、真の平和をもたらして下さる。

22:11 それでわが子よ、どうか主があなたと共にいまし、あなたを栄えさせて、主があなたについて言われたように、あなたの神、主の家を建てさせてくださるように。
22:12 ただ、どうか主があなたに分別と知恵を賜い、あなたをイスラエルの上に立たせられるとき、あなたの神、主の律法を、あなたに守らせてくださるように。
22:13 あなたがもし、主がイスラエルについてモーセに命じられた定めとおきてとを慎んで守るならば、あなたは栄えるであろう。心を強くし、勇め。恐れてはならない、おののいてはならない。

ダビデは、ソロモンが力強く神殿を建てられるよう祝福し、そして主の道を正しく歩むように諭した。
ソロモンは確かに神殿を立派に建て上げたが、しかしその栄華が極まった時、残念ながら、彼は驕り高ぶり、人生の後半は、主の道から外れてしまった。

22:14 見よ、わたしは苦難のうちにあって主の家のために金十万タラント、銀百万タラントを備え、また青銅と鉄を量ることもできないほどおびただしく備えた。また材木と石をも備えた。あなたはまたこれに加えなければならない。
22:15 あなたにはまた多数の職人、すなわち石や木を切り刻む者、工作に巧みな各種の者がある。
22:16 金、銀、青銅、鉄もおびただしくある。たって行いなさい。どうか主があなたと共におられるように」。

ダビデはこのように、自分は神殿を建てる事は出来なかったものの、力の限り、そのための準備を行った。
私達は、自分自身をきよく、平和の内に保ち、神の国の建て上げにいそしんでいく者でありたい。

悔い改めて捧げる人の捧げものを喜んで受け取り、義とし、災いを遠ざけて下さる主(1歴代誌21:16-30)
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21:16 ダビデが目をあげて見ると、主の使が地と天の間に立って、手に抜いたつるぎをもち、エルサレムの上にさし伸べていたので、ダビデと長老たちは荒布を着て、ひれ伏した。
21:17 そしてダビデは神に言った、「民を数えよと命じたのはわたしではありませんか。罪を犯し、悪い事をしたのはわたしです。しかしこれらの羊は何をしましたか。わが神、主よ、どうぞあなたの手をわたしと、わたしの父の家にむけてください。しかし災をあなたの民に下さないでください」。

この災いは、元々イスラエル全体に問題があり、ダビデがそれに代表して罪を犯した事が引き金となって起こってしまった。(1歴代誌21:1、2サムエル記24:1)
そしてダビデは、全イスラエルを代表して執り成し、罪を犯した自分がその報いである災いを受ける事を引き換えに、全イスラエルから災いを取り除いて下さるようにと願い求める。

このように、人々を代表して自分が罪を負う性質は、モーセの性質であり(出エジプト記32:32)、パウロの性質であり(ローマ9:3)、キリストの性質である。
ヨハネ10:11  わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。
10:12  羊飼ではなく、羊が自分のものでもない雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊をすてて逃げ去る。そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らす。

主はダビデの身を挺した祈りに答えられる。

21:18 時に主の使はガデに命じ、ダビデが上って行って、エブスびとオルナンの打ち場で主のために一つの祭壇を築くように告げさせた。
21:19 そこでダビデはガデが主の名をもって告げた言葉に従って上って行った。

ダビデは祈った所、預言者を通し、エブスびとオルナンの打ち場という場所を指定された。
そこは特別な場所である。

21:20 そのときオルナンは麦を打っていたが、ふりかえってみ使を見たので、ともにいた彼の四人の子は身をかくした。

災いの爆心地であるにもかかわらず、オルナンとその子達は身に害が無かった。
オルナンは「エブス人」、元々、ヨシュアの時代に滅ぼされるべき対象の者であったが、彼はなぜこのエルサレムで生き残り、なおも土地を得ていたのか。
それは、オルナンが主に忠実であり、御前に喜ばれる性質の持ち主だったからである。(後述)

21:21 ダビデがオルナンに近づくと、オルナンは目を上げてダビデを見、打ち場から出て来て地にひれ伏してダビデを拝した。

オルナンは、災いを下す御使いを前にしても、なお自分の仕事である麦打ちを続けていた。
そして自分の主君であり王であるダビデが来た時は、すぐに出てきてひれ伏した。
彼は、仕事に忠実であり権威に忠実であった事が分かるが、そればかりではない。

21:22 ダビデはオルナンに言った、「この打ち場の所をわたしに与えなさい。わたしは災が民に下るのをとどめるため、そこに主のために一つの祭壇を築きます。あなたは、そのじゅうぶんな価をとってこれをわたしに与えなさい」。
21:23 オルナンはダビデに言った、「どうぞこれをお取りなさい。そして王わが主の良しと見られるところを行いなさい。わたしは牛を燔祭のために、打穀機をたきぎのために、麦を素祭のためにささげます。わたしは皆これをささげます」。

オルナンは、自分の持ち物を、いつでも、全部、「主に」捧げる準備が整えられていたのだ。
「わたしは牛を燔祭のために、打穀機をたきぎのために、麦を素祭のためにささげます。わたしは皆これをささげます」
燔祭も、たきぎも、素祭も、全部、王に献上するものではなく、主への捧げ物である。
彼は、家畜も財産も、仕事道具も、仕事で得た産物も、全部、主に捧げるつもりだったのだ。
しかし、それではダビデではなくオルナンが捧げた事になってしまう。

21:24 ダビデ王はオルナンに言った、「いいえ、わたしはじゅうぶんな代価を払ってこれを買います。わたしは主のためにあなたのものを取ることをしません。また、費えなしに燔祭をささげることをいたしません」。
21:25 それでダビデはその所のために金六百シケルをはかって、オルナンに払った。

捧げものは、自分からすすんで為すものである。
申命記  あなたのうちの男子は皆あなたの神、主が選ばれる場所で、年に三度、すなわち種入れぬパンの祭と、七週の祭と、仮庵の祭に、主の前に出なければならない。ただし、から手で主の前に出てはならない。
16:17  あなたの神、主が賜わる祝福にしたがい、おのおの力に応じて、ささげ物をしなければならない。
そういうわけで、自分の手足を使わない礼拝、自分の財布を痛めず自分の何かを犠牲にしない捧げものは有り得ず、老若男女問わず、富んでいる・貧しいも問わず、人は一人、主の前に立たなくてはならないのだ。

21:26 こうしてダビデは主のために、その所に一つの祭壇を築き、燔祭と酬恩祭をささげて、主を呼んだ。主は燔祭の祭壇の上に天から火を下して答えられた。

こちらが火をつける間もなく、天から火が降って、その捧げ物を焼きつくす。
それは明確に主が祈りを聞いて下さったしるしである。
大祭司アロンがそうだったし(レビ9:24)ギデオンがそうだったし(士師記6:21)、エリヤがそうだった。(1列王記18:24)

21:27 また主がみ使に命じられたので、彼はつるぎをさやにおさめた。

こうして、義人の執り成しによって、災いが止んだ。
罪を告白し、悔い改めの犠牲を払うなら、その人は義とされるのだ。

ヤコブ5:15  信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。
5:16  だから、互に罪を告白し合い、また、いやされるようにお互のために祈りなさい。義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。
5:17  エリヤは、わたしたちと同じ人間であったが、雨が降らないようにと祈をささげたところ、三年六か月のあいだ、地上に雨が降らなかった。
5:18  それから、ふたたび祈ったところ、天は雨を降らせ、地はその実をみのらせた。

21:28 その時ダビデは主がエブスびとオルナンの打ち場で自分に答えられたのを見たので、その所で犠牲をささげた。
21:29 モーセが荒野で造った主の幕屋と燔祭の祭壇とは、その時ギベオンの高き所にあったからである。
21:30 しかしダビデはその前へ行って神に求めることができなかった。彼が主の使のつるぎを恐れたからである。

こうしてダビデは、その場所が特別な場所である事を知った。
その場所は、かつて先祖アブラハムがイサクを捧げた場所であり、そして後に、神殿が建つ場所である。

戦い方を身につけよ(ネヘミヤ4章)
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週報/メッセージ(説教)概要

 神の民イスラエルは、主への数々の無礼を改めず、預言者の警告を聞かず、好き放題し続けたため、バビロン捕囚の憂き目に遭い、敵が好き放題荒らし、土地も財産も奪われ、どん底の生活へと投げ込まれた。
それでも主は、悔い改めて主に立ち返る人々を回復させて下さる。回復のためには、ネヘミヤのように罪の惨状を悲しみ、「なまけぐせ」を取り除き、荒れた現状を立て直すために立ち上がって行動するべき事を、前回学んだ。その時、必ず敵の攻撃が来るが、今回はさらに、敵の攻撃をどう対処すべきかを学びたい。

再建しようと行動を起こす時、今まで搾取し踏みにじって来た者達はそれを良しとせず、攻撃して来る。
2章では、敵は神の民の再建のわざを、「王に反逆している」と、あたかも悪い事のように思わせて来たが、ネヘミヤは真理の御言葉を唇から発して「境界線」を引き、「真理という防護壁」を築いた故、人々は奮い立って再建を進め、仕事はどんどnはかどって行った(3章)。敵はそれを、なお歯ぎしりして、攻撃して来る。
『サンバラテはわれわれが城壁を築くのを聞いて怒り、大いに憤ってユダヤ人をあざけった。』(ネヘ4:1)
その「あざけり」の内容を分析すると、今の惨状や山積の問題へと目を向けさせ、絶望させ、無気力にさせる特徴がある事に気付く。実際、敵の脅しに同意して、再建が無駄であるかのように思わされてしまった人々もおり、脅しに「同意」してしまった人には、敵はさらに調子に乗って脅しにかかって来る。(11-12節)
そんな心萎えてしまった人々に対し、ネヘミヤは、具体的な行動で答える。彼は人々に武器を持たせ、城壁の建て上げが進んでいない所に立たせた(13節)。また言った。「あなたがたは彼らを恐れてはならない。大いなる恐るべき主を覚え、あなたがたの兄弟、息子、娘、妻および家のために戦いなさい。」(14節)
ネヘミヤは、もし敵が入り込んで来たら返り討ちにしよう、という意気込みを見せた。敵は、私達の意気込みを、最も恐れる。なぜなら私達が主にあって立つ時、敵である悪魔は「負け」以外に有り得ないからだ。
実際、敵はこれを聞いて自分達の企みは「神が」破った事を聞いて、すごすごとあきらめた。(15節)
『その日から後は、わたしのしもべの半数は工事に働き、半数はやり、盾、弓、よろいをもって武装した。そしてつかさたちは城壁を築いているユダの全家の後に立った。荷を負い運ぶ者はおのおの片手で工事をなし、片手に武器を執った。』(16-17節) 片手でしか仕事ができない、それでは全くはかどらないのでは、と思われるだろうか?いや、これが最もはかどる仕方だ。むしろ武器を持たず恐れながら仕事する方が、敵に付け入る隙を与えてしまう。御言葉の武器だけ持って仕事をしないのも、仕事道具だけ持って御言葉を持たないのも、どちらも再建は進まない。しっかり両方を握り締め、仕事に取り掛かるのが、最も効果的だ。
18節以降では、互いが共に助け合う体制を、さらに強化している事が記されている。もしどこかが攻撃されそうになっても、すぐ一斉に集まれるよう、ラッパを持たせた。結果、仕事は非常にスピーディーに終わる。

『こうして城壁は五十二日を経て、エルルの月の二十五日に完成した。』(6:15) わずか52日で、何十年も手付かずにいた瓦礫の城壁は立て直されたのだ!そんなものである。目の前の瓦礫の山に絶望し、あきらめ、何もしないままでは、92年も瓦礫のままだったが、「片手に御言葉・片手に仕事」、さらに兄弟姉妹が助け合う体制を整え、再建に取り掛かるなら、長年出来なかった事は、実にあっけなく完成したのだ。
『われわれの敵が皆これを聞いた時、われわれの周囲の異邦人はみな恐れ、大いに面目を失った。彼らはこの工事が、われわれの神の助けによって成就したことを悟ったからである。』(6:16)
私達が御言葉に固く立つ時、敵は恥を見る。「偽りの父」であるサタンは、さも自分達は強いかのように、何でも出来るかのように、あらぬ恐れ・あらぬ恐怖を吹き込み、「再建」という良きわざをやめさせようと脅しをかけて来るが、あの者共は、主にある聖徒達が団結し、御言葉に立つ事をこそ、恐れおののいている。
それで、礼拝や賛美、御言葉宣言、聖徒の交わりを、あの者達は最も嫌い、そこを集中して邪魔して来る。
私達は敵の企みを知り、敵の嫌がる礼拝や賛美や御言葉宣言、聖徒の交わりを積極的にして行くべきだ。
人生において、再建をしようとする時、敵からの心くじけさせる色々な言葉が、あるだろう。あるいは自ら弱気が沸き起こって、やる気を失うかもしれない。その時、そのような敵に対して御言葉の剣を、信仰の大盾を奮って、主の御名によって祈り戦いつつ、片方で仕事をして行くなら、再建は速やかに成されて行く。
いつまでも片手に剣、片手に仕事道具、という、労苦の日々が続くわけではない。御言葉と信仰で武装し、兄弟姉妹同士で共に助けあいつつ仕事をする事で速やかに再建されて行く皆さんでありますように!

未来の喜びを今へと引っ張って来る「希望」(詩篇126篇)
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126:1 主がシオンの繁栄を回復されたとき、われらは夢みる者のようであった。
126:2 その時われらの口は笑いで満たされ、われらの舌は喜びの声で満たされた。その時「主は彼らのために大いなる事をなされた」と/言った者が、もろもろの国民の中にあった。
126:3 主はわれらのために大いなる事をなされたので、われらは喜んだ。
126:4 主よ、どうか、われらの繁栄を、ネゲブの川のように回復してください。
126:5 涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。
126:6 種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。

1コリント15:58 だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。

ガラテヤ6:7 まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。
6:8 すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。
6:9 わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。
6:10 だから、機会のあるごとに、だれに対しても、とくに信仰の仲間に対して、善を行おうではないか。
 

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