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十字架の主を運んで行くろば(マタイ21:1-11)
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週報/メッセージ(説教)概要

 本日より始まる1週間は、主の十字架で苦まれた事を覚える「受難週(聖週間)」、本日はその起点の「しゅろの聖日(パームサンデー)」である。すなわちイエス様がろばに乗ってエルサレムに入り、人々は「ホーシアン・ナー(ああ救って下さい)」と叫びながらしゅろの葉を持って迎えた事を覚える日である。
 イエス様は、もうすぐご自身を十字架へと引き渡す都・エルサレムに入る重要な時、荷を運ぶ「ろば」を選ばれ、用いられた。しかもわざわざ二人の弟子を遣わして、これこれの所にろばが繋がれているから、引いてきなさい、もし何か言われたら「主がお入り用なのです」と答えなさい、そうしたら渡してくれるから、と。
主の働き人達も、このろばと同じ仕方で召し出される。私達は、主を知る前から、主からのご指名をいただいており、いざその時が来ると、主の使いが迎えに来て、世の主人へ繋がれている縄が解かれ、誰かが「どうしてほどくのか」と言うなら、「主がお入り用なのです」という言葉によって、放たれる事がゆるされる。
待っておられるイエス様の所へとエスコートされ、弟子が着るべき衣服をかぶせられ、そうしてイエス様を人々の前へと運んで行く働きに入る。主は、軍馬や戦争に用いる道具は絶やし、平和の支配を地の果てから果てまで行われる(ゼカリヤ9:10)。だからイエス様は闘う事を好む者は用いず、柔和な人を用いられる。
ろばに乗られるイエス様は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方。
万物は彼にあって造られ、天にあるもの地にあるもの、見えるもの見えないもの、王座も主権も支配も権威も全て彼によって造られた。万物は彼によって造られ、彼のために造られた(コロサイ1:15-18)。彼は万物より先に存在し、万物は彼にあって成り立っている。その偉大なお方が、柔和に、ろばに乗って私達の内に入って来られ、私達を用いられる。彼は途方も無い「へりくだり」を示された。それは途方も無い慰めである。

「群衆のうち多くの者は自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの者たちは木の枝を切ってきて道に敷いた。そして群衆は、前に行く者も、あとに従う者も、共に叫びつづけた、「ダビデの子に、ホサナ。主の御名によってきたる者に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ」。」(8節)  
ホザナとは「ああ救って下さい」という意味である。群衆はイエス様が通られる道に、自分の衣服や、しゅろの枝を敷いたが、イエス様に「ああ救って下さい」と口先で言う人の全員が救われるという訳ではない。
実際この時、イエス様に「ああ救って下さい」と言っていた人のほとんどが1週間後、イエス様を「十字架につけろ」と言う側へ回ってしまい、イエス様が復活された後も、戻って来なかった人が大勢いた。
本当にイエス様に救われたいと願うなら、「悔い改め」をしなくてはならない。衣服を道に敷くような外見的な事よりもまず、荒野で叫ぶ者の声に従い、悔い改める事こそ、『主の道を用意』する事だ(ルカ3:1-18)。
荒野で叫ぶ者の声、すなわちバプテスマのヨハネは言った。悔い改めにふさわしい実を結べ、主は石ころからでもアブラハムの子孫を起こす事が出来る、と。さらに言う。持っている人は、持っていない人に分け与え、特権や力づくによって不当に圧迫せず、正統な仕事を為し、与えられているもので満足しなさい、と。
だから、物や才能を持たない人に心を配らない事、特権や力づくによって、あるいは、横暴な言葉によって不当に人を苦しめ、悲しめ、搾取するような類のあらゆる事は、一切脱ぎ捨て、悔い改めるべきである。
多くの人は、お金や生活などの必要が満たされる事を「救い」と勘違いし、特権や力を駆使し、奪って手に入れようとするが、救いの根拠は、明確に、私達の神にあり、ほふられた小羊にある。(黙示録7:10)
エルサレムの人々が、しゅろの枝を手に持ってイエス様を迎えた場面は、黙示録7章を見れば、彼が天国に入城する時の事の予表である事が分かる。彼らはしゅろの枝を手に持ち、次のように賛美する。「救は、御座にいますわれらの神と、小羊からきたる」(黙示録7:10) 彼らが手にしているしゅろの木はギリシャ語で「フォイニクス(不死鳥の語源)」、イスラエルでは永遠の命の木として知られ、天国にも生えている木である。
これは、主は死ぬが、すぐにまた復活する事を象徴している。救いの根拠、それは、天地を創られ、ろばを召し、ろばに乗られ、人々から十字架につけられ、死なれた方、そしてよみがえられた方、ただこのお方だ。

ろばは、イエス様を運んで行く。彼を十字架につける人々の元へ。人は皆、イエス様を十字架につけた。
そしてイエス様は、全人類の身代わりとなられた。このイエス様を信じて、救われる人もいれば、自分が王でありたいために、イエス様を十字架につけて葬り去りたい人もいる。いずれにせよ、私達・主の働き人は、ただ召し出されるままに召され、行かされる所へと行き、十字架の主を人々の元に運んで行けば良いのだ。

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
主の御用のために解き放たれるろばの子(ルカ19:29-35)
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主を軽んじ、多くの災いを招いてしまったアハズ王(2列王記16:1-9)
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前回の所では、北イスラエル王国は戦国時代のように短期間の間に何度も政権が変わる様を見た。今回は再び、南ユダ王国の話である。

16:1 レマリヤの子ペカの第十七年にユダの王ヨタムの子アハズが王となった。
16:2 アハズは王となった時二十歳で、エルサレムで十六年の間、世を治めたが、その神、主の目にかなう事を先祖ダビデのようには行わなかった。
16:3 彼はイスラエルの王たちの道に歩み、また主がイスラエルの人々の前から追い払われた異邦人の憎むべきおこないにしたがって、自分の子を火に焼いてささげ物とした。
16:4 かつ彼は高き所、また丘の上、すべての青木の下で犠牲をささげ、香をたいた。

アハズはなんと、自分の子を火で焼いて偶像の神に捧げるまでの事をした。
自分の願い事が叶うためになら、子さえもいけにえにしてしまうような者は、主から恵みをいただく事はできない。

16:5 そのころ、スリヤの王レヂンおよびレマリヤの子であるイスラエルの王ペカがエルサレムに攻め上って、アハズを囲んだが、勝つことができなかった。
アハズはこの時、助けられはしたが、はなはだしい大損害を被った。

2歴代誌28:5 それゆえ、その神、主は彼をスリヤの王の手に渡されたので、スリヤびとは彼を撃ち破り、その民を多く捕虜として、ダマスコに引いて行った。彼はまたイスラエルの王の手にも渡されたので、イスラエルの王も彼を撃ち破って大いに殺した。
28:6 すなわちレマリヤの子ペカはユダで一日のうちに十二万人を殺した。皆勇士であった。これは彼らがその先祖の神、主を捨てたためである。
28:7 その時、エフライムの勇士ジクリという者が王の子マアセヤ、宮内大臣アズリカムおよび王に次ぐ人エルカナを殺した。
28:8 イスラエルの人々はついにその兄弟のうちから婦人ならびに男子、女子など二十万人を捕虜にし、また多くのぶんどり物をとり、そのぶんどり物をサマリヤに持って行った。

なんと、たった一日で戦士が十二万人も殺され、王の子や側近の者達が殺された。
そればかりでなく、婦人や男女二十万人もの人々が、捕虜にされ、連れて行かれ、また財産も多くぶんどり物として持って行かれてしまった。
その理由は明らかで「これは彼らがその先祖の神、主を捨てたためである。」(28:6)

ここまでされておきながらもエルサレムが守られたのは、ただ、主の憐れみである。
この時、アハズ王に預言者イザヤが遣わされ、主の言葉が伝えられた。
イザヤ7:3 その時、主はイザヤに言われた、「今、あなたとあなたの子シャル・ヤシュブと共に出て行って、布さらしの野へ行く大路に沿う上の池の水道の端でアハズに会い、
7:4 彼に言いなさい、『気をつけて、静かにし、恐れてはならない。レヂンとスリヤおよびレマリヤの子が激しく怒っても、これら二つの燃え残りのくすぶっている切り株のゆえに心を弱くしてはならない。

イザヤを通した主からの指示は「気をつけて、静かにし、恐れてはならない」だった。
主から「落ち着いて静かにしていなさい」と言われたからには、するべき事は、ただ、静かにする事だ。
そしてさらに、イザヤは王国が守られる事を預言する。

7:5 スリヤはエフライムおよびレマリヤの子と共にあなたにむかって悪い事を企てて言う、
7:6 「われわれはユダに攻め上って、これを脅かし、われわれのためにこれを破り取り、タビエルの子をそこの王にしよう」と。
7:7 主なる神はこう言われる、この事は決して行われない、また起ることはない。
7:8 スリヤのかしらはダマスコ、ダマスコのかしらはレヂンである。(六十五年のうちにエフライムは敗れて、国をなさないようになる。)
7:9 エフライムのかしらはサマリヤ、サマリヤのかしらはレマリヤの子である。もしあなたがたが信じないならば、立つことはできない』」。
実際にその通りの事が起きる。北イスラエル王国は、65年後もすると、完全に国としての成り立ちを失ってしまっている。

7:10 主は再びアハズに告げて言われた、
7:11 「あなたの神、主に一つのしるしを求めよ、陰府のように深い所に、あるいは天のように高い所に求めよ」。
主はなんと憐れみ深いお方だろう。
あんなにも主に忌み嫌われる事を行ったにもかかわらず、主はアハズに、あなたは確かに助かる、証拠として何でもしるしを求めなさい、とまで言って下さった。

7:12 しかしアハズは言った、「わたしはそれを求めて、主を試みることをいたしません」。
彼が今までしてきた事を見るなら、「主を試みることをいたしません」などと言える立場ではない。
彼は今まで主に依り頼んで来なかったというのに、主の側が、そこまで降りて来てくださり、譲歩して下さったのだから、主に何でも求めて、主が為してくださる素晴らしい御業を体験するべきなのに、なおも「主に求めません」と言うとは、なんと失礼な事だろう。

7:13 そこでイザヤは言った、「ダビデの家よ、聞け。あなたがたは人を煩わすことを小さい事とし、またわが神をも煩わそうとするのか。
7:14 それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。
驚く事に、ここに処女がみごもる預言、インマヌエル預言、すなわちイエス様が生まれる預言がなされる。
これは、最も不信仰な王が、主に期待しない事の告白をした時に為された。
主は、頑として主に求めない人間の側に、降りて来て下さり、なおも救おうとされたのだ。

これらの預言が為されたにもかかわらず、アハズは、落ち着いて静かにしている事ができなかった。
彼は主に信頼せずに、身勝手な行動に出てしまう。

2列王記16:7 そこでアハズは使者をアッスリヤの王テグラテピレセルにつかわして言わせた、「わたしはあなたのしもべ、あなたの子です。スリヤの王とイスラエルの王がわたしを攻め囲んでいます。どうぞ上ってきて、彼らの手からわたしを救い出してください」。
16:8 そしてアハズは主の宮と王の家の倉にある金と銀をとり、これを贈り物としてアッスリヤの王におくったので、
16:9 アッスリヤの王は彼の願いを聞きいれた。すなわちアッスリヤの王はダマスコに攻め上って、これを取り、その民をキルに捕え移し、またレヂンを殺した。

彼は「わたしはあなたのしもべ、あなたの子です」と告白し、アッシリヤに依り頼んでしまった。
外交儀礼上、口先で言ったのか本気でそう思って言ったのかは分からないが、発した言葉は、力を持つものである。
この事によって、南ユダ王国も、アッシリヤにつけこまれる足がかりをつくってしまった。

主を信頼する所に力がある。しかし、自分勝手な者は、いたずらに力を浪費し、労に労を重ねた挙句、干からびてしまうものだ。

北イスラエル王国の荒んだ末期症状(2列王記15:8-38)
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南ユダ王国ではウジヤ王が51年という長い統治をしている間、北イスラエル王国は、何度も王権と王朝が変わる。

15:8 ユダの王アザリヤの第三十八年にヤラベアムの子ゼカリヤがサマリヤでイスラエルの王となり、六か月世を治めた。
15:9 彼はその先祖たちがおこなったように主の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤラベアムの罪を離れなかった。
15:10 ヤベシの子シャルムが徒党を結んで彼に敵し、イブレアムで彼を撃ち殺し、彼に代って王となった。
15:11 ゼカリヤのその他の事績は、イスラエルの王の歴代志の書にしるされている。
15:12 主はかつてエヒウに、「あなたの子孫は四代までイスラエルの位に座するであろう」と告げられたが、はたしてそのとおりになった。

ゼカリヤもまた、主の御前に悪を行う王であった。そしてその統治は、わずか6ヶ月で終わってしまった。
こうして、野蛮な、荒々しいやり方で王となったエフーから始まったエフー王朝は、4代で終わりをつげた。それもまた、主の預言どおりであった。(10:30)
結局、エフー王朝の王達は全部、主の目に悪を行ってきたのだ。

15:13 ヤベシの子シャルムはユダの王ウジヤの第三十九年に王となり、サマリヤで一か月世を治めた。
15:14 時にガデの子メナヘムがテルザからサマリヤに上ってきて、ヤベシの子シャルムをサマリヤで撃ち殺し、彼に代って王となった。
15:15 シャルムのその他の事績と、彼が徒党を結んだ事は、イスラエルの王の歴代志の書にしるされている。
15:16 その時メナヘムはテルザから進んでいって、タップアと、そのうちにいるすべての者、およびその領域を撃った。すなわち彼らが彼のために開かなかったので、これを撃って、そのうちの妊娠の女をことごとく引き裂いた。
15:17 ユダの王アザリヤの第三十九年に、ガデの子メナヘムはイスラエルの王となり、サマリヤで十年の間、世を治めた。

エフーの玄孫ゼカリヤに謀反を起こして王にのし上がったシャルムの治世は、わずか1ヶ月であった。
彼に対して謀反を起こしたガデの子メナヘムが彼を殺して王となったが、彼は、城門を開かなかった町には、その町の妊婦の腹を切り裂くという残忍な見せしめをした。
自分に逆らう者はこのような残忍な仕打ちが待っているぞと脅す王権は、一時は栄えるかのように見えても、長続きはしない事は、歴史が召命している。

15:18 彼は主の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤラベアムの罪を一生の間、離れなかった。
15:19 時にアッスリヤの王プルが国に攻めてきたので、メナヘムは銀一千タラントをプルに与えた。これは彼がプルの助けを得て、国を自分の手のうちに強くするためであった。
15:20 すなわちメナヘムはその銀をイスラエルのすべての富める者に課し、その人々におのおの銀五十シケルを出させてアッスリヤの王に与えた。こうしてアッスリヤの王は国にとどまらないで帰っていった。
15:21 メナヘムのその他の事績と彼がしたすべての事は、イスラエルの王の歴代志の書にしるされているではないか。

メナヘムは、親アッシリア政策を行った。
「アッシリヤの文書から,プルはティグラテ・ピレセル3世であることが知られている.彼はその記録で,メニヒム(メナヘム)のサマリヤを自分の属国であると主張している.この同盟は,結局はイスラエルがアッシリヤに併合されるという悲惨な結果を招くことになった.」(新聖書辞典より)

15:22 メナヘムは先祖たちと共に眠り、その子ペカヒヤが代って王となった。
15:23 メナヘムの子ペカヒヤはユダの王アザリヤの第五十年に、サマリヤでイスラエルの王となり、二年の間、世を治めた。
15:24 彼は主の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯せたネバテの子ヤラベアムの罪を離れなかった。

メナヘム王朝は、北イスラエル王国で子に王権を渡せた、最後の王朝であった。
これらの時代、主の目に悪を行う事を続け、特に預言者ホセアを通して厳しい叱責を受けている。

15:25 時に彼の副官であったレマリヤのペカが、ギレアデびと五十人と共に徒党を結んで彼に敵し、サマリヤの、王の宮殿の天守で彼を撃ち殺した。すなわちペカは彼を殺し、彼に代って王となった。
15:26 ペカヒヤのその他の事績と彼がしたすべての事は、イスラエルの王の歴代志の書にしるされている。
15:27 レマリヤの子ペカはユダの王アザリヤの第五十二年に、サマリヤでイスラエルの王となり、二十年の間、世を治めた。
15:28 彼は主の目の前に悪をおこない、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤラベアムの罪を離れなかった。

ペカフヤもまた、部下のペカによる反乱によって殺害されてしまい、王権はペカへと移った。
南ユダ王国ではウジヤ王の時代に4回王権が変わった事になる。
メナヘム王朝は、親アッシリア政策であったが、ペカは、アラム(シリヤ)のレツィンと反アッシリヤ同盟を結成した。
こうして強国アッシリヤに攻め寄せられてしまう口実を作ってしまったことになる。

15:29 イスラエルの王ペカの世に、アッスリヤの王テグラテピレセルが来て、イヨン、アベル・ベテマアカ、ヤノア、ケデシ、ハゾル、ギレアデ、ガリラヤ、ナフタリの全地を取り、人々をアッスリヤへ捕え移した。
15:30 時にエラの子ホセアは徒党を結んで、レマリヤの子ペカに敵し、彼を撃ち殺し、彼に代って王となった。これはウジヤの子ヨタムの第二十年であった。
15:31 ペカのその他の事績と彼がしたすべての事は、イスラエルの王の歴代志の書にしるされている。

ペカもまた謀反により殺害され、彼に代わってホセアが王となった。
このホセアが、北イスラエル王国最後の王となり、北イスラエルはアッシリヤによって散り散りにされてしまう事となる。
ガリラヤは異邦人のガリラヤとされ、ゼブルンとナフタリは、はずかしめを受けた。

北イスラエル王国はなんとすさんだ時代を送って来ただろうか。
それはひとえに、主に聞き従わず頑なに自分の好む道を歩み、主からの言葉と預言者を退け続けて来たからだ。

イザヤ8:19 人々があなたがたにむかって「さえずるように、ささやくように語る巫子および魔術者に求めよ」という時、民は自分たちの神に求むべきではないか。生ける者のために死んだ者に求めるであろうか。
8:20 ただ教とあかしとに求めよ。まことに彼らはこの言葉によって語るが、そこには夜明けがない。
8:21 彼らはしえたげられ、飢えて国の中を経あるく。その飢えるとき怒りを放ち、自分たちの王、自分たちの神をのろい、かつその顔を天に向ける。
8:22 また地を見ると、見よ、悩みと暗きと、苦しみのやみとがあり、彼らは暗黒に追いやられる。

まさにイザヤが言っている通りである。おしえとあかし、すなわち、御言葉と主を告白する事をしない者には、夜明けは来ない。
北イスラエルには夜明けは来なかった。おしえとあかしに戻らなかったからだ。
しかしイザヤは、続けて預言している。

イザヤ9:1 しかし、苦しみにあった地にも、やみがなくなる。さきにはゼブルンの地、ナフタリの地にはずかしめを与えられたが、後には海に至る道、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤに光栄を与えられる。
9:2 暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。

ずっと後の時代、イエス様がこのガリラヤ地方で福音をのべ伝え始める。
その間、非常に長い時代、主から離れ、呪われ、蹂躙される時代を送ってきた。
アッシリヤ、バビロン、メディア、ペルシャ、ギリシャの5帝国を経て、6帝国目のローマ時代に、ようやくイエス様が来られた。
ヨハネ4章にサマリヤの女の話が出てくるが、彼女には5人の夫があったが今一緒にいるのは夫ではない、とイエス様から私的された。
イエス様こそ、まことの夫となれるお方である。
このお方こそまことの光、異邦人を照らす希望の光である。

私達は、北イスラエル王国が歩んだような、反逆と殺戮、闇の歴史を歩む必要は無い。
ただイエス様とともに歩むなら、そのような歩みとは無縁の、光と祝福の中で生きる事ができるのだ。

ルカによる福音書 講解説教メッセージ
神と聖霊とヨハネから証言された神の御子キリスト(ルカ3:15-22)
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イザヤ書 講解説教メッセージ
苦難の主を正確に見せられ驚異したイザヤ(イザヤ53:4-12)
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ウジヤ王 - 人生前半は主の道に歩み祝福され、後半は高ぶってしまった王(2列王記15:1-7)
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話は再び、南ユダ王国に移る。
15:1 イスラエルの王ヤラベアムの第二十七年に、ユダの王アマジヤの子アザリヤが王となった。
アザリヤ(新改訳:アザルヤ)は、2歴代誌やマタイ1章の系図では「ウジヤ」となっている。
アザルヤの名前の意味は「主に助けられる」、ウジヤの意味は「主の力」である。

15:2 彼が王となった時は十六歳で、五十二年の間エルサレムで世を治めた。その母はエルサレムの出身で、名をエコリアといった。
15:3 彼は主の目にかなう事を行い、すべての事を父アマジヤが行ったようにおこなった。

列王記における彼と彼の父の評価は「主の目にかなう」であったが、歴代誌を見ると、彼らの人生の後半は主に嫌われる事を行った事が分かる。
また、マタイ1章の系図では、ウジヤはかろうじて名前が載っているものの、彼の父アマツヤは除外されてしまっている。
人の評価と神の評価は違うのだ。列王記はバビロン捕囚直前に、歴代誌は捕囚後に記されたと言われているが、人の目には「この人は神に喜ばれている」と見られていても、後になって初めてそうでなかったと分かる事もあるのだ。

15:5 主が王を撃たれたので、その死ぬ日まで、らい病人となって、離れ家に住んだ。王の子ヨタムが家の事を管理し、国の民をさばいた。
15:6 アザリヤのその他の事績と、彼がしたすべての事は、ユダの王の歴代志の書にしるされているではないか。
15:7 アザリヤはその先祖たちと共に眠ったので、彼をダビデの町にその先祖たちと共に葬った。その子ヨタムが代って王となった。

彼はなぜ主に打たれてしまったのか。歴代誌に詳細に記されている。

2歴代誌26:4 ウジヤは父アマジヤがしたように、すべて主の良しと見られることを行った。
26:5 彼は神を恐れることを自分に教えたゼカリヤの世にある日の間、神を求めることに努めた。彼が主を求めた間、神は彼を栄えさせられた。

ウジヤには、ゼカリヤという霊的に指導し訓戒してくれる霊の父がいたようである。
彼が生きていて、目の前で指導してくれている間は、正しい道に歩み、それによって主は彼を大いに祝福して下さった。
彼は軍事、経済、事業で大いなるものとなったのだが、人は、成功した時こそ、真に気をつけるべきである。

2歴代誌26:16 ところが彼は強くなるに及んで、その心に高ぶり、ついに自分を滅ぼすに至った。すなわち彼はその神、主にむかって罪を犯し、主の宮にはいって香の祭壇の上に香をたこうとした。

主の宮で聖なる香を捧げる事ができるのは、主から選ばれたアロンの子孫、聖別された祭司のみである。
いかに王といえど、主の前には聖別されていない人、選ばれていない人なのだ。

26:17 その時、祭司アザリヤは主の祭司である勇士八十人を率いて、彼のあとに従ってはいり、
26:18 ウジヤ王を引き止めて言った、「ウジヤよ、主に香をたくことはあなたのなすべきことではなく、ただアロンの子孫で、香をたくために清められた祭司たちのすることです。すぐ聖所から出なさい。あなたは罪を犯しました。あなたは主なる神から栄えを得ることはできません」。

彼は祭司から戒められた。確かに御言葉に沿った戒めである。
この時点で彼は主に打たれてはいない。この時に自分のしたいと思っていた事を止め、出ていれば良かったのであるが、彼はその戒めを怒りとともに退けた。

26:19 するとウジヤは怒りを発し、香炉を手にとって香をたこうとしたが、彼が祭司に向かって怒りを発している間に、らい病がその額に起った。時に彼は主の宮で祭司たちの前、香の祭壇のかたわらにいた。
26:20 祭司の長アザリヤおよびすべての祭司たちが彼を見ると、彼の額にらい病が生じていたので、急いで彼をそこから追い出した。彼自身もまた主に撃たれたことを知って、急いで出て行った。

ウジヤは、聖別されていない身で、怒りの心をもって、主に香を焚こうとした。
大祭司アロンの子、ナダブとアビフさえ、御前で異なった香を焚こうとしたなら御前から火が出て打たれたのだ。それはどれ程大きな罪であっただろうか。
主の御前で、ふさわしくない者、ふさわしくない心で、祈りの香、賛美の香、奉仕という香を上らせるのは、忌み嫌われる事である。
私達は、ウジヤのように、怒り狂ったような、ふさわしくない心で主に捧げていないだろうか。

26:21 ウジヤ王は、死ぬ日までらい病人であった。彼はらい病人であったので、離れ殿に住んだ。主の宮から断たれたからである。その子ヨタムが王の家をつかさどり、国の民を治めた。
26:22 ウジヤのその他の始終の行為は、アモツの子預言者イザヤがこれを書きしるした。
26:23 ウジヤは先祖たちと共に眠ったので、人々は「彼はらい病人である」と言って、王たちの墓に連なる墓地に、その先祖たちと共に葬った。その子ヨタムが彼に代って王となった。

ウジヤは王権からも主の宮からも追い出されてしまい、王が葬られるべき所に葬ってもらえなかった。
私達も、高ぶること、怒る事、分を超えてしまうような事によって、彼のようになってはならない。
このウジヤ王が死んだ年、預言者イザヤの本格的な召命があった。

イザヤ6:1 ウジヤ王の死んだ年、わたしは主が高くあげられたみくらに座し、その衣のすそが神殿に満ちているのを見た。
6:2 その上にセラピムが立ち、おのおの六つの翼をもっていた。その二つをもって顔をおおい、二つをもって足をおおい、二つをもって飛びかけり、
6:3 互に呼びかわして言った。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ」。
6:4 その呼ばわっている者の声によって敷居の基が震い動き、神殿の中に煙が満ちた。

主は、人の何かによって汚れを受けるお方ではなく、いと高き、聖なるお方である。
この主を前に、人はいかなる心をもって進み出るべきか。

6:5 その時わたしは言った、「わざわいなるかな、わたしは滅びるばかりだ。わたしは汚れたくちびるの者で、汚れたくちびるの民の中に住む者であるのに、わたしの目が万軍の主なる王を見たのだから」。

イザヤは預言者であったが、絶望した。主の圧倒的な聖にひきかえ、自分はいかに汚れたものか、とくに、くちびるがいかに汚れた者であるのかを。
主は、心砕かれたたましい、砕かれた悔いた心の者に、近づいてくださる。

6:6 この時セラピムのひとりが火ばしをもって、祭壇の上から取った燃えている炭を手に携え、わたしのところに飛んできて、
6:7 わたしの口に触れて言った、「見よ、これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの悪は除かれ、あなたの罪はゆるされた」。
6:8 わたしはまた主の言われる声を聞いた、「わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのために行くだろうか」。その時わたしは言った、「ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください」。

こうしてイザヤはさらに優れた預言者として働きに入る。
私達はいかなる心をもって、主の御前に祈りの香を、賛美の香を、奉仕の香をささげるべきであろうか。
ウジヤ(主の力)とイザヤ(主は救い)。この二人から私達は学ぶ事が出来る。
私達は主の力よりも、主の救いを求めるべきなのだ。

主の憐れみのリミット(2列王記14:23-29)
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話は再び北イスラエル王国に戻る。
14:23 ユダの王ヨアシの子アマジヤの第十五年に、イスラエルの王ヨアシの子ヤラべアムがサマリヤで王となって四十一年の間、世を治めた。
ヤロブアム、ソロモンの後の時代、ダビデ王家のレハブアムにそむいた、あのヤロブアムと同じ名前であるので、彼はよくヤロブアム2世と呼ばれている。
彼の治世は41年、北イスラエル王国で最も長い統治の期間が与えられた。
それでは彼は良い王であったのかというと、そうではなかった。

14:24 彼は主の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤラベアムの罪を離れなかった。
14:25 彼はハマテの入口からアラバの海まで、イスラエルの領域を回復した。イスラエルの神、主がガテヘペルのアミッタイの子である、そのしもべ預言者ヨナによって言われた言葉のとおりである。
彼は主の目に悪い王であったというのに、長い統治が与えられ、またシリヤに取られてしまっていた領域を奪回した。
それも、預言者ヨナに預言されていたとおりに。
なぜ、悔い改めていない、悪い王であるのに、神はこのような恵みを施して下さったのか。
その理由は、ただ、一方的な恵み・憐れみである。

14:26 主はイスラエルの悩みの非常に激しいのを見られた。そこにはつながれた者も、自由な者もいなくなり、またイスラエルを助ける者もいなかった。
14:27 しかし主はイスラエルの名を天が下から消し去ろうとは言われなかった。そして彼らをヨアシの子ヤラベアムの手によって救われた。
主は、イスラエルを誰も助ける者がいないのをご覧になられ、ただ一方的な憐れみを施されたのだ。
そして、どうにもならない状態から脱出し、悔い改めて祝福される道を歩むことを願っておられた。主は、彼らの名が天から消し去られる事を望んでおられなかったからである。
しかし、彼らは主から与えられた恵みの時を浪費し、悔い改めるべき時を、逆につけあがって軽んじた。
悪い行いをしているのに、自分達はいつまでも罰されない、いつまでもそうだろう、と思い込んで、主の戒めを軽んじている者は、やがて、主の恵みの時を使い果たしてしまう。
主の恵みの囲いを浪費させてしまったその時、あたかもライオンが檻が取り除けられた途端に人に飛びかかるように、サタンがその人に飛びかかってたちまちに滅ぼされてしまうのだ。

14:28 ヤラベアムのその他の事績と、彼がしたすべての事およびその武勇、すなわち彼が戦争をした事および、かつてユダに属していたダマスコとハマテを、イスラエルに復帰させた事は、イスラエルの王の歴代志の書にしるされているではないか。
14:29 ヤラベアムはその先祖であるイスラエルの王たちと共に眠って、その子ゼカリヤが代って王となった。

ヤロブアムの子ゼカリヤが王になったのは、BC753年である。それからおよそ30年後、BC721年、北イスラエル王国はアッシリヤによって滅ぼされてしまう。
後の時代から見ている私達は、悔い改めない北イスラエル王国は、いよいよ滅びへのカウントダウンへ入っていくのが分かる。

さて、25節にアミタイの子、預言者ヨナが登場するが、彼は北イスラエル王国にだけでなく、アッシリヤの首都ニネベに対しても預言した事が、ヨナ書に記されている。
ヨナ1:2 「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって呼ばわれ。彼らの悪がわたしの前に上ってきたからである」。
しかし彼は、ニネベに行かず、タルシュシュ行きの船に乗った。
イラクにミニストリーに行きなさい、と言われたのに、スペイン行きの船に乗って人々に紛れ船底に隠れたのだ。
しかし主は、あくまでヨナをアッシリヤの町に行かせ、預言の言葉を伝えさせる。

ヨナ3:4 ヨナはその町にはいり、初め一日路を行きめぐって呼ばわり、「四十日を経たらニネベは滅びる」と言った。
3:5 そこでニネベの人々は神を信じ、断食をふれ、大きい者から小さい者まで荒布を着た。
3:6 このうわさがニネベの王に達すると、彼はその王座から立ち上がり、朝服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中に座した。
3:7 また王とその大臣の布告をもって、ニネベ中にふれさせて言った、「人も獣も牛も羊もみな、何をも味わってはならない。物を食い、水を飲んではならない。
3:8 人も獣も荒布をまとい、ひたすら神に呼ばわり、おのおのその悪い道およびその手にある強暴を離れよ。
3:9 あるいは神はみ心をかえ、その激しい怒りをやめて、われわれを滅ぼされないかもしれない。だれがそれを知るだろう」。
3:10 神は彼らのなすところ、その悪い道を離れたのを見られ、彼らの上に下そうと言われた災を思いかえして、これをおやめになった。

このように、災いの預言が為された時、その人がその預言によって悔い改めるなら、その災いを主は思い直される。
ヨナは、アッシリヤの首都ニネベが悔い改めて滅びを免れる事を、心底面白くなく思った。
なぜヨナが、これほどまでニネベが悔い改めて救われるのを嫌がったのか。それには理由がある。
ニネベはイスラエルの敵、不道徳かつ強力なアッシリヤ帝国の首都であり、もしニネベのために助けるなら、母国イスラエルに滅びを招く手伝いをする事である。

もしこの時、ヨナがニネベで説教していなければ、アッシリヤは悔い改めないまま、神の怒りによって滅んでいたのだろうか?
ひいてはイスラエルが滅びずに済んだのだろうか?
そんな事は無い。

神は「恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いを下そうとしても思い直される方」だ。(ヨナ4:2)
主は、悔い改めない選びの民ではなく、悔い改める異邦の民のほうを助ける。
そして、選びの民がどうしても悔い改めないなら、悔い改めた異邦の民を用いてでも、裁きを遂行される義なるお方だ。
ヨナはうめいたが、愛と憐れみに満ちた神は、もっと葛藤し、さらにうめいておられたのではなかろうか。

ヨナという名は、鳩の意味であり、鳩は聖霊を意味する。
聖霊は、人が滅びに至らないように、深いうめきによって執り成しをされる。
イエス様はたとえを話された。
ルカ13:6 「ある人が自分のぶどう園にいちじくの木を植えて置いたので、実を捜しにきたが見つからなかった。
13:7 そこで園丁に言った、『わたしは三年間も実を求めて、このいちじくの木のところにきたのだが、いまだに見あたらない。その木を切り倒してしまえ。なんのために、土地をむだにふさがせて置くのか』。
13:8 すると園丁は答えて言った、『ご主人様、ことしも、そのままにして置いてください。そのまわりを掘って肥料をやって見ますから。
13:9 それで来年実がなりましたら結構です。もしそれでもだめでしたら、切り倒してください』」。

聖霊は実を結ばない木であっても、なおかばい、執り成し、肥料をやって実がなるようにと、助けてくださる。
しかし、そのような憐れみの時に、リミットがある事は確かである。
そのリミットを無駄遣いし、主の赦しと憐れみに図に乗って主を軽んじ続けるなら、確かに滅びが追いついてしまうのである。

主はうめいておられる。
ルカ13:34 ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人々を石で打ち殺す者よ。ちょうどめんどりが翼の下にひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。
13:35 見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。わたしは言って置く、『主の名によってきたるものに、祝福あれ』とおまえたちが言う時の来るまでは、再びわたしに会うことはないであろう」。

きよい器をこそ用いて下さる主(ダニエル6章)
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6:3 ダニエルは彼のうちにあるすぐれた霊のゆえに、他のすべての総監および総督たちにまさっていたので、王は彼を立てて全国を治めさせようとした。
6:4 そこで総監および総督らは、国事についてダニエルを訴えるべき口実を得ようとしたが、訴えるべきなんの口実も、なんのとがをも見いだすことができなかった。それは彼が忠信な人であって、その身になんのあやまちも、とがも見いだされなかったからである。

ダニエルは3つの帝国で総理大臣を務め上げた。それはただ単に運が良かったという事ではなく、彼自身が自らを清く保ったからである。
どれ程清く保ったか。それは、彼を訴えようとする者たちが、彼についてあら捜ししても、訴えるべき口実も怠慢の一切、見出だせなかった程である。
神は、きよい器をこそ用いられる。人でさえ、汚物がついた皿やコップは用いない。
たとえ、黄金で造られていようとも、それに汚物がついているなら、たとえ土の器であっても清い器をこそ用いる。
同様に神も、私達という器を清く保ち続ける者をこそ用いられる。

清くするとは、以下の事である。
レビ記19:2 「イスラエルの人々の全会衆に言いなさい、『あなたがたの神、主なるわたしは、聖であるから、あなたがたも聖でなければならない。
これはイエス様も言われた事である。
もちろん私達が自分の力で自らを聖にする事は出来ないが、自らを清くする努力をし、ダニエルのように聖霊を送って下さり、聖別して下さる。
具体的な行動としては、以下である。
レビ記19:3 あなたがたは、おのおのその母とその父とをおそれなければならない。またわたしの安息日を守らなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。
 19:4 むなしい神々に心を寄せてはならない。また自分のために神々を鋳て造ってはならない。わたしはあなたがたの神、主である。
ダニエルは汚れた食物を取らず、しかし従うべき権威に従い、そして主を礼拝する事を固く守っていた。
だから、「ダニエルは彼のうちにあるすぐれた霊のゆえに、他のすべての総監および総督たちにまさっていた」(6:3)のだ。

6:5 そこでその人々は言った、「われわれはダニエルの神の律法に関して、彼を訴える口実を得るのでなければ、ついに彼を訴えることはできまい」と。
6:6 こうして総監と総督らは、王のもとに集まってきて、王に言った、「ダリヨス王よ、どうかとこしえに生きながらえられますように。
6:7 国の総監、長官および総督、参議および知事らは、相はかって、王が一つのおきてを立て、一つの禁令を定められるよう求めることになりました。王よ、それはこうです。すなわち今から三十日の間は、ただあなたにのみ願い事をさせ、もしあなたをおいて、神または人にこれをなす者があれば、すべてその者を、ししの穴に投げ入れるというのです。
6:8 それで王よ、その禁令を定め、その文書に署名して、メデアとペルシャの変ることのない法律のごとく、これを変えることのできないようにしてください」。
6:9 そこでダリヨス王は、その禁令の文書に署名した。

ダニエル一人を陥れるために、「国の総監、長官および総督、参議および知事らは、相はかって、王が一つのおきてを立て、一つの禁令を定められるよう求め」たのだ。
その総勢は、125名と言われている。
そしてダリヨス王は、それに署名してしまった。メディア・ペルシャの法は、ひと度定められたら取り消す事は出来ない。

6:10 ダニエルは、その文書の署名されたことを知って家に帰り、二階のへやの、エルサレムに向かって窓の開かれた所で、以前からおこなっていたように、一日に三度ずつ、ひざをかがめて神の前に祈り、かつ感謝した。

ダニエルはそれが定められた事を「知った(ヤダー)」。
すなわち、その内容がいかなるものか、破ったらどうなるか、メディアペルシャの法がいかなる者か、全て「知った」上で、それでも主に礼拝を捧げたのだ。
彼は総理大臣という公務についていたが、実は、そのさらに上の公務、すなわち、イスラエルのために祈るという天の公務を忠実に優先したのだ。
課長と社長が互いに相反する事を命じてくるなら、当然、社長の命令を優先すべきであるように、私達も、世の法と天の法が互いに相反するなら、天の法のほうを優先させるべきなのだ。
私達も、この国のため、時代のために祈るという「天の公務」を忠実に果たすべきである。

6:11 そこでその人々は集まってきて、ダニエルがその神の前に祈り、かつ求めていることを見たので、
6:12 彼らは王の前にきて、王の禁令について奏上して言った

ダニエルはこそこそと祈る事はせず、堂々と、窓を明けて、声に出して祈ったのだ。
訴える者達は、これ幸いとばかりに王様に訴え、そしてダニエルをライオンの穴に投げ込む事に成功した。

6:18 こうして王はその宮殿に帰ったが、その夜は食をとらず、また、そばめたちを召し寄せず、全く眠ることもしなかった。
6:19 こうして王は朝まだき起きて、ししの穴へ急いで行ったが、
6:20 ダニエルのいる穴に近づいたとき、悲しげな声をあげて呼ばわり、ダニエルに言った、「生ける神のしもべダニエルよ、あなたが常に仕えている神はあなたを救って、ししの害を免れさせることができたか」。
6:21 ダニエルは王に言った、「王よ、どうか、とこしえに生きながらえられますように。
6:22 わたしの神はその使をおくって、ししの口を閉ざされたので、ししはわたしを害しませんでした。これはわたしに罪のないことが、神の前に認められたからです。王よ、わたしはあなたの前にも、何も悪い事をしなかったのです」。
6:23 そこで王は大いに喜び、ダニエルを穴の中から出せと命じたので、ダニエルは穴の中から出されたが、その身になんの害をも受けていなかった。これは彼が自分の神を頼みとしていたからである。

ダニエルは、守られた。多くのライオン達がダニエルを食い尽くそうとしても、御使いがライオンの口をふさいでいたからだ。
きよい器であるなら、神が守りをも保証して下さるのだ。
王は、ダニエルが神に信頼し歩んでいる様を見て、非常に喜んだ。そして、主を恐れた。
私達も、きよい、尊い器として用いられていくなら、あらゆる良い事に用いられ、間に合う者とされるのだ。

6:24 王はまた命令を下して、ダニエルをあしざまに訴えた人々を引いてこさせ、彼らをその妻子と共に、ししの穴に投げ入れさせた。彼らが穴の底に達しないうちに、ししは彼らにとびかかって、その骨までもかみ砕いた。
6:25 そこでダリヨス王は全世界に住む諸民、諸族、諸国語の者に詔を書きおくって言った、「どうか、あなたがたに平安が増すように。
6:26 わたしは命令を出す。わが国のすべての州の人は、皆ダニエルの神を、おののき恐れなければならない。彼は生ける神であって、とこしえに変ることなく、その国は滅びず、その主権は終りまで続く。
6:27 彼は救を施し、助けをなし、天においても、地においても、しるしと奇跡とをおこない、ダニエルを救って、ししの力をのがれさせたかたである」。

ダニエルは、たった一人で、国の法令を変えてしまった。
ダニエルが社会や法令を変える努力をしたのではない。彼はただ、聖である事、きよい事を保っただけである。
礼拝を第一とし、権威に忠実であり、自らを汚れへと持って行かなかっただけで、神は御心を成し遂げられるのだ。

6:28 こうして、このダニエルはダリヨスの世と、ペルシャ人クロスの世において栄えた。

このように、きよい器であるなら、主が栄えさせ、敵を蹴散らしてくださる。
私達は何かと、栄えるように、守られるように、敵が蹴散らされるように、用いられるように、権威やお金が与えられるようにと求めがちだが、まず私達自身、きよくなる事を努力しなくてはならない。
自らをきよく保つなら、それらは神が保証して下さる。

ユダヤ人のライフサイクルから学ぶ御言葉教育(エズラ7:8-10)
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週報/メッセージ(説教)概要

 ユダヤ人に優れた人が多い理由は、ひとえに、御言葉暗唱教育(テフィリン教育)の故である。御言葉を宣言すればする程、その人には神のご性質が上書きされて行き、性格も品性も脳も開花されて行く。
テフィリン教育が始まった時代は、バビロン捕囚から帰還後、エズラの時代である。エズラは正統な大祭司の子孫、かつ書記官で、聖書を全部丸暗記していた。捕囚時は誰も聖書を持っては行けなかったが、彼は捕囚先のケバル川のほとりで聖書を編集し、神学大学をつくり、指導者を養成して行った。そのお陰で、聖書は今も存続している。バビロン捕囚は誰も予期していなかった。神の民である自分達が敵に負かされ、神殿が破壊され、散り散りにされてしまうとは。これは神をおろそかにするとこうなるという警告である。
彼らは考えた。なぜ国が滅び、神殿までも破壊されてしまったか。
彼らは悟った。自分達は御言葉を知らず、子供達に伝授して来なかったからだ、と。国は滅んでも民族は滅んではならない、だから子供達に御言葉をしっかり伝授し、暗唱させ、指導者を養成し、確固とした御言葉の土台を民族的に造り上げて行こう、という事でテフィリン教育がはじめられ、現代に至っている。
今回、現代ユダヤ人はどのようにして御言葉を子供たちに伝授しているのか、その方法を学びたい。

ユダヤ人の御言葉教育は、母の胎にいる時から既に始まっている。胎教という概念が最近もてはやされ、一定の効果がある事は分かっているが、ユダヤでは昔から既に存在している。母は胎に宿った子に、午前、午後、夜と、合計3時間以上、聖書の朗読を胎の子に聞かせる。こうして胎児は、御言葉を宣言する穏やかな母胎で育まれ、生まれる前から、御言葉に対する耳が開かれている。ひるがえって異邦人達は、胎に宿った子を、夫婦の争いや、テレビの音声、両親の不摂生に晒しながら過ごすのは、何と違った事だろう。
生まれてから2歳までの教育を、ハトラー(חתלּה)教育という。
ハトラーとは赤ちゃんを包む布で、御言葉が刺繍されている。最近はハトラーは市販されているが、昔は母が身ごもった時から、生まれてくる子のために祈りを込めつつ刺繍の一折り一折りをして行った。両親は2歳まで御言葉の産着に包み、この赤ちゃんが世からサタンから守られるようにと祈る。
イエス様も生まれた時、この布にくるまれていたし(ルカ2:7、12)、また、世界が胎内から生まれ出た時も、実は主の御言葉によって、くるまれていたのだ。『わたしが地の基をすえた時・・・海の水が流れいで、胎内からわき出たとき・・・わたしは雲をもって衣とし、黒雲をもってむつき(ハトラー)とし』(ヨブ38:4-9)
イエス様さえ、世界でさえ、生まれた時には御言葉で包まれていた。この教育はどれ程大事であろう。
3歳から4歳までの教育を、アレフ(א)タウ(ת)教育、合わせて「エット(את)教育」という。アレフはヘブライ語アルファベットの最初の、タウは、最後の言葉であり、すなわち、ヘブライ語アルファベット教育である。
母親は子供のために、ヘブライ語アルファベットの形をしたクッキーを作って、「これがアレフですよ」「これがベートですよ」と教え、「この文字は何ですか?」とクイズを出し、正解したらごほうびに食べさせる。
子供が飽きてくると、今度はごほうびに蜂蜜を塗ったものを与え、また、ドーナッツやチョコレートを作るなどの工夫をし、子供が飽きないようにさせる。ダンキンドーナツやハーゲンダッツは、ユダヤ人のお母さんが子供教育のために発明したものが元であり、神様は御言葉教育で工夫する親に祝福を与えて下さるのだ。
そして4−13歳の間は、テフィリン教育をする。すなわち、創世記から申命記までのモーセ五書のおよそ6000節を暗唱できるようにさせ、13歳になる時、バルミツバーというユダヤの成人式で公衆の前で御言葉を暗唱させ、これを成功させると、親は責任を果たした、とされる。
14−18歳は、タルムード教育に入る。タルムードは先祖伝来の教えを集めた口伝集で、その内容は、法律や社会慣習、経済など、様々な分野において、生きる上で有益な百科事典である。
彼らは22歳頃には結婚する。早く子供を産み、早く御言葉暗唱させるために、遺伝子が一番整えられている時期に結婚し、子が胎に宿った時から、胎児に御言葉教育を施す、というサイクルを繰り返して行く。
異邦人の場合は、男女が何となく好きになって、何となく一緒になって、何となく子供が生まれて来るが、ユダヤ人は逆である。御言葉のために、御言葉に従って結婚し、子供を産むのである。御言葉はまことにいのちである。御言葉が口から宣言された瞬間、いのちが花咲くが、離れた瞬間から死が進行して行く。
ユダヤ人は御言葉を軽んじてバビロン捕囚の憂き目に遭い、テフィリン教育が生まれた。私達クリスチャンも、御言葉を暗唱し、子に伝授し、福音を広め、栄えた者となって行くべきである。

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