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エレミヤ書 講解説教 水曜昼礼拝
ペリシテへの審判の預言 - 神の民を中心に回る世界史(エレミヤ47章)
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早天礼拝
ナザレのイエスの御名の力(使徒3章)
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主日礼拝
最高の歌とは(雅歌1:1-4)
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賛美集会〜第二礼拝 Youtube動画
週報/メッセージ(説教)概要

 雅歌(シール・ハ・シーリーム)の原意は、「歌たちの中の歌」。その、数ある歌たちの中でも最高の歌・雅歌の内容は、花婿と花嫁が呼び交わす愛の掛け合いだ。真理が示す最高の歌の内容とは、花婿と花嫁の愛の呼び交わし…。それ故、聖書を知らない人々が創る歌も、無意識的に、大半が男女の愛の歌となる。
 高音・低音の強弱の組み合わせの一連の流れである「メロディ」は、ある種の感情を呼び覚ます。
動物や昆虫は、鳴く事で、すなわち、メロディを発する事で、求愛や警告などの表現をするが、彼らは実は、主に向かってメロディをあげているのだ。『烏の子が神に向かって鳴き叫び、食物がなくてさまようとき、烏にえさを備えるのは誰か。』(ヨブ記38:41) 詩篇148篇をみると、海の巨獣も、淵も、火も、雹も、雪も、煙も、御言葉を行なう嵐も、御使いも、日も、月も、天の天も、主を褒め称えよ(הָלַלハラル)、と命じている。ハラルは「ほめたたえる、自慢する」意味、すなわち「ハレルヤ」は「主をほめたたえる、主を自慢する」事である。
 
 全地は、主に向かって、喜びの声をあげる(詩篇100:1)。私達が住んでいる地の基が据えられた当初、宇宙は歌で満ちていた。『わたしが地の基を定めたとき、…そのとき、明けの星々が共に喜び歌い、神の子達はみな喜び叫んだ。』(ヨブ記38:4-7) この「明けの星々」の中に、反逆前のサタンもいた。『暁の子、明けの明星(הֵילֵלヘイレル)よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。』(イザヤ14:12) ヘイレルは、ハラルのように「賛美する者」の意味がある。サタンは、元々、神を賛美する天使の長で、全き者の典型、美の極みだったが(エゼキエル28:12)、「あなたは自分の美しさのために心高ぶり、その輝きのために自分の知恵を汚したゆえに、わたしはあなたを地に投げうち、王たちの前に置いて見せ物とした。」(同17節)
 「歌」は本来、主をハラルするものなのに、サタンは歌を、自分をハラルする道具とした故に、投げ落とされた。自分をハラルするために歌手になりたがる人が多いが、それはヘイレル(サタン)の道である。
 
 人が歌う歌の中で、最も優れている歌は、まことの花婿であられるキリストへ花嫁として捧げる愛の歌、すなわち賛美である。被造物はメロディを発して主をほめたたえるが、意思と言葉をもって、主をほめたたえる事が出来る、唯一の存在は、人間だけだ。だから主は、私達が愛の歌を主に歌う事を求めておられる。
 『どうか、あなたの口の口づけをもって、わたしに口づけしてください。あなたの愛はぶどう酒にまさり』(雅歌1:2) この「口づけ(ナーカシュ)」は、結びつける、(武器などを)装着する意味である。私たちはキリストの花嫁として、キリストを装着して一体化したい、と思うのは、自然である。彼の愛は、ぶどう酒よりはるかに優れた心地良さだ。彼を愛する心をもって、「イエス様」と呼ぶたびに、彼の麗しさ、甘さが、香り高い香油のように、喜ばしさを伴って、心に満ち満ちていく。全てキリストにある者は、その感覚を共有できるはずだ。
 『あなたのあとについて、行かせ8てください。わたしたちは急いでまいりましょう。』(雅歌1:4a) ここに、私達とキリストとの正しい位置関係が記されている。私たちはイエス様のあとを従って行くものであり、決してその逆ではない。うるわしい主が行くなら、私達は離れず、急いでついていく。そして、彼が願われる事を私達は行い、彼が望まない事を、私達はしない。それが花嫁たる私達の正しい歩みであり、その歩みをするなら、イエス様は私たちを「奥の間」へとエスコートし、そこで親密な愛の交わりへと導いて下さる。
 
 『王は私を奥の間に連れて行かれました。私たちはあなたによって楽しみ喜び、あなたの愛をぶどう酒にまさってほめたたえ、真心からあなたを愛しています。』(1:4b) ここの「楽しみ」と訳されたヘブライ語ギール(あるいはグル)は、元の意味は「くるくる回る」、つまり嬉しさのあまりに、踊り回る事で、また「喜び」と訳されたヘブライ語サマハ(ク)は、顔がぱーっと輝く様をあらわしている。ちょうど子犬が、大好きな主人に会った時にぴょんぴょん飛び跳ね、くるくる回って喜び叫ぶような感じである。私達キリスト者が、キリストにエスコートされ、奥の間の交わりへと導かれて行く時、そのような感覚である。
 私達にとって奥の間は、どこか。そこは神を礼拝する神聖な所だ。神殿や幕屋には、至聖所と呼ばれる「奥の間」があり、そこは絶対的に聖なる場所で、罪ある人は決して入れない。しかしイエス様は、十字架の上でご自身のからだを裂いて、奥の間へ、すなわち天国への道を開いて下さって、私達をエスコートして下さった。私達はイエス様の愛の十字架により、主との親密な交わりをする奥の間へと導かれて行くゆえ、喜び(サマハ)、楽しみ(ギール)つつ、永遠に彼に愛の歌を捧げるのである。

どこでも捕らえられる毎にイエスのあかしをしたパウロ(使徒22:1-22)
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引用箇所:
使徒22:1-22
使徒26:12-18

ほんとうのやもめと自堕落なやもめ(1テモテ5:1-16)
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引用箇所:
1テモテ5:1-16
2テサロニケ3:6-12
 

エレミヤ書 講解説教 水曜昼礼拝
エジプトへの審判の預言 - 神の民を中心に回る世界史(エレミヤ46章)
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引用箇所:
エレミヤ46章
ゼカリヤ2:6-11

早天礼拝
教会が機能するための4つの動詞(使徒2:37-47)
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主日礼拝
変わらぬ愛をもって戸の外に立つ花婿(雅歌5:2-8)
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週報/メッセージ(説教)概要

 雅歌書は、男性と女性が互いに呼び交わす形で記されている愛の歌で、男女が恋愛関係から結婚へと至り、初々しい新婚生活から成熟した夫婦へと至るまでの道のりが生き生きと描かれている。これを単なる恋愛本として見るのではなく、キリストの花嫁である私達と、キリストというまことの花婿との関係として見る時、私達に豊かな示唆を示してくれる。今回、この書から、キリストの愛と、私達が陥りやすい罠とを見てみたい。
 
 『私は眠っていましたが、心はさめて(ウゥル)いました。』(2節) ウゥルは、目覚める、掻き立てる、立ち上がる等の意味がある。彼女は夜、何かに心掻き立てられた状態だった。そこに夫が帰って来て戸を叩いた。
 『わが妹、わが愛する者よ。戸をあけておくれ。私の鳩よ。汚れのないものよ。私の頭は露にぬれ、髪の毛も夜のしずくでぬれている。』ところが彼女の返事は、つれない。『わたしはすでに着物を脱いだ、どうしてまた着られようか。すでに足を洗った、どうしてまた、よごせようか。』(3節)
 夫は前章までのところで、彼女の上から下までを事細やかに褒めそやしてくれたが、彼女はつけあがったのだろうか。夫はわたしいつも褒めて、優しく何でもしてくれる、だから、床に入ったわたしの足を汚すのなら、いつまでもドアの外にいて、と。しかし夫としては、衣服を再び着るとか、足を洗う以上の手間をかけ、夜露に濡れて仕事から帰って来たわけである。彼女は何と薄情な、面倒くさがり屋だろう、と思うだろうか。 
 私達は、ここから戒めをいただくべきである。キリストの花嫁である私達は、主人であるイエス様に対し、このような態度を取っていないだろうか?イエス様が扉を叩いておられるのに、面倒くさい、あるいは彼は優しいから、赦して下さるのは当然だから、いつまでも開けない、と言うような態度を取っていないだろうか。
 
 彼女は、夫の手だけが戸の穴に差し入れられ、かんぬきを外そうと、手をこまねいているのを見た。その時、ようやく彼女の心が騒ぎ、戸を開けに行った。彼が触れたそのかんぬきには、没薬が滴っていた。
 花婿はせっかく彼女に、腐らせない愛を保とうと、没薬の山に上ってから(4:6)彼女の元に来たのに、彼女は実につまらない理由で彼を締め出し、ようやく身を起こして、開けた時には、彼は何かの言葉を妻に言って去って行ってしまった。その言葉で彼女は気を失った、とあるが、彼はどんな言葉をかけたのだろう。
 怒り、罵倒の言葉だろうか?それとも逆に、愛に満ちた言葉だろうか?イエス様は、愛の言葉をかけてくださる故に、私達は自分の罪深さ、至らなさを悲しみ、悔い改めるのである。そのかんぬきは、ついさっきまで、彼がなんとか入ろうとして触れた、愛の没薬が香っている。彼女は思っただろう。自分はなんとつまらない理由で、彼の愛を踏みにじっただろう、と。
 没薬は、腐らせない作用があり、黄金、乳香に続く、キリストの性質である。キリストの受難はpassionと言うが、彼は十字架の場面で、ありとあらゆる痛み、悲しみ、苦しみを経験し、そうして愛を示された。実に情熱的に、感情的に、そして実際的に、十字架という決して腐らない、究極の愛を私達に示して下さった。
イエス様は、罪に閉じこもっている私達を救い、愛の関係へと導くため、十字架という没薬をまとい、戸の外側から「あけておくれ」と戸を叩いて下さる。もし締め出したままにするなら、とんでもない事になってしまう。
 
 雅歌書では、彼は去ってしまい、今度は彼女が夜露に濡れ、足を汚して、彼を求めに行かなくてはならなくなった。さらには夜回りから打たれ、傷つけられ、はぎ取られてしまった(6-7節)。こうして彼女は悟った。
自分はとんでもないことをしてしまったのだ、と。私達も、主人であられるイエス様の庇護がないと、ただ、剥ぎ取られるだけの存在なのだ。放蕩息子のように。彼女は傷を受けたが、それによって自分は「愛に病んでいる」事に気づき、一層、愛が深まった。私達も、愛する夫であられるイエス様が、とても優しい、大切にしてくれる、という事に甘んじ、高慢になってしまうと、このように、痛い思いをさせられてしまう。しかし、それによって、私達もキリストの愛を一層知るようになるのだ。
 私達がつまらない事でイエス様を締め出してしまうような時、イエス様は戸の外に立って、扉をたたく。
彼の変わらぬ愛の没薬に濡れた手で、堅く閉ざした心のかんぬきを、開けようと。もし戸を開けるなら、彼は入ってきて、共に食事をし、宴が始まる(啓示録3:20)。しかし、あまりにイエス様を戸の外に締め出し続けるなら、やがて、間に合わなくなってしまう時が来る。イエス様との関係も、また世における夫婦の関係も、さらに麗しく、成熟したものになっていく皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
 

資産と手のわざの祝福、敵の腰が打たれて立てなくなる祝福の秘訣(申命記33:8-11)

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第一テモテ 講解説教 水曜夕礼拝

あなどれない影響力を持つ教会指導者の立ち居振る舞い(1テモテ4:7-16)

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4:7 しかし、俗悪で愚にもつかない作り話は避けなさい。信心のために自分を訓練しなさい。
4:8 からだの訓練は少しは益するところがあるが、信心は、今のいのちと後の世のいのちとが約束されてあるので、万事に益となる。
4:9 これは確実で、そのまま受けいれるに足る言葉である。
4:10 わたしたちは、このために労し苦しんでいる。それは、すべての人の救主、特に信じる者たちの救主なる生ける神に、望みを置いてきたからである。
4:11 これらの事を命じ、また教えなさい。
4:12 あなたは、年が若いために人に軽んじられてはならない。むしろ、言葉にも、行状にも、愛にも、信仰にも、純潔にも、信者の模範になりなさい。
4:13 わたしがそちらに行く時まで、聖書を朗読することと、勧めをすることと、教えることとに心を用いなさい。
4:14 長老の按手を受けた時、預言によってあなたに与えられて内に持っている恵みの賜物を、軽視してはならない。
4:15 すべての事にあなたの進歩があらわれるため、これらの事を実行し、それを励みなさい。
4:16 自分のことと教のこととに気をつけ、それらを常に努めなさい。そうすれば、あなたは、自分自身とあなたの教を聞く者たちとを、救うことになる。

 

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