メッセージ - 最新エントリー

遅くなりましたが先週水曜祈祷会の音声を配信します。

昼の祈祷会では中国の姉妹達が来たのですが通訳がおらず、ことばは身振り手振りでしか通じませんでしたが、イエスというまことの言葉が通じ、通じないという状況ゆえ大いに恵みと祝福をいただきました。

1部礼拝音声1 証しと賛美と祈り

1部礼拝音声2 メッセージ:ことばについて

また夜の礼拝では「イエス様の名前によって祈ります」という言葉で終わる事がいかに大切であるかをメッセージしました。

これがあるかないかで、1万円札に「日本銀行券」の表記があるかないかよりもはるかに価値が違います。

2部礼拝音声 イエスの名によって祈る価値

去る27日、純福音富士教会にて、韓国アガペヌリ教会の金ソンキル宣教師のゴスペルコンサートに招待いただき、少しだけ特別出演(ボーカル:川合、ピアノ:林)させていただきました。

金師は特に音楽の教育を受けたわけでも小さい頃からしてきたわけでもなかったのに、素晴らしい歌声で、まさに「賜物」でした。

会場は一般の方が多く集まっており、伝道としてのゴスペルの可能性を垣間見ました。(もちろん主客逆転してはなりませんが)

その時のコンサートの録音音声と、皆が帰った後、残ったメンバーでフリーセッションを行った時の音声もアップします。

1部 金ソンキル師

2部 特別出演(天声キリスト教会)

3部 金ソンキル師

おまけ:金師、天声二人によるフリーセッション「アメージンググレース」

春一番が吹いて暖かくなったと思ったら、今朝は冷たい風雨で、それでも聖徒達は欠かさず来て下さいました。

先週は予定ギッシリでしたが、今週はゆったりできそうです。

礼拝説教メッセージ音声:奇跡の力と責任(使徒5:12-16):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배

主を信じる者達に対する民衆の思いはどうであっただろうか。
神殿や政治を司る者達に嫌われているし、大いなる奇跡を行うし、また聖霊を欺いた夫婦は死んだという、恐ろしげな噂もある。
何やら特異すぎる存在だったため、変化を好まない者達は彼らと一線を引き、敢えて交わろうとはしなかったが、尊敬はしていた。
他方、主を信じて悔い改める者も多く加えられており、
主を信じて永遠の命に加えられる者と、一線を引いて敢えて加わらない者という二通りに別れた。

使徒達があまりに病人を癒したり汚れた霊を追い出したりするので、病人を寝台や寝床の上に乗せて使徒達が通る道に運び出して行った程である。
そしてせめて、陰が誰かの上に落ちるようにした者もいたが、全員癒された。

主を信じた者は、影にさえ力が宿るのであろうか?

病の異やしには色々なケースがある。
ある女性は、イエス様に気付かれずに衣の房に触れるだけで、癒しを勝ち取ってしまい、これは100%彼女の信仰に拠った。
百人隊長は何キロも離れている部下を、おことば一つで癒していただき、このケースは部下ではなく彼を思う百人隊長の信仰とイエスの思いに拠った。
パウロは前掛けで病を癒し、パウロと癒される側の、信仰両方が関係していた。
これらの事から、癒す側と癒される側、あるいは取り成す者の、それぞれの「信仰」が重要である事が分かる。
影や衣の房、前掛けそのものに力が宿っているわけではなく、信仰の篭った言葉こそ、力があるのである。


前回、アナニヤとサッピラの件を見たが、この事件により、聖霊の働きの力強さと恐ろしさを経験した。
使徒達はその後も大いなる奇跡を起しているが、その大いなる奇跡を見ておきながら捕らえる大祭司達やサドカイ派の人達は一体何なのだろう。
アナニヤとサッピラは捧げ物の代金を一部をごまかしたのに対し、サドカイ人達は主の僕たちを捕らえた。
目で見る限り、はるかにサドカイ派の人達の邪悪さのほうが明らかと思われるが、この事から次の事が分かる。

主は、聖霊の御技を体験した者と、そうでない者を、区別される。

サドカイ派の人達は、奇跡は見たが、イエスというお方は信じておらず、聖霊の御わざも彼ら自身の身の上には体験していなかった。
アナニヤとサッピラはイエスを信じて、聖霊の大いなる御技を体験し、目の前で数多く見ていたわけである。
それだけの体験をしておきながら尚、聖霊を、神様を欺こうとする事のほうが、主の御前には、サドカイ派よりも邪悪という事である。

我々は聖霊を求め、力を求め、奇跡を見たいと思うが、大きな力には大きな責任も伴う。
神様はもっと大いなる事をしてくれないかと願うが、今、一人一人に与えられている分は実に相応しく、主の恵みは今、聖徒達一人一人に十分なのである。
だから、しるしそのものを求めるのではなく御言葉を求め、その御言葉に各々信仰を混ぜて語るべきである。
それこそ、主が各々に求める責任を忠実に果たしている事になるのである。

聖霊に満たされ、人々から尊敬され、主にあって力ある実技をする皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

横浜天声キリスト教会 copyright 2011

 

昨日は純福音富士教会にて、韓国アガペヌリ教会の金ソンキル宣教師のゴスペル集会に招待いただき、少しだけ特別出演させていただきました。

彼は特に音楽の教育を受けたわけでも小さい頃からしてきたわけでもなかったのに、素晴らしい歌声で、まさに「賜物」でした。

会場は一般の方が多く集まっており、伝道としてのゴスペルの可能性を垣間見ました。(もちろん主客逆転してはなりませんが)

集会の録音を、後ほどアップしたいと思います。

なお、今日の礼拝音声を聞けば分かりますが、今日の礼拝は準備段階から色々な攻撃があり、礼拝中もコンピューターや賛美の機械がヘンな動作をしてました。

という事は、今日の御言葉はよっぽどサタンが嫌がるものだろうと分かりましたので、大胆に宣言した所、とても祝福された礼拝となりました。

サタンはなんとか混乱させたり誘惑しようと攻撃を仕掛けてきますが、イエス様に3度までしか出来なかったように、いつまでも攻撃が許されているものではありません。

主の働きをしようとして何か邪魔があった場合は、主の勝利を宣言して大胆に進む皆さんでありますように。

礼拝説教メッセージ音声:言葉の種類と力(ヨハネ1:1−14):右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要

人は言葉という種を入れる袋のようなもので、どの言葉によって満たすかで人格が決まり、どの種を自分の人生や環境に対して蒔くかによって、どんな実を刈り取るかが決まる。
神は言葉であり、世は言葉によって成り立ったと書かれてある程重要なのに、人はあまりに意識していない。
言葉の大切さを示すためにキリストは肉体という幕屋を張って、直接地上に来られたが、人はその大切な言葉を受け入れなかった程、思いが眩まされていた。(ヨハネ1章)
今日は、その眩まされている原因を突き止め、目のうろこを取って行きたい。

言葉には、3つの種類がある。
すなわち人間から出てくる「人の言葉」、サタンから出てくる「世の言葉」、そして神から出てくる「御言葉」。

「人の言葉」は生まれながらの人間から来る言葉で、喜怒哀楽があり、相手が好きであれば良い感情を込め、嫌いであれば嫌な感情を込めてぶつけるが、保障が無く、永遠の視点から見れば何も生み出さない。
イエス様の代表的な弟子であるヨハネの子シモンは、イエス様に死ぬまでご一緒すると力を込めて言ったが、それを言った夜が明けない内に3度、力を込めてイエスを知らないと言った。
後に「あなたは私を愛しますか」と3度聞かれた時、自分には完全な愛は無いと告白するしか無かった。
人の言葉には保障は無く、永遠の視点から見れば何も生み出さないのである。

「世の言葉」とは何であろうか。それは世代に流行っている風潮、時代の空気から流れてくるぼんやりとしたイメージであり、それは空中の権力を持つ支配者(エペソ2:2)すなわち、サタンから由来する。
この言葉には力があり、不安や絶望といったサタンの悪しき思いが込められている。
人の心がそれに付着すると、いのちから遠ざけられ、死、滅びへと導かれる。
「世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは御父から出ないで世から出るからです。」(1ヨハネ2:16)
その仕向けてくる言葉は、目にはカッコ良く、情欲をそそり、より良く安定した生活へと向かうかのように惹き付けるが、その実、いのちからより遠く遠く離れさせようとして欺く。
マイケル・ジャクソンはそれらを収めたかのように見えたが、逆にそれらに支配され、縛られ、犠牲となった。
クールでワルでセクシーな「良さ」は、本来のいのちから離れた所にあり、追求し過ぎると破滅をもたらす。

愛する妻子を、都心の高層のマンションに住ませ、無菌パックに入った食物や、最先端のデバイスを与え、恥ずかしくないブランドを身につけさせるために、夫婦揃って残業漬けになる生活は、健康的だろうか。
子供や妻に、モノしか与えていなければ、時間が経てば「何もしてくれなかった」という思いしか残らないが、信頼や希望、愛情はいつまでも残り、その思い出は時が経てば経つほど麗しくなっていくものである。

唯一有益な言葉が、「神の言葉」である。
それは一見、魅力的には写らず、地味で、忍耐が必要な事もあるが、力と保障があり、ふんだんに愛が込められ、そこに留まればいのちを豊かに生み出し、無から有を生み出す。
時には痛い事もあるが、その痛みは滅びに至るものではなく、余計な所に力を使わせないためであり、後にはいのちと有益をもたらす。(ヨハネ15章)
雨が降ると必ず地を潤し、実を結ばせ、空しく戻らないように、信仰を持って聞くと必ず良い実を結ばせる。
神様の言葉は、元来備わっているいのちが成長し、元来持っている美しさが豊かになって行く。

神の子なら神の子らしく、信仰の篭った御言葉である「いのち」を振り蒔き、いのちを刈り取るべきである。
神は世に向かって「なれ」と言って、その通り成った。
私達は神の子であるので、信仰を持って「なれ」と命じる事ができる。
御言葉をたっぷり蓄え、至る所、あらゆる機会で御言葉の種を蒔き、その唇の実であるいのちをたっぷり刈り取る皆さんでありますように。イエス様の名前によって祝福します!

横浜天声キリスト教会 copyright 2011

本日の箇所は、一昨日早天で行ったものですので、順番的には昨日と前後します。

一昨日は静岡行きのためテキスト起こしする時間が無く、予め打ち込んでいた水曜祈祷会メッセージを配信させていただいた次第です。

さて、これから純福音富士教会のゴスペルイベントに向かいます。

勧士・川合が賛美&導きをし、私がピアノです。

現時点、特に打ち合わせも練習もなく、ぶっつけ本番ですが、どうなる事やら。。。

お近くの方、よろしければご参加ください。

礼拝説教メッセージ音声:全てを共有に(使徒4:32-37):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배

使徒達の生活の様子が再び出て来るが、ここで強調されている事は、心と魂がひとつであり、一切を共有して生活し、何も自分の物とは言わない事である。
土地や家を持っているほどの者は、家や畑を売って、使徒達の足元に代金を置いた。
実に思い切った事をするものである。
なぜ彼らがそれだけの事をしたのか。
まず、イエスキリストを信じた者達はそれほど「兄弟姉妹」だったからであり、イエスキリストの通った兄弟姉妹のほうが血の通った兄弟よりも真実の兄弟姉妹なのである。
そればかりでなく、世の富が霞んで見えたからであり、売ったとしても収支が余りある大いなる恵みが彼ら一同の上にあった(33節)から、喜んでそれが出来たのだ。

さて、36節以降にバルナバが出てくる。
「訳せば慰めの子」と書いてあるが、言語的には慰めの子とは訳せない。
しかし彼の後の行動を見れば「慰めの子」の名前が相応しい事が分かる。

教会を迫害していたサウロ(後のパウロ)がイエスを受け入れた直後、教会は彼を非常に恐れていた。
そんな時、バルナバはサウロを受け入れ、使徒達の元に連れて行き、彼を仲間に加える仲介人となった。
また、後の伝道旅行の時、パウロは、以前伝道旅行を脱退して行ったようなマルコは連れて行けないと主張したが、バルナバは断固一緒に連れて行くように主張し、激しい意見衝突となり、結局二人は別のルートで行く事になったエピソードもある。
この箇所で二人は別れたが、分かれた後もパウロはバルナバを忠実な僕として認めていた様子である。
それが1コリント9:1-7 に書かれてある。

この箇所を見る限り、バルナバも独身を通していた節がある。
「私の働きの成果は、主にあるあなたがたではないか。」(1コリント9:2)
パウロもバルナバも、たとい妻や子供はいなくても、コリントの人達や世界中で伝道して得た主にある兄弟姉妹たちが子であり、父であり母であり、家族である。
主にあるいのちにつながった兄弟姉妹が増える事が大いなる喜びだったからこそ、バルナバは自分の畑も売って、主にある兄弟姉妹、父、子たちに喜んで捧げたわけである。

バルナバのように豊かに捧げ、豊かな実をたくさん得る皆さんであますように。イエス様の名前によって祝福します!

横浜天声キリスト教会 copyright 2011

昨日も静岡・沼津の聖徒達と満ちた足りた交わりを持ちました。

私達もとても恵まれましたが、彼女達がエクレシアとの交わりを求めていたその求めに、主は本当に応えておられるのだな、と思います。

尚、かなり急ですが明日、純福音富士教会のゴスペルイベントで少しだけ出演(?)する事となりました。

以前新年聖会で、礼拝前の整えの賛美がとても満たされたので、今回このイベントをするので参加していかがですか、とお誘いいただきました。

日時は明日2月26日、午後7時。

純福音富士教会の地図と住所、電話番号は以下です。

http://navishizu.com/0545-54-5344/

勧士・川合が賛美/導き、パスターがピアノです。(詳細は未定。相変わらず導きのままです。。。)

お近くの方、よろしければご参加ください。

礼拝説教メッセージ音声:アナニヤとサッピラ(使徒5:1-11):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배

アナニヤとサッピラはたちどころに死に、その事を聞いた原初教会は大きな恐れに包まれた。
少しでも不正な心を持って捧げれば即滅びるのであれば、教会に集う多くの者は既に倒れているはずであるが、そうでもない。
なぜ彼らに、このような事が起きたのか。

アナニヤとサッピラが行ったのは、土地を売って聖徒達の足者に置いたのだから、外見的には立派な行動である。
しかし、彼らの心は「全く逆」で、心はサタンに満たされ、聖霊を欺いていたのだ(3節)。
主は、そのような事は、そのまま捨て置かず赦されない。
当時はまだ新約聖書が無かったが、この出来事によって、神様は何を望んでおられ、何を赦されないのかを、聖徒達は厳粛に知って行く事ができたであろう。

私達は日常生活において、このお金は神様に捧げ、このお金は生活のため活用する、といった仕分けをするが、それはもちろん正当な行為である。
問題は、聖徒達は自分の資産を売って一円違わずきっちり捧げなくてはならない、といったような事ではなく、「心の内をサタンで満たし、聖霊を欺く」事であって「代金を」ごまかすという行為に限った事ではない。

主の御霊を試みて、世の富に心奪われるというのは、ヨシュアの時代のアカンのように「滅び」を自分の内にとどめておくような事である。
世と世の欲望(肉の欲、目の欲、資産の誇り)は滅びるものだが(1ヨハネ2:15-17)、彼らが残しておいたものは、まさしく「滅び」だったのである。

私達という神の畑は、キリストのからだなる教会に、全て売りつくしたはずである。
キリストの血によって買い取られた代金をごまかし、肉の欲、目の欲、資産の誇りのために残してはならない。
この夫婦はその時その場に倒れたが、もし、サタンに心満たされ聖霊を欺いたままで、奉仕や捧げ物をするなら、早かれ遅かれ倒れる。
それはとても厳粛な事であり、古今東西全ての聖徒に対する戒めである。

憐れみと猶予が与えられている今、キリストの血の値は差し引きする事なく、捧げるべきは全て捧げ尽くしたものとする皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

横浜天声キリスト教会 copyright 2011

 

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