メッセージ - pastorさんのエントリ

主イエス様の受難を的確にあらわした詩(詩篇22:1-21)
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詩篇22篇 聖歌隊の指揮者によってあけぼののめじかのしらべにあわせてうたわせたダビデの歌

この詩は、ダビデの受難の時の詩であるが、まさしく新約のイエス・キリストの受難をあらわしている。

22:1 わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。

これはまさしく、イエス様が十字架の上で叫ばれた言葉だ。

マタイ27:45 さて、昼の十二時から地上の全面が暗くなって、三時に及んだ。
27:46 そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
詩篇22:2 わが神よ、わたしが昼よばわっても、あなたは答えられず、夜よばわっても平安を得ません。

夜、イエス様はゲツセマネの園で、血の滴りのような汗を注ぎだして父なる神に祈ったが、祈りは聞かれなかった。
昼、十字架の上でイエス様は父なる神に呼ばわったが、何の助けもこなかった、どころか、闇が全地を覆った。
まことに彼は、十字架の上で、神に、捨てられ尽くしたのだ。

詩篇22:3 しかしイスラエルのさんびの上に座しておられる/あなたは聖なるおかたです。

主は、賛美を住まいとしておられる。
イエス様は、十字架の上では父なる神から答えられなかったが、私達は、苦しみの中で賛美する時、主はそこに住んでおられ、私達の声を聞いておられるのだ。

詩篇22:4 われらの先祖たちはあなたに信頼しました。彼らが信頼したので、あなたは彼らを助けられました。
22:5 彼らはあなたに呼ばわって救われ、あなたに信頼して恥をうけなかったのです。

ダビデも、主に見捨てられたような気がして、昼も夜も主に叫び求め、それでも答えが無いという所を通らされた。
信仰にあって生きる私達も、そのような所を通らされるときがある。
主に救いを求めても、求めた直後にすぐ来ない事のほうが多い。しかし、主の助けは、遅くなる事は無い。
ダビデは結局、助けが遅れる事なく、あらゆる敵から、困難から、彼の人生で何度も助け出された。彼の人生の終わり方は、敵に囲まれてみじめに死んでいくものではなく、大勢の臣下の前で、偉大な王として人生を全うし、葬られた。

それなのに、イエス様は。
彼は助けを呼び求めても、答えはないまま、十字架の上で、敵に囲まれてみじめに死んで行った。
本来、私達こそ、それに値するのに、イエス様が、代わりを引き受けて下さったからだ。

詩篇22:6 しかし、わたしは虫であって、人ではない。人にそしられ、民に侮られる。

ここで使われている「虫」という言葉は、ヘブライ語でトラー、ことさら「ミミズ」をあらわす語で、あるいは、ミミズの色である「紅」をあらわす。

イザヤ書1:18 主は言われる、さあ、われわれは互に論じよう。たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。「紅(トラー)」のように赤くても、羊の毛のようになるのだ。

主はイザヤを通して、あなたの罪が、ミミズのように醜く汚らわしく、そして赤くても、雪のように、羊の毛のようになる、と言って下さった。
なぜなら、イエス様が、私達の身代わりとして人間以下に、虫けらのようになって、私達の罪と刑罰を一身に負ってくださったからだ。

イザヤ41:14 主は言われる、「「虫(トラー)」にひとしいヤコブよ、イスラエルの人々よ、恐れてはならない。わたしはあなたを助ける。あなたをあがなう者はイスラエルの聖者である。

なぜ虫にも等しいイスラエルの人々、すなわち、私達(ガラテヤ6:16)は、恐れなくても良いのか。
それは、イエス様が私達の身代わりに、虫に等しくなって、助けてくださったからだ。

詩篇22:7 すべてわたしを見る者は、わたしをあざ笑い、くちびるを突き出し、かしらを振り動かして言う、
22:8 「彼は主に身をゆだねた、主に彼を助けさせよ。主は彼を喜ばれるゆえ、主に彼を救わせよ」と。

これと同じののしりを、イエス様は十字架の上で受けた。

マタイ27:43 彼は神にたよっているが、神のおぼしめしがあれば、今、救ってもらうがよい。自分は神の子だと言っていたのだから」。
27:44 一緒に十字架につけられた強盗どもまでも、同じようにイエスをののしった。

詩篇22:11 わたしを遠く離れないでください。悩みが近づき、助ける者がないのです。
22:12 多くの雄牛はわたしを取り巻き、バシャンの強い雄牛はわたしを囲み、
22:13 かき裂き、ほえたけるししのように、わたしにむかって口を開く。

ダビデは度々、敵意の人々に取り囲まれた。力強い牛のような、あるいは、吠えたけるししのような強き者達から。
イエス様も、悪意の者達から取り囲まれた。それもイエス様は、取り囲む彼らよりも圧倒的に強いにもかかわらず。
イエス様があえて、その者達に対しては無抵抗で「わざと」取り囲まれたのは、まさに、イエス様に悪をたくらむ彼らの罪の身代わりに、十字架にかかるためだった。

詩篇22:14 わたしは水のように注ぎ出され、わたしの骨はことごとくはずれ、わたしの心臓は、ろうのように、胸のうちで溶けた。

イエス様は、ゲツセマネで血の滴りのような汗を注ぎだした。
そして十字架の上で、イエス様の骨ははずされた。
十字架上では、釘打たれた手と足に全体重がかかり、体の重みで両肩の関節がはずれ、それによって、胸が広がらなくなり肺が圧迫され、呼吸が苦しくなるという。

詩篇22:15 わたしの力は陶器の破片のようにかわき、わたしの舌はあごにつく。あなたはわたしを死のちりに伏させられる。

イエス様は十字架上で言われた。

ヨハネ19:28 そののち、イエスは今や万事が終ったことを知って、「わたしは、かわく」と言われた。それは、聖書が全うされるためであった。

しかし、渇いた彼に人が飲ませたのは、酸いぶどう酒だった。
主は、イスラエルを乳と蜜の流れる地に「甘いぶどう」として植え、よく育つための必要な全てを整え、よく手入れし、甘く良い実を結ばせる事を期待した。しかし、彼らが神に対して結んだ実は、酸いぶどうだった。(イザヤ5:1-2)

ヨハネ19:30 すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、「すべてが終った」と言われ、首をたれて息をひきとられた。

イエス様は、酸いぶどうとなってしまった人間性を、全部飲み干し尽くされ、「完了した(テテレスタイ:完成した、支払い尽くした)」と言われた。
人が本来受けるべき処罰を、一身に受け、全人類の罪の借金を、支払い尽くして下さったのだ。

詩篇22:16 まことに、犬はわたしをめぐり、悪を行う者の群れがわたしを囲んで、わたしの手と足を刺し貫いた。
22:17 わたしは自分の骨をことごとく数えることができる。彼らは目をとめて、わたしを見る。
22:18 彼らは互にわたしの衣服を分け、わたしの着物をくじ引にする。

イエス様の十字架の場面で、まさにこの事も成就した。

ルカ23:34 そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。
23:35 民衆は立って見ていた。

イエス様の、この偉大な執り成し故に、全人類は救われた。
しかし、この偉大な執り成しの最中、人々がした事といえば、イエス様の着物を、くじで分けた事だった。

詩篇22:19 しかし主よ、遠く離れないでください。わが力よ、速く来てわたしをお助けください。
22:20 わたしの魂をつるぎから、わたしのいのちを犬の力から助け出してください。
22:21 わたしをししの口から、苦しむわが魂を野牛の角から救い出してください。

ダビデは、この祈りによって助け出され、救い出された。
しかしイエス様は、十字架の上で助け出されなかった。

私達全て、この、十字架に身代わりにつけられて下さった主イエス様の御名によって呼び求めるなら、助けを得るのである。
私達はただイエス様の前に感謝し賛美を捧げる以外には無い。

主の上げ膳・据え膳(出エジプト記5章)
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成田エクレシア礼拝 音声

 聖書の中で、エジプトは神の民を奴隷にする「奴隷の家」と表現されている。そこから神が解放して下さった記述が出エジプト記であり、主は「わたしはあなた方を奴隷の家から贖い出した、あなたの神、主である」と何度も語られた。主は私達をも、「世」というエジプトから、そして「サタン」というエジプトの王パロから、救い出して下さる。今回も先週に続き、奴隷を強いる者および「奴隷根性」から脱出する術を学びたい。

モーセはかつてエジプトにひどい目に遭わされ、恐れていたが、神の言葉によって奮い立ってエジプトに戻り、パロと対峙する。『パロに言った、「イスラエルの神、主はこう言われる、『わたしの民を去らせ、荒野でわたしのために祭をさせなさい』と」。』(出エジプト記5:1) 日本では、横暴な支配者からの要求を最優先にさせられ、礼拝がままならない事が多いため、この種の真理を貫く戦いが頻繁に行われるかもしれないが、この種の戦いは、神の言葉を正確に宣言する所から始まる。モーセはまずそれに成功した。
『パロは言った、「主とはいったい何者か。わたしがその声に聞き従ってイスラエルを去らせなければならないのか。わたしは主を知らない。またイスラエルを去らせはしない」。』(2節) パロの答えは、実に想定内だった。ただし、こう言えばこう返ってくる、と想定して、諦めて何も伝えないのは、100%の敗北である。
兎にも角にも主の言葉を宣言する事が、勝利の第一歩である。モーセはこのパロの迫力に飲まれてしまう。
『彼らは言った、「ヘブルびとの神がわたしたちに現れました。どうか(「ナア」:お願いですから)、わたしたちを三日の道のりほど荒野に行かせ、わたしたちの神、主に犠牲をささげさせてください。そうしなければ主は疫病か、つるぎをもって、わたしたちを悩まされるからです」。』(3節) 神は果たして、礼拝が出来ずに悲しむ民を、疫病か剣をもって悩まされるだろうか?真逆である!4:22-23を見ると、神の子である彼らに礼拝させるのを拒むなら、神は「パロの長子を殺す」と言っておられた。モーセの言葉は、優しさでも謙遜でもなく「卑屈」であり、サタンは、卑屈な言葉に対して、もっと調子に乗って無理難題を吹きかけてくる。
御言葉をアタマで覚えていたとしても、いざ偉い人の前で、ここぞという時に宣言しようとすると、頭が真っ白になったり、せっかく蓄えた御言葉が出なかったり、あるいは、間違って言ってしまったりする事がある。
御言葉は本来、心の中に「存在(ハヤー)」させ、その存在があふれるばかりにさせなければいけないのに(申命記6:6)、それをしていない状態だと、このようになってしまうのだ。サタンは、御言葉の存在があやふやな状態の人には、調子に乗って、御言葉とは真逆の事を要求して来る。エバの時もまさにそうだった。
『エジプトの王は彼らに言った、「モーセとアロンよ、あなたがたは、なぜ民に働きをやめさせようとするのか。自分の労役につくがよい」』(4節) パロはモーセの怖気づいた様に力を得、ますます神の民を虐げる。
パロはさらに調子づいて、そんな事を言うなら、もうレンガ造りの材料は与えないが、徹夜残業してでも元々のノルマは達成せよ、と突きつける。日本はまさにそういう霊が働いている。主日に礼拝に行く人を「なまけもの」と呼び、無私で働く事が美徳であるかのようにして、家庭を、いのちの営みを、貶める。
主にあって王であり、祭司であるキリスト者が、パロの「自分の労役につくがよい」という言葉に「はい」と言ってひれ伏し、王かつ祭司の務めを放棄してパロの労役に勤しむとするなら、何と本末転倒な事だろう。
しかし残念ながら、実に多くのキリスト者が、本来の務めを放棄し、パロが命じる苦役に奔走しているのだ。

モーセは長年、奴隷のような縛りを受けて気弱になり、口下手になってしまっていたため、最初の会合は、いわば「失敗」に終わったかもしれないが、主はそんな人間の弱さをちゃんとご存知で、フォローして下さる。
ちょうど、子供のたった一度の失敗をもって、親が子供を永遠に見放すなどという事は、あり得ないように。
モーセは、この最初のパロとの会合で、主の言葉どおりの「しるし」を行う事が出来なかったが、7章8-10節を見ると、主は、パロの口を通して「しるしを行って見せよ」と言わせ、杖をへびにするしるしを披露できた。
主は、私達の弱さ故に御言葉をその通り宣言できないとしても、しるしを行う機会を逃してしまったとしても、敵の思考や唇をも支配して、お膳立てし、私達に御言葉を語らせ、しるしを行わさせてくださるのだ!
 主が私達の弱さを知り、主の御言葉を伝え、御業を成そうとする者には、敵を支配してでも、私達が成功するまで、そう下さる。そうであるからには、何度でもチャレンジするべきである。最も良くないのは、主の「上げ膳据え膳」に乗らず、あきらめて何もしない事、元の奴隷に戻って、口を開かない事である。自信をもって御言葉を伝え、御業を為していく皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
御言葉であられるイエス様を有り有りと存在させ、溢れさせるためには(ヨハネ6:52-59)
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主の敵に勝利させ、栄えさせて下さった事への感謝の詩(詩篇21篇)
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詩篇21 聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌

この詩もダビデが創り、聖歌隊に歌わせた歌である。
20篇は、ダビデが臣下の人達にダビデのために執り成しをさせた内容であったが、この21篇は、主がその祈りに答えて下さり、ダビデ王に祝福を与え、彼の敵に勝利させ、高めて下さった事への感謝の賛美である。

21:1 主よ、王はあなたの力によって喜び、あなたの助けによって、いかに大きな喜びをもつことでしょう。
21:2 あなたは彼の心の願いをゆるし、そのくちびるの求めをいなまれなかった。〔セラ

主がダビデの心の願いをゆるし、くちびるの求める事を否まれなかったのは、1節で宣言したとおり、彼が主の力を喜び、主の助けに大きな喜びを持つ心をいつも持っていたからだ。
主は全て主を喜びとする者の、心の願いも、また口で求めた事も共にかなえて下さるのだ。

主を喜ぶ事こそ、まさに私達の力である。(ネヘミヤ8:10)
主は全て彼を拠り所とする者、主に助けを求める者達の願いを聞いて下さり、大いに喜ばせて下さるのみならず、その人達に、冠をかぶらせてくださる。

21:3 あなたは大いなる恵みをもって彼を迎え、そのかしらに純金の冠をいただかせられる。

主はダビデに純金の冠をいただかせて下さったが、私達・主の現れを心から待ち望む全ての人には、義の冠をいただかせて下さる。

2テモテ4:8 今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。

21:4 彼がいのちを求めると、あなたはそれを彼にさずけ、世々限りなくそのよわいを長くされた。

ダビデは主にいのちを求めた。すると主は、ダビデに、世々限り無く続く家を建てる約束を与えて下さり、「世々限りなくそのよわいを長くされた」と彼が宣言したとおり、永遠のいのちの望みをも与えて下さった。

神は人類すべてに、永遠のいのちを与えるために、独り子イエス・キリストを世に贈られた。
それは、御子を信じる者が一人として滅びる事なく、永遠のいのちを持つためである。

21:5 あなたの助けによって彼の栄光は大きい。あなたは誉と威厳とを彼に与えられる。
21:6 まことに、あなたは彼をとこしえに恵まれた者とし、み前に喜びをもって楽しませられる。

クリスチャンとして正しい心を持った聖徒なら、主に礼拝を捧げる時、大きな喜びがある。
ダビデが宣言しているとおり、主の御前においては、喜び楽しみがあるからであり、また、御前に歩む聖徒たちには誉と威厳を与えて下さるからだ。
やがて私達・信仰者が受け継ぐ天国において、そこで永遠に主を喜ぶ事ができるのは、何という幸いだろう。

21:7 王は主に信頼するゆえ、いと高き者のいつくしみ(ヘセド)をこうむって、動かされることはない。

結局、主がダビデにこれら諸々の幸いを与えて下さったのは、彼が主に信頼したからだ。
信仰は、主に向かって登って行く。主はそれに対し、いつくしみ(ヘセド:恵み)を天から降らせ、信仰と恵みが合致する時、主の奇跡のわざが起きる。
主に信頼する者は、永遠に動かされる事は無いのだ。

続く箇所においては、主の敵に対して注がれる御怒りについて、ダビデの宣言が記されている。

21:8 あなたの手はもろもろの敵を尋ね出し、あなたの右の手はあなたを憎む者を/尋ね出すであろう。

ここで取り上げているのは、ダビデの敵ではなく「あなたの敵」「あなたを憎む者」、すなわち、主の敵であるサタンと、その勢力全般である。
それにしても、敵を探り出すのは「主の目」ではなく、「主の手」「右手」である、というのは興味深い。

全地は、主の御手のわざであり、まさに「主の御手の中」にある。
その主の御手は、私達・主を恐れ敬う者達には「救いの御手」、「身を寄せる陰」である。
しかし、主の敵どもは、いかに闇の中で粋がって悪を企もうとも、所詮、主の大きな御手の中で駆け回る小猿に過ぎないのだ。

21:9 あなたが怒る時、彼らを燃える炉のようにするであろう。主はみ怒りによって彼らをのみつくされる。火は彼らを食いつくすであろう。
21:10 あなたは彼らのすえを地から断ち、彼らの種を人の子らの中から滅ぼすであろう。

主は、全ての主の敵に対して、燃える火のさばきを降し、それに類する者達を絶ち滅ぼされる。

黙示録20:7 千年の期間が終ると、サタンはその獄から解放される。
 20:8 そして、出て行き、地の四方にいる諸国民、すなわちゴグ、マゴグを惑わし、彼らを戦いのために召集する。その数は、海の砂のように多い。
 20:9 彼らは地上の広い所に上ってきて、聖徒たちの陣営と愛されていた都とを包囲した。すると、天から火が下ってきて、彼らを焼き尽した。
 20:10 そして、彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄との池に投げ込まれた。そこには、獣もにせ預言者もいて、彼らは世々限りなく日夜、苦しめられるのである。

サタンは1000年も獄に閉じ込められていたのに、その間、一切反省する事なく、解放されたとたん、人々を惑わし、聖徒たちとその陣営、神に愛された都を包囲する。
そうであるからには、もはや彼らの罪は明らかとなり、永遠の炎によるさばきについて何の申し開きもできない。
そして、この悪魔サタンに同調する者達やそれに類する者達も、皆、同様である。

21:11 たとい彼らがあなたにむかって悪い事を企て、悪いはかりごとを思いめぐらしても、なし遂げることはできない。
21:12 あなたは彼らを逃げ走らせ、あなたの弓弦を張って、彼らの顔をねらうであろう。

主の敵は悪を企てても、それは成功せず、かえって背を見せて逃げる事になる。
そして面白い事に、主が張った弓は、彼らの背中にではなく、顔面に命中するという。
それは、主の御手は前にも後ろにもあるからだ。

詩篇139:5 あなたは後から、前からわたしを囲み、わたしの上にみ手をおかれます。
139:6 このような知識はあまりに不思議で、わたしには思いも及びません。これは高くて達することはできません。

主は、主を敬う人を前から後ろから取り囲み、御手を置いて祝福の道へと導いて下さる。

しかし主の敵に対しては、主は前から後ろから取り囲んで、背を見せて逃げたとしても、顔面にヒットするよう矢を放たれる。
主は、どうしても悔い改めず、主の民に悪を行う事を止めなかったアハブ王に、そのようにされた。
彼は変装して戦争に出て行き、よろいも身に着けていたが、ある兵士が何気なく放った矢が、見事、彼のよろいの間を射抜き、致命傷を与えた。
主の陣営をなぶったゴリヤテも、ダビデが放った一発の石が、ゴリヤテの兜の細い間を縫って、見事急所にヒットさせた。

主は、主を敬う者が放った石や投資を、見事ヒットさせてくださるお方だ。
それ故ダビデは、賛美によってこの詩を閉じている。

21:13 主よ、力をあらわして、みずからを高くしてください。われらはあなたの大能をうたい、かつほめたたえるでしょう。

この素晴らしい主を助けとし、より頼み、その御手の内に守られ、祝福され、ダビデのように大いに主をほめたたえる皆さんでありますように。
イエス様のお名前によって祝福します!

ダビデが臣下の人々に、王のための執りを教えた詩篇(詩篇20篇)
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詩篇20 聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌

この詩はダビデが創って聖歌隊に歌わせた歌であるが、その内容は、臣下の人達に王であるダビデのための執り成しをさせる内容である。
すなわち、ダビデが主に助けられ、祝福されるように。主が、ダビデの願いと祈りを、聞き入れて下さいますように、と。

臣民が王のために祈るのは、まことに理に適った事である。
なぜなら、王が祝福される事はすなわちその国が祝福され、ひいては、臣民が祝福される事につながるからだ。

1節から5節まで「あなた」という言葉が何度も出て来るが、その「あなた」とは、臣民の目線で見たダビデ王である。

20:1 主が悩みの日にあなたに答え、ヤコブの神のみ名があなたを守られるように。
20:2 主が聖所から助けをあなたにおくり、シオンからあなたをささえ、
20:3 あなたのもろもろの供え物をみ心にとめ、あなたの燔祭をうけられるように。〔セラ

ここは、民の口からダビデを執り成す祈りであるが、現代の私達は、この箇所の「あなた」に、自分の教会の名前や指導者の名前を入れて祈る時、素晴らしい執り成しの祈りとなる。

20:4 主があなたの心の願いをゆるし、あなたのはかりごとを/ことごとく遂げさせられるように。
20:5 われらがあなたの勝利を喜びうたい、われらの神のみ名によって旗を揚げるように。主があなたの求めをすべて遂げさせられるように。

イエス様も言われた。
マタイ6:9 だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。
6:10 御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。

天の「御国(バシレイア)」とは、主の心のままの統治が行われる領域の事である。
御国を求める事は、すなわち、主の統治が成就することを求める事なのだ。
私達は自分の生活に、人生に、夫婦関係や親子関係に、主の統治が来るよう、祈るべきだ。

20:6 今わたしは知る、主はその油そそがれた者を助けられることを。主はその右の手による大いなる勝利をもって/その聖なる天から彼に答えられるであろう。

「油注がれた者」は、ヘブライ語でマシアハ(メシア)、それはギリシア語で「クリストス(キリスト)」に相当する語である。

イザヤ61:1 主なる神の霊がわたしに臨んだ。これは主がわたしに油を注いで、貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね、わたしをつかわして心のいためる者をいやし、捕われ人に放免を告げ、縛られている者に解放を告げ、
61:2 主の恵みの年と/われわれの神の報復の日とを告げさせ、また、すべての悲しむ者を慰め、
61:3 シオンの中の悲しむ者に喜びを与え、灰にかえて冠を与え、悲しみにかえて喜びの油を与え、憂いの心にかえて、さんびの衣を与えさせるためである。こうして、彼らは義のかしの木ととなえられ、主がその栄光をあらわすために/植えられた者ととなえられる。

これは、新約においてイエス様が会堂で教えられ(ルカ4:18-19)、そして「この日、この御言葉があなたの耳の中で成就した」(ルカ4:21原意)と言われた箇所である。
キリストの言葉が私達の耳の中に入るなら、この御言葉は私達の中でも成就し、キリストと同じわざを為していく事ができる。
なぜなら、キリストは私達教会のかしらであり、そのかしらにそそがれた油が、私達にも流れ滴って来るからである。

詩篇133:1 見よ、兄弟が和合して共におるのは/いかに麗しく楽しいことであろう。
133:2 それはこうべに注がれた尊い油がひげに流れ、アロンのひげに流れ、その衣のえりにまで流れくだるようだ。
133:3 またヘルモンの露がシオンの山に下るようだ。これは主がかしこに祝福を命じ、とこしえに命を与えられたからである。

ここに出てくるアロンは大祭司であるが、私達の大祭司はキリストであり、そして私達もキリストに繋がるなら祭司であり、かしらなるキリストに注がれた油を私達も得る時、私達も油注がれた者としての働きをする。
すなわち、貧しい者に福音を宣べ伝える事を委ねられ、心痛む人を癒やし、捕われ人に放免を、縛られている者に解放を告げ、主の恵みの年と神の報復の日とを告げさせ、全ての悲しむ人を慰め、主の民の中の悲しむ人に喜びを与え、灰に代えて冠を、悲しみに代えて喜びの油を与え、憂いの心に代えて賛美の衣を与えさせるのである。
「こうして、彼らは義のかしの木ととなえられ、主がその栄光をあらわすために/植えられた者ととなえられる。」
まさにイザヤ61章で告げられている通りだ。

20:7 ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る。しかしわれらは、われらの神、主のみ名を「誇る(ザカール:覚える、記念とする)」。
20:8 彼らはかがみ、また倒れる。しかしわれらは起きて、まっすぐに立つ。
20:9 主よ、王に勝利をおさずけください。われらが呼ばわる時、われらにお答えください。

世の人は、戦車などの武力を誇り、それをもって支配しようとする。
しかし、あらゆる武器を造るのも、そしてそれを壊すのも、われらの神、主である。
ただ神の民がザカールする(覚え、記念とする)べきは、主の御名なのだ。
同じ言葉が、詩篇33篇にも記されている。

33:13 主は天から見おろされ、すべての人の子らを見、
33:14 そのおられる所から/地に住むすべての人をながめられる。
33:15 主はすべて彼らの心を造り、そのすべてのわざに心をとめられる。
33:16 王はその軍勢の多きによって救を得ない。勇士はその力の大いなるによって助けを得ない。
33:17 馬は勝利に頼みとならない。その大いなる力も人を助けることはできない。
33:18 見よ、主の目は主を恐れる者の上にあり、そのいつくしみを望む者の上にある。
33:19 これは主が彼らの魂を死から救い、ききんの時にも生きながらえさせるためである。

ここに書いてあるとおり、主は、全地をあまねく見渡し、一人一人を、その心までもご覧になられ、心が主に一つとなっている人を、探し求められる。
主は、多くの人々の中から、少年ダビデを見出した。彼がまだ羊飼いの少年で、誰にも見向きされない時から。
それは彼が、羊飼いの時から、彼の心が全く主と一つとなっていたからだ。

サウルと彼の配下の兵士たちは、ゴリヤテの装備や兵器、力強さに震えおののいたが、ダビデは主を恐れ、主を頼みとした故に、主に見出され、そして事実、彼が信じ、また口で宣言した通りに、主の陣営をなぶったゴリヤテの頭と胴体を切り離し、ペリシテ人の死体を野の獣のものとした。

主は全地を見渡し、このような者を探し求めておられる。
馬の力や戦車など世的な力を頼みとするのではなく、われらの神である主を頼みとし、不信仰の世において、ひときわ輝く神のわざを為す皆さんでありますように。イエス様のお名前によって祝福します!

ルカによる福音書 講解説教 水曜夕礼拝
軽薄なシモン(ルカ22:54-55)
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エレミヤ書 講解説教 水曜昼礼拝
主に従わない者が、こっぴどい災いを受ける事で、主が栄光をお受けになる場合(エレミヤ22:1-12)
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罪の賠償をきっちりしなくてはならなくなってしまったダビデ(2サムエル記12:1-14)
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12:1 主はナタンをダビデにつかわされたので、彼はダビデの所にきて言った、「ある町にふたりの人があって、ひとりは富み、ひとりは貧しかった。
12:2 富んでいる人は非常に多くの羊と牛を持っていたが、
12:3 貧しい人は自分が買った一頭の小さい雌の小羊のほかは何も持っていなかった。彼がそれを育てたので、その小羊は彼および彼の子供たちと共に成長し、彼の食物を食べ、彼のわんから飲み、彼のふところで寝て、彼にとっては娘のようであった。
12:4 時に、ひとりの旅びとが、その富んでいる人のもとにきたが、自分の羊または牛のうちから一頭を取って、自分の所にきた旅びとのために調理することを惜しみ、その貧しい人の小羊を取って、これを自分の所にきた人のために調理した」。

ヨブ記1:7 主は言われた、「あなたはどこから来たか」。サタンは主に答えて言った、「地を行きめぐり、あちらこちら歩いてきました」。

12:5 ダビデはその人の事をひじょうに怒ってナタンに言った、「主は生きておられる。この事をしたその人は死ぬべきである。
12:6 かつその人はこの事をしたため、またあわれまなかったため、その小羊を四倍にして償わなければならない」。

出エジプト記22:1 もし人が牛または羊を盗んで、これを殺し、あるいはこれを売るならば、彼は一頭の牛のために五頭の牛をもって、一頭の羊のために四頭の羊をもって償わなければならない。
ローマ2:1 だから、ああ、すべて人をさばく者よ。あなたには弁解の余地がない。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めている。さばくあなたも、同じことを行っているからである。
2:2 わたしたちは、神のさばきが、このような事を行う者どもの上に正しく下ることを、知っている。
2:3 ああ、このような事を行う者どもをさばきながら、しかも自ら同じことを行う人よ。あなたは、神のさばきをのがれうると思うのか。
2:4 それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。
2:5 あなたのかたくなな、悔改めのない心のゆえに、あなたは、神の正しいさばきの現れる怒りの日のために神の怒りを、自分の身に積んでいるのである。
2:6 神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いられる。

12:7 ナタンはダビデに言った、「あなたがその人です。イスラエルの神、主はこう仰せられる、『わたしはあなたに油を注いでイスラエルの王とし、あなたをサウルの手から救いだし、
12:8 あなたに主人の家を与え、主人の妻たちをあなたのふところに与え、またイスラエルとユダの家をあなたに与えた。もし少なかったならば、わたしはもっと多くのものをあなたに増し加えたであろう。
12:9 どうしてあなたは主の言葉を軽んじ、その目の前に悪事をおこなったのですか。あなたはつるぎをもってヘテびとウリヤを殺し、その妻をとって自分の妻とした。すなわちアンモンの人々のつるぎをもって彼を殺した。

創世記4:10 主は言われた、「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます。
4:11 今あなたはのろわれてこの土地を離れなければなりません。この土地が口をあけて、あなたの手から弟の血を受けたからです。
出エジプト記3:7 主はまた言われた、「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを、つぶさに見、また追い使う者のゆえに彼らの叫ぶのを聞いた。わたしは彼らの苦しみを知っている。

12:10 あなたがわたしを軽んじてヘテびとウリヤの妻をとり、自分の妻としたので、つるぎはいつまでもあなたの家を離れないであろう』。
12:11 主はこう仰せられる、『見よ、わたしはあなたの家からあなたの上に災を起すであろう。わたしはあなたの目の前であなたの妻たちを取って、隣びとに与えるであろう。その人はこの太陽の前で妻たちと一緒に寝るであろう。
12:12 あなたはひそかにそれをしたが、わたしは全イスラエルの前と、太陽の前にこの事をするのである』」。
12:13 ダビデはナタンに言った、「わたしは主に罪をおかしました」。ナタンはダビデに言った、「主もまたあなたの罪を除かれました。あなたは死ぬことはないでしょう。
12:14 しかしあなたはこの行いによって大いに主を侮ったので、あなたに生れる子供はかならず死ぬでしょう」。

詩篇51 聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌、これはダビデがバテセバに通った後預言者ナタンがきたときによんだもの
51:1 神よ、あなたのいつくしみによって、わたしをあわれみ、あなたの豊かなあわれみによって、わたしのもろもろのとがをぬぐい去ってください。
51:2 わたしの不義をことごとく洗い去り、わたしの罪からわたしを清めてください。
51:3 わたしは自分のとがを知っています。わたしの罪はいつもわたしの前にあります。
51:4 わたしはあなたにむかい、ただあなたに罪を犯し、あなたの前に悪い事を行いました。それゆえ、あなたが宣告をお与えになるときは正しく、あなたが人をさばかれるときは誤りがありません。
51:5 見よ、わたしは不義のなかに生れました。わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました。
51:6 見よ、あなたは真実を心のうちに求められます。それゆえ、わたしの隠れた心に知恵を教えてください。
51:7 ヒソプをもって、わたしを清めてください、わたしは清くなるでしょう。わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう。
51:8 わたしに喜びと楽しみとを満たし、あなたが砕いた骨を喜ばせてください。
51:9 み顔をわたしの罪から隠し、わたしの不義をことごとくぬぐい去ってください。
51:10 神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。
51:11 わたしをみ前から捨てないでください。あなたの聖なる霊をわたしから取らないでください。
51:12 あなたの救の喜びをわたしに返し、自由の霊をもって、わたしをささえてください。
51:13 そうすればわたしは、とがを犯した者に/あなたの道を教え、罪びとはあなたに帰ってくるでしょう。
51:14 神よ、わが救の神よ、血を流した罪からわたしを助け出してください。わたしの舌は声高らかにあなたの義を歌うでしょう。
51:15 主よ、わたしのくちびるを開いてください。わたしの口はあなたの誉をあらわすでしょう。
51:16 あなたはいけにえを好まれません。たといわたしが燔祭をささげても/あなたは喜ばれないでしょう。
51:17 神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心を/かろしめられません。
51:18 あなたのみこころにしたがってシオンに恵みを施し、エルサレムの城壁を築きなおしてください。
51:19 その時あなたは義のいけにえと燔祭と、全き燔祭とを喜ばれるでしょう。その時あなたの祭壇に雄牛がささげられるでしょう。

怖じ気付いたモーセをフォローし偉大な指導者へと導かれる主(出エジプト記5:1-9)
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出エジプト記5:1 その後、モーセとアロンは行ってパロに言った、「イスラエルの神、主はこう言われる、『わたしの民を去らせ、荒野で、わたしのために祭をさせなさい』と」。

1テモテ4:1 神のみまえと、生きている者と死んだ者とをさばくべきキリスト・イエスのみまえで、キリストの出現とその御国とを思い、おごそかに命じる。
4:2 御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。

5:2 パロは言った、「主とはいったい何者か。わたしがその声に聞き従ってイスラエルを去らせなければならないのか。わたしは主を知らない。またイスラエルを去らせはしない」。
5:3 彼らは言った、「ヘブルびとの神がわたしたちに現れました。どうか、わたしたちを三日の道のりほど荒野に行かせ、わたしたちの神、主に犠牲をささげさせてください。そうしなければ主は疫病か、つるぎをもって、わたしたちを悩まされるからです」。

出エジプト記4:22 あなたはパロに言いなさい、『主はこう仰せられる。イスラエルはわたしの子、わたしの長子である。
4:23 わたしはあなたに言う。わたしの子を去らせて、わたしに仕えさせなさい。もし彼を去らせるのを拒むならば、わたしはあなたの子、あなたの長子を殺すであろう』と」。

創世記1:28 神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。

出エジプト記5:4 エジプトの王は彼らに言った、「モーセとアロンよ、あなたがたは、なぜ民に働きをやめさせようとするのか。自分の労役につくがよい」。
5:5 パロはまた言った、「見よ、今や土民の数は多い。しかも、あなたがたは彼らに労役を休ませようとするのか」。
5:6 その日、パロは民を追い使う者と、民のかしらたちに命じて言った、
5:7 「あなたがたは、れんがを作るためのわらを、もはや、今までのように、この民に与えてはならない。彼らに自分で行って、わらを集めさせなさい。
5:8 また前に作っていた、れんがの数どおりに彼らに作らせ、それを減らしてはならない。彼らはなまけ者だ。それだから、彼らは叫んで、『行ってわたしたちの神に犠牲をささげさせよ』と言うのだ。
5:9 この人々の労役を重くして、働かせ、偽りの言葉に心を寄せさせぬようにしなさい」。

1ヨハネ5:9 わたしたちは人間のあかしを受けいれるが、しかし、神のあかしはさらにまさっている。神のあかしというのは、すなわち、御子について立てられたあかしである。
 5:10 神の子を信じる者は、自分のうちにこのあかしを持っている。神を信じない者は、神を偽り者とする。神が御子についてあかしせられたそのあかしを、信じていないからである。

出エジプト記7:8 主はモーセとアロンに言われた、
7:9 「パロがあなたがたに、『不思議をおこなって証拠を示せ』と言う時、あなたはアロンに言いなさい、『あなたのつえを取って、パロの前に投げなさい』と。するとそれはへびになるであろう」。
7:10 それで、モーセとアロンはパロのところに行き、主の命じられたとおりにおこなった。すなわちアロンはそのつえを、パロとその家来たちの前に投げると、それはへびになった。

御言葉によって神の「良し」へと再創造される私達(詩篇19:1-6)
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詩篇19篇の中盤、7節から9節には、主(エホバ)の御名が1節に2つづつ、合計6回登場し、主エホバの御言葉と交わる事の素晴らしい効用がリストアップされている。

19:7a 主の「おきて(トーラー)」は完全であって、魂を「生きかえらせ(シューブ)」

ユダヤ人は「テフィリン教育」すなわち御言葉の暗唱教育をしており、そのため、世界的な天才を多く排出し、富においても支配権においても大きな力を持っている。
この、御言葉暗唱の効用の第一が、「たましいを生き返らせる」事である。
暗唱の過程で、御言葉を1節1節繰り返して宣言して行くごとに、罪と肉に埋もれた人間の魂は、息を吹き返し、耳が、脳が、心が、霊が、蘇生して行くのだ。

主エホバの「おきて(トーラー)」は完全である。
トーラーは主の御言葉であり、そして主の御言葉は、世界を創造した。
主が「光よあれ」と言えば、光が出来、主の言葉によって全宇宙も全被造物も、全生物も、そして私達人間も創造され、そして存続している。
主は、創造したそれら全てを見て「はなはだ良し」と宣言された。(創世記1:31)

その、完全なる主の御言葉が、テフィリンによって私達の中に刻み込められて行く時、魂の生き返り(シューブ)が行われ、罪によってぼろぼろになってしまった私達の人生の中に、主のトーブ(良し)が息吹かれ、再構築されて行くのだ。
シューブとは「帰る」という意味であるが、つまり、主の最初の創造のトーブから離れてしまった私達の中に、主の御言葉が浸透して行く事によって、当初のトーブへと、どんどん「帰る」のである。

19:7b 主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。

私達がテフィリンをするべきもう一つの理由は、賢くなるからである。
主の御言葉が入っていけば行くほど、知恵が高められて行く。
ユダヤ人が頭脳が優れているのは、テフィリン教育によって育てられたからだ。

19:8 主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする。

主のさとし(ピクド:定められた法令、戒め、教訓)は、正しく、それを聞けば、心は喜びを覚える。
御言葉をテフィリンする人は、どんどん喜びが増し加わっていき、表情が良くなって行き、目に輝きが増していく。
ユダヤ人女性は美女が多い、と言われているが、それは、まさにテフィリン教育のためであり、御言葉を取り入れる事こそ、最高のエステであると言って良い。

19:9 主を恐れる道は清らかで、とこしえに絶えることがなく、主のさばきは真実であって、ことごとく正しい。

きよくなる事を目指す人は多いが、「主を恐れる事」なしには、あり得ない。
御言葉が入ると、正しく恐れるべきお方が分かるようになる。
そして、正しい真理に立つ事によって、キリストにある私達は、悪魔サタンを少しも恐れる必要が無い、という事も分かるようになって行く。

詩篇19篇の後半では、これら、主エホバの御言葉の素晴らしさが、結論として示されている。

19:10 これらは金よりも、多くの純金よりも「慕わしく(カゥマド)」、また蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い。
19:11 あなたのしもべは、これらによって戒めをうける。これらを守れば、大いなる報いがある。

「慕わしく(カゥマド)」するべきは、御言葉である。
カゥマドしてはならないもの、すなわち、手出ししてはならないものが、十戒で定められている。それはすなわち、隣人の妻や家、隣人の持ち物である。(申命記5:21)
また、主の忌み嫌われる、滅ぼし尽くすべきものもカゥマドしてはならない。
アカンは、聖絶すべきものを「欲しがって(カゥマド)」、自分のみならず、家族をも滅ぼしてしまった。(ヨシュア記7:21)
御言葉こそカゥマドすべきものであり、これは知れば知るほど、また味わえば味わうほどに甘く、麗しく、望ましいものになってゆく。

19:12 だれが自分のあやまちを知ることができましようか。どうか、わたしを隠れたとがから解き放ってください。
19:13 また、あなたのしもべを引きとめて、故意の罪を犯させず、これに支配されることのないようにしてください。そうすれば、わたしはあやまちのない者となって、大いなるとがを免れることができるでしょう。
19:14 わが岩、わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、心の思いが/あなたの前に喜ばれますように。

人は意外と、自分のあやまちを知らない・気づきにくいものであるが、御言葉は、自分が気づかなかった「とが」を知る事が出来、そして、そこから離れる事が出来る手助けをしてくれる。
あるテフィリンを続けた人の体験談として、それまで、Aの物事に対しては無意識的にBで対応して来ていた人が、テフィリンをするようになると、Aで来た事に今までBで返そうとする直前、テフィリンで蓄えてきた御言葉が、その人の心にストップをかけ、さらに、今までBで返してきた事によって人を傷つけ、人から嫌われ、今まで見えていなかったBの行い故に自分が災いを被ってきた数々が思い出され、結果、Bはもはや止めて、御言葉に適ったCの方法で返すようになった、という。
テフィリンした人は、このような御言葉による無意識的・自動的な「矯正体験」を幾つも持っていて、人生つまづく要素がどんどん減って行った、という。

御言葉が入ると、その人の中の罪の性質は拭い去られ、それまで見えなかった、きよい道が見えるようになる。
そして、今まで見えていなかった自分の汚れた所も見えるようになり、恥じ入り、悲しみ、それを心底、投げ捨てる事が出来るようになっていくのだ。
偉大なわざをなすのは、主の御言葉である。

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