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礼拝説教メッセージ音声:ポンティオ・ピラトの前で証するイエス(1テモテ6:13-16、ヨハネ18、19章):右クリックで保存
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ポンティオ・ピラトの前でのイエスは、口を開かず、辱められ、弱さの極みであったが、イエスキリストは唯一の権力者で王の王、主の主、不死なるお方であり、近づくことのできない光の中に住んでおられる力強い主である。(1テモテ6:13-16)
万物に命をお与えになったお方が、ポンティオ・ピラトの面前で証しをなさったのだ。(13節)

彼のポンティオ・ピラトの前での告白を見て行きたい。(ヨハネ18:33-38)

ピラトが最初に見たイエスは、大勢の悪意の群集に囲まれ、祭司長達に罵られ、犯罪人として縛られて引っ立てられている様子であった。
そのような状況の33歳の若造なら、本来、絶望と恐怖に満ち、卑屈に総督の前に出ているべきなのに、平安と清らかな佇まいに満たされていた彼の様子を見て、ピラトはただ者ではないと悟った。

彼がイエスと会話を交わしていくうちに、イエスが地上にいるどんな人間とも違い、全てを越えた聖なる王の性質に触れていく。
イエスの前には、総督であろうと奴隷であろうと、イエス様を王とするか、しないかの、2つに一つしかない。
そしてそれは、イエス様が輝く天の王座に座っていようとも、犯罪人のように捕縛され打ち傷に満たされた状態であろうとも、である。

「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」(ヨハネ18:37)

この部分を本の字面を追って読むだけなら「何を突拍子も無い事を」と思うかもしれないが、その場面の状況として、究極的に弱い立場の筈のイエスが、いつでも御使い達に命じて守らせる事の出来る余裕と、清らかで平安に満ちた佇まいの内にこの言葉を発したのだから、ピラトはますます、このお方は何かしらの王たるに相応しい者であると確信する。

ピラトは確かにイエスを釈放する権限も、十字架につける権限もあるのだが、ピラトも上から権力を与えられなければ何もできない事を言われ、なんとかして釈放したいと思うようになっていった。

ピラトはイエスの無罪を宣言しても、群集はバラバ釈放を要求し、あくまでイエスの十字架を要求した。
祭司長達が本来王とすべきは、唯一の神であるはずなのに、皇帝陛下の他に王は無いと言ってみたり(15節)、異邦人に支配されるのは嫌いなはずなのに、その異邦人の権力に取り入って利用してイエス様を十字架につけようとする。
外見だけの宗教者はこのように、自分の王を好き勝手に摩り替えたり、聖なるお方を罪に定めたり、邪悪なバラバを釈放したりするのである。

ピラトは「見よ、この人だ」と叫び、この聖なるお方をお前達は十字架につけていいのか?と促すが、結局ピラトはイエスを引き渡してしまうのである。
人間とは悟りが無ければ、とことん弱く愚かなのである。

横浜天声キリスト教会 copyright 2011

 

礼拝説教メッセージ音声:私達の内にいるポンテオ・ピラト(マルコ15:1-15):右クリックで保存
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使徒信条で出てくる人名は、マリヤとポンテオ・ピラトの二人である。
ピラトはイエスを庇おうという意図が見られるため、ピラトの前に苦しみを受け、というより祭司長や群集の前に苦しみを受け、のほうがいいのではないか。
マリヤが出てくるのは分かるが、なぜピラトなのか。詳しく見て行きたい。

当時のユダヤでは死刑確定の権限は無く、ローマにあったため、イエス様はまず総督であるピラトの前に連れて行かれた。
ピラトは総督に登りつめた人間であるため、彼らが妬みの故にイエスを連れてきた事は察知していた。
また彼の妻も「この義人には関わらないで」と伝えていたため、彼としてはあまり関わりたくない案件であった。
そこで、誰の目にも明らかに悪人であるバラバ・イエスを釈放するか、それともキリスト・イエスを釈放するかの2択を迫り、まさかバラバを釈放するわけはないと思った訳だが、群集が選んだのは、バラバであった。

ピラトはイエスが死刑にならないよう色々手を尽したが、最終的に、彼が死刑を”許可”してしまう。
群集はキリストがどんな悪事を働いたのかという問には答えず、いっそう激しく「十字架につけろ」と叫んだだけであった。
ピラトは群集の前で水を取って手を洗ったが、それは自分にはこの事については責任が無い、という象徴的行為である。

ここまで見ると、ピラトは結構良い人で、同情の余地もあるのでは、と思うかもしれないが、しかし彼は主を死刑に定めた。
私たち自身も、ピラトのような性質を持っている。
イエスを助けたいという思はあるのだが、結局は周りの大声に負け、私達の内で沈黙の眼差しを向けているイエスを拘束し、死刑宣告し、そしてバラバを開放してしまう事がある。
私達の人生の選択の場面において、「この事はしょうがない」と言って手を洗い、イエス様を、私というポンテオピラトの元で苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、、、という使徒信条の下りを、演じてしまうのである。

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礼拝音声:あなたの行いを知っている(黙示録3:7-13)
週報/メッセージ(説教)概要

ここ最近、特に示されている事は、神が徹底的に守られるのは、主に拠り頼むしかない者である事である。

昨年最後の主日メッセージにサレプタのやもめの話をしたが、図らずも、同じ日に韓国の鄭先生からいただいたメッセージも全く同じ箇所(1列王記17:8-16)で、主は特にこの箇所を示されている事が分かった。
かの時代、3年半の間全く雨が降らない旱魃の時代となったのは国の指導者の罪の故で、そのお陰で国民全体ばかりでなく周辺の国にさえも災いが及んでいたが、その時代において唯一エリヤが遣わされたのは、シドンの国サレプタのやもめであった。
それは彼女が異邦人であるのに「あなたの神、主は生きておられます。」と告白し、イスラエルの神を認め、敬い、預言者を敬う素養があったからであり、その素養を神が「知って」いたからである。
彼女は一時の自分の腹の満たしよりも、主の言葉を第一として、信仰を行いによって示したからこそ、旱魃の時代に不信仰な者達と共に滅びる事から守られたのである。

後の時代、イエスは大勢の金持ちが沢山金を入れる様子を見ておられた時、唯一目を留めたのは、一人の貧しいやもめであった。彼女が捧げたのは神殿に捧げられる最低金額である2レプタだったが、彼女が乏しい中からすべてを主のために捧げた事をイエスはちゃんと「知って」いて、彼女を評価されたのである。

世界中に訪れる苦難の時、貧しさの中において守られる者達とはどういう者達であろうか。
黙示録2,3章には7つの色々な教会が出てくるが、その中で叱責が無い教会は、スミルナの教会と、フィラデルフィアの教会である。

スミルナの意味はギリシャ語の"myrrh"(=没薬)に派生し、聖書においては苦しみや苦難を意味している。
この教会には苦難や貧しさがある事を主は「知って」いて、しかし本当は豊かである、と言われた。(2:9)
「誰よりも捧げた」と主に評価される者、貧しいようでも天の視点からは「豊か」とされる者とは、2レプタ捧げた女性のように、貧しさの中においても、自分ではなく主を第一とする者である。
また、この教会には苦難だけでなく牢や死も暗示されているが、苦しみはいつまでも続くものではなく、「10日の間」とある通り定められた期間があり、その後には命の冠、すなわち、栄光の復活が約束されている。
その事は、「一度死んだがまた生きた方」(2:8)が約束しているのである。

フィラデルフィアとは兄弟愛という意味である。
ここでもイエスは「わたしはあなたの行いを知っている」(黙示録3:8)とまず呼びかけており、やもめの物質的貧しさと霊的豊かさを主が知っておられたように、忠実に従い通す者を主は「知って」おられるのだ。
この教会も力は弱かったが、力のあるなしは全く関係無い。主の兄弟姉妹の最も小さい者さえも主に対してするように心からする者を、主は愛されるのである。
この教会の前に、誰も閉じる事の出来ない道が開かれたのは「わたしの言葉を守り、わたしの名を知らないとは言わなかった」からである。
兄弟姉妹に見せかけて実はサタンに属する者達には、足元にひれ伏すようにさせ、主が徹底的に愛しておられる事を彼らに知らせると、約束されている。
「地上に住む人々を試すため全世界に来ようとしている試練の時に、わたしもあなたを守ろう。」
この約束が与えられたのは「忍耐についてのわたしの言葉を守った」からである。(3:10)

主の御名を否まず、自分の事よりも主の言葉を守る者こそ、終わりの時代に守られる者である。
その者達を主は特別に愛されている事を、主ご自身があらゆる手段によって世に示される。
そのようなみなさんでありますように、主イエスの名によって祝福します!

横浜天声キリスト教会 copyright 2011

礼拝説教メッセージ音声:イエスの名を否んでも(マルコ14:66-72) :右クリックで保存
한국어예배 韓国語通訳有

人はその場の空気に支配され、口先では心と違った事を言う傾向がある。
イエス様が尋問されていた時、ペテロが中庭に行ったのはイエス様を思う気持ちからだったが、女中に指摘された時、彼は単に場の空気に順応したかっただけで、「言葉ではイエス様を否んでしまったが心はイエス様に使えているのだ」とさえ思わなかった程に無意識、反射的だったかもしれない。
しかし彼は事実「イエスを知らない」と3度言うのであり、鶏は鳴くのである。

ペテロはその少し前、力を込めて「死んでもイエス様を知らないとは言わない」と言っていたが、その夜が明ける前に、力を込めて、しかも誓って「イエス様を知らない」と言ってしまった。
主に従いつくせるかどうかは、力のある無しは全く関係ない。
主のことばを守り、主の名を知らないと言わない教会こそ、大艱難の時にに守られる教会である(黙示録3:7-10)が、それは人の力では出来ない。
最後までイエス様を愛し尽す力は人には無いが、主は私達の信仰が無くならないように執り成しておられる。

ペテロとイスカリオテ・ユダの違いは、イエス様の名の元に集まる事を止めなかったか、止めたかである。
死してお詫び申し上げる、など、主の前には美学でも何でもなく、究極の自慰行為である。
たとえ主の名を否んでも、生き恥を晒しても、主の集まりから決して離れない事を、主は望んでおられるのだ。

ペテロはこの後、再びイエスの名のために大勢の前で尋問される時が来るが、その時彼は大胆にイエスを告白し、それを聞いた権力者達は何も答える事ができなかった。(使徒4:5-14)
この力の源は聖霊に満たされていたからであり(使徒4:8)、聖霊に満たされるコツは、主の集まりから離れない事。
無学な普通の人である事は何の問題も無く、大切なのは、イエスと一緒にいる者である、という事だ。(使徒4:13)

困難な時代において守られる者とは、イエスの名を否まない者であるが、イエスの名を否まない事は人間の力では出来ない。
しかし聖霊に満たされるなら、このお方を否まないどころか、大胆にイエスを伝える事が出来る。
聖霊に満たされる者とは、イエス様の名の元から離れない者である。

イエスニム イルムロ チュッポク パドゥル チヨダ!
(イエスの名によって祝福されよ!)

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純福音富士教会での奉仕を終えて帰ってきました。

当初は昨日5日夜に帰ってくるつもりを予定を変更し、導かれるまま1日2回の聖会を行い、賛美し、御言葉を語り、交わり、とても祝福を受けました。

メッセージ音声は順次アップしたいと思います。

礼拝説教メッセージ音声:十字架の言葉(1コリント1:18-25):韓国語通訳あり(右クリックで保存)

十字架とは死刑の道具で、それを全面に出す集団とは愚かそのものに見える。しかし信じる者達にとっては神の力であるとパウロは言う。
十字架の上では、ただ張付けられているだけ、ただ晒し者になっているだけで、自ら何もする事ができない。ただ死ぬのを待つのみ。
なぜ人の力を全く無力にする場である十字架が、神の力なのか。
それは、人間の力が尽き果てたところに、神の大いなる力が働く余地が生まれるからである。
主の御前に何も保留する所なく、全てを明け渡す事が十字架の経験である。

アブラハムは多くの父となるという召しを受けた時は70歳であった。
80,90歳になっても子供は出来ず、人の目から見れば彼が父になるなど愚かな事、考えもつかない事である。
しかし彼は、肉の力が尽き果てたような、死んだも同じような100歳の時に父親になった。
神はアブラハムが自分の力に頼る事を諦め果てるまで待たれたし、ユダヤ人が40年も荒野をさ迷い肉の力が尽き果てるのを待たれたが、私達までアブラハムやイスラエルのように長い間待つ必要は無い。
自らの力に頼まず神の約束を信じ続けていればアブラハムは13年も待つ必要はなかっただろうし、イスラエルもカナン偵察時に自分の力にこだわらず神に委ね切っていれば40年もさ迷う必要は無かったのである。
イエス様が「完了した」と言って霊を神に明け渡されたように、私達もすぐに十字架の上で神に明け渡せばすぐにラクになるだけでなく、人間的な力が尽きた私達を通して御わざが働かれるのである。

パウロはパリサイ人の最高学府の元で最高の教育を受けたが、彼は当時最高の知識やテクニックを用いたのではなく、十字架につけられたキリストをのべ伝えるだけであった。
それは神の力が現れるのは、人間の叡智や力によるのではなく、人の力の尽きた所にであり、人とイエスを結びつけるのは、優れた論舌や説得ではなく十字架のことばだからである。

クリスチャンからキリストを除いてはならず、教会から十字架を除いてはならない。
十字架にとどまり、神の力が大いに働くみなさんでありますように!

横浜天声キリスト教会 copyright 2011

礼拝:世の罪を取り除くまことの小羊(出エジプト12:1-8)

・第一礼拝音声
・第三礼拝韓国語通訳つき礼拝メッセージ説教音声
・週報/メッセージ(説教)概要


救いのご計画
イスラエルには新年は2つ存在し、第7月「ティシュリの月」から始まる自然の周期の新年(創造の日とされている)と、主が出エジプトの際に定めた第1月「ニサンの月」(出エジプト12:2)がある。
出エジプトの日はユダヤ人にとってとても重要な出来事があり、この日を覚えるために主ご自身が世々に渡って守り行う「過ぎ越しの祭り」を制定された。
かつてユダヤ人はこの出エジプトの日に至るまで、430年もの間エジプトに滞在し、奴隷として不当に搾取され、虐待を受けて来たが、主は彼らを顧み、奴隷の国から救い出そうと心に留められた。
主がエジプトの王ファラオの心を頑なにされたのは、エジプトに10の災いを与え、主の大いなる力と、主はイスラエルを特別に区別される事とを、誰の目にも明らかになるためである。

傷の無い小羊
ユダヤ人がエジプトから出される決定的要因となるエジプトの最後の災いは、エジプト中の男子の初子が全て死に、ヘブル人は一人も災いが下されない、というものである。
滅びる者の側に入るか、滅びない者の側に入るかは、どこに区別があるのだろうか。
キーワードは、傷の無い子羊である。(12:1-8)
小羊はそこの家族全員が救われるために屠られ、血を流し尽し、裂かれ、焼かれ、皆に食べられる。
この小羊はイエスキリストを予表し、ユダヤ人は救われる民を、エジプトは世を意味している。
イエスこそ世の罪を取り除くまことの小羊である。(ヨハネ1:29)

滅びから救われるための手順と預言的意味
1、傷の無い1歳の雄の子羊を選りすぐる。(5節) : 傷の無いキリスト
2、その小羊を夕暮れに屠り、その血を入り口の柱とかもいに塗る。(6,7節) : キリストは過ぎ越しの日に屠られた。その名を信じ、血の印がある者は滅びを免れる。
3、夜に火で焼いて食べる。(8節) : 主が暗闇の十字架上で言われた「わたしは渇く」という言葉(ヨハネ19:28)は、何もかも焼き尽くされた事を象徴した。

手順に従う者とそうでない者
この手順に従った者は、金銀の装飾品や衣類を分捕り(35,36節)、奴隷から開放され、約束の国へ旅立つ事ができたが、従わなかった者は、長男に死なれ、分捕られ、こき使っていた者達には逃げられた。
同様に、イエスを信じた者は、分捕られていた物を正々堂々と分捕り返し、罪の奴隷・死の奴隷から開放され、裁きを免れ、神の国へと旅立つ事ができるが、信じなかった者は、世継ぎは奪われ、分捕って積み上げてきた財産は神の定めた者に明け渡す事となり(コヘレト2:26)、ついには永遠の滅びに至る。

御言葉はそのままに
人は好き勝手に滅びから免れる手順を考えたがるが、主から示された手順を誤ってはならない。
主の言葉をそのまま受け取り実行すればいいものを、自分の事に頭がいっぱいで聞かない人間は、御言葉を自己流の勝手な解釈をしたり付け足しをする事で、傷モノの小羊をささげたり、小羊でない動物を用意したり、戸口に血を塗り忘れたり、戸口から出てしまったり、屠られた小羊を食べなかったりするのである。

私達は
イエス様が命がけで用意して下さった救いを軽んじてはならないし、その手順から離れてはならない。
与えられた御言葉はそのまま実行し、まことの小羊の贖いに預かり、諸々の奴隷から開放され、分捕られていたものは、大いに分捕り返すみなさんでありますように、主イエスの名によって祝福します!

横浜天声キリスト教会 copyright 2011

年末年始礼拝

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その他音声
執筆 : 
pastor 2011-1-1 16:16

教会では日本人・韓国人・中国人の20名ほどの兄弟姉妹達が、御言葉と共に年を越しました。

喜びと笑い、涙に満ちて、こんなに充実した年越しは初めてだと参加された姉妹が言っていましたが、本当にこんなに恵まれて良いのだろうかと思うほど毎日楽しくさせてもらってます。

礼拝メッセージ音声は以下です。
年末メッセージ
年始メッセージ
韓国語通訳あり(右クリックで保存)

新しい年がはじまりました。

昨年1月より日本語による礼拝が始まり、主の恵みによって、ここまで来る事ができました。

2011年も皆様と共に主をあがめ、主に仕え、豊かな祝福をいただけるよう、お祈りしました。

今年もよろしくお願いいたします。

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