メッセージ - 201903のエントリ

2テサロニケ人への手紙 概要(2テサロニケ1:1-5)
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2テサロニケ1:1 パウロとシルワノとテモテから、わたしたちの父なる神と主イエス・キリストとにあるテサロニケ人たちの教会へ。
1:2 父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

1テサロニケ1:1 パウロとシルワノとテモテから、父なる神と主イエス・キリストとにあるテサロニケ人たちの教会へ。恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

1:3 兄弟たちよ。わたしたちは、いつもあなたがたのことを神に感謝せずにはおられない。またそうするのが当然である。それは、あなたがたの信仰が大いに成長し、あなたがたひとりびとりの愛が、お互の間に増し加わっているからである。
1:4 そのために、わたしたち自身は、あなたがたがいま受けているあらゆる迫害と患難とのただ中で示している忍耐と信仰とにつき、神の諸教会に対してあなたがたを誇としている。

ローマ5:1 このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。
5:2 わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。
5:3 それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、
5:4 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。
5:5 そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。

2コリント11:2 わたしは神の熱情をもって、あなたがたを熱愛している。あなたがたを、きよいおとめとして、ただひとり男子キリストにささげるために、婚約させたのである。
11:3 ただ恐れるのは、エバがへびの悪巧みで誘惑されたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する純情と貞操とを失いはしないかということである。
11:4 というのは、もしある人がきて、わたしたちが宣べ伝えもしなかったような異なるイエスを宣べ伝え、あるいは、あなたがたが受けたことのない違った霊を受け、あるいは、受けいれたことのない違った福音を聞く場合に、あなたがたはよくもそれを忍んでいる。

ガラテヤ5:19 肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、
5:20 偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、
5:21 ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。
5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、
5:23 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。

 レカブ人 - 約束を守り行う人の受ける幸い(エレミヤ35章)

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エレミヤ35:1 ユダの王ヨシヤの子エホヤキムの時、主からエレミヤに臨んだ言葉。
35:2 「レカブびとの家に行って、彼らと語り、彼らを主の宮の一室に連れてきて、酒を飲ませなさい」。
 
1歴代誌2:55 ヤベツに住んでいた書記の諸氏族は、ティルア人、シムア人、スカ人。彼らはレカブ家の父祖ハマテから出たケニ人である。
 
士師記1:16 モーセの義兄弟であるケニ人の子孫は、ユダ族といっしょに、なつめやしの町からアラデの南にあるユダの荒野に上って行って、民とともに住んだ。
 
35:3 そこでわたしはハバジニヤの子エレミヤの子であるヤザニヤと、その兄弟と、そのむすこたち、およびレカブびとの全家を連れ、
35:4 これを主の宮にあるハナンの子たちの室に連れてきた。ハナンはイグダリヤの子であって神の人であった。その室は、つかさたちの室の次にあって、門を守るシャルムの子マアセヤの室の上にあった。
35:5 わたしはレカブびとの前に酒を満たしたつぼと杯を置き、彼らに、「酒を飲みなさい」と言ったが、
35:6 彼らは答えた、「われわれは酒を飲みません。それは、レカブの子であるわれわれの先祖ヨナダブがわれわれに命じて、『あなたがたとあなたがたの子孫はいつまでも酒を飲んではならない。
35:7 また家を建てず、種をまかず、またぶどう畑を植えてはならない。またこれを所有してはならない。あなたがたは生きながらえる間は幕屋に住んでいなさい。そうするならば、あなたがたはその宿っている地に長く生きることができると言ったからです』。
35:8 こうしてわれわれは、レカブの子であるわれわれの先祖ヨナダブがすべて命じた言葉に従って、われわれも、妻も、むすこ娘も生きながらえる間、酒を飲まず、
35:9 住む家を建てず、ぶどう畑も畑も種も持たないで、
35:10 幕屋に住み、すべてわれわれの先祖ヨナダブがわれわれに命じたところに従い、そのように行いました。
35:11 しかしバビロンの王ネブカデレザルがこの地に上ってきた時、われわれは言いました、『さあ、われわれはエルサレムへ行こう。カルデヤびとの軍勢とスリヤびとの軍勢が恐ろしい』と。こうしてわれわれはエルサレムに住んでいるのです」。
 
2列王記10:15 エヒウはそこを立って行ったが、自分を迎えにきたレカブの子ヨナダブに会ったので、彼にあいさつして、「あなたの心は、わたしがあなたに対するように真実ですか」と言うと、ヨナダブは「真実です」と答えた。するとエヒウは「それならば、あなたの手をわたしに伸べなさい」と言ったので、その手を伸べると、彼を引いて自分の車に上らせ、
10:16 「わたしと一緒にきて、わたしが主に熱心なのを見なさい」と言った。そして彼を自分の車に乗せ、
10:17 サマリヤに行った。エフーはアハブに属する者で、サマリヤに残っていた者を皆殺しにし、その一族を根絶やしにした。主がエリヤにお告げになったことばのとおりであった。
 
35:12 その時、主の言葉がエレミヤに臨んだ、
35:13 「万軍の主、イスラエルの神はこう言われる、行って、ユダの人々とエルサレムに住む者とに告げよ。主は仰せられる、あなたがたはわたしの言葉を聞いて教を受けないのか。
35:14 レカブの子ヨナダブがその子孫に酒を飲むなと命じた言葉は守られてきた。彼らは今日に至るまで酒を飲まず、その先祖の命に従ってきた。ところがあなたがたはわたしがしきりに語ったけれども、わたしに聞き従わなかった。
35:15 わたしはまた、わたしのしもべである預言者たちを、しきりにあなたがたにつかわして言わせた、『あなたがたは今おのおのその悪い道を離れ、その行いを改めなさい。ほかの神々に従い仕えてはならない。そうすれば、あなたがたはわたしがあなたがたと、あなたがたの先祖に与えたこの地に住むことができる』と。しかしあなたがたは耳を傾けず、わたしに聞かなかった。
35:16 レカブの子ヨナダブの子孫は、その先祖が彼らに命じた命令を守っているのである。しかしこの民はわたしに従わなかった。
35:17 それゆえ万軍の神、主、イスラエルの神はこう仰せられる、見よ、わたしはユダとエルサレムに住む者とに、わたしが彼らの上に宣告した災を下す。わたしが彼らに語っても聞かず、彼らを呼んでも答えなかったからである」。
 
エレミヤ34:15 しかし、あなたがたは、きょう悔い改め、各自、隣人の解放を告げてわたしが正しいと見ることを行ない、わたしの名がつけられているこの家で、わたしの前に契約を結んだ。
34:16 それなのに、あなたがたは心を翻して、わたしの名を汚し、いったん自由の身にした奴隷や女奴隷をかってに連れ戻し、彼らをあなたがたの奴隷や女奴隷として使役した。』
34:17 それゆえ、主はこう仰せられる。『あなたがたはわたしに聞き従わず、各自、自分の同胞や隣人に解放を告げなかったので、見よ、わたしはあなたがたに――主の御告げ。――剣と疫病とききんの解放を宣言する。わたしは、あなたがたを地のすべての王国のおののきとする。
 
申命記28:15 もし、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主のすべての命令とおきてとを守り行なわないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたはのろわれる。
 
エレミヤ35:18 ところでエレミヤはレカブびとの家の人々に言った、「万軍の主、イスラエルの神はこう仰せられる、あなたがたは先祖ヨナダブの命に従い、そのすべての戒めを守り、彼があなたがたに命じた事を行った。
35:19 それゆえ、万軍の主、イスラエルの神はこう言われる、レカブの子ヨナダブには、わたしの前に立つ人がいつまでも欠けることはない」。
 
ネヘミヤ3:14 糞の門はベテ・ハケレムの区域の知事レカブの子マルキヤがこれを修理し、これを建て直して、そのとびらと横木と貫の木とを設けた。
 
ユダヤ教の口伝承『ミシュナ』は「ヨナダブの子孫が神殿の祭壇で燃やす薪を持ってくる人」として言及している(実用聖書注解)
 
申命記28:1 もしあなたが、あなたの神、主の声によく聞き従い、わたしが、きょう、命じるすべての戒めを守り行うならば、あなたの神、主はあなたを地のもろもろの国民の上に立たせられるであろう。

自らをきよく保つ人を通して世界に神の栄光を知らせる主(ダニエル1章)
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ダニエル1:1-21
イザヤ42:6  「主なるわたしは正義をもってあなたを召した。わたしはあなたの手をとり、あなたを守った。わたしはあなたを民の契約とし、もろもろの国びとの光として与え、
ダニエル6:28  このダニエルは、ダリヨスの治世とペルシヤ人クロスの治世に栄えた。

神の言葉の秩序が破壊される時(哀歌2:11-22)
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哀歌は、エレミヤが記した。
バビロンがエルサレムを攻め、エルサレムが陥落した後に。
バビロンが攻めて来て、城壁も神殿も破壊され、多くの人々が虐殺され、また捕虜として連れていかれた。
こうなる前に主に立ち返るよう、ずっと警告し続けてきたエレミヤがうたった歌が、哀歌である。

哀歌は、1章から5章まですべて22節(3章は22の3倍の66節)である。なぜか。
22といえば、ヘブライ語のアルファベットの数であるが、哀歌は、1-4章はそれぞれの節の冒頭が、ヘブライ語のアルファベット順に並んでいて、1節はアレフ、2節はベートと、アルファベット順のそれぞれの言葉ではじまり、そして最後の22節は、ヘブライ語最後の語・タヴの言葉によって始まる。(3章は1,2,3節がアレフ、4,5,6節がベート、、、64,65,66節がタヴ)

しかし、5章ではこの秩序が崩壊する。22節あるのだが、アルファベット順ではないのだ。
なぜ5章は、せっかくアルファベット数の22節あるのに、アルファベット順ではないのか。

それまで、ヘブライ語のアルファベット順という、神の言葉の秩序どおり進んでいたのが、最後の5章で崩壊し、災いとうめきに満たされる。
主の秩序通りに歩んでいくならば、祝福があり、幸があり、秩序の乱れは一切無いが、しかし人間の好き勝手によって崩壊する時、哀歌の内容の悲惨が生まれるのだ。

バビロン捕囚はなぜ起きたか。
人が神の言葉を破り、神の言葉の秩序を崩壊させると、あなた方は破壊され、捕虜とされる、と、はるか昔・モーセの時代から言われていた。
けれども、彼らが、神の秩序をあえて破壊してしまった故に、哀歌に記されている悲惨が起きたわけである。

申命記28章に記されている通り、神の民は、神の秩序通りに歩んでいるなら、とてつもない祝福がある。
しかし、神の秩序をあえて破壊するなら、驚くほどの落ちぶれ様が、破壊され様が、また、驚くほどの悲惨が待っている。
その悲惨は、特に、子供たちや若者たちに深刻である事を、今日の箇所から見ることができる。

2:11 わが目は涙のためにつぶれ、わがはらわたはわきかえり、わが肝はわが民の娘の滅びのために、地に注ぎ出される。幼な子や乳のみ子が町のちまたに/息も絶えようとしているからである。
2:12 彼らが、傷ついた者のように町のちまたで/息も絶えようとするとき、その母のふところにその命を注ぎ出そうとするとき、母にむかって、「パンとぶどう酒とは/どこにありますか」と叫ぶ。

この世界に送り出されたばかりの命たち、幼児や乳飲み子が、母親に訴える。
パンとぶどう酒とは、どこにありますか、と。
幼児や乳飲み子が、パンやぶどう酒を求める。どういう事だろう。

パンとぶどう酒は、ただの食料ではない。レビ記では、礼拝で捧げられるべき捧げ物であり、また新約では、主イエスの死を覚えつづけるために執り行われる聖餐式において分配されるものである。
この世に送り出されてきたばかりの命たちが、その母親に、穀物とぶどう酒はどこにあるのかと叫ぶ様は、神がこの世に送り出した命たちの、切実な叫びである。
礼拝は、どこにあるのか?
神に捧げるべき捧げ物は、どうなっているのか?
命は、訴える。
神との関係はどうなっているのか、と。

なぜ悲惨な状況になったのか、それは、主の道から外れたからに他ならない。
13節と14節に、こうなった理由が記されている。

2:13 エルサレムの娘よ、わたしは何をあなたに言い、何にあなたを比べることができようか。シオンの娘なるおとめよ、わたしは何をもってあなたになぞらえて、あなたを慰めることができようか。あなたの破れは海のように大きい、だれがあなたをいやすことができようか。
2:14 あなたの預言者たちはあなたのために/人を欺く偽りの幻を見た。彼らはあなたの不義をあらわして/捕われを免れさせようとはせず、あなたのために人を迷わす偽りの託宣を見た。

アハブは預言者を400人も集めて、自分に都合の良いことを言ってもらうための”預言集会”を開いた。
イスラエルはなんでこんなにも傷ついてしまったのか。
それは、虚しい、ごまかしばかりの”預言ごっこ”をして、罪を暴こうともせず、惑わす言葉だけを預言したからだ。
預言者とは、もし人が罪を犯したのであるのであれば、それを暴くべきであるが、偽預言者たちは暴こうともせず、むしろ、聞く人に耳障りの良い、実体の無い”預言ごっこ”にうつつを抜かしていたからだ。

叱責をいただいたときは、むしろ幸いだと思うべきである。
しかし、主の言葉を頑に突っぱね続けるならば、この哀歌の状態になってしまうことを、覚えておくべきだ。
哀歌の1-4章が、なぜアルファベット順に並んでいるのか。それは単なる語呂遊びではない。
テフィリンする上で、暗唱しやすくなっているから、覚えやすくなっているから、これを覚えて暗唱しなさい、決してこの内容を忘れないように、という事である。

2:15 すべて道行く人は、あなたにむかって手を打ち、エルサレムの娘にむかって、あざ笑い、かつ頭を振って言う、「麗しさのきわみ、全地の喜びと/となえられた町はこれなのか」と。
2:16 あなたのもろもろの敵は、あなたをののしり、あざ笑い、歯がみして言う、「われわれはこれを滅ぼした、ああ、これはわれわれが望んだ日だ、今われわれはこれにあい、これを見た」と。

ここには、敵の嘲りがある。
なぜ、神の民が、敵によって滅ぼされたのか。それは、主が許されたからに他ならない。
なぜか。それは彼らが、主の言葉に従わず、むしろ恩知らずな事を主に対して続けていたからだ。
このような災いが起きると、警告を受けたのは、モーセの時代、はるか昔からである。

2:17 主はその計画されたことを行い、警告されたことをなし遂げ、いにしえから命じておかれたように、滅ぼして、あわれむことをせず、あなたについて敵を喜ばせ、あなたのあだの力を高められた。

申命記28章には、祝福と呪いの言葉があるが、15節以降、呪いの言葉が68節まである。
呪われるためのコツは、主の御声に聴き従わず、その命じる命令を守り行わない事だ。

2:18 シオンの娘よ、声高らかに主に呼ばわれ、夜も昼も川のように涙を流せ。みずから安んじることをせず、あなたのひとみを休ませるな。
2:19 夜、初更に起きて叫べ。主の前にあなたの心を水のように注ぎ出せ。町のかどで、飢えて/息も絶えようとする幼な子の命のために、主にむかって両手をあげよ。

エレミヤは、ぼんやりしてはならない、と言う。
主に向かって叫ぶ事をやめてはならない、この崩壊し罰を受けた都のために、そして、弱りはて死んでいく幼子のために、心を主に向かって注ぎして祈り、と訴える。

この国もまた、主の道から外れてしまっている。
15歳から39歳までの死ぬ確率は、交通事故でもなくガンでもなく、自殺が、死因のトップである。

若者達のみならず、全ての人が、将来に希望を見いだせないまま生きている。
彼らは、自分にはパンとぶどう酒が、すなわち神と関わりを持つべき礼拝が全人類に必要である事が分からず、いや、一体何がこんなに自分の心を飢え渇かせているのか、訳も分からないまま、もだえつつ生きている。

私達は、祈るべきである。
この国が、主を離れ、礼拝から離れ、主の道から外れた生き方をしている故に。

2:20 主よ、みそなわして、顧みてください。あなたはだれにむかって/このように行われたのですか。女は自分の産んだ子、その大事に育てた幼な子を食べるでしょうか。祭司と預言者が主の聖所で殺されていいでしょうか。
2:21 老いも若きも、ちまたのちりに伏し、わがおとめも、若人も、つるぎで倒されてしまった。あなたは、その怒りの日にこれを殺し、これをほふって、あわれむことをされなかった。

祭司や預言者が主の聖所で殺されている、
しかし祭司や預言者が、民の咎をあばこうともせず、惑わす言葉を預言したから、虐殺されてしまったのだ。(14節)

『望みのあるうちに、自分の子を懲らせ、これを滅ぼす心を起してはならない。』(箴言19:18)
まだ望みがある内に、懲らしめ、戒めるべきなのだ。
母が大事に育てた子を食べてしまうような、深刻な事態に至らない内に。

エレミヤは、こんな事があっていいのか、と訴えたが、主を軽んじ続け、御言葉に向き合わない事を続けるなら、この事が起きてしまうのだ。

2:22 あなたは、わたしの恐れるものを、祭の日のように四方から呼び集められた。主の怒りの日には、のがれた者も残った者もなかった。わたしが、いだき育てた者を/わたしの敵は滅ぼし尽した。

祭りの日は、本来、主を礼拝する人々が神殿へと集まってくるものだが、礼拝をしないで居続けるなら、神殿を破壊する者達が集まって来る。
なぜ、こんな悲惨な事が起きるのか。
それは、昔から行われていた事だった。
もし主の道からそれて好き勝手な事をし続けて改めないなら、深刻なききんに陥って、母がその子の肉を食べる、という内容までも、昔から警告されていた。

だから、御言葉に立ち返るべきである。
望みがある内に、御言葉によって懲らしめるべきである。

イスラエルは、バビロン捕囚によって、懲らしめを受けた。
しかし、主は、殺す気はおこしていない。
ちゃんと残されるべき民を残しておられた。そしてイスラエルは、再び、テフィリンによって立ち上がっていく。
テフィリン教育は、バビロン捕囚の故に、生まれた。

御言葉を正確に伝え、祝福の道を歩んでいくみなさんでありますように!

妻が先か?夫が先か?(エペソ5:22-33)
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5:22 妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。
5:23 キリストが教会のかしらであって、自らは、からだなる教会の救主であられるように、夫は妻のかしらである。
5:24 そして教会がキリストに仕えるように、妻もすべてのことにおいて、夫に仕えるべきである。
5:25 夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。
5:26 キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、
5:27 また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである。
5:28 それと同じく、夫も自分の妻を、自分のからだのように愛さねばならない。自分の妻を愛する者は、自分自身を愛するのである。
5:29 自分自身を憎んだ者は、いまだかつて、ひとりもいない。かえって、キリストが教会になさったようにして、おのれを育て養うのが常である。
5:30 わたしたちは、キリストのからだの肢体なのである。
5:31 「それゆえに、人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである」。
5:32 この奥義は大きい。それは、キリストと教会とをさしている。
5:33 いずれにしても、あなたがたは、それぞれ、自分の妻を自分自身のように愛しなさい。妻もまた夫を敬いなさい。
 
夫が妻 に対してなすべきは、愛すると言うこと。ここで用いられている愛は、エロスの愛でも、フィレオでもなく、アガペの愛である。
だから夫が妻を性的な愛で愛するのでもなく、あるいは単に慕うだけでもなく、捧げ尽くす愛を持って端を愛さなくてはならない。
 
女性は、愛されれば愛されるほど、輝き、おしとやかに、美しくなっていくが、愛されていない妻は、いつも角が出ている。
けれども愛されると、この角がどんどんどんどんなくなって、羊のようにおとなしくなっていく。
羊は角があったとしてもくるくる丸まっているので、突かれても怪我はしない。
28節にあるが、夫も妻を自分の体のように愛さなくてはならない。
 
自分の妻を愛するものは、自分を愛している。
どういうことかと言うと、妻 を愛するならば妻はどんどんしとやかになり、慰めがたくさん出てくるし、従順も出てくるし、そうすると男性は家に帰って妻から慰めを得られるし、勇気をつけられ、従順するようになり、すなわち妻を愛する事は自分を愛することにつながる。
 
29節、誰でも自分の身を憎んだものはいないむしろ養い育てる。。。この奥義は偉大である、キリストと教会そしてこう言っている。
これが夫婦円満の鍵であり、それはまず妻の従順があってのことである。
 
エペソのみならず、ペテロの手紙においても、妻たちを、夫のことが書いてあるが、結婚における指示はまず妻に対しての指示が先である。
だから先に、妻が夫に従うところから始まるのが、家庭が円満になるコツで ある。
 
1ペテロ3:1 同じように、妻たる者よ。夫に仕えなさい。そうすれば、たとい御言に従わない夫であっても、
3:2 あなたがたのうやうやしく清い行いを見て、その妻の無言の行いによって、救に入れられるようになるであろう。
3:3 あなたがたは、髪を編み、金の飾りをつけ、服装をととのえるような外面の飾りではなく、
3:4 かくれた内なる人、柔和で、しとやかな霊という朽ちることのない飾りを、身につけるべきである。これこそ、神のみまえに、きわめて尊いものである。
3:5 むかし、神を仰ぎ望んでいた聖なる女たちも、このように身を飾って、その夫に仕えたのである。
3:6 たとえば、サラはアブラハムに仕えて、彼を主と呼んだ。あなたがたも、何事にもおびえ臆することなく善を行えば、サラの娘たちとなるのである。
 
サラは夫アブラハムに従順した。たとえ「妻ではなく妹だと言いなさい」と、真理でない事を言われ、サラがパロへ、アビメレクへと妻として奪われて行っても、無言のふるまいにより、神が働いて、パロをおののかせ、アビメレクを恐れさせた。
そして、夫に対して書いてある。
 
1ペテロ3:7 夫たる者よ。あなたがたも同じように、女は自分よりも弱い器であることを認めて、知識に従って妻と共に住み、いのちの恵みを共どもに受け継ぐ者として、尊びなさい。それは、あなたがたの祈が妨げられないためである。
 
女性は時に感情の波に押し出されて動く時があり、理にかなっていない事をする時、夫の側が、女性は自分よりも弱い器だという事を認めて、怒ったりなじったりする事なく、フォローしてあげるべきである。
雅歌書にも書いてある。
 
4:6 日の涼しくなるまで、影の消えるまで、わたしは没薬の山および乳香の丘へ急ぎ行こう。
4:7 わが愛する者よ、あなたはことごとく美しく、少しのきずもない。
4:8 わが花嫁よ、レバノンからわたしと一緒にきなさい、レバノンからわたしと一緒にきなさい。アマナの頂を去り、セニルおよびヘルモンの頂を去り、ししの穴、ひょうの山を去りなさい。
 
雅歌書4:8でも、夫は妻に対し、レバノンから一緒に降りて来なさいと言っている。
レバノンは誇り高い山々で、堂々としたレバノン杉が生えている。そのプライド高いところから、一緒に降りよう、と。
 
さらに6節においては、影が消える頃までに、没薬の山、乳香の丘に行こうとある。
 
物薬と乳香と言えば、クリスマスにおいて、キリストに与えられたものであり、キリストの性質をあらわす。
だから夫たるものは、家に帰るときに身に付けるべきは、キリストの香り、キリストの性質である。
 
没薬は強い殺菌力と香りを持つもので、腐ることを防止する薬として用いられて来た。また乳香は甘い香りがし、神に薫香を捧げる時に用いられ、また王が用いるものである。
だから夫が、家に入る時、その直前に、これから没薬を、すなわち腐らない愛を身に付け、そして妻に対して甘い愛の 香りを、また王として、神に捧げる香りを身につけてから家に入るのだ。
 
だからたとえば、夫婦の間に争いがあって、お互いが「相手が謝らないと絶対に赦さない」となった時、先に降りるべきは、男性の方である。
男性が「理にかなっていない」と思っても、日が沈む前に没薬の山、乳香の丘に行き、夜、玄関前にたった時、決して腐らない愛を、また甘い愛の香りを身に着けてから玄関に入り、そして言うのである。
 
4:7 わが愛する者よ、あなたはことごとく美しく、少しのきずもない。
4:8 わが花嫁よ、レバノンからわたしと一緒にきなさい、レバノンからわたしと一緒にきなさい。アマナの頂を去り、セニルおよびヘルモンの頂を去り、ししの穴、ひょうの山を去りなさい。
 
もう、レバノンの高ぶりから「いっしょに」降りよう、ライオンの、ひょうの性質から、一緒に去ろう、と。
このように男性が家庭を平和へとリードして行くのである。
 
いずれにしても、妻が夫に従うことと、夫が妻をアガペーで愛する事は、ただキリストにあってできることである。
私達がキリストに従順し、妻も、夫も、自分の伴侶に対して整えるならば、その結婚生活はとても素晴らしいものになって行くのである。

しみやしわやそういった類の一切無い花嫁となるために(雅歌書4:1-8)
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前回は、いよいよ花嫁は花婿の豪華な車に迎えられ、花婿の家へと嫁いでいく様子が記されていた。
 
4:1 わが愛する者よ、見よ、あなたは美しい、見よ、あなたは美しい。あなたの目は、顔おおいのうしろにあって、はとのようだ。あなたの髪はギレアデの山を下る/やぎの群れのようだ。
4:2 あなたの歯は洗い場から上ってきた/毛を切られた雌羊の群れのようだ。みな二子を産んで、一匹も子のないものはない。
4:3 あなたのくちびるは紅の糸のようで、その口は愛らしい。あなたのほおは顔おおいのうしろにあって、ざくろの片われのようだ。
 
ここでは花嫁は顔おおい(ベール)をつけていた。
ベールは、自分と世とを隔てる壁であり、未婚の女性は、世のあらゆる男性に対してかけられ、そして自分の花婿となる男性に対しても、かけられた状態であった。
しかしいよいよ結婚において花婿と花嫁の誓約が成立したとき、そのベールは花婿によって取り除かれる。
そして新婚初夜の時、二人は奥の間へと入って行き、夫によってさらなるベールが取り除かれ、もはや二人には何の隔てもなくなり、一体となる。
 
このように本来、二人が一つになるまで、世と自分自身に対して、隔ての壁なすべきであり、そ してそれが、やがてきたるべき花婿のために、花婿によって取り除けられ、そしてやがては、顔と顔とを合わせて花婿と花嫁とは、奥の間において対面することになる。
 
これは、キリストと教会を表している。
私たちは今、花嫁修行中で、キリストと顔と顔と合わせて会いたいしている状態ではまだない。
しかしやがて、すべての覆いが取り除けられ、キリストご自身と、顔と顔と合わせて対面する時がやってくる。第一コリント13:12
 
その時に至るまで、花嫁が世と自分自身とを隔て、他のどんな男に対しても覆い隠すように、私たちもキリスト以外に自分を晒したり、頼りするものがあってはならない。
私たちも自分自身を覆うべきであり、私たち自身が、キリストに対して純潔を守り、時至って花婿であるイエス様に覆いを取り除けていただくのを待たなくてはならない。
 
今日本においては、結婚前までに、未来の旦那さん以外に純潔を守ると言う事は軽んじられてはいるが、結婚前に他の男に全てをさらし、大切なものを開いてしまうと言うことがあるから、今まさに結婚関係が破壊されている状態である。
夫以外に、妻以外に純潔を守ろうと言うことを軽んじる人は、必ず恋愛結婚関係で問題が起き、特に子供たちに被害が及ぶ。
 
今日の箇所では、花婿は花嫁と相対して、あらゆるところを褒めそやしている。
 
4:4 あなたの首は武器倉のために建てた/ダビデのやぐらのようだ。その上には一千の盾を掛けつらね、みな勇士の大盾である。
4:5 あなたの両乳ぶさは、かもしかの二子である二匹の子じかが、ゆりの花の中に草を食べているようだ。
 
彼女は確かに美しいかもしれないが、しかし結婚においては、相手の女性が必ず下若くて美しいものでなければならない、と言うわけでは無いし、夫も、若々しくカモシカのように力強くなくてはならないと言うわけではならない。外見や年齢や、シミやしわのあるいかんにかかわらず、素晴らしい花嫁になる方法がある。
 
 
エペソ五章に、どうしたらこの花嫁のように、シミやシワやそういった類が一切ないものになれるかが記されている。
皆さんは、傷やシミやシワのない清いものになりた いだろうか。
私たちの体は、歳をとればしみやシワが出てくる。この体のシミやシワは、どんなエステでも対処しようがないが、しかし霊的なシミやシワはキリストによって対処可能である。
キリストの御前に置いて、シミやシワのないものとなるためには、26節と27節に、その秘密が書いてある。
 
すなわち、御言葉と言う水でいつも洗い決まっているならば、どんなに歳をとっても、外見にシミがあっても、その女性は愛らしく美しい。
雅歌書のこの男性が花嫁を褒めそやしているのは、花嫁がまさに、自分自身からシミやシワを取り除くたしなみがあったからである。
 
エペソ五章22節から、花嫁が一体何を身に付けるべきかが記されている。
 
それはすなわち、妻たるもの、教会がキリストに対する立場、夫であるキリ ストに従うこと。
夫は、世の中に出て、戦って、働いて、そして家に帰ってくるが、もし家の中でも、妻との戦いや争いがあるとしたら、いったい男性はいつ、羽を休めることができるだろう。
そのような男性はますます疲れ果て、弱くなって、その弱い様を見た女はますます諍いを吹きかけて、夫は外部の何かに慰めを求めると言う、悪循環に陥っていく。
そして夫は、持ち上げてくれるプロの女性に、お金を払ってでも行くようになってしまう。それ程男性は、敬われる事に飢えているのだ。
だから、妻が夫に対してなすべきは、夫を敬うことと、従うことである。
 
ここで忘れてならないのは、キリストにあってということである。
例えば酒を買って来いとか、礼拝に行くなということにも従うのではなく、キリストにあってと従うということが大事。

 神が教会に求めておられる事(1テサロニケ5:12-28)

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5:12 兄弟たちよ。わたしたちはお願いする。どうか、あなたがたの間で労し、主にあってあなたがたを指導し、かつ訓戒している人々を重んじ、
5:13 彼らの働きを思って、特に愛し敬いなさい。互に平和に過ごしなさい。
5:14 兄弟たちよ。あなたがたにお勧めする。怠惰な者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。
5:15 だれも悪をもって悪に報いないように心がけ、お互に、またみんなに対して、いつも善を追い求めなさい。
5:16 いつも喜んでいなさい。
5:17 絶えず祈りなさい。
5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。
5:19 御霊を消してはいけない。
5:20 預言を軽んじてはならない。
5:21 すべてのものを識別して、良いものを守り、
5:22 あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。
5:23 どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。
5:24 あなたがたを召されたかたは真実であられるから、このことをして下さるであろう。
5:25 兄弟たちよ。わたしたちのためにも、祈ってほしい。
5:26 すべての兄弟たちに、きよい接吻をもって、よろしく伝えてほしい。
5:27 わたしは主によって命じる。この手紙を、みんなの兄弟に読み聞かせなさい。
5:28 わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたと共にあるように。
 

 

主との約束を反故にする者の災い(エレミヤ34章)
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主を恐れることによって人は悪を免れる(箴言3:1-12)
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箴言3:1 わが子よ、わたしの教を忘れず、わたしの戒めを心にとめよ。
3:2 そうすれば、これはあなたの日を長くし、命の年を延べ、あなたに平安を増し加える。
3:3 いつくしみと、まこととを捨ててはならない、それをあなたの首に結び、心の碑にしるせ。
3:4 そうすれば、あなたは神と人との前に/恵みと、誉とを得る。
3:5 心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。
3:6 すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
3:7 自分を見て賢いと思ってはならない、主を恐れて、悪を離れよ。
3:8 そうすれば、あなたの身を健やかにし、あなたの骨に元気を与える。
3:9 あなたの財産と、すべての産物の初なりをもって主をあがめよ。
3:10 そうすれば、あなたの倉は満ちて余り、あなたの酒ぶねは新しい酒であふれる。
3:11 わが子よ、主の懲らしめを軽んじてはならない、その戒めをきらってはならない。
3:12 主は、愛する者を、戒められるからである、あたかも父がその愛する子を戒めるように。

箴言16:1 心にはかることは人に属し、舌の答は主から出る。
16:2 人の道は自分の目にことごとく潔しと見える、しかし主は人の魂をはかられる。
16:3 あなたのなすべき事を主にゆだねよ、そうすれば、あなたの計るところは必ず成る。
16:4 主はすべての物をおのおのその用のために造り、悪しき人をも災の日のために造られた。
16:5 すべて心に高ぶる者は主に憎まれる、確かに、彼は罰を免れない。
16:6 いつくしみとまことによって、とがはあがなわれる、主を恐れることによって、人は悪を免れる。

盲目に生まれついたのは神のわざがあらわれるため(ヨハネ9:1-7)
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ヨハネ9:1 イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。
9:3 イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神の「みわざ(エルゴン)」が、彼の上に現れるためである。
9:4 わたしたちは、わたしをつかわされたかたの「わざ(エルゴン)」を、昼の間に「しなければ(エルガゾマイ)」ならない。夜が来る。すると、だれも「働け(エルガゾマイ)」なくなる。

ヨハネ6:28 そこで、彼らはイエスに言った、「神のわざを行うために、わたしたちは何をしたらよいでしょうか」。
6:29 イエスは彼らに答えて言われた、「神がつかわされた者を信じることが、神のわざである」。

ルカ16:25 アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。

ヤコブ2:14 わたしの兄弟たちよ。ある人が自分には信仰があると称していても、もし「行い(エルゴン)」がなかったら、なんの役に立つか。その信仰は彼を救うことができるか。
2:17 信仰も、それと同様に、「行い(エルゴン)」を伴わなければ、それだけでは死んだものである。

ヨハネ9:5 わたしは、この「世(コスモス)」にいる間は、「世(コスモス)」の光である」。
9:6 イエスはそう言って、地につばきをし、そのつばきで、どろをつくり、そのどろを盲人の目に塗って言われた、

創世記2:7 主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。

9:7 「シロアム(「つかわされた者:アポステロー」、の意)の池に行って洗いなさい」。そこで彼は行って洗った。そして見えるようになって、帰って行った。

マルコ3:13 さてイエスは山に登り、みこころにかなった者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとにきた。
3:14 そこで十二人をお立てになった。彼らを自分のそばに置くためであり、さらに宣教に「つかわし:アポステロー」、
3:15 また悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。

ローマ10:14 しかし、信じたことのない者を、どうして呼び求めることがあろうか。聞いたことのない者を、どうして信じることがあろうか。宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか。
10:15 「つかわされなくては:アポステロー」、どうして宣べ伝えることがあろうか。「ああ、麗しいかな、良きおとずれを告げる者の足は」と書いてあるとおりである。

ローマ10:9 すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。
10:10 なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。
10:11 聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。

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