メッセージ - 201901のエントリ

あなたの光とまこととでわたしを迎え、聖なる山へ連れて行ってください(詩篇43篇)
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詩篇43篇の内容は、42篇と同様、悪しき者の支配で礼拝が遠ざけられ苦しんでいる人の祈りである。
42篇の祈りの内容は、悪しき者に虐げられ礼拝が妨げられた状態のうめき、あえぎを主に訴える祈りであったのに対し、43篇になると、そのような悪しき者を主に訴える「攻撃的な祈り」に転じている。

詩篇43:1 神よ、わたしをさばき、神を恐れない民にむかって、わたしの訴えをあげつらい、たばかりをなすよこしまな人から/わたしを助け出してください。
43:2 あなたはわたしの寄り頼む神です。なぜわたしを捨てられたのですか。なぜわたしは敵のしえたげによって/悲しみ歩くのですか。

悪しき者によって大上段から虐げられる時、あたかも、彼らの方が分があって私達の側に非があるかのように思わせられるが、欺かれてはならない。
「神の民」は、「神を恐れない民」「たばかりをなすよこしまな人」からの、不当な虐げに対しては立ち向かうべきであり、礼拝から離れさせる状況、あるいは人は、主へと訴えるべきだ。
しかしこのような悪しき者が力を奮って支配している状況で、悪しき者をじっと見続け、その事を思い巡らし続けているなら、どんどん心が病んでしまう。

詩篇73:1 神は正しい者にむかい、心の清い者にむかって、まことに恵みふかい。
73:2 しかし、わたしは、わたしの足がつまずくばかり、わたしの歩みがすべるばかりであった。
73:3 これはわたしが、悪しき者の栄えるのを見て、その高ぶる者をねたんだからである。

詩篇73篇の作者・アサフは、悪しき者が豪勢な暮らしぶりをして栄えている様を、じっと見た結果、どんどん心が病んで行ってしまった。
私達も、悪しき者に目を留め続けるとするなら、そのようになってしまう。

詩篇73:4 彼らには苦しみがなく、その身はすこやかで、つやがあり、
73:5 ほかの人々のように悩むことがなく、ほかの人々のように打たれることはない。
73:6 それゆえ高慢は彼らの首飾となり、暴力は衣のように彼らをおおっている。
73:7 彼らは肥え太って、その目はとびいで、その心は愚かな思いに満ちあふれている。
73:8 彼らはあざけり、悪意をもって語り、高ぶって、しえたげを語る。
73:9 彼らはその口を天にさからって置き、その舌は地をあるきまわる。
73:10 それゆえ民は心を変えて彼らをほめたたえ、彼らのうちにあやまちを認めない。
73:11 彼らは言う、「神はどうして知り得ようか、いと高き者に知識があろうか」と。
73:12 見よ、これらは悪しき者であるのに、常に安らかで、その富が増し加わる。

世の中に目を向けると、確かに、悪しき者がはびこって、何ら罰を受ける事なく、栄えているのを見る。
アサフはそれをじっと見、思い巡らし、研究した結果、それをすればするほどに、心が病んで行った。

詩篇73:13 まことに、わたしはいたずらに心をきよめ、罪を犯すことなく手を洗った。
73:14 わたしはひねもす打たれ、朝ごとに懲らしめをうけた。
73:15 もしわたしが「このような事を語ろう」と言ったなら、わたしはあなたの子らの代を誤らせたであろう。
73:16 しかし、わたしがこれを知ろうと思いめぐらしたとき、これはわたしにめんどうな仕事のように思われた。

アサフは、自分が主の御前で正しくきよく歩み続けた事を、「いたずらに」「めんどうな仕事」と言って、子らの代を誤った道へ導いてしまう危険もはらむほどになった。
しかし17節で、アサフは転換点を迎える。

詩篇73:17 わたしが神の聖所に行って、彼らの最後を悟り得たまではそうであった。

アサフの転換点、それは、神の聖所へ入った事だ。
神の聖所、すなわち礼拝を捧げる所に入り、神の視点の理解に至る時、全ての煩いがクリヤされる。

詩篇73:18 まことにあなたは彼らをなめらかな所に置き、彼らを滅びに陥らせられる。
73:19 なんと彼らはまたたくまに滅ぼされ、恐れをもって全く一掃されたことであろう。
73:20 あなたが目をさまして/彼らの影をかろしめられるとき、彼らは夢みた人の目をさました時のようである。

彼は、神の聖所における神との交わりにおいて悪しき者の最後をさとり、健全なる神の道を歩んでいた自分は正しかったのだと、一瞬で悟ったのだ。
そして、悪どい者に目を向け続けていた自分こそ、獣のような者であったと気づき、告白している。

詩篇73:21 わたしの魂が痛み、わたしの心が刺されたとき、
73:22 わたしは愚かで悟りがなく、あなたに対しては獣のようであった。
73:23 けれどもわたしは常にあなたと共にあり、あなたはわたしの右の手を保たれる。
73:24 あなたはさとしをもってわたしを導き、その後わたしを受けて栄光にあずからせられる。
73:25 わたしはあなたのほかに、だれを天にもち得よう。地にはあなたのほかに慕うものはない。
73:26 わが身とわが心とは衰える。しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である。
73:27 見よ、あなたに遠い者は滅びる。あなたは、あなたにそむく者を滅ぼされる。
73:28 しかし神に近くあることはわたしに良いことである。わたしは主なる神をわが避け所として、あなたのもろもろのみわざを宣べ伝えるであろう。

このように神の聖所へ入り、主を礼拝する事によって、悪しき者に心乱される事から救われ、主の栄光に預かり、そして天においても地においても全てを超えておられる主こそが自分のゆずりである、と、霊において一瞬にして癒やされ、健全にされた。

私達は、悪しき者を見つめたり研究したりしてはならない。
ソロモンは「人の悪や愚かさ」を研究し、分類し、調べ見極めようとした結果、悪や愚かさに飲み込まれてしまった。(伝道者の書7:21-25)
彼が植物や自然を研究している内はまだ良かった。それらは主が創られたものであり、じっくり見るなら見る程癒されるものだが、罪深い人や愚かな人は、一緒に居れば居る程、調べれば調べる程、病むものだ。
私達がじっと目を留め続けるべきは、進行の創始者であり完成者であられるイエス様であり、そして主の御言葉をこそ研究すべきである。

詩篇43:3 あなたの光とまこととを送ってわたしを導き、あなたの聖なる山と、あなたの住まわれる所に/わたしをいたらせてください。(O send out thy light and thy truth: let them lead me; let them bring me unto thy holy hill, and to thy tabernacles. )

詩篇43篇の作者は祈っている。
あの聖なる山へ、主の住まいへと、私を連れて行ってください、「主の光とまこと」という車で迎えに来て、神とわたしとが出会うあの聖なる山まで、わたしを連れて行ってくれますように、と。

43:4 その時わたしは神の祭壇へ行き、わたしの大きな喜びである神へ行きます。神よ、わが神よ、わたしは琴をもってあなたをほめたたえます。

神の祭壇は、犠牲を捧げる所、自分を捧げる所である。
神は霊とまことをもって礼拝する礼拝者を求めておられ、からだ全体(ソーマ:肉体、魂、霊)を捧げる礼拝を捧げるべきである。(ローマ12:1-2)

そして、自分のたましいに向かって、言い聞かせるのである。

43:5 わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。

健全なる主から目を離し、悪者に目を向け続けるなら、どんどん病んで行ってしまう。
しかし、いかなる状況であっても、聖所に入り、主との交わりに入るなら、全てを超越しておられる主から、全てを超越した助けと解決をいただけるのである。

人の中に御言葉の種が入った時に働く主イエスの莫大な力(1テサロニケ2:13-20)
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1テサロニケ2:13 これらのことを考えて、わたしたちがまた絶えず神に感謝しているのは、あなたがたがわたしたちの説いた神の言を聞いた時に、それを人間の言葉としてではなく、神の言として――事実そのとおりであるが――受けいれてくれたことである。そして、この神の言は、信じるあなたがたのうちに働いているのである。

1ペテロ1:23 あなたがたが新たに生れたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変ることのない生ける御言によったのである。
1:24 「人はみな草のごとく、/その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ、/花は散る。
1:25 しかし、主の言葉は、とこしえに残る」。これが、あなたがたに宣べ伝えられた御言葉である。

1ペテロ1:6 そのことを思って、今しばらくのあいだは、さまざまな試錬で悩まねばならないかも知れないが、あなたがたは大いに喜んでいる。
1:7 こうして、あなたがたの信仰はためされて、火で精錬されても朽ちる外はない金よりもはるかに尊いことが明らかにされ、イエス・キリストの現れるとき、さんびと栄光とほまれとに変るであろう。

1テサロニケ2:14 兄弟たちよ。あなたがたは、ユダヤの、キリスト・イエスにある神の諸教会にならう者となった。すなわち、彼らがユダヤ人たちから苦しめられたと同じように、あなたがたもまた同国人から苦しめられた。

マタイ5:10 義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
5:11 わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。
5:12 喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。

1テサロニケ2:15 ユダヤ人たちは主イエスと預言者たちとを殺し、わたしたちを迫害し、神を喜ばせず、すべての人に逆らい、
2:16 わたしたちが異邦人に救の言を語るのを妨げて、絶えず自分の罪を満たしている。そこで、神の怒りは最も激しく彼らに臨むに至ったのである。

ヨハネ8:43 どうしてあなたがたは、わたしの話すことがわからないのか。あなたがたが、わたしの言葉を悟ることができないからである。
8:44 あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。
8:45 しかし、わたしが真理を語っているので、あなたがたはわたしを信じようとしない。
8:46 あなたがたのうち、だれがわたしに罪があると責めうるのか。わたしは真理を語っているのに、なぜあなたがたは、わたしを信じないのか。
8:47 神からきた者は神の言葉に聞き従うが、あなたがたが聞き従わないのは、神からきた者でないからである」。

1テサロニケ2:17 兄弟たちよ。わたしたちは、しばらくの間、あなたがたから引き離されていたので――心においてではなく、からだだけではあるが――なおさら、あなたがたの顔を見たいと切にこいねがった。
2:18 だから、わたしたちは、あなたがたの所に行こうとした。ことに、このパウロは、一再ならず行こうとしたのである。それだのに、わたしたちはサタンに妨げられた。
2:19 実際、わたしたちの主イエスの来臨にあたって、わたしたちの望みと喜びと誇の冠となるべき者は、あなたがたを外にして、だれがあるだろうか。
2:20 あなたがたこそ、実にわたしたちのほまれであり、喜びである。

雅歌書講解説教
まことの主人からさらに優れた飾りで飾られるために(雅歌1:10-17)
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雅歌書には男女の愛が記されており、特に1章では、新婚の若者らしい本当にみずみずしい愛が記されている。
前回は、花嫁は自分がぶどう畑の見張りに無理やりにさせられ、黒くなってしまった、と嘆いたが、しかし花婿の評価は「美しい」、と言うものだった。
そして、わたしがどこにいるかを知りたいなら、羊達の足跡についてきなさいと。
私たちもイエス様の羊たちの後について行って、まことの羊飼いイエス様の傍で、イエス様に言われた通りに雌やぎを飼う。そのように、御声に聴き従って従順して行くなら、ますます花婿との関係は良好になって行き、花婿はますます良いものをプレゼントしてくれるようになる。
花嫁が、花婿の御声について言ったならば、9節の言葉が与えられる。

雅歌1:9 わが愛する者よ、わたしはあなたをパロの車の雌馬になぞらえる。
自分の愛する女性を、とてもたくましく、筋肉が隆々としているパロの戦車馬になぞらえるのは、ちょっと不思議に聞こえるかもしれない。
この「パロの戦車」は、よく訓練され、とても従順である。出エジプト記を見ると、パロの戦車馬は、火の柱が立っていても、紅海の水が割れても、それでも、パロの命令に従って飛び込んでいった。
主人が「行け」と言えば行き、飛び込めと言えば飛び込んでいくほどに、よく訓練され、いらない身勝手さも削ぎ落とされ、忠実に主人の声の通りに行っていくのが、パロの馬である。
この花婿が「パロの雌馬になぞらえよう」と言ったのは、この女性は、よほど主人に対する従順さが成長している様を褒めそやしたのだろう。

女性が筋肉隆々でたくましい事も、ある種の美しさはある。
腹筋、背筋を鍛える事にはいくらかの有益はあるが、男性である主人に喜ばれる筋肉は、「聞き従う筋」のたくましさである。
「主人の声に従順であること」において鍛えられて行く事こそ、私達の主人イエス様が、私達・花嫁へ求めておられる事である。
主の御声によく聴き従う、主人に服従することにおいて鍛えられて行くなら、どんどん主からの寵愛を受けるようになっていく。しかし従順さが衰えてしまっているなら、どんどん主の寵愛から離れて行ってしまう。

従順である花嫁に対し、花婿はさらに優れたアクセサリーをプレゼントをする。

雅歌1:10 あなたのほおは美しく飾られ、あなたの首は宝石をつらねた首飾で美しい。
1:11 われわれは銀を散らした金の飾り物を、あなたのために造ろう。

彼女は、黒かっただろうし、ある程度の筋肉がついていただろう。しかし花婿は、そんな彼女を、オーダーメイドの飾りで、飾らせてくださった。
従順の度合いが進んで行くにつれて、さらにさらに優れたプレゼントが与えられるのだ。

女性が、男性にとっての喜びとなるためには、自分の好きな飾りを身につけるのではなく、相手の男性から贈られたアクセサリー、男性の好みに合ったアクセサリーを、身につける事だ。
もし贈られても、それを身に付けないなら、相手の男性を重んじていない事になる。

主が私たちに下さるアクセサリーは、皆、主の目に慕わしくなるための「御言葉」の飾りである。

1テモテ2:9-10 また、女はつつましい身なりをし、適度に慎み深く身を飾るべきであって、髪を編んだり、金や真珠をつけたり、高価な着物を着たりしてはいけない。むしろ、良いわざをもって飾りとすることが、信仰を言いあらわしている女に似つかわしい。

私たちは、御言葉で飾るべきであって、世の言葉を飾るべきではない。
私達が御言葉によって飾られるならば、次はますます素晴らしいプレゼントを用意し、どんどん飾りをつけさせてくださる。もし、世の癖、手癖、悪い癖を身につけるならば、そんなものを身に付けたものを、主は、喜ばれない。
もし主が私たちに「御言葉を覚えなさい」と言う「首飾り」が与えられたならば、それを身に付けるべきであり、この行いをしなさい、と言う飾り輪が与えられたなら、それを身に付けるべきだ。

私達が主の御言葉を、どこに飾るべきかが、申命記に記されている。

申命記6:6 きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、
 6:7 努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。
 6:8 またあなたはこれをあなたの手につけてしるしとし、あなたの目の間に置いて覚えとし、
 6:9 またあなたの家の入口の柱と、あなたの門とに書きしるさなければならない。

すなわち、主から与えられた御言葉という飾りは、心に、子どもたちに、手に、目の間に、そして家の入り口の柱、門に置くのであり、そしてその飾りは、家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、身に着けておくべきものである。

花婿は花嫁の何を慕っているか。
雅歌1:10 あなたのほおは美しく飾られ、あなたの首は宝石をつらねた首飾で美しい。
花婿は、あなたの頬や首は、自分が贈った飾りがついてあるから、美しいと言っている。男性の喜びとは、相手の女性が、自分が贈った飾りを身に着けている事である。
私達も、花婿である主の御前で、自分好みの自前の飾りは外し、主が飾らせてくださる「良き技」「従順」と言う飾り輪を身につけて行くならば、どんどん整えられ、美しく、主から仕立て上げられていく。
続いて、12節以降は、花嫁の側の言葉である。

雅歌1:12 王がその席に着かれたとき、わたしのナルドはそのかおりを放った。
1:13 わが愛する者は、わたしにとっては、わたしの乳ぶさの間にある没薬の袋のようです。

女性の乳房の間は、何人たりとも侵入を許さないところである。
ただ、本当に愛する男性へ、あるいは、本当に愛らしい赤ちゃん以外には、決して明け渡さないところである。
良くない女性は、平気で乳房を他にあらわにしたりする。しかし神の民はそうではない。本当に守るべきところは、守るのだ。
この乳房の間に宿るナルドは、何人たりとも手出しのできない尊い香りで、わたしの愛する方はそのように、何者にも嗅がせたくない尊い香りだ、と言っている。

また没薬とは、物を腐らせないようにする薬であり、良い香りを放つ。
自分の、愛する方へ捧げる愛を、没薬によって腐らせず、いつでもみずみずしい、新鮮な、状態に保っていたい。
そのような願いをもって、彼女は没薬の袋を、乳房の間に忍ばせていて、私の愛する方は、このようなお方です、と言っている。
本当に大切な大切な、他の物には侵入生中さらないところに入れて、あなたに対する愛は、いつまでも腐らないようにしておきたい、と言う願いが込められているのだ。

雅歌1:14 わが愛する者は、わたしにとっては、エンゲデのぶどう園にあるヘンナ樹の花ぶさのようです。愛する方は、この乳房の間に宿る、物薬の袋のよう。
私たちも、主に対する従順を、服従、愛を、いつまでも新鮮に保ち、それを、何人たりとも侵入を許さない状態に保つようにするべきだ。
主人が飾ってくださる贈り物を、しっかりと身に付ける歩みをしていくならば、主との愛し愛される関係はどんどん成熟し、どんどん親密になっていく。

雅歌1:15 わが愛する者よ、見よ、あなたは美しい、見よ、あなたは美しい、あなたの目ははとのようだ。
花婿は感嘆詞をもって花嫁を褒め讃えている。目は鳩のようだ、と。
他の箇所では「蛇のようにさとく、鳩のように素直でありなさい」とあるが、鳩は素直さの象徴である。
私達は主に対し、鳩のような愛らしい素直な瞳をもって見つめ、聴き従う心を持つべきである。

花嫁は、この褒めそやす声に対し、16節と17節で言っている。

雅歌1:16 わが愛する者よ、見よ、あなたは美しく、まことにりっぱです。わたしたちの床は緑、
1:17 わたしたちの家の梁は香柏、そのたるきはいとすぎです。
この長椅子(エレス:床)とは、カウチのような、ベッドのようなところである。
青々としている(ラアナン)とは、強く盛んな、あるいは、みずみずしい、春の木々のようによく茂っている事である。

新婚の夫婦のベッド、そこは夫婦が一つとなり、産んで増えて地に満ちていく営みをする所である。
そこが、春の木々のように茂っていくかのように。
私達も、イエス様とますます一つとなり、十字架のイエス様の懐深くにおさまって、イエス様の死と一つとなり、イエス様の復活と同様に復活され、主イエス様のいのちを、産んで増えて地に満ちていくための活動をしていくのである。

確かに新婚の男女にとっては、世界の全てのものがバラ色のようになったような気もするが、これは、私達と主との関係においても同じである。
主に愛し、主に愛されている関係であるなら、世界がとても変わったものに見える。
何もかも美しく、みずみずしく、若々しく育っていく。

主の御声に聴き従って歩んでいくならば、どんどん主から飾らされ、美しくされ、鷲のように若々しくされていく。
アブラハムとサラの夫婦は、100歳と90歳であったが、しかし子供を生み出す力が与えられ、また、サラは89歳であったにもかかわらず、美しさのゆえに、異邦の王に略奪結婚させられてしまった。
そのようなことが実際に起きる。

イエス様との関係が、結婚したばかりの男女のようにみずみずしく、若々しくなっていき、ますます主から飾られ美しくされていく皆さんでありますように!
主から与えられた言葉を、喜んで自分の心・思い・手のわざへと飾りつけ、主の喜びとされて、ますます優れた飾りで飾られていく皆さんでありますように!
麗しい方、イエス様のお名前によって祝福します!

早天礼拝
悔い改めに相応しい実を態度で示せ(ヨハネ7:24-35)
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ルカ7:24 ヨハネの使が行ってしまうと、イエスはヨハネのことを群衆に語りはじめられた、「あなたがたは、何を見に荒野に出てきたのか。風に揺らぐ葦であるか。
7:25 では、何を見に出てきたのか。柔らかい着物をまとった人か。きらびやかに着かざって、ぜいたくに暮している人々なら、宮殿にいる。
7:26 では、何を見に出てきたのか。預言者か。そうだ、あなたがたに言うが、預言者以上の者である。
7:27 『見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの前に、道を整えさせるであろう』と書いてあるのは、この人のことである。
7:28 あなたがたに言っておく。女の産んだ者の中で、ヨハネより大きい人物はいない。しかし、神の国で最も小さい者も、彼よりは大きい。
7:29 (これを聞いた民衆は皆、また取税人たちも、ヨハネのバプテスマを受けて神の正しいことを認めた。
7:30 しかし、パリサイ人と律法学者たちとは彼からバプテスマを受けないで、自分たちに対する神のみこころを無にした。)
7:31 だから今の時代の人々を何に比べようか。彼らは何に似ているか。
7:32 それは子供たちが広場にすわって、互に呼びかけ、『わたしたちが笛を吹いたのに、あなたたちは踊ってくれなかった。弔いの歌を歌ったのに、泣いてくれなかった』と言うのに似ている。
7:33 なぜなら、バプテスマのヨハネがきて、パンを食べることも、ぶどう酒を飲むこともしないと、あなたがたは、あれは悪霊につかれているのだ、と言い、
7:34 また人の子がきて食べたり飲んだりしていると、見よ、あれは食をむさぼる者、大酒を飲む者、また取税人、罪人の仲間だ、と言う。
7:35 しかし、知恵の正しいことは、そのすべての子が証明する」。

ネヘミヤ8:5 エズラはすべての民の前にその書を開いた。彼はすべての民よりも高い所にいたからである。彼が書を開くと、すべての民は起立した。
8:6 エズラは大いなる神、主をほめ、民は皆その手をあげて、「アァメン、アァメン」と言って答え、こうべをたれ、地にひれ伏して主を拝した。
 

早天礼拝
主が報いてくださる故に(1ペテロ5:1-11)
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1ペテロ5:1 そこで、あなたがたのうちの長老たちに勧める。わたしも、長老のひとりで、キリストの苦難についての証人であり、また、やがて現れようとする栄光にあずかる者である。
5:2 あなたがたにゆだねられている神の羊の群れを牧しなさい。しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき利得のためではなく、本心から、それをしなさい。
5:3 また、ゆだねられた者たちの上に権力をふるうことをしないで、むしろ、群れの模範となるべきである。
5:4 そうすれば、大牧者が現れる時には、しぼむことのない栄光の冠を受けるであろう。
5:5 同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。また、みな互に謙遜を身につけなさい。神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜うからである。
5:6 だから、あなたがたは、神の力強い御手の下に、自らを低くしなさい。時が来れば神はあなたがたを高くして下さるであろう。
5:7 神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。
5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。
5:9 この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。あなたがたのよく知っているとおり、全世界にいるあなたがたの兄弟たちも、同じような苦しみの数々に会っているのである。
5:10 あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう。
5:11 どうか、力が世々限りなく、神にあるように、アァメン。

マタイ24:42 だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。
24:43 このことをわきまえているがよい。家の主人は、盗賊がいつごろ来るかわかっているなら、目をさましていて、自分の家に押し入ることを許さないであろう。
24:44 だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。
24:45 主人がその家の僕たちの上に立てて、時に応じて食物をそなえさせる忠実な思慮深い僕は、いったい、だれであろう。
24:46 主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、さいわいである。
24:47 よく言っておくが、主人は彼を立てて自分の全財産を管理させるであろう。
24:48 もしそれが悪い僕であって、自分の主人は帰りがおそいと心の中で思い、
24:49 その僕仲間をたたきはじめ、また酒飲み仲間と一緒に食べたり飲んだりしているなら、
24:50 その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰ってきて、
24:51 彼を厳罰に処し、偽善者たちと同じ目にあわせるであろう。彼はそこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。

黙示録22:10 またわたしに言った、「この書の預言の言葉を封じてはならない。時が近づいているからである。
22:11 不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ」。
22:12 「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。
22:13 わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。
22:14 いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。
22:15 犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている。

 ※ この日は、林/川合牧師がカンボジアへ出張する関係で、横浜天声キリスト教会では小林伝道師が、成田エクレシアでは林パスターが礼拝の担当をしました。そこで今回は、横浜の礼拝をYoutube動画で、成田エクレシア礼拝は文書でメッセージをお分かちします。

横浜天声キリスト教会主日礼拝「主の器をになう者の品性−あなたの隣人を愛しなさい(ルカ10:25-37)」
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成田エクレシア主日礼拝「思い巡らすことばを管理せよ(2コリント10:4-6)」

前回、サタンがダビデにイスラエルの兵力を数えさせようという思いを吹き込み、ダビデはそれに乗ってしまって、イスラエルに災いをもたらした所を見た(1歴21:1)。もし悪魔がキリスト者を操るとするなら、それは、キリスト者の中に生じた欲につけこんで「偽り」を信じこませる事によって、である。だから、私達の戦いの領域は「思い」の中にこそある。サタンは人の思いに偽りを吹き込んで、人を操るため、今回は特に、思い巡らす内容を管理する事の重要性と、思いの領域に投げかけて来るサタンの攻撃に対処する術を学びたい。
 
  私達の思いの中には常時、何かの「言葉」が電光掲示板のように流れているが、その思い巡らす言葉の内容を、管理し、支配すべきだ。なぜなら私達は、内外に流れる「ことば」に影響を受けながら「人となり」が形成されて行くからだ。サウル王は、健全な主の言葉に耳を傾けず、気分に流されるまま、「妬み」「怒り」「殺意」など、サタン好みの言葉をいつも思いの中に流し続け、それに浸し込まれていたため、どんどんサタンの性質を帯びるようになり、滅びの性質をどんどん身につけ、やがて、自分の身を滅ぼしてしまった。
 『サウルはギベアで、やりを手にもって・・・おり、家来たちはみなそのまわりに立っていた。』(2サム22:6)
 ここではサウルの人格の崩れ度合いが、かなり進行している。槍は人を殺める武器で、サタンなど敵に用いるべきなのに、部下を威圧するため、あるいは気に食わない者に投げつけるため、いつも手にしていた。
 『あなたがたは皆共にはかってわたしに敵した。…わたしの子がわたしの僕をそそのかしてわたしに逆らわせ、道で彼がわたしを待ち伏せするようになっても、わたしに告げる者はない。』(8節) 彼はすごい被害妄想に憑かれている。誰も心配してくれない、みんな自分に敵対している、と。信仰の逆・「疑い」をいつも抱き続ける人は、こうなってしまい、人が喜び笑う顔を見ると「自分が嘲られた」と思ってしまうものだ。
 サウルは既に、主から王位を退けられたのに、ずっと王座にしがみつき、主に油注がれたダビデを殺そうと付け狙って、いつも主に敵対していた。王座は、自分が座るものではなく、唯一イエス様が座るべき所だ。
もし人が「王座」を主に明け渡さないなら、「王座」に支配され、振り回され、ついに王座に滅ぼされてしまう。
 
 そういうわけで私達は、思いの中に常時流れている「ことば」を支配・管理すべきだ。人は罪の「とげ」がささっているため、どうしても、不品行や好色、魔術、憤り、党派心、妬みなどを燃え立たせる系の話に弱い。
しかしサウルのように、気分に任せるまま、それらを頭の電光掲示板に流し続けるなら、サタンに似た者、滅びの体質を身につけた者になってしまう。こうした思いが、思いの思考パターン化してしまった「要塞」は、肉に従って戦うとするなら、太刀打ちできない。しかし、その要塞を打ち破る効果てきめんな方法がある。
 『私達の戦いの武器は肉のものではなく、神の為には要塞をも破壊するほどの力あるものである。私達は様々な「議論(ロギスモス:理屈、自分の計算)」を破り、神の知恵に逆らって立てられたあらゆる「障害物(エパイロー:高慢)」を打ち壊し、全ての「思い(ナイマ:謀、所存)」をとりこにしてキリストに服従させ、そしてあなた方が完全に服従した時、全て不従順な者を処罰しようと、用意しているのである。』(2コリ10:3-6)
 すなわち、自分の中で握りしめようとする自分の理屈、計算、御言葉に逆らって立つあらゆる高慢、謀、所存を、全て「逮捕」し、キリストへと連行するのだ。そして私達自身は、キリスト(御言葉)に服従するのだ。
ダビデもよく、「わがたましいよ、主をほめたたえよ」と、自分に言い聞かせた。私達もたましいに言い聞かせ、その服従が完全になる時、全ての不従順を処罰する用意が整い、私達の中の要塞は破壊されるのだ。
 
 結局、全て人生をややこしくし、世界を不幸に陥れている原因は、エデンで食べてしまった「善悪判断」である。自分が王座に座っていたい、自分はこういう所存です、自分の立てた計算に従いなさい、などなど、自分が神のようになりたい欲求は、全て、死へとつながる。私達は御言葉といういのちの木をこそ捕えるべきだ。『知恵は、これを捕える者には命の木である、これをしっかり捕える人は幸いである。』(箴言3:18)
 自分のたましいに言い聞かせる事は、確かに大事だが、いちいちそれをしていると、骨が折れる。
結局一番ラクな方法は、御言葉をそのまま暗記し、自動思考パターン化・行動パターン化させる「テフィリン」である。日本の部活や会社などでは、自分の理屈や所存を持っている人は「できない人」で、昇進しない。いち早くそれを捨て、場の空気に従う人が、ぐんぐん成長する。私達は人の奴隷ではなく天国民である故に、いち早く自分の所存を捨て、御言葉に従う者となり、神の子としてぐんぐん成長する者でありたい。

 

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
神のスーク(囲い)をいただくために(ヨブ記1:6-12)
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心の電光掲示板に流れる言葉を管理せよ(2コリント10:3-6)
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2コリント10:3 わたしたちは、肉にあって歩いてはいるが、肉に従って戦っているのではない。
10:4 わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。わたしたちはさまざまな議論を破り、
10:5 神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ、
10:6 そして、あなたがたが完全に服従した時、すべて不従順な者を処罰しようと、用意しているのである。

1サムエル記22:6 サウルは、ダビデおよび彼と共にいる人々が見つかったということを聞いた。サウルはギベアで、やりを手にもって、丘のぎょりゅうの木の下にすわっており、家来たちはみなそのまわりに立っていた。
22:7 サウルはまわりに立っている家来たちに言った、「あなたがたベニヤミンびとは聞きなさい。エッサイの子もまた、あなたがたおのおのに畑やぶどう畑を与え、おのおのを千人の長、百人の長にするであろうか。
22:8 あなたがたは皆共にはかってわたしに敵した。わたしの子がエッサイの子と契約を結んでも、それをわたしに告げるものはなく、またあなたがたのうち、ひとりもわたしのために憂えず、きょうのように、わたしの子がわたしのしもべをそそのかしてわたしに逆らわせ、道で彼がわたしを待ち伏せするようになっても、わたしに告げる者はない」。

詩篇42:10 わたしのあだは骨も砕けるばかりに/わたしをののしり、ひねもすわたしにむかって/「おまえの神はどこにいるのか」と言う。
42:11 わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。
 

鹿が水の流れを慕うごとく(詩篇42篇)
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詩篇42篇からは詩篇の第二巻にはいる。
詩篇の第二巻のテーマは、開放と贖いについてであり、モーセ五書の出エジプト記に当たる。
モーセ五書は神の命令の書であるが、それに対し詩篇五巻は、律法の生活適用篇で、いかに具体的に日常生活の中で神との関わりを持っていくべきか、このようなケースではどう祈って対処して行くべきか、記されている。
出エジプト記の最初は、奴隷状態にあるイスラエルから始まった。
それと同様、詩篇第二巻も同様に、神の宮から遠く離れて敵に好き放題されている状況から、主を慕いあえいでいる作者の心情吐露の詩によって始まる。

詩篇42篇表題「聖歌隊の指揮者によってうたわせたコラの子のマスキールの歌」

マスキールとは、32篇8節の「悟りを与え」と同じ言葉であり、またアモス書5:13の「賢い者」と同語であることから,「教訓的な」内容の詩篇という理解もある。(聖書注解)
コラの子による、と表題にあるが、学者達の間では、作者はダビデで、サウル王あるいはアブシャロムによって追い回されている状況、とも考えられている。

詩篇42:1 神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ。

作者は、何らかの理由で、主を礼拝する場所・エルサレムから、かなり地にいて、礼拝が出来ない状況の中から、主を礼拝したいという切望があらわれている。
ダビデがアブシャロムに追われている場面であるとするなら、ちょうど第二サムエル記15章の状況であろう。

2サムエル記15:24 そしてアビヤタルも上ってきた。見よ、ザドクおよび彼と共にいるすべてのレビびともまた、神の契約の箱をかいてきた。彼らは神の箱をおろして、民がことごとく町を出てしまうのを待った。
15:25 そこで王はザドクに言った、「神の箱を町にかきもどすがよい。もしわたしが主の前に恵みを得るならば、主はわたしを連れ帰って、わたしにその箱とそのすまいとを見させてくださるであろう。

ダビデはアブシャロムにエルサレムを明渡して都落ちして行くが、彼は信仰によって、必ずこの場所に再び戻り、再び主の箱の前で礼拝が捧げられる事を信じて、箱をエルサレムに戻すように指示した。
彼は、絶望はしていなかった。ただ、全て自分の状況を、全面的に主に委ね、主に望みを置いたのだ。

詩篇42:2 わが魂はかわいているように神を慕い、いける神を慕う。いつ、わたしは行って神のみ顔を/見ることができるだろうか。
42:3 人々がひねもすわたしにむかって/「おまえの神はどこにいるのか」と言いつづける間は/わたしの涙は昼も夜もわたしの食物であった。

ダビデは、アブシャロムから逃げる道すがら、ずっとシムイという者に呪いの言葉を浴びせ続けられ、石を投げられ続けた。
ダビデはその中でも告白している。

2サムエル記16:11 ダビデはアビシャイと彼のすべての家来たちに言った。「見よ。私の身から出た私の子さえ、私のいのちをねらっている。今、このベニヤミン人としては、なおさらのことだ。ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから。
16:12 たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう。」

ダビデは、自分が好き放題に呪われている状況にあっても、全てを見て聞いて知っておられ、そして、やがて正しく報いて下さる主に、全てを委ねた。

詩篇42:4 わたしはかつて祭を守る多くの人と共に/群れをなして行き、喜びと感謝の歌をもって彼らを神の家に導いた。今これらの事を思い起して、わが魂をそそぎ出すのである。

主を喜ぶ兄弟姉妹と一緒に、主の宮にのぼる時のうきうき感は、本当に、主を慕い求めている人にはよくわかる喜びの感覚である。ダビデもまさにそうだったし、全て礼拝する事に喜びを見出す人にはそうである。
そして、その慕い求める主が、礼拝できない時の飢え渇きがいかほどであるか、ちょうど、鹿が、水が無くて谷川を慕い求めるかのような感覚である事も、聖徒達が共有できる感覚である。

42:5 わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。

彼はうなだれ、心は思い乱れている状況であるが、彼自身ではその心の状況を、そのまま放置する事はしていない。
自分のたましいに向かって「神を待ち望め」と言い聞かせている。
確かに心配やいらだちで心乱れている状況では、賛美は到底自分からは出てこない状況だが、そんな状況だからこそ主をほめたたえよう、と、彼は絞り出すように告白している。

私達も自分のたましいを、主にあって支配していくべきである。
乱れた心は、そのまま放置するのではなく、自らのたましいへの言い聞かせによって支配する事が、信仰者には必要だ。なぜなら、信仰告白した内容によって、状況は動くからだ。

詩篇42:6 わが魂はわたしのうちにうなだれる。それで、わたしはヨルダンの地から、またヘルモンから、ミザルの山からあなたを思い起す。
42:7 あなたの大滝の響きによって淵々呼びこたえ、あなたの波、あなたの大波は/ことごとくわたしの上を越えていった。

この詩篇の作者は、体は宮からはなれ、礼拝に参加できないが、彼がいるヘルモンの山々に流れる川や滝から、また昼と夜の諸々の自然現象の中から、主の御手によるわざを見出して、主に心を向け思いを馳せている。

詩篇42:8 昼には、主はそのいつくしみをほどこし、夜には、その歌すなわちわがいのちの神にささげる/祈がわたしと共にある。
42:9 わたしはわが岩なる神に言う、「何ゆえわたしをお忘れになりましたか。何ゆえわたしは敵のしえたげによって/悲しみ歩くのですか」と。
42:10 わたしのあだは骨も砕けるばかりに/わたしをののしり、ひねもすわたしにむかって/「おまえの神はどこにいるのか」と言う。

敵は相変わらず彼を悩ませている状況である。
しかし彼は、昼には主の恵みを覚え、夜には主へと捧げる歌をささげ、主を「わが岩なる神」と言って切に求めている。

主が必ず礼拝の場へと戻してくださる。
その確信を奮い立たせ、そして信仰の宣言で祈りを終わらせる。

詩篇42:11 わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。

主は、主を呼び求める神の民が虐げられたまま放って置かれる事は、なさらない。その祈りを聞き、必ず御手を伸ばして助けてくださる。
出エジプト記がまさにそうであった。
出エジプト記は、主へ叫び求める声を主は聞いてくださり、神の民の敵にさばきを降し、礼拝へと導き、そして、礼拝する場所が建設されて終わった。

神の民は、礼拝する民である。
礼拝の場で、神との出会うことを切望する神の民の呼び声を、主は必ず聞いてくださる。

福音宣教者の動機(1テサロニケ2:1-12)
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