メッセージ - 201810のエントリ

主日礼拝
否定される事への恐れを取り扱われる主(出エジプト記7章-12章)
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週報/メッセージ(説教)概要
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成田エクレシア礼拝 音声

 主の民が、主の敵である不当な者達の下で奴隷となっているのを、主が救い出して下さる箇所が出エジプト記である。主は今の私達も「世」というエジプトから、「サタン」というパロから救い出して下さる。今回も、私達に奴隷を強いる者から、そして、私達自身が身につけてしまった奴隷根性や貧乏ぐせ、縮こまった考え方や、特に今回は、否定される事への恐怖からエクソダス(出エジプト)させて下さる主の導きを学びたい。

主は、恐れて弱気であったモーセを徐々に鍛えられた。彼がパロと対面し、主の言葉を伝える度に、主のわざは誠実に成され、しかしパロはなおも頑固になり、主の民を奴隷として虐げる事を止めず、主を認めない。それで次々と災いに遭って行く。反対に、モーセと神の民は、ますます主にあって自信を得て行く。
結局モーセは、パロとの交渉において9回もパロに断られる。普通、9回も拒否されれば、凹むところだが、この箇所を読んでいると、拒否された所で心のダメージはあまり無く、むしろ「ああ、また拒否した。本当に学習しない人だなあ、今度は主はどんな事を起こされるのだろう」と期待するようになって来る。
私達もそうである。奴隷状態だった時に身に着けてしまった、すぐ凹む心、「どうせ言っても無駄だ」「拒否されたくない」「だから、やらない」「勇気出してやってみた、けどやっぱり拒否された」「また傷が一つ増えた」「もう引き籠もろう」といった心のパターンも、主はその傷を癒やし、回復し、自信をつけさせ、大胆にさせて下さり、ついには、積極的に主の言葉を伝え、主のわざを積極的に為す者へと造り変えてくださる。
主に造り変えられるなら、相手がどんなに断ったとしても、心が傷つけられる事なく、むしろ、主はこの状況をどのように最善へ変えて下さるのだろう、という「期待」を持つようになって行く。モーセがそうだった。
第一の災いの場面においては、主は、モーセが直接対決する形にはせず、兄のアロンに命じる事によって災いを降らせ、怖がり屋のモーセでも、主のわざが出来るようにして下さった。第二の「かえるの災い」では、パロがモーセにかえるを取り除くよう、祈りの要請をするようになり、第三の災いでは、モーセに対抗する呪法師の口から「これは神の指です」と言わせるまでになった。第四・第五の災いは、モーセの言葉によって災いが降るようになり、そして主は、神の民とエジプトとを明確に区別しておられる事を示された。第六の災いでは、呪法師達にも腫物が現れ、彼らはもうモーセと張り合う事を止めた。
第七の「雹の災い」以降、モーセが杖を向ける事によって災いが降るようになって行く。しかも、モーセの警告を聞いて主の言葉を恐れたエジプトの家臣達は、彼らのしもべや家畜たちを避難させたが、主の言葉を心に留めなかった者達は避難させず、甚大な被害を被った。第八の「いなごの災い」の予告場面では、家臣達のほうからパロに進言し、彼らに主に仕えさせて下さい、とお願いするまでになる。
第九の「闇の災い」の時には、パロは「行け。主に仕えよ。ただお前達の羊と牛は、留めておけ。幼子はお前達と一緒に行ってもよい。」と言ったが、モーセは大胆にも「あなた自身が私達の手にいけにえと全焼のいけにえを与えて、私達の神、主に捧げさせなければなりません。私達は家畜もいっしょに連れて行きます。ひづめ一つも残すことはできません。」と交渉をし、それが決裂しても、悠然と退出した。(10:24-29)
そして最後の災いの直前には、主は、エジプトにイスラエルに好意を持つようにされ、モーセもエジプトの民や家臣から非常に尊敬されるようになった。そして最後の災い、エジプトの全ての初子が死ぬ災いを宣言する時、モーセは怒りに燃えてパロの所から出ていき、パロは黙って見送るしか無かった。

このようにモーセは、主の御業を為す事に段々自信を持つようになって行き、最後は、エジプトの民からも尊敬され、そして彼らが出ていく時、ユダヤ人は大胆にエジプト人に金銀財宝をねだり、エジプト人は喜んで彼らに与えた。主はまことに、働き人を段々と力づけ、主の働きをする事に大胆にならせて下さる。
最初、モーセは、「やっても無駄だ」「もっと悪くなった」「もうやりたくない」といった思考パターンだったが、最後には「パロがあんなに拒否してくれたお蔭で、こんなに良くなった」と、むしろ拒否してくれて感謝しているのではないだろうか。それは「主の御業が多くなり、主が真実である事を私達が知るため」だ。(11:9)
私達も、御言葉を行う事ゆえに、夫や妻、子供、友人から拒否されるかもしれない。しかし御言葉を伝えるなら、あとは主が全てを「良し(トーブ)」へと導いて下さるのだ。たとえ拒否されたとしても、むしろ、主はどんな方法の最善へと導いて下さるのだろう、と、希望が湧いてくるのだ。そして私達は、どんどん貧乏根性や縮こまった考えから解放され、勇気づけられ、大胆になって行き、大いに用いられるようになって行く。

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
悪魔との戦いは、相手を殺す戦いではなく、場所取りの戦い(黙示録12:7-11)
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黙示録12:7 さて、天では戦いが起った。ミカエルとその御使たちとが、龍と戦ったのである。龍もその使たちも応戦したが、
12:8 勝てなかった。そして、もはや天には彼らのおる所がなくなった。
12:9 この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。
12:10 その時わたしは、大きな声が天でこう言うのを聞いた、「今や、われらの神の救と力と国と、神のキリストの権威とは、現れた。われらの兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は、投げ落された。
12:11 兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。
12:12 それゆえに、天とその中に住む者たちよ、大いに喜べ。しかし、地と海よ、おまえたちはわざわいである。悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、おまえたちのところに下ってきたからである」。

マタイ12:43 汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからない。
12:44 そこで、出てきた元の家に帰ろうと言って帰って見ると、その家はあいていて、そうじがしてある上、飾りつけがしてあった。
12:45 そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を一緒に引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人ののちの状態は初めよりももっと悪くなるのである。よこしまな今の時代も、このようになるであろう」。

25:6 夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。
25:7 そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを整えた。
25:8 ところが、思慮の浅い女たちが、思慮深い女たちに言った、『あなたがたの油をわたしたちにわけてください。わたしたちのあかりが消えかかっていますから』。
25:9 すると、思慮深い女たちは答えて言った、『わたしたちとあなたがたとに足りるだけは、多分ないでしょう。店に行って、あなたがたの分をお買いになる方がよいでしょう』。
25:10 彼らが買いに出ているうちに、花婿が着いた。そこで、用意のできていた女たちは、花婿と一緒に婚宴のへやにはいり、そして戸がしめられた。
25:11 そのあとで、ほかのおとめたちもきて、『ご主人様、ご主人様、どうぞ、あけてください』と言った。
25:12 しかし彼は答えて、『はっきり言うが、わたしはあなたがたを知らない』と言った。
25:13 だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。


マルコ5:1 こうして彼らは海の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。
5:2 それから、イエスが舟からあがられるとすぐに、けがれた霊につかれた人が墓場から出てきて、イエスに出会った。
5:3 この人は墓場をすみかとしており、もはやだれも、鎖でさえも彼をつなぎとめて置けなかった。
5:4 彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせを砕くので、だれも彼を押えつけることができなかったからである。
5:5 そして、夜昼たえまなく墓場や山で叫びつづけて、石で自分のからだを傷つけていた。
5:6 ところが、この人がイエスを遠くから見て、走り寄って拝し、
5:7 大声で叫んで言った、「いと高き神の子イエスよ、あなたはわたしとなんの係わりがあるのです。神に誓ってお願いします。どうぞ、わたしを苦しめないでください」。
5:8 それは、イエスが、「けがれた霊よ、この人から出て行け」と言われたからである。
5:9 また彼に、「なんという名前か」と尋ねられると、「レギオンと言います。大ぜいなのですから」と答えた。
5:10 そして、自分たちをこの土地から追い出さないようにと、しきりに願いつづけた。
5:11 さて、そこの山の中腹に、豚の大群が飼ってあった。
5:12 霊はイエスに願って言った、「わたしどもを、豚にはいらせてください。その中へ送ってください」。
5:13 イエスがお許しになったので、けがれた霊どもは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れは二千匹ばかりであったが、がけから海へなだれを打って駆け下り、海の中でおぼれ死んでしまった。

コロサイ3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。あなたがたが召されて一体となったのは、このためでもある。いつも感謝していなさい。
3:16 キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。そして、知恵をつくして互に教えまた訓戒し、詩とさんびと霊の歌とによって、感謝して心から神をほめたたえなさい。
3:17 そして、あなたのすることはすべて、言葉によるとわざによるとを問わず、いっさい主イエスの名によってなし、彼によって父なる神に感謝しなさい。
 

死んだはえは聖なる香油を腐らせる(伝道者の書10:1)
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伝道者の書10:1 死んだはえは、香料を造る者の/あぶらを臭くし、少しの愚痴は知恵と誉よりも重い。

出エジプト記30:22 主はまたモーセに言われた、
30:23 「あなたはまた最も良い香料を取りなさい。すなわち液体の没薬五百シケル、香ばしい肉桂をその半ば、すなわち二百五十シケル、におい菖蒲二百五十シケル、
30:24 桂枝五百シケルを聖所のシケルで取り、また、オリブの油一ヒンを取りなさい。
30:25 あなたはこれを聖なる注ぎ油、すなわち香油を造るわざにしたがい、まぜ合わせて、におい油に造らなければならない。これは聖なる注ぎ油である。
30:26 あなたはこの油を会見の幕屋と、あかしの箱とに注ぎ、
30:27 机と、そのもろもろの器、燭台と、そのもろもろの器、香の祭壇、
30:28 燔祭の祭壇と、そのもろもろの器、洗盤と、その台とに油を注ぎ、
30:29 これらをきよめて最も聖なる物としなければならない。すべてこれに触れる者は聖となるであろう。
30:30 あなたはアロンとその子たちに油を注いで、彼らを聖別し、祭司としてわたしに仕えさせなければならない。
30:31 そしてあなたはイスラエルの人々に言わなければならない、『これはあなたがたの代々にわたる、わたしの聖なる注ぎ油であって、
30:32 常の人の身にこれを注いではならない。またこの割合をもって、これと等しいものを造ってはならない。これは聖なるものであるから、あなたがたにとっても聖なる物でなければならない。
30:33 すべてこれと等しい物を造る者、あるいはこれを祭司以外の人につける者は、民のうちから断たれるであろう』」。

1コリント6:19 あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。
6:20 あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。

6:15 あなたがたは自分のからだがキリストの肢体であることを、知らないのか。それだのに、キリストの肢体を取って遊女の肢体としてよいのか。断じていけない。
6:16 それとも、遊女につく者はそれと一つのからだになることを、知らないのか。「ふたりの者は一体となるべきである」とあるからである。
6:17 しかし主につく者は、主と一つの霊になるのである。
6:18 不品行を避けなさい。人の犯すすべての罪は、からだの外にある。しかし不品行をする者は、自分のからだに対して罪を犯すのである。

5:1 現に聞くところによると、あなたがたの間に不品行な者があり、しかもその不品行は、異邦人の間にもないほどのもので、ある人がその父の妻と一緒に住んでいるということである。
5:2 それだのに、なお、あなたがたは高ぶっている。むしろ、そんな行いをしている者が、あなたがたの中から除かれねばならないことを思って、悲しむべきではないか。
5:3 しかし、わたし自身としては、からだは離れていても、霊では一緒にいて、その場にいる者のように、そんな行いをした者を、すでにさばいてしまっている。
5:4 すなわち、主イエスの名によって、あなたがたもわたしの霊も共に、わたしたちの主イエスの権威のもとに集まって、
5:5 彼の肉が滅ぼされても、その霊が主のさばきの日に救われるように、彼をサタンに引き渡してしまったのである。
5:6 あなたがたが誇っているのは、よろしくない。あなたがたは、少しのパン種が粉のかたまり全体をふくらませることを、知らないのか。
5:7 新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたは、事実パン種のない者なのだから。わたしたちの過越の小羊であるキリストは、すでにほふられたのだ。
5:8 ゆえに、わたしたちは、古いパン種や、また悪意と邪悪とのパン種を用いずに、パン種のはいっていない純粋で真実なパンをもって、祭をしようではないか。

詩篇133 ダビデがよんだ都もうでの歌
133:1 見よ、兄弟が和合して共におるのは/いかに麗しく楽しいことであろう。
133:2 それはこうべに注がれた尊い油がひげに流れ、アロンのひげに流れ、その衣のえりにまで流れくだるようだ。
133:3 またヘルモンの露がシオンの山に下るようだ。これは主がかしこに祝福を命じ、とこしえに命を与えられたからである。

詩篇講解説教 早天祈祷会
ジェホバ・ロフェ、ジェホバ・チヅケヌー 牧会学の極意(詩篇23:3)
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詩篇23:3 主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。

この節には、主の御名が2つ練り込まれており、そして牧会学(Ministry Pastoral theology)の極意が詰め込まれていて、牧会をするために必要なエッセンスがある。
牧会とは、世において問題の渦中にさらされ、挫折し、涙し、重い荷をおっている人々を、聖霊の助けを得て真の牧者であるキリストの元へと導き、傷ついた生き返らせ、再び起こし、そして正しい道へと導いて行くものである。

イエス様も言われた。
マタイ11:28 すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
 11:29 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
 11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。

私達も、疲れたたましい達をイエス様の元へと導き、彼の元で安らわせ、憩わせる者達である。

「主はわたしの魂をいきかえらせ」(詩篇23:3a)
ここはジェホバ・ロフェ(Jehovah Rophe:癒し主)の御名が練り込まれており、その御名が登場するのは、出エジプト記15:26である。

その箇所は、エジプトを脱出したイスラエルの民が、主の御業によってエジプトの追撃から守られ、さらに荒野を旅して行き、マラという場所に到着した場面である。
マラは「苦い」という意味である。彼らは水の無い荒野を旅し、ようやく水の所に着いたのだが、その水はあいにく「苦く」、飲めなかった。

『ときに、民はモーセにつぶやいて言った、「わたしたちは何を飲むのですか」。モーセは主に叫んだ。主は彼に一本の木を示されたので、それを水に投げ入れると、水は甘くなった。』(出エジプト記15:24)
一本の木を投げ入れると、苦かった水が甘くなる。
その「木」は、新約における十字架の予表である。

『その所で主は民のために定めと、おきてを立てられ、彼らを試みて、言われた、「あなたが、もしあなたの神、主の声に良く聞き従い、その目に正しいと見られることを行い、その戒めに耳を傾け、すべての定めを守るならば、わたしは、かつてエジプトびとに下した病を一つもあなたに下さないであろう。わたしは主であって、あなたをいやすものである」。』(出エジプト記15:25-26)
主はここでJehovah Rophe 「癒し主」である事を宣言された。
わたしはあなたがたを癒やすエホバである、と。
人々が嫌った、マラの苦い水に、主が指したあの木の枝を投げ入れると、甘い水に変わった。ここにキリスト教の本質がある。
世が「使い物にならない」と言って捨てた人、苦い人、彼らを癒やすお方が、ジェホバ・ラッファなる主である。
ダビデは、この出エジプト記からジェホバ・ラッファを持ってきたのだ。ここに、「牧会学」の始まりがある。
牧会における最も重要な働きの一つが「魂を生き返らせる(My soul He restores)」である。
魂(ネフェシュ)を、生き返らせる。働くためには、生き返って回復された状態にならないとならない。主は、癒やし主であり、そして私たちもまた、人を癒やすことを、重要な目標の一つに据えるべきである。


「み名のためにわたしを正しい道に導かれる」(詩篇23:3b)

ここに隠されている主の御名が、Jehovah Tsidkenu(ジェホバ・チヅケヌー)であり、すなわち、「エホバはわたしたちの義」という意味だ。
それは、エレミヤ書に登場する。
『その日ユダは救を得、イスラエルは安らかにおる。その名は『主はわれわれの正義』ととなえられる。』(エレミヤ書23:6)

人を立て直す順番は、最初に「たましいを生き返らせ」、次に「義の道に導かれる」である。
主は、その理由を「自分の名のために」、すなわち、「神の名を神とするために」、その事をされるのだ。
コーエン大学設立総長、ポール・カン・シンゴン博士は言う。
牧会とはすなわち、

1,魂を生き返らせる、蘇生させる。
2,一生の間、公の義の道へと、導く。
事である、と。

牧会とは、人を救って、癒やしたら、もうそれで終わりではない。しっかりとケアもするべきである。
その人がどんどん良い人になって行き、義の道へと導いて行くものである。

牧会は、ラテン語では、CURA というが、CURA は、 CURE + CARE、すなわち、
C=C+C
それが、牧会である、と、ポール・カン・シンゴン博士は提唱する。

私達は、イエス様にあって癒やされた。
そして天国に行くその日に至るまで、日々、義の道を主にあって歩まされ、日々、義人とされ、栄光化されて行く道筋にある。
イエス様はペテロに、わたしの羊を飼いなさい、と言われた。
私達も、飼うのである。
人々にイエス・キリストを伝え、魂を生き返らせ、彼らを義の道に導くためにケアし、そして彼らもゆくゆくは羊飼いへと育てて行くのである。

ルカによる福音書 講解説教 水曜夕礼拝
十字架を巡る人間模様とそれぞれの行先(ルカ23:1-31)
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エレミヤ書 講解説教 水曜昼礼拝
義の枝の問題 - エレミヤ書の9つのGolden Key 5/9(エレミヤ23:1-8)
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この終わりの時代を読み解く上で非常に重要なエレミヤ書の9つの鍵、その第5番目は、「義の枝」の問題である。

エレミヤ23:5 見よ。その日が来る。――主の御告げ。――その日、わたしは、ダビデに一つの正しい若枝「ツェマフ・ツェデク(聖なる枝、義なる枝)」を起こす。彼は王となって治め、栄えて、この国に公義と正義を行なう。

エレミヤ書22章において、ダビデ-ソロモンから続いた王たちは、代が降るにつれ、主の御言葉に聞き従わず、主の警告を無視し、人々を虐げ搾取した。
それで主は言われた。

23:1 主は言われる、「わが牧場の羊を滅ぼし散らす牧者はわざわいである」。
23:2 それゆえイスラエルの神、主はわが民を養う牧者についてこう言われる、「あなたがたはわたしの群れを散らし、これを追いやって顧みなかった。見よ、わたしはあなたがたの悪しき行いによってあなたがたに報いると、主は言われる。

ソロモンから続く歴代の王たちは、牧者として失格な事ばかりして来て、あまりにも警告に従わないことを続けたため、ついに主は、バビロン捕囚直前の王、エコヌヤに宣言した。
「この人を、子なき人として、またその一生のうち、栄えることのない人として記録せよ。その子孫のうち、ひとりも栄えて、ダビデの位にすわり、ユダを治めるものが再び起らないからである。」(エレミヤ22:30)
実際、エコニヤ以降、ダビデ-ソロモンの家系に、王は出ていない。
主は、ダビデ-ソロモン以降続いた王位を、エコニヤの代で終わらせたのだ。

さて、ここで疑問が起きる。
エコヌヤ以降は「王は出ない」と宣言されたなら、王の王・主の主であられるイエス・キリストは、どうなるのか。
マタイ1章の系図には、ダビデ以降エコニヤに至るまでの14代が、歴代の王として記されているが、実際、エレミヤの預言どおり、エコニヤからは王は出ておらず、一般人の系図となっており、そしてイエスの父ヨセフへと系図が続いている。
イエス・キリストは、王の王であるが、エコニヤ以降、王は出ないのではなかったのか?

そもそもである。イエス・キリストは、聖霊によって処女マリヤから生まれたため、マリヤの夫ヨセフの血は継いでいない。
それでは、イエス様は王族ではないのか?ダビデの子ではないのだろうか?
いいや、ダビデの子であり、王族である。

ルカの福音書三章に、もう一つの系図があるが、この系図は、ダビデ-ソロモン,,,エコヌヤ,,,ヨセフへと続くマタイ系図とは全く別の系図、すなわち、マリヤの家系の系図である。
実際、マタイ一章の”ヨセフ系図”では、ダビデの子はソロモンであるが、ルカの”マリヤ系図”では、ダビデの子はナタン(バテ・シェバの子でソロモンの兄:1歴代3:5)となっており、それ以降のマタイとルカの系図は、分岐している。

つまり、イエスの母マリヤは、歴代の王族の家系ではないものの、れっきとしたダビデの子孫であり、そして悪に染まった王族の血を継いでもいない。つまりイエス様は、法的なヨセフの子、すなわち法的には歴代の王族の子であり、血筋としては、悪しき王達の血を継がない、純粋なダビデの子孫なのだ。

ルカの系図は、マタイの系図とは逆で、新しい時代から古い時代へとさかのぼって行き、しかもマタイ系図の一番最初・アブラハムよりもさらにさかのぼって、人類最初の人アダムへと行きつき、最後は、神へと行き着く。(ルカ3:38)
マタイの系図は、最初がアブラハムで始まる、イスラエル人の父・イスラエルの王族の家系図であるが、ルカの系図は、神の子、人の子、ダビデの子の系図である。

そういうわけで神は、エレミヤの預言どおり、エコヌヤという「決して王は出ない家系」とは、全く別の、「ダビデの若枝・ツェマフ・ツェデク(聖なる枝、義なる枝)」を興し、すなわち、ダビデの子・ナタンからの系図から、決して廃れる事の無い、永遠に王となって公平と正義を行う王・イエス・キリストを起こされたのだ。

この枝、すなわち、義なるイエス・キリストこそ、私達・異邦人の望みである。
ダビデの系図の中には、異邦人ルツが、またラハブが、信仰告白によってこの栄光の家系へと嫁入りし、ダビデ王朝の先祖になった事が記されている。
この「義の枝」であるキリストに、信仰告白によって接ぎ木されて来る異邦人は、皆、救われるのである。(ローマ11:13-27)

23:3 わたしの群れの残った者を、追いやったすべての地から集め、再びこれをそのおりに帰らせよう。彼らは子を産んでその数が多くなる。
23:4 わたしはこれを養う牧者をその上に立てる、彼らは再び恐れることなく、またおののくことなく、いなくなることもないと、主は言われる。
23:5 主は仰せられる、見よ、わたしがダビデのために一つの正しい枝(ツェマフ・ツェデク)を起す日がくる。彼は王となって世を治め、栄えて、公平と正義を世に行う。
23:6 その日ユダは救を得、イスラエルは安らかにおる。その名は『主はわれわれの正義(ジェホバ・チヅケヌ)』ととなえられる。

この、主が起こされたダビデの若枝(ツェマフ・ツェデク)、すなわちキリストに接ぎ木された者は、「義」とされるのである。
それ故、その名は『主はわれわれの正義(ジェホバ・チヅケヌ)』ととなえられる。


イザヤ60:21 あなたの民はみな正しくなり、とこしえにその地を所有しよう。彼らはわたしの栄光を現わす、わたしの植えた枝。わたしの手で造ったもの。
60:22 最も小さい者も氏族となり、最も弱い者も強国となる。時が来れば、わたし、主が、すみやかにそれをする。

どんな罪人であっても、このツェマフ・ツェデクへと、信仰告白によって接ぎ木されるなら、「義」とされるのである。
たとえ、十字架刑の真っ最中の強盗であっても。
それは何という驚くべき恵み、驚くべき救いであろうか。

23:6 その日ユダは救を得、イスラエルは安らかにおる。その名は『主はわれわれの正義』ととなえられる。
23:7 主は言われる、それゆえ見よ、人々は『イスラエルの民をエジプトの地から導き出された主は生きておられる』とまた言わないで、
23:8 『イスラエルの家の子孫を北の地と、そのすべて追いやられた地から導き出された神は生きておられる』という日がくる。その時、彼らは自分の地に住んでいる」。

これはまさに、現代のイスラエルにおいてそれが起きている。
バビロン捕囚からおよそ2500年後、1948年5月14日にユダヤは見事、あの土地に独立し、国を再興した。
その日、まさに『イスラエルの家の子孫を北の地と、そのすべて追いやられた地から導き出された神は生きておられる』という日が来たのだ。

主は、まことに真実なお方である。

早天礼拝
不当な者が王になろうとしゃしゃり出る時は(1列王記1章)
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早天礼拝
モーセに徐々に自信をつけさせて下さる主(出エジプト記8:20-9:12)
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詩篇23篇に隠された主の御名 - ジェホバ・シャローム(詩篇23:2)
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『主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。』(2節)
この詩篇23篇2節に練り込められた御名は、「ジェホバ・シャローム」(主は平和、平和の主)である。

士師記6:24 この御名「ジェホバ・シャローム」が登場する場面は、主がギデオンを召し出された場面である。
どういう時に主は彼に現れたか。それは、彼がミデヤン人という敵から隠れて、酒ぶねの中に隠れながら麦を打っている場面である(士師記6章)。
そんな臆病な、部族の中で最も小さく、最も弱い者に、主は現れて言われた。
「大勇士よ、主はあなたと共におられます」(士師記6:24)

ギデオンも、人も、当然、未来は見えない。彼自身も、彼の父も、部族の人々も、まさかギデオンが大勇士になるとは思ってなかったが、主の目には、将来の彼の「大勇士」の様が、見えていた。
なぜなら彼には、主に従順する性質があったからだ。
彼は、主から言われた事を、そのまま実行する人だった。

普通、常識ある人間は、10万以上の敵にたった300人で立ち向かう事はしないが、ギデオンは、主がしなさいと言われたので、した。
主が「人が多いから減らしなさい」と言われたら、躊躇なく1万や2万をばっさり切ったし、たった300人になっても、10万以上の敵に立ち向かって行った。
そのような性質だから、彼は用いられたのだ。
この、主に言われたとおりに実行する性質こそ「大勇士」の性質である。

2. ギデオンは、どういう場面でジェホバ・シャロームを宣言したのか。
彼が酒ぶねの中で、恐れながら麦を打っている時、主の使いが彼に現れたが、彼は、主の使いと面と面を向かって話していたというのに、実感せずにいた。
しかし彼が、相手が本当に主の使いであったと分かった時、死ぬのではないかと恐れた。しかし、
『主は彼に言われた、「安心せよ、恐れるな。あなたは死ぬことはない」。そこでギデオンは主のために祭壇をそこに築いて、それを「主は平安(ジェホバ・シャローム)」と名づけた。』(士師記6:23−24) 

私達も、主の力強く全く聖であられる有様を知った時、ひるがえって、自分が昨日犯したあの罪、今日犯したこの罪も全部、主がその目でじっと見つめておられた、と知るなら、ギデオンのように絶望するしかない。
ダビデも、そうだった。主の目の前で他人の妻を奪い、その夫を謀殺するような罪を犯した。にもかかわらず、「あなたは死なない」と言われた。なぜか?それは彼が自分の罪を告白し、主のなさる事を受け入れたからだ。
「主は言われた、「悪い者には平安(シャローム)がない」と。」(イザヤ48:22)
しかし人が自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方であるから、その罪を赦し、全ての悪から私達をきよめて下さる。しかしもし、罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とするのであって、神の言はその人の内にない。(1ヨハネ1:9-10)

3. シャロームに込められた意味
ユダヤ人は「シャローム」を、挨拶の言葉として使っている。このシャロームの中に込められている最たる願いは「トーブ(良し)」である。主がこの世界を6日に分けて創造された時、一日一日に「良し」(トーブ)と宣言された。
そして、人間を創られた第6日目には「はなはだ良し(トーブ・メオド)」と評価され、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ」と、人を祝福された。(創世記1章)

この「トーブ」の中には「1,パーフェクト(完全)」「2,ビューティーフル(美しい)」「3,グッド(良い)」の意味が込められており、これら3つを束ねて「シャローム」という。つまり、ユダヤ人がシャロームの挨拶を交わす時、完全でありますように、美しい者であるように、良い者でありますように、という願いを込めているのだ。
ユダヤ人であるパウロも、その書簡の中で頻繁に「平安があなた方にあるように」という挨拶をしている。
イエス様も、恐れて隠れている弟子達の中に現れ、平安(シャローム)があなた方にあるように、と宣言し、その手とわき腹を示された。
『弟子達は、主を見て喜んだ。イエス様はもう一度、「平安があなたがたにあるように。」と言われ、彼らに息を吹きかけて、言われた。「聖霊を受けなさい。」』(ヨハネ20:19−22)

弟子達が主を見て喜んだのは、イエス様がその手とわきを示されたからだ。
イエス様が私たちの代わりに十字架上で打たれ、罰を受け、死なれた。
そして、よみがえられた。これぞ完全なシャロームの根源である。
イエス様こそ、まことの羊飼いであり、備え主であり、そして平和の主である。

羊は、羊飼いなしでは良くない。砂漠でとぼとぼ途方に暮れているのは、良くない。
羊は、羊飼いに導かれ、緑の牧場に、いこいのみぎわに伏してこそ、トーブである。まことの羊飼いに導かれ、いこわされる、トーブな皆さんでありますように!

主日礼拝
御業を行う為に徐々に勇気を与えて下さる主(出エジプト記7:1-8:19)
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週報/メッセージ(説教)概要
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成田エクレシア礼拝 音声

 主の民が、主の敵である不当な者達の下で奴隷状態になっている所を、主が開放させて下さる箇所が、出エジプト記である。主は現代の私達も、「世」というエジプトから、「サタン」というエジプトの王パロから、救い出して下さる。今回も、私達に奴隷を強いる者から、また、私達自身が、身につけてしまった奴隷根性や貧乏ぐせ、縮こまった考え、ケチケチ精神などからエクソダス(出エジプト)させて下さる主の導きを学びたい。

前回、モーセは弱さ故に主の言葉通り伝えられず、しるしも行えなかった。しかし主はパロの口を操作し、「しるしを行って見せよ」と言わせ、それで彼は主から命じられた通り、杖を蛇に変えるしるしをパロの前で行う事が出来た。まさに「主の上げ膳据え膳」によって、私達にも自信をつけさせて下さる主の恵みを見た。
ところで蛇といえばサタンを思い出すが、主のわざを示すしるしが、なぜ「蛇」なのか?主はサタンに活動許可を与える事も、尻尾をつかんで封じる事もできるのだが、それは私達・主に遣わされた働き人にも、与えられた権威である(マルコ16:18)。モーセが持っていたのは、羊飼いの杖であり、それは元来、羊を牧するためのものだが、それを手離して地に投げやると、蛇になる。私達が、羊達を正しく治める権威を行使せず、地に放り投げるなら、それは蛇となり、悪童達の野放し状態となって手がつけられなくなってしまうのだ。
子供達や部下達を、わがままな怠け状態に、罪をし放題の状態で放置し続けるなら、彼らの罪を満足させるための奴隷となって、家も組織も破綻し滅んでしまう。サタンを踏みつける事を躊躇したり、同調したり、見てみぬふりをして野放しにし続けるならは、蛇から良いようにされてしまうが、主は「蛇の尻尾を掴め」と言われる。そうであるからには、私達は主イエス・キリストの御名によって掴み、奴隷根性に勝利すべきだ。
パロはこれらを見たにもかかわらず、ますます心頑なになってしまうが、失敗ではない。さらなる主の御業を起こす引き金となるからだ。私達も主から示された通りに御言葉を発言し、しるしを行うべきである。それをしたなら、主が敵を「攻撃」してくださる。これ以降、主は、しもべモーセを通してエジプト攻撃へと転じる。

主がモーセを通して降される災いの内、最初の3つはモーセがアロンに命じる形で災いを降らせ、続く3つの災いはモーセが宣言すると起こり、その後の3つの災いは、モーセの手の杖で行わせている。
主はモーセに、御業を行う「自信」を徐々につけさせ、トレーニングしておられたのだ。私達にも同様である。
モーセはパロに警告を与える。主の民に礼拝をさせよ、さもないとナイルの川と水を打ち、血に変える、と。
しかしパロは警告を聞き入れない。それで主は、モーセがアロンに伸ばさせた杖を通して、ナイル川の水を血に変え、全エジプトの生活に支障が出る形で、災いが降された。ナイル川は、ヘブル人の男の子が投げ込まれ、殺され、その血が混じっている。主はそれに正しく報復をされたのだ(黙示録16:5-7)。
しかしパロは心を頑なにして、心に留めなかった。それは、第二の災い・かえるの災いが降るきっかけとなる。モーセは同様に警告を与えたが、パロは聞き入れず、それで、エジプト中かえるだらけになる。
かまども、かごもこね鉢も、寝台も。この災いで若干の進展がある。パロはモーセに、かえるを取り除くように、祈りの要請をしたのだ。パロは「あす」を指定し、モーセはその通りにすると約束した。モーセは帰ると、主に叫んで求めた(8:12)。かえるが時間指定で全滅するなど、人には不可能な事なので必死になったが、主に不可能は無い。モーセが約束した通り、主は翌日、かえるを死に絶えさせた。モーセはまた一つ経験し、主のわざを行う事で大胆になって行く。パロは災いの収束を見ると、感謝もせず、約束も守らず、心を頑なにしてイスラエルに礼拝させなかった。パロはこうして、エジプトに、さらなる災いを招いてしまう事となる。
『主はモーセに言われた、「あなたはアロンに言いなさい、『あなたのつえをさし伸べて地のちりを打ち、それをエジプトの全国にわたって、ぶよとならせなさい』と」。』(8:16) 第三の災いは、ぶよの災いである。
モーセはアロンに地のちりを打たせると、それは人や動物にまとわりつく虫となってエジプト全土に満ちた。
この災いは、呪法師達にも真似出来ず、彼らは『これは神の指です』と言った。こうしてモーセは、ますます主の御業を為す事に自信を持つようになって行く。主はまことに、そのように働き人を力づけて下さる。
主は真実であり、主が為しなさい、と言われるなら、それは100%為すべきだ。奴隷状態から抜けだせない人とは、主から命じられた御言葉を実行しない人、攻撃すべき敵を攻撃しない人、権威に立たず今まで通り奴隷のままいる事である。私達は主が創世当初に命じられたように、主の御言葉に従って統治するべきなのだ。へびをも掴み、御言葉の剣を振りかざして敵を攻撃し、神の民を救う皆さんでありますように!

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