メッセージ - 20180809のエントリ

ヨブ記の結論(ヨブ記42:7-17)
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ヨブ記の最後は、再び散文体に戻り、ヨブを幸いにし、以前の二倍の祝福を与えて下さる事で終る。
その祝福を戻すトリガーは、ヨブ自身の悔い改めではなく、意外にも、3人の友人たちが関わる事だった。
神はこの友人たちを通して、ヨブに祝福を戻すのである。

42:7 主はこれらの言葉をヨブに語られて後、テマンびとエリパズに言われた、/「わたしの怒りはあなたとあなたのふたりの友に向かって燃える。あなたがたが、わたしのしもべヨブのように正しい事をわたしについて述べなかったからである。

主はヨブを「わたしのしもべ」と称した。
しもべとは、主人の下で主人に仕え、主人の意向をその通り行う者であるが、ヨブは友人達と激しく議論している最中は、とてもしもべとは言えなかった。彼はその時、神よりも自分を正しいと主張していたからだ。
それを悔い改めたヨブだが、神は3人の友人たちに向かって怒りをあらわにした。
その理由は「ヨブのように正しい事(クーン:堅く立つ)をわたしについて述べ(ダーバル:話す、語る)なかったから」、原意は「ヨブのように堅く立ってわたしについて話さなかった」からである。

ヨブは友人たちとの議論の中、度々神に心を向けて語るために、神の前に出て行った。
議論がヒートアップして行く内に、ヨブは、自分が神よりも正しいと主張して行った。確かにその主張は間違ってはいるが、神と関わりを持とうとして、神の前に進み出て行くその「姿勢」は、神の御前にクーン(堅く立つ)姿勢であり、それこそ御前に義とされていく性質である。たとえ主張が間違っていたとしても、神の御前に来ようとする人、神と相撲をとってでも祝福を勝ち取ろうとしたヤコブを、神は祝福した。
友人達には、この神と向き合おうとする姿勢は一切なかったし、むしろヨブが神の前に立って祈ろうとするその祈りの言葉に「間違っている」と、いっちゃもんをつけるような事さえした。

唯一、主から何のとがめもなかった若者エリフも、3人の友人たちに怒りを燃やしたが、その理由は、彼らはヨブを罪ありとしながらも、ヨブに答える事ができなかったからである。(ヨブ記32:3)
エリフは、ヨブの罪の根本は、ヨブが神よりも自分の正しいことを主張する事だと見抜いたが(ヨブ記32:2)、友人たちには見抜けなかった所を見ると、友人たちもヨブと同じ罠、すなわち、彼らも自分を義として神を軽んじるような所があったからだろう。
つまり彼らは、神という存在を、何か哲学の中に登場する一人物のような、抽象的な概念で神を持ち出しており、彼ら自身、神との人格的な交わりを一切持っていなかったのかもしれない。

42:8 それで今、あなたがたは雄牛七頭、雄羊七頭を取って、わたしのしもべヨブの所へ行き、あなたがたのために燔祭をささげよ。わたしのしもべヨブはあなたがたのために祈るであろう。わたしは彼の祈を受けいれるによって、あなたがたの愚かを罰することをしない。あなたがたはわたしのしもべヨブのように正しい事をわたしについて述べなかったからである」。

神は、ヨブが自らを悔い改めたゆえに、彼を義とした。義人のとりなしによって、愚かな者は罰を免れる事が出来るのである。
神は、義とされた人には、執り成し祈る事を、求めておられる。
神はアブラハムの、ソドムのための執り成しに聞いて下さり、モーセの執り成しを聞いて下さり、また、とりなす者がいなかったために神は滅ぼさざるを得なかった事例もある。(エゼキエル22:30-31)
神は、ご自分ひとりでゆるしを完結させるのではなく、誰かの執り成しがあってこそ、その人を「ゆるす」機会を得るお方である。
だからこそ人類の贖いには、十字架上のイエス・キリストによる執り成しが必要だったのである。

42:9 そこでテマンびとエリパズ、シュヒびとビルダデ、ナアマびとゾパルは行って、主が彼らに命じられたようにしたので、主はヨブの祈を受けいれられた。
42:10 ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブの繁栄をもとにかえし、そして主はヨブのすべての財産を二倍に増された。

ヨブに祝福が戻って来た瞬間は、ヨブが悔い改めた時ではない。
押し付けがましい因果応報論によってヨブをさんざん苦しめ悩ませた友人達のために、執り成し、祈った瞬間から、である。
悪をもって向かって来る人達を、憎むのではなく、彼らのために執り成し祈る時、神はその人の父となって下さる。

マタイ5:43 『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
5:44 しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
5:45 こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。
5:46 あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。
5:47 兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。
5:48 それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。

祝福が2倍になって帰ってきた事の引き金が「執り成しで」あった事は、注目すべきである。
執り成しには、報いがあるのだ。
神は、敵を愛し、彼らのために執り成し祈る交わりの内に、大いなる祝福を約束しておられる。

42:11 そこで彼のすべての兄弟、すべての姉妹、および彼の旧知の者どもことごとく彼のもとに来て、彼と共にその家で飲み食いし、かつ主が彼にくだされたすべての災について彼をいたわり、慰め、おのおの銀一ケシタと金の輪一つを彼に贈った。

彼が執り成し祈って友人たちに憐れみを示した結果、ヨブの前から離れていた友人たちが戻ってきて、今度は、ヨブが憐れみを受けるようになった。

42:12 主はヨブの終りを初めよりも多く恵まれた。彼は羊一万四千頭、らくだ六千頭、牛一千くびき、雌ろば一千頭をもった。
42:13 また彼は男の子七人、女の子三人をもった。
42:14 彼はその第一の娘をエミマと名づけ、第二をケジアと名づけ、第三をケレン・ハップクと名づけた。
42:15 全国のうちでヨブの娘たちほど美しい女はなかった。父はその兄弟たちと同様に嗣業を彼らにも与えた。

ヨブの後半人生がこんなにも祝福されたのは、神がヨブを苦しめた事の損害賠償的な意味ではない。彼の前半人生よりも、より神との正しい関係に入り、それを持続させたからだ。
以前どんなに貧しい神観を持ってきたか、そして、ヨブ自身の中に高慢と自己義があった事が、友人たちとの議論で明らかにされた。
しかしこれからは、真に神と親しく、かつ秩序正しい上下関係の中で、へりくだりつつ神に仕える生き方を、続けて行ったからこそ、祝福の内に長寿を全うしたのだろう。

42:16 この後、ヨブは百四十年生きながらえて、その子とその孫と四代までを見た。
42:17 ヨブは年老い、日満ちて死んだ。

長寿、富の祝福、そして子々孫々が増える祝福。それは非常に祝福された人生である。
こうしてヨブ記は、大円団の内に終るが、終るにあたり、今一度、新約におけるヨブ記の「まとめ」の節を見たい。

ヤコブ5:11 忍び抜いた人たちはさいわいであると、わたしたちは思う。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いている。また、主が彼になさったことの結末を見て、主がいかに慈愛とあわれみとに富んだかたであるかが、わかるはずである。

ヨブ記の結論、それは、主は慈愛とあわれみに富んだお方である事、そして、忍耐した者は幸いだ、という事である。
私達はヨブ記から、豊かで幸いな人生のコツを得、同時に、虚しく労多い人生はいかにもたらされてしまうかも学んで、主との正しく親しい関係を保ちつつ、祝福された人生を歩んで行く者でありたい。

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