メッセージ - 201803のエントリ

「しあわせなイスラエル」とは(申命記33:26-29)
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申命記はモーセの告別メッセージであるが、その最後、モーセのイスラエルに対する感想を述べる。
そしてメッセージを終えたモーセは、ピスガの山に上り、イスラエルが受け継ぐ約束の地を望み見て、そのたましいは神に帰る。

申命記33:26 「エシュルンよ、神に並ぶ者はほかにない。あなたを助けるために天に乗り、/威光をもって空を通られる。

エシュルンとはヤーシャル(まっすぐにする、正しく考える)が元となった言葉だ。
イスラエルは荒野を紆余曲折しっぱなしであったが、イスラエルのアイデンティティは、御前をまっすぐに歩むもの、正しく考える者である。
そのように歩むエシュルンは、次の幸いがある。

33:27 とこしえにいます神はあなたのすみかであり、/下には永遠の腕がある。敵をあなたの前から追い払って、/『滅ぼせ』と言われた。

モーセは続いて、主を住まいとし、主に包まれ守られるイスラエルの幸いを言っている。
それはあたかも、花嫁が花婿の左腕を掴み、男性に腕枕され、その右手で包まれるようである。

雅歌2:3 わが愛する者の若人たちの中にあるのは、林の木の中にりんごの木があるようです。わたしは大きな喜びをもって、彼の陰にすわった。彼の与える実はわたしの口に甘かった。
2:4 彼はわたしを酒宴の家に連れて行った。わたしの上にひるがえる彼の旗は愛であった。
2:5 干ぶどうをもって、わたしに力をつけ、りんごをもって、わたしに元気をつけてください。わたしは愛のために病みわずらっているのです。
2:6 どうか、彼の左の手がわたしの頭の下にあり、右の手がわたしを抱いてくれるように。

私達はキリストの花嫁、宿るべきはキリストの胸、腕の中である。
そこが私達の住まいである。
地上では、アパートやマンションなど色々なところを転々として住む。イスラエルの民も、荒野を転々と住んだが、真の住まいは、主の覆いの下だ。

申命記33:28 イスラエルは安らかに住み、/ヤコブの泉は穀物とぶどう酒の地に、/ひとりいるであろう。また天は露をくだすであろう。
33:29 イスラエルよ、あなたはしあわせである。だれがあなたのように、/主に救われた民があるであろうか。主はあなたを助ける盾、/あなたの威光のつるぎ、/あなたの敵はあなたにへつらい服し、/あなたは彼らの高き所を踏み進むであろう」。

モーセの告別メッセージの最後、それは、「イスラエルよ、あなたはしあわせである。だれがあなたのように、/主に救われた民があるであろうか。」という感嘆の言葉だった。
イスラエルは、しあわせである。
真のイスラエルとは誰か。
英語の辞書では、Israel = "God prevails",”he will rule as God”とあり、またガラテヤ6:16によると、「神のイスラエル」とは、割礼を受けた人の事ではなく、十字架によって世と分離し、新しく創造された事の基準に従って進み行く人の事である事が書いてある。

キリストの十字架の死と復活をいつもこの身と心に帯び、神に頼り、神に宿る者こそ、しあわせなイスラエルなのだ。

詩篇91:1 いと高き者のもとにある/隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人は
91:2 主に言うであろう、「わが避け所、わが城、わが信頼しまつるわが神」と。
91:3 主はあなたをかりゅうどのわなと、恐ろしい疫病から助け出されるからである。
91:4 主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。
91:5 あなたは夜の恐ろしい物をも、昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。
91:6 また暗やみに歩きまわる疫病をも、真昼に荒す滅びをも恐れることはない。
91:7 たとい千人はあなたのかたわらに倒れ、万人はあなたの右に倒れても、その災はあなたに近づくことはない。
91:8 あなたはただ、その目をもって見、悪しき者の報いを見るだけである。
91:9 あなたは主を避け所とし、いと高き者をすまいとしたので、
91:10 災はあなたに臨まず、悩みはあなたの天幕に近づくことはない。
 

ヒゼキヤからマナセへの代替わりから学ぶべき事(2歴代誌33:1-13)
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ヒゼキヤについて何章かに渡って記されて来た。彼は最初は心から主に求め、信仰によって王国をアッシリヤから守った素晴らしい王であったが、彼に追加された15年間の命の間はどのようであったか。
その15年の間に彼に生まれたマナセを見れば、大体想像できる。

2歴代誌33:1 マナセは十二歳で王となり、五十五年の間エルサレムで世を治めた。
33:2 彼は主がイスラエルの人々の前から追い払われた国々の民の憎むべき行いに見ならって、主の目の前に悪を行った。
33:3 すなわち、その父ヒゼキヤがこわした高き所を再び築き、またもろもろのバアルのために祭壇を設け、アシラ像を造り、天の万象を拝んで、これに仕え、
33:4 また主が「わが名は永遠にエルサレムにある」と言われた主の宮のうちに数個の祭壇を築き、
33:5 主の宮の二つの庭に天の万象のために祭壇を築いた。

主の宮には、主の御名が置かれている。
その、主の面前に、彼は主が忌み嫌われるものを、恐れなく、平然と置いたのだ。
なぜ、こんな王が生まれてしまったのか。
彼は12歳で王になったが、きっと彼はその12年間、御言葉によって戒められる事なく甘やかされて育てられてしまったのだろう。

マナセは父ヒゼキヤの代に行われた素晴らしい改革によっていかに祝福されたかも、いかにアッシリヤから守られたかも経験していない。
そしてヒゼキヤは、息子マナセを、積極的に御言葉教育を施したとも到底言えない。
ヒゼキヤは彼の子供達の中からバビロンに引いて行かれ宦官にさえなってしまうものが出る、とイザヤに警告されても、自分の代には災いは降らないとたかをくくり、適当な返事をして悔い改めなかった。

彼の、子に対する愛は、なかったのである。神の民の「親」であるなら、積極的に子を戒め、時には懲らしめる。
神を敬わず、主に忌み嫌われる事を行う子を戒めず、懲らしめず、主に立ち返らせないなら、その子を永遠に地獄ゲヘナにおいて焼かれ続けてしまう。
「むちを加えない者はその子を憎むのである、子を愛する者は、つとめてこれを懲らしめる。」(箴言13:24)
と書いてある通りである。

むちを加える行為を、無思考に「虐待」と言う人もいるが、もしその子が、主に忌み嫌われる性質を放置してむちを加えない、としたら、そちらのほうが永遠の虐待である。
子供を火で焼いて虐待するような親はめったにいないだろうが、もし主に忌み嫌われる性質を放置し続けるなら、その子を永遠のゲヘナで焼き続ける事になってしまうからだ。

33:6 彼はまたベンヒンノムの谷でその子供を火に焼いて供え物とし、占いをし、魔法をつかい、まじないを行い、口寄せと、占い師を任用するなど、主の前に多くの悪を行って、その怒りをひき起した。

マナセはなんと、子を火で焼いて、偶像の神に捧げてしまった。
ヒゼキヤは、マナセにむちを加えない事によってマナセをゲヘナの子にしてしまい、そしてマナセを、自分の子を火で焼くような虐待者に育ててしまった。
だから、御言葉教育こそ必要である。
子供を永遠に救うために、そして、神の子としての性質を豊かにするために。

33:7 彼はまた刻んだ偶像を造って神の宮に安置した。神はこの宮についてダビデとその子ソロモンに言われたことがある、「わたしはこの宮と、わたしがイスラエルのすべての部族のうちから選んだエルサレムとに、わたしの名を永遠に置く。
33:8 彼らがもし、わたしがすべて命じた事、すなわち、モーセが伝えたすべての律法と定めとおきてとを慎んで行うならば、わたしがあなたがたの先祖のために定めた地から、重ねてイスラエルの足を移すことをしない」と。

主の宮には、主の御名が置かれている、と、繰り返し書いてある。
主の御名が置かれている、それはすなわち、主ご自身がいつも目を留め、心を留めておられるという事である。
主の宮は、主を礼拝する場所であり、また特に主の面前である事を意識する場所である。
そこに、彼は異教の像を置いた。
私達も、礼拝という主を意識し主に捧げるべき時間、場所において、思いの中に「異教」を置いて罪を犯していないだろうか。
体だけは礼拝に参加し、思いの中は別の考え、別の教えを意識し、贖い主イエス様よりも、そちらのほうを頼りとし主体としているなら、マナセと同じ事をしている。

1列王記9:1 ソロモンが主の宮と王の宮殿およびソロモンが建てようと望んだすべてのものを建て終った時、
9:2 主はかつてギベオンでソロモンに現れられたように再び現れて、
9:3 彼に言われた、「あなたが、わたしの前に願った祈と願いとを聞いた。わたしはあなたが建てたこの宮を聖別して、わたしの名を永久にそこに置く。わたしの目と、わたしの心は常にそこにあるであろう。
9:4 あなたがもし、あなたの父ダビデが歩んだように全き心をもって正しくわたしの前に歩み、すべてわたしが命じたようにおこなって、わたしの定めと、おきてとを守るならば、
9:5 わたしは、あなたの父ダビデに約束して『イスラエルの王位にのぼる人があなたに欠けることはないであろう』と言ったように、あなたのイスラエルに王たる位をながく確保するであろう。
9:6 しかし、あなたがた、またはあなたがたの子孫がそむいてわたしに従わず、わたしがあなたがたの前に置いた戒めと定めとを守らず、他の神々に行って、それに仕え、それを拝むならば、
9:7 わたしはイスラエルを、わたしが与えた地のおもてから断つであろう。またわたしの名のために聖別した宮をわたしの前から投げすてるであろう。そしてイスラエルはもろもろの民のうちにことわざとなり、笑い草となるであろう。

主は神殿が立てられた時に言われた。「わたしはあなたが建てたこの宮を聖別して、わたしの名を永久にそこに置く。わたしの目と、わたしの心は常にそこにあるであろう。」と。
そして、もし「わたしに従わず、わたしがあなたがたの前に置いた戒めと定めとを守らず、他の神々に行って、それに仕え、それを拝むなら」、「わたしの名のために聖別した宮をわたしの前から投げすてるであろう。」とも言われた。
主は、見えないお方である。彼は主はいないと思って悪を行ったのかもしれないが、しかし2節にある通り「主の目の前に悪をおこなった」のだ。
私達はいつも主の眼差しを意識するべきである。

2歴代誌33:9 マナセはこのようにユダとエルサレムの住民を迷わせ、主がイスラエルの人々の前に滅ぼされた国々の民にもまさって悪を行わせた。
33:10 主はマナセおよびその民に告げられたが、彼らは心に留めなかった。

主はマナセにどのような警告を行ったのか、そしてそれに対し、マナセはどのような悪を行ったのか、列王記には具体的に記されている。

2列王記21:10 そこで主はそのしもべである預言者たちによって言われた、
21:11 「ユダの王マナセがこれらの憎むべき事を行い、彼の先にあったアモリびとの行ったすべての事よりも悪い事を行い、またその偶像をもってユダに罪を犯させたので、
21:12 イスラエルの神、主はこう仰せられる、見よ、わたしはエルサレムとユダに災をくだそうとしている。これを聞く者は、その耳が二つながら鳴るであろう。
21:13 わたしはサマリヤをはかった測りなわと、アハブの家に用いた下げ振りをエルサレムにほどこし、人が皿をぬぐい、これをぬぐって伏せるように、エルサレムをぬぐい去る。
21:14 わたしは、わたしの嗣業の民の残りを捨て、彼らを敵の手に渡す。彼らはもろもろの敵のえじきとなり、略奪にあうであろう。
21:15 これは彼らの先祖たちがエジプトを出た日から今日に至るまで、彼らがわたしの目の前に悪を行って、わたしを怒らせたためである」。

「サマリヤをはかった測りなわと、アハブの家に用いた下げ振りをエルサレムにほどこ」すとは、すなわち、エルサレムさえも、主に対する反逆を続けて行くなら、サマリヤがなったように破壊され、捕囚され、散り散りにされてしまう、という事だ。
この警告が為された事に対し、マナセはどう答えたか。

21:16 マナセはまた主の目の前に悪を行って、ユダに罪を犯させたその罪のほかに、罪なき者の血を多く流して、エルサレムのこの果から、かの果にまで満たした。

きっと彼は、自分の意にそぐわない者、気に食わない者を、所かまわず、次々と殺したのだろう。
そして彼は、主が警告を与えるために遣わした預言者たちの血を、多く流したのだろう。
主は警告をあらかじめ与えた。それに対し、マナセは罪なき者の血を流すことで返した。
彼は当然、その報いを受ける事になる。

2歴代誌33:11 それゆえ、主はアッスリヤの王の軍勢の諸将をこれに攻めこさせられたので、彼らはマナセをかぎで捕え、青銅のかせにつないで、バビロンに引いて行った。

預言者に言われた通りに、マナセの身に起きた。
当然といえば当然であるが、しかし主はなおも憐れみ深いお方である。

33:12 彼は悩みにあうに及んで、その神、主に願い求め、その先祖の神の前に大いに身を低くして、
33:13 神に祈ったので、神はその祈を受けいれ、その願いを聞き、彼をエルサレムに連れ帰って、再び国に臨ませられた。これによってマナセは主こそ、まことに神にいますことを知った。

主はなんと、あのマナセでさえ、悔い改めて身を低くしたなら、マナセを再びエルサレムへ返してくださった。
主の恵みの秤は、確かに、私達に向けられている。
しかしその秤には限度があり、その恵みの秤の分量を使い果たしてしまう時、滅びの災いに追いつかれてしまう。

私達は、ヒゼキヤ-マナセの代替わりから学ぶべきである。
福音伝道は確かに重要である。キリスト教会は伝道を熱心にして来たが、ユダヤ人のように御言葉を子供達に伝授する、という点において怠ってきた。
その結果、せっかく素晴らしい信仰者でも、その子や孫が失敗する、という事が、多々あった。
御言葉を次世代に伝授する事こそ、重要なのだ。
それがユダヤ人のように、何世紀にも渡って血が絶えず民族が絶えなくなる事のコツである。

申命記11:13 もし、きょう、あなたがたに命じるわたしの命令によく聞き従って、あなたがたの神、主を愛し、心をつくし、精神をつくして仕えるならば、
11:14 主はあなたがたの地に雨を、秋の雨、春の雨ともに、時にしたがって降らせ、穀物と、ぶどう酒と、油を取り入れさせ、
11:15 また家畜のために野に草を生えさせられるであろう。あなたは飽きるほど食べることができるであろう。
11:16 あなたがたは心が迷い、離れ去って、他の神々に仕え、それを拝むことのないよう、慎まなければならない。
11:17 おそらく主はあなたがたにむかい怒りを発して、天を閉ざされるであろう。そのため雨は降らず、地は産物を出さず、あなたがたは主が賜わる良い地から、すみやかに滅びうせるであろう。
11:18 それゆえ、これらのわたしの言葉を心と魂におさめ、またそれを手につけて、しるしとし、目の間に置いて覚えとし、
11:19 これを子供たちに教え、家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、それについて語り、
11:20 また家の入口の柱と、門にそれを書きしるさなければならない。
11:21 そうすれば、主が先祖たちに与えようと誓われた地に、あなたがたの住む日数およびあなたがたの子供たちの住む日数は、天が地をおおう日数のように多いであろう。

真のシンデレラストーリーを目指して(ルカ14:15-24)
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週報/メッセージ(説教)概要

 前回、イエス様に水をぶどう酒に変えていただいて主の栄光を現す方法をヨハネ2章から学んだ。イエス様に何かをして頂きたいなら、まずイエス様と自分を「主人としもべ」の関係にし、また自分に出来る限りの「きよめ」の水くみを果たすのだ。そうして水は極上のぶどう酒へと変わり、極上の喜びに与る事ができる。
ところが多くのクリスチャンはその喜びを味わえていない。今回その原因を「大宴会のたとえ」から学びたい。

イエス様はルカ14章の「大宴会のたとえ」で、神の国の宴会に入れない人はどういう人か話された。宴会には大勢の人が招かれていたが、彼らはその時間になると、主人の僕たちの招きを一様に断ってしまう。
最初に断った人の口実は、「畑を買ったので見に行くから、宴会には参加出来ない」、というものだった。
畑。それは生活に必要なものを産出する「仕事場」である。しかし、神様から離れて自分の手で土を耕しても、いばらやあざみがその人に向かって生え出て、一生、額に汗しながら食物を得なくてはならない。
そしてついには塵に還らなくてはならない。(創世記3:17-19) 主の宴会を祝うべき時に、世の仕事を優先させる人は、実入りは少なく、神の国の素晴らしい食卓にあずかることは出来ないのだ。
二番目に宴会を断った人の口実は、「牛を五くびき買ったので、それを調べに行くから」だった。
牛は、トラクターのように畑仕事を楽にできるし、乳も出るし、肉を食べる事もできる。牛は「生活」に潤いや便宜をもたらしてくれるが、神の宴会を後回しにして生活を潤そうとするなら、結局は労多くして益少ない。
『あなたがたは多くを望んだが、見よ、それは少なかった。あなたがたが家に持ってきたとき、わたしはそれを吹き払った。これは何ゆえであるかと、万軍の主は言われる。これはわたしの家が荒れはてているのに、あなたがたは、おのおの自分の家の事だけに、忙しくしている。』(ハガイ1:9)
三番目に断った人の口実は「妻をめとったから」というものだった。礼拝や神の国の事よりも、夫や妻を第一にする。一見すると、あまり悪い事のように見えないかもしれないが、その夫婦はどうなってしまうか。
人類最初の夫婦・アダムとエバを見れば分かる。アダムは、神の声より、妻の声のほうに聞き従った結果、呪われ、妻のせいにし、汗水を流して土を耕さなくてはならなくなってしまい、ついには死ぬ存在となった。
結局、仕事も生活も結婚でも、神様が招いて下さる宴会を退けて、自分の目と判断に頼って「上等な畑」「上等な牛」「上等な結婚」と思って得ても、主を優先順位的に低く見積もるなら、それらは一転して、上等な「苦労」をもたらす畑や、牛、結婚となってしまうのだ。主が「よし」としていないものは、みなそうである。
私達はそのようにして、主の宴会を、極上のぶどう酒を、ロスしてしまわないよう、気をつけるべきである。

主は最初の奇跡を結婚という場で行い、僕(ディアコノス)が汲んだ水を、極上のぶどう酒に変える事によって、ご自身の栄光を現された。聖書はアダムとエバの結婚で始まり、聖書の終わりは、まことの花婿キリストと、花嫁である教会との結婚によって終わる。それ程、主は、結婚を尊ばれた。私達は、天におけるまことの結婚に入るまで、地上では「僕(ディアコノス)」として、イエス様の言われる事を何でも行うべきだ。
この「僕」と訳されるディアコノスは、ディア(くぐる)+コニス(塵、灰)、すなわち、灰をかぶるように仕える者だが、実は、世界中の女性が憧れるシンデレラは「cinder(灰)」が元であり、和名は「灰かぶり姫」である。
シンデレラは過酷な継母の元で、灰をかぶる程に強制的に働かされていたが、王子様に見初められ、王家へと嫁ぎ、素晴らしい王宮に入り、以前の古くて汚い、せまい働き場は全くもって過ぎ去る、という物語であるが、地上で神のために働く全ての「僕」達は、皆、この壮大なシンデレラストーリーにあずかるのである。
やがて教会は、キリストにめとられる日が来る。それに向かい、花嫁として、御言葉のともしびをともし、聖霊の油を蓄え、めとられる時を待つ者である(マタイ25:1-13)。その日至るまで、主人はイエス様であると告白し、灰かぶり娘となってただ主に仕えて行く日々を紡いで行くのであれば、灰まみれであった衣は、主が光り輝くきよい麻布へと変えて下さる(黙示録19:8)。その時、主によって目の涙を全く拭い取られ、嘆き悲しむ日々は終わり、もはや苦しみや叫びの無い、永遠の御国の宴会へと入るのである。
だからこの地上において、畑を買ったから、牛を買ったから、結婚したから、王の宴会に行けない、と言っては決してならない。私達はただ、最上なるお方に天で迎え入れるその日を期待を持って目指し、神の国とその義を第一に求め続け、この地上においても、主が備えて下さる最高のぶどう酒をいただきつつ、歩んでいく皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
人間的な力を頼みにする無割礼の者に煩わされるな(1サムエル記17:4-32)
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富と栄誉が増し加わった時に高ぶってしまったヒゼキヤ(2歴代誌32:22-33)
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32:22 このように主は、ヒゼキヤとエルサレムの住民をアッスリヤの王セナケリブの手およびすべての敵の手から救い出し、いたる所で彼らを守られた。
32:23 そこで多くの人々はささげ物をエルサレムに携えてきて主にささげ、また宝物をユダの王ヒゼキヤに贈った。この後ヒゼキヤは万国の民に尊ばれた。

このヒゼキヤの人生の絶頂とも言えるこの時、ヒゼキヤは死ぬほどの病にかかった。

32:24 そのころ、ヒゼキヤは病んで死ぬばかりであったが、主に祈ったので、主はこれに答えて、しるしを賜わった。

歴代誌では、ヒゼキヤが祈って癒やされた事がたった1節で記されているが、この1節の背後にも多くのドラマがあった事がイザヤ書や第二列王記に記されている。
2列王記20:1 そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。アモツの子預言者イザヤは彼のところにきて言った、「主はこう仰せられます、『家の人に遺言をなさい。あなたは死にます。生きながらえることはできません』」。
20:2 そこでヒゼキヤは顔を壁に向けて主に祈って言った、
20:3 「ああ主よ、わたしが真実を真心をもってあなたの前に歩み、あなたの目にかなうことをおこなったのをどうぞ思い起してください」。そしてヒゼキヤは激しく泣いた。

祈りは、すぐに答えられる場合と、すぐには答えられない場合、あるいは、全く答えられない場合もあるが、主に対して誠実を積み上げてきたヒゼキヤの祈りは、まことに速やかに答えられた。

20:4 イザヤがまだ中庭を出ないうちに主の言葉が彼に臨んだ、
20:5 「引き返して、わたしの民の君ヒゼキヤに言いなさい、『あなたの父ダビデの神、主はこう仰せられる、わたしはあなたの祈を聞き、あなたの涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやす。三日目にはあなたは主の宮に上るであろう。
20:6 かつ、わたしはあなたのよわいを十五年増す。わたしはあなたと、この町とをアッスリヤの王の手から救い、わたしの名のため、またわたしのしもべダビデのためにこの町を守るであろう』」。

主は「しもべダビデのためにこの町を守る」と言われた。
主はヒゼキヤのためというより、この町の人々をヒゼキヤを通して守ろうとされた。

20:7 そしてイザヤは言った、「干しいちじくのひとかたまりを持ってきて、それを腫物につけさせなさい。そうすれば直るでしょう」。
20:8 ヒゼキヤはイザヤに言った、「主がわたしをいやされる事と、三日目にわたしが主の家に上ることについて、どんなしるしがありましょうか」。
20:9 イザヤは言った、「主が約束されたことを行われることについては、主からこのしるしを得られるでしょう。すなわち日影が十度進むか、あるいは十度退くかです」。

ヒゼキヤはしるしを求めた。彼の父アハズは、同じ預言者イザヤから「しるしを求めなさい」と言われても「求めません」などと言って、かえって別の神々の偶像を据える罪を犯したが、ヒゼキヤは積極的にしるしを求めた。
すると主は、宇宙規模のしるしを与えられる。

20:10 ヒゼキヤは答えた、「日影が十度進むことはたやすい事です。むしろ日影を十度退かせてください」。
20:11 そこで預言者イザヤが主に呼ばわると、アハズの日時計の上に進んだ日影を、十度退かせられた。

この出来事は、NASAの科学者達によって、実証されている。
人工衛星を打ち上げるにあたり、過去や未来の太陽・月・惑星などの位置を計算するのだが、太陽や地球が一日の例外もなく回って来た事を前提に計算すると、どうしても、実情と計算とが合わないのだ。
そこである科学者が、聖書のこの記述と、ヨシュア記で太陽と月が一昼夜留まった事を計算に代入した所、全てのつじつまが合って、無事、衛生を飛ばすことが出来たというのだ。

こうして、敵からの救いのみならず、病からの癒やしという多くの主の恵みを頂いたヒゼキヤだが、彼は、その与えられた恵みを悪い事に用いてしまう。

32:25 しかしヒゼキヤはその受けた恵みに報いることをせず、その心が高ぶったので、怒りが彼とユダおよびエルサレムに臨もうとしたが、
32:26 ヒゼキヤはその心の高ぶりを悔いてへりくだり、またエルサレムの住民も同様にしたので、主の怒りは、ヒゼキヤの世には彼らに臨まなかった。

ヒゼキヤもまた、成功して富と栄誉が増し加わった際、高ぶってしまった。
本当に私達も、成功した時こそ気をつけるべきである。
主はあらかじめ、神の民に警告しておられた。

申命記8:11 あなたは、きょう、わたしが命じる主の命令と、おきてと、定めとを守らず、あなたの神、主を忘れることのないように慎まなければならない。
8:12 あなたは食べて飽き、麗しい家を建てて住み、
8:13 また牛や羊がふえ、金銀が増し、持ち物がみな増し加わるとき、
8:14 おそらく心にたかぶり、あなたの神、主を忘れるであろう。主はあなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出し、
8:15 あなたを導いて、あの大きな恐ろしい荒野、すなわち火のへびや、さそりがいて、水のない、かわいた地を通り、あなたのために堅い岩から水を出し、
8:16 先祖たちも知らなかったマナを荒野であなたに食べさせられた。それはあなたを苦しめ、あなたを試みて、ついにはあなたをさいわいにするためであった。

ヒゼキヤは、延ばされた15年の人生で、後のイスラエルに壊滅をもたらすきっかけをつくってしまう。

32:31 しかしバビロンの君たちが使者をつかわして、この国にあった、しるしについて尋ねさせた時には、神は彼を試みて、彼の心にあることを、ことごとく知るために彼を捨て置かれた。

この事も、列王記やイザヤ書では詳細に記している。

2列王記20:12 そのころ、バラダンの子であるバビロンの王メロダクバラダンは、手紙と贈り物を持たせて使節をヒゼキヤにつかわした。これはヒゼキヤが病んでいることを聞いたからである。
20:13 ヒゼキヤは彼らを喜び迎えて、宝物の蔵、金銀、香料、貴重な油および武器倉、ならびにその倉庫にあるすべての物を彼らに見せた。家にある物も、国にある物も、ヒゼキヤが彼らに見せない物は一つもなかった。

バビロンは当時はまだ小国で、アッシリヤに対抗する国であった
彼らは手紙と贈りものを携えていた。という事は、ヒゼキヤと協力関係を結んでアッシリヤに対抗する意図があったと考えられるが、しかしヒゼキヤは、余計な事をしてしまった。

20:14 その時、預言者イザヤはヒゼキヤ王のもとにきて言った、「あの人々は何を言いましたか。どこからきたのですか」。ヒゼキヤは言った、「彼らは遠い国から、バビロンからきたのです」。
20:15 イザヤは言った、「彼らはあなたの家で何を見ましたか」。ヒゼキヤは答えて言った、「わたしの家にある物を皆見ました。わたしの倉庫のうちには、わたしが彼らに見せない物は一つもありません」。
20:16 そこでイザヤはヒゼキヤに言った、「主の言葉を聞きなさい、
20:17 『主は言われる、見よ、すべてあなたの家にある物、および、あなたの先祖たちが今日までに積みたくわえた物の、バビロンに運び去られる日が来る。何も残るものはないであろう。
20:18 また、あなたの身から出るあなたの子たちも連れ去られ、バビロンの王の宮殿で宦官となるであろう』」。

親しくもない、しかも、主を敬うことをしない、外国の使者に、不用意に自分の手の内すべてを見せるなど、とんでもない事なのだ。
私達は主に対しては全てを明かすべきであるが、外に対して、特に、主を敬わない者達に、自分の手の内を、明かすべきではない。

箴言5:15 あなたは自分の水ためから水を飲み、自分の井戸から、わき出す水を飲むがよい。
5:16 あなたの泉を、外にまきちらし、水の流れを、ちまたに流してよかろうか。
5:17 それを自分だけのものとし、他人を共にあずからせてはならない。

ヒゼキヤは、その健康や富、名声、栄誉を全部ひけらかしたが、それらは全て、主から与えられたものだ。
私達は、主がいかなるお方であるかを開示すべきであって、主から与えられたモノを自慢するべきではない。
次の言葉に、ヒゼキヤが高ぶって

20:19 ヒゼキヤはイザヤに言った、「あなたが言われた主の言葉は結構です」。彼は「せめて自分が世にあるあいだ、平和と安全があれば良いことではなかろうか」と思ったからである。

彼は、イザヤから言われた言葉に心おののかせるのではなく、自分が世にいる間は平和と安全があれば良い、と思った。
ここに彼の傲慢が垣間見られる。

32:32 ヒゼキヤのその他の行為およびその徳行は、アモツの子預言者イザヤの黙示とユダとイスラエルの列王の書にしるされている。
32:33 ヒゼキヤはその先祖たちと共に眠ったので、ダビデの子孫の墓のうちの高い所に葬られた。ユダの人々およびエルサレムの住民は皆その死に当って彼に敬意を表した。その子マナセが彼に代って王となった。

この、マナセという王は12歳で王になった。すなわち、病が癒やされてから3年後である。
既に傲慢な心になってしまったヒゼキヤがいかにマナセを育てたのか、それはマナセが王になった時の統治の内容で伺い知れる。
マナセは主を敬わない悪い王で、しかもヒゼキヤがして来た良い事をことごとくひっくり返す事をしてしまった。

こうしてヒゼキヤは、与えられた15年を使って、将来イスラエルを壊滅させるきっかけを作ってしまった。

申命記8:17 あなたは心のうちに『自分の力と自分の手の働きで、わたしはこの富を得た』と言ってはならない。
8:18 あなたはあなたの神、主を覚えなければならない。主はあなたの先祖たちに誓われた契約を今日のように行うために、あなたに富を得る力を与えられるからである。

私達は、敵が攻めて来た時や病になった時よりむしろ、成功して富が増し加わった時こそ、心して祈るべきである。
「高ぶり」という、イスラエルの王達を滅ぼした敵に、打ち負かされる事がないようにと。

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圧倒的な敵を前に、主に助けを求める人に、圧倒的な助けを下さる主(2歴代誌32:20-21)
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圧倒的な残虐な力と、分かりやすい脅し文句をもって攻めて来たアッシリヤに対し、ヒゼキヤが取った行動は、祈りだった。

32:20 そこでヒゼキヤ王およびアモツの子預言者イザヤは共に祈って、天に呼ばわったので、
32:21 主はひとりのみ使をつかわして、アッスリヤ王の陣営にいるすべての大勇士と将官、軍長らを滅ぼされた。それで王は赤面して自分の国に帰ったが、その神の家にはいった時、その子のひとりが、つるぎをもって彼をその所で殺した。

主は、ヒゼキヤとエルサレムの人々を飲みつくそうとしていたアッシリヤの大軍から奇跡的に救って下さった。
歴代誌では、ほんの2節で済ませているが、その2節には多くのドラマがある。
イザヤ書37章に、そのドラマが詳細に記されている。

イザヤ37:1 ヒゼキヤ王はこれを聞いて、衣を裂き、荒布を身にまとって主の宮に入り、
37:2 宮内卿エリアキムと書記官セブナおよび祭司のうちの年長者たちに荒布をまとわせて、アモツの子預言者イザヤのもとへつかわした。
37:3 彼らはイザヤに言った、「ヒゼキヤはこう言います、『きょうは悩みと責めと、はずかしめの日です。胎児がまさに生れようとして、これを産み出す力がないのです。
37:4 あなたの神、主は、あるいはラブシャケのもろもろの言葉を聞かれたかもしれません。彼はその主君アッスリヤの王につかわされて、生ける神をそしりました。あなたの神、主はその言葉を聞いて、あるいは責められるかもしれません。それゆえ、この残っている者のために祈をささげてください』」。

ヒゼキヤが真っ先にした事は、衣を裂き、荒布を身にまとって自らを主の前に低くし、主の宮に入った事だった。
そして、預言者イザヤに祈りの要請をした事だった。
ヒゼキヤはこの時、まだ信仰がしっかり確立していなかったのだろう。
4節で彼は「あなたの神、主は」と言っていて、「私達の神、主は」とは言っていない。
また、「あるいは(ウ・ライ:もしかすると)ラブシャケのもろもろの言葉を聞かれたかもしれません。」と言っていて、主は自分の祈りも敵の侮りも全部聞いておられるという事を、信じきっていないふしがある。
主は、主に聞き従わない者は嫌われるが、信仰が弱かろうとも主に聞こうとする人は、憐れんで下さる。
そして、諸々の試練を通して、信仰を強くさせて下さる。

37:5 ヒゼキヤ王の家来たちがイザヤのもとに来たとき、
37:6 イザヤは彼らに言った、「あなたがたの主君にこう言いなさい、『主はこう仰せられる、アッスリヤの王のしもべらが、わたしをそしった言葉を聞いて恐れるには及ばない。
37:7 見よ、わたしは一つの霊を彼のうちに送って、一つのうわさを聞かせ、彼を自分の国へ帰らせて、その国でつるぎに倒れさせる』」。
37:8 ラブシャケは引き返して、アッスリヤの王がリブナを攻めているところへ行った。彼は王がラキシを去ったことを聞いたからである。

これが、イザヤを通した主の言葉である。そして実際、エルサレムの包囲網を解く所まではその通りになった。
しかしアッシリヤは、ただでは引き下がらなかった。

37:9 この時、アッスリヤの王はエチオピヤの王テルハカについて、「彼はあなたと戦うために出てきた」と人々が言うのを聞いた。彼はこのことを聞いて、使者をヒゼキヤにつかわそうとして言った、
37:10 「ユダの王ヒゼキヤにこう言いなさい、『あなたは、エルサレムはアッスリヤの王の手に陥ることはない、と言うあなたの信頼する神に欺かれてはならない。
37:11 あなたはアッスリヤの王たちが、国々にしたこと、彼らを全く滅ぼしたことを聞いている。どうしてあなたは救われることができようか。
37:12 わたしの先祖たちはゴザン、ハラン、レゼフおよびテラサルにいたエデンの人々を滅ぼしたが、その国々の神々は彼らを救ったか。
37:13 ハマテの王、アルパデの王、セパルワイムの町の王、ヘナの王およびイワの王はどこにいるか』」。

アッシリヤはただで引き下がらず、ヒゼキヤにさらに脅しの「くぎ」を刺して来たのだ。

37:14 ヒゼキヤは使者の手から手紙を受け取ってそれを読み、主の宮にのぼっていって、主の前にそれをひろげ、
37:15 主に祈って言った、

私達もアッシリヤのような暴力が、世の者の不当な仕打ちが来た時、ヒゼキヤにならうべきである。
その者達がよこして来たものを、自分の内に留め置くのではなく、そのまま主へとスルーパスして、主の前に広げるのだ。

37:16 「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、万軍の主よ、地のすべての国のうちで、ただあなただけが神でいらせられます。あなたは天と地を造られました。
37:17 主よ、耳を傾けて聞いてください。主よ、目を開いて見てください。セナケリブが生ける神をそしるために書き送った言葉を聞いてください。
37:18 主よ、まことにアッスリヤの王たちは、もろもろの民とその国々を滅ぼし、
37:19 またその神々を火に投げ入れました。それらは神ではなく、人の手の造ったもので、木や石だから滅ぼされたのです。
37:20 今われわれの神、主よ、どうぞ、われわれを彼の手から救い出してください。そうすれば地の国々は皆あなただけが主でいらせられることを知るようになるでしょう」。

ヒゼキヤは、自らの精一杯の信仰を、主に告白した。
アッシリヤは確かに国々を、神々を滅ぼして来たかもしれない。しかしそれらは、木や石であって、誰にでも滅ぼすことができる偶像の神々だった、しかし主よ、あなたは全知全能の力強きお方である、と。
すると、今度は預言者のほうが、ヒゼキヤへと使いを遣わして言葉を与える。

37:21 その時アモツの子イザヤは人をつかわしてヒゼキヤに言った、「イスラエルの神、主はこう言われる、あなたはアッスリヤの王セナケリブについてわたしに祈ったゆえ、
37:22 主が彼について語られた言葉はこうである、『処女であるシオンの娘は/あなたを侮り、あなたをあざける。エルサレムの娘は、あなたのうしろで頭を振る。

現実の状況としては、アッシリヤがエルサレムを侮り、あざけり、頭を振ってばかにする状況であるが、心を尽くして主を主とし、主に助けを求めるなら、主は立場を全くもって逆転させて下さるのだ。
ちょうど、とてつもなく強く権威を持った夫を持った妻に向かって、ある人がいきり立ってばかにしたとしても、妻は、たとえ自分がいかに弱く小さくても、夫ゆえに、その者を逆にあざけり、頭を振るのと同じように、主を助けとする者は、それと同じ立場に立つ事が出来る。

37:26 あなたは聞かなかったか、昔わたしがそれを定めたことを。堅固な町々を、あなたがこわして荒塚とすることも、いにしえの日から、わたしが計画して/今それをきたらせたのだ。
37:27 そのうちに住む民は力弱く、おののき恥をいだいて、野の草のように、青菜のようになり、育たずに枯れる屋根の草のようになった。

アッシリヤは、自分の力と権威を誇ったが、しかし、アッシリヤに力と権威を与えたのは、ほかでもない、主である。

37:28 わたしは、あなたの座すること、出入りすること、また、わたしにむかって/怒り叫んだことをも知っている。
37:29 あなたが、わたしにむかって怒り叫んだことと、あなたの高慢な言葉とがわたしの耳にはいったゆえ、わたしは、あなたの鼻に輪をつけ、あなたの口にくつわをはめて、あなたを、もと来た道へ引きもどす』。

主は、私達が心ひそかに祈った事のみならず、敵が言った全ての嘲りも、また敵が心でひそかに企んだ事も、全てご存知である。

2列王記6:8 かつてスリヤの王がイスラエルと戦っていたとき、家来たちと評議して「しかじかの所にわたしの陣を張ろう」と言うと、
6:9 神の人はイスラエルの王に「あなたは用心して、この所をとおってはなりません。スリヤびとがそこに下ってきますから」と言い送った。
6:10 それでイスラエルの王は神の人が自分に告げてくれた所に人をつかわし、警戒したので、その所でみずからを防ぎえたことは一、二回にとどまらなかった。
6:11 スリヤの王はこの事のために心を悩まし、家来たちを召して言った、「われわれのうち、だれがイスラエルの王と通じているのか、わたしに告げる者はないか」。
6:12 ひとりの家来が言った、「王、わが主よ、だれも通じている者はいません。ただイスラエルの預言者エリシャが、あなたが寝室で語られる言葉でもイスラエルの王に告げるのです」。

主は全てをご存知である、という事を知っても、なお逆らう者に対しては、主ご自身が戦って下さる。

2列王記6:13 王は言った、「彼がどこにいるか行って捜しなさい。わたしは人をやって彼を捕えよう」。時に「彼はドタンにいる」と王に告げる者があったので、
6:14 王はそこに馬と戦車および大軍をつかわした。彼らは夜のうちに来て、その町を囲んだ。
6:15 神の人の召使が朝早く起きて出て見ると、軍勢が馬と戦車をもって町を囲んでいたので、その若者はエリシャに言った、「ああ、わが主よ、わたしたちはどうしましょうか」。
6:16 エリシャは言った、「恐れることはない。われわれと共にいる者は彼らと共にいる者よりも多いのだから」。
6:17 そしてエリシャが祈って「主よ、どうぞ、彼の目を開いて見させてください」と言うと、主はその若者の目を開かれたので、彼が見ると、火の馬と火の戦車が山に満ちてエリシャのまわりにあった。

主は、主を敬う者の周りに陣を張り、あらゆる災いから、彼を守って下さるのである。
それも、万軍の主の熱心(キヌア・ヤヘ)をもって。

37:36 主の使が出て、アッスリヤびとの陣営で十八万五千人を撃ち殺した。人々が朝早く起きて見ると、彼らは皆死体となっていた。
37:37 アッスリヤの王セナケリブは立ち去り、帰っていってニネベにいたが、
37:38 その神ニスロクの神殿で礼拝していた時、その子らのアデラン・メレクとシャレゼルがつるぎをもって彼を殺し、ともにアララテの地へ逃げていった。それで、その子エサルハドンが代って王となった。

主はこうして、主に呼び求める神の民を救って下さった。
主は最初からこれをなさらないのは、人々が主を知り、主により頼む事を教えるためであり、主を恐れ敬う人にはいかに祝福と幸いが、主を軽んじる者にはいかに呪いが降るかを、明らかにするためであろう。

私達も、「主のしもべ」という立ち位置に入るなら、主は私達を「おとめ」と呼んで下さり、彼の守りの中に入ることが出来る。
しかし主を頼みとしない者は、その守りはいつまでもその人のものとはならず、最後までそれをしないなら、ついには災いに追いつかれてしまうのだ。

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