メッセージ - 201802のエントリ

暴力的な強さを頼もしく思ってより頼む者は、暴力によって悩まされる(2歴代誌28:16-21)
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アハズ王は主を捨て去り、自分の子達を邪教の神に捧げる事までして主に忌み嫌われる事を行った。
その結果、王国に諸々の災いをもたらす事となり、アラムや北イスラエル王国の二つの王国によって1日に12万の兵士が殺されるという大損害を負い、さらには20万の女子供向が生け捕りにされ連れて行かれるという事が起こった。
しかし主の憐れみにより、一人の預言者の北イスラエル王国に対する言葉によって、その20万は無事帰された。

そのような大きな恵みを主から受けたにもかかわらず、アハズ王は主により頼むという事をしない。
この時、主からどのような言葉を頂き、そしてアハズ王はどれほど主に対して失礼を犯したか、イザヤ書を見れば分かる。

イザヤ7:1 ユダの王、ウジヤの子ヨタム、その子アハズの時、スリヤの王レヂンとレマリヤの子であるイスラエルの王ペカとが上ってきて、エルサレムを攻めたが勝つことができなかった。
7:2 時に「スリヤがエフライムと同盟している」とダビデの家に告げる者があったので、王の心と民の心とは風に動かされる林の木のように動揺した。
7:3 その時、主はイザヤに言われた、「今、あなたとあなたの子シャル・ヤシュブと共に出て行って、布さらしの野へ行く大路に沿う上の池の水道の端でアハズに会い、
7:4 彼に言いなさい、『気をつけて、静かにし、恐れてはならない。レヂンとスリヤおよびレマリヤの子が激しく怒っても、これら二つの燃え残りのくすぶっている切り株のゆえに心を弱くしてはならない。

主は預言者イザヤに、子供をつれて、どこどこでアハズに出会いなさい、と、細やかな指示をされた。
そうして伝えるべき主の御言葉は、「気をつけて、静かにし、恐れてはならない」「心を弱くしてはならない」だった。

7:5 スリヤはエフライムおよびレマリヤの子と共にあなたにむかって悪い事を企てて言う、
7:6 「われわれはユダに攻め上って、これを脅かし、われわれのためにこれを破り取り、タビエルの子をそこの王にしよう」と。
7:7 主なる神はこう言われる、この事は決して行われない、また起ることはない。
7:8 スリヤのかしらはダマスコ、ダマスコのかしらはレヂンである。(六十五年のうちにエフライムは敗れて、国をなさないようになる。)
7:9 エフライムのかしらはサマリヤ、サマリヤのかしらはレマリヤの子である。もしあなたがたが信じないならば、立つことはできない』」。

実際この預言の通り、北イスラエル王国は65年の内にアッシリヤによって滅ぼされ、国の体裁を失ってしまう。
主に不信の罪を犯して来たアハズ王と南ユダ王国には、有り余るほどの恵みの預言が与えられた。
そして、その救いを自分のものにするための条件は、「気をつけて、静かにし、恐れてはならない」「心を弱くしてはならない」であった。

さらに主は言われる。
7:10 主は再びアハズに告げて言われた、
7:11 「あなたの神、主に一つのしるしを求めよ、陰府のように深い所に、あるいは天のように高い所に求めよ」。

主はなんと憐れみ深いお方だろう。
あんなにも主に忌み嫌われる事を行ったにもかかわらず、主はアハズに、あなたは確かに助かる、証拠として何でもしるしを求めなさい、とまで言って下さった。

7:12 しかしアハズは言った、「わたしはそれを求めて、主を試みることをいたしません」。

彼が今までしてきた事を見るなら、「主を試みることをいたしません」などと言える立場ではない。
彼は今まで主に依り頼んで来なかったというのに、主の側が、そこまで降りて来てくださり、譲歩して下さったのだから、主に何でも求めて、主が為してくださる素晴らしい御業を体験するべきなのに、なおも「主に求めません」と言うとは、なんと失礼な事だろう。
それは、主を煩わせる事であった。

7:13 そこでイザヤは言った、「ダビデの家よ、聞け。あなたがたは人を煩わすことを小さい事とし、またわが神をも煩わそうとするのか。
7:14 それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。

驚く事に、ここに処女がみごもる預言、インマヌエル預言、すなわちイエス様が生まれる預言がなされる。
最も不信仰な王が、主に期待しない事の告白をした時に与えられた預言、それは、インマヌエルなる主が、処女を通して与えられる預言である。
頑として主に求めない不信仰な人間に、主は一方的に降りて来て、一方的に救おうとされたのだ。

これらの預言が為されたにもかかわらず、アハズは、落ち着いて静かに信頼できず、身勝手な行動に出てしまう。

28:16 その時アハズ王は人をアッスリヤの王につかわして助けを求めさせた。

アハズ王は、主から与えられた言葉を早速無視し、アッシリヤに助けを求めにいく。

2列王記16:7 そこでアハズは使者をアッスリヤの王テグラテピレセルにつかわして言わせた、「わたしはあなたのしもべ、あなたの子です。スリヤの王とイスラエルの王がわたしを攻め囲んでいます。どうぞ上ってきて、彼らの手からわたしを救い出してください」。
16:8 そしてアハズは主の宮と王の家の倉にある金と銀をとり、これを贈り物としてアッスリヤの王におくったので、
16:9 アッスリヤの王は彼の願いを聞きいれた。すなわちアッスリヤの王はダマスコに攻め上って、これを取り、その民をキルに捕え移し、またレヂンを殺した。

アハズ王がアッシリヤの暴力的な悪の強さが圧倒的だったから、それが頼もしく見えたのだろう。
しかし、暴力的で強いいじめっ子に、母の財布からくすねたお金を持って行って「あのいじめっ子を襲ってください」などと言うとしたら、その後どうなるだろうか。大体予想はつく。
彼は外交儀礼上、「わたしはあなたのしもべ、あなたの子です」と口先で言ったのかもしれないが、発した言葉は、力を持つものである。このことばによって、南ユダ王国は、アッシリヤに好き放題つけこまれる足がかりをつくってしまった。
一見すると、アッシリヤによって問題解決したかのように見えたが、アッシリヤとの因縁をつくってしまった故、南ユダ王国はその後、アッシリヤから執拗にゆすりたかられる事となる。

2歴代誌28:20 アッスリヤの王テルガデ・ピルネセルは彼の所に来たが、彼に力を添えないで、かえって彼を悩ました。
28:21 アハズは主の宮と王の家、およびつかさたちの家の物を取ってアッスリヤの王に与えたが、それはアハズの助けにはならなかった。

アハズ王は母の財布からくすねるどころの話ではなく、主の宮から宝を取ってアッシリヤをなだめても無駄だった。
暴力的なことで名を馳せる者には、なけなしのお金を出して誠意を見せれば脅しを辞めてくれる、と思ってはならない。
彼らはむしろ「こいつは脅せば、もっとゆすり取れる」と思うものなのだ。
こうしてアハズ王は、アッシリヤから因縁をつけられ、脅され、ゆすり取られる行動パターンをつくってしまった。

主からの最初の助言は何だっただろうか。
「気をつけて、静かにし、恐れてはならない」「心を弱くしてはならない」だった。
しかしそれを好まず、恵み深い主に信頼する道を捨て、アッシリヤの暴力に頼ってしまった故に、アッシリヤから逆に悩まされる事になってしまった。

イザヤ30:15 主なる神、イスラエルの聖者はこう言われた、「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る」。しかし、あなたがたはこの事を好まなかった。
30:16 かえって、あなたがたは言った、「否、われわれは馬に乗って、とんで行こう」と。それゆえ、あなたがたはとんで帰る。また言った、「われらは速い馬に乗ろう」と。それゆえ、あなたがたを追う者は速い。
30:17 ひとりの威嚇によって千人は逃げ、五人の威嚇によってあなたがたは逃げて、その残る者はわずかに/山の頂にある旗ざおのように、丘の上にある旗のようになる。

主を信頼する所に力がある。
しかし、自分勝手な者は、いたずらに力を浪費し、労に労を重ねた挙句、干からびてしまうものだ。

祝福の地を見えなくさせるもの(創世記21:9-21)
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週報/メッセージ(説教)概要

 ベエル・シェバとはどういう所かを前回学んだ。そこは、よく潤った広くて良い地、私達が目指すべき地であるが、その素晴らしい良き地がせっかく示されても、入れない人・入れても祝福を得られない人がいる。
今回、そのようなベエル・シェバの祝福を受けられない人の特徴と、その対処法を学びたい。

ベエル・シェバが聖書で最初に登場するのは創世記21章だが、その箇所には只ならぬ事が起きている。
『翌朝早く、アブラハムは、パンと水の皮袋を取ってハガルに与え、それを彼女の肩に載せ、その子とともに彼女を送り出した。それで彼女はベエル・シェバの荒野をさまよい歩いた。』(創世記21:14) この母子がパンと水だけを持たされて送り出されてしまったのは、自分の立場をわきまえずに、高慢になったからだ。
イシュマエルは歳の差のある弟のイサクを軽んじ、ばかにし、母ハガルも彼を止めなかった。神の国に弱者をばかにして戯れる性質は、無い。争いを好み、弱い人をばかにして笑う人は、切り離されてしまう。
アブラハムはイシュマエルも自分の子なので、非常に悩んだが、主は言われた。この少年も一つの大きな国民としよう、と。それはハガルにも与えられていた約束であるので、アブラハムは安心して「送り出した」。
ところがハガルはわざわざベエル・シェバの「荒野」へ向かって行く。道沿いに行けば町や井戸がある土地なのに。しかも目の前に井戸があるのに、彼女は気づかなかった。自暴自棄になったのかもしれない。
せっかくベエル・シェバに送り出されても、神様の約束の言葉ではなく、自分の負の感情をじっと見つめ、沸き立たせ、不平不満や争いの心を高じさせる人は、祝福の井戸には、ありつけないのだ。
「イシュマエル」の名は「神は聞かれる」という意味で、主がつけて下さった名前だ。彼女は「神は聞かれる」という子を手放して感情に任せて泣いていた所、神は「少年の声を」聞かれた。それでハガルに声をかけ、約束を思い起こさせ、『神がハガルの目を開かれたので、彼女は水の井戸のあるのを見た。』(19節)

肝心のものがそこにあるのに気づかず、神様が目を開いて下さる場面は、聖書には幾つかある。
バラムはモーセの時代の有力な預言者であったが、彼が大金で雇われ、ろばに乗ってイスラエルを呪いに行く途上、目の前に御使いが抜き身の剣を手に待ち構えているのが、見えなかった。彼は「金への欲望」で目が塞がれていたためだ。(民数記22章) 彼を乗せたろばは、剣を持った御使いを見てその場にうずくまってしまったが、バラムは「進め、進め、なんで自分の思い通りに行かないのだ」、と、ろばを打った。
その時、主がバラムの目を開かれたので、彼は主の使いが抜き身の剣を持って道に立ちふさがっているのを見て、頭を垂れてひれ伏した。『主の使は彼に言った、「なぜあなたは三度もろばを打ったのか。あなたが誤って道を行くので、わたしはあなたを妨げようとして出てきたのだ。』(民数記22:32) 御使いは、ろばを擁護した。結局この著名な預言者は、ろばの信仰によって命拾いしたのだ。情けない話だが、お金への欲望は、どんな有力な預言者といえど、ろばさえ分かるような滅びへの道さえ分からなくしてしまうのだ。
もう一つ、見えなかった目が開かれる事で有名な場面が、使徒9章にある。『するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。そこで彼は立ってバプテスマを受け、また食事をとって元気を取りもどした。』(使徒9:18) ここは迫害者サウロが使徒パウロになった場面である。
彼が見えていなかった理由は、「自分は正しい」という思い込みに満たされていたからだ。自分がしていることは正しい、相手が間違っている、だから何しても良いのだ、という思いにくらまされ、神の御心に反する事を逆にしてしまっていた所を、主はアナニヤという人を通して彼の目を開いて下さった。

このように、ハガルは鬱憤に、バラムは金銭欲に、サウロは自己義によって見えなくなっていたが、私達もそれらによって目がくらまされ、神様が用意して下さった祝福が見えなくなってしまう事がある。もし祝福があるはずなのに見えない、と自覚をしたなら、それらから目を逸らし、思いと心を主に向け、御霊に歩むよう軌道修正すべきだ。そうすれば、見えなくしている覆いは取り除かれ、自由になる。(2コリント3:12-16)
主は、ハガルにはイシュマエルを、バラムにはろばを、サウロにはアナニヤを遣わして目を開いて下さったが、私達も霊的盲目に陥って突き進んでいる兄弟姉妹に気づいたなら、助けてあげるべきだ。
進んではならない滅びの道がよく見えるようになり、さらみ祝福の地ベエル・シェバもよく見えるようになって、何をしても栄える幸いを勝ち得ていく皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
礼拝を求めていたサマリヤの女を訪れたイエス(ヨハネ4:1-30)
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忌み嫌われる事を行ったアハズと南ユダ王国と、彼らに示された主の憐れみ(2歴代誌28:1-15)
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ヨタムは信仰を子供に、その民に受け継がせる事に失敗し、その恐ろしい”つけ”が、後代において刈り取ってしまうことになる。
それまでの王達は、最初は主の目に良い事を行い、それで祝福されると高ぶってしまい、晩節を汚すという事が数代続いたが、アハズは最初から主の目に忌み嫌われる事を行った。

28:1 アハズは王となった時二十歳で、十六年の間エルサレムで世を治めたが、その父ダビデとは違って、主の良しと見られることを行わず、
28:2 イスラエルの王たちの道に歩み、またもろもろのバアルのために鋳た像を造り、
28:3 ベンヒンノムの谷で香をたき、その子らを火に焼いて供え物とするなど、主がイスラエルの人々の前から追い払われた異邦人の憎むべき行いにならい、
28:4 また高き所の上、丘の上、すべての青木の下で犠牲をささげ、香をたいた。

アハズは偶像礼拝をもたらしてしまった。その結果どうなるか、十戒で真っ先に書いてある。
20:2 「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。
20:3 あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
20:4 あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。
20:5 それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、
20:6 わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。

偶像礼拝は、主に忌み嫌われ、それを行う者は3代4代に呪いが及ぶ。
しかしアハズの子ヒゼキヤは主の目にかなった行いをした故に祝福されたように、もし親の代の偶像礼拝を忌み嫌うものとして自分の中から投げ捨てるなら、その人はその行い故に祝福される。

アハズはなんと、自分の子達を火で焼いていけにえとする邪教の教えにも習ってしまった。
そのような者はイスラエルの中でどうすべきか、主はあらかじめ示しておられる。
レビ記20:2 「イスラエルの人々に言いなさい、『イスラエルの人々のうち、またイスラエルのうちに寄留する他国人のうち、だれでもその子供をモレクにささげる者は、必ず殺されなければならない。すなわち、国の民は彼を石で撃たなければならない。
20:3 わたしは顔をその人に向け、彼を民のうちから断つであろう。彼がその子供をモレクにささげてわたしの聖所を汚し、またわたしの聖なる名を汚したからである。
20:4 その人が子供をモレクにささげるとき、国の民がもしことさらに、この事に目をおおい、これを殺さないならば、
20:5 わたし自身、顔をその人とその家族とに向け、彼および彼に見ならってモレクを慕い、これと姦淫する者を、すべて民のうちから断つであろう。

つまり、自分の子を犠牲に捧げるような者は、本来、殺さなければならない。
そしてそれを見て見ぬふりをし、あるいは同意する者も同様である。
それなのに、アハズの時代は国がこぞってそうなってしまった。

律法に照らすなら、本来、すぐにでも滅ぼされても仕方がない事を彼らはしていたのだが、すぐに皆が殺されるという事を主はしない。
本来殺されるはずの罪人が、すぐに殺されず、立ち返る道が与えられる。これを、恵みという。
主は恵みの時、悔い改めて立ち返る事ができる時間を与えられた。

2歴代誌28:5 それゆえ、その神、主は彼をスリヤの王の手に渡されたので、スリヤびとは彼を撃ち破り、その民を多く捕虜として、ダマスコに引いて行った。彼はまたイスラエルの王の手にも渡されたので、イスラエルの王も彼を撃ち破って大いに殺した。
28:6 すなわちレマリヤの子ペカはユダで一日のうちに十二万人を殺した。皆勇士であった。これは彼らがその先祖の神、主を捨てたためである。
28:7 その時、エフライムの勇士ジクリという者が王の子マアセヤ、宮内大臣アズリカムおよび王に次ぐ人エルカナを殺した。
28:8 イスラエルの人々はついにその兄弟のうちから婦人ならびに男子、女子など二十万人を捕虜にし、また多くのぶんどり物をとり、そのぶんどり物をサマリヤに持って行った。

たった一日で戦士が十二万人も殺されたばかりでなく、王の子や側近の者達が殺されてしまった。
そればかりでなく、婦人や男女二十万人もの人々が、捕虜にされ、連れて行かれ、また財産も多くぶんどり物として持って行かれてしまった。
その理由は明らかで「これは彼らがその先祖の神、主を捨てたためである。」(28:6)

神の民が、主に忌み嫌われるものを抱えたままでは、敵の前に立つことは出来ない。
その戦いは、必ず散々な目に遭うものだ。次のように書いてある。

ヨシュア記7:10 主はヨシュアに言われた、「立ちなさい。あなたはどうして、そのようにひれ伏しているのか。
7:11 イスラエルは罪を犯し、わたしが彼らに命じておいた契約を破った。彼らは奉納物を取り、盗み、かつ偽って、それを自分の所有物のうちに入れた。
7:12 それでイスラエルの人々は敵に当ることができず、敵に背をむけた。彼らも滅ぼされるべきものとなったからである。あなたがたが、その滅ぼされるべきものを、あなたがたのうちから滅ぼし去るのでなければ、わたしはもはやあなたがたとは共にいないであろう。
7:13 立って、民を清めて言いなさい、『あなたがたは身を清めて、あすのために備えなさい。イスラエルの神、主はこう仰せられる、「イスラエルよ、あなたがたのうちに、滅ぼされるべきものがある。その滅ぼされるべきものを、あなたがたのうちから除き去るまでは、敵に当ることはできないであろう」。
7:14 それゆえ、あすの朝、あなたがたは部族ごとに進み出なければならない。そして主がくじを当てられる部族は、氏族ごとに進みいで、主がくじを当てられる氏族は、家族ごとに進みいで、主がくじを当てられる家族は、男ひとりびとり進み出なければならない。
7:15 そしてその滅ぼされるべきものを持っていて、くじを当てられた者は、その持ち物全部と共に、火で焼かれなければならない。主の契約を破りイスラエルのうちに愚かなことを行ったからである』」。

本来滅ぼされて仕方のないイスラエルの前に、さらに主の憐れみが注がれる。

28:9 その時そこに名をオデデという主の預言者があって、サマリヤに帰って来た軍勢の前に進み出て言った、「見よ、あなたがたの先祖の神、主はユダを怒って、これをあなたがたの手に渡されたが、あなたがたは天に達するほどの怒りをもってこれを殺した。
28:10 そればかりでなく、あなたがたは今、ユダとエルサレムの人々を従わせて、自分の男女の奴隷にしようと思っている。しかしあなたがた自身もまた、あなたがたの神、主に罪を犯しているではないか。
28:11 いまわたしに聞き、あなたがたがその兄弟のうちから捕えて来た捕虜を放ち帰らせなさい。主の激しい怒りがあなたがたの上に臨んでいるからです」。

南ユダ王国は確かに滅ぼされて仕方ない事を行った故に、たった一日で合計32万が取り去られてしまうような、甚大な災いを被ったが、しかし主は南ユダ王国のみならず、北イスラエル王国にも憐れみのわざをするチャンスを、預言者を通して与えられた。
主は北イスラエル王国の人々に対し、南ユダ王国の捕虜20万を「兄弟たち」と呼んだ。彼らに憐れみを施しなさい、と。
果たして北イスラエル王国は、その憐れみのわざを行った。

28:12 そこでエフライムびとのおもなる人々、すなわちヨハナンの子アザリヤ、メシレモテの子ベレキヤ、シャルムの子ヒゼキヤ、ハデライの子アマサらもまた、戦争から帰った者どもに向かって立ちあがり、
28:13 彼らに言った、「捕虜をここに引き入れてはならない。あなたがたはわたしどもに主に対するとがを得させて、さらにわれわれの罪とがを増し加えようとしている。われわれのとがは大きく、激しい怒りがイスラエルの上に臨んでいるからです」。
28:14 そこで兵卒どもがその捕虜とぶんどり物をつかさたちと全会衆の前に捨てておいたので、
28:15 前に名をあげた人々が立って捕虜を受け取り、ぶんどり物のうちから衣服をとって、裸の者に着せ、また、くつをはかせ、食い飲みさせ、油を注ぎなどし、その弱い者を皆ろばに乗せ、こうして彼らをしゅろの町エリコに連れて行って、その兄弟たちに渡し、そしてサマリヤに帰って来た。

このサマリヤの人たちが示した憐れみの行動、何か新約の、良きサマリヤ人のたとえを思い起こさせるキーワードが、たくさんある。

ルカ10:29 すると彼は自分の立場を弁護しようと思って、イエスに言った、「では、わたしの隣り人とはだれのことですか」。
10:30 イエスが答えて言われた、「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。
10:31 するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。
10:32 同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。
10:33 ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、
10:34 近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。
10:35 翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。
10:36 この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。
10:37 彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」。そこでイエスは言われた、「あなたも行って同じようにしなさい」。

北イスラエル王国は、アハズという強盗によって散々な目に遭った南ユダ王国の人々に対し、裸の者には着させ、くつをはかせ、飲み食いさせ、油を塗り、弱っている人を動物に乗せてはこび、エリコへと導いて、「隣人」となり、よきサマリヤ人になった。
これによって、どれほど主の憐れみが北イスラエル王国に、南ユダ王国に示された事だろう。

しかし南ユダ王国のアハズは、その主が示してくださった憐れみをもって悔い改めるのではなく、かえって、なにをしても赦されるのだと思ったのか、より主に忌み嫌われる方面へと進んでしまう事になる。

善王ヨタムの短かった統治(2歴代誌27章)
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ヨタムから遡る3代の王達、ヨアシュ、アマツヤ、ウジヤと共通している事は、その統治の最初は主に従う良い王として鳴り響かせていたが、祝福され勢力が増し加わるにつれて高慢になり、失敗で人生を終えてしまう、という点だった。
しかし、ウジヤの子ヨタム王は、そのような失敗をしたという点がなく統治を終えている。

27:1 ヨタムは王となった時二十五歳で、十六年の間エルサレムで世を治めた。その母はザドクの娘で名をエルシャといった。
27:2 ヨタムはその父ウジヤがしたように主の良しと見られることをした。しかし主の宮には、はいらなかった。民はなお悪を行った。

ヨタムは父ウジヤの失敗を歩まないように気をつけたのだろう。
しかし彼の主の良しと見られることをしたにもかかわらず、「民はなお悪を行った。」

27:3 彼は主の宮の上の門を建て、オペルの石がきを多く築き増し、
27:4 またユダの山地に数個の町を建て、林の間に城とやぐらを築いた。
27:5 彼はアンモンびとの王と戦ってこれに勝った。その年アンモンの人々は銀百タラント、小麦一万コル、大麦一万コルを彼に贈った。アンモンの人々は第二年にも第三年にも同じように彼に納めた。

このように軍備を整え、実際に勝利し、多くの貢を納めさせる事に成功した。

27:6 ヨタムはその神、主の前にその行いを堅くしたので力ある者となった。
27:7 ヨタムのその他の行為、そのすべての戦いおよびその行いなどは、イスラエルとユダの列王の書にしるされている。
27:8 彼は王となった時、二十五歳で、十六年の間エルサレムで世を治めた。
27:9 ヨタムはその先祖と共に眠ったので、ダビデの町に葬られ、その子アハズが彼に代って王となった。

彼についての記述は、以上のように短い。列王記の並行箇所においては、わずか7節で記している。
彼が良い王であった、にもかかわらず、どうしてこんなにも短いのかが気になる。
彼の、紙面に現れていない点について、注目して行きたい。

彼は、自分の子供に信仰を伝授する事と、彼の民に信仰を浸透させる事には熱心でなかったと言える。
2節に「民はなお悪を行った」とあるし、また彼の子・アハズはとんでもない悪い王になってしまうからだ。

イスラエルの民が、バビロン捕囚から2500年もの間信仰が継続され、国として復興できたのは、ひとえに信仰の伝授を徹底させたからだと言っても過言ではない。
イスラエルにとって最も大事な命令は、次の言葉である。

申命記6:4 イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。
6:5 あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。
6:6 きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、
6:7 努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。
6:8 またあなたはこれをあなたの手につけてしるしとし、あなたの目の間に置いて覚えとし、
6:9 またあなたの家の入口の柱と、あなたの門とに書きしるさなければならない。

すなわち、自分自身が全てを尽くして主に従う事、子供に伝授する事、そして、わが家は主に従う家とする事。
これらをイスラエルの民は何よりも大事にして来たゆえに、イスラエルの民の信仰が存続して来たのだ。
これはクリスチャンはぜひとも見習うべきである。クリスチャンは伝道は熱心にして来たものの、子供に御言葉教育を施す事をどういうわけか疎かにし、せっかくリバイバルが起きても、2代目・3代目になると信仰が廃れてしまうという歴史を繰り返して来た。
御言葉教育こそ、今の私達に最も必要な事である。

なぜヨタムの統治はわずか16年、41歳の若さで夭折したのだろう。
人生、寿命が伸びれば良いというものではない。
彼の後に起きるヒゼキヤという王もまた、最初は主に熱心に仕える良い王であった。彼が貫いた従順と忍耐も、主の御前にとても高貴なものである。
しかし彼の、王としての統治の絶頂の時、彼は病にかかり、預言者イザヤから、もうじき死ぬから身辺整理せよ、と宣告される。
なぜあの素晴らしい人が?という事はあるが、主は全てのいのちを計っておられ、主の為される事は時に適って最善なのだ。
人は弱くいつでも主に喜ばれる歩みをするとは限らない。
実は、命が延長されない方が良い事もあるのだ。

2歴代誌32:24 そのころ、ヒゼキヤは病んで死ぬばかりであったが、主に祈ったので、主はこれに答えて、しるしを賜わった。
32:25 ヒゼキヤはその受けた恵みに報いることをせず、その心が高ぶった

ヒゼキヤは、せっかく主からもらった15年の命を、悪い事に用いてしまった。
彼が癒やされた事や、大いなるしるしが起きた事で、バビロンから使節が来たのだが、それに気をよくし、宝物倉も武器倉も全てを彼らに見せたのだ。
しかし、これが元となって、彼が見せた全ては将来全てバビロンに奪われてしまうばかりでなく、彼の子達もそこで宦官にされてしまう事さえイザヤは預言した。
『ヒゼキヤはイザヤに言った、「あなたが言われた主の言葉は結構です」。彼は「少なくとも自分が世にある間は太平と安全があるだろう」と思ったからである。』
彼のこの言葉からは、自分のいのちと保身にしか関心が無い事がわかる。彼は当初、とても高貴な信仰の働きをしたのに、こんなにも卑しい心に成り下がってしまった様を見るのは、とても残念な事だ。

ヨタムは、若くして王権といのちが取られたが、それは、主の憐れみだったのかもしれない。
命がとられる事、それは必ずしも災いではない。

黙示録14:13 またわたしは、天からの声がこう言うのを聞いた、「書きしるせ、『今から後、主にあって死ぬ死人はさいわいである』」。御霊も言う、「しかり、彼らはその労苦を解かれて休み、そのわざは彼らについていく」。

詩篇90:3 あなたは人をちりに帰らせて言われます、「人の子よ、帰れ」と。
90:4 あなたの目の前には千年も/過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです。
90:5 あなたは人を大水のように流れ去らせられます。彼らはひと夜の夢のごとく、あしたにもえでる青草のようです。
90:6 あしたにもえでて、栄えるが、夕べには、しおれて枯れるのです。
・・・
90:12 われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください。

私達は自分の日数を正しく数える事を教えてください、と、主に祈るべきである。
あとどのくらい生きられるのか、という事ではなく、たとえ今日、いのちが取られるとしても、恥じることも悔いる事もないような、主に仕える「今日」を積み上げていく事こそ、キリスト者の生き方なのだ。
 

「上り」の歩みと「下り」の歩み(コロサイ3:1-4)
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3:1 このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。
3:2 あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。
3:3 あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。
3:4 わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。

私達はキリストと共によみがえらされた。よみがえった、という事は、ひとたび既に死んだものである。
生まれながらの肉欲に溺れた生き方に対し、罪に対し、世に対して。
そして、私達のいのちの本質は、もうこの地上ではなく、天国に、キリストと共に神に隠されている。

電車に上り線と下り線があり、都に近づく方面を上り、遠ざかる方面を下りと言うが、私達は天の都へといつも向かう者であるべきだ。
キリストに召し出されて御言葉を聞いた者が全員約束の地に入れるという訳ではないからだ。
地上の歩みは、ちょうど出エジプトした民が荒野を通って約束の地カナンを目指すようなもので、約束を見上げつつ約束の地へ入る事ができる者もおれば、過去を思いエジプトを懐かしみ、結局荒野で屍をさらす者もいる。
多くの民が荒野で滅んだのは、今の時代を生きる私達への警告である事は、ヘブル人への手紙3-4章を見れば明らかである。

ヘブル3:12 兄弟たちよ。気をつけなさい。あなたがたの中には、あるいは、不信仰な悪い心をいだいて、生ける神から離れ去る者があるかも知れない。
 3:13 あなたがたの中に、罪の惑わしに陥って、心をかたくなにする者がないように、「きょう」といううちに、日々、互に励まし合いなさい。
 3:14 もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。
 3:15 それについて、こう言われている、/「きょう、み声を聞いたなら、/神にそむいた時のように、/あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない」。
 3:16 すると、聞いたのにそむいたのは、だれであったのか。モーセに率いられて、エジプトから出て行ったすべての人々ではなかったか。
 3:17 また、四十年の間、神がいきどおられたのはだれに対してであったか。罪を犯して、その死かばねを荒野にさらした者たちに対してではなかったか。
 3:18 また、神が、わたしの安息に、はいらせることはしない、と誓われたのは、だれに向かってであったか。不従順な者に向かってではなかったか。
 3:19 こうして、彼らがはいることのできなかったのは、不信仰のゆえであることがわかる。
4:1 それだから、神の安息にはいるべき約束が、まだ存続しているにかかわらず、万一にも、はいりそこなう者が、あなたがたの中から出ることがないように、注意しようではないか。
 4:2 というのは、彼らと同じく、わたしたちにも福音が伝えられているのである。しかし、その聞いた御言は、彼らには無益であった。それが、聞いた者たちに、信仰によって結びつけられなかったからである。
 4:3 ところが、わたしたち信じている者は、安息にはいることができる。それは、/「わたしが怒って、/彼らをわたしの安息に、はいらせることはしないと、/誓ったように」/と言われているとおりである。しかも、みわざは世の初めに、でき上がっていた。

イサクはひと度、ゲラルという世に「下って(ヤラド)」しまった。パンがなくなったためだ。
「下」は世であり、そこは一見食料に満ち、美しく栄えているように見えても、破滅への誘惑に満ちており、降った人は、家族や財産を、あるいは命を失い、散々な目で帰って来た例が、聖書に多数ある。
世に下ると、世の流儀の生き方をしなくてはらなくなり、嘘や罪を増し加えなくてはならない。

イサクは最終的に、ベエル・シェバへ「上った」。
「上る」はヘブライ語で「アラー」、上に向かう、あるいは「捧げる」事の意味があり、これが派生して「全焼のいけにえ(オラー)」となる。

創世記22:2  神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭(オラー)としてささげ(アラー)なさい」

私達は上にあるものを求める歩み、すなわち、「神に捧げられた歩み」をすべきである。
それをして行くなら、決して荒野に骨を埋める事がなく、約束の地に入ってそこで産んで増えて行く事が出来る。

ローマ12:1 兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。
12:2 あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。

しかしもし下るなら、エリメレク一家のように、あるいはエルサレムからエリコへ下った人のように(ルカ10:30)、散々な目に遭って何もかも奪われ、あるいは死んでしまう。
出エジプトした民の大部分は、約束の地を見上げる歩みではなく、かつてのエジプトをなつかしむ歩み(下の歩み)をし、約束の地に入れず、荒野で骨を埋めてしまった。

だから、言われている。
ヘブル3:13 あなたがたの中に、罪の惑わしに陥って、心をかたくなにする者がないように、「きょう」といううちに、日々、互に励まし合いなさい。
 3:14 もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。
 3:15 それについて、こう言われている、/「きょう、み声を聞いたなら、/神にそむいた時のように、/あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない」。

高慢と怒り - 主を恐れる事を忘れさせ、地獄のさばきの感覚を麻痺させる麻薬(2歴代誌26章)
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26:1 そこでユダの民は皆ウジヤをとって王となし、その父アマジヤに代らせた。時に十六歳であった。
26:2 彼はエラテを建てて、これをふたたびユダのものにした。これはかの王がその先祖たちと共に眠った後であった。
26:3 ウジヤは王となった時十六歳で、エルサレムで五十二年の間世を治めた。その母はエルサレムの者で名をエコリヤといった。
26:4 ウジヤは父アマジヤがしたように、すべて主の良しと見られることを行った。

ウジヤ王の父アマツヤ以前の3代はマタイ1章の系図から除外されていたが、ウジヤ王から再び掲載されるようになる。
彼が主の目に適う事を行ったからである。しかし、そこには次の但し書きがある。

26:5 彼は神を恐れることを自分に教えたゼカリヤの世にある日の間、神を求めることに努めた。彼が主を求めた間、神は彼を栄えさせられた。

彼にはゼカリヤという霊的に指導する人がいて、その人が生きている間、神を求めることに努めた、と書いてある。
という事は、このゼカリヤという指導者がいなくなってしまったとたん、そうではなくなってしまったのだ。
それは全く、彼の祖父・ヨアシュと同じ道である。
しかし、心と信仰はどうあれ、神の命令を守り行っている限り、祝福はついて回る。

26:6 彼は出てペリシテびとと戦い、ガテの城壁、ヤブネの城壁およびアシドドの城壁をくずし、アシドドの地とペリシテびとのなかに町を建てた。
26:7 神は彼を助けてペリシテびとと、グルバアルに住むアラビヤびとおよびメウニびとを攻め撃たせられた。
26:8 アンモンびとはウジヤにみつぎを納めた。ウジヤは非常に強くなったので、その名はエジプトの入口までも広まった。
26:9 ウジヤはまたエルサレムの隅の門、谷の門および城壁の曲りかどにやぐらを建てて、これを堅固にした。
26:10 彼はまた荒野にやぐらを建て、また多くの水ためを掘った。彼は平野にも平地にもたくさんの家畜をもっていたからである。彼はまた農事を好んだので、山々および肥えた畑には農夫とぶどうをつくる者をもっていた。

彼の治世は、内政においても軍事においても祝福され、その名声は鳴り響いた。
心はどうあれ、御言葉の通りを守り行う人は、祝福される。これは現代のユダヤ人を見ていると、確かにその通りだと実感できる。
彼らはイエス様を信じる信仰は無いが、律法の行いがあるため、世界中どこにいても有力者となりお金持ちとなり支配者となっている。
ひきかえクリスチャンは、信仰はあっても行いが無いと、経済においても地位においても、彼らと比べるなら祝福されていない。行いが伴っていないからである。

26:15 彼はまたエルサレムで技術者の考案した機械を造って、これをやぐらおよび城壁のすみずみにすえ、これをもって矢および大石を射出した。こうして彼の名声は遠くまで広まった。彼が驚くほど神の助けを得て強くなったからである。

ここに書いてある通り、ウジヤ王が強くなったのは、神からの驚くほどの助けがあったからである。
私達もいつも主の助けによって強くされるという事を、あるいは主にあって強くされたという事を、忘れてはならない。
ウジヤ王は、祝福を受けた絶頂期に、忘れてしまった。

26:16 ところが彼は強くなるに及んで、その心に高ぶり、ついに自分を滅ぼすに至った。すなわち彼はその神、主にむかって罪を犯し、主の宮にはいって香の祭壇の上に香をたこうとした。

聖所で主に香を炊けるのは、アロンの子孫の祭司のみである事が律法に書いてある。(出エジプト記30:7-8)
だから王といえども聖所に入る事や香を炊くことは、律法違反であり、主に対する不敬の罪である。

26:17 その時、祭司アザリヤは主の祭司である勇士八十人を率いて、彼のあとに従ってはいり、
26:18 ウジヤ王を引き止めて言った、「ウジヤよ、主に香をたくことはあなたのなすべきことではなく、ただアロンの子孫で、香をたくために清められた祭司たちのすることです。すぐ聖所から出なさい。あなたは罪を犯しました。あなたは主なる神から栄えを得ることはできません」。

偉大な王として名声を鳴り響かせて久しい王に戒めるというのは難しい事かもしれない。しかし、祭司アザルヤは正しく戒めた。
この時点で、ウジヤ王は主に打たれてはいない。
この時、戒めを受け、自分のしたいと思っていた事を止めて出ていれば良かったのであるが、彼は戒めを、怒りとともに退けてしまう。

26:19 するとウジヤは怒りを発し、香炉を手にとって香をたこうとしたが、彼が祭司に向かって怒りを発している間に、らい病がその額に起った。時に彼は主の宮で祭司たちの前、香の祭壇のかたわらにいた。
26:20 祭司の長アザリヤおよびすべての祭司たちが彼を見ると、彼の額にらい病が生じていたので、急いで彼をそこから追い出した。彼自身もまた主に撃たれたことを知って、急いで出て行った。

ウジヤは、聖別されていない身で、怒りの心をもって、主に香を焚こうとした。
大祭司アロンの子、ナダブとアビフさえ、御前で異なった香を焚こうとしたなら御前から火が出て打たれたのだ。(レビ記10章)
それはどれ程大きな罪であっただろうか。
主の御前で、ふさわしくない者、ふさわしくない心で、祈りの香、賛美の香、奉仕という香を上らせるのは、忌み嫌われる事である。
モーセの姉ミリヤムさえも、妬みと怒りによってモーセを訴えた結果、主は彼女をらい病で打たれた。(民数記12章)
私達は、ウジヤのように、怒り狂ったような、ふさわしくない心で主に捧げていないだろうか。
それは恐ろしい事をその身に招く。

26:21 ウジヤ王は、死ぬ日までらい病人であった。彼はらい病人であったので、離れ殿に住んだ。主の宮から断たれたからである。その子ヨタムが王の家をつかさどり、国の民を治めた。
26:22 ウジヤのその他の始終の行為は、アモツの子預言者イザヤがこれを書きしるした。
26:23 ウジヤは先祖たちと共に眠ったので、人々は「彼はらい病人である」と言って、王たちの墓に連なる墓地に、その先祖たちと共に葬った。その子ヨタムが彼に代って王となった。

ウジヤは王権からも主の宮からも追い出されてしまい、王が葬られるべき所に葬ってもらえなかった。
私達も、高ぶること、怒る事、分を超えてしまうような事によって、彼のようになってはならない。

高慢は主を恐れる事を忘れさせ、怒りは地獄のさばきの感覚を麻痺させる麻薬である。

ヤコブ1:19 愛する兄弟たちよ。このことを知っておきなさい。人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである。
1:20 人の怒りは、神の義を全うするものではないからである。
1:21 だから、すべての汚れや、はなはだしい悪を捨て去って、心に植えつけられている御言を、すなおに受け入れなさい。御言には、あなたがたのたましいを救う力がある。

頑なさ:信仰者の集いから除外されてしまう性質(2歴代誌25:14-28)
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主から遣わされた預言者の言葉に従ってアマツヤは大勝利を収めたが、彼は信じられないような事をする。

25:14 アマジヤはエドムびとを殺して帰った時、セイルびとの神々を携えてきて、これを安置して自分の神とし、これを礼拝し、これにささげ物をなした。

なんと、彼に勝利をもたらしたイスラエルの神を捨てて、自分に打ち負かされた国の神を持ち帰り、その前にひれ伏したのだ。
私達の中にもあるかもしれない。自分が大いに勝ち得た時、ぶんどった相手の素晴らしく見えるもの、仕組み、力の前にひれ伏してしまうような所が。
勝利し祝福されたその時、私達は気をつけるべきである。

彼の行いには、主に対する尊敬も畏れ敬う事も無い。
結局、彼は心から主を愛していなかったという事だ。
父が主に従わなかった結果、非常に分かりやすい形で呪われ、非業の死を遂げたのを見た当初は、嫌々でも御言葉に従っていたかもしれないが、しかし勝利の味をしめてしまった時点から、気が緩んでしまったのだろう。

25:15 それゆえ、主はアマジヤに向かって怒りを発し、預言者を彼につかわして言わせられた、「かの民の神々は自分の民をあなたの手から救うことができなかったのに、あなたはどうしてそれを求めたのか」。
25:16 彼がこう王に語ると、王は彼に、「われわれはあなたを王の顧問にしたのですか。やめなさい。あなたはどうして殺されようとするのですか」と言ったので、預言者はやめて言った、「あなたはこの事を行って、わたしのいさめを聞きいれないゆえ、神はあなたを滅ぼそうと定められたことをわたしは知っています」。

アマツヤは主の預言者に対し「われわれはあなたを王の顧問にしたのですか。」と口を挟んだ。
少なくともダビデは、王の顧問よりも主の預言者のほうを重んじた。
しかし愚か者とは、自分が、ダビデよりも誰よりも偉大なものだと思い込んでいるものだ。

25:17 そこでユダの王アマジヤは協議の結果、人をエヒウの子エホアハズの子であるイスラエルの王ヨアシにつかわし、「さあ、われわれは互に顔をあわせよう」と言わせたところ、
25:18 イスラエルの王ヨアシはユダの王アマジヤに言い送った、「レバノンのいばらが、かつてレバノンの香柏に、『あなたの娘をわたしのむすこの妻に与えよ』と言い送ったところが、レバノンの野獣が通りかかって、そのいばらを踏み倒した。
25:19 あなたは『見よ、わたしはエドムを撃ち破った』と言って心に誇り高ぶっている。しかしあなたは自分の家にとどまっていなさい。どうしてあなたは災を引き起して、自分もユダも共に滅びようとするのか」。
25:20 しかしアマジヤは聞きいれなかった。これは神から出たのであって、彼らがエドムの神々を求めたので神は彼らを敵の手に渡されるためである。

主は、頑なな者を良くない思いへと引き渡される。
ローマ1:28 そして、彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、神は彼らを正しからぬ思いにわたし、なすべからざる事をなすに任せられた。

25:21 そこでイスラエルの王ヨアシは上って来て、ユダのベテシメシでユダの王アマジヤと顔を合わせたが、
25:22 ユダはイスラエルに撃ち破られ、おのおのその天幕に逃げ帰った。
25:23 その時イスラエルの王ヨアシはエホアハズの子ヨアシの子であるユダの王アマジヤをベテシメシで捕えて、エルサレムに引いて行き、エルサレムの城壁をエフライム門から、隅の門まで四百キュビトほどをこわし、
25:24 また神の宮のうちで、オベデエドムが守っていたすべての金銀およびもろもろの器物ならびに王の家の財宝を奪い、また人質をとって、サマリヤに帰った。

エルサレム城壁が破壊され、代々蓄えて来た宝が奪われた。大惨敗である。
しかし、生きていただけでも、まだ主の恵みが注がれている。
大きな痛い目を見て、主に従う事をするなら、主は豊かに立ち直らせて下さるが、なおも頑なを続けるなら、主は王権を取り上げる。

1サムエル記15:22 サムエルは言った、/「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、/燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ、従うことは犠牲にまさり、/聞くことは雄羊の脂肪にまさる。
15:23 そむくことは占いの罪に等しく、/強情は偶像礼拝の罪に等しいからである。あなたが主のことばを捨てたので、/主もまたあなたを捨てて、王の位から退けられた」。

25:25 ユダの王ヨアシの子アマジヤはイスラエルの王エホアハズの子ヨアシが死んで後なお十五年生きながらえた。
25:26 アマジヤのその他の始終の行為は、ユダとイスラエルの列王の書にしるされているではないか。

アマツヤはその十五年、主に従い、平和に過ごしたようである。しかしその後、主に従う事を止めてしまい、結果、次の事が起きる。

25:27 アマジヤがそむいて、主に従わなくなった時から、人々はエルサレムにおいて党を結び、彼に敵したので、彼はラキシに逃げて行ったが、その人々はラキシに人をやって、彼をその所で殺させた。
25:28 人々はこれを馬に負わせて持ってきて、ユダの町でその先祖たちと共にこれを葬った。

アマツヤは心頑なだった。
彼は、マタイ福音書の王族の系図から除外されてしまっている。(マタイ1:8)
心頑なにする事、それは、安息に入る事が出来ない性質であり、信仰者の列から外されてしまう性質である。

ヘブル3:7 だから、聖霊が言っているように、/「きょう、あなたがたがみ声を聞いたなら、
3:8 荒野における試錬の日に、/神にそむいた時のように、/あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない。
3:9 あなたがたの先祖たちは、/そこでわたしを試みためし、
3:10 しかも、四十年の間わたしのわざを見たのである。だから、わたしはその時代の人々に対して、/いきどおって言った、/彼らの心は、いつも迷っており、/彼らは、わたしの道を認めなかった。
3:11 そこで、わたしは怒って、彼らをわたしの安息に/はいらせることはしない、と誓った」。
3:12 兄弟たちよ。気をつけなさい。あなたがたの中には、あるいは、不信仰な悪い心をいだいて、生ける神から離れ去る者があるかも知れない。
3:13 あなたがたの中に、罪の惑わしに陥って、心をかたくなにする者がないように、「きょう」といううちに、日々、互に励まし合いなさい。
3:14 もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。

ベエル・シェバに入れ(創世記26章)
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週報/メッセージ(説教)概要

 去年、2018年の天声のカレンダーを作る時、2018年の標語となるべき御言葉を祈り求めていた所、ベエル・シェバという言葉が与えられた。このベエル・シェバとは何か。年明け最初の礼拝では語られたが、主日礼拝で語られた事がなかったので、今回、あらためてベエル・シェバとはいかなる所であるのかを見てみたい。

ベエル・シェバは「七つの井戸」「誓いの井戸」という意味の地で、信仰の父アブラハムが井戸を掘ったが、アビメレクのしもべが来て奪ってしまった。イサクが生まれて後、何をしても栄えるアブラハムをアビメレクは恐れ、不可侵条約を結びに来るのだが、その時、アブラハムはベエル・シェバを返すように抗議し、アビメレクは七頭の雌の子羊を受ける事で、そこは確かにアブラハムの地所であるという誓いを立てた。
『これによってその所をベエルシバと名づけた。彼らがふたりそこで誓いをしたからである。…アブラハムはベエルシバに一本のぎょりゅうの木を植え、その所で永遠の神、主の名を呼んだ。』(創21:31-33)
アブラハムが植えたとされるぎょりゅう(御柳)は今でもベエル・シェバにある。この木はヘブライ語でアシェル(「幸い」の意味:詩篇1:1)で、水が無い所でも深くから水を汲み上げる性質があり、イスラエル民族が1900年ぶりに入植した時、砂漠地帯だった所を、アブラハムに習ってこの木を植えた所、緑化に成功した。

以上のように、ベエル・シェバは信仰の父アブラハムが正統な手続きを経て入手し、潤いある地へと開墾したのだが、息子イサクは飢饉が理由でそこを離れ、再びアビメレクの元に身を寄せに行く。その時、主は彼に現れて言われた。『エジプトへ「下って」はならない。わたしがあなたに示す地に留まりなさい。』(26:2)
道や電車は、都に近づく方を「上り」、遠ざかる方を「下り」と言うが、霊的にも「上る」「下る」の概念がある。
「下」は世であり、そこは一見食料に満ち、美しく栄えているように見えても、破滅への誘惑に満ちており、降った人は、家族や財産を、あるいは命を失い、散々な目で帰って来た例が、聖書に多数ある。
私達は、上にあるものを求め続けるべきだ。そこはキリストが神の右に座しておられるからだ。(コロ3:1)
イサクは食糧難を「下」の方法で解決するため、異邦のアビメレクの元に「下った」結果、散々な目に遭う。
彼は異邦の地で無事に生きるために妻リベカを「妹です」と偽ったり、せっかく百倍の収穫を得ても、それを妬まれ、父アブラハムが掘った井戸を埋められた挙句、アビメレクから出て行くように言われてしまった。
追い立てられた先で井戸を掘っても、そこを奪われ、さらに出て行った先で井戸を掘っても、またしても井戸を奪われ、さらに次の場所へ行かざるを得なかった。どうしてそのような事が起きるのだろう。
それは、そこは主が定めた定住すべき地ではないからであり、「下」の見方で心が曇ってしまったイサクを、主が、「人」という鞭を用い、そこに住めないように導いておられたからだ。私達も「下」を見過ぎて目が曇ってしまい、主が示しておられる地が分からなくなってしまう時、主は「人」や「状況」を鞭として用い、主が示される地へと追い立てて行く事がある。その場所においてなす事がやる事がうまく行かない、やられっぱなし・奪われっぱなしである時、どこが本来いるべき「ベエル・シェバ」であるのかを求める必要がある。
イサクは、井戸をせっかく掘り当てた、と思ったのに、結局そこは狭い場所で、敵だらけで、いつも気を張っていなくてはならなかった。私達も、今の仕事や状況でそのように感じているとするなら、主に御心を求めて行くべきである。主が導いて下さる地、広くて、安心して産んで増えて行ける所を求めて。

『イサクはそこから移ってまた一つの井戸を掘ったが、彼らはこれを争わなかったので、その名をレホボテと名づけて言った、「いま主がわれわれの場所を広げられたから、われわれはこの地にふえるであろう」。彼はそこからベエルシバに上った。』(22-23節) 三度目にようやく争いの無い井戸を掘る事が出来たが、彼はすぐベエル・シェバへと「上る」。彼は「上」を見上げたのだ。彼は結局、信仰の父が掘った井戸の地、神の約束が示されていた地こそ、自分が産んで増えて地に満ちていくべき場所だとようやく悟ったのだ。
するとその夜、早速主がイサクに現れて言われ、「恐れてはならない」「わたしはあなたと共にいてあなたを祝福し、あなたの子孫を増す」と言われた。それで彼は、その所に礼拝場所を築き、天幕を張って井戸を掘り、住み込む準備を整えた。(24-25節) 私達も主が「ここだ」と示される地、示される仕事、示される礼拝を求めるべきである。そしてその「ベエル・シェバ」を得たなら、そこで産んで増えて地に満ちていく準備を整えるのだ。ベエル・シェバをわがものとし、産んで増えていく今年でありますように!

主から国々の富をわざとふるい落とされるような人になるためのコツ(ルツ記2:8-20)
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成功したい人は、成功者に見習え、という事は良く聞く事である。
私達は聖書の中から、霊的成功者の行動パターンを良く研究し、それにならい、また、霊的失敗者の行動パターンも研究し、それを遠ざける事により、霊的成功者を目指して行くべきである。
今回、霊的成功者であるルツから学びたい。

2:8 ボアズはルツに言った、「娘よ、お聞きなさい。ほかの畑に穂を拾いに行ってはいけません。またここを去ってはなりません。わたしのところで働く女たちを離れないで、ここにいなさい。
2:9 人々が刈りとっている畑に目をとめて、そのあとについて行きなさい。わたしは若者たちに命じて、あなたのじゃまをしないようにと、言っておいたではありませんか。あなたがかわく時には水がめのところへ行って、若者たちのくんだのを飲みなさい」。

イスラエルからは忌み嫌われるはずの異邦のモアブの女ルツは、どうしてこのような、ボアズから幸いな言葉を得る事が出来たか。
その第一の理由は、神である主を彼女の助けとして宣言したからである。

ルツ1:16 しかしルツは言った、「あなたを捨て、あなたを離れて帰ることをわたしに勧めないでください。わたしはあなたの行かれる所へ行き、またあなたの宿られる所に宿ります。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です。
1:17 あなたの死なれる所でわたしも死んで、そのかたわらに葬られます。もし死に別れでなく、わたしがあなたと別れるならば、主よ、どうぞわたしをいくえにも罰してください」。

第二に、彼女は神の民であるしゅうとのナオミに真実を尽くしたからである。
ナオミは、社会的にはホームレスのような地位に転落してしまった、にもかかわらずである。
神の民の、最も小さい者のひとりにした事は、主に対してした事であり、たとえ水一杯でもその報いに漏れる者はいない。

2:10 彼女は地に伏して拝し、彼に言った、「どうしてあなたは、わたしのような外国人を顧みて、親切にしてくださるのですか」。
2:11 ボアズは答えて彼女に言った、「あなたの夫が死んでこのかた、あなたがしゅうとめにつくしたこと、また自分の父母と生れた国を離れて、かつて知らなかった民のところにきたことは皆わたしに聞えました。
2:12 どうぞ、主があなたのしたことに報いられるように。どうぞ、イスラエルの神、主、すなわちあなたがその翼の下に身を寄せようとしてきた主からじゅうぶんの報いを得られるように」。

ボアズはルツを、イスラエルの神、主の翼の下に身を寄せようとしてきた、と評価した。
その通りである。そして、全能者の翼の下に身を避けて来た人の幸いは、詩篇91篇にある。
詩篇91:1 いと高き者のもとにある/隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人は
91:2 主に言うであろう、「わが避け所、わが城、わが信頼しまつるわが神」と。
91:3 主はあなたをかりゅうどのわなと、恐ろしい疫病から助け出されるからである。
91:4 主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。
91:5 あなたは夜の恐ろしい物をも、昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。
91:6 また暗やみに歩きまわる疫病をも、真昼に荒す滅びをも恐れることはない。
91:7 たとい千人はあなたのかたわらに倒れ、万人はあなたの右に倒れても、その災はあなたに近づくことはない。
91:8 あなたはただ、その目をもって見、悪しき者の報いを見るだけである。
91:9 あなたは主を避け所とし、いと高き者をすまいとしたので、

2:13 彼女は言った、「わが主よ、まことにありがとうございます。わたしはあなたのはしためのひとりにも及ばないのに、あなたはこんなにわたしを慰め、はしためにねんごろに語られました」。

第三に、彼女のこの慎ましさが、彼女を幸いにした。
クリスチャンの中には、イエス様はやさしいお方、赦してくださるお方だ、という事で、平気で主に対して失礼な事をしたり、高ぶった態度をとったりする人もいるが、そのような態度では祝福が降りてくるはずが無い。
私達もルツのように、主を敬い、感謝し、自分を低くする者には、次のボアズの行動のような祝福を、主は注いで下さる。

2:14 食事の時、ボアズは彼女に言った、「ここへきて、パンを食べ、あなたの食べる物を酢に浸しなさい」。彼女が刈る人々のかたわらにすわったので、ボアズは焼麦を彼女に与えた。彼女は飽きるほど食べて残した。

ボアズは、食べ物を酢に浸して渡してくれた。それは、特別な親愛の表現である。
イエス様は最後の晩餐の席で、裏切り者は誰かと弟子達に問われた時、それは自分がパン切れを浸して渡す人だと言ってから、イスカリオテのユダにパンを渡した。
状況的に、ユダが裏切り者だと示しているのは明白なはずなのに、弟子達はなぜか「祭りに必要な物を買いなさい」とか、「貧しい人に何か施すように」とか、ユダに言われたのだと思った。(ヨハネ13章)
きっとその時のイエス様の所作は、裏切り者を示す行為だとは到底思えない程、ユダへの親愛の情に満ちていたからであろう。
主は、裏切り者にさえこのような親愛の情を示してくださった。

2:15 そして彼女がまた穂を拾おうと立ちあがったとき、ボアズは若者たちに命じて言った、「彼女には束の間でも穂を拾わせなさい。とがめてはならない。
2:16 また彼女のために束からわざと抜き落しておいて拾わせなさい。しかってはならない」。

ボアズはさらに、わざと穂を抜き落として、それを拾わせてくれた。
ハガイ書において、主は国々を揺り動かして国々の宝物をイスラエルにもたらす、と言われたが、それはハガイの時代、主に対して失礼な態度を捨て去り、主を礼拝する礎を据えたからだ。(ハガイ2章)

2:17 こうして彼女は夕暮まで畑で落ち穂を拾った。そして拾った穂を打つと、大麦は一エパほどあった。
2:18 彼女はそれを携えて町にはいり、しゅうとめにその拾ったものを見せ、かつ食べ飽きて、残して持ちかえったものを取り出して与えた。
2:19 しゅうとめは彼女に言った、「あなたは、きょう、どこで穂を拾いましたか。どこで働きましたか。あなたをそのように顧みてくださったかたに、どうか祝福があるように」。そこで彼女は自分がだれの所で働いたかを、しゅうとめに告げて、「わたしが、きょう働いたのはボアズという名の人の所です」と言った。
2:20 ナオミは嫁に言った、「生きている者をも、死んだ者をも、顧みて、いつくしみを賜わる主が、どうぞその人を祝福されますように」。ナオミはまた彼女に言った、「その人はわたしたちの縁者で、最も近い親戚のひとりです」。

ルツが、自分のみならず、養うべき家族をも、満たして下さる恵みにあずかれたのは、彼女の慎ましい性質の故である。
私達も主に対して身を低くし、感謝し、主を敬うなら、国々を揺り動かし、わざと恵みをふるい落として下さるのだ。

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