メッセージ - 201712のエントリ

主よ、来てください(イザヤ8:17-9:7)
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第二礼拝音声
週報/メッセージ(説教)概要

 アドベントの元々の意味は、主の「ご到来(ラテン語:アドベントゥス)」を待ち望む事である。『主はいま、ヤコブの家に、み顔をかくしておられるとはいえ、わたしはその主を待ち、主を望みまつる。』(イザヤ8:17) 
この世はなぜ、闇に満ちていて、あたかも主が御顔を隠しておられるような状態なのか。
主は元々、人を愛し、救いたくて仕方ないのだけれど、人の悔い改めない心が「隔ての壁」となり、神様に救えなくしているのだ。19節に、人々が死人に伺いを立てている有様が記されているが、神を度外視したこの世の知恵は、全て、死にゆく人々の知恵であり「死人伺い」と変わりが無い。主こそ唯一救って下さるお方なのに、その主に呼び求めない所に、救いが無い状態からいつまでも脱却できない原因がある。だから続く20節で、「ただ教えとあかしとに求めよ。」と促しているのだ。「教え(トラー)」は御言葉である。
御言葉は、書かれてあるだけでは単なる文字列に過ぎないが、それを信仰をもって私達の内に入れる時、それは命となり、力となり、神が実際的にこの世で働くきっかけとなり、そうして私達が、主が働かれる中で生きている時、それを見る人々にとっては、主が生きておられるという「あかし」になる。
この「教えとあかし」に尋ねないなら、「夜明けがな」く、闇から抜け出せない。その闇は、どれほどの闇であったのか、21節以降にある。すなわち、飢えて放浪し、飢えて怒りに身を委ね、上を仰いでは王と神を呪い、苦難と闇、苦悩の暗闇、暗黒、追放された者しか見えない。それでも希望を掴もうとしてもがき、でも、掴んだと思っては、それは希望ではなかったと知って悲しむ。あのサマリヤの女のように、異性や結婚、あるいはお金や地位など、世のものに潤いを求めるが、それを飲めば飲むほど、渇いて行く。(ヨハネ4章)

『しかし、苦しみにあった地にも、やみがなくなる。さきにはゼブルンの地、ナフタリの地にはずかしめを与えられたが、後には海に至る道、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤに光栄を与えられる。』(9:1)
人には絶望しか無くても、主には「希望の”しかし”」がある。ゼブルンの地とナフタリの地は、イザヤの時代、アッシリアに占領され、「はずかしめ」を受けた。アッシリアは栄えたが、衰退し、その後にはバビロン帝国が支配した。その後もなお、辱められっぱなしであった。バビロンが栄え、衰退し、後にはメディア・ペルシャが興ったが、その時もそうだった。その後、ギリシア帝国が起きた時も、ずっとそうだった。相変わらず悔い改めず、主に立ち返らず、「死人伺い」と変わらないものに求めていたからだ。
しかしローマ帝国の時代になり、皇帝アウグストゥスが住民登録せよという勅令を出した時、「異邦人のガリラヤ」から、ある貧しい夫婦が、ダビデの町ベツレヘムへと上って来た。彼らがベツレヘムで男の子を産んだその時、長年かなえられていなかった、その慰めの預言が、ようやく成就した。
『ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。』(9:6)

かのサマリヤの女は、かつて5人の夫があったが、今一緒にいる男は夫ではない、とイエス様に指摘された。同様に、この地も、かつて5つの帝国に辱められ、支配を受けてきたが、真の王は、なかった。しかしローマ帝国の時代、イエス様がひとりのみどりごとしてお生まれになった時、イスラエルは真の王を得たのだ。この「ゼブルンの地、ナフタリの地」は、イエス様が宣教を開始された地である。当時のイスラエルはイエス様を迫害し、排除した。しかし、彼を主とし、王として受け入れる人には、素晴らしい特権が与えられる。
『主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。』(6-7節)

イエス様こそ、人となって来られた「御言葉」なるお方であり(ヨハネ1章)、それも、人が抱っこできる赤ちゃんとして来られた。赤ちゃんは小さくて、壊れやすくて、大切に扱わなくてはならない。しかし、このイエス様を胸の中に抱いて迎え入れ、内に宿らせるなら、私達の中に光が宿る。このイエス様に聞くなら、イエス様は私達の内でどんどん大きくなり、ダビデの王座につき、平和の花咲く永遠の国を建てて下さる。
苦しみのあった所に闇がなくなり、辱められていた者は慰めを受け、やがては永遠の国において、流して来た涙は拭われ、慰められ、死もなく、悲しみもそしりも無い、永遠の天国へ、イエス様は導いて下さる。
このアドベントの時、御言葉とあかしを束ね、闇に沈んでいる人々に、イエス様を届ける者でありたい。

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
すぐに約束の素晴らしき地に入れるか、それとも荒野の40年を行くかの分岐点(申命記1:1-36)
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神殿の構成(2歴代誌3:1-17)
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ソロモンはいよいよ神殿の建設に着手するが、その場所が興味深い。

3:1 ソロモンはエルサレムのモリアの山に主の宮を建てることを始めた。そこは父ダビデに主が現れられた所、すなわちエブスびとオルナンの打ち場にダビデが備えた所である。

主の宮が立てられた山は、モリアの山であると書かれてある。そこはすなわち、彼らの大先祖であるアブラハムが、彼の息子イサクを捧げた、あのモリヤ山である。(創世記22:2)
すなわち全イスラエルは、イサクの腰の中にいた時、このモリヤの山で、既に捧げられたのである。
そして時代が降り、そこが神の民が主に礼拝を捧げる所となるのである。

「兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。」(ローマ12:1)
礼拝はすなわち自分自身を捧げる事であり、そして、神と交わりを持つ場が、神殿であるが、今、私達自身が神殿であり、ゆくゆくは天国という永遠の礼拝の場の前身なのだ。

3:2 ソロモンが宮を建て始めたのは、その治世の四年の二月であった。
3:3 ソロモンの建てた神の宮の基の寸法は次のとおりである。すなわち昔の尺度によれば長さ六十キュビト、幅二十キュビト、
3:4 宮の前の廊は宮の幅に従って長さ二十キュビト高さ百二十キュビトで、その内部は純金でおおった。
3:5 またその拝殿はいとすぎの板で張り、精金をもってこれをおおい、その上にしゅろと鎖の形を施した。
3:6 また宝石をはめ込んで宮を飾った。その金はパルワイムの金であった。

神殿は尊い杉材で張られ、純金で覆われた。とても豪華絢爛であるが、その材料はほぼ、異邦の国からもたらされたものである。
現代、キリストにある私達異邦人は、生ける神の神殿であり、そして永遠の神殿である天国もまた、色々な国から集められた、誰にも数えきれないほどの大勢の群衆によって構成されている。
主は、ユダヤ人のみならず異邦人の手を通しても、栄光を表され、神の家を建て上げさせて下さるのだ。

3:7 彼はまた金をもってその宮、すなわち、梁、敷居、壁および戸をおおい、壁の上にケルビムを彫りつけた。
3:8 彼はまた至聖所を造った。その長さは宮の長さにしたがって二十キュビト、幅も二十キュビトである。彼は精金六百タラントをもってこれをおおった。

至聖所、すなわち神と人とが出会う場、地上に降りてきた天国は、20キュビト四方の立方体である。
以前モーセの時代に立てられた幕屋の至聖所は、その2分の1の10キュビト四方の立方体(出エジプト記26:15-37)であったが、黙示録に現れる新エルサレムにいたっては、12000スタディオンの立方体(1スタディオン=185m、1辺が約2400km)であり、その中には神殿はなく、都そのものが、主の栄光と臨在に満ちた至聖所である。(黙示録21章)
主のご計画が成就して行くごとに、隠されていた物事が露わにされて行き、全ての時が満ち、全てが成就した時、神の栄光は誰の目にも明らかなほど巨大に、公にあらわれるのである。

3:10 彼は至聖所に木を刻んだケルビムの像を二つ造り、これを金でおおった。
3:11 ケルビムの翼の長さは合わせて二十キュビトあった。すなわち一つのケルブの一つの翼は五キュビトで、宮の壁に届き、ほかの翼も五キュビトで、他のケルブの翼に届き、
3:12 他のケルブの一つの翼も五キュビトで、宮の壁に届き、ほかの翼も五キュビトで、先のケルブの翼に接していた。
3:13 これらのケルビムの翼は広げると二十キュビトあった。かれらは共に足で立ち、その顔は拝殿に向かっていた。
3:14 ソロモンはまた青糸、紫糸、緋糸および亜麻糸で垂幕を造り、その上にケルビムの縫い取りを施した。

至聖所の中にはケルビムがあり、翼でもって契約の箱を覆っている。
アダムとエバの堕落以降、人はエデンの園への道がケルビムと回る炎の剣によって遮られてしまったが、至聖所への道も、ケルビムの織物によって遮られている。
しかしキリストが十字架でさばかれた時、この幕は真っ二つに裂かれ、もはや聖所と至聖所を隔てる壁は打ち壊された。

『あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。
キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。』(エペソ2:13-16)

3:15 彼は宮の前に柱を二本造った。その高さは三十五キュビト、おのおのの柱の頂に五キュビトの柱頭を造った。
3:16 彼は首飾のような鎖を造って、柱の頂につけ、ざくろ百を造ってその鎖の上につけた。
3:17 彼はこの柱を神殿の前に、一本を南の方に、一本を北の方に立て、南の方のをヤキンと名づけ、北の方のをボアズと名づけた。

ヤキンは「主が設立する」、ボアズは「力のうちに」の意味がある。
これら、特別な名前がつけられた柱は、神殿を支える重要な部分だった。

教会にも、柱と見られる人がいる。使徒パウロは言っている。
『そして、かの「重だった人たち」からは――彼らがどんな人であったにしても、それは、わたしには全く問題ではない。神は人を分け隔てなさらないのだから――事実、かの「重だった人たち」は、わたしに何も加えることをしなかった。・・・”柱”として重んじられているヤコブとケパとヨハネとは、わたしとバルナバとに、交わりの手を差し伸べた。そこで、わたしたちは異邦人に行き、彼らは割礼の者に行くことになったのである。』(ガラテヤ2:6-9)

初代教会では、イエス様の12弟子だったヤコブやケパ(シモン・ペテロ)、ヨハネが「柱」として重んじられていたが、しかし「ヤキンとボアズ」の二本だけでは神殿を支えられず、他の柱も必要であるように、人とは完全なものではなく、柱となっている彼らを支える人もまた、必要だ。
パウロは、柱とされていたケパが非難すべき事をした時は、叱責によって彼を支えた。(同11-14節)

私達も、”聖所における柱”になれる事が黙示録に書いてある。
『勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。彼は決して二度と外へ出ることはない。そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、天とわたしの神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう。』(黙示録3:12)

勝利を得る者、聖所の柱となって新しい名が記される人とは、どのような人か。それはすぐ直前に書いてある。

『わたしは、あなたのわざを知っている。見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。・・・忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう。』(黙示録3:8-10)

主の言葉を忍耐して守り、主の御名を否まない人、そのような人は、勝利し、聖所の柱として用いられ、主の御そば近くから離れる事なく仕える事が出来、そして、世に来るべき試練の時に、主によって守られるのだ。

主を恐れ敬う国の莫大な祝福(2歴代誌2:1-18)
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2:3 ソロモンはまずツロのヒラムに人をつかわして言わせた、「あなたはわたしの父ダビデに、その住むべき家を建てるために香柏を送られました。どうぞ彼にされたように、わたしにもして下さい。

ユダヤ人が異邦人に対して誇っていたソロモン神殿の建材は全て、異邦に由来するものだった。
その建材の輸入をツロのヒラム王に依頼する時のソロモンの言葉には、主の御名がふんだんにあった。

2:4 見よ、わたしはわが神、主の名のために一つの家を建て、これを聖別して彼にささげ、彼の前にこうばしい香をたき、常供のパンを供え、また燔祭を安息日、新月、およびわれらの神、主の定めの祭に朝夕ささげ、これをイスラエルのながく守るべき定めにしようとしています。

私達も、イエス様を知らない人と一緒に仕事をする時、あの時のソロモンのように、立派に主をあかしする者になりたい。
立派なあかしをするためには、まず、私達が主にあって祝福されたものになるなら、人々はたやすく主は栄光あるお方であると納得できるだろうが、もし私達が主に祝福されていない状態であるなら、それはできない。
主に祝福されるには、主の御言葉を単に信じるだけでなく、それに記されている事を「守り行う」事である。
行いという「実体」が伴っていない信仰には、祝福も「実体」を伴って降りて来ない。

2:5 またわたしの建てる家は大きな家です。われらの神はすべての神よりも大いなる神だからです。
2:6 しかし、天も、諸天の天も彼を入れることができないのに、だれが彼のために家を建てることができましょうか。わたしは何者ですか、彼のために家を建てるというのも、ただ彼の前に香をたく所に、ほかならないのです。

この時のソロモンの信仰はとても健全であった事が分かる。
ソロモンは正しく主を伝えている。まさに主は「すべての神よりも大いなる神」であり、「天も、諸天の天も彼を入れることができない」、「彼のために家を建てるというのも、ただ彼の前に香をたく所に、ほかならない」のは、その通りである。
このように、正しい信仰の国に、主は、大いに祝福を注いで下さる。
アメリカは建国されてわずか200年ほどで世界一の大国に成長したのは、まさに信仰ゆえであった。
建国当初、ピューリタンの精神によって開拓され、礼拝第一の生活をし、学校では、子供達の口を通して主の祈りが捧げられていた。
その「古き良きアメリカ」の「良き」時代は、健全な信仰に基づいた生活をしていたからに他ならない。
どうして良き時代ではなくなってしまったのか。それは、信仰を離れたからに他ならない。

2:7 それで、どうぞ金、銀、青銅、鉄の細工および紫糸、緋糸、青糸の織物にくわしく、また彫刻の術に巧みな工人ひとりをわたしに送って、父ダビデが備えておいたユダとエルサレムのわたしの工人たちと一緒に働かせてください。
2:8 またどうぞレバノンから香柏、いとすぎ、びゃくだんを送ってください。わたしはあなたのしもべたちがレバノンで木を切ることをよくわきまえているのを知っています。わたしのしもべたちも、あなたのしもべたちと一緒に働かせ、
2:9 わたしのためにたくさんの材木を備えさせてください。わたしの建てる家は非常に広大なものですから。

栄光の主が祝福して下さった事を伝えた後、ソロモンは具体的な仕事の話に入る。

2:10 わたしは木を切るあなたのしもべたちに砕いた小麦二万コル、大麦二万コル、ぶどう酒二万バテ、油二万バテを与えます」。

1コルは約220リットルである。だからツロに輸出する量はかなり膨大であるが、いとも簡単にそれを輸出できる程、ソロモンの時代はふんだんに作物がとれたのだ。
列王記には、ソロモンの時代の初期はどれほど祝福された時代であるかを伺い知る事が出来る。

『ユダとイスラエルの人々は多くて、海べの砂のようであったが、彼らは飲み食いして楽しんだ。』(1列王記4:20)
ダビデ王の時代、彼がイスラエルの人口を数えようとした所、ヨアブから「どうぞあなたの神、主が、民を今よりも百倍に増してくださいますように。」と戒められたが(2サムエル記24:3)今や、その数は数えきれないほどに多くなり、それでかつ、地の産物も豊かに採れたので、食料の心配をする事なく繁栄を楽しんだ。

繁栄は、神の祝福である。
主の御声に聞き従うなら、主がそのような大きな繁栄と祝福を与えて下さる事は、主がモーセの時から示して下さった約束である。

1列王記4:20 ユダとイスラエルの人々は多くて、海べの砂のようであったが、彼らは飲み食いして楽しんだ。
・・・
 4:22 さてソロモンの一日の食物は細かい麦粉三十コル、荒い麦粉六十コル、
 4:23 肥えた牛十頭、牧場の牛二十頭、羊百頭で、そのほかに雄じか、かもしか、こじか、および肥えた鳥があった。
・・・
 4:25 ソロモンの一生の間、ユダとイスラエルはダンからベエルシバに至るまで、安らかにおのおの自分たちのぶどうの木の下と、いちじくの木の下に住んだ。

ソロモンの家で消費される小麦や牛、羊は莫大な量であったが、しかしそれでも民は重税で苦しんだのではなく、それだけ貢を収めてなお平和に飲み食いして楽しんだのだ。
民が重い取り立てで苦しみ、王だけがふんだんに飲み食いするとするなら、ただの暴君であるが、ソロモンが健全な信仰に留まっていた時は、民も王も主の祝福で豊かに潤っていたのだ。
こうして主が賜った有り余った富みによって、異邦の杉材を輸入し、そうして神殿が建てられていった。

『もしあなたが、あなたの神、主の声によく聞き従い、わたしが、きょう、命じるすべての戒めを守り行うならば、あなたの神、主はあなたを地のもろもろの国民の上に立たせられるであろう。もし、あなたがあなたの神、主の声に聞き従うならば、このもろもろの祝福はあなたに臨み、あなたに及ぶであろう。あなたは町の内でも祝福され、畑でも祝福されるであろう。またあなたの身から生れるもの、地に産する物、家畜の産むもの、すなわち牛の子、羊の子は祝福されるであろう。またあなたのかごと、こねばちは祝福されるであろう。あなたは、はいるにも祝福され、出るにも祝福されるであろう。』(申命記28:1-6)
祝福される条件は、「主の声によく聞き従い、わたしが、きょう、命じるすべての戒めを守り行うならば」である。
そうするなら、次の祝福が待っている。

2:11 そこでツロの王ヒラムは手紙をソロモンに送って答えた、「主はその民を愛するゆえに、あなたを彼らの王とされました」。
2:12 ヒラムはまた言った、「天地を造られたイスラエルの神、主はほむべきかな。彼はダビデ王に賢い子を与え、これに分別と知恵を授けて、主のために宮を建て、また自分のために、王宮を建てることをさせられた。

ソロモンの申し出に、異邦の王ヒラムは喜び、主(エホバ)の御名を誉め称えた。
これは、ソロモンが主を正しくあかしした故だ。
私達も正しく主の御力と栄光と、そして主が為してくださったあらゆる良き事を人々にあかしする時、人々は喜びをもって、私達と交わりを持ちたいと願うようになるのだ。

2:13 いまわたしは達人ヒラムという知恵のある工人をつかわします。
2:14 彼はダンの子孫である女を母とし、ツロの人を父とし、金銀、青銅、鉄、石、木の細工および紫糸、青糸、亜麻糸、緋糸の織物にくわしく、またよくもろもろの彫刻をし、意匠を凝らしてもろもろの工作をします。彼を用いてあなたの工人およびあなたの父、わが主ダビデの工人と一緒に働かせなさい。

神殿の建材は全て、異邦に由来するもので、その匠の技もまた、異邦人とユダヤ人のハーフの手によって提供された。
元々、神殿も救いもユダヤ人だけのものではなく、異邦人にも及んでいくべきものだった。
ダビデの子ソロモンを通して、全世界にイスラエルの神が高められ、救いが全世界に入っていくはずだった。
しかしソロモンの人生の後半、彼は主に逆らってしまい、それが果たされなかった。

2:17 そこでソロモンはその父ダビデが数えたようにイスラエルの国にいるすべての他国人を数えたが、合わせて十五万三千六百人あった。
2:18 彼はその七万人を荷を負う者とし、八万人を山で木や石を切る者とし、三千六百人を民を働かせる監督者とした。

異邦人が重労働に徴用されているが、1列王記5章を見ると、その労働条件はなんと、3ヶ月ローテーションの中で1ヶ月だけ働き、後の2ヶ月は休む、という素晴らしい労働条件だ。
日本では、「年間休日数」として120日という数字はよく見るが、当時のイスラエルは、異邦人の労働条件さえもそれが逆転し、「年間労働日数」が120日くらいなのだ。
それだけ働いても充分労働者の生活が賄われるほどの報酬が払われていたのだろう。
労働条件までも、祝福につぐ祝福である。

異邦人たちは、イスラエルの民が、主に祝福されている有様を見、彼らを祝福してくださった主を誉めたたえ、共に主の事業に参加した。
こうして主に祝福された神の民イスラエルの富は、世界へと流し出され、こうして、全世界に主の栄光と富が、主のおしえと救いが、さらに流れて行くはずだった。
ところがソロモンは途中から主から離れ、女達にそそのかされ、偶像礼拝へと落ちて行ってしまい、主の人類救済のご計画が果たされるのは、もっと後押しになってしまった。
人は何度、主を残念がらせただろう。

元々、ソロモンに祝福が与えられたきっかけは、彼が「聞き従う(シェマー)」心を求めたからだった。
私達は常に主に聞き従う心をキープし、ますます祝福されて行く者でありたい。

ルカによる福音書 講解説教メッセージ
主から召し出された弟子の取るべき心構え(ルカ9:51-62)
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新約聖書を走馬灯のように彩るイザヤ書の最終章(イザヤ66:1-9)
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雪よりも白くなるために(イザヤ1:2-20)
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1:18 主は言われる、さあ、われわれは互に論じよう。たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ。
1:19 もし、あなたがたが快く従うなら、地の良き物を食べることができる。
1:20 しかし、あなたがたが拒みそむくならば、つるぎで滅ぼされる」。これは主がその口で語られたことである。

この有名な促しを、主がなされたそもそもの原因は、イスラエルの中の罪に、特に、イスラエルの「恩知らずさ」の指摘から、イザヤ書は始まった。

1:2 天よ、聞け、地よ、耳を傾けよ、主が次のように語られたから、「わたしは子を養い育てた、しかし彼らはわたしにそむいた。
1:3 牛はその飼主を知り、ろばはその主人のまぐさおけを知る。しかしイスラエルは知らず、わが民は悟らない」。
1:4 ああ、罪深い国びと、不義を負う民、悪をなす者のすえ、堕落せる子らよ。彼らは主を捨て、イスラエルの聖者をあなどり、これをうとんじ遠ざかった。

牛やろばさえも、主人への恩を知っている、というのに、神の民は、主への恩をすっかり忘れてしまって、主への感謝もなく、ただ、主から与えられた食物を食べるだけで、主を敬わない。
牛やろば以下になってしまった神の民に対し、主は4節で「ああ」と嘆いている。

1:11 主は言われる、「あなたがたがささげる多くの犠牲は、わたしになんの益があるか。わたしは雄羊の燔祭と、肥えた獣の脂肪とに飽いている。わたしは雄牛あるいは小羊、あるいは雄やぎの血を喜ばない。
1:12 あなたがたは、わたしにまみえようとして来るが、だれが、わたしの庭を踏み荒すことを求めたか。
1:13 あなたがたは、もはや、むなしい供え物を携えてきてはならない。薫香は、わたしの忌みきらうものだ。新月、安息日、また会衆を呼び集めること――わたしは不義と聖会とに耐えられない。

主を敬う心もなく恩を知らない者が礼拝に来るのは、単に礼拝の場を踏みにじっているにすぎない。
そこで、主の前に喜ばれるものになるために、言われた。

キリスト教といえば、赦しの宗教だと何となく知られている。
確かに、罪の赦しがキリスト教にはあるが、それは無条件のものではない。主の元に行く、という事が必要だ。
「主は言われる、さあ、われわれは互に論じよう。」まずは主と論じあう事から、罪の赦しが始まる。
その論じ合いとは、まず、自分の側に罪があるのを主の御前に認める事と、それを隠さず主に申し上げる事から始まる。

ダビデは罪を指摘された時、正しく告白した。
詩篇51:7 ヒソプをもって、わたしを清めてください、わたしは清くなるでしょう。わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう。
 51:8 わたしに喜びと楽しみとを満たし、あなたが砕いた骨を喜ばせてください。
 51:9 み顔をわたしの罪から隠し、わたしの不義をことごとくぬぐい去ってください。
 51:10 神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。

人は、罪を犯す。
けれども、もし犯したとしても、主の前に低くなる心を持ち、自分の罪を悲しんで、主に立ち返ろうとして「主と共に歩む」人こそ、主の民なのだ。

口達者な言葉で人をまるめこむ「口のつわもの」に対処する方法(詩篇12篇)
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口達者な偽りの口に勝つ方法(詩篇12:1-8)
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【指揮者によって。第八調。賛歌。ダビデの詩。】
12:1 主よ、お助けください。神を敬う人は絶え、忠信な者は人の子らのなかから消えうせました。
12:2 人はみなその隣り人に偽りを語り、へつらいのくちびると、ふたごころとをもって語る。

世の中においては、口達者な者の意図が通る事が多々ある。たとえ、その言葉が偽りであっても。
二心を持っていても、へつらいの口でもって覆い隠して、まかりとおらせる。
ダビデはその事についての憂いを、主に持って行く。

12:3 主はすべてのへつらいのくちびると、大きな事を語る舌とを断たれるように。

神様のなさる事は何でも良い。
しかしその反対、何をしても、悪い事ばかりたくらむ者がいる。

55:10 彼らは昼も夜も町の城壁の上を歩きめぐり、町のうちには害悪と悩みとがあります。
55:11 また滅ぼす事が町のうちにあり、しえたげと欺きとはその市場を/離れることがありません。

ダビデは、そのような者達について祈っている。

55:9 主よ、彼らのはかりごとを打ち破ってください。彼らの舌を混乱させてください。わたしは町のうちに暴力と争いとを見るからです。

バベルの塔のように、その悪巧みをする者達の結束が、混乱させられ、散り散りになるように祈る祈りは効果的である。

12:4 彼らは言う、「わたしたちは舌をもって勝を得よう、わたしたちのくちびるはわたしたちのものだ、だれがわたしたちの主人であるか」と。

言葉の人でない人が、口達者な者に立ち向かうすべはない。
モーセも口達者ではなかった。しかしいかにしてモーセは、その者達に勝利しつづけたか。
それは毎回、主にひれ伏す事によって、であった。

12:5 主は言われる、「貧しい者がかすめられ、乏しい者が嘆くゆえに、わたしはいま立ちあがって、彼らをその慕い求める安全な所に置こう」と。
12:6 主のことばは清き言葉である。地に設けた炉で練り、七たびきよめた銀のようである。

主の純粋な御言葉に平服し、従う事、それこそ、要塞をも打ち破るほどに力のある武器である。

2コリント10:4 わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。わたしたちはさまざまな議論を破り、
10:5 神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ、
10:6 そして、あなたがたが完全に服従した時、すべて不従順な者を処罰しようと、用意しているのである。

12:6 主のことばは清き言葉である。地に設けた炉で練り、七たびきよめた銀のようである。

御言葉は、私という土の器の中で巡らされ、精錬されて行く時、さらにさらに尊いものとなって行く。
ある人が御言葉を差し出しても、全然力が無いのに、別の人が同じ御言葉を差し出すと、とてつもなく力があるような事があるのは、その人自身という「土の炉」で何度も試され、咀嚼し、噛み締め、味わったか、そうしなかったかの違いによる。
悪魔サタンさえ、御言葉を差し出す。しかし悪魔に属する者達は、御言葉をただ人を殺す道具としてしか使っておらず、全然思い巡らしていないし、従ってもいないのだ。

悪魔サタンの言葉に勝つ方法、その設けられた要塞を打ち破る唯一の武器は、純粋な御言葉に対する従順なのだ。

うめきの祈り(テピラー)が賛美(テヒラー)へと昇華したハンナ(1サムエル記2:1-10)
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