メッセージ - 201712のエントリ

大いなる喜びの日(ルカ2:8-20)
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週報/メッセージ(説教)概要

 世間ではクリスマスを祝っているが、このクリスマス、すなわちイエス様が乙女マリヤを通し赤ちゃんとしてお生まれになった日は、BC(BeforeChrist)からAD(アンノドミニ:主の恵みの日々)へと変わった歴史的転換点であり、聖書も、旧約から新約へと転換した、天においても、地においても、大転換した日である。
この大いなる出来事は、バプテスマのヨハネが誕生した時のように、大勢の人々に驚きと共に伝達されたのではなく、人知れず静かに起きた。しかし、この事を知り、信じた人々は、天的な大きな喜びを体験する。
そしてその喜びのおとずれは大いに広がり、今や、この東の果てまで届き、さらに全人類へと広がっている。

『すると、主の使いが彼らの所に来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。』(ルカ2:9)
イエス様がお生まれになった日、それを告げ知らせるために御使いが使わされた先は、人が好んで行かないベツレヘム近辺の野原であり、告げ知らされた人々は、人々に軽んじられて来た羊飼い達であった。
御使いは、屈強な男も恐れ倒れる程、恐ろしい存在である。たった一人の御使いによってアッシリアの軍隊十八万五千人は倒されてしまった。その御使いが軍勢をなし、羊飼いと羊達の前に現れたのはなぜか。
『御使は言った、「恐れるな。見よ、全ての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。』(10節)
天の大軍勢は「恐れるな」と声をかけてくれた。御言葉を愛し、弱く愚かな羊達を忠実に夜通し守っている羊飼いのような人々に、御使いは、恐ろしい有様ではなく、美しく大きな喜びを知らせる者として現れる。
彼らはただの羊飼いではない。「救い主がお生まれになるダビデの町」と言えばベツレヘムだと分かる程、聖書に精通した羊飼いだった。御使いは主に敵対する者には恐ろしい存在だが、主を恐れる人々に仕えるために遣わされる霊であり(ヘブル1:14)、主を恐れる者の周りに陣を張って守ってくれる。(詩篇34:7)
『きょうダビデの町にあなたがたのために救主がお生れになった。この方こそ主なるキリストである。』(11節)
私達のためにお生まれになった救い主は、なんと、動物の餌箱の中に見つけられる、と言う。
キリストは神の身分でありながら、神の身分に固執しようとせず、かえって自分を無にし、僕の立場を取って人間となられ、十字架の死に至るまで従順だった(ピリピ2:6-11)。世の始まる前からおられ、人が近づく事のできない聖なる光の内に住まわれる神の御子であられるイエス様が、動物の餌箱のような汚い器である私達の内に、事実、宿って下さったのだ!これは大いなる驚きであり、大いなる喜びでもある。
この、天地がひっくり返るような、歴史がひっくり返るような驚きのおとずれと、大きな天の喜びは誰のものか。それは、羊飼いのように、聖書の言葉を握りしめ、誠実に弱い存在を守っている人々のものである。
あるいは、東方の博士達のように、救い主のしるしを見たなら、遠くから、高価な贈り物を携え、旅して来るような人々のものである。実際に宇宙が彼らのために動き、彼らの礼拝のために、星が都合をつけてくれた。
この大きな喜びは、聞いて、信じて、礼拝に来る人々に与えられる特権であるが、聞いても信じず、相変わらず自分の生きたいように生きる人々には、全く何にもならない。当時、ユダヤの王宮にいた人達や、ヘロデ王は、預言書の内容を知らされ、そこで語られていたユダヤの王が生まれた、という言葉を聞き、実際そのしるしがあらわれているのに、王座を降りようとせず、かえってその王を邪魔者扱いし、異邦の博士たちに調査を全部丸投げして密かに殺そうとさえした。しかし主は、そのような者達には決して見出されない。
主は、誠実な礼拝者には、あらゆる都合をつけ、宇宙を動かしてまでして、赤ちゃんとなられたイエス様と出会わせて下さるが、逆の者達には、あらゆる都合をつけてそのたくらみが頓挫するようにして下さるのだ。

クリスマスはキリストの来られた事を祝う日であると、誰もが一度は聞いているはずだ。しかし大勢の人々は、そっちのけにし、各々、キリストを抜きにした好き勝手な祝いをしている。昔も今もそうであるが、彼らにはこの喜びが分からない。しかし、知ってあらゆる都合をつけて世に現れた救い主を礼拝しに来る人々には、赤ちゃんとなられたイエス様を抱き、胸の内へとお入れできる特権が与えられる。
現代、マタイ24章に示されている預言の諸々が実現し、主が戸口まで近づいている事は明らかである。
『この子について自分たちに告げ知らされた事を、人々に伝えた・・・羊飼たちは、見聞きしたことが何もかも自分たちに語られたとおりであったので、神をあがめ、またさんびしながら帰って行った。』(17節)
この羊飼い達のように、主から任された羊達を誠実に養い、主から聞かされた事を忠実に行い、人々に伝え、そして自身は主を礼拝し、天的な大いなる喜びに溢れつつ生きて行くみなさんでありますように!

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
風(主の息吹)の声に従って(ヨハネ3:1-13)
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盛大な奉献式と、主の側の応答(2歴代誌7:4-22)
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ソロモンによる奉献の祈りと民への祝福は終わり、主は天からの火をもってソロモンの祈りに答えられ、その後、盛大な奉献の祝いに入る。

7:4 そして王と民は皆主の前に犠牲をささげた。
7:5 ソロモン王のささげた犠牲は、牛二万二千頭、羊十二万頭であった。こうして王と民は皆神の宮をささげた。
・・・
7:7 ソロモンはまた主の宮の前にある庭の中を聖別し、その所で、燔祭と酬恩祭のあぶらをささげた。これはソロモンが造った青銅の祭壇が、その燔祭と素祭とあぶらとを載せるに足りなかったからである。

捧げられたいけにえは、牛二万二千頭、羊十二万頭という、ものすごい数である。
それだけのいけにえを捧げる事のできたソロモンの富んでいる様や、太っ腹さは目を見張るものがあるが、それだけの「いのち」が犠牲となった事に思いを馳せるべきである。
なぜ、「いのちの犠牲」が発生しなくてはならないのか。
それは、主は、人の罪の「つぐない」として、罪による死の「身代わり」として、血の値を要求されるからだ。
それによって、神との和解を成立させるためだ。

私達は、尊い犠牲となっていのちを捧げられた、神の小羊イエス・キリストを覚えるべきである。
この、捧げられたいのちについて、主に対する感謝と恐れ敬いが無い「いけにえ」は、ただ命を粗末にするだけの殺戮ショーにすぎない。

イエス様は、私達の罪を赦すため、私達の「死」を身代わりとして負うために、そして、私達と神との和解を成就させて下さるために、自ら犠牲となって十字架の上で捧げられた。
私達はこの主イエス・キリストをこそ愛し、彼と共に歩み続けるべきである。

7:10 七月二十三日に至ってソロモンは民をその天幕に帰らせた。皆主がダビデ、ソロモンおよびその民イスラエルに施された恵みのために喜び、かつ心に楽しんで去った。

犠牲のいのちが捧げられ、罪の赦しと神との和解を得られた結果、大きな喜びが湧き上がる。
この時、まことに喜びと祝福の絶頂の時期であるが、大事なのは多大ないけにえを捧げる事よりも、主に対する誠実をキープし続け、主と共に歩み続ける事だ。
『わたしは何をもって主のみ前に行き、高き神を拝すべきか。燔祭および当歳の子牛をもって/そのみ前に行くべきか。主は数千の雄羊、万流の油を喜ばれるだろうか。わがとがのためにわが長子をささぐべきか。わが魂の罪のためにわが身の子をささぐべきか」。
人よ、彼はさきによい事のなんであるかを/あなたに告げられた。主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか。』(ミカ6:6-8)

主は、祈りを聞かれた事を示すために火を天から降して答えられたが、さらに、夢を通しても答えられた。

7:12 時に主は夜ソロモンに現れて言われた、「わたしはあなたの祈を聞き、この所をわたしのために選んで、犠牲をささげる家とした。
7:13 わたしが天を閉じて雨をなくし、またはわたしがいなごに命じて地の物を食わせ、または疫病を民の中に送るとき、
7:14 わたしの名をもってとなえられるわたしの民が、もしへりくだり、祈って、わたしの顔を求め、その悪い道を離れるならば、わたしは天から聞いて、その罪をゆるし、その地をいやす。

主は、この神殿で祈る祈りに答える、という事よりも先に、「天を閉じて雨をなくし、またはわたしがいなごに命じて地の物を食わせ、または疫病を民の中に送る」、災いが起きた場合についてのほうを先に示された事は、注目に値する。
ききんや疫病は、人の側が主の御声に聞き従わない場合に送られる災いであるが、主は人の成り立ちをご存知である。この時点でこそ、人は神殿を奉献したばかりで喜び楽しんでいるが、人の心の冷めやすさを、ご存知だったのだ。
それで主は先に釘をさされたのである。

7:15 今この所にささげられる祈にわたしの目を開き、耳を傾ける。
7:16 今わたしはわたしの名をながくここにとどめるために、この宮を選び、かつ聖別した。わたしの目とわたしの心は常にここにある。

主の目がいつもこの神殿に注がれ、主の心がいつもそこに置かれている。それは何と素晴らしい事だろうか。
その神殿はイスラエルの栄誉であり、ソロモンとしても何より誇りに思える事であろうが、しかし、主の目がいつも注がれている、という事は、逆に迂闊な事はできないという事でもある。
監視カメラを前に盗みを働く事ができないように、本来、人は常に目を注がれておられる神を御前に罪を行うなどできないはずである。
しかし、神は見えないお方であるゆえに、目に見える物事に従って歩む人は、神の存在を忘れ、平然と罪を犯してしまいがちなのだ。
私達は、ひとり子イエス・キリストを犠牲として私達に与えられた、愛と憐れみ、赦しに満ちた全能の神の眼差しをこそ、意識するべきである。

続いて主は、祝福とのろいの宣言をしておられる。

7:17 あなたがもし父ダビデの歩んだようにわたしの前に歩み、わたしが命じたとおりにすべて行って、わたしの定めとおきてとを守るならば、
7:18 わたしはあなたの父ダビデに契約して『イスラエルを治める人はあなたに欠けることがない』と言ったとおりに、あなたの王の位を堅くする。

祝福の条件は、「歩み、行う、守る」の三つの動詞である。
主の前に歩む事、主の命じられた通りを行う事、主の定めとおきてを守る、という事をする限りでは、ソロモンの子孫はイスラエルを治める事が続く。
主は、神の民に祝福を与え、大いなる者とする事によって、異邦人に栄光を表されるのだ。

7:19 しかし、あなたがたがもし翻って、わたしがあなたがたの前に置いた定めと戒めとを捨て、行って他の神々に仕え、それを拝むならば、
7:20 わたしはあなたがたをわたしの与えた地から抜き去り、またわたしの名のために聖別したこの宮をわたしの前から投げ捨てて、もろもろの民のうちにことわざとし、笑い草とする。

ここにも、3つの事が出てくる。すなわち、主に「そむいて従わず」「戒めと定めとを守らず」「他の神々に行って、それに仕え、それを拝む」なら、主が御名を置かれたあの特別な神殿さえも、投げ捨ててしまう。
残念ながら、実際にその事が起きてしまい、ソロモン神殿はとうの昔に破壊されてしまった。
彼らが主に「そむいて従わず」「戒めと定めとを守らず」「他の神々に行って、それに仕え、それを拝む」からだ。
それは私達にしても、同様である。もし私達がそのように主に対して不誠実を続けるなら、私達もそうなってしまう。

7:21 またこの宮は高いけれども、ついには、そのかたわらを過ぎる者は皆驚いて、『何ゆえ主はこの地と、この宮とにこのようにされたのか』と言うであろう。
7:22 その時、人々は答えて『彼らはその先祖たちをエジプトの地から導き出した彼らの神、主を捨てて、他の神々につき従い、それを拝み、それに仕えたために、主はこのすべての災を彼らの上に下したのである』と言うであろう」。

主は、神の民イスラエルに祝福を与える事を通して、異邦人に栄光を表された。
しかし、もし、御声に聞き従わないという事であるなら、彼らに降される大きな災いを通しても、主は異邦人に栄光をあらわされる。
どちらにしても、ただ主の栄光はあらわれるのだが、主は、人が罪を犯して災いに遭う事を望んではおられない。むしろ祝福され、いのちを獲得する事を望んでおられる。

主は、真実なお方である。
私達は、肉に対して種を蒔くなら肉から滅びを刈り取るが、霊に蒔くならいのちを刈り取る事を、気をつけていなくてはならない。
『わたしは、きょう、天と地を呼んであなたがたに対する証人とする。わたしは命と死および祝福とのろいをあなたの前に置いた。あなたは命を選ばなければならない。そうすればあなたとあなたの子孫は生きながらえることができるであろう。すなわちあなたの神、主を愛して、その声を聞き、主につき従わなければならない。そうすればあなたは命を得、かつ長く命を保つことができ、主が先祖アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われた地に住むことができるであろう」。』(申命記30:19-20)

神殿に向かって祈る時、聞いてください(2歴代誌6:22-7:3)
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続いてソロモンは、「これこれの人が、この状況で、この神殿にて祈る時、その祈りを聞いて下さい」という祈りを、7パターンに分けて祈っている。

その一番目は、人と人との間で何かトラブルがあって、この神殿に来て主の御前に持ち込んで来た場合、主がそのさばきを正統に裁いてください、というものである。

6:22 もし人がその隣り人に対して罪を犯し、誓いをすることを求められるとき、来てこの宮で、あなたの祭壇の前に誓うならば、
6:23 あなたは天から聞いて、行い、あなたのしもべらをさばき、悪人に報いをなして、その行いの報いをそのこうべに帰し、義人を義として、その義にしたがってその人に報いてください。

人は、正しくさばくという事が難しい。人は、他人の心に秘めている事や動機までも探り出す事ができないからだ。
しかし主は全てをご存知であり、正当に公平に裁いて下さるお方であり、主の民がこの神殿に持ってくるさばきを、全てを見透かしておられる主が正しく裁いてください、と、ソロモンは祈っている。

2番目の場合は、敵に打ち負かされてしまった時、この神殿に来て、祈り願う場合である。

6:24 もしあなたの民イスラエルが、あなたに対して罪を犯したために、敵の前に敗れた時、あなたに立ち返って、あなたの名をあがめ、この宮であなたの前に祈り願うならば、
6:25 あなたは天から聞き、あなたの民イスラエルの罪をゆるして、あなたが彼らとその先祖に与えられた地に彼らを帰らせてください。

ソロモンは、「主に対して罪を犯す」事と「敗北する」事とは一体であるとみなしている。
神の民は、主に罪を犯したまま勝利に勝利を重ねる、という事は、ありえない。
エリコに大勝利したヨシュアは、アイという小さな町での敗北を大いに憂慮し、主に切に祈り求めた結果、主は、イスラエルの民の、たった一人が犯した罪を指摘され、それを取り除くように言われた。
神の民が罪を犯したまま、それを放置する時、主はその事を気づかせ、悔い改めて主に立ち返らせるために、敢えて、敗北させられる。
小さな敗北の時に大いに憂慮して主に導きを求めたヨシュアは、さすがなのである。
私達も、人生で敗北が重なる時は、自分自身に目を向け、自分の中に敗北の原因となっているような主に対する罪、主の御前に取り扱っていない罪があるのではないかと探るべきであり、それを取り除くべきなのだ。

3番目のケースは、干ばつの時に主に祈り求める場合である。

6:26 もし彼らがあなたに罪を犯したために、天が閉ざされて、雨がなく、あなたが彼らを苦しめられるとき、彼らがこの所に向かって祈り、あなたの名をあがめ、その罪を離れるならば、
6:27 あなたは天にあって聞き、あなたのしもべ、あなたの民イスラエルの罪をゆるして、彼らに歩むべき良い道を教え、あなたの民に嗣業として賜わった地に雨を降らせてください。

「約束の地」は、「乳と蜜の流れる地」と呼ばれてはいるが、同時にそこは、主の御前に罪を犯したままそれを残している人に対しては、一切雨が降らない地と化してしまう。
『もし、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主のすべての命令とおきてとを守り行なわないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたはのろわれる。あなたは町にあってものろわれ、野にあってものろわれる。・・・またあなたの頭の上の天は青銅となり、あなたの下の地は鉄となる。主は、あなたの地の雨をほこりとされる。それで砂ほこりが天から降って来て、ついにはあなたは根絶やしにされる。』(申命記28:16-24)

私達も、人生の中であたかも天が閉ざされ、恵みの雨が一切降らないように感じる場合、やはり、自分の中に主の御前に取り扱われていない罪があるかないかを疑うべきである。

4番目は、色々な災いのケースが記されている。

6:28 もし国にききんがあるか、もしくは疫病、立ち枯れ、腐り穂、いなご、青虫があるか、または敵のために町の門の中に攻め囲まれることがあるか、どんな災害、どんな病気があっても、
6:29 もし、ひとりか、あるいはあなたの民イスラエルが皆おのおのその心の悩みを知って、この宮に向かい、手を伸べるならば、どんな祈、どんな願いでも、
6:30 あなたはそのすみかである天から聞いてゆるし、おのおのの人に、その心を知っておられるゆえ、そのすべての道にしたがって報いてください。ただあなただけがすべての人の心を知っておられるからです。
6:31 あなたがわれわれの先祖たちに賜わった地に、彼らの生きながらえる日の間、常にあなたを恐れさせ、あなたの道に歩ませてください。

このケースでは特段、人々が特に「罪を犯した」とは明記されていないが、「あなたはそのすみかである天から聞いてゆるし、おのおのの人に、その心を知っておられるゆえ、そのすべての道にしたがって報いてください」と祈っている所が鍵である。
主は全ての人の志をご存知であり、人の中の隠れている動機も、罪も、改めなくてはならない事に応じて、報いを与えて下さるお方だ。
人は他人の心を知らないし、他人も自分の心を知らないが、主は、それぞれに相応しい応報を受けさせる。
そして本人自身が自分の改めるべき事を知らされ、主に告白して立ち返り、告白して祈るなら、主は赦し、報いて下さる。

5番目のケースは、異邦人が主の宮に向かって祈る場合である。

6:32 またあなたの民イスラエルの者でなく、他国人で、あなたの大いなる名と、強い手と、伸べた腕のために遠い国から来て、この宮に向かって祈るならば、
6:33 あなたは、あなたのすみかである天から聞き、すべて他国人があなたに呼び求めるようにしてください。そうすれば地のすべての民はあなたの民イスラエルのように、あなたの名を知り、あなたを恐れ、またわたしが建てたこの宮が、あなたの名によって呼ばれることを知るにいたるでしょう。

主の神殿はイスラエル人だけのものではなく、異邦人も主を礼拝する場所でもある。
神は元々、全人類を救うために、一人の人アブラハムを選び、彼を通して全人類を救わせようとされた。
それは、イスラエル人の先祖・アブラハムが、主から呼びだされた時に、主が既に約束されていた通りである。(創世記12:1-3)

続いて、6番目のケースは、イスラエル人が敵と戦う時に、主に向かって祈る場合である。

6:34 あなたの民が敵と戦うために、あなたがつかわされる道によって出るとき、もし彼らがあなたの選ばれたこの町と、わたしがあなたの名のために建てたこの宮に向かってあなたに祈るならば、
6:35 あなたは天から彼らの祈と願いとを聞いて彼らをお助けください。

私達も、礼拝したくてもどうしても社会に出て仕事をしなくてはならない時、戦いをしなくてはならない時がある。
しかしそれでも、その戦いの先で主に向かって祈るなら、その場面におられる主が祈りを聞いてくださり、勝利を与えて下さるのだ。
主は何も、神殿にいつも居れる人だけの主ではない。
神殿にいつも居て、だらだら過ごして、何もしない人よりは、主に依り頼んで戦いに出る人のほうがよほど、主の御業の働かれる事を多く見ることが出来るのだ。

ソロモンが神殿で祈る人のために祈りの最後、7番目のケースは、イスラエルがもし将来、罪を犯し続けて敵に打ち負かされ、捕囚されて行った場合、捕囚先からこの神殿に向かって祈ったなら、その祈りを聞いて下さい、というものである。

主はもっと昔、イスラエルと契約を結ばれた当初の、モーセの時代から既に、イスラエルがもし主の御声に聞き従わず、懲らしめの災いを受けても、なお身勝手なふるまいを続けるなら、災いの「最終形態」として、敵国に捕囚されてしまう、という事を、あらかじめ警告しておられた。(レビ記26章、申命記28章)
残念ながら、イスラエルはその災いの最終形態にまで行ってしまった。
彼らは主に逆らい続け、預言者を通して主の警告を何度も何度も受けても、頑なに自分勝手なふるまいを改めず、主に逆らい続けたからである。

6:36 彼らがあなたに対して罪を犯すことがあって、――罪を犯さない人はないゆえ、――あなたが彼らを怒って、敵にわたし、敵が彼らを捕虜として遠い地あるいは近い地に引いて行くとき、
6:37 もし、彼らが捕われて行った地で、みずから省みて悔い、その捕われの地であなたに願い、『われわれは罪を犯し、よこしまな事をし、悪を行いました』と言い、
6:38 その捕われの地で心をつくし、精神をつくしてあなたに立ち返り、あなたが彼らの先祖に与えられた地、あなたが選ばれた町、わたしがあなたの名のために建てたこの宮に向かって祈るならば、
6:39 あなたのすみかである天から、彼らの祈と願いとを聞いて彼らを助け、あなたに向かって罪を犯したあなたの民をおゆるしください。

捕囚として連行されて行ってしまった時代、捕囚先の地で、この事を忠実に実践し続けた人がいた。
預言者ダニエルである。
『ダニエルは、その文書の署名されたことを知って家に帰り、二階のへやの、エルサレムに向かって窓の開かれた所で、以前からおこなっていたように、一日に三度ずつ、ひざをかがめて神の前に祈り、かつ感謝した。』(ダニエル6:10)
この時、「署名された文書」とは、どの神にでも、何か願い事をする者があるなら、その者はライオンの穴に投げ入れてしまう、という法律である。(同7節)
それは、他の高官達がダニエルを陥れるためにわざわざ定めたものだった。
ダニエルは、この法律が定められたのを知りながら、家に帰ると、いつも通り日に三度、神殿のほうに向かって主に礼拝する事を止めなかった。
窓を閉めれば誰にも見つからずに礼拝できたであろうに、それもせず、いつも通り堂々と主に祈願し感謝を捧げたのだ。
それでダニエルは、ライオンの穴に陥れられてしまったのだが、主はダニエルを守り、ライオンは一切ダニエルを害する事が出来なかった。
結局、ダニエルの信じる神の栄光と、ダニエル自身の栄光とがますます上がり、逆にダニエルを陥れようとした者たち全員、ライオンの穴に投げ込まれ、その者達は穴の底に落ち込む前に、ことごとくライオンに噛み殺されたのだ。(ダニエル6章)

ダニエルの他、多くの人々の祈りを主は聞いてくださり、実際に彼らをあわれみ、捕囚先から返して下さった。(エズラ1章)

以上のように、色々なケースでソロモンは祈った。
申命記28章に、祝福のコツと呪いのコツ、および、その祝福と呪いの詳細な内訳が記されているが、結局、ききんや干ばつ、疫病、敵のはびこる事によって苦しむのは、人の側が主の御声に聞き従わず、御言葉を守り行わないゆえである事が、あらかじめ記されている。

申命記28:15 しかし、あなたの神、主の声に聞き従わず、きょう、わたしが命じるすべての戒めと定めとを守り行わないならば、このもろもろののろいがあなたに臨み、あなたに及ぶであろう。
28:16 あなたは町のうちでものろわれ、畑でものろわれ、
28:17 あなたのかごも、こねばちものろわれ、
28:18 あなたの身から生れるもの、地に産する物、牛の子、羊の子ものろわれるであろう。
28:19 あなたは、はいるにものろわれ、出るにものろわれるであろう。
28:20 主はあなたが手をくだすすべての働きにのろいと、混乱と、懲らしめとを送られ、あなたはついに滅び、すみやかにうせ果てるであろう。これはあなたが悪をおこなってわたしを捨てたからである。
28:21 主は疫病をあなたの身につかせ、あなたが行って取る地から、ついにあなたを断ち滅ぼされるであろう。
28:22 主はまた肺病と熱病と炎症と間けつ熱と、かんばつと、立ち枯れと、腐り穂とをもってあなたを撃たれるであろう。これらのものはあなたを追い、ついにあなたを滅ぼすであろう。
28:23 あなたの頭の上の天は青銅となり、あなたの下の地は鉄となるであろう。
28:24 主はあなたの地の雨を、ちりと、ほこりに変らせ、それが天からあなたの上にくだって、ついにあなたを滅ぼすであろう。
28:25 主はあなたを敵の前で敗れさせられるであろう。あなたは一つの道から彼らを攻めて行くが、彼らの前で七つの道から逃げ去るであろう。そしてあなたは地のもろもろの国に恐るべき見せしめとなるであろう。

こうしてソロモンは、祈りの総括に入る。

6:40 わが神よ、どうぞ、この所でささげる祈にあなたの目を開き、あなたの耳を傾けてください。

ソロモンの祈りの総括は、「この所で捧げる祈りに、目を開き耳を傾けてください。」に尽きる。
かの時代は、神殿において祈る祈りに主は耳を傾けられたが、今や神殿は無い。
主イエスキリストの御名を信じる信仰によって、私達一人ひとりが、神殿である。
そして私達が、主イエス・キリストの御名によって祈る時、主は耳を傾けてくださる。

6:41 主なる神よ、今あなたと、あなたの力の箱が/立って、あなたの安息所におはいりください。主なる神よ、どうぞあなたの祭司たちに/救の衣を着せ、/あなたの聖徒たちに恵みを喜ばせてください。
6:42 主なる神よ、どうぞあなたの油そそがれた者の顔を/退けないでください。あなたのしもべダビデに示されたいつくしみを/覚えて下さい」。

主は、このソロモンの祈りに「答えた」というしるしを、ありありと示して下さる。

7:1 ソロモンが祈り終ったとき、天から火が下って燔祭と犠牲を焼き、主の栄光が宮に満ちた。
7:2 主の栄光が主の宮に満ちたので、祭司たちは主の宮に、はいることができなかった。
7:3 イスラエルの人々はみな火が下ったのを見、また主の栄光が宮に臨んだのを見て、敷石の上で地にひれ伏して拝し、主に感謝して言った、/「主は恵みふかく、/そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」。

主は火を降し、一瞬にしていけにえを焼きつくした事により、ソロモンの祈りを「受け入れた」と示して下さった。
事実、主はソロモンが祈った通りに、何百年、幾世代も真実・誠実に答えてくださった。
しかし人の側は、その何百年・幾世代、主に対し不真実を働き、不誠実だった。にもかかわらず、人が主に立ち返って神殿に向かって祈った時に、答えてくださった。
まことに人々が賛美した通りである。
「主は恵みふかく、/そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」。

ルカによる福音書 講解説教メッセージ
良き隣人となって下さったイエス様を愛しなさい(ルカ10:25-42)
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イザヤ書 講解説教メッセージ
そして新約へ、そして永遠へ(イザヤ66:18-24)
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ソロモンによる感謝の祈り(2歴代誌6:1-21)
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神殿建設が完成し、しかるべきものがしかるべき所に配置され、そして主への捧げものと賛美とが捧げられた時、主の宮は主の栄光の雲によって満ちた事が前章において示された。
この章は、ソロモンによる感謝の祈りと、神殿奉献の祈りである。

6:1 そこでソロモンは言った、/「主はみずから濃き雲の中に住まおうと言われた。
6:2 しかしわたしはあなたのために高き家、/とこしえのみすまいを建てた」。

この言葉は、続く祈りを端的にあらわしている。
すなわち、ソロモンは主のために「家」を立てたが、しかし主が住まわれる所は、そこではない、という事を。

6:3 そして王は顔をふり向けてイスラエルの全会衆を祝福した。その時イスラエルの全会衆は立っていた。
6:4 彼は言った、「イスラエルの神、主はほむべきかな。主は口をもってわが父ダビデに約束されたことを、その手をもってなし遂げられた。すなわち主は言われた、
6:5 『わが民をエジプトの地から導き出した日から、わたしはわが名を置くべき家を建てるために、イスラエルのもろもろの部族のうちから、どの町をも選んだことがなく、また他のだれをもわが民イスラエルの君として選んだことがない。
6:6 わが名を置くために、ただエルサレムだけを選び、またわが民イスラエルを治めさせるために、ただダビデだけを選んだ』。

ソロモンは真っ先に主を誉め称えた。
主の祈りもそうであるが、祈りとは人間が神様に願い事をだらだら並べるものではなく、人格ある主との会話であり、真っ先に発するべきは、主への賛美と感謝である。
ソロモンは、この主の宮は「誰が」「誰を通して」「どこに」という事を表明する。
すなわち主の宮は、ダビデとソロモンの共同作品などではなく、主ご自身が、ダビデを通して、エルサレムに、建てた、という事を表明した。

6:7 イスラエルの神、主の名のために家を建てることは、父ダビデの心にあった。
6:8 しかし主は父ダビデに言われた、『わたしの名のために家を建てることはあなたの心にあった。あなたの心にこの事のあったのは結構である。
6:9 しかしあなたはその家を建ててはならない。あなたの腰から出るあなたの子がわたしの名のために家を建てるであろう』。
6:10 そして主はそう言われた言葉を行われた。すなわちわたしは父ダビデに代って立ち、主が言われたように、イスラエルの位に座し、イスラエルの神、主の名のために家を建てた。
6:11 わたしはまた、主がイスラエルの人々と結ばれた主の契約を入れた箱をそこに納めた」。

ここで強調されている事は、真実であられる主は、約束された言葉を真実に、忠実に行われた、という事だ。
主は、聖書のはじめから終わりまで、世界の始まる前から、ただの一度も約束を自ら破った事は無い。
人間は、聖書のはじめから終わりまで、何度も何度も約束を破ったが、神は真実なるお方である。

6:12 ソロモンはイスラエルの全会衆の前、主の祭壇の前に立って、手を伸べた。
6:13 ソロモンはさきに長さ五キュビト、幅五キュビト、高さ三キュビトの青銅の台を造って、庭のまん中にすえて置いたので、彼はその上に立ち、イスラエルの全会衆の前でひざをかがめ、その手を天に伸べて、
6:14 言った、「イスラエルの神、主よ、天にも地にも、あなたのような神はありません。あなたは契約を守られ、心をつくしてあなたの前に歩むあなたのしもべらに、いつくしみを施し、
6:15 あなたのしもべ、わたしの父ダビデに約束されたことを守られました。あなたが口をもって約束されたことを、手をもってなし遂げられたことは、今日見るとおりであります。

ここからの祈りは、神殿奉献の祈りであり、もし人が、これこれの状況でこの神殿にて祈るなら、答えて下さい、という祈りが続く。

6:16 それゆえ、イスラエルの神、主よ、あなたのしもべ、わたしの父ダビデに、あなたが約束して、『おまえがわたしの前に歩んだように、おまえの子孫がその道を慎んで、わたしのおきてに歩むならば、おまえにはイスラエルの位に座する人がわたしの前に欠けることはない』と言われたことを、ダビデのためにお守りください。
6:17 それゆえ、イスラエルの神、主よ、どうぞ、あなたのしもべダビデに言われた言葉を確認してください。

ソロモンは、主の言われた約束の言葉を盾にとって祈っている。
私達も、決して変わらない主の言葉を信じ、盾にとって祈るなら、主は答えてくださる。
ただし、ここでソロモンが祈っている通り、「おまえがわたしの前に歩んだように、おまえの子孫がその道を慎んで、わたしのおきてに歩むならば」という前提ありきで、それを守ったなら、「おまえにはイスラエルの位に座する人がわたしの前に欠けることはない」という主の真実を主はあらわして下さる。

6:18 しかし神は、はたして人と共に地上に住まわれるでしょうか。見よ、天も、いと高き天もあなたをいれることはできません。わたしの建てたこの家などなおさらです。

私達は、上を見上げれば空や宇宙があるが、その「天」があり、さらにその向こうに「天の天」と言われる所、天国と地獄がある。
それら全部ひっくるめても、主をお入れする事はできない。主はそれよりも大きなお方だ。
ましてや、人が造った家に、主は住まわれるだろうか、そんな事はない、と、ソロモンは告白している。

6:19 しかしわが神、主よ、しもべの祈と願いを顧みて、しもべがあなたの前にささげる叫びと祈をお聞きください。
6:20 どうぞ、あなたの目を昼も夜もこの家に、すなわち、あなたの名をそこに置くと言われた所に向かってお開きください。どうぞ、しもべがこの所に向かってささげる祈をお聞きください。
6:21 どうぞ、しもべと、あなたの民イスラエルがこの所に向かって祈る時に、その願いをお聞きください。あなたのすみかである天から聞き、聞いておゆるしください。

ソロモンは、この宮で祈る祈りに聞いて下さい、と祈っている。
主はその通り、この宮で祈る人々の祈りを聞いて下さった。
しかし、主は人が建てた建物に住むのではない。むしろ、人の心が主に向いているかどうかこそ肝心である。
主は、主に心を捧げていないのに、みだりに契約の箱を持ちだした人々を打たれたし、また後の時代、ソロモンの子孫たちがあまりに主に失礼なことを長らく続けた故に、この神殿さえも主は異邦人の手を通して破壊された。

結局大切なのは、建物やモノではなく、人の内にあるもの、である。
ヨハネ4:21 イエスは女に言われた、「女よ、わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。
4:22 あなたがたは自分の知らないものを拝んでいるが、わたしたちは知っているかたを礼拝している。救はユダヤ人から来るからである。
4:23 しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。
4:24 神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。
 

主の臨在があらわれるために整えるべき必要なもの(2歴代誌5:1-14)
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今回の箇所で、いよいよソロモンの神殿が完成する。
しかし、ただ建物だけの「神殿もどき」には、主のご臨在は起こらない。
その中身がかんじんである。
この5章は、そのかんじんの中身は何であるのかを豊かに示している。

5:1 こうしてソロモンは主の宮のためにしたすべての工事を終った。そしてソロモンは父ダビデがささげた物、すなわち金銀およびもろもろの器物を携えて行って神の宮の宝蔵に納めた。

まずは主を礼拝する上で必要な祭具や、ダビデのように主に真心から捧げられたものが運びいられられる。
そして、最もかんじんなものは、契約の箱、主と人との、契約のしるしである。

5:2 ソロモンは主の契約の箱をダビデの町シオンからかつぎ上ろうとして、イスラエルの長老たちと、すべての部族のかしらたちと、イスラエルの人々の氏族の長たちをエルサレムに召し集めた。
5:3 イスラエルの人々は皆七月の祭に王のもとに集まった。
5:4 イスラエルの長老たちが皆きたので、レビびとたちは箱を取り上げた。
5:5 彼らは箱と、会見の幕屋と、幕屋にあるすべて聖なる器をかつぎ上った。すなわち祭司とレビびとがこれらの物をかつぎ上った。

契約の箱は神殿の中で最も大切なものである事に違いは無いが、しかし、主に捧げる心なしでは、たとえ契約の箱があったとしても、何にもならない。(1サムエル記4章)
人の側の「主を愛する心」こそ、最も重要なものである。

5:10 箱の内には二枚の板のほか何もなかった。これはイスラエルの人々がエジプトから出て来たとき、主が彼らと契約を結ばれ、モーセがホレブでそれを納めたものである。

この時代、箱の中には「二枚の板」の他には、何もなかった。
しかし新約の使徒は、幻の中で、箱の中に、さらにもう二つのものがあった事を記している。

ヘブル9:3 また第二の幕の後に、別の場所があり、それは至聖所と呼ばれた。
9:4 そこには金の香壇と全面金でおおわれた契約の箱とが置かれ、その中にはマナのはいっている金のつぼと、芽を出したアロンのつえと、契約の石板とが入れてあり、
さらにもう二つのものとは、マナのはいっている金のつぼと、芽を出したアロンのつえである。
モーセの時代、契約の箱の所には、マナの壺と、アロンの杖を置くように、主に命じられている。

出エジプト記16:32 モーセは言った、「主の命じられることはこうである、『それを一オメルあなたがたの子孫のためにたくわえておきなさい。それはわたしが、あなたがたをエジプトの地から導き出した時、荒野であなたがたに食べさせたパンを彼らに見させるためである』と」。
16:33 そしてモーセはアロンに言った「一つのつぼを取り、マナ一オメルをその中に入れ、それを主の前に置いて、子孫のためにたくわえなさい」。
16:34 そこで主がモーセに命じられたように、アロンはそれをあかしの箱の前に置いてたくわえた。

主は、主の民がエジプトから出た時、荒野でも飢え死にしないように、パンをもって養って下さった事を、子々孫々へと「覚える」ようにと、マナを入れた壺を置きなさい、と言われていた。
しかし、ソロモンの時代にはそれはなかった。

新約の今、私達は主イエス様の御からだであられるまことのパンにあずかる事が出来る。そして、主の御からだが十字架上で裂かれた事を「覚える」ようにと、聖餐を制定された。(1コリント11:23-24)

また、アロンのつえについては、以下の記述がある。

民数記17:7 モーセは、それらのつえを、あかしの幕屋の中の、主の前に置いた。
17:8 その翌日、モーセが、あかしの幕屋にはいって見ると、レビの家のために出したアロンのつえは芽をふき、つぼみを出し、花が咲いて、あめんどうの実を結んでいた。
17:9 モーセがそれらのつえを、ことごとく主の前から、イスラエルのすべての人の所に持ち出したので、彼らは見て、おのおの自分のつえを取った。
17:10 主はモーセに言われた、「アロンのつえを、あかしの箱の前に持ち帰り、そこに保存して、そむく者どものために、しるしとしなさい。こうして、彼らのわたしに対するつぶやきをやめさせ、彼らの死ぬのをまぬかれさせなければならない」。
17:11 モーセはそのようにして、主が彼に命じられたとおりに行った。

ここでも主は、アロンのつえを、あかしの箱の前に保存し、「そむく者どものためにしるしとしなさい」と言われている。
その理由は、「彼らのわたしに対するつぶやきをやめさせ、彼らの死ぬのをまぬかれさせなければならない」からである。
杖、という、既に命としては死んだ木が、たった一晩で生き返る事などありえない事である。
人は、いのちの真似事はしても、いのちそのものを息吹く事は出来ない。まさに、死とよみがえりという復活の主のわざの証明、そして、永遠に祭司である事のあかしである。

こうして、マナの壺とアロンの杖は契約の箱に保存され、主がいのちの養いをして下さる事と、主は死からいのちを息吹いて下さるというあかしが、契約の箱に置かれて主のご性質をいつまでも覚えて生きるはずだったが、ソロモンの時代には、ただ石の板しか無かった。
これらが無いゆえに、ソロモンの生きているその時代以降、信仰は萎えて行ってしまった。

ただ御言葉だけでは、人は離れてしまう。
しかし新約の今、御言葉と共に、命の養いがあり、死からの復活のしるしがある。
そして新約における贖い、主イエス様による贖いは、何度も捧げられなければならない不完全なものではなく、永遠のものである。

ヘブル9:11 しかしキリストがすでに現れた祝福の大祭司としてこられたとき、手で造られず、この世界に属さない、さらに大きく、完全な幕屋をとおり、
9:12 かつ、やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされたのである。

主の宮において、これらの命の養いが入り、人が自らを清め、主を誉め称える賛美があふれる時、主の栄光の臨在があらわれる。

5:11 そして祭司たちが聖所から出たとき(ここにいた祭司たちは皆、その組の順にかかわらず身を清めた。
5:12 またレビびとの歌うたう者、すなわちアサフ、ヘマン、エドトンおよび彼らの子たちと兄弟たちはみな亜麻布を着、シンバルと、立琴と、琴をとって祭壇の東に立ち、百二十人の祭司は彼らと一緒に立ってラッパを吹いた。
5:13 ラッパ吹く者と歌うたう者とは、ひとりのように声を合わせて主をほめ、感謝した)、そして彼らがラッパと、シンバルとその他の楽器をもって声をふりあげ、主をほめて/「主は恵みあり、/そのあわれみはとこしえに絶えることがない」/と言ったとき、雲はその宮すなわち主の宮に満ちた。
5:14 祭司たちは雲のゆえに立って勤めをすることができなかった。主の栄光が神の宮に満ちたからである。

モーセの時代においても、彼ら一同が主から与えられた御言葉の通りを行った時、主の栄光の雲が現れた。

出エジプト記40:33 このようにしてモーセはその工事を終えた。
40:34 そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。
40:35 モーセは会見の幕屋に、はいることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。

モーセの時代、主の栄光の雲が現れたのは、『モーセはそのように行った。すなわち主が彼に命じられたように行った。』(出エジプト記40:16)からである。
今も、主の御言葉どおりに行い、主に栄光を捧げるなら、主の栄光の臨在が、私達という神殿に満ちる。
その時、人々が私達を見る時、主が確かに生きておられる、という、主の栄光を見るのであり、それがまことのあかしである。

神の民をその肩に背負って執り成す大祭司(出エジプト記28:1-14)
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万軍の主の熱心が凝縮された「ひとりのみどりご」(イザヤ9:1-7)
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週報/メッセージ(説教)概要

 処女がみごもってインマヌエル(主が共におられる)という男の子を生む預言は、アハズ王の時代に与えられた。彼は預言者イザヤから「静かに主を信頼しなさい」と言われていたのに、余計な右往左往して、アッシリアに助けを求め、しかもその出先から偶像の設計図を取り寄せ、イスラエルで偶像を建ててしまった。
主に頼る道を捨て、アッシリアという暴力的な力強さに頼る者は、暴力に悩まされ、頑固になまでに御言葉に聞き従わない姿勢を貫き通す者には、頑固なまでに災いが離れない事が、前回のイザヤ8章あった。
人に災いがつきまとう場合、必ず最初に人の側の罪があり、罪が彼を責め立てる口実を得たのである。
しかし主は人がいつまでも災いに苦しんでいる様を黙っておられない。それが今回の箇所で示されている。

『しかし、苦しみにあった地にも、闇がなくなる。さきにはゼブルンの地、ナフタリの地にはずかしめを与えられたが、後には海に至る道、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤに光栄を与えられる。』(イザヤ9:1)
ゼブルンとナフタリは、主を礼拝する所から離れていた故、真っ先に異邦人と和合し、罪に染まり、罪由来の災いを真っ先に受けてしまった。私達も御言葉から遠く離れているなら、真っ先に異邦の拝むものや異邦の価値観に感染し染まってしまう。だから、礼拝と聖徒の交わりから離れないように気をつけるべきだ。
『あなたが国民を増し、その喜びを大きくされたので、彼らは刈入れ時に喜ぶように、獲物を分かつ時に楽しむように、あなたの前に喜んだ。』(3節) 「獲物」とは、勝利した側が敵から分捕るものだが、サタンという敵が不当占拠していたあらゆる良きもの、囚われていた人々を分捕り返し喜び楽しむ様が、ここにある。
『これはあなたが彼らの負っているくびきと、その肩のつえと、しえたげる者のむちとを、ミデアンの日になされたように折られたからだ。』(4節) 御言葉に背く先には必ず汗と労苦があり、罪由来のむちと杖による刑罰が必ずともなう。しかし、悔い改めて主に立ち返るなら、彼らを打っていたむちと杖は粉々に砕かれる。
『すべて戦場で、歩兵のはいたくつと、血にまみれた衣とは、火の燃えくさとなって焼かれる。』(5節)
罪の飲み食いをし、罪の取引をする内、人の血を流して返り血を浴びたり、あるいは罪に強い者から血を流されたりする。そうして血に汚れた服や靴は、ひとりのみどりごが来る時、火のえじきとなって清められる。
『ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。』(6節)
長らく全世界を覆っていた、分厚くしつこい闇と死。その漆黒の世の海に、唯一の光、ひとりのみどりごであられるイエス様が投じられた時、前章までの全ての頑固な闇は、解消される。このお方は、どういう方か。

『まつりごと(government)はその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士(Wonderful Counsellor )、大能の神( The mighty God )、とこしえの父(Everlasting Father)、平和の君(The Prince of Peace)ととなえられる。』
「まつりごと」とは、政治である。日本の政府は国会議事堂や内閣府に置かれているが、神の国の政治はイエス様の肩に置かれている。大祭司はイスラエル十二部族の名を肩に負って主の御前でつとめを果たすように(出エジプト記28:9-12)、イエス様は私達の名を負って神の御前で執り成しのつとめを為される。
主は、どんなにしつこい悩みや問題も、解決不能な事さえも解決へと導いてくださるワンダフル・カウンセラーであり、力ある神である。日本の政治のように、月曜から金曜の9時から17時まで、などという限定は無いし、何々の書類を整えなければ受理しない事も無く、ただ「イエス・キリストの名によって」いつでも、どこでも「永遠の父」に申請する事が出来、それをするなら、素晴らしい助言が与えられ、力ある神の権力が行使され、平和の君であられる、それらのあらゆる善き性質を、いつでも求める事ができるのだ。
『万軍の主の熱心”がこれをなされるのである。』(7節) 聖書の中で「主の熱心」が現れる時はいつも、人が悔い改め、自分の罪を離れる時、主がその人を助け、救おうとする場面だ。(イザヤ9:7、37:32、59:17)
熱心。それは無感情の逆であり、主は激情をもって人を愛し、人を救おうとされる。万軍の主の熱心が、究極的に形を取ったのが、ひとりのみどりごである。イエス様は、命を捨てる「passion」(使徒1:3)をもって、私達を救おうとし、十字架という実体を伴った行動をもって、その愛をあらわしてくださった。
私達には、2つの道がある。ゼブルンやナフタリのように、ずっと立ち返らないで、自分の好むことをやり続け、ひたすら強い者から奪われ、搾取され、奴隷とされ続けるか、それとも、イエス様の愛の情熱を受け入れ、永遠にイエス様の政治とカウンセルと力の主権の中で歩んでいくか。イエス様の道を選び、そのとこしえの祝福の内に生きる皆さんでありますように。イエス様のお名前によって祝福します!

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