メッセージ - 201709のエントリ

御前に正しく仕える体制を整え、祝福されるダビデ(1歴代誌16:37-43)
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神の契約の箱がエルサレムに運び入れられた日、聖歌隊が編成され、御前に仕える奉仕者が制定された。
ここで定められた奉仕者が、その子孫たちに、そしてずっと後の時代にまでも受け継がれて行った事が、バビロン捕囚後に記されたエズラ記や歴代誌を読むとわかる。

16:37 ダビデはアサフとその兄弟たちを主の契約の箱の前にとめおいて、常に箱の前に仕え、日々のわざを行わせた。

日毎、主の箱の前に仕える奉仕が建てられた。
主の箱とは契約の箱であり、
私達

16:38 オベデ・エドムとその兄弟たちは合わせて六十八人である。またエドトンの子オベデ・エドムおよびホサは門守であった。

門衛の一族となるオベデ・エドムには、特に子孫が多い事が記されている。
26章5節には「神が彼を祝福されたからである」と、わざわざ書かれてある。
コンサート会場においては、警備員よりも、華々しくステージで歌う人に注目されがちだが、主は、門衛の一族を祝福された事は、注目に値する。
私達も、この口という門、目や耳という門を、しっかりと見張り、この口から賛美と共に兄弟姉妹をあげつらう言葉が出てはならない。
私達は、神の聖なる宮である。そうであるからには、汚れた情報の出入りがないように、言葉の出入りが無いように、しっかりと見張るなら、祝福される。

16:39 祭司ザドクとその兄弟である祭司たちはギベオンにある高き所で主の幕屋の前に仕え、
16:40 主がイスラエルに命じられた律法にしるされたすべてのことにしたがって燔祭の壇の上に朝夕たえず燔祭を主にささげた。

祭司ツァドクは、エルサレムの主の箱の前ではなく、代々神を礼拝する場所であったギブオンの高き所で日々主に仕える者として任命された。
彼はピネハスの子孫で、本来、神の宮で仕えるべき正当な血族であったが、ダビデの時代は、ダビデと苦楽をともにしたエブヤタルが祭司であった。
しかしソロモンの時代、神がピネハスに約束された通りに、ツァドクが正当な祭司として任命され、また、あの悪辣な祭司エリの子ホフニとピネハスの血族であるエブヤタルは罷免された。

1列王記2:26 それから、王は祭司エブヤタルに言った。「アナトテの自分の地所に帰りなさい。あなたは死に値する者であるが、きょうは、あなたを殺さない。あなたは私の父ダビデの前で神である主の箱をかつぎ、父といつも苦しみを共にしたからだ。」
2:27 こうして、ソロモンはエブヤタルを主の祭司の職から罷免した。シロでエリの家族について語られた主のことばはこうして成就した。

16:41 また彼らとともにヘマン、エドトンおよびほかの選ばれて名をしるされた者どもがいて、主のいつくしみの世々限りなきことについて主に感謝した。
16:42 すなわちヘマンおよびエドトンは彼らとともにいて、ラッパ、シンバルおよびその他の聖歌のための楽器をとって音楽を奏し、エドトンの子らは門を守った。

こうして、後の神殿時代を通し、さらにバビロン捕囚の後にも長く続く主の奉仕者の役割と人員が割り当てられた。

16:43 こうして民は皆おのおの家に帰り、ダビデはその家族を祝福するために帰って行った。

ダビデは主にある喜びに勇んで、自分の家を祝福する気持ちで家に入った所を、その、祝福したいという心に、冷水を浴びせるような事を言って迎えた。
彼女には生涯子供がいなかった、と記されている。
夫は妻のかしらであり、父は一家のかしらである。
そのかしらである夫を、父を呪う者は、のろいを受けてしまう。
ノアの息子・セム、ハム、ヤペテのうち、ハムは、恐れ敬うべき父の天幕に入って行き、そこで見つけた父の裸をじっくりと見、兄弟たちに言いふらし、来て一緒に見るよう招いたため、父から呪いを受けてしまった。それに対しセムとヤペテは、父の裸を見ないよう後ろ向きに歩いて裸を覆ったため、祝福を受けた。

祝福を与える立場である「父」を蔑んだり、軽んじたり、その秘密をあげつらって、他に言いふらすような者は、子々孫々呪われる。
しかし、その立場にある人を敬い、祝福したいという気持ちをいつも持たせる人は、子々孫々とも祝福される。
 

「イエス様は救って下さる」と信じた人による、力強き執り成しの祈り(マルコ7:24-30)
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7:24 さて、イエスは、そこを立ち去って、ツロの地方に行かれた。そして、だれにも知れないように、家の中にはいられたが、隠れていることができなかった。
7:25 そして、けがれた霊につかれた幼い娘をもつ女が、イエスのことをすぐ聞きつけてきて、その足もとにひれ伏した。
7:26 この女はギリシヤ人で、スロ・フェニキヤの生れであった。そして、娘から悪霊を追い出してくださいとお願いした。

この女は、イエス様は、なんとかして下さるお方だと信じて、イエス様の所に進み出て、12弟子にもイエス様にも冷たくあしらわれながらも、それでも、愛する娘の癒やしのために願い出た。
罪深い地域のギリシア人であったにもかかわらず、信仰の義人である要素が大いにあった。
次のように書いてある。

ローマ10:9 すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。
10:10 なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。
10:11 聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。
10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。
10:13 なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。

7:27 イエスは女に言われた、「まず子供たちに十分食べさすべきである。子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」。
7:28 すると女は答えて言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます」。

彼女は、イエス様の言葉を「そのとおり」と、言ってアーメンした。

7:29 そこでイエスは言われた、「その言葉で、じゅうぶんである(その発言をした故に)。お帰りなさい。悪霊は娘から出てしまった」。
7:30 そこで、女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。

彼女は、一つの信仰の発言ゆえに、イエス様から、癒やしを引き出してしまった。
私達も、信仰をもってイエス様から癒やしを、必要の満たしを、引き出せるのである。
特に、「この人に良くなってもらいたい」と心からの願いをもって祈りに来る祈りを、主はよく聞いてくださる。

5:14 あなたがたの中に、病んでいる者があるか。その人は、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうがよい。
5:15 信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。
5:16 だから、互に罪を告白し合い、また、いやされるようにお互のために祈りなさい。義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。
5:17 エリヤは、わたしたちと同じ人間であったが、雨が降らないようにと祈をささげたところ、三年六か月のあいだ、地上に雨が降らなかった。
5:18 それから、ふたたび祈ったところ、天は雨を降らせ、地はその実をみのらせた。
5:19 わたしの兄弟たちよ。あなたがたのうち、真理の道から踏み迷う者があり、だれかが彼を引きもどすなら、
5:20 かように罪人を迷いの道から引きもどす人は、そのたましいを死から救い出し、かつ、多くの罪をおおうものであることを、知るべきである。
 

全被造物は主をほめたたえよ(1歴代誌16:23-36)
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16:23 全地よ、主に向かって歌え。日ごとにその救を宣べ伝えよ。
16:24 もろもろの国の中にその栄光をあらわし、/もろもろの民の中にくすしきみわざをあらわせ。
16:25 主は大いなるかたにいまして、/いとほめたたうべき者、/もろもろの神にまさって、恐るべき者だからである。

前回に続いて、賛美の呼びかけは、人のみならず、全ての被造物に対するものとなる。
ダビデは言った。全地よ、主に向かって喜びの声をあげよ、と。
イエス様も言われた。全て、造られたものに、福音を宣べ伝えよ、と。
確かに全世界の人々に福音を伝えるべきであるが、人間以外の全被造物もまた主を褒め讃えているのであり、そして、うめきをもって神の子たちの現れを待ち望んでいる。(ローマ8章)
元々、人は統治するようにと創られた。(創世記1章)
しかし罪を犯して以来、人はほしいままにふるまい、被造物を破壊する方向性で支配するようになってしまった。

ローマ8:19 被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。
8:20 なぜなら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、
8:21 かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。

だから私達は、何も主日、礼拝する時のみが神の子ではない。
日々、瞬間瞬間、イエス・キリストを主とし、彼にあって救われた神の子として歩むならば、行く先々の被造物は私達を喜び迎え、歓迎するのである。

16:28 もろもろの民のやからよ、主に帰せよ、/栄光と力とを主に帰せよ。
16:29 そのみ名にふさわしい栄光を主に帰せよ。供え物を携えて主のみ前にきたれ。聖なる装いをして主を拝め。

続いて、呼びかけは「もろもろの民のやから」になる。
確かにやがて、全ての王達、国民が御前に礼拝を捧げにやってくる日が来る。

黙示録 21:24 諸国民は都の光の中を歩き、地の王たちは、自分たちの光栄をそこに携えて来る。
21:25 都の門は、終日、閉ざされることはない。そこには夜がないからである。
21:26 人々は、諸国民の光栄とほまれとをそこに携えて来る。
21:27 しかし、汚れた者や、忌むべきこと及び偽りを行う者は、その中に決してはいれない。はいれる者は、小羊のいのちの書に名をしるされている者だけである。

主に栄光を捧げ、御前にみずから低くなる人は、主へのささげものを携えて、栄光の神の都に入る事が出来る。
しかし、入れない者のリストが黙示録21:27にある。原語で見るなら「自ら進んで(好き好んで)」汚れた事、憎むべき事、偽りを行う者が、この聖なる都には決して入れないのだ。

16:30 全地よ、そのみ前におののけ。世界は堅く立って、動かされることはない。
16:31 天は喜び、地はたのしみ、/もろもろの国民の中に言え、「主は王であられる」と。
16:32 海とその中に満つるものとは鳴りどよめき、/田畑とその中のすべての物は喜べ。
16:33 そのとき林のもろもろの木も主のみ前に喜び歌う。主は地をさばくためにこられるからである。

主をほめたたえよ、との呼びかける対象は、さらに、全地に、天に、地に、海とその中に満つるものに、田畑とその中の全ての物に、林のもろもろの木にまで及んでいる。
それら創られたものは、全て、主の栄光をあらわしているのだ。
ローマ1:20 神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。
1:21 なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。

ローマ1:20や歴代誌とは対照的に、ローマ1:21には、主を神とせず、感謝も捧げない者が、どうなるかが書いてある。
それは、『神を知りながら神としてあがめず、感謝もしない人』で、彼らは「,えって」その「∋廚ぁ廚蓮岫むなしくなり」、その「ぬ誼里福弯瓦蓮岫グ鼎なった」。

 屬えって」のギリシア語はアッラ、「反して」の意味もある。神を知れば知る程、神をあがめ感謝する以外に無いはずなのに、それが全く沸き起こらず、逆にその人からは、主に対して失礼な態度しか出てこない。
◆峪廚ぁ廚魯妊アロギスモス、ロギスモスは計算する(ロギア)または言葉(ロゴス)の意味があり、ディアは前置詞で「行ったり来たり」、すなわち「どっちつかず」で、彼らは、御言葉も、計算も、どっちつかずなのだ。
「むなしくなり」はマタイオーすなわち「愚かになる」「悪辣になる」の意味の動詞の不定過去(アオリスト)受動態である。それはすなわち、その状態が化石化され、改善の余地が無くなってしまった状態である。
つまり、神を知りつつも神をあがめないでい続けるなら、また、神に良くしていただいているのに反し、感謝しない事を続けているなら、やがて考え方が愚かで悪辣となり、悪い事で匠に、狡猾になって行き、どんなに計算しても、どんなに考えても、悪い方へ向かうもので、改善の余地が無いまでになってしまうのだ。
また、ぁ嵬誼里福廚魯▲好優肇后△海譴蓮屮好優肇后文い、聡明な、理解力のある)の真逆」の性質である。
ァ岼鼎なった」はスコティゾー、闇にする、見えなくするという意味もある動詞で、ここも不定過去受動態が用いられているので、目が暗い状態・闇の状態が、化石化され、改善の余地が無くなってしまったのだ。
神に栄光を返さずにいる人は、自分で賢いと思ってはいても良心が退化してしまっており、知性が無く、愚かで、堕落した状態にずっと繋がり続け、闇に惹かれ続けて行き、やがて、大きな事故を起こしてしまう。

神に感謝を捧げる事、これこそ私達の本分である。だから、ダビデはこの詩篇の始まりを「感謝(ヤーダー)」で始め、「感謝(ヤーダー)」で締めている。(8節、34-35節)

16:34 主に感謝せよ、主は恵みふかく、/そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
16:35 また言え、「われわれの救の神よ、われわれを救い、/もろもろの国民の中から/われわれを集めてお救いください。そうすればあなたの聖なるみ名に感謝し、/あなたの誉を誇るでしょう。

「感謝(ヤーダー)」のヘブライ語にはさらに賛美する、栄光を捧げる事の意味もあるが、元々、(手を用いて)投げる、放つ、という意味がある。
黙示録において、24人の長老が、冠を主の御座に投げているが、彼らは行いをもって、主に感謝し、賛美を捧げているのだ。

16:36 イスラエルの神、主は、/とこしえからとこしえまでほむべきかな」と。その時すべての民は「アァメン」と言って主をほめたたえた。

賛美はレビ人の奉仕者によって捧げられたが、人々は「アーメン」でこたえた。
アーメンは応答である。もし誰かに言葉をかけたのに、かけられた相手が何も応答せず黙っているとするなら、無視されたと思われてしまう。
同様に、主の御言葉が語られたのにもかかわらず、それに対して何も応答しないとするなら、主はどう思われるだろうか。

私達は主を褒め讃え、感謝するべき存在である。
天国においては永遠に主への賛美が捧げられ、また、天地が創られる前の昔も、同様に、主への賛美が捧げられていたからだ。

主に栄光を捧げ感謝せよ(1歴代誌16:8-22)
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エルサレムに神の契約の箱が入った時、ダビデとイスラエルの民は大いなる喜びにあふれた。
ダビデはその時以降、聖歌隊を編成し、いつも主を褒め称える賛美を捧げるようにさせた。
8節以降36節までは、契約の箱がエルサレムに入った時に捧げられた賛美の詩篇である。

16:8 主に感謝し、そのみ名を呼び、/そのみわざをもろもろの民の中に知らせよ。
16:9 主にむかって歌え、主をほめ歌え。そのもろもろのくすしきみわざを語れ。

この詩は、ヘブライ語「ヤダー(感謝する,賛美する,告白する)」の命令で始まる。
誰に対して感謝し賛美するのか。エホバなる主に対して、である。

主に感謝を捧げ、賛美する事こそ、人間の本分であり、それをしない事を続けるなら、本来あるべき創造の意味を果たしていない事になる。
ピアノは音楽を奏でるために造られたものであって、決して踏み台にするためではないように。
せっかく高いお金を払って買ったピアノでも、使わず、何かの踏み台にばかりしているなら、はなはだもったいないように、人間も、主を賛美せず、感謝を捧げないないなら、はなはだもったいないのだ。

もし、神を知りつつも神をあがめないでいる事を続けるなら、あるいは、神に良くしていただいているのに反し、感謝しない事を続けているなら、どうなってしまうかが、ローマ1:21に記されている。
そういう人は、やがて考え方が愚かで悪辣となり、悪い事で匠に、狡猾になって行き、どんなに計算しても、どんなに考えても、ただ悪へと向かうようになり、改善の余地が無いまでになってしまう。
自分では賢いと思ってはいても、良心が退化してしまっており、知性が無く、愚かで、堕落した状態にずっと繋がり続け、闇に惹かれ続けて行き、やがて、大きな事故を起こしてしまう。

16:10 その聖なるみ名を誇れ。どうか主を求める者の心が喜ぶように。

私達が誇るべきは、主の聖なる御名である。なぜなら、私達は元々、無に等しい者であり、主が私達に能力を、知恵を賜物として与えて下さったからだ。
『兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。
あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。それは、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりである。』(1コリント1:26-31)

16:11 主とそのみ力とを求めよ。つねにそのみ顔をたずねよ。

私達がまず第一に求めるべきは、神の国とその義とを、である。
それを第一に求めるなら、それが与えられるのみならず、世における必要は全て満たされる事もまた付随して与えられるからだ。

16:15 主はとこしえにその契約をみこころにとめられる。これはよろずよに命じられたみ言葉であって、
16:16 アブラハムと結ばれた契約、/イサクに誓われた約束である。

続いて、ザカール(覚えよ)と命じている。
何を覚えるべきか。主の命じられた御言葉であり、その契約を、である。
主はイスラエルの民をその父アブラハムを通して召し出して下さったように、私達をも、キリストを通して召し出して下さり、神の民として下さった。
その事をいつも覚えつつ、この地上を歩んで行くのが、キリストのゆくべき歩みである。

16:19 その時、彼らの数は少なくて、/数えるに足らず、かの国で旅びととなり、
16:20 国から国へ行き、/この国からほかの民へ行った。
16:21 主は人の彼らをしえたげるのをゆるされず、/彼らのために王たちを懲らしめて、
16:22 言われた、「わが油そそがれた者たちに/さわってはならない。わが預言者たちに害を加えてはならない」と。

まさに主は、アブラハムに、イサクに、そうして下さった。
主はアブラハムをかばい、エジプトの王パロや、ペリシテの王アビメレクという王達を懲らしめ、また主はイサクをかばい、アビメレクを懲らした。
その時、アブラハムやイサクの側に落ち度があったにもかかわらず、主は、祝福すると契約を結ばれた民のほうをかばい、特別扱いされるのである。

私達も、イエス様を信じる信仰により、アブラハムの子孫とされ、神の民とされ、そして特別扱いをされるのである。
それ故、私達もまたいつも主をほめたたえ、感謝すべきである。

十字架につけられた主イエスキリストの御名(使徒4:5-22)
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神に栄光と感謝を捧げない人の行き着く先(ローマ1:16-21)
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週報/メッセージ(説教)概要

 パウロはロマ書の最初で、クリスチャンが持つべき信仰の重要な定義づけをした。すなわち信仰(ピスティス)は「所有する事(エック)」によって始まり、信仰の目的地を「目指して(エイス)」、歩み続ける事である。
そういうわけで「義人」とは、イエス様(御言葉)を信じた瞬間から、その信仰を「所有し続け」ながら生きる人の事で、信仰の目的地である天国に向かって歩み続けて行く状態にある人が「義人」であった。
パウロはその定義を宣言した直後、「神の怒り」がどのような人に降されるかを、細かく説明し始める。
どんな人に神の怒りが降されるか。21節に記されている。『神を知りながら神としてあがめず、感謝もしない人』で、彼らは「,えって」その「∋廚ぁ廚蓮岫むなしくなり」、その「ぬ誼里福弯瓦蓮岫グ鼎なった」。

 屬えって」のギリシア語はアッラ、「反して」の意味もある。神を知れば知る程、神をあがめ感謝する以外に無いはずなのに、それが全く沸き起こらず、逆にその人からは、主に対して失礼な態度しか出てこない。
◆峪廚ぁ廚魯妊アロギスモス、ロギスモスは計算する(ロギア)または言葉(ロゴス)の意味があり、ディアは前置詞で「行ったり来たり」、すなわち「どっちつかず」で、彼らは、御言葉も、計算も、どっちつかずなのだ。
「むなしくなり」はマタイオーすなわち「愚かになる」「悪辣になる」の意味の動詞の不定過去(アオリスト)受動態である。それはすなわち、その状態が化石化され、改善の余地が無くなってしまった状態である。
つまり、神を知りつつも神をあがめないでい続けるなら、また、神に良くしていただいているのに反し、感謝しない事を続けているなら、やがて考え方が愚かで悪辣となり、悪い事で匠に、狡猾になって行き、どんなに計算しても、どんなに考えても、悪い方へ向かうもので、改善の余地が無いまでになってしまうのだ。
また、ぁ嵬誼里福廚魯▲好優肇后△海譴蓮屮好優肇后文い、聡明な、理解力のある)の真逆」の性質である。
ァ岼鼎なった」はスコティゾー、闇にする、見えなくするという意味もある動詞で、ここも不定過去受動態が用いられているので、目が暗い状態・闇の状態が、化石化され、改善の余地が無くなってしまったのだ。
神に栄光を返さずにいる人は、自分で賢いと思ってはいても良心が退化してしまっており、知性が無く、愚かで、堕落した状態にずっと繋がり続け、闇に惹かれ続けて行き、やがて、大きな事故を起こしてしまう。

「栄光を返す」のヘブライ語は「カバド」で、良い意味で用いられる場合は「栄光を捧げる、あがめる、尊ぶ」の意味があり、悪い方で用いられる場合は「頑な・強情になる、(罪や災いが)重くなる」の意味になる。
サムエル記に登場する祭司エリは、主よりも自分の息子達のほうを重んじ(カバド)、主に捧げる捧げ物を軽んじた。彼の息子・ホフニとピネハスは、神の民が主に捧げるものを横取りし、自分の私腹を肥やしていた。
それで主は言われた。「わたしはわたしを尊ぶ(カバド)者を尊び(カバド)、蔑む者は軽んじる」と。(1サムエル記2:29-30) 後にエリは、神の箱が敵に奪われた事を聞いた時、あおむけに倒れ首を折って死んだ。
からだが重かった(カバァド)からである。(1サムエル記4:18) 神を神としてあがめず(カバドせず)、感謝もせず、自分の私腹を肥やす事にカバドを置くなら、やがて自分の罪の重さ(カバド)によって滅んでしまう。
彼の嫁はその時、子を産んだが、その子をイ・カボテ(栄光がない)と名付け、栄光は去った、と言った。

コンクリートは、形作りをしてそのまま放置するなら、良い形であれ悪い形であれ、そのままで固まるように、人も、日々摂り入れる言葉や口ずさむ言葉、心に巡らす考えや行動によって、その方面で固まって行く。
そうであるからには、私達は、神の言葉によって固められていくべきだ。いかにそれまでの習慣や悪意ある言葉などによって固くなってしまった心や考え方であっても、御言葉に浸され続けるなら、それは改善する。
神の言葉のほうが、人間の言葉よりも遥かに強く、この世も私達も、神の言葉によって創造されたからだ。
『わたしは福音(エウアンゲリオン:敵に勝利した良き知らせ)を恥としない。それはユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。(ローマ1:16)
福音(エウアンゲリオン)は昔、戦争に勝利した際に伝令が伝える「勝利の良き知らせ」である。我らの王・イエス様は、悪魔サタンに勝利した!もう悪魔サタンの圧政に苦しむ事は無い!このイエス様を信じて勝利者の側に入りなさい!それが福音であり、どんな悪い状態になってしまっても、癒やされない人はない。
神の愛に浸され、御言葉に浸され、そうしてますます造り変えられ、癒され、ますます神に感謝し、栄光を捧げる「義人」の生き方で固められて行く皆さんでありますように!イエス様の名前によって祝福します!

上の性質と下の性質(ヤコブ3:13-18)
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金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
主によって一つ(エペソ4:1-16)
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十字架のことば、十字架の力(1コリント1:18)
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聖歌隊の初編成(1歴代誌16:4-7)
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今回の箇所は、神殿における聖歌隊が誕生した箇所である。
それは、神の箱がダビデの町に安置されたその日に定められた。

16:4 ダビデはまたレビびとのうちから主の箱の前に仕える者を立てて、イスラエルの神、主をあがめ、感謝し、ほめたたえさせた。
16:5 楽長はアサフ、その次はゼカリヤ、エイエル、セミラモテ、エヒエル、マッタテヤ、エリアブ、ベナヤ、オベデ・エドム、エイエルで、彼らは立琴と琴を弾じ、アサフはシンバルを打ち鳴らし、
16:6 祭司ベナヤとヤハジエルは神の契約の箱の前でつねにラッパを吹いた。
16:7 その日ダビデは初めてアサフと彼の兄弟たちを立てて、主に感謝をささげさせた。

この日以降、主の御前にレビ人奉仕者による賛美が日々捧げられる事が続き、戦いの際には兵士達と共に賛美の部隊が進み行き、第二神殿の時代にも、この賛美奉仕は引き継がれた。

律法にはそのように指示する箇所は無いものの、ダビデは知っていたのだ。
賛美は、霊的世界と、そして永遠世界と密接に関わっているという事を。

賛美は、永遠の昔に存在し、永遠の未来にも存在する。
世界の土台が創られた時、賛美が沸き起こった。「かの時には明けの星は相共に歌い、/神の子たちはみな喜び呼ばわった。」(ヨブ38:7)
また、黙示録を見ると、天国は、賛美で満ちている所である事が分かる。

ダビデがサウル王に召しだされたのも、賛美奉仕が元だった。

『サウルの家来たちは彼に言った、「ごらんなさい。神から来る悪霊があなたを悩ましているのです。どうぞ、われわれの主君が、あなたの前に仕えている家来たちに命じて、じょうずに琴をひく者ひとりを捜させてください。神から来る悪霊があなたに臨む時、彼が手で琴をひくならば、あなたは良くなられるでしょう」。そこでサウルは家来たちに言った、「じょうずに琴をひく者を捜して、わたしのもとに連れてきなさい」。』(1サムエル記16:15-17)

霊の世界と、音楽とは、非常に密接な関係がある。
サウルが最初に主の霊が激しく降った時、預言者達の一団が色々な楽器を奏でつつ預言していたし、エリシャも預言をする時、立琴をひく者を連れてこさせた事があった。(2列王記3:15)

『ダビデはサウルのもとにきて、彼に仕えた。サウルはひじょうにこれを愛して、その武器を執る者とした。またサウルは人をつかわしてエッサイに言った、「ダビデをわたしに仕えさせてください。彼はわたしの心にかないました」。神から出る悪霊がサウルに臨む時、ダビデは琴をとり、手でそれをひくと、サウルは気が静まり、良くなって、悪霊は彼を離れた。』(1サムエル記16:21-23)

主を敬う人が奏でるメロディや、賛美は、悪しき霊を退けさせる。
神は、賛美を住まいとされるからだ。(詩篇22:3)

音楽は、霊的な事柄と密接に関わっているゆえに、悪しき事柄にも作用しやすい。
サタンは元々、天使ルシファー、すなわち、音楽を奏でる天使だったが、自分の美しさに酔いしれて高慢になり、堕落してしまった。

エゼキエル28:12 「人の子よ、ツロの王のために悲しみの歌をのべて、これに言え。主なる神はこう言われる、あなたは知恵に満ち、美のきわみである完全な印である。
28:13 あなたは神の園エデンにあって、もろもろの宝石が、あなたをおおっていた。すなわち赤めのう、黄玉、青玉、貴かんらん石、緑柱石、縞めのう、サファイヤ、ざくろ石、エメラルド。そしてあなたの象眼も彫刻も金でなされた。これらはあなたの造られた日に、あなたのために備えられた。
28:14 わたしはあなたを油そそがれた/守護のケルブと一緒に置いた。あなたは神の聖なる山にいて、火の石の間を歩いた。
28:15 あなたは造られた日から、あなたの中に悪が見いだされた日までは/そのおこないが完全であった。
28:16 あなたの商売が盛んになると、あなたの中に暴虐が満ちて、あなたは罪を犯した。それゆえ、わたしはあなたを神の山から/汚れたものとして投げ出し、守護のケルブはあなたを/火の石の間から追い出した。
28:17 あなたは自分の美しさのために心高ぶり、その輝きのために自分の知恵を汚したゆえに、わたしはあなたを地に投げうち、王たちの前に置いて見せ物とした。
28:18 あなたは不正な交易をして犯した多くの罪によって/あなたの聖所を汚したゆえ、わたしはあなたの中から火を出してあなたを焼き、あなたを見るすべての者の前で/あなたを地の上の灰とした。
28:19 もろもろの民のうちであなたを知る者は皆あなたについて驚く。あなたは恐るべき終りを遂げ、永遠にうせはてる」。

賛美や音楽の奉仕をする人は特に、高慢にならぬよう、また、主の栄光をいつも思うよう、気をつけるべきである。
私達はいつでも主に栄光を帰し、主を褒め称えるべきであって、自分を礼賛すべきでないのだ。

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