メッセージ - 201705のエントリ

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる。(1サムエル記30:1-20)
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主の祈りをしたヒゼキヤ - 人任せの信仰から直接主に向かう信仰へ(2列王記19:1-19)
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19:1 ヒゼキヤ王はこれを聞いて、衣を裂き、荒布を身にまとって主に宮に入り、
19:2 宮内卿エリアキムと書記官セブナおよび祭司のうちの年長者たちに荒布をまとわせて、アモツの子預言者イザヤのもとにつかわした。

アッシリヤの圧倒的な力と暴力を前に、そして主をののしるかのような言葉に主の宮に入った。
衣を裂くのは、痛みや悲しみを表現する行為であり、粗布をまとうのは、主の御前にへりくだる姿勢である。
しかし彼自身が、主の宮で、何かをした、という記録はなく、そのまますぐに、高官達を預言者の元に遣わした。

19:3 彼らはイザヤに言った、「ヒゼキヤはこう申されます、『きょうは悩みと、懲らしめと、はずかしめの日です。胎児がまさに生れようとして、これを産み出す力がないのです。
19:4 あなたの神、主はラブシャケがその主君アッスリヤの王につかわされて、生ける神をそしったもろもろの言葉を聞かれたかもしれません。そしてあなたの神、主はその聞いた言葉をとがめられるかもしれません。それゆえ、この残っている者のために祈をささげてください』」。

彼は預言者イザヤに、「あなたの神、主は」「聞かれたかもしれません。」「祈をささげてください」と預言者に伝えている。
「わたしの神、主は」「聞かれました」「祈りに入ります」とは言っていない。
その所から、彼はこの時、問題を預言者や信仰の偉大な人に頼って祈ってもらう信仰で、自分から進んで信仰告白したり、直接自分が神の前に訴える力が萎えてしまっている事がわかる。

自分から進んで御前で祈り、問題をそのままぶつけに行く人は独り立ちした信仰者だが、圧倒的な現実的問題を前に心がしなえてしまう時、いかに信仰に歩んで来た人であっても、一人では立てなくなってしまうものである。
そのような時、彼のように、より信仰が偉大な人に祈りを要請する事も大事である。

19:5 ヒゼキヤ王の家来たちがイザヤのもとに来たとき、
19:6 イザヤは彼らに言った、「あなたがたの主君にこう言いなさい、『主はこう仰せられる、アッスリヤの王の家来たちが、わたしをそしった言葉を聞いて恐れるには及ばない。
19:7 見よ、わたしは一つの霊を彼らのうちに送って、一つのうわさを聞かせ、彼を自分の国へ帰らせて、自分の国でつるぎに倒れさせるであろう』」。

人に、ある霊が入る時、強烈な影響を受ける。
夜、眠れない時、ある物事が強烈に気になって、起きだして、夜なのに不要な行動をしてしまったという事は無いだろうか。
その時は、自分の主イエス・キリストの御名によって、その霊を叱りつけるのだ。
イザヤは、恐れるに足りない、と言った。彼らに一つの霊を送り、あるうわさ話を聞かせ、それによって彼らの心を強烈に縛り、自分の国に帰らせるようにする、と、主の言葉を届けた。
実際にその言葉の通りの事が起きる。

19:8 ラブシャケは引き返して、アッスリヤの王がリブナを攻めているところへ行った。彼が王のラキシを去ったことを聞いたからである。
19:9 この時アッスリヤの王はエチオピヤの王テルハカについて、「彼はあなたと戦うために出てきた」と人々がいうのを聞いたので、再び使者をヒゼキヤにつかわして言った、
19:10 「ユダの王ヒゼキヤにこう言いなさい、『あなたは、エルサレムはアッスリヤの王の手に陥ることはない、と言うあなたの信頼する神に欺かれてはならない。

「あなたの信頼する神に欺かれてはならない。」、実に、真理に真っ向から反対する言葉である。
神は果たして、欺くお方だろうか。誘惑するお方だろうか。

ヤコブ1:13 だれでも誘惑に会う場合、「この誘惑は、神からきたものだ」と言ってはならない。神は悪の誘惑に陥るようなかたではなく、また自ら進んで人を誘惑することもなさらない。
1:14 人が誘惑に陥るのは、それぞれ、欲に引かれ、さそわれるからである。

悪魔サタンは、神を貶め、神に信頼させないようにするが、その時こそ、御言葉を宣言して、逆にその者を御言葉の剣へと渡すのである。

19:11 あなたはアッスリヤの王たちがもろもろの国々にした事、彼らを全く滅ぼした事を聞いている。どうしてあなたが救われることができようか。
19:12 わたしの父たちはゴザン、ハラン、レゼフ、およびテラサルにいたエデンの人々を滅ぼしたが、その国々の神々は彼らを救ったか。
19:13 ハマテの王、アルパデの王、セパルワイムの町の王、ヘナの王およびイワの王はどこにいるのか』」。

アッシリヤの王は、自分はあれをした、これをした、と、現実的にして来た実績をひけらかし、自分はいかなる王達も、国々も、神々も、踏み潰して来た、と豪語している。
彼らは、神をののしったのだ。
そうなれば、もはや人と人との戦いではなく、神をののしった人と、神との戦いにそのまま持っていけば、あとは神が全てをして下さる。
ヒゼキヤは、それをそのまま主に持って行った。

19:14 ヒゼキヤは使者の手から手紙を受け取ってそれを読み、主の宮にのぼっていって、主の前にそれをひろげ、
19:15 そしてヒゼキヤは主の前に祈って言った、「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ、地のすべての国のうちで、ただあなただけが神でいらせられます。あなたは天と地を造られました。

先にヒゼキヤは、預言者イザヤという信仰の優れた人に祈ってもらうよう頼んだが、今度は他の誰かに頼らず、自ら主の宮に問題を持って行って、自ら祈った。
彼は先に、預言者に「あなたの神、主は」「聞かれたかもしれません。」「祈をささげてください」と言ったが、今度は彼は自分から、「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主」「あなたは天と地を造られました。」と言って、主の全能性を告白した。
なんと凛々しい信仰となった事だろう。

19:16 主よ、耳を傾けて聞いてください。主よ、目を開いてごらんください。セナケリブが生ける神をそしるために書き送った言葉をお聞きください。
私達も、目の前の現実的な問題を、直接、主の前に持って行って、告白すべきである。主よ、耳を傾けて聞いてください。主よ、目を開いてごらんください、と。
その人が、他の誰かにでもなく、直接主と向き合う時、直接主が動いて下さる。

19:17 主よ、まことにアッスリヤの王たちはもろもろの民とその国々を滅ぼし、
19:18 またその神々を火に投げ入れました。それらは神ではなく、人の手の作ったもので、木や石だから滅ぼされたのです。
19:19 われわれの神、主よ、どうぞ、今われわれを彼の手から救い出してください。そうすれば地の国々は皆、主であるあなただけが神でいらせられることを知るようになるでしょう」。

ヒゼキヤは直接、主がいかなるお方であるかを告白し、主をたたえ、主の支配を求めた。その後に、自分の願いを主に求め、救い出して下さいと求め、そして最後に、全ての国々は主のものである、と告白した。
これは主の祈りの内容と全く同じ順番であり、これこそ、正しい祈りの順番である。

かつてはヒゼキヤが預言者イザヤに祈りを要請したが、今度は逆に、主が預言者イザヤを動かして、ヒゼキヤの元に遣わして言葉を伝えて下さる。
主に直接向かう時、主が預言者や信仰の先輩を動かして、その人を助けて下さるのだ。

詩篇91:1 いと高き者のもとにある/隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人は
91:2 主に言うであろう、「わが避け所、わが城、わが信頼しまつるわが神」と。
91:3 主はあなたをかりゅうどのわなと、恐ろしい疫病から助け出されるからである。
91:4 主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。
91:5 あなたは夜の恐ろしい物をも、昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。
91:6 また暗やみに歩きまわる疫病をも、真昼に荒す滅びをも恐れることはない。

結局、主の前に直接進み出る人をこそ、主は直接助けて下さるのだ。

目をさましていなさい(マタイ24:40-51)
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ルカによる福音書 講解説教メッセージ
権威を身に帯びる方法(ルカ4:31-44)
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イザヤ書 講解説教メッセージ
「私は枯れ木だ」と言ってはならない(イザヤ56章)
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悪がはびこる時の聖徒の在り方(2列王記18:26-37)
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ヒゼキヤの時代、アッシリヤは神の民の敵として、圧倒的な力や武器をちらつかせ、神の民をそそのかしに来た。
この出来事は、聖書の3箇所から、すなわち、この列王記と、歴代誌と、イザヤ書の3つの視点で書き記されている。
それは、異例な事である。なぜ聖書は、そこまで繰り返しこのヒゼキヤの時代の出来事を記して来たのか。
ヘブライ思考において、ハカダされている(繰り返されている)という事は、重要な事だからしっかり心に留めなさい、という事である。
強大な悪がはびこり、神の民を苦しめる。
それは終わりの時代においても、いや、私達の日常生活において起こりうる事であるが、いかにしてそれを乗り切るか、その秘訣が、このヒゼキヤ対アッシリヤの記述に記されているのだ。

18:26 その時ヒルキヤの子エリアキムおよびセブナとヨアはラブシャケに言った、「どうぞ、アラム語でしもべどもに話してください。わたしたちは、それがわかるからです。城壁の上にいる民の聞いているところで、わたしたちにユダヤの言葉で話さないでください」。
18:27 しかしラブシャケは彼らに言った、「わたしの主君は、あなたの主君とあなたにだけでなく、城壁の上に座している人々にも、この言葉を告げるためにわたしをつかわしたのではないか。彼らも、あなたがたと共に自分の糞尿を食い飲みするに至るであろう」。

敵は、自分たちにわかりやすい言葉で語りかけて来る。
それは、暴力的な脅し文句であり、また汚らわしい言葉である。
彼らはなぜ、アラム語ではなく、ユダの言葉で語って来たか。それは、城壁を守る者達を恐れを掻き立てるためであり、城壁を守る者が、主君であるヒゼキヤに対する信頼を無くさせるためである。

18:28 そしてラブシャケは立ちあがり、ユダヤの言葉で大声に呼ばわって言った。「大王、アッスリヤの王の言葉を聞け。
18:29 王はこう仰せられる、『あなたがたはヒゼキヤに欺かれてはならない。彼はあなたがたをわたしの手から救いだすことはできない。
18:30 ヒゼキヤが「主は必ずわれわれを救い出される。この町はアッスリヤ王の手に陥ることはない」と言っても、あなたがたは主を頼みとしてはならない』。

神の民に敵対する者達の本音は、彼らが主に寄り頼む事を止めさせたい、という所に尽きる。
ヒゼキヤは人々に、主に寄り頼み、主に信頼するように伝えて来て、また行動して来た。
しかし、その信仰の志をくじかせてくる。口先で主に依り頼むと言って何になるのか、現実的に力自分たちの力はこんなにすごいのだぞ、と。
そして、さんざん力を見せつけ、脅した後は、甘い言葉で畳み掛けてくる。

18:31 あなたがたはヒゼキヤの言葉を聞いてはならない。アッスリヤの王はこう仰せられる、『あなたがたはわたしと和解して、わたしに降服せよ。そうすればあなたがたはおのおの自分のぶどうの実を食べ、おのおの自分のいちじくの実を食べ、おのおの自分の井戸の水を飲むことができるであろう。
18:32 やがてわたしが来て、あなたがたを一つの国へ連れて行く。それはあなたがたの国のように穀物とぶどう酒のある地、パンとぶどう畑のある地、オリブの木と蜜のある地である。あなたがたは生きながらえることができ、死ぬことはない。ヒゼキヤが「主はわれわれを救われる」と言って、あなたがたを惑わしても彼に聞いてはならない。

暴力的な言葉でさんざん脅し、また暴力を振るわれた後に、甘い言葉でささやきかけてくる。それでころっと騙されてしまう人は多い。
DVの被害に遭っている人が、なかなか警察に通報しないのは、この、暴力の後の甘い言葉に一抹の望みをかけてしまうからだ。

18:33 諸国民の神々のうち、どの神がその国をアッスリヤの王の手から救ったか。
18:34 ハマテやアルパデの神々はどこにいるのか。セパルワイム、ヘナおよびイワの神々はどこにいるのか。彼らはサマリヤをわたしの手から救い出したか。
18:35 国々のすべての神々のうち、その国をわたしの手から救い出した者があったか。主がどうしてエルサレムをわたしの手から救い出すことができよう』」。

サマリヤ、そこは北イスラエル王国の首都だった所である。
ようするに、北イスラエル王国は最後、主により頼まずに、この、セパルワイム、ヘナおよびイワの神々により頼んでいた、という事だ。
神の民が、神である主を捨てて、異邦の神々により頼む。それでは、負けて当然である。
しかしアッシリヤは、あたかも自分たちがその神々に勝った、と豪語している。

18:36 しかし民は黙して、ひと言も彼に答えなかった。王が命じて「彼に答えてはならない」と言っておいたからである。

敵の脅しや甘い言葉に対して、何も答えるな、それは最善策である。
焦ったり、恐れたり、混乱している時、口から発する言葉や決定してしまう事は、ほぼ、物事をもっと悪くしてしまうからだ。

なぜ、敵がこのようにはびこるのだろうか。それは、主の許しの元である。
黙示録13:5 この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた。
13:6 そこで、彼は口を開いて神を汚し、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちとを汚した。
13:7 そして彼は、聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。

神はなぜ、邪悪で汚れた敵がはびこる事を許されるのか。
それは計り知る事はできないが、すくなくとも、敵がはびこっている間、聖徒達には、忍耐と、主への信仰の貫きとを、世に対し、人やサタンに対し、そして、神に対して示す機会となっている事は、否みようがない事実である。
だから、敵がはびこっている時こそ、聖徒達は主に向かい、助けをもとめ、ますます主に近づく必要がある。
黙示録13:10 とりこになるべき者は、とりこになっていく。つるぎで殺す者は、自らもつるぎで殺されねばならない。ここに、聖徒たちの忍耐と信仰とがある。

ヒゼキヤはこの事によってますます主に向かい、主に助けていただき、最終的に彼は有名になって、主の栄光が轟き渡る事となる。
全ての事は主の栄光のため、そして義人と悪人がふるい分けられるためである。
このように悪がはびこっている時、聖徒達がいかにして乗り越えるべきか、その秘訣が、詩篇37篇に記されている。

詩篇37:1 ダビデの歌 悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。不義を行う者のゆえに、ねたみを起すな。
37:2 彼らはやがて草のように衰え、青菜のようにしおれるからである。
37:3 主に信頼して善を行え。そうすればあなたはこの国に住んで、安きを得る。
37:4 主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。
37:5 あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、
37:6 あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。

主に信頼して善を行う事、主を喜びとする事、道を主にゆだねる事、それが、悪人が栄えている時に為すべき時である。
そうすれば、その者共は草のように衰え、青草のようにしおれる。
そして主は、その人の正しい事を真昼のように明らかにされる。

37:7 主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。おのが道を歩んで栄える者のゆえに、悪いはかりごとを遂げる人のゆえに、心を悩ますな。
37:8 怒りをやめ、憤りを捨てよ。心を悩ますな、これはただ悪を行うに至るのみだ。
37:9 悪を行う者は断ち滅ぼされ、主を待ち望む者は国を継ぐからである。
37:10 悪しき者はただしばらくで、うせ去る。あなたは彼の所をつぶさに尋ねても彼はいない。
37:11 しかし柔和な者は国を継ぎ、豊かな繁栄をたのしむことができる。

書いてあった。柔和な者は国を継ぎ、豊かな繁栄をたのしむことができる、と。
主に信頼する柔和な者は、豊かな繁栄を楽しむ事が出来るのだ。
この終わりの時代、悪がはびこっている時代、この時こそ聖徒達はますます聖なるものとされていくべきである。

黙示録22:11 不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ」。
22:12 「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。

主はわが旗、主はともにおられる(詩篇23:4)
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ダビデは、詩篇23篇の中に、主エホバの御名を凝縮した。
23:4 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
この節の中に、二つの主のご性質があり、二つの御名が隠されている。
そのうちの一つは、「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。」に隠された御名、ジェホバ・ニシ(Jehovah Nissi:主はわが旗)、もう一つは、「あなたがわたしと共におられるからです。」の中に隠された御名、ジェホバ・シャンマ(Jehovah Shammah:主は共におられる)である。

ジェホバ・ニシ(主はわが旗)という主の御名は、出エジプト記17:15に出てくる。
その前後は、どういう場面か。

17:8 ときにアマレクがきて、イスラエルとレピデムで戦った。
イスラエルが奴隷の国エジプトを出た直後、アマレクが襲いかかってきた。
彼らはイスラエルの中でも、行軍に疲れて弱って後ろの方にいる人達を狙って襲いかかってきたのだ。
彼らアマレクの性質を一言で言うなら、弱い者いじめ、である。

17:9 モーセはヨシュアに言った、「われわれのために人を選び、出てアマレクと戦いなさい。わたしはあす神のつえを手に取って、丘の頂に立つであろう」。
17:10 ヨシュアはモーセが彼に言ったようにし、アマレクと戦った。モーセとアロンおよびホルは丘の頂に登った。
これはすなわち、モーセは丘の上で祈りの手をあげ、実戦部隊として戦うヨシュアを祝福する、という事である。
私達も、祈りの武器は、鉄でできたものではなく御言葉の剣であり、その手段は肉弾戦ではなく祈りである事が、エペソ6章に書かれてある。
モーセは祈りの重要性をよく認識していたのだ。

17:11 モーセが手を上げているとイスラエルは勝ち、手を下げるとアマレクが勝った。
背後で祝福の手を上げて祈る祈りが、戦いを左右した。
祈りがどれほど、重要であるか、この記事から分かる。アロンとフルはその重要性に気づき、モーセを助ける働きをする。

17:12 しかしモーセの手が重くなったので、アロンとホルが石を取って、モーセの足もとに置くと、彼はその上に座した。そしてひとりはこちらに、ひとりはあちらにいて、モーセの手をささえたので、彼の手は日没までさがらなかった。
17:13 ヨシュアは、つるぎにかけてアマレクとその民を打ち敗った。

祈りもまた重要な戦いであり、助けが必要だ。
ヨシュア、アロン、フル、モーセ、がそれぞれの役割があり、牧会の戦い方には、それぞれ役割があるのだ。

17:14 主はモーセに言われた、「これを書物にしるして記念とし、それをヨシュアの耳に入れなさい。わたしは天が下からアマレクの記憶を完全に消し去るであろう」。
17:15 モーセは一つの祭壇を築いてその名を「主はわが旗」と呼んだ。
17:16 そしてモーセは言った、/「主の旗にむかって手を上げる、/主は世々アマレクと戦われる」。

ここに、主はわが旗、という主の御名が出てきた。
それは『主の御座の上の手』のことであると書いてある。つまり、私達が祈りの手を上げて祈る時、その手が主の旗となり、そこに神の国の影響が、神の統治が、その場所に及ぶようになるという事なのだ。
戦いにおいて勝利した時、はじめてその土地に降り立った時など、そこに自分の旗を立てて、そこは自分たちのもの、自分達の統治権が及ぶ所、と宣言するのと同じである。
だから私達が、自分の子供のために、家族のために、あるいは会社のために、祈りの手を上げる時、そこに神の国の統治権を呼び起こす事が出来るのだ。それはなんと素晴らしい事だろう。

さてもう、「あなたがわたしと共におられるからです。」の中に隠された御名、ジェホバ・シャンマ(Jehovah Shammah:主は共におられる)についてである。
このジェホバ・シャンマという具体的な名は、エゼキエル書に登場する。
エゼキエル48:35 町の周囲は一万八千キュビトあり、この日から後、この町の名は『主そこにいます』と呼ばれる」。
主が共におられる。その言葉は、聖書の他の所にも、至る所に登場する。

28:10 さてヤコブはベエルシバを立って、ハランへ向かったが、
28:11 一つの所に着いた時、日が暮れたので、そこに一夜を過ごし、その所の石を取ってまくらとし、そこに伏して寝た。

この場面は、イスラエル民族の父祖ヤコブが、兄エサウの祝福をだまし取ったゆえに、兄から命を狙われる事となり、たった一人、おじのラバンの所へ逃避行する途中の旅路である。

28:12 時に彼は夢をみた。一つのはしごが地の上に立っていて、その頂は天に達し、神の使たちがそれを上り下りしているのを見た。
28:13 そして主は彼のそばに立って言われた、「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが伏している地を、あなたと子孫とに与えよう。
28:14 あなたの子孫は地のちりのように多くなって、西、東、北、南にひろがり、地の諸族はあなたと子孫とによって祝福をうけるであろう。
28:15 わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう」。

この主の言葉、わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る、と言っておられる。
ここも、ジェホバ・シャンマのご性質が良く表れている場面である。
わたしがともにいる、だから、恐れる事はない、と。ダビデも告白した。ヤコブも、イザヤも、主が共にいるから恐れない、と告白した。
私達も同じである。特に私達には、インマヌエル(主が共におられる)であられる主イエス様がおられる。

イエス様はこのヤコブの場面と同じ事を言った。
ヨハネ1:51 また言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。天が開けて、神の御使たちが人の子の上に上り下りするのを、あなたがたは見るであろう」。
このヤコブのはしごは、とても不思議で、普通、はしごは地から天に向けてかけられるものだが、逆に、天から地に向けてかけられている。
まさしくイエス様、インマヌエルなる主は、天から降りてこられ、私達が天に上れるように、はしごをかけて下さった。
だから私達は、イエス様を通してのみ、天国に行けるのである。

28:16 ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」。
28:17 そして彼は恐れて言った、「これはなんという恐るべき所だろう。これは神の家である。これは天の門だ」。
28:18 ヤコブは朝はやく起きて、まくらとしていた石を取り、それを立てて柱とし、その頂に油を注いで、
28:19 その所の名をベテルと名づけた。その町の名は初めはルズといった。

兄から命を狙われ、そこから逃げる旅路で心細くあるヤコブ自身、主がともにおられる、という事で、その地をベテル(神の家)と呼んだ。
この体験が、ヤコブにとって、信仰のはじまりだった。

28:20 ヤコブは誓いを立てて言った、「神がわたしと共にいまし、わたしの行くこの道でわたしを守り、食べるパンと着る着物を賜い、
28:21 安らかに父の家に帰らせてくださるなら、主をわたしの神といたしましょう。
28:22 またわたしが柱に立てたこの石を神の家といたしましょう。そしてあなたがくださるすべての物の十分の一を、わたしは必ずあなたにささげます」。

後に彼がベテルで礼拝を捧げた時、彼は一人ではなく、二人の妻と二人の妾、そして12人の子供たちが彼とともにあった。
彼は確かに主から祝福を受け、日毎のパンや着物に困る事が全くないほどまでに富ませ、無事に帰らせてくださったにもかかわらず、すぐに礼拝をささげなかったゆえに、娘ディナに不幸な事が起きたり、息子達がとんでもない事をしたりして、色々紆余曲折があったものの、主からの促しにより、このベテルに戻って礼拝を捧げた時、諸国の間で、彼に対する恐れが芽生えた。(創世記35章)

私達も、主がいかなるお方であるのかを宣言し、この人生に、また自分の家族や仕事に対して、祝福を宣言するものでありたい。

圧倒的な暴力が迫ってくる時(2列王記18:13-25)
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信仰を奮い立たせて主の前に良いわざを行い、大いに祝福されたヒゼキヤだったが、彼に大きな信仰の試練が臨む。
18:13 ヒゼキヤ王の第十四年にアッスリヤの王セナケリブが攻め上ってユダのすべての堅固な町々を取ったので、
アッシリヤ。それまで同時に歴史を歩んできた北イスラエル王国を滅ぼし、破竹の勢いで、ユダの他の堅固な町々を攻め落として来た。
アッシリヤのやり方は、まず、簡単に落とせる弱い所を攻め落とし、そこを残虐極まるやり方で徹底して痛めつけ、見せしめにし、恐怖によって支配する。
次の節を見ると、ラキシュという町にアッシリヤの王がとどまっているのが分かるが、ラキシュはエルサレムの南西約45キロに位置する、ユダの46の城壁のある町の中で最大最強であった。

征服の模様については,粘土の六角プリズムに記されているセナケリブの年代記に詳しく報じられている.ラキシュの町は二重の城壁で囲まれ,堅固に武装された城門によって守られて,要塞司令部の建物は,居住地の高台に建てられていた.アッシリヤ軍のラキシュに対するすさまじい攻撃と,ラキシュの捕虜と戦利品を検閲する様子が,ニネベのセナケリブの宮殿の石壁を飾っていた浮彫にいきいきと描かれている.また発掘の結果,当時の徹底的な破壊の跡が確認されている.(新聖書辞典より)

18:14 ユダの王ヒゼキヤは人をラキシにつかわしてアッスリヤの王に言った、「わたしは罪を犯しました。どうぞ引き上げてください。わたしに課せられることはなんでもいたします」。アッスリヤの王は銀三百タラントと金三十タラントをユダの王ヒゼキヤに課した。
18:15 ヒゼキヤは主の宮と王の家の倉とにある銀をことごとく彼に与えた。
18:16 この時ユダの王ヒゼキヤはまた主の神殿の戸および柱から自分が着せた金をはぎ取って、アッスリヤの王に与えた。

目の前に迫る、現実的で圧倒的な暴力を前に、さすがのヒゼキヤも恐れをなし、「なんでもします」と申し出た。
アッシリヤは大量の金銀を課し、ヒゼキヤは自分の家と神の宮の宝物から何とか捻出して捧げたが、結局それは何の役にも立たなかった。
暴力で成り立っている者は、お金を差し出しますから暴力を止めてください、と言って差し出してしまうと、もっと搾り取れると思われて、もっと暴力を振るわれてしまうのだ。

18:17 アッスリヤの王はまたタルタン、ラブサリスおよびラブシャケを、ラキシから大軍を率いてエルサレムにいるヒゼキヤ王のもとにつかわした。彼らは上ってエルサレムに来た。彼らはエルサレムに着くと、布さらし場に行く大路に沿っている上の池の水道のかたわらへ行って、そこに立った。
この「布さらし場に行く大路に沿っている上の池の水道のかたわら」は、いわくつきの場所である。

ヒゼキヤの父のアハズの世代、北イスラエル王国とアラムの連合軍が攻めてきた。
イザヤ7:3  その時、主はイザヤに言われた、「今、あなたとあなたの子シャル・ヤシュブと共に出て行って、布さらしの野へ行く大路に沿う上の池の水道の端でアハズに会い、
Isa 7:4  彼に言いなさい、『気をつけて、静かにし、恐れてはならない。レヂンとスリヤおよびレマリヤの子が激しく怒っても、これら二つの燃え残りのくすぶっている切り株のゆえに心を弱くしてはならない。

しかしアハズは、身勝手にアッシリヤにより頼んで、その困難を乗り越えた気でいた。(2列王記16:7-9)
その時、アハズはアッシリヤに「わたしはあなたのしもべ、あなたの子です。」と言って、主のしもべであり主の子である事を捨ててしまった。
そのつけが回って来て、今、あの「布さらし場に行く大路に沿っている上の池の水道のかたわら」に、アッシリヤの将軍が立って、イスラエルに攻め入ろうとしている。

18:18 そして彼らが王を呼んだので、ヒルキヤの子である宮内卿エリアキム、書記官セブナ、およびアサフの子である史官ヨアが彼らのところに出てきた。
18:19 ラブシャケは彼らに言った、「ヒゼキヤに言いなさい、『大王、アッスリヤの王はこう仰せられる。あなたが頼みとする者は何か。

彼は「あなたが頼みとする者は何か。」と問うたが、今、ヒゼキヤはまさに、主により頼むか、それとも現実的に力ある者に頼るのか、その分岐点に立たせられている。

18:20 口先だけの言葉が戦争をする計略と力だと考えるのか。あなたは今だれにたよって、わたしにそむいたのか。
18:21 今あなたは、あの折れかけている葦のつえ、エジプトを頼みとしているが、それは人がよりかかる時、その人の手を刺し通すであろう。エジプトの王パロはすべて寄り頼む者にそのようにする。

口先だけの信仰告白の言葉であるのか、それとも、行いを伴った信仰の実践を見せるか、それも試されている。
ヒゼキヤが、いつのタイミングでエジプトにより頼んだのかは定かではないが、しかし彼がエジプトに頼んだ動機は、24節にはっきり書いてある。
「あなたはエジプトを頼み、戦車と騎兵を請い求めている」
つまりヒゼキヤは、アッシリヤという力に長けた敵に相対するに、力で対抗するために、戦車と騎兵をエジプトに求めたのだ。

しかし、書いてある。
詩篇147:10 神は馬の力を喜ばず、歩兵を好まない。
147:11 主を恐れる者と御恵みを待ち望む者とを主は好まれる。

また、書いてある。
申命記17:16  王となる人は自分のために馬を多く獲ようとしてはならない。また馬を多く獲るために民をエジプトに帰らせてはならない。主はあなたがたにむかって、『この後かさねてこの道に帰ってはならない』と仰せられたからである。

ヒゼキヤは力を求めるあまり、御旨にかなわないエジプトの馬の力や戦車を求めて行っていたのだ。
真理の御言葉で戦う闘いを降りて、力による戦いの土俵に上がってしまうなら、あくまで、力の上下関係の枠組みは出ることが出来ないのだ。
それでアッシリヤはますますつけあがり、ヒゼキヤに、イスラエルに傲慢なけがしごとを言い始める。

18:22 しかしあなたがもし「われわれは、われわれの神、主を頼む」とわたしに言うのであれば、その神はヒゼキヤがユダとエルサレムに告げて、「あなたがたはエルサレムで、この祭壇の前に礼拝しなければならない」と言って、その高き所と祭壇とを除いた者ではないか。

ラブ・シャケはイスラエルの神、主を貶める言葉へと転換した。
ヒゼキヤがすすめる神は、これこれの場所だけで、これこれの形式だけで礼拝させるような神だ、と。
サタンは一部のクリスチャンに対しても、キリスト教会が何か偏屈で窮屈であるかのように見せてきて主日礼拝から離れさせる事に成功させてしまっている。
しかし人は人の都合を主よりも優先させるべきではない。主は、主を敬い主の御旨に合わせる人をこそ祝福されるからだ。

18:23 さあ、わたしの主君アッスリヤの王とかけをせよ。もしあなたの方に乗る人があるならば、わたしは馬二千頭を与えよう。
18:24 あなたはエジプトを頼み、戦車と騎兵を請い求めているが、わたしの主君の家来のうちの最も小さい一隊長でさえ、どうして撃退することができようか。

ヒゼキヤはエジプトの戦車と騎兵に頼ったが、結局、その方面もアッシリヤのほうがはるかに上だったのだ。
こうして、アッシリヤは、圧倒的な力と恐怖心を巧みな弁舌でもって、ヒゼキヤおよびエルサレムに差し迫ってきた。
その上で、主の御言葉を曲げた脅しをかけて来る。
18:25 わたしがこの所を滅ぼすために上ってきたのは、主の許しなしにしたことであろうか。主がわたしにこの地に攻め上ってこれを滅ぼせと言われたのだ』」。

サタンはこのように、力をちらつかせ、脅しをもって、御言葉から、また主から離れさせようと、聖徒達に仕掛けてくる。
あたかも今、ひどい目に遭っているのは、主が嫌がらせをしているかのように。また、主は良い物を出し惜しみして、主の道に歩むことが損であるかのように。
その時、信仰が試されている。
その時、私達は次の詩篇を告白すべきだ。

詩篇147:1 主をほめたたえよ。われらの神をほめうたうことはよいことである。主は恵みふかい。さんびはふさわしいことである。
147:2 主はエルサレムを築き、イスラエルの追いやられた者を集められる。
147:3 主は心の打ち砕かれた者をいやし、その傷を包まれる。
147:4 主はもろもろの星の数を定め、すべてそれに名を与えられる。
147:5 われらの主は大いなる神、力も豊かであって、その知恵ははかりがたい。
147:6 主はしえたげられた者をささえ、悪しき者を地に投げ捨てられる。
147:7 主に感謝して歌え、琴にあわせてわれらの神をほめうたえ。
147:8 主は雲をもって天をおおい、地のために雨を備え、もろもろの山に草をはえさせ、
147:9 食物を獣に与え、また鳴く小がらすに与えられる。
147:10 主は馬の力を喜ばれず、人の足をよみせられない。
147:11 主はおのれを恐れる者と/そのいつくしみを望む者とをよみせられる。
147:12 エルサレムよ、主をほめたたえよ。シオンよ、あなたの神をほめたたえよ。
147:13 主はあなたの門の貫の木を堅くし、あなたのうちにいる子らを祝福されるからである。
147:14 主はあなたの国境を安らかにし、最も良い麦をもってあなたを飽かせられる。
 

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