メッセージ - 201704のエントリ

イエス様の十字架を負ったクレネ人シモンのその後(マルコ15:21)
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訴える者に対し黙秘した事によって訴える者を救ったイエス様(ルカ23:1-25)
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ルカによる福音書 講解説教メッセージ
系図が立証する驚くべき主の真実性(ルカ3:23-38)
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イザヤ書 講解説教メッセージ
不妊の女よ、喜び歌え(イザヤ54:1-8)
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ゲッセマネの園でイエス様を十字架へと渡した全ての人々(マタイ26:36-56)
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26:36 それから、イエスは彼らと一緒に、ゲツセマネという所へ行かれた。そして弟子たちに言われた、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここにすわっていなさい」。
26:37 そしてペテロとゼベダイの子ふたりとを連れて行かれたが、悲しみを催しまた悩みはじめられた。

イエス様は悲しみという感情を起こされた。
もし子供が親に見捨てられるとするなら、子は大きな悲しみを覚えるが、イエス様は御父から、それも、世の始まる以前から御父と親しい愛の交わりをしておられた、その御父から捨てられ、呪われ、悪しき者達の罪を負い、神と人から見捨てられるのだ。
それは、血の汗を滴らせる、私達には計り知れない大きな大きな悲しみである。

26:38 そのとき、彼らに言われた、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一緒に目をさましていなさい」。
26:39 そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。

ゲッセマネ、それは「油絞り」という意味である。
この、「わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」という祈りこそ、聖霊の油がしたたる祈りである。
いつも油の用意をしている5人の賢いおとめは、花婿が来た時、すぐに花婿と共に婚宴へと行く事が出来たが、愚かな5人の花嫁は油の用意が無かったため、油を買いに行っている間に婚宴の席は閉じられてしまい、花婿へと嫁いで行く機会を永遠にロスしてしまった。(マタイ25:1-13)

油したたる祈りとは、「わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」という祈りである。
いかに多くの人が、「みこころのままにではなく、わたしの思いどおりになさって下さい」という、逆の祈りをし、油の蓄えをするべき機会をロスしてしまっているだろう。

26:40 それから、弟子たちの所にきてごらんになると、彼らが眠っていたので、ペテロに言われた、「あなたがたはそんなに、ひと時もわたしと一緒に目をさましていることが、できなかったのか。
26:41 誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。「心(プネウマ:霊)」は熱しているが、肉体が弱いのである」。

イエス様は血の汗をしたたらせて悲しみ苦しみもだえて祈っている傍ら、弟子達は、居眠りしていた。
「誘惑」するものがあったからだ。居眠りへの誘惑、肉の誘惑、世の誘惑が。
イエス様の願いは、一緒に目を覚まして祈っている事だったのに、イエス様一人に祈らせて、自分は眠ってしまう。

26:42 また二度目に行って、祈って言われた、「わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように」。
26:43 またきてごらんになると、彼らはまた眠っていた。その目が重くなっていたのである。

祈るべき時に、目が重い、それを「よくある、仕方ないよね」で済ますべきではない。
イエス様はパッションをもって、この時代のために、国々のために、執り成しておられる。
居眠りへの誘惑、肉の誘惑、世の誘惑に陥らないように、目をさまして、イエス様と共に祈るべきなのだ。

26:44 それで彼らをそのままにして、また行って、三度目に同じ言葉で祈られた。
26:45 それから弟子たちの所に帰ってきて、言われた、「まだ眠っているのか、休んでいるのか。見よ、時が迫った。人の子は罪人らの手に渡されるのだ。

イエス様は、弟子達が眠っているのを見て、再びただ一人、血の汗したたる悲しみもだえる祈りへと戻り、そして戻って来たら、弟子達はまた居眠りをしている。
そして、時間が来てしまった。
居眠りをしているならやがて、イエス様が連れて行かれ、目の前からいなくなってしまう時間が来てしまうのだ。

何事にも、時期がある。
祈るべき時期、油を蓄えるべき時期、しかしその時期を無駄に、眠りをして費やしてしまうなら、その時期を無駄遣いしてしまった将来を刈り取る事になってしまう。
しかしその時期を、しっかり為すべき事を為して過ごすなら、豊かな報いがある。

26:46 立て、さあ行こう。見よ、わたしを裏切る者が近づいてきた」。

イエス様は、弟子達を行かせた。そして弟子達は結果的に、イエス様を置いて、行ってしまう。
イエス様は弟子達の誰一人として失われる者がいないように、行かせたのだ。

26:47 そして、イエスがまだ話しておられるうちに、そこに、十二弟子のひとりのユダがきた。また祭司長、民の長老たちから送られた大ぜいの群衆も、剣と棒とを持って彼についてきた。
26:48 イエスを裏切った者が、あらかじめ彼らに、「わたしの接吻する者が、その人だ。その人をつかまえろ」と合図をしておいた。
26:49 彼はすぐイエスに近寄り、「先生、いかがですか」と言って、イエスに接吻した。

ユダは金を受け取り、意図的に、イエス様を売り渡した。
そして、その志とは裏腹に、イエス様に対し「いかがですか(カリオー:お元気で)」という挨拶言葉と、接吻という親しい挨拶した。
普通そこまでされたなら、怒りに燃えて罪定めして裁いてしまっても仕方無いものであるが、イエス様はそうしなかった。

26:50 しかし、イエスは彼に言われた、「友よ、なんのためにきたのか」。
原意は、「友(仲間、同労者)よ、このためにあなたはここにいるのですか?(来たのですか?)」である。
イエス様は一切、断罪の言葉を発しなかった。ただ、その後の成り行きはユダに任せた。
ユダはその後、悔い改めて立ち返る自由意志の余地をイエス様は残された。しかしユダはその後、その自由意志を用いて、自分で首をくくってしまった。

26:51 すると、イエスと一緒にいた者のひとりが、手を伸ばして剣を抜き、そして大祭司の僕に切りかかって、その片耳を切り落した。
26:52 そこで、イエスは彼に言われた、「あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる。
26:53 それとも、わたしが父に願って、天の使たちを十二軍団以上も、今つかわしていただくことができないと、あなたは思うのか。
26:54 しかし、それでは、こうならねばならないと書いてある聖書の言葉は、どうして成就されようか」。

イエス様は確かに、12軍団(1軍団(レギオン)は6000人、12軍団は72000人)以上の天の軍勢を従えて、裏切るものも、捕らえに来た者も、全部滅ぼす事が出来た。
しかしそんな事はしなかった。
聖書の言葉が、成就するために、すなわち、人の救いが成就するように。

26:55 そのとき、イエスは群衆に言われた、「あなたがたは強盗にむかうように、剣や棒を持ってわたしを捕えにきたのか。わたしは毎日、宮ですわって教えていたのに、わたしをつかまえはしなかった。
26:56 しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書いたことが、成就するためである」。そのとき、弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。

こうして、弟子達は全員、イエス様を捨ててしまった。
ある弟子は、金銀をもらって心定めてイエス様を裏切り、ある弟子は、祈るべき時に祈らず、眠る事によって。
そして人は、皆、イエス様を十字架へと運んでしまった。
イザヤ53:6 われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。

しかしイエス様は、誰をも罪定めせず、また、天の軍団を従えて滅ぼす事もせず、御心を行うように、人を救うようにと心さだめ、わざと捕らえられ、十字架への道を歩まれた。

十字架、復活、聖霊抜きには何も出来ない主の弟子(ルカ22:14-34)
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22:14 時間になったので、イエスは食卓につかれ、使徒たちも共に席についた。
22:15 イエスは彼らに言われた、「わたしは苦しみを受ける前に、あなたがたとこの過越の食事をしようと、切に望んでいた。
22:16 あなたがたに言って置くが、神の国で過越が成就する時までは、わたしは二度と、この過越の食事をすることはない」。

いわゆる「最後の晩餐」は、単なる最後の食事ではない。
それは「過越の食事」であり、小羊の犠牲がともなったものである。
主が、神の民を、奴隷状態から脱出させて下さった事、死の災いを免れさせてくださった事を覚えて、それを行うようにと、「代々守るべき永遠のおきてとしてこれを祝わなければならない」として、イスラエルの民が奴隷の国エジプトから脱出する前夜に制定された。(出エジプト記12章)
イエス様こそ、まことの犠牲の小羊である。イエス様の血によって滅びの災いを免れた。

22:17 そして杯を取り、感謝して言われた、「これを取って、互に分けて飲め。
22:18 あなたがたに言っておくが、今からのち神の国が来るまでは、わたしはぶどうの実から造ったものを、いっさい飲まない」。
22:19 またパンを取り、感謝してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。
22:20 食事ののち、杯も同じ様にして言われた、「この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である。

有名な、聖餐制定の場面である。ここで重要な事は「わたしを記念して」である。
教会は、イエス様中心の交わりである。
それゆえ、教会という交わりの中で、イエス様を覚えない飲み食い、すなわち、イエス様抜きの消費目的で教会のものを消費するなら、自分自身にさばきを招いていしまう。
1コリント11:28 だれでもまず自分を吟味し、それからパンを食べ杯を飲むべきである。
11:29 主のからだをわきまえないで飲み食いする者は、その飲み食いによって自分にさばきを招くからである。
11:30 あなたがたの中に、弱い者や病人が大ぜいおり、また眠った者も少なくないのは、そのためである。
11:31 しかし、自分をよくわきまえておくならば、わたしたちはさばかれることはないであろう。

主のみからだをわきまえない飲み食いが、弱い者になってしまったり、病人になってしまったり、あるいは死んでしまう事の元となる。
私達はこの事をよく気をつけるべきである。

22:24 それから、自分たちの中でだれがいちばん偉いだろうかと言って、争論が彼らの間に、起った。
22:25 そこでイエスが言われた、「異邦の王たちはその民の上に君臨し、また、権力をふるっている者たちは恩人と呼ばれる。
22:26 しかし、あなたがたは、そうであってはならない。かえって、あなたがたの中でいちばん偉い人はいちばん若い者のように、指導する人は仕える者のようになるべきである。
22:27 食卓につく人と給仕する者と、どちらが偉いのか。食卓につく人の方ではないか。しかし、わたしはあなたがたの中で、給仕をする者のようにしている。

この晩餐の時、誰が一番えらいか、という議論も弟子達の間で沸き起こった。
それに対してイエス様は、「指導する人は仕える者のようになるべきである」と言われた。
事実、イエス様のほうの側から、それをして下さったし、さらに、そのようにする人には、大きな報いがある事をもしっかりと宣言された。

22:28 あなたがたは、わたしの試錬のあいだ、わたしと一緒に最後まで忍んでくれた人たちである。
22:29 それで、わたしの父が国の支配をわたしにゆだねてくださったように、わたしもそれをあなたがたにゆだね、
22:30 わたしの国で食卓について飲み食いをさせ、また位に座してイスラエルの十二の部族をさばかせるであろう。

さらにイエス様は、弟子達の高ぶる心を砕く事実を宣言される。

22:31 シモン、シモン、見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。
22:32 しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」。

イエス様はご存知だった。サタンは神に「願って」、弟子達をふるいにかける事を許可した事を。
サタンは神に「許可」得なくては、人には何も出来ない。
しかし許可されてしまったので、後に弟子達はイエス様を見捨て、散り散りに逃げてしまう。
それを見越して、イエス様は、信仰がなくならないように、あらかじめ祈って下さった。

22:33 シモンが言った、「主よ、わたしは獄にでも、また死に至るまでも、あなたとご一緒に行く覚悟です」。
22:34 するとイエスが言われた、「ペテロよ、あなたに言っておく。きょう、鶏が泣くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」。

ペテロも弟子達も、いきがって、強い事、いさましい事を主張した。
マタイ26:35 ペテロは言った、「たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは、決して申しません」。弟子たちもみな同じように言った。
しかし、人の声の張り上げや主張は、実に、もろいものである。
イエス様はシモン、シモン、と言われた。
シモンは、彼の父ヨナがつけた名前であり(バルヨナシモン:ヨナの子シモン)、ペテロ(岩)はイエス様がつけた名前である。
主の十字架と復活ぬきには、何も出来ない。主の執り成し抜きには、何も出来ないのだ。

ルカ22:60 ペテロは言った、「あなたの言っていることは、わたしにわからない」。すると、彼がまだ言い終らぬうちに、たちまち、鶏が鳴いた。
22:61 主は振りむいてペテロを見つめられた。そのときペテロは、「きょう、鶏がなく前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われた主のお言葉を思い出した。
22:62 そして外へ出て、激しく泣いた。

十字架の主、復活の主、聖霊を与えて下さる主が無いままでは、主の働き人にはなれない。
自分のイエス様抜きの弱さを徹底的に知り、泣いて、ただ主を求める事こそ、主の働き人としての歩みの始まりである。

十字架を前に明かされていく人の心(ヨハネ11:1-11)
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受難週が始まった。イエス様の受難を前に、人々の三者三様の現れ方がある。

12:1 過越の祭の六日まえに、イエスはベタニヤに行かれた。そこは、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロのいた所である。
ラザロはひと度、死んだが、イエス様によみがえらせてもらった。
しかも、死んでから4日後、もう遺体となって臭いを発してしまった時に。その時、大勢の人達がいた。
ラザロは生き返らせてもらった場面のみならず、ラザロが死んだ場面に居合わせた人や、葬儀に出席した人も含めるなら、ラザロがイエス様に生き返らせてもらった事を証言した人は大勢いただろう。

12:9 大ぜいのユダヤ人たちが、そこにイエスのおられるのを知って、押しよせてきた。それはイエスに会うためだけではなく、イエスが死人のなかから、よみがえらせたラザロを見るためでもあった。
大勢の人が、イエス様を見に来た。それは物見的な目的できた人もおれば、イエス様がまことのメシヤであると信じて来た人もいただろう。
主の為された素晴らしい奇跡を見て信じる人もいれば、見ても経験してもなお心頑なにして信じず、それどころか、殺そう、と考える人もまたいる。

12:10 そこで祭司長たちは、ラザロも殺そうと相談した。
12:11 それは、ラザロのことで、多くのユダヤ人が彼らを離れ去って、イエスを信じるに至ったからである。
祭司長達は、イエス様のみならず、なんと、せっかく命を主からいただいたラザロをも殺そうと相談した。
その理由は、彼のために多くの人が自分たちの所から離れて行ってしまったからだ。
いのちを息吹くのも、取り去るのも、支配しておられるのは神である、という事を、祭司なら知っているはずだ。
それなのに、それを認めないどころか、せっかく息吹いて下さったいのちを、再び取り去ろうとする。
道理としては全く合っていない事だが、しかし自分の事で頭がいっぱいな人は、そのような霊的・社会的道理が分からないものである。
このように、イエス様を十字架につけて殺したい、その恩恵を受けた人さえも殺したい、と願い者も出てくる。
殺すことは、サタンの熱情であり、生かすことは、イエス様の熱情である。

12:2 イエスのためにそこで夕食の用意がされ、マルタは給仕をしていた。イエスと一緒に食卓についていた者のうちに、ラザロも加わっていた。
12:3 その時、マリヤは高価で純粋なナルドの香油一斤を持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。すると、香油のかおりが家にいっぱいになった。
マリヤは、自分の持っている最高のものを、イエス様に捧げたいと願う心があった。
とても高価なナルドの香油である。イスカリオテのユダはそれを300デナリ、300日分の労働賃金相当と値積もりした。
それほどの高価な香油を、惜しみなくイエス様の足に注ぎ、それを髪でぬぐった。
髪は、女の冠である。まさに全てを注ぎ、冠を捧げる礼拝である。
しかしそれをけちつける者がいた。

12:4 弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った、
12:5 「なぜこの香油を三百デナリに売って、貧しい人たちに、施さなかったのか」。
12:6 彼がこう言ったのは、貧しい人たちに対する思いやりがあったからではなく、自分が盗人であり、財布を預かっていて、その中身をごまかしていたからであった。
ユダは、言葉とは裏腹の心をもっていた。彼はマリヤが捧げた香油を、捧げものとして見ず、一部を自分の懐に入るべき300デナリのお金、として見ていた。
全ての人の心を見透かしておられるイエス様は、この場面をどう対応したか。

12:7 イエスは言われた、「この女のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それをとっておいたのだから。
12:8 貧しい人たちはいつもあなたがたと共にいるが、わたしはいつも共にいるわけではない」。

イエス様は、マリヤが「わたしの葬りの日のために、それをとっておいた」という事を、知っておられた。
つまりイエス様は、マリヤの心も、ユダの心も、私達の心も全部、ご存知である、という事である。
奉仕や礼拝する心の動機も、感情の動きも、また、そのためにどれほどの期間準備し、どれほどの志を持っていたのかも。
イエス様はマリヤがずっと前から、イエス様の葬りのために、ナルドを買い、とっておき、そしてこの葬りが間近なタイミングをも計って、この時に香油の壺を割ってイエス様に捧げ尽くした、という、その全ての「冠を捧げる礼拝」を、見ておられたのだ。

もしこの時、イエス様がユダのあさましい志を怒り、指摘してしまっていたら、その香り高い礼拝が台無しになってしまっていただろう。
イエス様は、マリヤが何日も前から尊い心を持って備えた礼拝を、そのように汚す事なく、そして、ユダの志を公に明かす事なく、ただ、マリヤがどんなに準備し、どんな志をもって備えたのか、それを公にし、それを、永遠の記念とした。
なんと美しい対応だろうか。
イエス様はユダに対しても、あの裏切りのくちづけをした時まで、ユダに「友よ」と呼びかけ、滅びに走ってほしくない、立ち返って救いを得なさい、という愛の姿勢を貫かれた。

イエス様は、ユダのあさましい志を一切おおっぴらにはしなかった。その代わり、マリヤの隠れた高貴な礼拝の志を明らかにされた。
なんと、私達のような人間と違う、高貴な性質だろう。
人は、人のあさましい志にフォーカスし、スキャンダラスに報じたいと願い、また、そのような事を見聞きしたと願う心があるからこそ、全ての国にそのようなニュースを売るビジネスが成り立っているのだ。

十字架を前に、イエス様はますます高貴なお方である事が明かされ、そして人の愚かさが、また、礼拝者の志が明らかにされていく。

十字架の主を運んで行くろば(マタイ21:1-11)
第一礼拝 Youtube動画 / 音声
賛美集会〜第二礼拝 Youtube動画
第二礼拝音声
週報/メッセージ(説教)概要

 本日より始まる1週間は、主の十字架で苦まれた事を覚える「受難週(聖週間)」、本日はその起点の「しゅろの聖日(パームサンデー)」である。すなわちイエス様がろばに乗ってエルサレムに入り、人々は「ホーシアン・ナー(ああ救って下さい)」と叫びながらしゅろの葉を持って迎えた事を覚える日である。
 イエス様は、もうすぐご自身を十字架へと引き渡す都・エルサレムに入る重要な時、荷を運ぶ「ろば」を選ばれ、用いられた。しかもわざわざ二人の弟子を遣わして、これこれの所にろばが繋がれているから、引いてきなさい、もし何か言われたら「主がお入り用なのです」と答えなさい、そうしたら渡してくれるから、と。
主の働き人達も、このろばと同じ仕方で召し出される。私達は、主を知る前から、主からのご指名をいただいており、いざその時が来ると、主の使いが迎えに来て、世の主人へ繋がれている縄が解かれ、誰かが「どうしてほどくのか」と言うなら、「主がお入り用なのです」という言葉によって、放たれる事がゆるされる。
待っておられるイエス様の所へとエスコートされ、弟子が着るべき衣服をかぶせられ、そうしてイエス様を人々の前へと運んで行く働きに入る。主は、軍馬や戦争に用いる道具は絶やし、平和の支配を地の果てから果てまで行われる(ゼカリヤ9:10)。だからイエス様は闘う事を好む者は用いず、柔和な人を用いられる。
ろばに乗られるイエス様は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方。
万物は彼にあって造られ、天にあるもの地にあるもの、見えるもの見えないもの、王座も主権も支配も権威も全て彼によって造られた。万物は彼によって造られ、彼のために造られた(コロサイ1:15-18)。彼は万物より先に存在し、万物は彼にあって成り立っている。その偉大なお方が、柔和に、ろばに乗って私達の内に入って来られ、私達を用いられる。彼は途方も無い「へりくだり」を示された。それは途方も無い慰めである。

「群衆のうち多くの者は自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの者たちは木の枝を切ってきて道に敷いた。そして群衆は、前に行く者も、あとに従う者も、共に叫びつづけた、「ダビデの子に、ホサナ。主の御名によってきたる者に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ」。」(8節)  
ホザナとは「ああ救って下さい」という意味である。群衆はイエス様が通られる道に、自分の衣服や、しゅろの枝を敷いたが、イエス様に「ああ救って下さい」と口先で言う人の全員が救われるという訳ではない。
実際この時、イエス様に「ああ救って下さい」と言っていた人のほとんどが1週間後、イエス様を「十字架につけろ」と言う側へ回ってしまい、イエス様が復活された後も、戻って来なかった人が大勢いた。
本当にイエス様に救われたいと願うなら、「悔い改め」をしなくてはならない。衣服を道に敷くような外見的な事よりもまず、荒野で叫ぶ者の声に従い、悔い改める事こそ、『主の道を用意』する事だ(ルカ3:1-18)。
荒野で叫ぶ者の声、すなわちバプテスマのヨハネは言った。悔い改めにふさわしい実を結べ、主は石ころからでもアブラハムの子孫を起こす事が出来る、と。さらに言う。持っている人は、持っていない人に分け与え、特権や力づくによって不当に圧迫せず、正統な仕事を為し、与えられているもので満足しなさい、と。
だから、物や才能を持たない人に心を配らない事、特権や力づくによって、あるいは、横暴な言葉によって不当に人を苦しめ、悲しめ、搾取するような類のあらゆる事は、一切脱ぎ捨て、悔い改めるべきである。
多くの人は、お金や生活などの必要が満たされる事を「救い」と勘違いし、特権や力を駆使し、奪って手に入れようとするが、救いの根拠は、明確に、私達の神にあり、ほふられた小羊にある。(黙示録7:10)
エルサレムの人々が、しゅろの枝を手に持ってイエス様を迎えた場面は、黙示録7章を見れば、彼が天国に入城する時の事の予表である事が分かる。彼らはしゅろの枝を手に持ち、次のように賛美する。「救は、御座にいますわれらの神と、小羊からきたる」(黙示録7:10) 彼らが手にしているしゅろの木はギリシャ語で「フォイニクス(不死鳥の語源)」、イスラエルでは永遠の命の木として知られ、天国にも生えている木である。
これは、主は死ぬが、すぐにまた復活する事を象徴している。救いの根拠、それは、天地を創られ、ろばを召し、ろばに乗られ、人々から十字架につけられ、死なれた方、そしてよみがえられた方、ただこのお方だ。

ろばは、イエス様を運んで行く。彼を十字架につける人々の元へ。人は皆、イエス様を十字架につけた。
そしてイエス様は、全人類の身代わりとなられた。このイエス様を信じて、救われる人もいれば、自分が王でありたいために、イエス様を十字架につけて葬り去りたい人もいる。いずれにせよ、私達・主の働き人は、ただ召し出されるままに召され、行かされる所へと行き、十字架の主を人々の元に運んで行けば良いのだ。

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
主の御用のために解き放たれるろばの子(ルカ19:29-35)
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主を軽んじ、多くの災いを招いてしまったアハズ王(2列王記16:1-9)
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前回の所では、北イスラエル王国は戦国時代のように短期間の間に何度も政権が変わる様を見た。今回は再び、南ユダ王国の話である。

16:1 レマリヤの子ペカの第十七年にユダの王ヨタムの子アハズが王となった。
16:2 アハズは王となった時二十歳で、エルサレムで十六年の間、世を治めたが、その神、主の目にかなう事を先祖ダビデのようには行わなかった。
16:3 彼はイスラエルの王たちの道に歩み、また主がイスラエルの人々の前から追い払われた異邦人の憎むべきおこないにしたがって、自分の子を火に焼いてささげ物とした。
16:4 かつ彼は高き所、また丘の上、すべての青木の下で犠牲をささげ、香をたいた。

アハズはなんと、自分の子を火で焼いて偶像の神に捧げるまでの事をした。
自分の願い事が叶うためになら、子さえもいけにえにしてしまうような者は、主から恵みをいただく事はできない。

16:5 そのころ、スリヤの王レヂンおよびレマリヤの子であるイスラエルの王ペカがエルサレムに攻め上って、アハズを囲んだが、勝つことができなかった。
アハズはこの時、助けられはしたが、はなはだしい大損害を被った。

2歴代誌28:5 それゆえ、その神、主は彼をスリヤの王の手に渡されたので、スリヤびとは彼を撃ち破り、その民を多く捕虜として、ダマスコに引いて行った。彼はまたイスラエルの王の手にも渡されたので、イスラエルの王も彼を撃ち破って大いに殺した。
28:6 すなわちレマリヤの子ペカはユダで一日のうちに十二万人を殺した。皆勇士であった。これは彼らがその先祖の神、主を捨てたためである。
28:7 その時、エフライムの勇士ジクリという者が王の子マアセヤ、宮内大臣アズリカムおよび王に次ぐ人エルカナを殺した。
28:8 イスラエルの人々はついにその兄弟のうちから婦人ならびに男子、女子など二十万人を捕虜にし、また多くのぶんどり物をとり、そのぶんどり物をサマリヤに持って行った。

なんと、たった一日で戦士が十二万人も殺され、王の子や側近の者達が殺された。
そればかりでなく、婦人や男女二十万人もの人々が、捕虜にされ、連れて行かれ、また財産も多くぶんどり物として持って行かれてしまった。
その理由は明らかで「これは彼らがその先祖の神、主を捨てたためである。」(28:6)

ここまでされておきながらもエルサレムが守られたのは、ただ、主の憐れみである。
この時、アハズ王に預言者イザヤが遣わされ、主の言葉が伝えられた。
イザヤ7:3 その時、主はイザヤに言われた、「今、あなたとあなたの子シャル・ヤシュブと共に出て行って、布さらしの野へ行く大路に沿う上の池の水道の端でアハズに会い、
7:4 彼に言いなさい、『気をつけて、静かにし、恐れてはならない。レヂンとスリヤおよびレマリヤの子が激しく怒っても、これら二つの燃え残りのくすぶっている切り株のゆえに心を弱くしてはならない。

イザヤを通した主からの指示は「気をつけて、静かにし、恐れてはならない」だった。
主から「落ち着いて静かにしていなさい」と言われたからには、するべき事は、ただ、静かにする事だ。
そしてさらに、イザヤは王国が守られる事を預言する。

7:5 スリヤはエフライムおよびレマリヤの子と共にあなたにむかって悪い事を企てて言う、
7:6 「われわれはユダに攻め上って、これを脅かし、われわれのためにこれを破り取り、タビエルの子をそこの王にしよう」と。
7:7 主なる神はこう言われる、この事は決して行われない、また起ることはない。
7:8 スリヤのかしらはダマスコ、ダマスコのかしらはレヂンである。(六十五年のうちにエフライムは敗れて、国をなさないようになる。)
7:9 エフライムのかしらはサマリヤ、サマリヤのかしらはレマリヤの子である。もしあなたがたが信じないならば、立つことはできない』」。
実際にその通りの事が起きる。北イスラエル王国は、65年後もすると、完全に国としての成り立ちを失ってしまっている。

7:10 主は再びアハズに告げて言われた、
7:11 「あなたの神、主に一つのしるしを求めよ、陰府のように深い所に、あるいは天のように高い所に求めよ」。
主はなんと憐れみ深いお方だろう。
あんなにも主に忌み嫌われる事を行ったにもかかわらず、主はアハズに、あなたは確かに助かる、証拠として何でもしるしを求めなさい、とまで言って下さった。

7:12 しかしアハズは言った、「わたしはそれを求めて、主を試みることをいたしません」。
彼が今までしてきた事を見るなら、「主を試みることをいたしません」などと言える立場ではない。
彼は今まで主に依り頼んで来なかったというのに、主の側が、そこまで降りて来てくださり、譲歩して下さったのだから、主に何でも求めて、主が為してくださる素晴らしい御業を体験するべきなのに、なおも「主に求めません」と言うとは、なんと失礼な事だろう。

7:13 そこでイザヤは言った、「ダビデの家よ、聞け。あなたがたは人を煩わすことを小さい事とし、またわが神をも煩わそうとするのか。
7:14 それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。
驚く事に、ここに処女がみごもる預言、インマヌエル預言、すなわちイエス様が生まれる預言がなされる。
これは、最も不信仰な王が、主に期待しない事の告白をした時に為された。
主は、頑として主に求めない人間の側に、降りて来て下さり、なおも救おうとされたのだ。

これらの預言が為されたにもかかわらず、アハズは、落ち着いて静かにしている事ができなかった。
彼は主に信頼せずに、身勝手な行動に出てしまう。

2列王記16:7 そこでアハズは使者をアッスリヤの王テグラテピレセルにつかわして言わせた、「わたしはあなたのしもべ、あなたの子です。スリヤの王とイスラエルの王がわたしを攻め囲んでいます。どうぞ上ってきて、彼らの手からわたしを救い出してください」。
16:8 そしてアハズは主の宮と王の家の倉にある金と銀をとり、これを贈り物としてアッスリヤの王におくったので、
16:9 アッスリヤの王は彼の願いを聞きいれた。すなわちアッスリヤの王はダマスコに攻め上って、これを取り、その民をキルに捕え移し、またレヂンを殺した。

彼は「わたしはあなたのしもべ、あなたの子です」と告白し、アッシリヤに依り頼んでしまった。
外交儀礼上、口先で言ったのか本気でそう思って言ったのかは分からないが、発した言葉は、力を持つものである。
この事によって、南ユダ王国も、アッシリヤにつけこまれる足がかりをつくってしまった。

主を信頼する所に力がある。しかし、自分勝手な者は、いたずらに力を浪費し、労に労を重ねた挙句、干からびてしまうものだ。

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