メッセージ - 201702のエントリ

イザヤ書 講解説教メッセージ
主を差し置いて、草にも等しい人間を恐れるとは何事か(イザヤ51:12-16)
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どうしようもなく疼く肉欲を抹殺する方法(ガラテヤ5:16-26)
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怠け者は周りがごちそうを食べているのを見ても、自分は食べられない(2列王記7:9-20)
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7:9 そして彼らは互に言った、「われわれのしている事はよくない。きょうは良いおとずれのある日であるのに、黙っていて、夜明けまで待つならば、われわれは罰をこうむるであろう。さあ、われわれは行って王の家族に告げよう」。7:10 そこで彼らは来て、町の門を守る者を呼んで言った、「わたしたちがスリヤびとの陣営に行って見ると、そこにはだれの姿も見えず、また人声もなく、ただ、馬とろばがつないであり、天幕はそのままでした」。7:11 そこで門を守る者は呼ばわって、それを王の家族のうちに知らせた。

良い知らせを福音という。福音の良い知らせを、夜の開けるまで、義の太陽が登る時まで、黙っているならば、災いである。

パウロは、自分は伝えなければ災いだ、と言った。自分は全ての人に負債を負っている、だから、伝えずにはいられないのだ、と。

福音とはそういうものである。自分だけが見つけて、いい思いをして、そのまま宝を自分のものとし、自分だけが食べて満ち足りる。主は何故に食べて満ち足らせて下さるか。それは、私達のみならず、全ての人が主の栄光を見、主の素晴らしさを味わうためである。

今回の災いは、イスラエルが主を敬わない、期待しない事ゆえであるが、主はただ簡単に滅ぼし尽くす事をせず、このように何度も何度も立ち返らせるきっかけをつくり、彼らが主に帰るようにさせているのだ。

彼らはアラムという滅ぼすものが主によって消え失せさせられた事によって救われるよき知らせを携えて行ったが、私達はサタンという滅ぼす者から救われ、サタンの抱えていた宝を存分に手に入れ、満ち足りている。それを携えて行かず、黙っているならば、災いなのだ。

 

7:12 王は夜のうちに起きて、家来たちに言った、「スリヤびとがわれわれに対して図っている事をあなたがたに告げよう。彼らは、われわれの飢えているのを知って、陣営を出て野に隠れ、『イスラエルびとが町を出たら、いけどりにして、町に押し入ろう』と考えているのだ」。

王にこの喜びの知らせが告げられると、王はそれを信じたかもしれないが悪い方に取った。あらかじめエリシャから翌日には食べ物が安値で取引される事を告げられていたにもかかわらず。

彼は主エホバの恵みをことごとく悪い方に取って行った。モアブの時には勝手に戦争を起こそうとして、戦いがまだ起こる前から命の危険にさらされた時も、勝手に主を悪いように言い、それでも恵みが注がれてもなお立ち返らず、エリシャを通してシリヤの軍隊をいつでも殺せる状態になった時にはエリシャを「父」と呼んでいたのに、いざ、危機に陥るとエリシャを(伺いに行くのではなく)殺しに行った。

まことに、主に信頼しない、霊的な「怠け者」である。

Pro 26:13  なまけ者は、「道にししがいる、ちまたにししがいる」という。
Pro 26:14  戸がちょうつがいによって回るように、なまけ者はその寝床で寝返りをする。
Pro 26:15  なまけ者は手を皿に入れても、それを口に持ってゆくことをいとう。
Pro 26:16  なまけ者は自分の目に、良く答えることのできる七人の者よりも、自らを知恵ありとする。

まさにこの箴言の通り、彼は「ちまたには獅子がいる」と言って自分の不信仰な「なまけ場所」でごろごろし、ごちそうが目の前に置かれたと言われてもそれを口に持って行こうとせず、自分を知恵ある者と思い込んで、良い知らせを告げに来た人に、余計な見解を混ぜ込んだ。

このように、霊的なまけ者は、福音を聞いても、自分がおいしい思いをせず、周りをもおいしい思いをさせないようにするものだ。

 

7:13 家来のひとりが答えて言った、「人々に、ここに残っている馬のうち五頭を連れてこさせてください。ここに残っているこれらの人々は、すでに滅びうせたイスラエルの全群衆と同じ運命にあうのですから。わたしたちは人をやってうかがわせましょう」。7:14 そこで彼らはふたりの騎兵を選んだ。王はそれをつかわし、「行って見よ」と言って、スリヤびとの軍勢のあとをつけさせたので、7:15 彼らはそのあとを追ってヨルダンまで行ったが、道にはすべて、スリヤびとがあわてて逃げる時に捨てていった衣服と武器が散らばっていた。その使者は帰ってきて、これを王に告げた。

この家来は、徹底的マイナス思考の王を動かすために、どのみち死ぬのだから、だめもとで行ってみましょう、と進言せざるを得なかった。そこで王は、「何もしない」という座から立ち、とりあえず「行って見よ」と命令を下すようになった。そして、行ってみたら、本当にその通りだった。

こうして公に、本当にシリヤはいなくなったのだ、と分かり、そうして人々に知らされた。


7:16 そこで民が出ていって、スリヤびとの陣営をかすめたので、麦粉一セアは一シケルで売られ、大麦二セアは一シケルで売られ、主の言葉のとおりになった。
7:17 王は自分がその人の手によりかかっていた、あの副官を立てて門を管理させたが、民は門で彼を踏みつけたので、彼は死んだ。すなわち、王が神の人のところに下ってきた時、神の人が言ったとおりであった。
7:18 これは神の人が王にむかって、「あすの今ごろ、サマリヤの門で大麦二セアを一シケルで売り、麦粉一セアを一シケルで売るようになるであろう」と言ったときに、
7:19 その副官が神の人に答えて、「たとい主が天に窓を開かれても、そんな事がありえようか」と言ったからである。そのとき神の人は「あなたは自分の目をもってそれを見るであろう。しかしそれを食べることはなかろう」と言ったが、
7:20 これはそのとおり彼に臨んだ。すなわち民が門で彼を踏みつけたので彼は死んだ。

同じ事が繰り返されているが、主が繰り返されている事は大事な事である。

不信仰なこの副官が死んだという事、これと似た事は聖書で繰り返されている。

出エジプトの民のうち、不信仰な者はモーセに斥候を送らせて探らせた。

ヨシュアとカレブは希望の良い報告をもたらしたが、人々は悪いと見て、「行ったら殺される」とマイナス思考し、主を期待せず、エジプトに帰ろう、と言い出した。

彼らは、ごちそうは目の前の置かれてもそれを食べる事ができなかったあの副官のように、自分の子供たちは良い地で良い食べものを食べられても、不信仰で主に対しマイナス思考の者達は、荒野で死んでいってしまった。

これは戒めである。私達は、主に期待し、大いにごちそうにあずかり、悪魔サタンに勝利した主の勝利にあずかるものでありたい。

神から来たのか、悪魔から来たのかの見極め方(ヤコブ3:13-18)
第一礼拝 Youtube動画 / 音声
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賛美集会音声
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週報/メッセージ(説教)概要

 主にあって正しく歩みたいと願う人は、時に分からなくなる事がある。今の自分は果たして主の前に正しいのか正しくないのか、目の前に置かれたこの道は主から来たものなのか、それ以外から来たのか、また、この起きている出来事は拒絶すべき事なのか受け入れるべき事なのか。今回、その見極め方を学びたい。

今目の前に置かれたこの道、この思いは、果たして主から、上から来たものなのか。それとも自分の肉あるいは悪魔から来たものなのか、その見極めをしたい時は、次の御言葉を基準にすると良い。
『上からの知恵は、第一に清く(ハギノス:純粋さ、聖さ)、次に平和(エレニコス:平安・平和溢れる)、寛容(エピアケィス:優しい、親切な)、温順(ユパイセイス:温順な、従順な)であり、憐れみと良い実とに満ち、かたより見ず(アディアクリトス:えこひいきが無い)、偽りがない。』(ヤコブ3:17)
神から来るもの、上から来るものはまず、純粋である。すなわち表裏が無く、シンプルで、清いものだ。
また、平安が溢れるものである。その道に行くなら困難が待ち受けていると容易に想像できるとしても、主の平安があるなら、大丈夫だ。また、上から来る思いは、寛容であり、優しく親切であり、憐れみであり、そのような良い実を豊かに結ばせるものだ。そして、えこひいきが無く、偽りの無いものだ。
もし、行こうとしている道筋の動機に妬みや党派心があるなら、すなわち、神ではなく人を見たり、人と比べたり、人に媚びる要素があるなら、そのような知恵は上からのものでなく、地につくもの、肉に属するもの、悪魔的なものであり、その先には、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行ないがある。(ヤコブ3:14-16)

主の御前に正しく歩む道は、「肉」の支配に導かれて歩むのではなく、御霊の支配下に導かれて歩む道であり、その道筋には、御霊の良い実(ガラテヤ5:22-23)が豊かに結んで行くものである。すなわち愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制を。御霊によって歩む人は、どんな過酷な状況下でも、これらの良い実を着実に実らせる。それも、意識的にでなく、無理してでもなく、自然に。
御霊の対極にある「肉」とは、神を除外し霊を除外した人間生来の肉体的・魂的な力や欲望、考え方などで、肉に従って歩む人はどんなに頑張っても、「愛もどき」「喜びもどき」などを作る事しかできない。

次のリストは、私達の中から拒絶し、排除すべき「肉の行い」のリストである。『不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、およびそのたぐいである。・・・このようなことを行う(プラッソ)者は、神の国をつぐ事がない。』(ガラテヤ5:19-21)
ここの「行う」と訳されたギリシア語プラッソには、実行する、強要する、やって行く等の意味があり、ここでは現在形能動態が使われている。すなわち、これら肉の行いを「意図的に、自主的に、好きこのんで、行い続ける」ような者は、神の国をつぐ事がないのだ。しかしもし、本当はこれら肉の行いを止めたいのに止められないという場合は、どうしたらいいか。それは、自分の「肉の」力でやめようと努力しても、無理である。
髪の毛を上方に引っ張っても宙に浮く事はできない。それは法則だからだ。同じように、肉に従って歩んでしまうという「法則」に対抗するためには、「いのちの御霊の法則」に乗る事である。
「キリスト・イエスにある”いのちの御霊の法則”は、罪と死との法則からあなたを解放した」(ローマ8:2)
この世には重力の法則があり、それに縛られている限り、人は地上から離れる事はできない。しかしライト兄弟が飛行の法則を発見し、飛行機に乗る事で地上を離れる事が出来るようになったのと同じように、キリストがいのちの御霊の法則を開放した故、私達はキリストに乗って(信じて)、罪から離れる事が出来るのだ。
主は、私達が肉によって無力になって神の基準を全うできなくなっている所から救って下さるために、ご自分の御子を肉体を持った人としてお遣わしになり、肉において、罪を処罰された。(ローマ8:1-3)
この御子なるイエス様に、助けを求めるのだ。「イエス様、私は肉の行いを止められません。でも、御子なるイエス様が十字架上で肉を処罰された事を感謝します。あなたが十字架上で為された事を、私はイエス様を信じる信仰によって私にも成ったと信じ、感謝します」と宣言し、キリストの十字架上での「肉の処罰」を、自分自身にも適用するなら、助け主・聖霊様が与えられ、聖霊の支配下で肉の行いを抹殺して下さるのだ。
今の自分、これからの自分を御言葉によって見極め、御前できよく、正しい道に歩み、豊かな実りを結ばせて行く皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
これだけは絶対に子に伝えたいと願う母の大切な言葉(箴言31:1-9)
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ルカによる福音書 講解説教メッセージ
主と出会った人にだけ分かち合える聖霊の交わり(ルカ1:39-56)
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イザヤ書 講解説教メッセージ
アブラハムの子孫すなわち信仰によって生きる人への祝福(イザヤ51:1-11)
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主の預言者学校を囲む火の馬、火の戦車(2列王記6:8-23)
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