メッセージ - 201701のエントリ

自分の家を喜びの園とするために(創世記2:15-17)
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週報/メッセージ(説教)概要

 今年はじめに与えられた御言葉はイザヤ65章から、主は新しい創造をされる事、そして、主が創造されたものは喜びと楽しみ、笑いに満ちたものだという事だった。主は、人が喜ぶ事を望んでおられる故に、主は人を創られると、早速エデン(喜び)の園に置かれた。主はエデンを散歩(ハーラフ)し(3:8)、アダムとエバも主と共に歩み、そこには完全な秩序があり、彼らは何のわだかまりも無く、喜びの交わりをしていた。
主は御言葉によって全てのものを創造され、そして御言葉によって創造されたものは全て「良い」ものだ。
人が御言葉に従って歩む時、主の良き創造の中で大いに喜び楽しむ事ができる。
しかし御言葉に逆らうなら、それを続ける事はできない。御言葉に逆らう時、人は主の御顔から逃げ隠れし、主の御言葉による指摘に対し言い訳をしたり、人のせいにしたり、ついには神のせいにしたりしてしまい(3:8-13)、ついには、エデン(喜びから締め出されてしまう。主が人をエデンから追放した、と言うより、人が「喜びの源」すなわち御言葉を追放し、それ故、みずからエデン(喜び)を追放してしまったのだ。
私たちはどうしたら、主の創造の良き所、エデン(喜び)に留まり続けられるのか。それを本日学びたい。

エデンを「喜びの園」としてキープし続ける責任は、私達・人間の側にある。
『主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。』(創世記2:15)
楽園は、何もしなくて良いバカンス地ではなく、「耕す」事、「守る」事の二つをしなくてはならない所である。
まず、「耕す」と訳された語「アバァド」は「従事する」「仕える」の意味があり、「耳」の意味もある。(出21:6)
喜びの園は、喜びを豊かに実らせ続けるために、主の御言葉を耳で聞き、それに従事するべき所である。
神はまことのぶどう園の農夫であり(ヨハネ15章)、枝の中で実を結ばないものは、剪定する(ヨハネ15:2)。
同様に私達も、御前で実を結ばない「わざ」や「考え方」などを、自分から断ち切り、実を結ぶものには、どんどん肥料を与え、「喜び」を豊かに実らせるように働くべきなのだ。
次に、「守る」のヘブライ語「シャマール」は、持続させガードする事である。すなわち、主の喜びを邪魔するいばらやあざみを刈り取り、ぶどう畑を荒らすきつねを追い出し、入って来ないようガードするのだ。
これを怠ると、次のようになる。『わたしはなまけ者の畑のそばと、知恵のない人のぶどう畑のそばを通ってみたが、いばらが一面に生え、あざみがその地面を覆い、その石垣はくずれていた。』(箴言24:30 -31)
私達は夫婦関係や親子関係、経済などが「喜びの園」となるためには、御言葉によって維持管理すべきであり、それを怠けるなら、いばらやあざみが生え、石垣は崩れ、荒らすきつねが自由に出入りし放題となり、大切な夫婦・親子関係が、経済が荒らされてしまう。だから、主が命じた通り「耕し」「守る」べきである。

また、主はエデンにおいて命じられた。「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬ」(2:16-17)
喜びの園の中央には、「いのちの木」と、「善悪を知る木」があって、主は「善悪を知る木」から取って食べるな、と言われた。それと同じように、私達の家庭も、いのちを選んで食べるか、それとも善悪知識を選んで食べるか、という二者択一がいつも置かれていて、そして善悪を取って食べるなら、死をもたらしてしまう。
イエス様の言葉は霊であり、いのちである。(ヨハネ6:63) 私達が自分の家を、喜びの園としてキープし続けたいのなら、いつも、御言葉を取って食べ続け、自分の独善的善悪判断を捨て続けるべきなのだ。
アブラハムの妻サラは、主の御言葉に付け加えをしてしまい(16章)、喜びも希望も失ってしまった。
主が直接現れ、約束の御言葉を思い起こさせても、彼女は心の中で笑い(ツァハァク)、「わたしは衰え、主人もまた老人であるのに、わたしに楽しみ(エデン)などありえようか」と言った(18:12)。
しかし主は、恵みによって、サラの喜びを失ってしまった心に手(ユッド)を加え、聞けない耳・信じられない心を剪定し、彼女にイサク(イツァハァク = ツァハァク + ユッド)を回復させて下さった。
アダムは、エデンの園をしっかり管理し続け、一定の時を経た後に、主は伴侶を、家庭を与えられた。
結婚生活も家庭も、御言葉によって維持管理できる人が、豊かな喜びの実を結ばせる所である。
もしそこに、手前勝手な善悪判断を持ち込むなら、そこはたちまち責任のなすりつけ合いの場、いさかいの場となり、主の御前にやましくなり、主の臨在を恐れ隠れなくてはならない。家庭というエデンを御言葉で管理し、喜びの実りを豊かに結ばせる皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

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週報/メッセージ(説教)概要

 年明けの瞬間から始まった天声の礼拝において、イザヤ65章から示された事は、主が新しく創造して下さる「新創造」を、いついつまでも喜び楽しめ、という事だった。主の御手が働かれる所には、喜び、楽しみ、笑いがある。主の御心は、私達がいつも主にあって喜ぶ事だ。(ヨハネ15:11, 17:13, 1テサロニケ5:16)
主は、人を創られると早速、創られた人をエデン(意味:喜び)の園に置かれた。人は本来、主の創造の源である御言葉の中に留まるべきだが、御言葉に背くなら、喜びの園から追放されてしまう。しかし御言葉に留まるなら、主の御言葉による新創造が働き、喜びが帰って来る。今回の箇所は、主が3人の人の姿をとってアブラハムに現れ、喜びを失ってしまった妻・サラに働き、彼女に喜びを返して下さる場面である。

アブラムが99歳の時、主は彼に現れ、アブラムにはアブラハム、妻サライにはサラという新しい名前を与え、またサラには男の子が生まれる事を約束し、その名を「イサク(意味:彼は笑う)」としなさい、と言われた。
その事があってから、まだそんなに日が経っていない時、主は3人の旅人の姿で彼らに現れる。
『そのひとりが言った、「来年の春、わたしはかならずあなたの所に帰ってきましょう。その時、あなたの妻サラには男の子が生れているでしょう」。サラはうしろの方の天幕の入口で聞いていた。』(創世記18:10)
彼らは明らかに只者ではないが、サラはこの不思議な出来事を見ても、まだ心が塞がれていた。
『それでサラは心の中で笑って(ツァハァク:嘲笑、苦笑)言っ た、「わたしは衰え、主人もまた老人であるのに、わたしに楽しみ(エデン)などありえようか」。』(12節) 彼女の心を塞いでいたものは、自分には子が生まれないという、何十年もずっと積み立てて来てしまった現実だった。子が生まれる事を、何十年も望みながらも、ずっと叶えられずに過ごし、年老いて、ついに女の道も途絶えてしまった現実。
その現実をなんとか受け止め、強がって、世間で流行っていた方法に従い、女奴隷にアブラハムの子を生ませてみても、かえってもっと惨めで悔しい思いをするだけだった。だから今更、こんな不思議な人達に「子が生まれる」と言われても、わたしに何の楽しみ(エデン)があろうか、と、心でつぶやくしかなかった。
ところが心にその言葉が浮かんだとたん、彼女は心に巡らしていた「現実」から「真実」に引きずり出される。
『主はアブラハムに言われた、「なぜサラは、わたしは老人であるのに、どうして子を産むことができようかと言って笑った(ツァハァク)のか。主にとって不可能なことがありましょうか。来年の春、定めの時に、わたしはあなたの所に帰ってきます。そのときサラには男の子が生れているでしょう」。サラは恐れたので、これを打ち消して言った、「わたしは笑いません」。主は言われた、「いや、あなたは笑いました」。』(13-15節)
サラはとてつもなく驚いただろう。恐れただろう。しかしそれは幸いである。絶望と倦怠感に淀み切っていた心に、主が御手を触れ、「真実」によってそれを粉々に砕き、新しい創造を与えられるのだから。
そして実際に来年、100歳のアブラハム、90歳のサラの間に、息子イサクが生まれたのだ。

主はなぜ「笑い」にこだわられたのか。ヘブライ語で見ると、主の意図が浮かび上がってくる。
「ツァハァク」(צְ (ツァディ)+חָ (ヘット)+ק (クフ))の意味は「笑い(嘲笑、冷笑など)」だが、その最初に「יִ (ユッド)」が加わるとイツァハァク、すなわちイサクとなる。文字ユッドの意味は「手、働き」であった。
サラは最初、心なしの笑いをした。ため息混じりの苦笑しか出て来なかったが、そこに主の手が加わった。
人の笑いや嘲笑に、主の御手が加わると、主の新しい創造が生まれ、死んだも同様のアブラハムとサラの間にイサクが、すなわち、決して失われない真の笑いが生まれ、そしてその子孫は、星の数のようになる。
なお、ゲマトリア(ヘブライ語の数字変換)から見ると、ツァディは90、ヘットは8、クフは100であるが、100と90は、イサクが生まれた時のアブラハムとサラの歳だ。そして8は、割礼の日の数字である。主は、アブラハムに割礼の契約を与え、サラも、硬い肉的な思い込みに切り込みを入れられ、そうしてイサクが生まれた。
「サラは言った、「神はわたしを笑わせてくださった。聞く者は皆わたしのことで笑うでしょう」。」(21:6)
私達も、どんなに無気力な笑いや冷笑しか出てこなくても、そこに主の御手が働く時、人のわざでは到底有り得ない「いのち」が創造される。そして主が働く時、私達は決して奪われない喜びと笑いに満ち溢れる。
今、日本のインターネット上は、冷笑、苦笑、望みを失った笑いに満ちている。この国を真の喜びで満たす事が出来るお方は、ただ、主イエス様だけである。主によって決して奪われない喜びと笑いに満たされ、そうしてこの国に真の喜びを届けて行く皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

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