メッセージ - 201602のエントリ

早天祈祷会
ヤコブの手紙概要(ヤコブ1:1-4)
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『神と主イエス・キリストとの僕ヤコブから、離散している十二部族の人々へ、あいさつをおくる。』(ヤコブ1:1)

ヤコブ書を記したのは、主の兄弟ヤコブ、すなわち、イエス様と血の繋がった、イエス様の弟である。
彼は自分を、イエス様の「弟」としてでなく、「主」「イエス・キリストの僕」として立場を表明した。
それだけ、イエス様の公生涯の歩みと、死と復活の有様は、神の子として否定しようがないものだったのだろう。

私達も、血肉としての間柄を離れ、霊的な立ち位置をわきまえるべきだ。
そうでないと、「預言者は故郷では敬われない」事に加担してしまう。

彼はこの手紙の宛先を「離散(原語:ディアスポラ)している十二部族の人々へ」としている。
すなわち、迫害により世界各地へと散らされ、散らされた先々で根付き、実りを実らせているキリスト者達に、である。

こ のヤコブ書は、信仰による救いよりも「行い」を重視しているという事で、マルチン・ルターからは「藁の書」だと言われ、彼は何度も正典から外そうとされた が、あいにくこの書は、信仰を持っていない人に対して書かれた救いへのインビテーションではなく、既に信仰に入ったキリスト者達が、迫害の困難の中にあっ ても、いかにキリスト者として生き、成熟して行くべきかを、指南し、慰め、励ますための書なのだ。
だから、ヤコブは言う。
『わたしの兄弟 たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。あなたがたの知っているとおり、信仰がためされること によって、忍耐が生み出されるからである。だから、なんら欠点のない、完全な、でき上がった人となるように、その忍耐力を十分に働かせるがよい。』(ヤコ ブ1:2-4)

試練に遭うのは練られるため、そしてますます欠点が無くなり、完成へと近づくものである、だから、むしろ喜べ、と言われている。
そ れは、苦しいのに歯を食いしばって、無理やり「喜んでいます」と、ちぐはぐな事を言う事ではなく、むしろ試練にあわせられるのは、主はその人を成熟に近づ いている者として見ておられ、報いが実体として来る時が近いのだ、と、心の底から喜び楽しみにするべき時だと言っているのだ。

『そういう わけだから、わたしたちは、キリストの教の初歩をあとにして、完成を目ざして進もうではないか。今さら、死んだ行いの悔改めと神への信仰、洗いごとについ ての教と按手、死人の復活と永遠のさばき、などの基本の教をくりかえし学ぶことをやめようではないか。』(ヘブル6:1-2)

崩れてしまった生活をも再建したネヘミヤ(ネヘミヤ5章)
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週報/メッセージ(説教)概要

天声教会設立の節目である今年に入り、設立当初与えられたビジョン「礼拝の再建」について学んでいる。
礼拝の再建はすなわち、人生の再建につながる事を、ハガイ書やネヘミヤ記から学んだが、再建を必要とするのは破壊されたものであり、破壊されてしまった原因は、祝福の道から逸れて破壊されるような事をし続けてしまったため、すなわち、主の御言葉に背き続け、自分勝手な滅びの道を歩み続けたからである。
イスラエルは御言葉から逸れて罪に罪を重ね、預言者が遣わされて戒められてもそれを軽んじ、身勝手な道を邁進し続けた。その結果、破壊され、バビロン捕囚の憂き目に遭ったのは、歴史的事実である。
しかし主の憐れみにより、70年を経た後エルサレムに帰る事を許され、ハガイの預言に力を得て神殿が再建され、ネヘミヤの指導によって、城壁も再建されつつあった。前回は再建を妨害する者が現れた場合の対処について4章から学んだが、5章では、さらに再建を続けるに困難な状況が、内部から沸き起こった。
その困難な状況が沸き起こったのは、それまで染み付いてしまった異邦の習慣や考え方が原因である。

再建も半ばまで進んだ時、イスラエルの人々から強い抗議の声が上がる。その内容は、子供たちが大勢いる家は食を得なくては生きて行けない事(2節)、また、ある人は、欠乏している状況でも税金を払わなくてはならず、それが原因で、家や畑の不動産を抵当に入れなくてはならなくなった。(3節)
さらに罪深い事に、ユダヤ人有力者は、貧しい同胞の人達を食い物にし、食料の見返りに、不動産や子供たちを奴隷として手に入れ、既に「娘が」奴隷とされてしまった人達もいた。貧しい人は、とことん、どうにもならない状況へと追いやられていたのだ。(5節) 同じ神の民を奴隷としたり、利子を取って貸したり、利益を得る目的で、命を繋ぐ食料を道具にする事は、明らかな律法違反だ。(レビ記25章、申命記15章)
前任の総督や有力者達は、民の負担を重くしていばりちらした(15節)が、人の弱みにつけ込んで不当に搾取する事は、滅びのために災いを積み上げる事だ。(ヤコブ5:4-5)

ネヘミヤはそのような有力者を戒めた。『あなたがたのする事はよくない。あなたがたは、われわれの敵である異邦人のそしりをやめさせるために、われわれの神を恐れつつ事をなすべきではないか。』(9節)
どんな時に敵のそしりを受けるか。それは大祭司アロンのように、人が大いに乱れているのに放っておく時(出32:25)、あるいはダビデのように、女性を食い物にして強制力でそれをもみ消す時だ。(2サム12:14)
ネヘミヤは、利息を取るのを止めさせ、田畑や家屋を返させ、そして祭司を呼んで、これらの事はもうしないと人々に誓わせた。人々はその通り、行った。(10-13節)
前任者達は、民の負担を重くし、重税を取り立て、いばりちらしたが、ネヘミヤは一切そのような事をしなかった。人々がネヘミヤに「抗議」できたのも、彼が主を恐れ、正統なさばきをする人だったからだろう。
彼が任期だった12年間、彼は総督の手当を受けなかった。人々の労役が重かったためだ。(14-18節)
彼は自分の食卓を多くの人達に開放し、自費で彼らを養い、そうして困難な状況の人達を救った。

イザヤ58章には、何をしても祝福されない人のパターンと、そこから脱却し祝福される秘訣が記してある。
ネヘミヤはまさしく、祝福されるパターンの人で、彼は悪の束縛を解き、くびきの縄目をほどき、虐げられている人達を自由の身とし、飢えた人には食卓から分け与え、貧しい人々を家に入れ、裸の人を着せ、主にある兄弟姉妹の世話をした。それをするなら、「光が暁のように現れ」「速やかに癒され」「あなたの義はあなたの前に行き」「主の栄光はあなたのしんがりとなる」という祝福の約束がある。(イザヤ58:6-9)
また、うしろ指をさす事や、つまらないおしゃべりを除き、飢えた人に心を配り、悩む者の願いを満足させるなら、「あなたの光は闇の中に輝き上り、真昼のようになる」「主は絶えず導き、焼けつく土地でも思いは満たされ、骨は強くされる」「潤された園のようになり、水のかれない源のようになる」事の約束もある。
『あなたは代々やぶれた基を立て、人はあなたを『破れを繕う者』と呼び、『市街を繕って住むべき所となす者』と/呼ぶようになる。』(イザヤ58:12) ネヘミヤはまさに、代々、古代の礎を築き直して住める所とし、城壁を再建した者として、永遠の栄誉を受けた。
ネヘミヤのように、主に喜ばれる事をして、潤された泉のようになり、再建する者としての栄誉を得る皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
主の喜ばれる断食と、それをする事の大きな報い(イザヤ58章)
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早天祈祷会

主に与えられた素晴らしい権利を軽んじ、全て剥奪されてしまったカイン(創世記4:3-7)
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祈祷会礼拝説教メッセージ

奇跡が起きるための条件(マタイ14:13-33)
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エペソ人への手紙 講解説教メッセージ
肉のからだを脱ぎ捨て、キリストの割礼を受けた私達(エペソ2:11-13)
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イザヤ書 講解説教メッセージ
主を救いとさせるためには、手段を選ばない主(イザヤ31:1)
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火曜早天祈祷会

尊い事をそしり邪魔する者に対処する祈り(ネヘミヤ4:1-15)
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してはならない飲み食いを止めなかったヤロブアム(1列王記13:20-34)
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ヤロブアム王に対し、力あるわざを伴った預言をした南ユダ王国の預言者は、主の言葉を伝えたら、そのまま飲み食いしないで帰らなくてはならない、という事も、主から示されていた。
しかし彼は、北の老預言者の「主」の御名を用いた言葉に騙され、してはならなかった飲み食いを、してしまった。

『彼らが食卓についていたとき、主の言葉が、その人をつれて帰った預言者に臨んだので、彼はユダからきた神の人にむかい呼ばわって言った、「主はこう仰せられます、『あなたが主の言葉にそむき、あなたの神、主がお命じになった命令を守らず、引き返して、主があなたに、パンを食べてはならない、水を飲んではならない、と言われた場所でパンを食べ、水を飲んだゆえ、あなたの死体はあなたの先祖の墓に行かないであろう』」。』(1列王記13:20-22)
この老預言者は、自分で騙しておきながら、同じ口で、その事を言った。なんとも理不尽である。
この老預言者のように、自分の身勝手な願いを満たすために、人を「主」の御名を用いて不当な飲み食いへと導くなら、騙された人は、それによって滅びへと導かれてしまうのだ。

『こうしてその人は立ち去ったが、道でししが彼に会って彼を殺した。そしてその死体は道に捨てられ、ろばはそのかたわらに立ち、ししもまた死体のかたわらに立っていた。人々はそこをとおって、道に捨てられている死体と、死体のかたわらに立っているししを見て、かの老預言者の住んでいる町にきてそれを話した。』(1列王記13:24-25)
あの大活躍した預言者は、ライオンに殺されてしまった。
そして不思議な事に、血に飢えているはずのライオンは、その人を食べもせず、じっと立ったままで、しかも、ろばも逃げずにライオンと一緒に死体のそばに立っていたのだ。(28節)
動物界では、有り得ない事である。
そして、この預言者に起こった事は、実に理不尽な事である。

理不尽な、そして有り得ない事が起こると、人はそれに心を留めるものである。
『そこで預言者は神の人の死体を取りあげ、それをろばに載せて町に持ち帰り、悲しんでそれを葬った。すなわちその死体を自分の墓に納め、皆これがために「ああ、わが兄弟よ」と言って悲しんだ。』(1列王記13:29-30)

どうして、あの人が死ななければならないのだろう。
それに引き換え、どうしてあの人はのうのうと生きながらえているのだろう。
この世界は、そのような疑問でいっぱいである。
ただ、人の生死について、また、悪い行いへの報いの早い・遅いは、私達がとやかく口出しできる事ではない。
全世界の、全ての人間の最善をご存知である主は、全て主権をもって支配しておられるのだ。

歴史を支配される主の采配の見事さは、その時はすぐに分からなくても、何十年、何百年と後になってから分かるようになって、それに人は大いに驚かされるものである。
『彼はそれを葬って後、むすこたちに言った、「わたしが死んだ時は、神の人を葬った墓に葬り、わたしの骨を彼の骨のかたわらに納めなさい。彼が主の命によって、ベテルにある祭壇にむかい、またサマリヤの町々にある高き所のすべての家にむかって呼ばわった言葉は必ず成就するのです」。』(1列王記13:31-32)
実際、ライオンに殺された彼の預言は、300年後に成就する。
彼は、ヤロブアム王が構築した偶像の祭壇は、ヨシヤという名のダビデ王家の人によって破壊され、汚される事を預言していた。
事実、300年後にその通りになり、300年後、自分の行った事を言い当てられた事を知ったヨシヤは、その預言者の墓を守った。(2列王記23:15-20)

かの預言者の非業の死は、多くの人達に、納得の行かない事だったかもしれない。
しかし、彼の、そのような尋常でない事があったからこそ、その後に生まれ出る多くの預言者達には、強烈な教訓となったであろう。
主から与えられた言葉は、決して曲げてはならなず、そして示された事は断然、伝えるべきである、という事の。
そしてその後、この事件は300年もの間、彼が葬られたその墓と共に、ずっと語り継がれる事となった。

当時のヤロブアム王にも、この出来事はすぐに伝え知らされが、残念ながら彼は、この事から何ら教訓も得なかった。
『この事の後も、ヤラベアムはその悪い道を離れて立ち返ることをせず、また一般の民を、高き所の祭司に任命した。すなわち、だれでも好む者は、それを立てて高き所の祭司とした。この事はヤラベアムの家の罪となって、ついにこれを地のおもてから断ち滅ぼすようになった。』(1列王記13:33-34)

ヤロブアムは、偶像礼拝という、「戻ってはならない飲み食い」へと、戻ってしまい、その事は、彼に滅びをもたらすこととなる。
北の老預言者は、南の預言者に「してはならない飲み食い」へと促す「偽りの助言」によって滅びへと導いてしまったが、それと同じように、ヤロブアムも、人々に「偶像礼拝」という「してはならない飲み食い」へと導き、それによって多くの人々を滅びへと向かわせてしまった。

老預言者は、かの預言者に次のように言った。
『あなたが主の言葉にそむき、あなたの神、主がお命じになった命令を守らず、引き返して、主があなたに、パンを食べてはならない、水を飲んではならない、と言われた場所でパンを食べ、水を飲んだゆえ、あなたの死体はあなたの先祖の墓に行かないであろう』(1列王記13:21-22)
この言葉は、かの預言者に対して言われたばかりでなく、まさにヤロブアムに対する警告でもあり、そして北イスラエル王国歴代の王たちに対する警告でもあったのだ。

これらの事は、現代の私達に対する警告でもある。
北イスラエル王国の人達は、この預言者の墓を300年見続け、語り継がれ続けていたのに、結局この事から何の戒めを受けず、偶像礼拝という「してはならない飲み食い」を止めずに、滅んでしまった。
私達はこの事に戒めを受けて、してはならない飲み食いを止めるべきなのだ。

預言者が、元々与えられていた主の命令とは違う事を言って来た場合(1列王記13:11-19)
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主は、北イスラエル王国を偶像礼拝へと導いたヤロブアムの罪を、南ユダ王国から来た無名の預言者を通して指摘し、彼を通してインパクトのあるしるしをもって、警告した。
その事はたちまちうわさとなって人々に伝わったが、その出来事を「主からの警告」として心に留めるのではなく、「大活躍した預言者」という人間に注目して、その人にあやかろうとする人も出て来る。

『さてベテルにひとりの年老いた預言者が住んでいたが、そのむすこたちがきて、その日神の人がベテルでした事どもを彼に話した。また神の人が王に言った言葉をもその父に話した。父が彼らに「その人はどの道を行ったか」と聞いたので、むすこたちはユダからきた神の人の行った道を父に示した。』(1列王記13:11-12)
この老預言者は、ヤロブアムが偶像を安置したベテルの町に住んでいたというのに、その罪を犯したヤロブアムに対しては、何の警告もしていなかった。
それでおきながら、南から来た預言者が、大胆に主の御業を為した事を聞くと、彼に会うために出かけて行った。
このように、「御言葉を伝える」という働き人としての分を果たさないまま、活躍した著名な預言者に会いに出かけて行く働き人は、この時代にもいたのだ。

『「あなたはユダからこられた神の人ですか」。その人は言った、「そうです」。そこで彼はその人に言った、「わたしと一緒に家にきてパンを食べてください」。その人は言った、「わたしはあなたと一緒に引き返すことはできません。あなたと一緒に行くことはできません。またわたしはこの所であなたと一緒にパンも食べず水も飲みません。主の言葉によってわたしは、『その所でパンを食べてはならない、水を飲んではならない。また来た道から帰ってはならない』と言われているからです」。』(1列王記13:14-17)
南ユダの預言者は、ヤロブアムに言った事と全く同じ事を、そのままこの老預言者にも伝えた。
すなわち、彼に主から与えられたミッションは、ヤロブアムが造った祭壇に対して預言する事、そして、語るべきを語り終えたなら、一切飲み食いせず、以前通った道も通らずに帰る事だ、という事を。

『彼はその人に言った、「わたしもあなたと同じ預言者ですが、天の使が主の命によってわたしに告げて、『その人を一緒に家につれ帰り、パンを食べさせ、水を飲ませよ』と言いました」。これは彼がその人を欺いたのである。そこでその人は彼と一緒に引き返し、その家でパンを食べ、水を飲んだ。』(1列王記13:18-19)
老預言者は「欺いた」。
彼は、この南ユダからの預言者に、「主(エホバ)」の名を用い、偽の預言をしたのだ。
南の預言者は、彼の偽預言を疑いもせずそのまま受け入れ、飲み食いしてしまった。

ここで疑問が沸き起こる。
このような場合、どうすべきなのだろうか。
すなわち、はじめに主から命じられていた事とは全く別の、あるいは、真逆の指示が、別の人から主の御名によって来た場合は。

そのような場合は、まず、主ご自身に聞くべきである。
彼は、その老預言者の言葉を一切吟味する事なしに飲み食いし、はじめに与えられていた命令は破ってしまったが、その事は彼にとって災いとなってしまう。
ちょうど、アダムとエバが、主から最初に与えられていた命令、善悪を知る知識の木から「取って食べてはならない、食べるなら必ず死ぬ」という命令があったにもかかわらず、蛇からの「食べても決して死なない、むしろ、食べるなら神のようになれる」という言葉にそそのかされ、食べてしまい、そうして呪いと死を招いてしまったのと同じように。

今、私達はどのようにして主ご自身に聞くべきか。それには、預言などの特別な能力はいらない。
私達には既に、「聖書」という、確固とした預言の言葉が与えられており、それに聞くべきである。

もし、この事は聖書に即しているか、いないかが、すぐに分からない場合は、主イエスはいつも生きておられ、いつも聞いておられるお方である。この御方に祈って聞くのだ。
「主よ、いまこの人は、これこれの事を勧めて来ましたが、自分には良し悪しがわかりません。主よ、あなたが教えて導いて下さい。」と祈るのだ。
もしその時、平安が無く、心がざわざわするなら、拒絶したほうが良い。

相手が、かの老預言者のように、経験も立ち居振る舞いも実績も立派に”見える”人であるなら、無意識的に言葉を信じて受け入れやすい所が私達にもあるが、少しでも「おかしいな」という気持ちがよぎったなら、御言葉を開き、祈り求めるべきである。
御言葉に反しているような事であるなら、相手がどんなに偉く経験豊かな人、あるいは、伝統ある大きな団体であったとしても、それを受けてはならない。

現在、多くの人々が、自称・預言者や、自称・神からの導き者と名乗っている人、あるいは宗教団体に惑わされている。
同性愛は許されるのだ、とか、イエス様以外にも救いはあるのだとか、経験も立ち居振る舞いも実績も立派な「老預言者」が、聖書に反する事を堂々と公言しているのは、メディアでよく目にする。
しかし人は、その言葉を発している人や団体が、あまりに有名であったり実績があったりするのを見て、容易に騙され、信じこまされ、いつの間にか主への反逆と呪いへと、向かわされてしまっているものである。

イエス様は、終わりの時代について、あらかじめ注意された。
『またオリブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとにきて言った、「どうぞお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」。そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。
また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。』(マタイ24:3-7)

現代、イエス様が言われたように、戦争のうわさや、国同士・兄弟姉妹同士の敵対、ききんや地震の頻発のうわさについて、ほぼ毎日メディアから入ってくる。
戦争や地震に備えるのは確かに重要だが、しかし、主が真っ先に「気をつけなさい」と言われた事は、「人に惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう」という事だ。
だから、主の民とされた私達が今、真っ先に気をつけるべきは、人に惑わされないよう気をつける事、なのだ。

私達はこの終わりの時代、決して変わることも裏切る事も無い、真理の御言葉に基づいて行動し、そこから離れずに歩みたい。

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