メッセージ - 201510のエントリ

汚れた思いを吹き込んでくる根源を攻撃する方法(2コリント10:4-6)
第一礼拝 Youtube動画 / 音声
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賛美集会音声
第二礼拝音声
週報/メッセージ(説教)概要

前回、悪魔サタンはどのような存在であるかを学んだ。暫く、この悪魔やサタンなどの敵について学びたい。
悪魔(ディアボロス)は、訴える者、告発し、誹謗中傷する者で、サタンは「敵」であるが、私達キリスト者と、これに類する者共とは権威的上下関係にあり、私達のほうが圧倒的に格上、悪魔サタンは格下である。
もし悪魔がキリスト者を操るとするなら、それは「偽り」をキリスト者に信じこませる事によってである。
だから、私達の戦いの領域は、自分の「思い」の中にこそある。サタンは、思いの中に偽りを吹き込んで、人を操るが、今回特に、この「思い」の領域に仕掛けて来るサタンの攻撃に対抗する方法を学びたい。

思いの中に悪魔が踏み込む足場を作ってしまった人に、悪魔はそこを足がかりとして火矢を飛ばして来る。
サタンは、ダビデにイスラエルの兵力を数えさせようという思いを吹き込み、ダビデはそれに乗ってしまってイスラエルに災いをもたらした(1歴21:1)。これはダビデの「高慢」にサタンが足場を得たケースである。
マリリン・モンローは、人々の注意をひきたいという願望が悪魔につけこまれ、礼拝で賛美が流れる度に、着ているものをみんな脱ぎ捨て、礼拝中、神と人とに裸を見せたい、という衝動に駆られたそうである。
彼女は、受け入れられる、という事が無かったため、白日夢によって自分を元気づけていたと回顧している。
つまり、普段から「思い」の中で悪魔と会話していた、という事だ。だから、寂しさを紛らわすために独り言が多かったり、誰もいないのに会話したり、突然笑い出したりするような「くせ」がある人は、注意した方がいい。
空中には邪悪な者がおり(エペソ2:2)、独り言を言うと、空中にいる者がそれを聞いていて、寂しさなら寂しさの霊を、怒りなら怒りの霊を、淫乱なら淫乱の霊を引き寄せ、そのような邪悪な色(思い)に染められた霊と交わり、一つとなり、支配されてしまう足がかりを作ってしまうからだ。
彼女の場合、恐らく「人々の注意を引きたい」という願望を、夢(霊)と会話する内に告白してしまい、そこに悪魔が足がかりを得、聖なるものを汚す形で発散させたい衝動を吹き入れられ、彼女はそれを自分由来と思って、ますます、自分は聖なる者に対抗する淫らな者だ、と自己認識を強化して行ったのだろう。
騙されてはならない。汚れた思いは、自分に由来するものではなく、悪しき者の由来である。

思いの中に汚れ事を吹き込んで来る悪魔に対抗する方法がある。『私達は様々な「議論(新共同訳:「理屈(イマジネーション)」 )を破り、神の知恵に逆らって立てられたあらゆる「障害物(新共同訳:高慢)」を打ちこわし、すべての「思い(新共同訳:思惑(考え))」を「とりこ(逮捕)」にしてキリストに服従させ、そして、あなたがたが完全に服従した時、すべて不従順な者を処罰しようと、用意しているのである。』(2コリ10:4-6)
つまり、この「思い」の中に仕掛けてくる議論、理屈、イマジネーション、あらゆる障害物や高慢が来た時は、それを「逮捕」してキリストの所に持って行き、そして、私達自身はキリスト(御言葉)に服従する事だ。
この服従が完全になる時、全ての不従順な者が処罰される用意が、整うのである。
すなわち勝利の方法とは、私達自身を御言葉なるキリストに服従させ、御言葉の前に身を委ねる事である。
『神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。』(ヘブル4:12)

敵は、目に見える兄弟姉妹ではなく、目に見えないサタンである。
サタンは、物陰から矢を射掛けて人を攻撃しては隠れ、攻撃を受けた人は振り向いた時たまたまそこにいた人を攻撃し、攻撃された人はわけも分からずに、攻撃されたのでやり返す・・・といった、本質から逸れた空回りの内紛を、私達兄弟姉妹の間に起こさせる。空中の権威も、暗闇の支配も、悪の諸霊も見る事はできないが、私達が戦うべき相手は血肉(人間)ではなく、これら、見えない闇の存在なのだ。(エペソ6:12)
もし今、誰か具体的に兄弟姉妹へ憎しみを募らせているなら、あるいは、穢れた思いに囚われているなら、目に見える兄弟姉妹ではなく、あるいは自分自身のせいにするのでもなく、攻撃の大元である物陰から矢を射掛けて来た悪しき者を、御言葉のサーチライトで照らし、御言葉の剣によって攻撃するべきである。
攻撃の矢を防ぐ事ができるのが、救いのかぶとや義の胸当て、信仰の大盾であるが、ただ、防いで耐えるだけでは能が無い。御言葉の剣を取り、囚われている自分を、兄弟姉妹を解放し、勝利の道を歩む皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
主の器を運ぶ働き人の心得(イザヤ52:11-15)
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早天祈祷会

過越の4つの杯(出エジプト記13:1-10)
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マタイによる福音書講解説教メッセージ

ゲツセマネの祈り - 杯とは(マタイ26:36-46)
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イザヤ書講解説教メッセージ

執事シェブナと宮内長官エルヤキム(イザヤ22:15-25)
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火曜早天祈祷会

訴えるサタンを訴え返し、弁護して下さる主(ゼカリヤ3:1-5)
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飢饉をもたらしたサウルと、恵みの雨をもたらしたリツパ(2サムエル記21:7-14)
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サウル王は民族意識が昂じて平穏に信仰生活していたギブオン人を虐げた結果、ダビデの治世に飢饉がもたらされ、しかも、その罪がなだめられるためには、サウル自身の子孫七人が、主の前で木にかけられ、晒し者にされなくてはならなくなってしまった。

主の約束を軽んじ、ふにゃふにゃの民族意識を昂じさせ、手前勝手な熱心を振り回して善良に暮らしている民族を弾圧する者は、その累が自身の子孫へと及んでしまうのだ。

『しかし王はサウルの子ヨナタンの子であるメピボセテを惜しんだ。彼らの間、すなわちダビデとサウルの子ヨナタンとの間に、主をさして立てた誓いがあったからである。』(2サムエル記21:7)
ダビデはヨナタンに、彼の子孫には恵みを施す誓いを、主の前でしていたため、ヨナタンの子・メフィボシェテを守るために、別のサウルの子孫達を選別した。
『王はアヤの娘リヅパがサウルに産んだふたりの子アルモニとメピボセテ、およびサウルの娘メラブがメホラびとバルジライの子アデリエルに産んだ五人の子を取って、彼らをギベオンびとの手に引き渡したので、ギベオンびとは彼らを山で主の前に木にかけた。彼ら七人は共に倒れた。彼らは刈入れの初めの日、すなわち大麦刈りの初めに殺された。』(2サムエル記21:8-9)

アヤの娘・リツパは、元々サウル王のそばめで、サウル王に二人の子・アルモニとメフィボシェテを産んでいた。
サウル王の死後、サウル王家の実権を握った将軍アブネルは、彼女をめとる事によって、自分に実権があるという事を全イスラエルにアピールしたが、アブネルも程なくヨアブによって殺されてしまった。(2サムエル3章)
そんなリツパにとって、この二人の子は、生きがいであっただろう。
しかし彼女の子達は、大麦の刈り入れの始め頃(過越祭の時期)、山の上で木に掛けられ殺されてしまった。

『アヤの娘リヅパは荒布をとって、それを自分のために岩の上に敷き、刈入れの初めから、その人々の死体の上に天から雨が降るまで、昼は空の鳥が死体の上にこないようにし、夜は野の獣を近寄らせなかった。』(21:10)
彼女は、息子たちが木にかけられた日以来、神が天からの雨を降らせる時まで、そこを離れず、猛禽や獣から息子たちの遺体を守り続けたのだ。

ここまで徹底した愛、子が死体となって晒されても、なお守ろうとする「母の愛」。
これ以上の愛は、人には無い。
子がぐれて悪くなり、皆からは「死人」のように見なされても、それでもその子をいつも想い、守り、執り成す。
母とは、そういうものである。

しかし、それよりももっとすごい愛が、この世に存在する。
それは、神の愛である。
『女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子を、あわれまないようなことがあろうか。たとい彼らが忘れるようなことがあっても、わたしは、あなたを忘れることはない。 見よ、わたしは、たなごころにあなたを彫り刻んだ。あなたの石がきは常にわが前にある。 』(イザヤ49:15-16)

世の中には、自分が産んだ子をあわれまないような母親は、滅多にない。
しかし、たとえ母が子を忘れるような事があっても、それでもなお私達をいつも気にかけ、「言いようもない深いうめき」によって執り成して下さる霊が、聖霊である。(ローマ8:26-27)
聖霊はいつまでも、どこまでも私達を探り、追いかける。
たとい私達が、罪にまみれ、汚れに陥り、死人のようになったとしても、それでもなお深く憐れみ、弁護し、主の御前に正しく立てるまで、執り成しておられる。

『アヤの娘でサウルのめかけであったリヅパのしたことがダビデに聞えたので、ダビデは行ってサウルの骨とその子ヨナタンの骨を、ヤベシギレアデの人々の所から取ってきた。これはペリシテびとがサウルをギルボアで殺した日に、木にかけたベテシャンの広場から、彼らが盗んでいたものである。ダビデはそこからサウルの骨と、その子ヨナタンの骨を携えて上った。また人々はそのかけられた者どもの骨を集めた。』(2サムエル記21:11-13)
リツパのその行動は、ダビデ王の心を動かした。

『こうして彼らはサウルとその子ヨナタンの骨を、ベニヤミンの地のゼラにあるその父キシの墓に葬り、すべて王の命じたようにした。この後、神はその地のために、祈を聞かれた。』(2サムエル記21:14)
長年の間、忘れ去られていたサウルとヨナタンの骨も、また、この度主の前で犠牲となったサウルの子孫達の骨も全て、彼らの故郷・父キシュの墓へと葬るように、ダビデはさせた。

リツパが若い時にサウル王のために産んだ子供たちは、父の罪の故に、犠牲にされてしまった。
しかし、彼女がその遺体を守り続けた事によって、ギブオン人はなだめられ、神はなだめられ、日照りと乾燥の中ずっと遺体を守り続けていた彼女の上に、三年ぶりの、恵みの雨が降り注いだのだ。
その雨は全イスラエルを潤し、イスラエルの多くの民にパンをもたらした。

私達もまた、父アダムの罪の故に、呪いが定められてしまっていたが、キリストもまた大麦の刈り入れの頃、母マリヤに見守られている中、木にかけられ、呪われた者とされ、神と人との前で晒しものとされた事によって、父なる神はなだめられ、彼を通して、全人類に恵みと慰めの雨が降り注いだのだ。
大きな愛は、人の罪と弱さを覆い、人を回復させ建て上げ、多くの人を潤し、恵みへと導く。
このキリストの愛に浸され、潤され、さらに多くの愛を触発しつつ、福音は今に至って広まりつつあるのである。

ギブオン人の故の呪い(2サムエル記21:1-6)
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2サムエル記は、一章から八章までは、サウルの死から、ダビデ王国の全盛に至るまでの記録が記されており、九章以降はダビデの罪とその刈り取りの災いの記録が記されている。

この災いは、クーデターを起こした息子アブシャロムの死によって、一旦収束を迎えた。それが前回・二十章までの所である。
そして、2サムエル記の二十一章以降は、ダビデ治世で起きた付録的な事が記されている。

『ダビデの世に、年また年と三年、ききんがあったので、ダビデが主に尋ねたところ、主は言われた、「サウルとその家とに、血を流した罪がある。それはかつて彼がギベオンびとを殺したためである」。そこで王はギベオンびとを召しよせた。ギベオンびとはイスラエルの子孫ではなく、アモリびとの残りであって、イスラエルの人々は彼らと誓いを立てて、その命を助けた。ところがサウルはイスラエルとユダの人々のために熱心であったので、彼らを殺そうとしたのである。』(2サムエル記21:1-2)
ここに登場するギブオン人は、本来、聖絶されるべきカナン人であった。
彼らは、ヨシュアがカナンに攻め込んできた時、他のカナン人達が徹底抗戦の構えを見せる中、ギブオン人だけはイスラエルとの和平工作を画策し、彼らはあたかも遠い国から来たかのように変装してイスラエルをだまし、和平の不可侵条約を結ぼうとした。

彼らはヨシュア(イエシュア)に、直接交渉している。
『「われわれはあなたのしもべです」。ヨシュアは彼らに言った、「あなたがたはだれですか。どこからきたのですか」。彼らはヨシュアに言った、「しもべどもはあなたの神、「主(エホバ)」の名のゆえに、ひじょうに遠い国からまいりました。われわれは主の名声、および主がエジプトで行われたすべての事を聞き、また主がヨルダンの向こう側にいたアモリびとのふたりの王、すなわちヘシボンの王シホン、およびアシタロテにおったバシャンの王オグに行われたすべてのことを聞いたからです。』(ヨシュア記9:8-10)

ギブオン人は屈強な戦士で、その町も大きく堅固であった(ヨシュア記10:2)にもかかわらず、彼らは主の民イスラエルと戦おうとはせず、武具ではなく、ぼろぼろの服を身につけ、主と主の民の前に低くなった。
彼らがそのように自らを低くしたからこそ、主は彼らを救わせたのではないだろうか。(詩篇96:7-10)

結局、イスラエルはだまされた形でギブオン人と和平条約を結び、イスラエルの人々は三日後、それに気づいた。
欺かれたとはいえ、イスラエルは彼らに手を出さない、と、主の御前に誓いを立ててしまった以上、彼らはギブオン人に手出しできなくなった。
『そこでヨシュアは、彼らにそのようにし、彼らをイスラエルの人々の手から救って殺させなかった。しかし、ヨシュアは、その日、彼らを、会衆のため、また主の祭壇のため、主が選ばれる場所で、たきぎを切り、水をくむ者とした。これは今日までつづいている。」(26-27節)

彼らは確かに「うそ」によってイスラエルの中に入ってきたが、イスラエルに入ってきて以降、彼らは以前カナンで行っていた偶像礼拝や暴虐、不品行などは捨て去り、主の祭壇や主の会衆のために、たきぎを切ったり、水を汲んだりして奉仕して行く内に、清められて行ったのだろう。
もし、彼らがそのまま邪悪な生活を続けていたとしたなら、和平条約など関係なくイスラエルから即刻絶たれるはずであり、イスラエルの中で生き残る事は出来なかっただろう。
彼らは日々、神の家のために、イスラエルの会衆のために奉仕をし続けて行く内に、以前の邪悪な行いは捨て去り、悔い改め、主を愛する心が芽生えて行った、にもかかわらず、サウルは誤った熱心によって彼らを殺し、追い払おうとしたのだ。

『それでダビデはギベオンびとに言った、「わたしはあなたがたのために、何をすればよいのですか。どんな償いをすれば、あなたがたは主の嗣業を祝福するのですか」。』(2サムエル記21:3)
ダビデは、どう償えばあなた達ギブオン人は快くイスラエルを「祝福」してくれるのか、と聞いている。
つまりダビデ王は、ギブオン人の「イスラエルを呪いいたい心境」を恐れ、なんとかそれを「祝福したい心境」へと持って行きたいと思っているのだ。
なぜならこの事は、先代王のサウルがギブオン人の血を流し、イスラエルから根絶しようとしたのが原因だと、主が明らかにされたからだ。
私達も、兄弟姉妹から呪われるような事をしているなら、彼らが陰で呪ったその言葉によって主から呪いを受け、そして祝福されるような事をしているなら、彼らが陰で祝福したその言葉によって、主から祝福をもらえるのだ。

それにしても、なぜサウルの代に災いが起きるのではなく、ダビデの代に起きたのだろう。
サウルは他にも色々な罪を犯したが、その報いは彼自身が受け、死をもって刈り取った。
しかし、後の代になってから、主がわざわざ飢饉を起こされた、という事は、もしかすると、サウルの代でイスラエル人に埋め込まれたギブオン人への差別と偏見が根強く残り、ギブオン人のうめきがいよいよ切になって、祈りが天に届いたのかもしれない。

神の国の中においても、色々な成り立ちで、救いへと入ってきた人達がいる。
その中にはギブオン人のように、「うそ」が取っ掛かりとなって教会の集いに入って来た人達も、もしかしたらいるかもしれない。外面的には信仰を装っておきながら、実は、教会の中の女性が目当てだとか、善良な彼らをだまして何かするため、等など。
しかし、最初の動機がどうあれ、教会のため聖徒のために奉仕をしていく内に、ギブオン人のように清い性質へと造り変えられ、真に救われて行く人も、また多い。
重要なのは、以前どうであったかではなく、今、主の交わりの中においてどうであるかである。

以前、どんな性質の人であったとしても、もはや悔い改めて邪悪な性質を捨て去っており、神のために奉仕に勤しんでいるのなら、同じ主にある兄弟姉妹として、平和に接するべきである。
それをサウルは、身勝手な民族意識を振りかざしてギブオン人を殺し、そうしてギブオン人に、イスラエルを呪うような気持ちにさせてしまった。
私達は、このサウルの道を歩んではならない。

『ギベオンびとは彼に言った、「これはわれわれと、サウルまたはその家との間の金銀の問題ではありません。またイスラエルのうちのひとりでも、われわれが殺そうというのでもありません」。ダビデは言った、「わたしがあなたがたのために何をすればよいと言うのですか」。
かれらは王に言った、「われわれを滅ぼした人、われわれを滅ぼしてイスラエルの領域のどこにもおらせないようにと、たくらんだ人、その人の子孫七人を引き渡してください。われわれは主の山にあるギベオンで、彼らを主の前に木にかけましょう」。王は言った、「引き渡しましょう」。』(2サムエル記21:4-6)

世の中には、ちょっとした被害を”ねた”として、過度な金銭を求めたり、過度な暴力で仕返しをする人は多い。
それなのに、ギブオン人は”ちょっとした”どころではない被害なのに一切求める事は無く、この問題はむしろ、主・エホバの問題であると言った。
それ程までに彼らの信仰は純粋となっていたのだ。

彼らはサウルを、「われわれを滅ぼしてイスラエルの領域のどこにもおらせないようにと、たくらんだ人」と言った。
主を愛する人にとって、神を礼拝する場所から追い出される事や、神の臨在の領域から閉めだされる事は、何にも代えられない苦痛である。
その人が主に訴えるなら、主は、神の家全体を飢餓に陥れてでも、その訴えを聞き届けられる。

現代、神の家である私達・教会は、よくよく気をつけるべきだ。
以前がいかなる状態であったとしても、またいかに「うそ」によって救いに入って来たとしても、ギブオン人のように、罪深い行いを止め、悔い改め、新しく主に仕える聖なる生活をするなら、主から弁護される。
しかし、そのように悔い改めた彼らを、サウルのように、誤った熱心で虐げるなら、その人が主に叫ぶ時、主から呪われてしまう。

名も知れぬ知恵深い女とヨアブ(2サムエル記20:14-26)
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将軍の地位から降ろされヨアブは、新しい将軍であり上司であるアマサを殺してしまい、彼自身の強烈な指導力を発揮させ、たちまちにして人々をまとめて反乱者シバを追いかけた。


『シバはイスラエルのすべての部族のうちを通ってベテマアカのアベルにきた。ビクリびとは皆、集まってきて彼に従った。そこでヨアブと共にいたすべての人々がきて、彼をベテマアカのアベルに囲み、町に向かって土塁を築いた。それはとりでに向かって立てられた。こうして彼らは城壁をくずそうとしてこれを撃った。』(2サムエル記20:14)
ベテマアカのアベルは、ガリラヤ湖の北、イスラエルの最北端に近い町である。シバと彼に従う者達は、そこに入った。
ヨアブはそこに到着次第、力づくで崩そうとしたが、一人の賢い女が、話し合いで解決を図ろうとする。

『昔、人々はいつも、『アベルで尋ねなさい』と言って、事を定めました。わたしはイスラエルのうちの平和な、忠誠な者です。そうであるのに、あなたはイスラエルのうちで母ともいうべき町を滅ぼそうとしておられます。どうして主の嗣業を、のみ尽そうとされるのですか」。』(2サムエル記20:18-19)
アベルの町は、周囲で何か問題が起きた時には、知恵と平和による解決を尋ねに来られた「母ともいうべき町」だったようである。
彼女はヨアブに、そのような平和な町をなぜ滅ぼそうとするのか、と問いかけた。

『ヨアブは答えた、「いいえ、決してそうではなく、わたしが、のみ尽したり、滅ぼしたりすることはありません。事実はそうではなく、エフライムの山地の人ビクリの子、名をシバという者が手をあげて王ダビデにそむいたのです。あなたがたが彼ひとりを渡すならば、わたしはこの町を去ります」。女はヨアブに言った、「彼の首は城壁の上からあなたの所へ投げられるでしょう」。こうしてこの女が知恵をもって、すべての民の所に行ったので、彼らはビクリの子シバの首をはねてヨアブの所へ投げ出した。』(2サムエル記20:20-22)
こうして、シェバの反乱は三日天下で終わり、アベルの町もこの名も無き女の知恵によって救われ、多くの人の血が流されずに済んだ。
これら全ての手柄は、ヨアブの独占状態となる。

『そこでヨアブはラッパを吹きならしたので、人々は散って町を去り、おのおの家に帰った。ヨアブはエルサレムにいる王のもとに帰った。ヨアブはイスラエルの全軍の長であった。』(2サムエル記20:22-23)
結局、ダビデの決定した人事をあざわらうかのように、ヨアブは、腕づくで元の地位に復帰してしまった。
ダビデの治世の間、彼自身の力と剣によって、そして、多くの血を流しながら、ヨアブは自分の地位を守り続けていたが、やがては彼がした事全ての報いを受ける時が来る。
よこしまな男・シバは、野心を燃やしてイスラエルに災いを振りまいて成り上がろうとしたが、結局、その災いは、彼自身の頭上に返ってしまったように。

今回、名も記されていない知恵ある女が出てきた。
元々、シバを打ち取ったのは、彼女の知恵によるものだったが、ヨアブは彼女に何か報いたような事は記されていない。
彼女のその後も、その名も、記されずじまいである。

ソロモンは言う。
『ここに一つの小さい町があって、そこに住む人は少なかったが、大いなる王が攻めて来て、これを囲み、これに向かって大きな雲梯を建てた。しかし、町のうちにひとりの貧しい知恵のある人がいて、その知恵をもって町を救った。ところがだれひとり、その貧しい人を記憶する者がなかった。そこでわたしは言う、「知恵は力にまさる。しかしかの貧しい人の知恵は軽んぜられ、その言葉は聞かれなかった」。』(伝道者の書9:14-16)
ソロモンは、平和の偉業を為したこの人は「記憶する者がなかった」と、あたかも、虚しい事のように評価している。

人の目から見るなら、ヨアブのように手柄を独占したり、ソロモンのように偉大な知恵が賞賛されたりする人が幸いで、彼女のように、手柄も名も残らなかった人は、何か虚しいかのように見えるかもしれない。
しかし、天の評価は違う。
『自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。・・・隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。』(マタイ6:1-4)

天の査定は、この世で人から賞賛を受けたり褒められたりしたら、天では報いは残っていないが、人目に隠れて行った良い行いは、全て、隠れた所で見ておられる天の父が報いて下さる、というものだ。
シバにしても、ヨアブにしても、ソロモンにしても、彼らの知恵、力、出世力は、彼らを永遠のいのちへと導く事は出来なかった。
彼らのように、多くの人々の血や税金、労苦の上に成り立っているような、地位や名誉、財をこの世で受けるよりも、主のまなざしと、御言葉の確信と、天において用意されている報いの希望によって成り立っている「平和の土台」に立てられた道を歩む者でありたい。

サタン - 偽りの言葉巧みな二等兵(ルカ10:17-20)
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週報/メッセージ(説教)概要

私達は、主イエス・キリストがいかに素晴らしいお方であり、彼にあって、いかに素晴らしい救いの立ち位置を得ているかを知る必要があるのと同じように、敵であるサタンの事も知らなくてはならない。
今回、悪魔やサタンの本質と、私達とサタンの立場、そして、いかにして対抗し勝利して行くかを学びたい。

悪魔(ディアボロス)の元々の意味は「(偽りを)訴える者、告発・誹謗中傷する者」である。
その筆頭が、天から投げ落とされた堕天使ルシファー(イザヤ14:12-15)、悪魔ともサタン(サタナス:敵)とも呼ばれる、あの古い蛇(黙示録20:2)で、その配下に堕天使たち(黙12:9,2ペテロ2:4)や、悪霊達がいる。
よく、神と悪魔との力関係は対等、あるいは悪魔のほうが上であるかのような、偽りが流布されているが、それは全く偽りであり、権威は神が全く上、悪魔は全く下である。これはイエス様を主とした私達も同様である。

キリストにある私達は、何者であるか。私達はキリストイエスにあって、共によみがえらせられ、共に天上で座につかせられた者達であり(エペソ2:6)、悪しき者は触れる事が出来ない。(1ヨハ5:18)
対して、悪魔サタンや悪霊どもの立場は、既に主によって断罪され、キリスト(と私達)の足の下に踏みにじられ、永遠の地獄の業火が確定済みとされた者どもであり、時折、神である主に命じられて、聖徒たちを訓練するために雑用を言い渡される事もある。(ゼカリヤ3章、ロマ16:20、黙示録20:10、ヨブ1章)
つまり、私達キリスト者と、悪魔サタンや悪霊達とは、権威的上下関係にあり、私達のほうが圧倒的に格上、悪魔サタンは格下、主が大将で私達はその将校、悪魔サタンは一等兵、悪霊どもは二等兵のようなものだ。

では何故、私達キリスト者は、あたかも悪魔サタンのほうに力があるかのように、いいように支配されてしまう事があるのか。それは「偽り」を吹きこまされる故だ。悪魔の本質は「偽りの父」である。(ヨハネ8:44)
女性は、ゴキブリを簡単に踏み潰し追い出す力があるのに、なぜか、女性のほうが部屋から閉め出され、部屋をゴキブリに占拠されてしまう。なぜこの現象が起きるか。それは、女性の中のゴキブリに対する「過度の恐れ」や「偽りの思い込み」が原因である。これと同じ事がキリスト者と悪魔サタンの間に起きているのだ。
悪魔サタンは、人間の思いの中に、悪魔の思いを吹き込む事が出来る。(1歴代誌21:1、ヨハネ13:2)
到底考えつかないような汚れた思いや、自己嫌悪に陥らせるようないやらしい思い、それは全て、悪魔が思いの中に吹き込むものである。霊的な戦いの場は「思い」の中にあり、「思い」を健全に保つために、「全ての”思い”をとりこにしてキリストに服従させ」(2コリ10:5)、御言葉の剣で切り分ける(ヘブル4:12)のである。

キリスト者は、キリストにあって「勝利者の側」「上側」であり、悪霊やサタンは「敗者の側」「下側」にある。
ゴキブリに女性を閉め出す力も権威も無いように、悪霊やサタンにも、私達を閉め出す力も権威も無い。
しかし奴らは、キリスト者に偽りを信じ込ませる事によって、キリスト者をあやつる事が出来るのだ。
キリスト者が悪魔サタンに支配されるとするなら、実に、吹きこまれた偽りに踊らされているのが本質なのだ。
キリスト者が、御言葉の真理にしっかりと立ち、信仰をもってそれを宣言する時、奴らは、光に照らされたゴキブリのごとく、すごすごと闇に逃げ去るしか無いのだ。「真理はあなた方を自由にする」と御言葉に記されている通り、私達は真理を知れば知るほど、自由になって行く。悪霊やサタンは、それを最も嫌がる。

世の色々な情報やイデオロギー、享楽や哲学などは、真理をくらまし、キリスト者から自由を奪ってしまう。
対抗方法は、まず、私達の内側は御言葉の真理で満たし、思いの中から偽りを追い払う事である。
そして真理の御言葉を知り、蓄え、その御言葉を信仰を持って宣言しつつ、イエスの御名によって踏みつけるのだ。『わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。だから、あなたがたに害をおよぼす者はまったく無いであろう。』(ルカ10:19)
主は私達に、私達と悪魔との上下関係の真理を教え、悪魔サタンを踏みつける権威を与え、それを行使する「働き」を託された。だから私達は積極的にそれを用い、御言葉を宣言し、人を束縛する恐れや絶望感、病や貧困、全て暗闇に属し呪いの属するものは、主イエスの名によって踏み、破壊するべきである。
主にあって信仰を混ぜた権威ある御言葉を宣言し、大いにサタンを踏み砕く皆さんでありますように!

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