メッセージ - 201508のエントリ

ダビデ契約(2サムエル記7:1-16)
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『さて、王が自分の家に住み、また主が周囲の敵をことごとく打ち退けて彼に安息を賜わった時、王は預言者ナタンに言った、「見よ、今わたしは、香柏の家に住んでいるが、神の箱はなお幕屋のうちにある」。ナタンは王に言った、「主があなたと共におられますから、行って、すべてあなたの心にあるところを行いなさい」。』(2サムエル記7:1-3)
自分はここまで快適で豪勢に暮らしているというのに、主の箱は相変わらず粗末な環境にある、とダビデは思ったのかもしれない。
それをダビデは預言者ナタンに相談し、ナタンも最初は「あなたの心にある所を行いなさい」と言ったのだが、その夜、主は意外な事を告げられる。

『「行って、わたしのしもべダビデに言いなさい、『主はこう仰せられる。あなたはわたしの住む家を建てようとするのか。わたしはイスラエルの人々をエジプトから導き出した日から今日まで、家に住まわず、天幕をすまいとして歩んできた。わたしがイスラエルのすべての人々と共に歩んだすべての所で、わたしがわたしの民イスラエルを牧することを命じたイスラエルのさばきづかさのひとりに、ひと言でも「どうしてあなたがたはわたしのために香柏の家を建てないのか」と、言ったことがあるであろうか』。』(2サムエル記7:4-7)

主は天にも地にも満ちておられ、まどろむ事も眠る事も無く、疲れる事もたゆむ事も無いお方である。
だから、主の箱が幕屋から香木の家などに入った所で、主は安息や快適さを覚えられるような事はない。
『いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない。預言者が言っているとおりである、『主が仰せられる、/どんな家をわたしのために建てるのか。わたしのいこいの場所は、どれか。天はわたしの王座、/地はわたしの足台である。これは皆わたしの手が造ったものではないか』。』(使徒7:48-50)
そもそも、幕屋や契約の箱はこれこれの寸法と材料で造りなさい、と、事細かく指示されたのは、主である。
その主が定めた事を、人はとやかく申し出る事などできないのだ。

ただ、ダビデとしては、主を愛するが故に、主に何かしたかったのだろう。
ちょうど、子供が親のために何かしたいと思って何かしても、その内容は幼稚で、意味が無く見えるように。
しかし親は、そんな子供を愛おしく思うものである。
主もダビデを愛おしく思ったのだろう、さらに大いなる名誉を与えようと約束される。

『主はまた「あなたのために家を造る」と仰せられる。あなたが日が満ちて、先祖たちと共に眠る時、わたしはあなたの身から出る子を、あなたのあとに立てて、その王国を堅くするであろう。彼はわたしの名のために家を建てる。わたしは長くその国の位を堅くしよう。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となるであろう。もし彼が罪を犯すならば、わたしは人のつえと人の子のむちをもって彼を懲らす。』(2サムエル記7:11-14)
主のための家を建てたいと願っていたダビデだが、なんと主は、ダビデのために永遠に堅く続く家をたてる、と言われたのだ。
永遠の王が、ダビデの家系から誕生する、と。

もっとも、ダビデの次のソロモンは、王となった当初は良かったものの、繁栄するにつれ堕落し、彼に続く王達も主から離れ罪を犯すようになり、「もし彼が罪を犯すならば、わたしは人のつえと人の子のむちをもって彼を懲らす」の言葉どおりになってしまい、ついにはアッシリヤやバビロンという「つえ(イザヤ10:5)」によって、散らされてしまった。
しかし主は、ダビデの家に対する憐れみを忘れない。

『しかしわたしはわたしのいつくしみを、わたしがあなたの前から除いたサウルから取り去ったように、彼からは取り去らない。あなたの家と王国はわたしの前に長く保つであろう。あなたの位は長く堅うせられる』」。』(2サムエル記7:15-16)
主は、堕落してしまったダビデ王家を懲らしたが、ダビデに約束されていた通り王権はダビデの家から離れること無く、イエス・キリストによって「位は長く堅うせられる」の預言は成就したのだ。

この、永遠の王メシヤ、すなわちイエス・キリストが、ダビデの子孫から生まれるという約束を「ダビデ契約」と言う。
それでユダヤ人達は、メシヤを「ダビデの子」と呼んで待ち望んだ。
だから、新契約聖書の最初、イエス・キリストの福音書のはじめは、アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図で始まるのである。(マタイ1:1)

パウロのような凛々しい働き人になるために(ローマ7:14-8:11)
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第二礼拝: Youtube動画 / 音声
週報/メッセージ(説教)概要

今回の韓国では、テフィリンをいち早く取り入れて子供たちを教育しているトォビッ教会の修養会に参加させて頂き、そこの素晴らしい聖徒達と交わりつつ、礼拝や賛美、祈りの時間を共に過ごし、体験してきた。
修養会では、使徒行伝の全部、すなわち、1章から28章の全てを、一日3回合計9時間の講義を通してみっちり学び、各講義の後は、学んだ内容を自分自身に適用するための祈り会を教会全体で行っていた。
使徒行伝の初代教会の働き人達は、聖霊によって変えられ、迫害する人々の前で凛々しく大胆に立ってイエス・キリストの福音を全世界へと伝えて行ったと同時に、罪や誘惑の問題に対し、真剣に取り組んで行った。今回、特にこの罪や誘惑の問題への対処についての示唆を頂いたので、分かち合いたい。

使徒行伝で特筆すべき人物は、やはり使徒パウロだろう。私達キリスト者は、彼の超人的な働きと、強く凛々しく大胆なあり方に憧れる。彼の強さの秘密は一体どこにあり、どうすれば彼のようになれるのだろう。
私達も彼のようになりたいと願っているのに、自分を見るならば、弱く罪深い所ばかりが目立ってしまう。
為すべき良い事は分かっているのに、それができず、かえって、したくない悪を行なってしまう。この葛藤からどうすれば開放されるのか。実はパウロもずっと同じこの悩みをし、ずっと同じ戦いをして来たのだ。
彼も同じ葛藤をしている事を、ローマ人への手紙(7:14-15)にて綴っている。この手紙が書かれたのは彼の初心の時ではない。第3次伝道旅行の時、すなわち信仰者としても働き人としても誰よりベテランの域に差し掛かった頃に、書かれたものだ。私達がまさに抱えている葛藤を、彼もずっと抱え戦っていたのだ。
彼はどうやって、この問題と対処して行ったのかを見る前に、まず知って置かなくてはならない原理がある。
「そこで、この事(罪)をしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。」(7:17)
ここから、「罪≠私」という原理を見出る。私達が対処すべき「罪」は、「自分」とは別物であり、打ち叩くべきは、罪を犯す「自分」ではなく、自分に罪を犯させる「罪」である。どう対処したら良いのだろう。

キリスト者が葛藤する仕組みと原理は、7章21−23節に記されている。この節で「原理」とか「律法」とか訳されている日本語は、皆、同じギリシヤ語「ノモス」という言葉で、全部「法則」という意味である。
これらの節の中から、3種類の法則を見出す。第一の法則は「神の法則」。しかし、からだの中に異なった法則があって、「心の法則」(第三の法則)に戦いを挑み、「罪の法則」(第二の法則)のとりこにしている。これが葛藤の原因であり、これら三つの法則のせめぎあいがある為に、したい善が出来ないのだ。
つまり事は、頑張りや人格や不屈の精神などの問題ではなく、どの法則に自分を委ねるか、の問題である。
パウロは24節で、自分はみじめだと叫んでいるのに、25節では喜びに溢れ感謝を叫んでいるのはなぜか?それは、みじめな人間の有り様に対する解決法を見出したからだ。そう、対処方法があるのだ!
「キリスト・イエスにある”いのちの御霊の法則”は、罪と死との法則からあなたを解放した」(ローマ8:2)
この第四の法則”いのちの御霊の法則”こそ、罪と死の法則に対抗する唯一の手段である。
全ての人は、重力の法則に縛られ、地上から離れられない。しかし飛行機に乗る事で地上を離れる事が出来るように、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則に乗る事で、私達も罪から離れる事が出来るのだ。
どうしたらこの法則に乗っかる事が出来るのだろうか?それは「継続的な選択」の問題であり、肉によらず聖霊によって歩み続ける「選択」を日々、し続ける事によって、である。
「これは律法の要求が、肉によらず霊によって歩くわたしたちにおいて、満たされるためである。」(8:4)
命の御霊の法則に乗り続けるには、肉によらず、聖霊に従って歩む選択をし続ける事によって、である。
パウロには不屈の精神があったから頑張れたのではなく、「聖霊に従う選択」をし続けたから、全ての迫害や困難、問題に対処できる「御霊」の知恵と力が与えられ続け、主にあってそれらを乗り越えられたのだ。
私達はアダム以来、選択によって罪と死を取り入れてしまった。故に、選択によって、救われるのだ。
私達の死ぬべきこの体を、罪の支配や情欲に「委ねない」と選択し、死人の中から生かされた者として、自分自身を神に捧げ、自分の体を義の武器として神に捧げる事を、意思で決定するのである。
もし私達が、パウロの不屈の強さを纏え、と言われるなら絶望しか無いが、日々、御霊を選択し続ける事によってパウロのようになれるのだ。御言葉によって正しく肉の道と霊の道を仕分けし、霊に従って歩む事を選択し続け、パウロのようにいのちに歩む皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

遣わされる働き人の心得(出エジプト記3−4章)
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週報/メッセージ(説教)概要

バビロン化が進んでいく昨今の世界の中において、私達キリスト者はますますきよい者として自らを保ち、御言葉に留まり、働き人としての分を果たさなくてはならない。前回、ダニエルとその3人の友人の有り様から学んだが、今回はモーセの召命の場面から、実際に「働き人」として遣わされて行く有り方を学びたい。

『さあ、わたしは、あなたをパロにつかわして、わたしの民、イスラエルの人々をエジプトから導き出させよう」。モーセは神に言った、「わたしは、いったい何者でしょう。わたしがパロのところへ行って、イスラエルの人々をエジプトから導き出すのでしょうか」。』(出エジプト記3:10)
モーセが召命を受けたのは、80歳という高齢になってから、だった。40年前のモーセだったなら、二つ返事でOKしたかもしれない。しかし主は、人間的なヤル気が大きく気力にあふれている時は、必ずと言っていい程、ご自身のご用のために用いられることは、無い。主は、弱い者を、用いられる。
ギデオンもエレミヤも、自分が若い者だと言う時に召し出し特別なミッションに就かせられた。
80歳。十分な年齢である。これから何かするには、あまりに歳をとりすぎていたが、主が召したのはその時だ。『主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。』(2コリント12:9) 何故、弱く小さい人に、主の働きが出来るのか。
「わたしは必ずあなたと共にいる。これが、わたしのあなたをつかわした”しるし”である。」(出3:12)
主が共にいる、これこそ、働き人に必須のしるしだ。御言葉は、主ご自身であり、生きておられる。
もし「私達の中に御言葉があり(主が共におり)」、その御言葉が内側でじっとしておれず、出たい出たい、口から発せられて、あの人の所に入って行きたい、と感じるとき、その御言葉を発するべき時である。
エレミヤは、自分の口からもしその御言葉が発せられたら、相手がどんな非道い反応をするか知っていても、発せずにいたなら、自分の中で火となって燃え上がり、焼かれるような思いがした程だ。(エレミヤ20:9)

続いてモーセは、もし自分が遣わされた場合、あなたの名を何と紹介すれば良いですか、と問うた時、『神はモーセに言われた、「わたしは、有って有る者」。』(出3:14) 「I AM THAT I AM」すなわち、神は、「存在する」という名である。これが、私達が相手に伝えるべき主の名であり、アイデンティティである。
イエス様は、「わたし(イエス様)は、在る」事を認めない人は、罪のうちに死ぬ、と言っている。(ヨハネ8:24)
わたしは有る、ギリシア語ではエゴ・エイミーと言うが、人類全ての人には2つの選択肢がある。
自分のエゴを貫き通して、罪の内に死ぬか。それとも自分のエゴを降ろし、イエス様の「エゴ・エイミー」を認めて永遠の幸いといのちを得るか。私達が主を伝える時、必ず主が在るお方である事、そのお方を受け入れるべき事を伝えなくてはならない。神は、いつでも、どこでも「有る」お方。仕事場でも家でも、そして今この時でも。この「在るお方」が「共におられる」というしるしを拠り所とし、私達は遣わされていくのである。

「わたしがあなたを遣わす」「わたしはあなたと共にいる」と主が言われたのに、モーセはまだまだ不安だった。(出エジプト記4:1) そこで神は証拠としてのしるしを与えられる。その真っ先に与えられたしるしは、杖を蛇に変えるしるしである。(4:2-4) 蛇といえば真っ先にサタンを思い出すが、なぜ「蛇」なのか。
神はサタンに活動許可を与えて放つ事も出来れば、サタンをもつかんで封じる権威もあるのだ。
私達にも、蛇をもつかむ権威が与えられている。(マルコ16:18) もし羊達を支配する道具である杖を放棄し地に放り投げてしまうなら、それは蛇となってサタンの野放し状態になってしまう。私達はしっかり羊を治める杖を握り、たとえそれが蛇であっても、掴んで羊の杖に戻し、罪を治めるべきなのだ。

『モーセは主に言った、「ああ主よ、わたしは以前にも、またあなたが、しもべに語られてから後も、言葉の人ではありません。わたしは口も重く、舌も重いのです」』(出エジプト記4:10)。 モーセは、これだけしるしが見せられ、主が共におられる事を示されるに及んでも、なお、他の人を遣わして下さいと求めた。
 主がそこまで示して下さったのに、なお断るというのは、愚かさである。私達は主からどんなに素晴らしい御言葉を与えられ、しるしを見せられただろうか。それをじっくり味わい知ったなら、遣わされ行くべきだ。この日本と世界に遣わされ、造り変えて行く皆さんでありますように!イエス様の名前によって祝福します!

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
何もかも主に打ち明けられる幸い(詩篇6篇)
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マタイによる福音書講解説教メッセージ
偽善な律法学者、パリサイ人たち その2(マタイ23:23-32)
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イザヤ書講解説教メッセージ
堕天使ルシファー サタンの性質(イザヤ14:12-15)
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つくばエクレシア礼拝説教メッセージ
バビロンの中で秀でた者となるために(ダニエル1章)
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