メッセージ - 201506のエントリ

礼拝説教メッセージ音声:追うべきでしょうか。追いつけるでしょうか。(1サムエル記30:1-8):右クリックで保存

ダビデはサウルから逃れるために、世的な解決方法に頼り、神の国イスラエルから離れ、ペリシテという、神から離れた”世”での生き方、すなわち、騙し合い、奪い合い、殺し合いの日々を送っていたが、ある日突然、そのして来た事の刈り取りをする事になってしまう。


『さてダビデとその従者たちが三日目にチクラグにきた時、アマレクびとはすでにネゲブとチクラグを襲っていた。彼らはチクラグを撃ち、火をはなってこれを焼き、その中にいた女たちおよびすべての者を捕虜にし、小さい者をも大きい者をも、ひとりも殺さずに、引いて、その道に行った。ダビデと従者たちはその町にきて、町が火で焼かれ、その妻とむすこ娘らは捕虜となったのを見た。』(1サムエル記30:1-3)
ダビデ達は、出かけているわずか三日の間、アマレクの略奪隊が来て、他人から奪いながら積み立てて来た財産も、そして大切な家族も、全て奪われてしまった。
ある日家に戻ってみたら、家は焼かれて灰になっており、妻子も、それまで築き上げて来た財産も、なくなっているとしたら、どうだろう。
ダビデ達はまさにそのような状況だった。

『ダビデおよび彼と共にいた民は声をあげて泣き、ついに泣く力もなくなった。ダビデのふたりの妻すなわちエズレルの女アヒノアムと、カルメルびとナバルの妻であったアビガイルも捕虜になった。』(1サムエル記30:4-5)
後の出来事を読むと、ダビデはこの後、全てを見事に取り返す事が分かるのだが、少なくともこの時点、ダビデは、妻子も財産も全て失い、すっからかんになっていたのだ。

人は、弱肉強食の世の中で生き残るために奔走する時、「よかれ」と思って色々な手立てを講じる。
よかれと思ってこの会社に入った、よかれと思って何処どこに移住した、よかれと思ってこの株式を購入し、この証券を買った、等、自分の人生や将来に「よかれ」と思って、色々な策を講じるが、神から離れてキリストを抜きにした「はかりごと」は、全て、不完全である。
人は、一日先の未来さえ分からない存在であり、自分の立てた「はかりごと」がいつ破綻してしまうのかも分からないが、いざ破綻した時、人は深く悲しみ、悲しみは怒りへと変わり、そして、その怒りの発散先を求める。

『その時、ダビデはひじょうに悩んだ。それは民がみなおのおのそのむすこ娘のために心を痛めたため、ダビデを石で撃とうと言ったからである。』(1サムエル記30:6a)
ダビデの部下達は、怒りの矛先をダビデへと向けた。ダビデは自分達をミスリードした、死んでお詫びしろ、と。
ダビデはそれまで、昼夜襲い来る危険や心配のプレッシャーに耐えながら部下達を守り養って来たのに、いざ事が起きた時、部下たちは全部ダビデが悪いと、石を投げようとする。
彼はどれ程、悩んだことだろう。
家や会社をリードする立場にある人は、そのような悩みはつきものであるが、この時のダビデのように、自分の迂闊な判断で自分の配下全体を絶望の極地へと導いてしまった場合、どうすれば良いだろう。

『しかしダビデはその神、主によって自分を力づけた。』(1サムエル記30:6b)
そう、これが私達も取るべき行動である。
ダビデはこんな時だからこそ、主を思い出し、主によって自分を力づけた。
自分の不信仰ゆえに、愚かさゆえに、犯した罪のゆえに、大事なものを失う事があるが、そんな時こそ、主に向かうのであるなら、その時点が”V字回復”の起点となるのだ。

『ダビデはアヒメレクの子、祭司アビヤタルに、「エポデをわたしのところに持ってきなさい」と言ったので、アビヤタルは、エポデをダビデのところに持ってきた。』(1サムエル記30:7)
ダビデの口から出る久しぶりの言葉である。
エポデは、主の御心を伺う道具であり、それを持って来させたが、私達にとっての、主の御心を伺う道具は、何だろうか。
私達が御心を伺う道具、それは聖書であり、伺う手段は、祈りである。
それを事あるごとに用い、主に伺うべきだ。

『ダビデは主に伺いをたてて言った、「わたしはこの軍隊のあとを追うべきですか。わたしはそれに追いつくことができましょうか」。主は彼に言われた、「追いなさい。あなたは必ず追いついて、確かに救い出すことができるであろう」。』(1サムエル記30:8)
ダビデは、非常に控えめに、勇気を振り絞って、主に問いかけをした。
主はそれに対し、「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる。」と、明確に、しかも、ダビデが問うた以上の答えを示して下さった。
久しく主を忘れ、身勝手にふるまい、それで窮地に陥った時、ようやく主を思い出し、主に問いかける祈りに、主は答えて下さる。
主はなんと恵み深いお方であろうか。

私達は、サタンという「アマレク」に、何を奪われて来ただろうか。
どんな「ペリシテの地」で、消耗して来たであろうか。

私達の人生の中で、家族、友人、金銀、時間、若さなど、かけがえのないものがサタンに奪われ、また自分の愚かさ故に消耗して来たかもしれない。
ダビデは、主にあって奮い立ち、主に問うた。
「この略奪隊を追跡すべきでしょうか。追いつけるでしょうか。」
私達も、追うべきである!
どうしてキリストにあって聖とされたものが、サタンに、いいようにされて良いだろう。

このダビデの告白を、私達も告白し、信仰によって奮い立ち、奪われて来たものを主にあって追いかけ、大胆に奪い返す皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

祝福と天才とを生み出す御言葉の教育法(申命記6:1-9)
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昨日までの6日間、韓国にてCohen University 博士課程の講義を受けて来た。ここではユダヤ人が律法を脈々と受け継がせて来た方法、”ヘブル的思考”によって、徹底して御言葉を構造分析している。
学長であるCohen博士は、大祭司アロンの直系子孫で、子供の時から祭司としての教育を徹底して受けたが、クリスチャンとなったため、ユダヤ社会から除外されてしまったが、そのお陰(?)で、彼が受けたユダヤ人の優れた教育法を、そして、祭司としての特別な教育法が、キリスト者達へともたらされた。
ユダヤ人が徹底して旧約聖書と向き合っているように、この学校は、新・旧約聖書に徹底して向き合っており、そこは天声教会が今まで取って来たスタンスと共通している。
今回、御言葉に徹底して向き合うなら、どんな素晴らしい祝福が、どんな幸いが待っているかを学びたい。

今回の箇所は、イスラエルに与えられた戒めの中で最も重要なものである。この一連の命令の中で、特に繰り返し強調されている事は、「聞きなさい」「子孫達に教えなさい」「守り行いなさい」である。
この「聞く事」、「子に信仰を受け継がせる事」、「守り行う事」は、今日のクリスチャンにも非常に大切な教えであり、それを守り行うなら、そこに記されている通り幸いを得、長く命を保つ事が出来、乳と蜜の流れる地で、大いに増え広がっていく事が出来ると約束されている。(申命記6:2-3)
「乳と蜜の流れる地」は、モーセ五書では良く聞く言葉だが、乳は、聖書の他の箇所では御言葉をあらわし(1ペテロ2:2)、蜜もまた、御言葉をあらわす。(エゼキエル3:3、詩篇119:103、黙示録10:10)
御言葉をよく咀嚼し、噛み締め、味わい、親しめば親しむ程、蜜のように甘く、乳のように滋養に富んだものである事が分かり、ますます豊かないのちを得て行くのだ。
『イスラエルよ聞け(ヘブル語:シェマー・イスラエル)。われわれの神、主は唯一の主である。』(申命記6:4)
この言葉は、ユダヤでは朝夕の祈りの中心的言葉であり、夜寝る前の言葉として言い合っている。
『あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。』 この言葉も福音書に何度も出てくる言葉で、イエス様が「律法の中で最も重要な戒め」とした程、重要な言葉である。
もし誰かから「聖書の中で最も大事な戒めは何か」と聞かれた時は、すぐにこの言葉を答えられるよう、心しているべきであり、神の民であるなら、日々、それを実際的に守っていくべきである。

『きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。』(申命記6:6-7) 御言葉を子供に教える事、これも大切な事であり、ユダヤ人はそれによって、御言葉の一点一画も損なう事なく何千年も脈々と継がせて来た。聖書の示している「子育て」の中で、最も優先すべき事は、御言葉を教えることであり、寝ても覚めても、家の中でも家の外でも、御言葉を口ずさむ事である。
皆さんは、子供に習い事をさせたり、受験させたりする事以上に、御言葉を教える事に心砕いて来ただろうか。御言葉を昼も夜も口ずさみ、守り行わせるのであれば、学業も自然と祝福され、優秀になって行く。
箴言に書いてある。もし御言葉を受け入れ、蓄え、耳を傾け、心を向けるなら、またもし御言葉を呼び求めて声をあげ、銀のように、隠された宝のように探り出すなら、主を恐れることを悟り、神の知識を見い出し、主が知恵を与え、御口を通して知識と英知を与えられるのだ。(箴言2:1-6)
実際、ユダヤ人は世界人口の0.25%しかいないのに、ノーベル賞の20%を獲得している。彼らは3歳から御言葉を覚え込ませ、13歳の成人式(バル・ミツバ)までには、モーセ五書はほぼ丸暗記しているのだ。

このヘブル教育法を取り入れたある一家の子供は、下の子は箴言を6章まで、上の子は15章までを暗記した。ユダヤ人は旧約しか学ばないが、キリスト者がヘブル式教育によって新約聖書も覚えて行くなら、将来、どんなに優れた子になるだろう。天声でも御言葉を覚えるという事を、自然に行うようになったが、御言葉を覚えるようになった聖徒たちが、明らかに造り変えられている様を、日々、目の当たりにしている。
もちろん、御言葉を単に丸暗記するだけでいのちが得られる訳ではない。サタンさえ御言葉を丸暗記し、それを死の道具として用いている。主イエスを愛する心と共に、御言葉を信仰によって混ぜるべきである。
豊かに御言葉と交わり、豊かに祝福される皆さんでありますように!イエス様の名前によって祝福します!

父の深い愛と憐れみと赦し(マタイ9:18)
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本日は、父の日である。昔は「地震、雷、火事、親父」と、怖いものの一つに「親父」が数えられていた。
現代日本はそうでもなくなってしまったかもしれないが、聖書が示す一家の中心は、父である。
聖書の「父」は、威厳があり強いと同時に、深い愛と憐れみ、赦し、恵みをも性質として備えている。
強さも威厳も、そして、愛、憐れみ、赦し、恵みも、父なる神様のご性質である。
父は、強さや威厳をもって一家を支配する事も確かに必要であるが、同時に、愛と憐れみが必要である。
愛の反対語は「無関心」と言われている。父たる者は、子供たちや妻に対し、無関心であってはならない。
『そこにひとりの会堂司がきて、イエスを拝して言った、「わたしの娘がただ今死にました。しかしおいでになって手をその上においてやって下さい。そうしたら、娘は生き返るでしょう」』(マタイ9:18)
普通なら死んでしまったなら絶望して諦めるが、この父は、死さえもたじろがない、娘への深い愛と憐れみがあった。究極的の「無関心の反対」である。その憐れみの心が、イエス様を動かした。
イエス様を動かすものは、憐れみの心である。「はらわたがちぎれる思い(スプランキニゾマイ)」は、主の思いであり、人がそれに突き動かされて、主に向かう時、それが神と人とをつなぐ通路となり、奇跡の元となる。

主の癒し、主の奇跡が流れて行くための「通り良き管」とは何か。それはこの父のように「イエス様助けて下さい!」という、憐れみの心だ。百人隊長も、ツロ・フェニキヤの女も、この「憐れみの心」をもってイエス様に臨み、イエス様を動かさせ、癒やしの力を引き出し、相手を癒やさせた。(マタイ8:5-13、マルコ7:24-30)
確かに、本人のイエスを信じる信仰が、その人を癒し救うものであり、また、御言葉の通りに成ると信じ行う人には、その通りになる。その事はこの教会で何度も強調して来た事であるが、主は、信仰が弱い人、罪に勝てない弱い人も、全ての人をも、救いたいのだ。
私達は何かと、信仰が無い人、頑なに罪に留まって改めない人、無知や愚かさ弱さゆえに災いに遭っている人を見ると、嫌だな、離れたいなと思いがちであるが、主はそんな彼らをも、癒し、救いたいのだ。
そのような人々を癒し救うのが、この会堂司のような、愛と憐れみを伴った、主イエスへの執り成しである。
私達はそのような人を見た時、裁いたり見捨てたりするのではなく、「ああ、あの人はそのままでは罪に陥って死んでしまう、大変な事になる!イエス様助けて下さい!」と執り成し、憐れみの心をもって祈るべきだ。
この会堂司も、百人隊長も、ツロ・フェニキヤの女も、共通して、一方的に執り成したのであり、癒された側の人達の信仰や行ないは、一切関係無かった。本人達はただ、病でうなされただけ、ただ悪霊に憑かれていただけ、ただ死体となって横たわっていただけだった。そこに、父の、母の、上司の「深い愛と憐れみを伴ったイエス様への執り成し」が、イエス様を動かさせ、癒やしを引き出したのだ。
放蕩息子の父は、弟息子が身勝手に自分から離れ散財していた時も、兄息子がずっと心無しに仕えていた時も、決して断罪したり裁いたりせず、いつも見守り心にかけていた。それが父なる神様のご性質である。

良き父は、家族のために祈り、気を配り、祭司として執り成し祈るものである。そして祝福の家庭となるために、子が死に追いやられそうな時には、会堂司のように深い憐れみと愛によってイエス様に行くべきである。
大富豪であるヨブは、子供達の誕生日を祝い、それが一巡する度に彼等を呼び寄せ祝福していた。
いつも家族を覚え祝福する父がいる家庭が、信仰の偉人一家の、大富豪一家の特徴である。
アブラハム、イサク、ヤコブも、ボアズも、ダビデも、信仰の父たちは例外なく家族を祝福した。
そして、父の霊的頑張りにだけ頼るのではなく、妻や子達にも、夫に父に対する責任がある。
父が安心して世で戦い、一家の大黒柱として喜んで家族を養い、喜んで家族を祝福でするために、子供たちは父に従うべきであり、妻は夫を敬うべき事が、聖書に記されている。(エペソ6:1-3)
それをしないなら呪いを受けてしまう。ダビデの妻ミカルは夫を心で蔑み軽んじたため一生子が無く、ノアの息子ハムは父の裸をじっくりと見、兄弟たちに言いふらし、一緒に見るよう招いたために、呪いを受けた。
『子たる者よ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことである。「あなたの父と母とを敬え」。これが第一の戒めであって、次の約束がそれについている、「そうすれば、あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう」。父たる者よ。子供を怒らせないで、主の薫陶と訓戒とによって彼らを育てなさい。』(エペソ6:4)この祝福の原則によって歩む皆さんでありますように!イエス様の名前によって祝福します!

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
魔術師と預言者の違い(使徒8:5-25):右クリックで保存

静岡出張メッセージ音声(音声のみ)
異邦人で最初に洗礼を受ける栄誉に与った宦官(使徒8:26-40):右クリックで保存

早天祈祷会 礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
海に命じよ(出エジプト記14:15-16):右クリックで保存

マタイによる福音書講解説教メッセージ音声(音声のみ)
カイザルのものはカイザルに、神のものは神に(マタイ22:15-22):右クリックで保存

イザヤ書講解説教メッセージ音声(音声のみ)
やり過ぎたアッシリヤに対する災いの預言(イザヤ10章):右クリックで保存

つくばエクレシア礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
愛によって働くしるし(ガラテヤ5:6):右クリックで保存

火曜早天祈祷会 礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
すごいけれど壊れたシンバルのような人(1コリント13章):右クリックで保存

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