メッセージ - 201412のエントリ

つくばエクレシア合同賛美礼拝

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その他音声
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pastor 2014-12-24 14:46

つくばエクレシア合同賛美礼拝(音声のみ):右クリックで保存

チラシ

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
主の牧場を汚す羊もどきへの宣告(エゼキエル34:17-24):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
怠慢な羊飼いへの主の宣告(エゼキエル34:1-16):右クリックで保存

羊飼い達 - 忠実な養い人達への特別な現れ(ルカ2:8-20)
第一礼拝・礼拝全体音声:右クリックで保存
賛美集会音声:右クリックで保存
第二礼拝・礼拝音声(韓国語通訳有한국어예배):右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

イエス様の誕生を祝いに来たのは、博士たちの他に、もう一組あった。羊飼い達と羊達である。
博士(マゴス)たちは、異邦人でありながら、キリストのおとずれをイスラエルの誰よりも早く察知し、自ら贈物を携え、遠くから旅して来たのに対し、羊飼い達はベツレヘム(意味:パンの家)近辺に住んでいたが、主のお生まれは知らなかった。しかし、主の御使達によって、直接的にメシヤのおとずれを告げられるという栄誉にあずかる事が出来た。今回、そのような栄誉に与る事の出来た彼らの性質を見て行きたい。

羊飼いの仕事は、羊達が十分に食べる事ができるよう牧草地や水のほとりへと導き、野獣が現れた時には、杖やむち、石投げ等を用いて追い払う事である。羊は近視眼で、愚かで、養うのに忍耐と手間がかかる。
そんな面倒臭い羊の面倒なんか見たくないからか、イエス様がお生まれになる時代は、羊を飼う職業よりも、商売人になったり、王宮で仕えたりと、より楽で華やかな職業へ、人々は流れて行ったのかもしれない。
当時のイスラエルでは、羊飼いは卑しい仕事とされ、住民登録にも呼ばれない程だった。
しかし、私達・教会は、まことの羊飼いであられるイエス様を中心とした、羊飼いと羊達の集団である。
羊飼いの祖先はアベルで、アブラハムも、その子たちも皆、牧者として生活して来た。モーセもダビデも皆、羊飼いを経験して来た。そしてまことの羊飼いは、主キリストである。羊飼いは、神の民の性質とも言える。
羊飼いという「主の働き人」たる資格は、「イエス様を愛します」という告白にある。ペテロは主から「わたしを愛するか」と3度問われ、彼は「はい」と応える度に「わたしの羊を飼いなさい」と言われた。(ヨハネ21章)
現代の教会も、まことの牧者であるイエス様に養われるべき羊たちを、養い、育て、訓戒するべきなのだ。

主のお生まれを告げ知らされる栄誉に与ったのは、羊飼いである。彼らにメシヤのおとずれが告げ知らされた時は、夜、人々が眠る時間であり、その時、彼らは目を覚まして、羊たちを見守っていた。(8節)
クリスマスのイメージといえば、やはり夜であり、闇世の中で光を輝かせる性質が、クリスマスにはある。
同じように、キリストがやがて来られる時も、夜のような闇の時代であり、その中でメシヤのおとずれにあずかれる人とは、霊的にいつも目を覚まし、養うべき羊達を、汚いなどと言って厭う事無く忠実に養い、食事時にはきちんと食事を与える、思慮深く、いつも心ぞなえしている人である。(マタイ24:42-51)
主は、羊飼い達に「恐れるな」と言われた。そして、全ての民に与えられる大きな喜びを「あなたがたに」伝える、と言われ(10節) また、救い主が「あなたがたのために」お生まれになった、とも告げられた。
救い主の恩恵に真っ先にあずかれるのは、羊飼い達であり、彼らに与えられるしるしとは、「幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてある」事。きょう、私達のためにお生まれになった救い主、キリストは、なんと粗末な布にくるまれ、馬のエサ箱に入れられ寝かされているという。ユダヤ人の王であられる尊いお方であるはずのキリストは、何ととぼしく、何と低く、卑しくなられただろう。そのお陰で、卑しく貧しい私達でも、救い主のおとずれを祝い、喜び、そこに集う事が出来るようになったのだ。

『するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。』(13−14節)
この賛美は、なんと荘厳で、美しいハーモニーの内に歌われたであろうか。この賛美は、何万もの聴衆が集う世界最大の劇場のような所でこそ相応しいと思うものだが、これに同席できた者は、僅かな羊飼い達と、羊達だけだった。なんともったいない、と思うかもしれないが、それが主の方法である。
主は、主の恵みを受け取るべき人には、これ以上無いと思える程のゴージャスな恵みを与えてくださるが、それは限られた聖徒達へ密かに与えられるものであり、そうでない者には、決してあずかれないのだ。
羊飼い達は、このお告げを受けた時、急いで見に行った。彼らは博士達のような捧げ物は持っていなかったが、「御声に聞き従い、すぐに行動する」という、雄羊の脂肪にも勝るいけにえを捧げた。(1サム15:22)
私達は王になりたがったり、王宮のような華やかな晴れ舞台でラクに活躍したい所があるが、主はむしろ、羊飼いのように、養いを必要としている羊の面倒を、労苦を厭わず率先して行う人にこそ、現れてくださる。
この暗闇の時代、御言葉のパンの家で、主の羊達を忠実に養い、誰にも味わう事の出来ない素晴らしい救いのおとずれと、栄光の賛美に与る皆さんでありますように!イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
霊的アルバイターを卒業せよ(創世記17:1-5):右クリックで保存
祈り会音声:右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
世の法則を上塗りする神の国の法則(マタイ15:29-39):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
花嫁を迎えた花婿の喜び(雅歌4:1-8):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
悟る人と悟らない人マタイ(2:7-12):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声:暴走して何もかも破壊した後に残ったもの(士師記21:1-15):右クリックで保存

『かつてイスラエルの人々はミヅパで、「われわれのうちひとりもその娘をベニヤミンびとの妻として与える者があってはならない」と言って誓ったので、民はベテルに行って、そこで夕暮まで神の前に座し、声をあげて激しく泣いて、言った、「イスラエルの神、主よ、どうしてイスラエルにこのような事が起って、今日イスラエルに一つの部族が欠けるようになったのですか」。』(士師記21:1-3)

彼らは、どうしてイスラエルにこのような事が起ったのですか、と主に叫んだが、全て、自分達で引き起こした事ではなかっただろうか。

ベニヤミン族の悪行について興奮し、議論を飛ばし、彼らの罪に報復するまでは自分らは決して帰らない、と、戦いを仕掛けたのも自分達であるし、2度の敗北の末にやっと勝利した時には、当該の町以外にも攻め入り、女子供や家畜さえも虐殺し、自分の娘は、ベニヤミンには一切嫁がせない、と誓ったのも、自分達ではなかったか。
そのために、ベニヤミンは女子供は全員殺されてしまい、男たち600人ほどだけしか生き残りがなくなってしまった時に、はじめて後悔したのだ。

私達もよく、そのような過ちを犯しやすい。
怒るべき物事が起きたとき、御心を伺う事も、御言葉に聞く事さえしないで、自らを奮い立たせたり、人間同士で議論し意見を述べ合ったりして激昂し、暴走し、後に自分のしてしまった破壊の跡を見て「主よ、なぜこのような事が起きたのですか」と言ってのけるような事を。

『翌日、民は早く起きて、そこに祭壇を築き、燔祭と酬恩祭をささげた。』(士師記21:4)
この事は一見、信仰深いように見えても、実は、律法違反である。
申命記12章によると、主に捧げ物を捧げるのは、ただ主が選ばれた場所でのみ許されており、それ以外の場所に祭壇を築いていけにえを捧げる事は反逆に等しい行為である。
実際、ヨシュアの時代に、ルベン、ガド、マナセの半部族が、自前の場所に祭壇を築いた故に、全イスラエルを巻き込む戦争に発展しかねない事態にまで陥った事は、記憶に新しいはずだ。
彼らは一見、熱心に神に仕えている「つもり」でいて、実は御心にそぐわない事ばかりしているのだ。
このように、御心を外した「ひとりよがりの熱心」は、神にも人にも迷惑な害悪でしかない。

『そしてイスラエルの人々は言った、「イスラエルのすべての部族のうちで集会に上って、主のもとに行かなかった者はだれか」。これは彼らがミヅパにのぼって、主のもとに行かない者のことについて大いなる誓いを立てて、「その人は必ず殺されなければならない」と言ったからである。彼らはまた言った、「イスラエルの部族のうちで、ミヅパにのぼって主のもとに行かなかったのはどの部族か」。ところがヤベシ・ギレアデからはひとりも陣営にきて集会に臨んだ者がなかった。』(士師記21:5-8)

彼らは、今度は自分達が立てていたもう一つの誓い、すなわち、自分達と共に集まらなかった者は必ず殺されなければならない、という誓いを持ち出して、その者を探し出す事に取り掛かる。
彼らは主の御名を用いてはいるが、それは、主を敬っているからではない。
彼らは主の御旨よりも、自分達の意見を優先しており、自分の思い通りに行かせる道具として、主の御名を用いているに過ぎない。
あたかも、暴走族のリーダーが、自分の召集に集わなかった者をリンチする心情に似ているが、彼らは暴走族よりもひどいことに、町ごと殺してしまうのだ。

『そこで会衆は勇士一万二千人をかしこにつかわし、これに命じて言った、「ヤベシ・ギレアデに行って、その住民を、女、子供もろともつるぎをもって撃て。そしてこのようにしなければならない。すなわち男および男と寝た女はことごとく滅ぼさなければならない」。こうして彼らはヤベシ・ギレアデの住民のうちで四百人の若い処女を獲た。これはまだ男と寝たことがなく、男を知らない者である。彼らはこれをカナンの地にあるシロの陣営に連れてきた。』(士師記21:10-12)

彼らはつい先日、ベニヤミン族ごと虐殺してしまったのに、今度は、ヤベシ・ギレアデの住人を殺戮して、若い処女たちを奪って来てしまう。
もはやイスラエルは、兄弟同士で殺しあう事を何とも思わなくなってしまったようである。
彼らは、自分の立てた誓いの結果、不都合が生じた場合、自分が悔い改めるのではなく、その不都合分を補填するために、町ごと殺して、そこから若い処女たちを得たのだ。
彼らは自分達の立てた誓いのゆえに、イスラエルの一部族を虐殺し、一つの町を虐殺して若い処女たちを奪った。
もう、何が何やらである。

『そこで全会衆は人をつかわして、リンモンの岩におるベニヤミンの人々に平和を告げた。ベニヤミンの人々がその時、帰ってきたので、彼らはヤベシ・ギレアデの女のうちから生かしておいた女をこれに与えたが、なお足りなかった。こうして民は、主がイスラエルの部族のうちに欠陥をつくられたことのために、ベニヤミンをあわれんだ。』(士師記21:13-15)
彼らは、ベニヤミンのために女たちを得たつもりだったが、なお足りなかった。
そこで彼らはさらに、別の解決案を考案し、さらに良くない代償行為を積み重ねようとしている。

イエス様は言われた。
『また昔の人々に「いつわり誓うな、誓ったことは、すべて主に対して果せ」と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。いっさい誓ってはならない。・・・あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。』(マタイ5:34-37)

結局、かろがろしく誓ったり、身勝手な口約束を乱発する事は、自分と他人をがんんじがらめにしてしまい、その結果色々な不都合が生じ、それを補填するために、さらに別の代償行為を乱発して、どんどんいびつな形になって行くという、負の連鎖が生まれてしまう。
だから、はいははい、いいえはいいえ、だけ言うべきで、それ以外は、悪から来るのだ。

自分の立てた誓いや、決まり事は、大勢を殺してでも尊守させ、それでいて、肝心の御言葉は実行しないというのは、パリサイ人の罠である。
『イエスは彼らに答えて言われた。「なぜ、あなたがたも、自分たちの言い伝えのために神の戒めを犯すのですか。・・・こうしてあなたがたは、自分たちの言い伝えのために、神のことばを無にしてしまいました。偽善者たち。イザヤはあなたがたについて預言しているが、まさにそのとおりです。『この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』」』(マタイ15:3-9)
「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(マタイ9:12-13)

私達は自分の頭で考案した方法を人に押し付けたり、また自分自身それによって縛られるのでなく、御心を求め、御言葉を守り行う者でありたい。

礼拝説教メッセージ音声:遂行されたベニヤミンに対する主の裁き(士師記20:29-48):右クリックで保存

重なる敗北の末、真剣に主の前に立とうと努力したイスラエルに、主は、勝利の約束を与えて下さった。

すぐに勝利が与えられなかった事は、実は恵みである。
もし、彼らがすぐに勝利していたとしたなら、真剣に主を呼び求める努力もせず、悔い改めも無いまま、さらに悪くなって行っただろう。

『そこでイスラエルはギベアの周囲に伏兵を置き、そしてイスラエルの人々は三日目にまたベニヤミンの人々のところに攻めのぼり、前のようにギベアに対して備えをした。』(士師記20:29-30)
伏兵と言えば、ヨシュア記を思い出す。
ヨシュアの時代も、エリコでの勝利に慢心し、主に伺いも立てずにアイの町を攻めて行った結果、敗北し、36人が打たれてしまったが、その時ヨシュアは対応が早かった。
彼はすぐにへりくだって主に伺い、自分達の中に聖絶のものがある事が示され、それを除き去った結果、すぐに主の守りが戻った。
その際、主は伏兵を用いて戦うように示され、ヨシュア達はその通りに戦って、勝利を得た。
今回の戦いでは、伏兵を置くように特に指示はされていないが、きっとイスラエルは信仰の先祖達の歴史をひもとき、彼らの信仰に倣ったのだろう。

『ベニヤミンの人々は出て、民を迎えたが、ついに町からおびき出されたので、彼らは前のように大路で民を撃ちはじめ、また野でイスラエルの人を三十人ばかり殺した。その大路は、一つはベテルに至り、一つはギベアに至るものであった。ベニヤミンの人々は言った、「彼らは初めのように、われわれの前に撃ち破られる」。しかしイスラエルの人々は言った、「われわれは逃げて、彼らを町から大路におびき出そう」。
そしてイスラエルの人々は皆その所から立ってバアル・タマルに備えをした。その間に待ち伏せていたイスラエルの人々がその所から、すなわちゲバの西から現れ出た。すなわちイスラエルの全軍のうちから精兵一万人がきて、ギベアを襲い、その戦いは激しかった。しかしベニヤミンの人々は災の自分たちに迫っているのを知らなかった。主がイスラエルの前にベニヤミンを撃ち敗られたので、イスラエルの人々は、その日ベニヤミンびと二万五千一百人を殺した。これらは皆つるぎを帯びている者であった。』(士師記20:31-35)

この戦いは、主(エホバ)が戦われた、と記されている。
主は侮られるような方ではない。いつまでも悪が罰せられないまま生き残って栄えるわけではない。
最初と、2回目の戦いでは、ベニヤミン族が勝利したが、それによって彼らがますます驕り高ぶり、その者達をいちどきに滅ぼすために、敢えて泳がされていたのだ。
『まことにあなたは彼らをなめらかな所に置き、彼らを滅びに陥らせられる。なんと彼らはまたたくまに滅ぼされ、恐れをもって全く一掃されたことであろう。』(詩篇73:18-19)

主は、ソドム以下の罪を犯すような者がいつまでも勝ち誇る事を、許されない。
その者の奢りが誰の目にも明確となり、「滅ぼされるに相応しい」というリミットに達したある時、滅びが適用されてしまうのだ。
ゆえに、悪者がますます栄えるのを見た時、その者の終わりが近づいていると思って良い。

『その時イスラエルの人々が向きを変えたので、ベニヤミンの人々は災が自分たちに迫ったのを見て、うろたえ、イスラエルの人々の前から身をめぐらして荒野の方に向かったが、戦いが彼らに追い迫り、町から出てきた者どもは、彼らを中にはさんで殺した。』(士師記20:41-42)
このようにして、主による、ベニヤミンへの正当な裁きが為された。
ソドムは、地獄の炎で焼きつくされたが、神の民と呼ばれる者の、主をも恐れぬ横暴さへのさばきは、神の民の剣と、火による。
『すると、獣は捕えられた。また、獣の前でしるしを行ない、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕えられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている”火の池”に、生きたままで投げ込まれた。残りの者たちも、馬に乗った方の口から出る”剣”によって殺され、すべての鳥が、彼らの肉を飽きるほどに食べた。』(黙示録19:20-21)

『しかし六百人の者は身をめぐらして荒野の方、リンモンの岩まで逃げて、四か月の間リンモンの岩に住んだ。そこでイスラエルの人々はまた身をかえしてベニヤミンの人々を攻め、つるぎをもって人も獣もすべて見つけたものを撃ち殺し、また見つけたすべての町に火をかけた。』(士師記20:47)
イスラエルの民も、ベニヤミン族にも勝るとも劣らない野蛮さがある。
律法では、町ぐるみで偶像礼拝が行われていたなら、その町を聖絶し尽くすべき事は確かに記されているものの(申命記13章)、実際に罪が行われたギブアのみならず、周辺のベニヤミンの町々までも、見つけ次第、女子供や家畜さえ虐殺し、滅ぼし尽くしたのだ。
(もっとも、その律法に照らすなら、偶像礼拝はイスラエル全体ではびこっているわけであるから、イスラエルは誰も彼も、滅ぼし尽される対象となるはずだが)

兄弟姉妹が悪い事を犯した時、それを大上段に振りかざして、何をしても良いとばかりに仕返しするのは、横暴である。
当時のイスラエルは、その過度の横暴の故に、神が育まれたイスラエル12部族から、一つが欠けてしまう危機に陥った。

イスラエルは、御言葉が無い故に暴走し、自分達の罪という壁のあちこちにぶつかって、傷を受け、とても痛々しく悲しい所を通らされている。
主は、待っておられる。
彼らが自分達の罪に懲りて、主に立ち返る事を。
私達は、この士師記から戒めを得て、決して御言葉から離れる事なく、主の道を外さずに歩む者でありたい。

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