メッセージ - 201412のエントリ

礼拝説教メッセージ音声:何もかも失った末に届いた風の便り(ルツ記1:6-7):右クリックで保存

ナオミは当初、ユダヤのベツレヘムでエリメレクと結婚し、二人の息子にも恵まれ、幸せに暮らしていた。

しかしある時、飢饉が来て、パンが無くなり、モアブに移り住む事にした。
モアブに来た当初は、パンにありつけて、「来て良かったね」と家族内で語り合っていたかもしれないが、結論を言うなら、神の国を離れて異邦の地に来てしまった事が、全ての災いの始まりであった。

神の民にとって、「神の約束の地」を捨てて、肉的なものを求めて外へと行く事は、さらに酷い災いを招いてしまう事になる。これは聖書の法則である。
このような時は、神から賜った叱責から逃げずに、しっかり従順と忍耐を学ぶべきなのだ。
この一家は、目の前の困難から逃げ出したいばかりに、安易な解決方法に飛びついてしまい、 取り返しのつかない事になってしまった。
夫のエリメレクは死に、ほどなく、息子達も一人、また一人と死んで行き、ただナオミと義理の娘たちだけが残されてしまった。

『その時、ナオミはモアブの地で、主がその民を顧みて、すでに食物をお与えになっていることを聞いたので、その嫁と共に立って、モアブの地からふるさとへ帰ろうとした。そこで彼女は今いる所を出立し、ユダの地へ帰ろうと、ふたりの嫁を連れて道に進んだ。』(ルツ記1:6-7)
主の民から離れて10年が経ち、モアブの野で淋しく取り残されてしまったナオミに届いた、風の便り。
主がご自分の民を顧みて、食べ物をお与えになった、というこの風の便りは、彼女の心に、神の国である故郷を思い起こさせ、「わたしのもとに帰っておいで」という、主からの優しい語りかけとして響いただろう。

私達は、このような主からの語りかけを聞いていないだろうか。
聞いていながらにして、敢えて御心から離れたりしていないだろうか。
ナオミは、神の国に帰るまでに、10年もかかってしまい、その間、夫に先立たれ、息子にも先立たれてしまった。

放蕩息子(ルカ15:11-32)は、父の元に帰るまでに、何年かかったかは記されていないが、莫大な財産を全て放蕩し尽くし、何もかも失ってしまって、豚のエサでもいいから食べたいと思うまでに落ちぶれてしまった時、ようやく我に返った。
父なる神様の元を離れ、自分で好きなようにやって成功して行ける、と思っている「神の子」は多い。
しかし結局、神の子は、父なる神の元でしか生きられず、そこから離れるとするなら、何もかも使い果たす以外に無いのだ。
どん底まで落ちぶれて、自分がいかに神様から離れ、神の子たるに相応しい形から離れてしまったか。
我に返る所から、回復は始まる。

ナオミは、ついには帰る事にした。
大切なものを何もかも失い、結局、自分の拠り所は、主の元にしかないのだ、と思い起こして。
そこから、ナオミ自身と、そしてエリメレクの家の回復が始まる。

『わたしは確かに、エフライムが/こう言って嘆くの聞いた、『あなたはわたしを懲らしめられた、わたしはくびきに慣れない子牛のように/懲らしめをうけた。主よ、あなたはわたしの神、主でいらせられる、わたしを連れ帰って、もとにかえしてください。わたしはそむき去った後、悔い、教をうけた後、ももを打った。若い時のはずかしめが身にあるので、わたしは恥じ、うろたえた』。
主は言われる、エフライムはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ子であろうか。わたしは彼について語るごとに、なお彼を忘れることができない。それゆえ、わたしの心は彼をしたっている。わたしは必ず彼をあわれむ。みずからのために道しるべを置き、みずからのために標柱を立てよ。大路に、あなたの通って行った道に心を留めよ。イスラエルのおとめよ、帰れ、これらの、あなたの町々に帰れ。不信の娘よ、いつまでさまようのか。主は地の上に新しい事を創造されたのだ、女が男を保護する事である」。』(エレミヤ31:18-22)

キリストにあって神の子とされた私達がいるべき場所は、主・キリストの御元以外には無い。
もし離れているとするなら、ナオミのように帰り、また、もし離れているキリスト者がいるなら、彼らを主の御元へと連れ帰る皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
御言葉の蜜を食べよ(箴言24:13):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
主により頼んで歩め(ヨシュア記23章):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声:ルツ記概要(ルツ記1:1-5):右クリックで保存

ルツ記は、ヘブライ語でメギラット・ルツ、「ルツの巻物」の意味である。
ルツの名には「美」「友情」の意味があるので、ユダヤ人には「美の巻物」「友情の巻物」の意味で呼び交わされているのだろう。

ルツ記は今までの書に比べれば、とても短く、4章しかない。
そのストーリーは、異邦のモアブ人女性・ルツが、イスラエルの神・主の庇護を求めてイスラエルへと入り、不思議な導きによって、ベツレヘムの有力なユダ族の男性・ボアズの元へと嫁いで行く内容であり、この夫婦からイスラエルの偉大な王・ダビデが生まれ出て来る系図で終わる。
士師記の荒んだ時代の中において、主を信じる人達に対する主の慰めが、ひときわ輝く「美の巻物」と言える。

聖書の書名には、男性の人名がそのまま表題とされる事は多いが(ヨシュア記、イザヤ書など)、女性の名が記されるのは少ない。
しかも、イスラエルでは蔑まれている異邦のモアブ人の女の名が、そのまま聖書の表題となるのは、例外中の例外と言える。

主の会衆から最も遠いはずの者が、主の会衆に加えられ、救いから最も遠いはずの者が、救いへと入り、そして永遠の書物に、名が記される。
それは、私達を含めた神の民にとって、慰めに満ちた恵みであり、それは福音の醍醐味である。

滅びと救いとの間を立ち塞ぐ絶対的な壁を超えるものは、ずばり、信仰だ。
ルツは、まさに信仰によって救われ、永遠の家系へと入る事が出来た。

『さばきづかさが世を治めているころ、国に飢きんがあったので、ひとりの人がその妻とふたりの男の子を連れてユダのベツレヘムを去り、モアブの地へ行ってそこに滞在した。ふたりの男の子はそれぞれモアブの女を妻に迎えた。そのひとりの名はオルパといい、ひとりの名はルツといった。彼らはそこに十年ほど住んでいたが、マロンとキリオンのふたりもまた死んだ。こうしてナオミはふたりの子と夫とに先だたれた。』(ルツ記1:1-4)
ルツ記の時代は、さばきづかさが世を治めているころ、つまり、士師記の時代である。
人々は御言葉を無視し、おのおのが好き勝手な道に歩み、自らが犯した罪の刈り取りの災いにあえいでいる時代だった。

ベツレヘム出身のエリメレクと、その家族とは、飢饉のため、パンを求めて異邦の地・モアブへと移住したが、男性陣は早速、全滅してしまう。
彼らは、主が植えて下さった約束の地・ベツレヘムに住んでいたのに、そこを離れると、すぐに災いが降ってしまった。
ベツレヘムは「パンの家」という意味であり、このベツレヘムから離れた者は、大体、ろくなことが起こらない。(士師記17章、19章)
しかし、このベツレヘムから離れずにいて、士師記の混迷の時代でも着実に有力者として育っていった者もあった。(後述)

『マロンとキリオンのふたりもまた死んだ。こうしてナオミはふたりの子と夫とに先だたれた。』(ルツ記1:5)
こうしてベツレヘムから出たエリメレクの家で生き残ったのは、ナオミだけとなってしまったが、彼女は、息子たちに嫁いできたモアブの女を十年も立たない内に信仰者へと育て上げる、素晴らしい信仰の持ち主だった。
夫を失い、息子たち全員も失ってしまった彼女は、生きているだけでも辛い状況となってしまったが、主は決して、信仰者を辛い状況のままで捨て置かれない。

ルツ記は、今までの書とは違って、主ご自身が直接的に現れて、奇跡を起こしたり、災いを起こしたりする記述は、一切無い。
ただ、主に信頼する人々が、信仰によって何かを起こした結果、主が彼らに働き、幸いなほうへと導いて下さっる事が、記されている。
現代も、主は信仰者を辛いまま捨て置かれる事は無く、必ず働いてくださり、幸いなほうへと導いてくださるのだ。
主は信仰者にどのように働いてくださるか、このルツ記から学んで行きたい。

鳩 - 御言葉を口に咥え全地へ羽ばたく性質(創世記8:11)
第一礼拝・礼拝全体音声:右クリックで保存
賛美集会音声:右クリックで保存
第二礼拝・礼拝音声(韓国語通訳有한국어예배):右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

今日は、今年最後の主日礼拝となる。今年最初の主日礼拝で示されたのは、意外にも「鳩」についてだったが、一年を振り返るに、まさに、創世記に登場する「鳩」の性質を体現した一年だった。
ノアの洪水の時、全地は裁きの水によって覆われ、圧倒的な死と絶望の上に浮かんでいた箱舟に、希望の光を届けたのは、鳩だった。鳩は、そのくちばしに、オリーブの若枝を咥え、箱舟のノアの所に戻ってきた事によって、平和と希望が、いのちが、少しずつ戻ってきた事を、箱舟の皆に伝えたのだ。

この天声は今年、横浜という垣根を超え、茨城や静岡、埼玉にある教会や家庭、施設など、色々な地の色々な聖徒たちへ、御言葉というオリーブの若枝を届ける機会が多かった。
私達がくわえて届けるべきオリーブの若枝とは、御言葉である。御言葉を、信仰を混ぜて宣言するなら、それはいのちとなり、いのちとなった御言葉が進む所・入る所には、いのちが増し加わり、その所の人が、いかに死で覆われていようとも、いのちに飲み込まれ、いかに闇に覆われていようとも、光が広がって行く。
御言葉は、まさに生きていて、力があり、それを蓄える人、反芻する人は、ますます力を得、造り変えられ、清められる。これによって良く養われた人は、ますますいのちを届ける鳩として用いられて行く。

今年はまた、聖徒たち一人ひとりの御言葉の領域が、格段に広がった一年であった。
一人ひとりが、信仰を混ぜて御言葉を宣言する事によって、ある人は病を追い出し、ある人は悪霊を追い出し、求めていた道が示され、死をいのちで飲み込んで行った。
毎年クリスマスイブ礼拝では、聖徒達一人ひとりに御言葉宣言をしていただいているが、今年は、宣言した御言葉の中に各々の信仰がじっくりと練りこまれ、いのちが熟成し、去年以上に芳醇な香りを放っていた。
この一年、御言葉をしっかり口に咥えた人、すなわち御言葉を覚え、それをよく噛み締め味わった人は、例外なく、いのちが増し加わってガラリと変わった。
しかし、御言葉というオリーブをくわえない人、すなわち、御言葉を覚えようとも、味わおうとしない人は、変えられる事は無く、清められる事も無く、いのちを届ける働き人として用いられる事も、一切無い。
ノアは最初、カラスを働き手として解き放ったが、カラスはノアが望んだようには動かず、放たれたのを良い事に、気ままに箱舟の周辺を行ったり戻ったりを繰り返すだけで、主人であるノアの腕中には戻らなかった。
キリスト者と言われている人の中にも、カラスのように、気ままに教会と世を行ったり来たりを繰り返し、主イエスの御腕の中に戻らず、教会にも、主イエスに対しても、何の益をもたらさないような人もいる。
時には、外で見つけた屍肉をついばんでは、それを箱舟の中に持ち帰って、箱舟を汚すような事さえする。
御言葉のオリーブを咥えさせてもすぐ吐き出し、屍肉を持って来るような者は、どんどん追い出されて行く。
この天声は日ごと、御言葉と、御言葉なるお方・イエスキリストを、いつも宣言して来た。それ故、御言葉の養いを受けようとしない人、御言葉を咥えない人、世と箱舟をただ行き来するカラスのような性質の人は、どんどん天声には居られなくなって行く。御言葉は光であり、偽りを暴き、闇を拭い去り、汚れを清めていくため、偽りを愛する人、闇の中に隠れていたい人、汚れを好む人には、不都合だからだ。
だから天声は、今まで御言葉に留まり主イエスキリストを宣言して来た事を、ますます、するべきだ。

この一年、広がって行った働きもあれば、閉ざされて行った働きもあった。
御言葉の種を蒔いても、それを根付かせず、いのちを実らせないような土地からは、主は、その種蒔く働き人をそこから取り上げ、別の、もっと豊かに実を結ぶ地へと、導かれる。もったいないからだ。
それ故、私達自身が吐き出されないために、常に御言葉にとどまり、また御言葉を蒔く働き人であるべきだ。
この天声は、設立当初から、働き人を養成する教会としてのビジョンが与えられている。
光を愛する人、偽りや闇を捨て去りたい人、御言葉のとりこになった人たちは、ますます天声に居たくなり、どんどん造り変えられ、成長して行くだろう。だから気を引き締め、ますます御言葉に留まるべきである。
御言葉を口から話さず、それをよく咀嚼し、味わい、それによって命が養われ、そして、私達の主人であるイエス様の御心のままに、平和の鳩として福音をくちばしに咥え、死とのろいに満ちた全地へとはばたいて届けに行く皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
主のおとずれに立ち会える人(ルカ2:25-38):右クリックで保存
祈り会音声:右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
羊飼いダビデによる平和な統治の約束(エゼキエル34:23-31):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声:めいめいが自分の目に正しいと見える事を行う呪いの時代(士師記21:25):右クリックで保存

『そのころ、イスラエルには王がなかったので、おのおの自分の目に正しいと見るところをおこなった。』(士師記21:25)

これは、士師記が荒んだ時代になってしまった原因を端的に表す言葉であり、私達もこの言葉のように、キリストという王を退け、自分の目に正しいと見える所を行って行くなら、士師記の暗黒時代へと邁進してしまう、という、シンプルで明瞭な法則でもある。

聖書は始めから、人には二通りの道がある事を示し、また、それぞれの道に歩んだ結果も示している。
その二つの道とはすなわち、いのちの道と、善悪判断の道である。

「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」(創世記2:16-17)
人類なら誰しも避けては通れない究極の二者択一がある。
それは、いのちの木を取るか、それとも善悪の知識の木を取るかである。
究極の二択とは「善か悪か」ではない。聖書が提示する究極の選択とは、「いのちか、善悪判断か」なのだ。

神は、善悪の知識の木から食べる事を禁じられた。神から離れた善悪判断の歩みは、いわば「神のようになる事」(創世記3:5,22)であり、サタンの道である。
サタンは神のようになろうとした結果、地に投げ落とされてしまった。(イザヤ14:14)
神から独立した善悪判断の道は、サタンの道であり、その行き着く先は破滅である。

士師記の時代のように、御言葉を離れ、おのおの自分の目に正しいと思える事を行う事は、まさにこの善悪判断の道であり、そのまま破滅へと向かう道であった。
荒野の40年の終わりの時、モーセは最後の説教において、めいめい正しいと思うように歩んではならない、と、警告し、むしろ主が定められた事を守り行うように命じたが(申命記12:8-11)、めいめいが正しいと思うようにふるまった人々は、荒野で40年放浪した末に、屍となって荒野に打ち捨てられてしまった。
また、士師記の時代も同様に、おのおの自分の目に正しいと見るところをおこなった結果、あのような罪深く荒んだ時代へと落ち込んで行ってしまった。
まさにイザヤ書59章の状態である。

『それゆえ、公義は私たちから遠ざかり、義は私たちに追いつかない。私たちは光を待ち望んだが、見よ、やみ。輝きを待ち望んだが、暗やみの中を歩む。私たちは盲人のように壁を手さぐりし、目のない者のように手さぐりする。真昼でも、たそがれ時のようにつまずき、やみの中にいる死人のようだ。私たちはみな、熊のようにほえ、鳩のようにうめきにうめく。公義を待ち望むが、それはなく、救いを待ち望むが、それは私たちから遠く離れている。
それは、私たちがあなたの御前で多くのそむきの罪を犯し、私たちの罪が、私たちに不利な証言をするからです。私たちのそむきの罪は、私たちとともにあり、私たちは自分の咎を知っている。私たちは、そむいて、主を否み、私たちの神に従うことをやめ、しいたげと反逆を語り、心に偽りのことばを抱いて、つぶやいている。こうして公正は退けられ、正義は遠く離れて立っている。真理は広場でつまずき、正直は中にはいることもできない。
そこでは真理は失われ、悪から離れる者も、そのとりこになる。主はこれを見て、公義のないのに心を痛められた。主は人のいないのを見、とりなす者のいないのに驚かれた。そこで、ご自分の御腕で救いをもたらし、ご自分の義を、ご自分のささえとされた。』(イザヤ59:9-16)
こうして、人々が神の民の有り様から遠く離れてしまった様を悲しみ、御言葉から離れるならば、自ら苦々しい結果しかもたらさない事に懲り、どうしようもなくなった時に、主ご自身が働かれるのだ。

『わたしは、彼らを牧するひとりの牧者、わたしのしもべダビデを起こす。彼は彼らを養い、彼らの牧者となる。主であるわたしが彼らの神となり、わたしのしもべダビデはあなたがたの間で君主となる。主であるわたしがこう告げる。』(エゼキエル34:23-24)
そして主は、いよいよ、一人の羊飼い・ダビデを起こされる。士師記の次の書・ルツ記は、ダビデが生まれる事の予告で終わる。
人々の罪悪が増し加わり、人々の心に主を渇き求めた時、ダビデが生まれるのは、旧約と新約の間の沈黙の400年の後、ダビデの子孫でありまことの牧者であるキリストがお生まれになったのと同じである。

ダビデも、キリストも、ともにベツレヘムで生まれた。
ベツレヘム、それは「パンの家」という意味であり、このベツレヘムから離れた者は、ろくなことが起こらなかった。(士師記17章、19章)
しかし、このベツレヘムから離れずにいて、士師記の混迷の時代においても、着実に有力者として育っていった者があった。
その人については、次のルツ記にて見ていきたい。

今、私達も、おのおのが良かれと思う事を行っている混迷の時代を生きている。
その中において、「御言葉のパンの家」から離れず、しっかりと御言葉から養いを受け、有力者となっていく皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

クリスマスイブ礼拝

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その他音声
執筆 : 
pastor 2014-12-25 7:50

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
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礼拝説教メッセージ音声:礼拝の場を、女性を強奪する場に変えてしまう愚かさ(士師記21:16-24):右クリックで保存

『会衆の長老たちは言った、「ベニヤミンの女が絶えたので、かの残りの者どもに妻をめとらせるにはどうしたらよいでしょうか」。彼らはまた言った、「イスラエルから一つの部族が消えうせないためにベニヤミンのうちの残りの者どもに、あとつぎがなければならない。しかし、われわれの娘を彼らの妻に与えることはできない。イスラエルの人々が『ベニヤミンに妻を与える者はのろわれる』と言って誓ったからである」。』(士師記21:16-18)

彼らは、主が定められたイスラエル12部族の一つを絶滅の危機へと追い込み、浅はかに誓ってしまった自分達の誓いの故に、その生き残りに助けの手をのべる事も出来ない状況に陥ってしまった。

人が立てた浅はかな取り決めによって、どうにもならない状況へと誰かを追い込んでしまう、あるいは、自分自身が追い込まれてしまうような事は、確かにある。
自分の勝手によって、どうにもならない状況に陥ってしまった時こそ、自分のやり方を捨て、主に伺うべきである。
しかし、それでも自分で編み出した苦肉の策を押し通すなら、さらに罪悪を増し加えてしまう事になる。

アブラハムも、子がなかなか生まれなかった時、妻が勧めた世の方法、苦肉の策に乗っかってしまい、その結果、苦々しい根を後々ずっと引きずる事になってしまった。
それに懲りた彼は、イサクの嫁となるべき女性が見つからないという時、世の方法に妥協する事なく、苦肉の策を考案する事もなく、ただ主の御心に適った方法、それも、世の常識で見るなら不可能に近いような方法を選択して、見事、ぴったりの女性・リベカの元へと導びかれた。

ひるがえって、士師記の時代の指導者達といえば、主に伺う姿勢も、御言葉に聞いて実行しようという思いも、一切無かった。
そのため、この悩ましい問題に直面した時、彼らは自分達で編み出した、こじつけ的な苦肉の策を採用し、さらに罪深い行いを重ねてしまう。

『それで彼らは言った、「年々シロに主の祭がある」。シロはベテルの北にあって、ベテルからシケムにのぼる大路の東、レバナの南にある。そして彼らはベニヤミンの人々に命じて言った、「あなたがたは行って、ぶどう畑に待ち伏せして、うかがいなさい。もしシロの娘たちが踊りを踊りに出てきたならば、ぶどう畑から出て、シロの娘たちのうちから、めいめい自分の妻をとって、ベニヤミンの地に連れて行きなさい。』(士師記21:19-21)
彼らがベニヤミン人の嫁を得るために利用したのは、なんと、主の祭りだった。

「主の祭り」に人々が行くのは、主の定めどおりに礼拝するためであり、祭りの中で女性達が踊るのも、主の恵みに感謝し、喜びを表現するためのはずだ。
日本では、踊りをするために祭りに来る人は多いが、イスラエルでは、祭りの主人公である「主」を喜ぶ故に、踊るものだが、当時のイスラエルの長老たちは「そうだ、主の祭の時に、娘たちが踊りに来る」などと、いらぬ事を思い立ち、主の祭りを強奪の場にしてしまう。
人の都合、人の思い立ちによって、礼拝が軽んじられ、強盗どもの巣にされてしまう。
それはキリストの時代にもあったし、また現代においても、自分の気に入った女性を探すために礼拝という場に来る人は、いる。

『もしその父あるいは兄弟がきて、われわれに訴えるならば、われわれは彼らに、『われわれのために彼らをゆるしてください。戦争のときにわれわれは、彼らおのおのに妻をとってやらなかったし、またあなたがたも彼らに与えなかったからです。もし与えたならば、あなたがたは罪を犯したことになるからでした』と言いましょう」。』(士師記21:22)

自分達は、もう誓ってしまった。ベニヤミン人に、自分の娘を嫁にやる事はしない、と。
しかし、意図的に嫁にやる、という形ではなく、「奪われた」という形を取るなら、自分達は誓いを破った事にはならない。
だから、その方法で行こう、という事なのだ。
それは、強引なこじつけである事には変わりない。

『ベニヤミンの人々はそのように行い、踊っている者どものうちから自分たちの数にしたがって妻を取り、それを連れて領地に帰り、町々を建てなおして、そこに住んだ。こうしてイスラエルの人々は、その時そこを去って、おのおのその部族および氏族に帰った。すなわちそこを立って、おのおのその嗣業の地に帰った。』(士師記21:23-24)
こうしてベニヤミンの血は絶えることなく、なんとか保たれた。
私達は、ここから知るべきである。
人の都合を、主の御言葉よりも優先させてしまうなら、尊ぶべき主の祭りさえも、強奪の場に変えてしまう程に、愚かで堕落した者になってしまう事を。
確かに、私達の愚かさの故に行き詰ってしまう事はあるだろう。
しかしそのような時こそ、アブラハムのように主に求め、主に信頼し、そうして主から最善のものが備えられる皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

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