メッセージ - 201409のエントリ

礼拝説教メッセージ音声:未来の私達をご覧になって今の私達をケアして下さる主(士師記6:17-24):右クリックで保存

ギデオンは主に弱気な受け答えを繰り返したが、彼は今度は、しるしを見せて下さい、と求めた。
『ギデオンはまた主に言った、「わたしがもしあなたの前に恵みを得ていますならば、どうぞ、わたしと語るのがあなたであるというしるしを見せてください。どうぞ、わたしが供え物を携えてあなたのもとにもどってきて、あなたの前に供えるまで、ここを去らないでください」。主は言われた、「わたしはあなたがもどって来るまで待ちましょう」。』(士師記6:17-18)

私達がこの時の彼を見るに、本当に臆病で弱々しく、また、疑い深い信仰であるのを見て、本当に士師として大丈夫だろうか、と、思うかもしれない。
しかし主は、そんな彼を叱る事なく、飽きる事なく、弱い彼の信仰に応じて、一つ一つの要望に答えて下さった。
なぜなら主は、彼がそんな風に臆病に成長してしまった生い立ちをご存知であり、そして、彼がこれから主にあって造り替えられて行く後の、大胆な勇士としての未来をもご存知だから、主は、忍耐深く現在の彼をケアし、その成長を見守っておられるのだ。
それは私達についても、同様である。
永遠であり全能なる主は、私達が生まれてから現在に至るまでの成り立ちを全てご存知であり、また、主の栄光の器として造り替えられて行く将来の私達をも、ご覧になっておられるのだ。

『そこでギデオンは自分の家に行って、やぎの子を整え、一エパの粉で種入れぬパンをつくり、肉をかごに入れ、あつものをつぼに盛り、テレビンの木の下におる彼のもとに持ってきて、それを供えた。神の使は彼に言った、「肉と種入れぬパンをとって、この岩の上に置き、それにあつものを注ぎなさい」。彼はそのようにした。すると主の使が手にもっていたつえの先を出して、肉と種入れぬパンに触れると、岩から火が燃えあがって、肉と種入れぬパンとを焼きつくした。そして主の使は去って見えなくなった。』(士師記6:19-21)
彼は、彼なりの主への供え物を整えて、主の指示通りに行った所、主は火によってその捧げ物を受け入れられ、そうしてご自身が主である事を示された。

主は要望通り、しるしによってご自身を示されたというのに、彼はなお叫んだ。
『ギデオンはその人が主の使であったことをさとって言った、「ああ主なる神よ、どうなることでしょう。わたしは顔をあわせて主の使を見たのですから」。』(士師記6:22)
自分が何気なく主に訴えて望んだ事が、実際に実現してみると、まさかこんな事になるとは思っていなかった、えらい事になった、これからどうしよう、と、ショックを受けてしまう人もいる。
特に、弱い信仰の人はそうで、自分で何を願っているかも、またそれが実現したらどうなるかも、分かっていないのだ。

しかし、そんなギデオンにも、主は、励まして下さる。
『主は彼に言われた、「安心せよ、恐れるな。あなたは死ぬことはない」。そこでギデオンは主のために祭壇をそこに築いて、それを「主は平安」と名づけた。これは今日までアビエゼルびとのオフラにある。』(士師記6:23-24)
本当に主は恵みと憐れみに富まれたお方である。
ギデオンはこの一連のやりとりを通して、主は平安の主であり、自分を面倒みて下さると定めたからには、主はとことんまで平和に導いて下さる事を学び、少しだけ前進した。

イエス様も、弟子たちに対してそうだった。
イエス様が十字架から復活された日の弟子たちの状況は、ギデオンが主に呼び出された時と似ている。
『その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。そう言って、手とわきとを、彼らにお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。』(ヨハネ20:19-20)

ギデオンは、ミデヤン人を恐れ隠れていた所に主が現れたが、弟子たちも、ユダヤ人を恐れて戸を閉めていた時、主が現れて「平安あれ」と声をかけてくださった。
主はギデオンに「あなたの捧げ物は受け入れた」というしるしを見せて下さったように、主イエス様も、十字架上で打たれた手と脇腹を私達に見せて下さり、あなたの罪の刑罰は、もうわたしが負った、あなたはもう神に受け入れられている、というしるしを見せて下さる。

主がギデオンを、イスラエルを救う者として遣わしたように、主イエス様も、私達を平和の使者として世に遣わして下さる。
『イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう」。』(ヨハネ20:21-23)
主は私達を遣わすにあたり、必要な権能を教会に与えて下さった。その権能は、ハデスの門さえ打ち勝てない権能である。(マタイ16:15-19)

『十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれているトマスは、イエスがこられたとき、彼らと一緒にいなかった。ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに言った、「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」。』(ヨハネ20:24-25)
トマスも、ギデオンのように見なければ信じない信仰の持ち主だった。
ただしトマスの場合はギデオンと違い、3年半ほど主のそばで行動を共にし、弟子としての働きをしていたというのに、まだ、見なければ信じない頑固な信仰者だった。
主は、そんな彼をも扱って下さる。

『八日ののち、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って「安かれ」と言われた。それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。』(ヨハネ20:26-29)
このようにして、トマスもようやく、見ないで信じる者へと造り替えられて行った。

主は、一人一人に必要な養いを、それぞれにカスタムメイドで与えて下さるのだ。
主に養われ、主の似姿へとますます造り替えられ、有用な働き人として大胆に遣わされていく皆さんでありますように。
イエス様のお名前によって祝福します!

サマリヤの女 - 生ける命の水を得るために(ヨハネ4:15)
第一礼拝・礼拝全体音声:右クリックで保存
第二礼拝・礼拝音声(韓国語通訳有한국어예배):右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

今回は、イエス様がサマリヤを通られた時、ヤコブの井戸で出会った一人の女について見て行きたい。
彼女は正午頃、井戸に水を汲みに来ていた。砂漠がちなパレスチナ地方で正午頃は、暑く過酷な時間で、誰も好き好んでそんな時間に出歩かないものだが、彼女がその時間に行き来したのには、事情があった。
彼女はかつて、5人の男と結婚してことごとく失敗し、今、6人目の男と同棲している。その”負の実績”故に、誰かと出会う事を避けるため、わざわざその時間に、同棲相手のために水を汲みに行っていたのだ。
いつまで続くとも知れぬ、そのような日々の中、彼女はいつも通り、昼の暑い時間に井戸に来たのだが、その日は、気まずい事に、一人のユダヤ人の男性が座っていた。しかしそれは、実は、イエス様だった。
彼は、彼女に声をかける。水を飲ませてください、と。それは意外な事だった。ユダヤ人とサマリヤ人は、選民と異邦人、尊い民と卑しい民、付き合いは無い筈なのに、彼のほうから、関係を求めて来たのだ。
イエス様は、救いからは程遠いような私達・異邦人にも、声をかけて下さる。飲ませてくれないか、と。

「もしあなたが神の賜物のことを知り、また、『水を飲ませてくれ』と言った者が、だれであるか知っていたならば、あなたの方から願い出て、その人から生ける水をもらったことであろう」。(10節)
彼女は怪訝に思った。この男は汲む物は持たず、井戸は深い。どうやって汲むというのか。また彼は、イスラエル民族の父祖・ヤコブが自分達に与えてくれた水よりも優れた、「生ける水」を与えてくれる、という。
ヤコブの井戸は、水はもう湧き出さず、時折降る雨水を溜めるだけのものだったようであるが、人は、いかに大きな井戸を掘り、いかに多く貯めようと奔走するが、それは結局、壊れた水溜めである(エレミヤ2:13)。
この女が、結婚や安定、異性という「水」によって、渇きを癒やそうとしていたように、人は色々な「水」で渇きを癒やそうとするが、世の水は、飲めばまた渇くし、第一天から恵みの雨が降らなければ水は溜まらない。
イエス様は言われる。『しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。』(14節)
この女も、ひどく渇いていた。過去、失敗して来た自分自身に、人目を憚って暑い日差しの中、毎日汲みに来なければならない毎日に。今一緒にいる男との将来への不安に。そこで『女はイエスに言った、「主よ、わたしがかわくことがなく、また、ここにくみにこなくてもよいように、その水をわたしに下さい。」』(15節)

主イエス様に助けを求める事こそ、全ての問題解決の糸口であり、イエス様に”飲ませる”事である。
イエス様が十字架上で「わたしは渇く」と言われた時、人は、酸いぶどう酒を飲ませた。主がそれを受けた時、「完了した」と言って息を引き取られた。(19:30) 私達も、自分の人生の酸いぶどう酒を、十字架のイエス様に飲ませる時、それは十字架上で完了し、私達には、復活のいのちの水がほとばしり出るのだ。
主は、彼女の問題の本質へと、直球を投げた。「あなたの夫を呼びに行って、ここに連れてきなさい」。
イエス様が彼女の問題の本質を言い当てた(18節)ように、主は私達の問題の本質も、全てご存知である。
異性、結婚、金銀、仕事など世のものに潤いを求めて飲めば飲む程、人は渇いて行く。まことの泉なる主から目を反らし、あくまで世の「水」を求め続けるなら、渇きは癒やされず、ますます渇き、それを手に入れるため奔走する過程で、さらに失敗や恥、人への迷惑という”負の実績”も積み上げて行く。
しかし、それら全て負の実績をイエス様に持って行くなら、彼にあって神の栄光を現すものに大逆転する。

彼女は、水汲みをして来た水がめをそのままそこに置いて、町に行き人々に伝えに行った。自分の全てを言い当てたイエス様を。もはや彼女が過去に負った”負の遺産”はイエス様の栄光を現すネタへと変わり、世の何物も満たすことの出来なかった渇きは、主イエス様にあって癒されたのだった。
彼女は、キリストと呼ばれるメシヤがこられ、その方が私達に一切の事を知らせて下さる事を知り、普段から期待していた(25節)。だからこそ、主は、あの井戸の所に来て、彼女を待っていて下さったのだ。
私達も、イエス様に救いを求め、期待すべきである。自分の水がめからイエス様に飲ませ、その重い水がめはイエス様の足元へと下ろすべきである。その時、私達は救いの泉から喜びながら水を汲み、全て負の遺産は主の栄光を現すものと変えられ、世に出て行き、語り継げて行くのだ。(イザヤ12:3)

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
イエス様が下さる水(ヨハネ4:15):右クリックで保存
祈り会音声:右クリックで保存

敵の首に足をかけよ(ヨシュア記)

カテゴリ : 
その他音声
執筆 : 
pastor 2014-9-27 6:52

祈り会音声(音声のみ)
敵の首に足をかけよ(ヨシュア記):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
種まきのたとえ(マタイ13:1-23):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
なまけていると天井が落ちる(伝道者の書10:16-20):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
父母を離れ二人は一つに(エペソ5:31-33):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声:ギデオンの召命 - 弱い者を大勇士へ(士師記6:11-16):右クリックで保存

主は、主から離れたイスラエルを、凶暴な者の手へと渡し、荒らされ放題の状況へと追い込んだが、叫び求める彼らを助けるために、主は、ギデオンを士師として召しだされた。
ギデオンの名前の意味は「打ち倒す人」「切り倒す人」で、とても勇ましい印象を受けるが、主に呼び出された当初の彼は、とてもそんな者ではなく、臆病で弱々しかった。

『さて主の使がきて、アビエゼルびとヨアシに属するオフラにあるテレビンの木の下に座した。時にヨアシの子ギデオンはミデアンびとの目を避けるために酒ぶねの中で麦を打っていたが、主の使は彼に現れて言った、「大勇士よ、主はあなたと共におられます。」』(士師記6:11-12)
ギデオンが初めて主から声がかけられた時、彼は、酒槽の中で隠れて、麦を打っていた。
あたかも、不良たちに弁当が奪われる事を避けるために、トイレの個室に隠れて食べていたような状況である。
そんな彼の所に突如、主の使いが現れ、「大勇士よ」「主はあなたと共におられます」と、声をかけられたのだ。

敵を恐れて逃げ隠れしている人に「大勇士よ」と呼びかけるのは、滑稽に見えるかもしれないが、主はよく好き好んで、最も弱い者を召し出し、大いなる事を任せられる。
モーセも当初、自分は口下手だから、誰か他の人を使わして下さい、と願ったし、エレミヤも最初、自分は若くてどう語っていいか分からない、と恐れた。
しかし主は、彼らを徐々に鍛え、整えて行かれた。ギデオンも、そうだった。

『ギデオンは言った、「ああ、君よ、主がわたしたちと共におられるならば、どうしてこれらの事がわたしたちに臨んだのでしょう。わたしたちの先祖が『主はわれわれをエジプトから導き上られたではないか』といって、わたしたちに告げたそのすべての不思議なみわざはどこにありますか。今、主はわたしたちを捨てて、ミデアンびとの手にわたされました」。』(士師記6:13)
ギデオンは、主が共にいますなら、なぜこんな事が起こるのでしょう、と、この世代の惨めな状況について吐露した。

主がおられるなら、なぜこのような災いが起こるのか。それは私達もよく思う。
しかし、主に愛されている人であればあるほど、その人が悪い行いをするなら、主は矯正するために、懲らしめるものだ。
もし人が主を捨て去り、他の神々へと走っても、何の懲らしめも受けず放って置かれるとするなら、それこそ主に愛されていない証拠である。
『主は愛する者を訓練し、/受けいれるすべての子を、/むち打たれるのである」。あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない。』(ヘブル12:6-8)

『主はふり向いて彼に言われた、「あなたはこのあなたの力をもって行って、ミデアンびとの手からイスラエルを救い出しなさい。わたしがあなたをつかわすのではありませんか」。』(士師記6:14)
主は、ギデオンの質問した内容には一切答えず、ただ真理のみを、すなわち、ただ彼が立つべき立ち位置のみを、示された。

主は、人間の不信仰な質問や、マイナス思考的なつぶやきに対しては、一切受け答えをしない。
主はヨブの膨大な質問責めのようなつぶやきには一切応えず、ただ、神の圧倒的な力強さだけを示したし、イエス様もベテスダの池に三十八年臥せっていた病人の心情吐露に一切応えず、ただ「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」と言われた。(ヨハネ5:8)
またイエス様は、何か奇跡を見せてみよ、というヘロデの浅はかな質問責めに対しては、一切何もお答えにならなかった。(ルカ23:8-11)

私達も、尊い信仰を侮蔑するような質問や、不信仰な考え、マイナス思考的なつぶやきに対して、まともに応えてはならない。
彼らの土俵に降りて来る必要はなく、かえって彼らを真理の土俵へと引きずり出して来るべきで、不信仰なマイナス思考の言葉は、真理の御言葉によって、上書き保存して行くべきだ。

敵を恐れ、逃げ隠れして麦打ちをしていたギデオンに対し、イスラエル人をミデヤン人から救え、と、突拍子もない命令をして来た御使いに、彼は嘆息しながら自分の状況を訴えた。
『「ああ主よ、わたしはどうしてイスラエルを救うことができましょうか。わたしの氏族はマナセのうちで最も弱いものです。わたしはまたわたしの父の家族のうちで最も小さいものです。」主は言われた、「しかし、わたしがあなたと共におるから、ひとりを撃つようにミデアンびとを撃つことができるでしょう」。』(士師記6:15-16)

主はギデオンに「わたしがあなたと共にいる」と言われた。主は確かに生きておられ、私達とともにおられる主、インマヌエルなる主である。
また主は、モーセとイスラエル民族に、「わたしはある(存在する)」と言われた。

不真実で、はかない私達が、自分自身をどう評価するかは、問題ではない。
在りて在られる「わたし」なる主が、どう評価されるか。そちらのほうが、真実である。
私達も、ギデオンのように、自分は大勇士とは到底いえない状況であっても、主がどのように評価しておられるかが重要であり、そちらが真実である。

私達キリスト者は、イエス・キリストにあって、どのような立ち位置を獲得しているか。
「信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。」(ヨハネ5:24)
「信じる者は決して渇くことがない。その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」(7:38)
「主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」(2コリント8:9)
「あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。」(1ペテロ2:9)
「また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」(ピリピ4:19)

たとえ私達が、そのように「感じない」としても、私達の「感じ」が真理ではなく、御言葉に記されて事が真理である。
私達は、自分の「感じ方」「考え方」は御言葉の前に降ろし、御言葉に記されている事のほうを受け入れるなら、御言葉の圧倒的な力が私達に働き、不可能は可能へと、不真実は真実へと、弱者は勇者へと、主が塗り替えて下さるのである。

礼拝説教メッセージ音声:主から離れ、ミデヤン人に荒らされた日々(士師記6:1-10):右クリックで保存

デボラやバラク達の活躍によって、イスラエルには四十年の平和が訪れたのだが、その世代が過ぎた時、イスラエルはまたしても悪い状態へ逆戻りしてしまった。
『イスラエルの人々はまた主の前に悪をおこなったので、主は彼らを七年の間ミデアンびとの手にわたされた。』(士師記6:1)
彼らは主に対して、どんな悪を行ったのか。
それは、主を捨ててエモリ人の神々を恐れ敬う事によってであった。(士師記6:10)

私達も、まことの神である主以外の”何か”を恐れ敬うなら、偶像礼拝状態にある。
偶像礼拝とは、何も神社仏閣などで礼拝する事に限らず、まことの神である主を差し置いて、それ以外の何か(権威ある人やイデオロギー、お金や地位など)を、主よりも恐れ敬うなら、それが、偶像礼拝である。
そのような場合、主は、その人に苦しい所を通らせ、主に助けを呼び求めるように仕向けられる。
今回、主がイスラエルを立ち返らせるように用いられたのは、ミデヤン人だった。

『ミデアンびとの手はイスラエルに勝った。イスラエルの人々はミデアンびとのゆえに、山にある岩屋と、ほら穴と要害とを自分たちのために造った。イスラエルびとが種をまいた時には、いつもミデアンびと、アマレクびとおよび東方の民が上ってきてイスラエルびとを襲い、イスラエルびとに向かって陣を取り、地の産物を荒してガザの附近にまで及び、イスラエルのうちに命をつなぐべき物を残さず、羊も牛もろばも残さなかった。』(士師記6:2-4)
イスラエル人がせっかく種を蒔いて育てた産物も、ちょうどそれが実る時にミデヤン人が入り込んで来て、奪って行ってしまう。
それを阻止しようにも、イスラエルは主によって弱くされ、敵は強くされているので、ただ奪われて行くのを指をくわえて見ている他ない。

『彼らが家畜と天幕を携えて、いなごのように多く上ってきたからである。すなわち彼らとそのらくだは無数であって、彼らは国を荒すためにはいってきたのであった。』(士師記6:5)
ミデヤン人達はわざわざイスラエルの国を荒す目的で、長期滞在できるよう、家畜を引き連れ、天幕を携え、大軍のらくだで乗りつけて来たのだ。
大軍の不良集団が、ただ荒らすために、宿泊道具や弁当持参で学校にバイクで乗り寄せ、ガラスを割ったり、備品を壊したりするようなものであり、イスラエルはただ震えおののき、弁当を食べるにもこっそり便所で食べるしかないような有り様である。
そんな状態が、七年も続いた。

『こうしてイスラエルはミデアンびとのために非常に衰え、イスラエルの人々は主に呼ばわった。』(士師記6:6)
彼らは七年目にして、ようやく主に助けを求めた。
そんな彼らに、主はそうなった理由を教えている。
『主はひとりの預言者をイスラエルの人々につかわして彼らに言われた、「イスラエルの神、主はこう言われる、『わたしはかつてあなたがたをエジプトから導き上り、あなたがたを奴隷の家から携え出し、エジプトびとの手およびすべてあなたがたをしえたげる者の手から救い出し、あなたがたの前から彼らを追い払って、その国をあなたがたに与えた。そしてあなたがたに言った、「わたしはあなたがたの神、主である。あなたがたが住んでいる国のアモリびとの神々を恐れてはならない」と。しかし、あなたがたはわたしの言葉に従わなかった』。』(士師記6:8-9)

なぜ、そのような虐げられる状態が続いたのか。それは、彼らが主を軽んじて、別のものを尊んだからにほかならない。
私達の主も、私達を、悪魔やサタンという”エジプト”から導き上り、罪と死の奴隷状態から贖い出し、虐げる者の手から救い出し、分捕りとして、良き領地が与えられた。
そんな主を裏切るなら、私達もイスラエルのようになってしまう。

しかし主は、自分の愚かさに気づいた民をただ懲らしめ続けるようなお方ではない。
救いを求めるなら、しっかりと救いを送って下さる。

士師記は、この、裏切りと災い、立ち返りと救いの繰り返しだった。
皆さんの人生は、あと何度、そのサイクルを繰り返すだろうか。
これから後は、もはや主から決して離れる事無く、平安と勝利の人生をただ送る皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:信仰の戦いに参加せよ(士師記5:19-31):右クリックで保存

この箇所では、デボラ達は、今回の戦いの様子について歌っている。
『もろもろの王たちはきて戦った。その時カナンの王たちは、/メギドの水のほとりのタアナクで戦った。彼らは一片の銀をも獲なかった。もろもろの星は天より戦い、/その軌道をはなれてシセラと戦った。キションの川は彼らを押し流した、/激しく流れる川、キションの川。わが魂よ、勇ましく進め。その時、軍馬ははせ駆けり、/馬のひずめは地を踏みならした。』(士師記5:19-15a)

この戦いの時、星々が軌道を離れてシセラと戦い、普段は水の無い川に水が溢れ、彼らを押し流した、とある通り、天が、地が、神の民の敵であるシセラに敵対して戦ったのだ。
人は、軍馬を頼もしいと思うものであるが、その軍馬の力も、そして鉄の戦車も、主の御前に無用の長物と化した。
主が味方となり、天を、地を動かしてまで、殺傷力の高い兵器を持つ敵と戦って下さる。
何と頼もしい事であろうか!
だから彼らは「わが魂よ、勇ましく進め」と叫ばずにはいられなかったのだ。
私達も、主が共に戦って下さる闘いに、どうして参加しないであろうか。

『主の使は言った、『メロズをのろえ、/激しくその民をのろえ、/彼らはきて主を助けず、/主を助けて勇士を攻めなかったからである』。』(士師記5:23)
このメロズという地は、この闘いにおいてとても重要な地だったのだろう。
しかし、この町の名は、聖書の後にも先にも、ここにしか出てこない。

この箇所から分かる事は、メロズの住人はこの時、主が天と地を動かし、奇跡的な事を起こしてまで戦われたというのに、闘いに参加して主を助ける事をしなかった、という事だ。
それ故、この町は主の使いに呪われ、町は枯れ果て、歴史の闇に葬られて行ったのだろう。
ちょうどイエス様が、何の実りももたらさないいちじくの木を呪って枯らされたように。
兄弟姉妹が戦いに出、そして主ご自身もありありと働いておられるのに、それを目の当たりにしながら、自分自身は手足を動かさず、ただ他人に働かせ、分捕りにだけ与ろうとするような者は、枯らされてしまうのだ。

『ケニびとヘベルの妻ヤエルは、/女のうちの最も恵まれた者、/天幕に住む女のうち最も恵まれた者である。シセラが水を求めると、ヤエルは乳を与えた。すなわち貴重な鉢に凝乳を盛ってささげた。』(士師記5:24-25)
この戦いの最たる功労者は、ヤエルという女性である。
彼女の夫は、イスラエルの敵であるシセラと親しくしている者であったのに、彼の妻は、ここぞという時に勇気を奮い立たせ、主に与する行動を取り、見事、敵将を討ち取った。
恐れを克服し、また家族の意図に反してでも、主の真実を貫き通す人は、男であれ女であれ、栄誉を受けるのだ。

『ヤエルはくぎに手をかけ、/右手に重い槌をとって、/シセラを打ち、その頭を砕き、/粉々にして、そのこめかみを打ち貫いた。シセラはヤエルの足もとにかがんで倒れ伏し、/その足もとにかがんで倒れ、/そのかがんだ所に倒れて死んだ。』(士師記5:26-15a)
ここの表現からすると、シセラは、こめかみを打ち貫かれてもなお起き上がり、そこを再び彼女に打たれて、ついには彼女の足元に倒れ伏したようである。
いずれにせよ、戦いにおいて女の手によって討ち取られてしまう事は、当時、相当の恥辱であった。(士師記9:54)

『シセラの母は窓からながめ、/格子窓から叫んで言った、/『どうして彼の車の来るのがおそいのか、/どうして彼の車の歩みがはかどらないのか』。その侍女たちの賢い者は答え、/母またみずからおのれに答えて言った、『彼らは獲物を得て、/それを分けているのではないか、/人ごとにひとり、ふたりのおなごを取り、/シセラの獲物は色染めの衣、/縫い取りした色染めの衣の獲物であろう。すなわち縫い取りした色染めの衣二つを、/獲物としてそのくびにまとうであろう』。』(士師記5:28-30)
ここでは、敵であるシセラの母の立場から、歌われている。
シセラ達が中々戦いから帰ってこない理由は、分捕りに忙しいから、それも、シセラが受け取る分捕りの分は、色染めの衣であるという。
実際にその通り、彼が身にまとっていた衣は、彼自身の血によって染められた。
それも、ヤエルという女の手によって。
「すなわち縫い取りした色染めの衣二つを、/獲物としてそのくびにまとうであろう」と歌われた通り、彼は二度、鉄の杭によって縫いとられ、彼の衣は彼自身の血によって、色染めされた。

『主よ、あなたの敵はみなこのように滅び、/あなたを愛する者を/太陽の勢いよく上るようにしてください」。こうして後、国は四十年のあいだ太平であった。』(士師記5:31)
今回の戦いに参加した人、しなかった人もいたが、とにかく信仰ある人達が戦いに出て、勝利した事よって、四十年という平和が与えられた。
懲らしめを受けたなら、その懲らしめの原因である不信仰に戻る事なく、生涯の終わりまで主に仕え通し、平和な一生を全うする皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

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