メッセージ - 201401のエントリ

礼拝説教メッセージ音声:四十年の荒野の経験を忘れるな(申命記8:1-10):右クリックで保存

『わたしが、きょう、命じるこのすべての命令を、あなたがたは守って行わなければならない。そうすればあなたがたは生きることができ、かつふえ増し、主があなたがたの先祖に誓われた地にはいって、それを自分のものとすることができるであろう。』(申命記8:1)
これと同じ事は、既に、申命記4:1において、また、5:32-33や、6:1-3において、繰り返し命じられている。
主の命令には必ず報いがある。
それを守って行うなら、いのちを得て、いのちが増し加わり、主が誓われた地に入り、それを自分の所有とすることが出来るが、主の命令を軽んじ、守り行わないなら、主が誓われた地から吐出され、死と呪いの実を刈り取る事になるため、モーセは繰り返し命じているのである。

『あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを導かれたそのすべての道を覚えなければならない。それはあなたを苦しめて、あなたを試み、あなたの心のうちを知り、あなたがその命令を守るか、どうかを知るためであった。』(申命記8:2)
主は確かに、私達に苦しい所を通らせる事がある。
それは、私達を試み、私達の心の内にあるものを、あらわにするためである。

主は、私達の心の内を全てご存知であるから、わざわざそんな事する必要は無いのでは、と思うかもしれないが、もし、私達がまだ悪い事を「行って」いないのに、心の内で悪い事を思った、という咎で罰されるとしたら、それは不当だ、と叫ぶだろう。
しかし、もし私達が実際に行った事によって裁かれるとしたら、それは正当な裁きであり、私達は何の言い訳も出来ない。

主は、行いの実によって報いをされるお方である、と書かれてある。
『心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができようか。「主であるわたしは心を探り、思いを試みる。おのおのに、その道にしたがい、その行いの実によって報いをするためである」。 』(エレミヤ17:9)
だから私達は、口先だけでなく、行いによって良き実を結び、主イエスにあって歩み、悪い実を結ばせないよう、心構えしておくべきなのだ。

『それで主はあなたを苦しめ、あなたを飢えさせ、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナをもって、あなたを養われた。人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに知らせるためであった。』(申命記8:3)
イスラエルの民は四十年、荒野で苦しみ、試みられ、そうして主は、人はパンによって生きるのではなく、神の御口から語られる御言葉に生きるという事を、教育された。

そして、イエス様が四十日、荒野で苦しみ、試みにあわれた時、試みる者に対して主が真っ先に突きつけた御言葉の剣が、『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きる』である。(マタイ4:4)
人間ではない獣は、パン(食物)だけで生きているであろう。しかし人には、主の息吹が宿っている。
神の口から出るすべてのことばこそ、人には必要であり、誘惑する者に対しても、この言葉を突きつける事によって、私達は獣とは違う事を宣言するのである。

『この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、はれなかった。あなたはまた人がその子を訓練するように、あなたの神、主もあなたを訓練されることを心にとめなければならない。』(申命記8:4-5)
主は、神の民が、ぼろぼろの古い服をまとって、みずぼらしくしている様を、主の敵に見せるようなお方ではない。
主は私達を敵の前で油を注ぎ、装わせて下さるお方だ。
「天はやがて煙のように消え失せ、地は衣のように古びる。しかし、主の義はとこしえに続く」と、イザヤ51:6-8に記されている通り、服は元々、古びるものである。
しかし、神の民の衣は古びなかった、という事は、神の民は、決して古びる事の無い主の義を着ている事を、あらわしている。

『あなたは食べて飽き、あなたの神、主がその良い地を賜わったことを感謝するであろう。』(申命記8:10)
私達は満ち足りた時こそ、感謝すべきである。
主の御言葉によって生きるべき事を忘れず、末永く幸いと祝福に歩む皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:勝って兜の緒を締めよ(申命記7:17-26):右クリックで保存

『あなたは心のうちで『これらの国民はわたしよりも多いから、どうしてこれを追い払うことができようか』と言うのか。彼らを恐れてはならない。あなたの神、主がパロと、すべてのエジプトびととにされたことを、よく覚えなさい。すなわち、あなたが目で見た大いなる試みと、しるしと、不思議と、強い手と、伸ばした腕とを覚えなさい。あなたの神、主はこれらをもって、あなたを導き出されたのである。またそのように、あなたの神、主はあなたが恐れているすべての民にされるであろう。』(申命記7:17-19)

私達は、目の前に敵がいたり、実際に問題が起きてそれと戦わなくてはならない時、何かと恐れに捕われ主を忘れやすいが、その時こそ、主が今まで為して下さった良き事を、思い起こすべきである。
ダビデも「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」と、自らの心に言い聞かせ、信仰を奮い立たせた。

皆さんは、今までの人生で、主に信頼して失望させられた事は、あっただろうか。
もし、主に失望させられた、という思いがあるとしたら、よく思い返してみると、荒野での40年の放浪の原因を作ったあの世代のように、実は、自分が主に信頼しておらず、手前勝手な行動を取って、荒野の放浪のような実を刈り取っている事に対して、主に逆恨みしているだけだったりする。
主はいつでも、いつまでも、真実である。

モーセは今一度、民に「恐れてはならない」と言っている。
そして、主が良くして下さった事を忘れるな、主が敵に対して恐るべき御業を働かせて、救いだして下さった事を思い起こせ、と言っている。
主が良くしてくださった数々を数えるなら、「この問題も、主が必ず最善へと導いて下さる」と希望が湧いて来て、そして実際、その通りになるのだ。

『あなたの神、主はまた、くまばちを彼らのうちに送って、なお残っている者と逃げ隠れている者を滅ぼしつくされるであろう。』(申命記7:20)
私達が戦う時、主も共に戦って下さり、勝利を与えられる。
そればかりでなく、私達が取り逃がした敵さえ、主がくまばちを送って、滅ぼし尽くして下さる。
私達は思う。主がはじめからくまばちで一気に滅ぼし尽くしてくれればいいのに、と。
しかし、人生で為すべき物事の全ては、主とのコラボレーションであり、私達自身が実際に信仰を働かせ、主に命じられた通りに出て行き、主とともに勝ち取る必要があるのだ。

『あなたの神、主はこれらの国民を徐々にあなたの前から追い払われるであろう。あなたはすみやかに彼らを滅ぼしつくしてはならない。そうでなければ、野の獣が増してあなたを害するであろう。』(申命記7:22)
私達は、目の前にいる敵や、問題課題に対しても、主が今すぐ目の前から滅ぼし尽くし、なくして下さればいいのに、と思うかもしれない。
しかし、そうされないのに理由がある。
それは、滅びるべき敵が一気に滅びる事によって環境も一気に変わり、私達や周辺環境を害する「別の敵」がはびこる事の無いためだ。

主と共に歩むならば、勝利がある。しかし、勝利した場合にこそ、もっとも気をつけるべき事がある。
『あなたは彼らの神々の彫像を火に焼かなければならない。それに着せた銀または金をむさぼってはならない。これを取って自分のものにしてはならない。そうでなければ、あなたはこれによって、わなにかかるであろう。これはあなたの神が忌みきらわれるものだからである。あなたは忌むべきものを家に持ちこんで、それと同じようにあなた自身も、のろわれたものとなってはならない。あなたはそれを全く忌みきらわなければならない。それはのろわれたものだからである。』(申命記7:25-26)

私達は成功した時、勝利した時こそ、注意しなければならない。
実際、ヨシュア記において、強固な城塞都市エリコの大勝利の直後に、イスラエルの内に油断が生じ、アカンによる失敗があった。(ヨシュア記7章)
イスラエルが主に従順し、指導者であるヨシュアに言われた通りを、守り行った時、いかにエリコという城塞都市が強大であろうとも、犠牲者は一切出なかったようである。
しかし、自分達の身内にいる、アカンの「むさぼり」によって、実際に三十六名という犠牲者が出た。

私達が主に従順する時、主の敵は、敵とは言えない。
主が必ず勝利を与えて下さるからだ。
敵とはむしろ、私達の内にいる。それは、むさぼりであり、主に従順しない心である。

私達は、それまで手にした事の無かったような、富を手にした時、力や権力を手にした時、今まで知らなかった誘惑もまた存在する事を、忘れてはならない。
ダビデは羊飼いであった時、まさか自分が将来、人妻を手に入れたいがために、その夫を激戦区に行くよう命じ、敵の手で謀殺するなどとは、考えもしなかっただろう。
勝利した時、富を手にした時、力や権力を手にした時こそ、まさに、気をつけるべきである。
モーセはそのために、前もってしっかりと戒めを与えたのだ。
私達も、主から戒めを受ける時、祝福の地に入る準備が、ますます整えられて行くのだ。

人間の存在する理由と目的(創世記1:26-31)
第一礼拝・礼拝全体音声(韓国語通訳有한국어예배):右クリックで保存
第二礼拝・礼拝説教音声:右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

昨年は、イエスキリストの系図に登場する女性たちに的を絞り、どのような性質の持ち主が栄光の家系に入ったのか学んだが、今回から、男性・女性に関わらず、また、栄光の家系に入った・入れなかったに関わらず、聖書の登場人物を観察し、どういう性質の持ち主が、神の民となれるのか、なれないのか、あるいは、神の民であっても、どういう性質であるなら追い出されてしまうのかを、学んで行きたい。
この学びを始める前に、そもそも、神は何のために人間を創られたのか、人間を本来、どのような存在として創られたのか、人が歩むべき本質とは何かをまず知る必要がある。
そうするなら、聖書のあの人物はどういう性質なのか、というのを容易に理解出来るようになり、また、私達が今、人生において、正しい歩みをしているかどうかも、分かるようになるからだ。

まず、人は何のために創造されたのか。それを一言で言うなら、御子キリストのためである。
『万物は、天にあるものも地にあるものも見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている。』(コロサイ1:16-17)
そして私達は、万物の創造される前から、既に、キリストにあって選ばれており、父なる神は、天にあるすべての霊的祝福をもって私達を祝福され、御前で聖く、傷のない者にしようとされ、イエス・キリストによって私たちをご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのだ。(エペソ1:3-5)
だから人間は、神抜きに、キリスト抜きに歩むなら、本質を外した、あさっての、とんちんかんな歩みである。
聖書が言う「罪」の元々の意味は、「的外れ」であり、この、本質という「的」を射た歩みをするか、的を外した歩みをするかによって、その人の人生は祝福か呪いか、生か死かの、真逆の実を刈り取る事になる。

神は人を、どのような存在として創られたのか。
『神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。』(創世記1:26-27)
神は元々、人を聖なる神のかたちに、似姿として創られた。だから人は聖なる歩みをすべきであり、神もまた、人に聖である事を求めておられる。(レビ記19:2)
そして、神が創造した全被造物を管理し、全生物を支配するようにと、人は創られている。
果たして人間ごときが全てを支配して良いものだろうか?という疑問が沸くかもしれない。それは、人に罪がある故であるが、神が人類を創造された当初、人は罪を知らなかった。
逆に言えば、人は罪の問題を取り扱わなければ、何事も正しく支配する事は出来ない。
神はまた、人を男と女とに創造された。男と女との関係、それはキリストと教会との関係のひな形である。
男性は、妻や子のために必要なものをもたらして養い、女性は、いのちを生み、夫が与えてくれたものを用いて、家や子供たちの面倒をみて来た。最近はどうあれ、古来より男女はそのような役割分担をして来た。
キリストと人との関係も、同じである。キリストは、私達に必要な良きものをもたらして来る主人であり、そして私達はキリストの妻として、全被造物という家全体を管理し、キリストのいのちを産んで増やし、そのいのち達や、全ての生き物を、妻が家全体のめんどうを見るように、正しく治めるのである。

そういうわけで、私達には「主人」とすべきキリストがおり、父なる神様は私達を、キリストの「妻」としての目的をもって創造された。故に私達には、キリストのいのち産んで増やし地に満ちていく役割と、また、 キリストと共に住むスイートホームであるこの世において、全被造物を、全生物を正しく治め、いのちを養い、管理する責任がある。人は、キリストを差し置いて好き勝手する存在ではないのだ。
全生物が、まだ罪なき人間によって治められ、人が完全にその目的に従って歩んでいた頃、神がそれを見られると、「はなはだ良かった」と評価された。(創世記1:31)
人が創られた目的に従って歩むなら、それは「はなはだ良い」状態であり、充実し、幸い多き人生を送れるが、神から離れ、自分の身勝手な善悪判断によって生きるなら、それは本質を外した歩みである。

礼拝説教メッセージ音声:祝福されるには(申命記7:12-16):右クリックで保存

『あなたがたがこれらのおきてを聞いて守り行うならば、あなたの神、主はあなたの先祖たちに誓われた契約を守り、いつくしみを施されるであろう。あなたを愛し、あなたを祝福し、あなたの数を増し、あなたに与えると先祖たちに誓われた地で、あなたの子女を祝福し、あなたの地の産物、穀物、酒、油、また牛の子、羊の子を増されるであろう。あなたは万民にまさって祝福されるであろう。あなたのうち、男も女も子のないものはなく、またあなたの家畜にも子のないものはないであろう。』(申命記7:12-14)

祝福されるための条件、それは、もう何度も語られている通り、主の御言葉を聞いて、それを守り行う事である。
申命記28章や、レビ記26章には、御言葉を守り行った結果に与えられる祝福の明細と、そしてその反対の、御言葉を軽んじ守り行わなかった場合に与えられる呪いの明細とが、事細かに示されている。

主の御言葉を聞いて、守り行うなら、その人の土地は豊かな産物で満たされ、仕事は祝福される。
『もしあなたがたがわたしの定めに歩み、わたしの戒めを守って、これを行うならば、わたしはその季節季節に、雨をあなたがたに与えるであろう。地は産物を出し、畑の木々は実を結ぶであろう。あなたがたの麦打ちは、ぶどうの取入れの時まで続き、ぶどうの取入れは、種まきの時まで続くであろう。あなたがたは飽きるほどパンを食べ、またあなたがたの地に安らかに住むであろう。』(レビ26:3-5)
麦の収穫は春に始まり、ぶどうの取り入れは九月ごろであるから、麦打ちが春から秋までずっと続く程、また、ぶどうの取り入れが種まきの時期まで続く程の、大収穫が与えられる、という事である。

『わたしが国に平和を与えるから、あなたがたは安らかに寝ることができ、あなたがたを恐れさすものはないであろう。わたしはまた国のうちから悪い獣を絶やすであろう。つるぎがあなたがたの国を行き巡ることはないであろう。』(レビ記26:6)
イスラエルの近辺は、古くから戦争の多い所で、また、熊や獅子などの獣も出没する所である。
そのような危険な場所にあっても、主の御言葉を守り行うのであれば、それら全ての危険から守られ、安息が与えられ、安らかに寝る事が出来るのだ。

また、敵への勝利の約束が与えられている。
『あなたがたは敵を追うであろう。彼らは、あなたがたのつるぎに倒れるであろう。あなたがたの五人は百人を追い、百人は万人を追い、あなたがたの敵はつるぎに倒れるであろう。』(レビ記26:7-8)
実際、聖書には、主に忠実なわずかな人数が、圧倒的多数の敵に勝利した記事が幾つもある。

『わたしはあなたがたを顧み、多くの子を獲させ、あなたがたを増し、あなたがたと結んだ契約を固めるであろう。あなたがたは古い穀物を食べている間に、また新しいものを獲て、その古いものを捨てるようになるであろう。』(レビ記26:9-10)
主の御言葉を守り行うなら、子供たちはおびただしく多くなって行く。それでいて、穀物倉から食料が尽きてしまう、という事も、一切無い。
新しい収穫物を倉庫に入れる時、そこには昨年穫れた作物がまだ残っており、それを捨てる、という事が、毎年あるのだ。

主の御言葉を守り行う事によって、確かに色々な祝福はあるが、その祝福の中で、最たるものは、「主に愛される事」である。(申命記7:13)
主に愛される人は、どういう人か。
『わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう。』(ヨハネ14:21)
主の御言葉を聞いて、それを守り行う人が、主に愛される、というのは、結局、旧約も新約も同じである。
イエス様が言われた最も大切ないましめも、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ」であった。

私達にとって大切な事は、「良いこと」をするよりも「良い方」である主を愛する事である。
主を愛さない人は御言葉を軽んじ、御言葉の抜け道を考え出して御言葉を守り行えない事の言い訳をしたり、自分で作った神学を人に押し付けたりする。
しかし、主を愛する人には、さらに守る力が与えられ、あらゆる面で、ますます富む者となって行き、敵に勝利するのだ。

『主はまたすべての病をあなたから取り去り、あなたの知っている、あのエジプトの悪疫にかからせず、ただあなたを憎むすべての者にそれを臨ませられるであろう。』(申命記7:15)
主は、主を愛する人の敵に、エジプトの災いを送られる。しかし、主を愛して主に愛される人には、そのような災いには主が遭わせない。
主は言われた。「あなたが、もしあなたの神、主の声に良く聞き従い、その目に正しいと見られることを行い、その戒めに耳を傾け、すべての定めを守るならば、わたしは、かつてエジプトびとに下した病を一つもあなたに下さないであろう。わたしは主であって、あなたをいやすものである。」(出エジプト記15:26)

また、受けている祝福をキープするためには、私達の内に、主の憎まれるものを持ち込まない事である。
『あなたの神、主があなたに渡される国民を滅ぼしつくし、彼らを見てあわれんではならない。また彼らの神々に仕えてはならない。それがあなたのわなとなるからである。』(申命記7:16)
もし、キリストを信じているのに、何しても成功しない、という事であるなら、滅ぼし尽くすべきものを、自分の中に相変わらず持ち続けていないか、点検すると良いかもしれない。

これら祝福の条件は、既に何度も聞いている通りで、モーセも何度も同じことを繰り返しているが、実際に守り行う人は少ないようである。
主を愛し、主の御言葉を聞いて、それを守り行い、ここに記されている全ての祝福で覆われる皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
誰も否めない神のしるし(民数記17:1-11):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声:人の思いをはるかに超えた神の愛(申命記7:7-11):右クリックで保存

神はなぜ、イスラエルを特別視し、愛されたか。
その理由は、人間の感覚で納得の行くものではない。
『主があなたがたを愛し、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの国民よりも数が多かったからではない。あなたがたはよろずの民のうち、もっとも数の少ないものであった。ただ主があなたがたを愛し、またあなたがたの先祖に誓われた誓いを守ろうとして、主は強い手をもってあなたがたを導き出し、奴隷の家から、エジプトの王パロの手から、あがない出されたのである。』(申命記7:7-8)

神がイスラエルを愛されたのは、イスラエルが他よりも優れているからでも、他より正しいからでも、ない。
神が私達を愛されたのは、私達が他よりも優れているからでも、他より正しいからでも、ない。
神は愛だから。
ただそれが、理由である。
『神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。』(1ヨハネ4:9-10)

私達の側には元々、聖なる神に愛される理由なぞ、何も無い。
むしろ、神の怒りを引き起こす罪深さだけがある。
罪の中に生き、神の愛と憐れみを受けるに相応しくない私達であるが、神は、ただ一方的に私達を愛し、ひとり子を世に遣わし、彼によって私達を生きるようにして下さった。その事によって、私達に、神は愛であられる事が分かった。

すなわち、神は、私達がまだ敵であった頃、ひとり子を身代わりとして私達のために捧げて下さったのである。
『わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。』(ローマ5:6-8)
神の愛は、まさに、人間の感覚をはるかに超えている。

『あなたの神、主があなたの前から彼らを追い払われた後に、あなたは心のなかで『わたしが正しいから主はわたしをこの地に導き入れてこれを獲させられた』と言ってはならない。この国々の民が悪いから、主はこれをあなたの前から追い払われるのである。あなたが行ってその地を獲るのは、あなたが正しいからではなく、またあなたの心がまっすぐだからでもない。この国々の民が悪いから、あなたの神、主は彼らをあなたの前から追い払われるのである。これは主があなたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに誓われた言葉を行われるためである。
それであなたは、あなたの神、主があなたにこの良い地を与えてこれを得させられるのは、あなたが正しいからではないことを知らなければならない。あなたは強情な民である。』(申命記9:4-6)

神がイスラエルに、約束の地を与えられ、その地の先住民に勝利させて下さるのは、イスラエルが正しいからではない。
その地に元々いた住民が、邪悪だからだ。
その事は、アブラハムの時代に、既に主が言っておられた。(創世記15:16)

神は、このイスラエルの先祖・アブラハムの信仰と従順の故に、イスラエルを愛された。
『それゆえあなたは知らなければならない。あなたの神、主は神にましまし、真実の神にましまして、彼を愛し、その命令を守る者には、契約を守り、恵みを施して千代に及び、また彼を憎む者には、めいめいに報いて滅ぼされることを。主は自分を憎む者には猶予することなく、めいめいに報いられる。』(申命記7:9)
アブラハムは神を信じ、それが義とされた。そして、自分のひとり子を捧げる程に、主への信仰を示したからこそ、神はアブラハムの子孫を祝福されたのだ。
そして、その恵みは千代まで、と約束されている。
それ程に愛を示して下さった神に、なお反逆するとするなら、当然、滅びが待っている。
『それゆえ、きょうわたしがあなたに命じる命令と、定めと、おきてとを守って、これを行わなければならない。』(申命記7:11)

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
山上の説教 - 主の祈り1(マタイ6:9-15):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
忠実また真実なる王の王、主の主(黙示録19:11-21):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声:滅ぼし尽くすべき敵(申命記7:1-6):右クリックで保存

『あなたの神、主が、あなたの行って取る地にあなたを導き入れ、多くの国々の民、ヘテびと、ギルガシびと、アモリびと、カナンびと、ペリジびと、ヒビびと、およびエブスびと、すなわちあなたよりも数多く、また力のある七つの民を、あなたの前から追いはらわれる時、すなわちあなたの神、主が彼らをあなたに渡して、これを撃たせられる時は、あなたは彼らを全く滅ぼさなければならない。彼らとなんの契約をもしてはならない。彼らに何のあわれみをも示してはならない。』(申命記7:1-2)

ヨシュア記の快進撃を読んでいると、イスラエルは、とても弱い敵と戦っていたかのように見えるが、決してそうではない。
ここに記されている通り、これら7つの民は、イスラエルよりも数多く、強かった。
実際に40年前、彼らの父の世代は「こんな強い民とは戦えない」と恐れ、夜通し泣き明かし、エジプトに帰ろうと言い出した程だった。

しかし主は言われる。
『あなたは心のうちで『これらの国民はわたしよりも多いから、どうしてこれを追い払うことができようか』と言うのか。彼らを恐れてはならない。あなたの神、主がパロと、すべてのエジプトびととにされたことを、よく覚えなさい。』(申命記7:17-18)
主の言葉は、出エジプトした父の世代の時も、それから40年経った申命記の時代も変わらない。約束の地へ行って、滅ぼすべき民を、滅ぼし尽くせ、である。
実際、主が言われた通りに、聞き従って行くなら、あのヨシュア記の快進撃となる。
しかし、恐れをなして退くなら、民数記の荒野の40年の放浪となるのだ。

主の約束を信じ、命令どおり行くなら、必ず勝利が待っているが、そこで、イスラエルが気をつけなくてはならない事がある。
『また彼らと婚姻をしてはならない。あなたの娘を彼のむすこに与えてはならない。かれの娘をあなたのむすこにめとってはならない。それは彼らがあなたのむすこを惑わしてわたしに従わせず、ほかの神々に仕えさせ、そのため主はあなたがたにむかって怒りを発し、すみやかにあなたがたを滅ぼされることとなるからである。むしろ、あなたがたはこのように彼らに行わなければならない。すなわち彼らの祭壇をこぼち、その石の柱を撃ち砕き、そのアシラ像を切り倒し、その刻んだ像を火で焼かなければならない。』(申命記7:3-5)

主の怒りを引き起こすような習慣に染まり切った、異邦の男や女とは、結婚してはならない。
実際、二万四千人が倒れたペオルの事件やコズビの事件の原因は、異邦の女との結婚が元であり、イスラエルの中に、みだらな事や偶像礼拝が、はびこったためだ。

『あなたはあなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝の民とされた。』(申命記7:6)
主は、主の民を「聖なる民」「自分の宝の民」とされた。それはキリストにある私達も同じである。
だから、先住民がそこで行っていた汚れた行いの、痕跡すら残してはならないし、私達も以前のような暗闇の生き方を捨て去るべきなのだ。

人は思う。
邪悪な民を滅ぼすのに、主はなんでわざわざ人の手に任せたりするのか。主がソドムを一瞬にして火で焼き滅ぼしたように、それをしてくれればいいのに、と。
そうしてくれれば自分達は戦争に行く必要は無いし、誘惑の元凶とも相対さずに済むし、不従順に陥ってしまう危険性も無いのに、と。

まず覚えておくべきは、主は、見境なく火を降して一気に滅ぼすようなお方ではない。
実際、ソドムの時も、問答無用で滅ぼす事をしなかった。
主は、ソドムを火で滅ぼす前に、アブラハムの執り成しを聞かれたし、また、ちゃんと使いを遣わして義人がそこにいるかを確認し、ロトを逃してから、火を下された。
主は、主に立ち返る異邦人が救われる余地も、残しておられるのだ。それで、遊女ラハブとその家族は救われた。

また主は、あえて誘惑となりそうなものを人の前に置き、その人自身の自由意志によって、それを拒否するよう、命じられる。エデンの園に、いのちの木の他に、善悪知識の木を生えさせたように。
なぜなら神は、人間をロボットのようにではなく、自由意志を持った「神の似姿」として創造され、地を支配するよう創られたからだ。
親が学校に居座って、四六時中、子供の隣で手取り足取り指示したり便宜を図っていたりしたら、子供は不健全に育ってしまうように、主は、人間をご自身の「子」として扱われ、子の領分では、子の自由意志に任せているのだ。
子が自ら親のアドバイスに従って行動するなら、学校での生活も自然と充実して行くように、私達も、この世界において、御言葉のアドバイスに従って行動するなら、この世で大いに祝福されるのだ。

主は、滅ぼすべき民を聖絶するよう命じた。
同じように、私達の内にも、滅ぼし尽くすべきものがある。
『だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。これらのことのために、神の怒りが下るのである。』(コロサイ3:5-6)

出エジプトしたイスラエルの民が、約束の地に巣食う先住民には「絶対かなわない」としりごみしたように、私達も、思うかもしれない。自分の内に巣食う、この情欲や不品行、これらと戦っても絶対にかないそうにない、と。
しかし、主ご自身が強敵と戦い快進撃したように、私達も、主に従順し服従し続けるなら、私達の内に巣食う情欲や不品行などは、御霊がそれらを殺し、快進撃し、今まで入れなかった幸いな領域にやすやすと入って行けるのだ。
「なぜなら、もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬ外はないからである。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう。」(ローマ8:13)

私達には、二つの選択がある。肉に従って生きるか、御霊に従って生きるか。
もし主に頼り、御霊に従って生きる決断をするなら、主が働いて下さり、今までの私達には決して出来なかった事がすんなり出来るようになり、罪と死に勝利し、多くの祝福を勝ち得る事が出来るのだ。

礼拝説教メッセージ音声:子供たちへの信仰のQ&A(申命記6:20-25):右クリックで保存

今回の箇所では、子供からこう質問されたら、こう答えなさい、という、Q&Aを示している。
『後の日となって、あなたの子があなたに問うて言うであろう、「われわれの神、主があなたがたに命じられたこのあかしと、定めと、おきてとは、なんのためですか。」』(申命記6:20)

子供が信仰についてする質問は、時に、本質を突いて鋭い。
皆さんは、子供に限らず、未信者から信仰について質問された場合に、答える準備は出来ているだろうか。
ペテロは言っている。
『また、あなたがたのうちにある望みについて説明を求める人には、いつでも弁明のできる用意をしていなさい。しかし、やさしく、慎み深く、明らかな良心をもって、弁明しなさい。そうすれば、あなたがたがキリストにあって営んでいる良い生活をそしる人々も、そのようにののしったことを恥じいるであろう。』(1ペテロ3:15-16)
故に、キリスト者は日々、いつでも私の望みについて、やさしく、慎み深く弁明できるよう準備しておくべきであり、また、あかしのため、そして主キリストがそしられないために、良い生活を心がけるべきである。

信仰に関する質問をされた時は、自分は以前どのような状態で、主はそんな私達に、何をして下さったか。それをまず説明すると良い。
『その時あなたはその子に言わなければならない。『われわれはエジプトでパロの奴隷であったが、主は強い手をもって、われわれをエジプトから導き出された。』(申命記6:21)
イスラエルはかつて、エジプトの奴隷だった。主はそこから力強い御手で救い出された。
私達も以前は、罪に縛られ、サタンの奴隷状態だった。しかし主は、そこから偉大な御手によって救い出して下さった。
その過程がエペソ書2章に詳しく記されている。

『あなたがたは以前には、肉によれば異邦人であって、手で行った肉の割礼ある者と称せられる人々からは、無割礼の者と呼ばれており、またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者であった。ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。』(エペソ2:11-13)
これが、主が私達に為して下さった事である。
キリストは、私達の身代わりに十字架上で罰される事によって、神と私達との間の隔ての壁を打ち壊し、神との平和をきたらせて下さった。

今や私達は、主にあって、どのような立ち位置を得ているだろうか。
『あなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。またあなたがたは、使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって、キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である。このキリストにあって、建物全体が組み合わされ、主にある聖なる宮に成長し、そしてあなたがたも、主にあって共に建てられて、霊なる神のすまいとなるのである。』(同19-22節)

当教会では、信徒の事を「聖徒」とよく呼んでいるが、あるクリスチャンは、一般のキリスト者を「聖徒」と呼ぶのはおこがましいのでは、と言う。
確かにクリスチャンは罪を犯すし、自分が「聖なる人」だとは到底思えないかもしれないが、ヘブル2:2に「聖とする方も、聖とされる者たちも、すべて元は一つです。」と書いてあるし、エペソ書にも、あなたがたは、もはや「聖徒たちと同じ国籍の者」であり、「神の家族」である、と記されている。

私達キリスト者は、使徒や預言者という土台の上に建てられた者であり、キリスト・イエスご自身が、隅のかしら石となっているのだ。
このキリストにあって、私達は古今東西の「聖徒たち」という建物へと組み込まれ、聖なる宮へと成長し、主にあって共に建てられて、霊なる神の住まいとなって行くのである。
そのように記されているからには、私達はアーメンと言って信じ、受け入れるのが筋であって、「信じられないから」と、御言葉に変な解釈を足すべきではない。

続いて主は、イスラエルを虐げてきた敵に対し、主はどうされたのか、という事も、子どもたちに教えるよう命じられた。
『主はわれわれの目の前で、大きな恐ろしいしるしと不思議とをエジプトと、パロとその全家とに示され、われわれをそこから導き出し、かつてわれわれの先祖に誓われた地にはいらせ、それをわれわれに賜わった。』(申命記6:22-23)
主はイスラエルのために、奴隷生活を強いてきたエジプトを処罰し、そこからイスラエルを救い出して、約束の地へと導き入れて下さった。
同じように、主は私達のためにも、奴隷を強いてきた罪とサタンを処罰され、そこから私達を救い出し、永遠のいのちへと導き入れて下さった。

また私達は、何のために主を信じ、どうして主の命じられた事を守り行うかを、そして、それら主のいましめを守り行ったらどうなるかも、子どもたちにしっかりと教えるべきである。
『そして主はこのすべての定めを行えと、われわれに命じられた。これはわれわれの神、主を恐れて、われわれが、つねにさいわいであり、また今日のように、主がわれわれを守って命を保たせるためである。』(申命記6:24)
主の命じられた事を守り行うなら、常に幸いであり、また、主に守られ、命を保つ事が出来る。
このように私達は、子供たちへ信仰を継承するのである。

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