メッセージ - 201310のエントリ

礼拝説教メッセージ音声:お門違いの恐怖(民数記17:12-18:7):右クリックで保存

『イスラエルの人々は、モーセに言った、「ああ、わたしたちは死ぬ。破滅です、全滅です。主の幕屋に近づく者が、みな死ぬのであれば、わたしたちは死に絶えるではありませんか」。』(民数記17:12)
彼らが言っている事は、ある部分は正しいが、重要な「しかし」を抜かしている。
この直前に起きた恐ろしい事件、コラのさばきと、民のつぶやきによって14700人が死んだ事件の、直後であるがら、御言葉を正しく理解していない民は、必要なき恐怖に陥って、混乱していたのかもしれない。

私達も、神は厳しく裁かれるお方だ、恐ろしい方だ、など、神を正しく理解していないが故の、必要なき恐怖に陥ってしまう事がある。
私達はそのような霊的な無駄足を踏まぬためにも、聖書を正しく理解したい。

確かに、人はみな罪咎を持っており、そのまま主に近づくなら、皆、死ぬ他無い。
ここに、重要な「しかし」がある。
主は人が罪を持っている事は百も承知で、憐れみ深い主は、そんな人間を罪と死の束縛から開放するために、大祭司を立ててくださったのだ。

『そこで、主はアロンに言われた、「あなたとあなたの子たち、およびあなたの父祖の家の者は、聖所に関する罪を負わなければならない。また、あなたとあなたの子たちとは、祭司職に関する罪を負わなければならない。』(民数記18:1)
これは、別段新しい命令ではない。主は、混乱している民に、正しい知識を再び思い起こさせるために仰せられたのだ。
アロンとその父祖の家のもの、すなわち、大祭司の一族とレビ族は、共に聖所に関する「罪を負い」、大祭司の一族は、祭司職に関する「罪を負う」のだが、では「罪を負う」とはどういうことか。
主は出エジプト記にて以下のように言っている。
『あなたはまた純金の板を造り、印の彫刻のように、その上に『主に聖なる者』と刻み、これを青ひもで帽子に付け、それが帽子の前の方に来るようにしなければならない。これはアロンの額にあり、そしてアロンはイスラエルの人々がささげる聖なる物、すなわち彼らのもろもろの聖なる供え物についての罪の責めを負うであろう。これは主の前にそれらの受けいれられるため、常にアロンの額になければならない。』(出エジプト記28:36-38)

すなわち、祭司とは、一般の人々の罪を代表して背負い、神と人との間に立って、罪の身代わりとしてのいけにえを捧げ、和解の務めをなす者である。
それ故、この時の民の恐れは、執り成してくれる祭司の存在を忘れた、お門違いの恐れである。

私達も、まことの大祭司キリストを忘れた、お門違いの恐れに憑かれていないだろうか。
キリストは、私達の罪咎を背負い、自らがいけにえとなって捧げられ、それによって、私達を神と和解させて下さった。
『まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。』(イザヤ53:4-6)
そういう訳で、私達の大祭司キリストのゆえに、私達の罪咎は主の御前に覚えられず、罪と死の束縛から開放され、永遠のいのちを得たのだ。

栄光の家系の女達 - ルツ4 栄光の家系の婚活(ルツ記3章)
第一礼拝・礼拝全体音声:右クリックで保存
第二礼拝・礼拝説教音声:右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

ルツ記3章は、ルツの結婚のための「婚活」と言える。
世の中の”婚活”は、いかに自分好みの、いかに条件の良い相手を見つけて、いかにやりくりしてそのような人との結婚へ持っていくか、というイメージがあり、その相手選びの判断基準は「自分中心」である。
しかし、神の民の婚活は、その真逆である。神の民の婚活は、イサクの結婚の時のように、自分の好みや意志は一切関係なく、霊的指導者や親に一任し、主の御心を求めて行うものである。
聖書では、自分の好みや目に慕わしい、という価値観で結婚相手を選ぶとしたら、それは身を滅ぼす元である。(創世記6章、士師記14:3)
それで、ルツの霊的指導者であるナオミは、ルツの「落ち着き所」へと導くため、一働きする。
『娘よ、わたしはあなたの「落ち着き所(原意:家庭、憩いの場所、休みの場所)」を求めて、あなたをしあわせにすべきではないでしょうか。』(ルツ記3:1)
女性にとって落ち着き所、憩いの場所は、男性の左腕の下(雅歌2:6)、脇腹の所(創世記2:21-22)である。
ナオミはルツに、ボアズの所に行って、「その足の所をまくって、そこに寝なさい」、と指示するが、ルツはナオミの言葉に、とまどったかもしれない。しかし、ルツがボアズと結婚する事、そして、ルツがボアズに言った言葉は、確かに御言葉に叶った事であった。(申命記25:5) 
ルツは、自分の判断は一切捨て、「あなたのおっしゃることを皆いたしましょう』(5節)と言って服従した。

ルツはナオミからの言いつけ通り、身を洗って、油をぬり、晴れ着をまとって、ボアズの所へ行った。
私達もキリストの所に行く時は、そのまま行くのではなく、御言葉の洗いによって身を洗い清め、聖霊の油を塗り、キリストが与えて下さった贖いの衣を身にまとって行くべきである。
そして言われた通り、ボアズの衣をまくって中に入り、そこに寝た。
『 「お前は誰だ」とボアズが言うとルツは答えた。「わたしは、あなたのはしためルツです。どうぞあなたの衣の裾を広げて、このはしためを覆ってください。あなたは家を絶やさぬ責任のある方です』(3:9新共同訳)
女性が男性に積極的に求婚する事は、イスラエルではかなり例外的な事であり、ましてや、未婚女性が寝ている男性のすそをまくって、その中に入るなど、もっての外である。
しかし、彼女がした事は、「真実な事」である。私達は全て、キリストに対しては女であり、私達の家を絶やさぬ責任のある方・キリストの御衣の下に自ら飛びこんで行く事は、御心に叶った事である。
ボアズは、彼女がした事は、ナオミにした親切よりも勝っている、と褒めた。なぜならルツは「自分の選び」によって若い人の所へ走らず、御言葉に服従し、買戻しの権利のあるボアズの所に来たからである。
御言葉を大切にするボアズとしては、御言葉に叶った彼女の願いを、蹴る訳にはいかない。

私達も、まことのボアズであるキリストに、「わたしはあなたのはしためです。」「あなたの贖いの衣でわたしを覆ってください。」「あなたは罪と死から、いのちへと買い取って下さる方です。」と願い出るべきである。
私達の真の落ち着き所、憩いの場所、戻るべき家は、キリストの御衣の内、キリストの脇腹の所であり、私達の上に翻るあの方の旗じるしは、愛である。(雅歌2:4)
御言葉そのものであるキリストは、御言葉を盾にとって願い出るなら、それを拒む訳にはいかない。

ボアズは言う。「たしかにわたしは近い親戚ではありますが、わたしよりも、もっと近い親戚があります。」
ルツをめとるべき責任がボアズよりも大きい親類が、他にいたのだ。
ボアズは、彼を差し置いて結婚に急ぐ事は道理に叶わぬ事とし、その事をないがしろにしなかった。
こうして、ボアズとルツの結婚は、その人の意志次第となり、ボアズにとっても、ルツにとっても、ナオミにとっても、結婚は一旦、神の元に手放された事になる。
ナオミはルツに言った。『娘よ、この事がどうなるかわかるまで「お待ちなさい(ヤーシャブ)」。あの人は、きょう、その事を決定しなければ落ち着かないでしょう』(ルツ3:18)
ヤーシャブは「住む、とどまる、座る」という意味がある。じっと座っている事、落ち着いて静かにしている事。
主の御前に手放したものは、落ち着いて信頼していれば、あとは主が、全ての手続きをして下さるのだ。

礼拝説教メッセージ音声:芽を出したアロンの杖(民数記17:1-11):右クリックで保存

古今東西、人々の上に立つ人は、どんなに完璧であっても、謙遜であっても、人々からの攻撃が絶えないものであるが、主は、アロンこそ、主が立てた大祭司である事を誰も反論できないように「しるし」を与えられた。

『「イスラエルの人々に告げて、彼らのうちから、おのおのの父祖の家にしたがって、つえ一本ずつを取りなさい。すなわち、そのすべてのつかさたちから、父祖の家にしたがって、つえ十二本を取り、その人々の名を、おのおのそのつえに書きしるし、レビのつえにはアロンの名を書きしるしなさい。父祖の家のかしらは、おのおののつえ一本を出すのだからである。そして、これらのつえを、わたしがあなたがたに会う会見の幕屋の中の、あかしの箱の前に置きなさい。
わたしの選んだ人のつえには、芽が出るであろう。こうして、わたしはイスラエルの人々が、あなたがたにむかって、つぶやくのをやめさせるであろう」。』(民数記17:2-5)

生物の「木」としてのいのちは死んでいる「杖」から、いのちが吹き出す。
この「死からの復活」を「しるし」とし、アロンこそ、神が直接任命した大祭司である事を人々に示すのだ。

死からの復活を、神の権威のしるしとする。
そのしるしは、創世記から黙示録に至るまで、聖書の随所にある。

神は、生物的には死んだも同然のアブラハムから、いのちを起こされた。
百歳の男と、九十歳の女との間から、いのちが生まれる。それはまさしく、神が働かれたとしか思えない。
この、死の中から生まれ出たイスラエル民族こそ、神の選ばれた民であると、人類は知るのだ。

イスラエル民族は、幾度も、他民族の虐待によって滅亡の危機に陥った。古くはエジプトにはじまり、バビロン捕囚やユダヤ戦争、近年のホロコーストなど、民族滅亡の危機が幾度も訪れたが、それでも生き残っている。これは他の民族では、考えられない。
全能なる神が働いて、守っているとしか、考えられない。

『その翌日、モーセが、あかしの幕屋にはいって見ると、レビの家のために出したアロンのつえは芽をふき、つぼみを出し、花が咲いて、あめんどう(アーモンド)の実を結んでいた。』(民数記17:8)
果たして、モーセとアロンが一晩掛けて、精巧にアーモンドそっくりの模造品をこしらえたのだろうか?
いや、現代の技術をもってしても、本物の命と見まごうような物を作り出す事は出来ない。
偽物の命であったら、すぐに分かってしまうものだ。

人は、いのちを造り出す事も、模造する事さえも出来ないし、まして人は、死んだいのちをよみがえらせる事など、できない。
人類は古くからそれを願い、努力し求めて来たが、未だにそれには至っていない。
いのち。それは神にしか出来ない作品であり、死からの復活こそ、神のあかしである。

『主はモーセに言われた、「アロンのつえを、あかしの箱の前に持ち帰り、そこに保存して、そむく者どものために、しるしとしなさい。こうして、彼らのわたしに対するつぶやきをやめさせ、彼らの死ぬのをまぬかれさせなければならない」。』(民数記17:10)
人々は、この新しく息吹いたいのちを見て、アロンこそ、神が選ばれた祭司だと、認めざるを得なかった。
それでも逆らう民はいたが、神が「死と復活」のしるしを示し、認定された以上、それに逆らうとしたら、もはや弁解の余地は無く、その者は、死を免れる事は無い。

死と復活。これこそ、神が選んだ事のしるしであり、神が最も顕著に示した「死と復活のしるし」は、イエス・キリストの十字架である。
神は、杖という木からいのちが芽吹く事によって、アロンこそ、神が認定された祭司である事を示された。
同じように、十字架という木の死から復活したキリストこそ、唯一まことの大祭司であると、神は示されたのであり、それを否定する者には弁解の余地なく、滅びが待っている。

主は、いのちが息吹かれたアロンの杖を、あかしの箱の前に持ち帰りなさい、と言われた。
あかしの箱の中には、次の三点のものがある。すなわち、マナのはいっている金のつぼと、芽を出したアロンのつえと、契約の石板である。(ヘブル9:4)
これら三種は皆、神ご自身の手による、人々への「あかし」である。
契約の石板は、神の指によって記された、神から人への言葉、御言葉であり、マナのはいっている金のつぼは、天から与えられた神からの食物、神からのいのちの養いであり、芽を出したアロンのつえは、神が公認した祭司のしるし、それも、死と復活による祭司のしるしである。

これら”三種の神器”は、全て、キリストをあかししている。
契約の石板は、天から降った御言葉であるキリストをあかしし(ヨハネ1:1-14)、マナのはいっている金のつぼは、天から降ったまことの食物であるキリストをあかしし(ヨハネ6:47-51)、芽を出したアロンのつえは、神が公認した祭司、それも、死と復活を経た大祭司であるキリストをあかししている(ヘブル5:1-10)。
復活のいのち。それこそ、神のあかしである。

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
イエス様も乗った小舟で(マルコ4:35-41):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
主を求める人が密かに味わう宇宙規模の不思議(マタイ2:1-12):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
女と竜と男の子(黙示録12章):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声:つぶやき - 一万四千七百人が倒れた災いの元凶(民数記16:41-50):右クリックで保存

『 その翌日、イスラエルの人々の会衆は、みなモーセとアロンとにつぶやいて言った、「あなたがたは主の民を殺しました」。』(民数記16:41)

前回、あれだけの主の恐ろしさを垣間見ながら、また、主が立てられた権威者であるモーセとアロンに逆らった者に対する、あれだけの恐ろしい罰を見ながら、なんと、翌日から早速つぶやきはじめている。
しかも、彼らはみなモーセとアロンが殺した、と言っているのだ。
一体、モーセとアロンが大地を裂けさせて逆らう者達を突き落としたとでも言うのだろうか。一体、モーセとアロンが火炎放射器のようなものでで250名を焼き殺したとでも言うのだろうか?
あれだけ明確に「主が為された」のに、民はなお主を見ず、主を無視し、モーセとアロンに言い逆らう。
主の警告と主の存在を無視したような、度重なる民の不従順を、主はそのまま見過ごしにはされない。

『会衆が集まって、モーセとアロンとに逆らったとき、会見の幕屋を望み見ると、雲がこれをおおい、主の栄光が現れていた。モーセとアロンとが、会見の幕屋の前に行くと、主はモーセに言われた、「あなたがたはこの会衆を離れなさい。わたしはただちに彼らを滅ぼそう」。そこで彼らふたりは、ひれ伏した。』(民数記16:42-44)

民が主を怒らせ、主が民を滅ぼそうとし、そのたびに、モーセとアロンがひれ伏して取り成す。
もう幾度、このパターンを見ているだろうか。
それ程に、民の愚かさは根強く、それ程にモーセとアロンの取り成す心は深い。

『モーセはアロンに言った、「あなたは火ざらを取って、それに祭壇から取った火を入れ、その上に薫香を盛り、急いでそれを会衆のもとに持って行って、彼らのために罪のあがないをしなさい。主が怒りを発せられ、疫病がすでに始まったからです」。』(民数記16:46)

今までのパターンなら、主が「滅ぼす」言っても、モーセがすぐに執り成し、主はそれで災いを留められていたが、今回、モーセが執り成す間も無く、すぐに災いが始まっている。
このままでは、民全体はじきに滅ぼされてしまう。
そこでモーセは、アロンに命じたのだ。

『そこで、アロンはモーセの言ったように、それを取って会衆の中に走って行ったが、疫病はすでに民のうちに始まっていたので、薫香をたいて、民のために罪のあがないをし、すでに死んだ者と、なお生きている者との間に立つと、疫病はやんだ。』(民数記16:47-48)

大祭司アロンは、祈りの香、宥めの香りを持って、走って行った。
アロン自身を悪しざまに罵った、当の本人達を、救うために。
自分も疫病に打たれてしまうかもしれないリスクを顧みず、執り成しに行くために、死んだ者と生きている者との間へと走っていった。

この大祭司アロンの行動は、私達の大祭司である主イエス・キリストの有り様を示している。
主は、そむいた私達を救うために、天から降りて来られ、罪とがの中でもがいている私達の中に飛び込んで来られ、死んだ者と生きている者との間に立ち、父なる神に執り成しておられる。

主は、私達にも、祭司として執り成し祈る事を求めておられ、罪とがの故に滅ぼされていく人々の間に立ち、祈りの香を立ち上らせる事を求めておらる。
もし、執り成し祈る人がいないとしたら、主はその所を滅ぼしてしまう。
『わたしは、国のために石がきを築き、わたしの前にあって、破れ口に立ち、わたしにこれを滅ぼさせないようにする者を、彼らのうちに尋ねたが得られなかった。それゆえ、わたしはわが怒りを彼らの上に注ぎ、わが憤りの火をもって彼らを滅ぼし、彼らのおこないを、そのこうべに報いたと、主なる神は言われる」。』(エゼキエル22:30-31)
それ故、キリストにあって祭司として任命された私達も、国のために、置かれている会社や環境のために祈るべきであり、それによって、私達が遣わされている所は清められ、守られるのである。

『コラの事によって死んだ者のほかに、この疫病によって死んだ者は一万四千七百人であった。アロンは会見の幕屋の入口にいるモーセのもとに帰った。こうして疫病はやんだ。』(民数記16:49)
イスラエルの全会衆が六十万ほどであるから、今回の災いで、およそ四十人に一人が死んだ割合になる。
民はなんと頑なで、聞かず屋であろうか。
私達はこれらの事に戒めを受け、頑なになったり、つぶやいたりして滅ぼされる事の無いように気を付けるべきである。

『彼らの中の大多数は、神のみこころにかなわなかったので、荒野で滅ぼされてしまった。これらの出来事は、わたしたちに対する警告であって、彼らが悪をむさぼったように、わたしたちも悪をむさぼることのないためなのである。・・・
また、ある者たちがつぶやいたように、つぶやいてはならない。つぶやいた者は、「死の使」に滅ぼされた。これらの事が彼らに起ったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである。だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。』(1コリント10:5-12)

礼拝説教メッセージ音声:悪い意味での記念の物(民数記16:36-40):右クリックで保存

『「あなたは祭司アロンの子エレアザルに告げて、その燃える火の中から、かの火ざらを取り出させ、その中の火を遠く広くまき散らさせなさい。それらの火ざらは聖となったから、罪を犯して命を失った人々の、これらの火ざらを、広い延べ板として、祭壇のおおいとしなさい。これは主の前にささげられて、聖となったからである。こうして、これはイスラエルの人々に、しるしとなるであろう」。』(民数記16:38)

エルアザルにとって、この命令は、かなり強烈なものであったろう。
焼き滅ぼされた250人の死体が、まだそこここでくすぶっている所に入って行き、彼らが手にしていた火皿を250個、取り集めよ、というのだから。
彼は二人の兄も、同じように亡くしている。
きっと彼は、子に、孫に、くれぐれも主の前に分を超えて思い上がってはならない、と、きつく教育しただろう。
実際、エルアザルの子ピネハスは、素晴らしい信仰の行いをした。(民数記25章)

『そこで祭司エレアザルは、かの焼き殺された人々が供えた青銅の火ざらを取り、これを広く打ち延ばして、祭壇のおおいとし、これをイスラエルの人々の記念の物とした。これはアロンの子孫でないほかの人が、主の前に近づいて、薫香をたくことのないようにするため、またその人がコラ、およびその仲間のようにならないためである。すなわち、主がモーセによってエレアザルに言われたとおりである。』(民数記16:39-40)

いかに反逆した者達が捧げたものとはいえ、彼らが捧げたものは聖となり、それらはイスラエルの記念として、祭壇のおおいとして用いられた。
イスラエルの人達は代々、何百年も、その祭壇のおおいを見ては「これがコラと共に主の権威に逆らった、あの250人の火皿か」と、恐れおののいただろう。

しかし、後の時代には、祭司でないのに不遜にも香を捧げようとした王がいた。ウジヤ王である。
彼は最初は、主を敬う良い王だった。
それで祝福され、周辺諸国との戦争に勝ち、内政を充実させ、その名声は大いに広がった。
『ところが彼は強くなるに及んで、その心に高ぶり、ついに自分を滅ぼすに至った。すなわち彼はその神、主にむかって罪を犯し、主の宮にはいって香の祭壇の上に香をたこうとした。』(2歴代誌26:16)

それを祭司アザリヤに「主に香をたくことはあなたのなすべきことではなく、ただアロンの子孫で、香をたくために清められた祭司たちのすることです。すぐ聖所から出なさい。あなたは罪を犯しました。あなたは主なる神から栄えを得ることはできません。」と戒められると、ウジヤは激しく怒り、香炉を手にとって香をたこうとしたが、そのとたん、らい病(ツァラアト)が彼のひたいに現れた。
『ウジヤ王は、死ぬ日までらい病人であった。彼はらい病人であったので、離れ殿に住んだ。主の宮から断たれたからである。』(同21節)

ウジヤ王も、コラも、共通している事は、主の御前に自分の分ではない礼拝を捧げようとし、それをひと度戒められ、正しい道の何であるかを示されたのに、戒めに対して怒り、あざけり、無視し、あくまで自分を押し通そうとしたとたん、主のさばきが降った事だ。
『わたしは、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりびとりに言う。思うべき限度を越えて思いあがることなく、むしろ、神が各自に分け与えられた信仰の量りにしたがって、慎み深く思うべきである。』(ローマ12:3)

コラやウジヤ王のように、悪い意味で記念となり、その名が永遠に記される者もいるのだ、という事を、忘れてはならない。
イエス様の葬りの整えのために、高価なナルドを捧げたベタニアのマリヤは、その行いが永遠の記念とされたが、彼女のように、従順の行動が主の御前に覚えられ、永遠の記念として残る皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:生きながらにして地の底に落とされる者の性質(民数記16:25-35):右クリックで保存
(音声データは後程アップします)

『モーセは会衆に言った、「どうぞ、あなたがたはこれらの悪い人々の天幕を離れてください。彼らのものには何にも触れてはならない。彼らのもろもろの罪によって、あなたがたも滅ぼされてはいけないから」。そこで人々はコラとダタンとアビラムのすまいの周囲を離れ去った。そして、ダタンとアビラムとは、妻、子、および幼児と一緒に出て、天幕の入口に立った。』(民数記16:26)

モーセはイスラエルの民を、分派を促して反逆させる者どもから、離れさせた。
彼らと同じさばきに遭わせないためである。
キリスト教は、赦しの宗教だとよく言われるが、聖書が教えている所は、『分派を起こす者は、一、二度戒めてから、除名しなさい。』であり(テトス3:10)、戒めても聞かず、悔い改めないような者からは「離れる」事も、その人自身にとって、そしてその周りの人にとって益である。

『モーセは言った、「あなたがたは主がこれらのすべての事をさせるために、わたしをつかわされたこと、またわたしが、これを自分の心にしたがって行うものでないことを、次のことによって知るであろう。すなわち、もしこれらの人々が、普通の死に方で死に、普通の運命に会うのであれば、主がわたしをつかわされたのではない。
しかし、主が新しい事をされ、地が口を開いて、これらの人々と、それに属する者とを、ことごとくのみつくして、生きながら陰府に下らせられるならば、あなたがたはこれらの人々が、主を侮ったのであることを知らなければならない」。』(民数記16:28-30)

あまりに悪辣な事を止めず、神を怒らせ続けて来た人が、ある日突然、普通でない死に方をした、というような事が、確かにある。
その時、人は、義なる神が確かに生きておられ、自身が介入されたのだ、と、誰もが思うのである。

『モーセが、これらのすべての言葉を述べ終ったとき、彼らの下の土地が裂け、地は口を開いて、彼らとその家族、ならびにコラに属するすべての人々と、すべての所有物をのみつくした。すなわち、彼らと、彼らに属するものは、皆生きながら陰府に下り、地はその上を閉じふさいで、彼らは会衆のうちから、断ち滅ぼされた。
この時、その周囲にいたイスラエルの人々は、みな彼らの叫びを聞いて逃げ去り、「恐らく地はわたしたちをも、のみつくすであろう」と言った。また主のもとから火が出て、薫香を供える二百五十人をも焼きつくした。』(民数記16:31-35)

地がぱっくりと口を開いて、人々を飲み込み、生きながら陰府(よみ)に降ってしまう。
実に恐ろしい出来事であるが、聖書には、生きたまま陰府に投げ落とされるような者達が他にも登場するが、そんな彼らには共通した性質がある。

『黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。あなたはさきに心のうちに言った、『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、北の果なる集会の山に座し、雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう』。しかしあなたは陰府に落され、穴の奥底に入れられる。』(イザヤ14:12-15)

この「黎明の子、明けの明星」は、堕天使ルシファー、すなわちサタンの事である。
彼もコラ達のように、陰府に落され、穴の奥底に入れられるが、共通しているのは、自ら高みにのぼり、人々の上に立ち、神のようになろうとする「高ぶり」の性質である。
そして、暗闇で謀略を巡らし、相共に集って、神の権威に反逆する者も、生きながらに地獄に投げ落とされる。

『なお見ていると、獣と地の王たちと彼らの軍勢とが集まり、馬に乗っているかたとその軍勢とに対して、戦いをいどんだ。しかし、獣は捕えられ、また、この獣の前でしるしを行って、獣の刻印を受けた者とその像を拝む者とを惑わしたにせ預言者も、獣と共に捕えられた。そして、この両者とも、生きながら、硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。』(黙示録19:19-20)

この「にせ預言者」は多くの人々を惑わし、神とその民に対して戦いを挑む者だが、それはまさにコラと同じ性質である。
コラに惑わされた250名の有力者達は、神の元から火が降ってきて焼き滅ぼされたが、欲望におびき寄せられて惑わされ、神の立てた権威に歯向かう者達に、主が用意されているのは、焼きつくす火である。

『そして、出て行き、地の四方にいる諸国民、すなわちゴグ、マゴグを惑わし、彼らを戦いのために召集する。その数は、海の砂のように多い。彼らは地上の広い所に上ってきて、聖徒たちの陣営と愛されていた都とを包囲した。すると、天から火が下ってきて、彼らを焼き尽した。そして、彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄との池に投げ込まれた。そこには、獣もにせ預言者もいて、彼らは世々限りなく日夜、苦しめられるのである。』(黙示録20:8-10)

惑わされる人には、必ず、惑わされるための”とっかかり”があり、そのとっかかりには、その人の欲や怒り、ねたみ、高ぶりなど、色々な要素がある。
『人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。』(ヤコブ1:14-15)
私達は、惑わされないために、そのとっかかりである「欲」や「怒り」、「ねたみ」、「高ぶり」などを、主イエスの血潮によって捨て去り、清めていただく必要がある。

地が口を開けて生きたまま飲み込まれるさばきも、火が降ってきて焼き滅ぼされるさばきも、いずれも恐ろしいものであるが、それは、主の敵に対して用意されているものであり、主に従順し服従している私達には、届かないものである。
不従順を続けて滅ぼされる者ではなく、モーセのように、そのような者どもから主に弁護される皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!

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