メッセージ - 201305のエントリ

聖霊を受ける備え:イエス様の証人となる(使徒1:3-9)
第一礼拝・礼拝全体音声(韓国語通訳有한국어예배):右クリックで保存
第二礼拝・礼拝説教音声:右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

主は天に挙げられる前、もうすぐ弟子達に聖霊のバプテスマが授けられる事を預言し、その時までの備えとして、「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。」と言われた。(使徒1:4)
エルサレム。その名前の意味は、「平和の土台」であり、神殿のある場所、礼拝者達が集う、神の都である。
私達も、聖霊が与えられるのを待ち望む時は、まず、平和という土台に立ち、主を礼拝する所から離れず、御言葉にとどまり続け、主がかねてから言われている約束を待ち望む事である。
聖霊は、扇動的な言葉によって高揚して得るものではない。御霊の実は、平安である。

続いて主は言われた。「ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう」(使徒1:5)
バプテスマには2種類ある。一つは、ヨハネが授けた「水のバプテスマ」。これは、それまでの生き方を悔い改め、生来の自分を「死」へと渡すために、水へと浸しこむものである。もう一つは、主が授けて下さる「聖霊と火とのバプテスマ」(マタイ3:11)で、力を受け、全世界に対しイエスキリストの証人となるしるしである。
キリストの弟子としての条件は、ヨハネのバプテスマから、キリストの昇天まで、いつも行動を共にした者であり、「イエスの復活の証人」たる者である。(使徒1:22) つまり、キリストの弟子として聖霊を頂くには、悔い改めた者である事は必須条件であり、聖霊を受ける目的も、イエス・キリストの証人となる事である。

まもなく聖霊を受ける事を言われた弟子達は、イエスに問うて言った。「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」。(使徒1:6)
弟子達が望んでいた事は、イエス様が王権を取り、イスラエルがローマ帝国の支配から脱却し、支配される側から、支配する側となり、自分たちが栄える事であったが、主は彼らに言われた。「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない。」(使徒1:7) 
イエス様はその直後、人の世の王座に座して君臨するのではなく、天に挙げられ、人々の目から見えなくなるのである。主が実権をもって直接世を支配されるその時は、父なる神が主権をもって定めておられるが、その前に、弟子達が、そして私達が、為さねばならない事がある。
「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となるであろう。」(使徒1:8)
弟子達が、そして私達が、主が実権をもって来られる前に、為さねばならない事、それは、地の果てにまで、イエス・キリストの証人となる事である!そのためにこそ、聖霊が与えられ、力を着せられるのだ。

「こう言い終ると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。」(使徒1:9) まさにこの時以降、弟子達は、イエス様と顔と顔とを合わせて会う事が、もはや無くなる。
ある意味、8節の言葉が「最後のお別れの言葉」であったのだが、とてもそうとは思えない内容である。
他の福音書のイエス様の最後の言葉も、とても、お別れの言葉とは思えない。
「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。」(マルコ16:16)
「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。(マタイ28:20)
「それから、イエスは彼らをベタニヤの近くまで連れて行き、手をあげて彼らを祝福された。祝福しておられるうちに、彼らを離れて、天にあげられた。」(ルカ24:50-51)
イエス様は「わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。」と言われた。真理の御霊が来る時、私達は知るのである。主が御父におり、私達が主におり、主が私達におる事を。(ヨハネ14:16-20)
そして私達は、地の果てまでイエス様の証人となる。イエス様をあかしする霊を宿し、全ての事について教えられ、イエス様が生きている事の証人として、地の果てまで出て行くのである!
平和の土台に立ち、主を礼拝する所から離れず、御言葉にとどまり続け、聖霊に満たされる事を待ち望む皆さんでありますように!イエス様の名前によって祝福します!

ある姉妹が、集中的に御言葉を学びたいという事で金曜から来ており、そこで、第二テモテの全4章を、三日がかりでじっくりと学んだのですが、その学びに同席した兄弟姉妹みんなが、たくさんの恵みをいただきました。

ある姉妹に示された御言葉が、別の姉妹を潤し、その分かち合いがまた別の兄弟を潤し、と、恵みが恵みを呼んで、もう涙、涙。もちろん涙ばかりでなく、喜びと笑いもいっぱいで、本当に、いのちの分かち合いでいっぱいの、祝福の時でした。

初めは、その姉妹のためにと始まった事でしたが、主から注がれた恵みの油が、周りへと滴って潤して行きました。

まさしく、詩篇133篇にある通りです。

「見よ、兄弟が和合して共におるのは/いかに麗しく楽しいことであろう。それはこうべに注がれた尊い油がひげに流れ、アロンのひげに流れ、その衣のえりにまで流れくだるようだ。またヘルモンの露がシオンの山に下るようだ。これは主がかしこに祝福を命じ、とこしえに命を与えられたからである。」

今、これから大勢で食卓を囲んで、楽しい夕食に入ろうとしている所です。

御言葉はまさしく、掘れば掘るほどざくざく出てくる、いのちの宝箱です。

礼拝説教メッセージ音声:コンシューマー・サービス(レビ記9:15-14):右クリックで保存

自分自身の贖いを済ませた祭司アロンが、次に為す事は、民のための贖いであり、そのために主から命じられている事は、罪祭、燔祭、酬恩祭、素祭を捧げる事である。

真っ先に罪祭(罪のためのいけにえ)を捧げる所は、祭司の贖いと同じである。
民も、まず罪を取り扱わなくてはならない。
なぜなら、罪は神と人との隔たりとなってしまうからだ。
『見よ、主の手が短くて、救い得ないのではない。その耳が鈍くて聞き得ないのでもない。ただ、あなたがたの不義が/あなたがたと、あなたがたの神との間を隔てたのだ。またあなたがたの罪が/主の顔をおおったために、お聞きにならないのだ。あなたがたの手は血で汚れ、あなたがたの指は不義で汚れ、あなたがたのくちびるは偽りを語り、あなたがたの舌は悪をささやき、ひとりも正義をもって訴え、真実をもって論争する者がない。彼らはむなしきことを頼み、偽りを語り、害悪をはらみ、不義を産む。』(イザヤ59:1-4)

続いて捧げられるのが、燔祭(全焼のいけにえ)である。
燔祭は、自らを捧げる献身を意味し、献身なくば、祝福はいただけない。
「この時代において幾倍もの祝福を受け、来るべき世で永遠のいのちを受ける」者とは、「神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子を捨てた者」であり(ルカ18:29-30) 、食べ物や着る物などがすべて添えて与えられる者とは、「まず神の国と神の義とを求め」た者である。(マタイ6:33)
主から祝福をいただくには、必ず、それなりの「献身」が必要だという事ある。

それに続いて捧げられるのは、素祭(穀物の捧げもの)である。
祭司の場合は、罪祭と燔祭のみだったが、祭司には土地の相続が与えられていない。
それ故、一般人は、自分達の相続地から得られた、勤労の実である穀物を捧げるのだ。

そして、最後に捧げられるのが、酬恩祭(和解のいけにえ)である。
酬恩祭は、以前も学んだとおり、神と、祭司と、捧げた人とが、共に同じ食物からいただくごちそうであり、同じテーブルに座って共に宴会をするかのような、神と人との楽しい交わりである。
これを捧げる事によって、神と人との平和が実現する事になる。
そして今や、キリストこそ、まことの和解のいけにえである。
『キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。』(エペソ2:14-16)

以上、これら全てのいけにえを捧げた後、アロンは祝福した。そしてアロンの祝福は神に受け入れられ、神の元から火がくだり、いけにえを受け入れられた。
『モーセとアロンは会見の幕屋に入り、また出てきて民を祝福した。そして主の栄光はすべての民に現れ、主の前から火が出て、祭壇の上の燔祭と脂肪とを焼きつくした。民はみな、これを見て喜びよばわり、そしてひれ伏した。』(レビ記9:23-24)

主は、焼きつくす火である。(ヘブル12:29) 英語の聖書では、コンシューミング・ファイアーである。
最近、ビジネス用語でコンシューマーという言葉を良く耳にする。
コンシューマーとは、お客様、消費者であり、コンシューマーを意識したビジネス展開が重要であるが、神こそ、真に私達のコンシューマーである。
人々の中には、色々な教会の礼拝を物色し、あっちの礼拝(サービス)は甘い、こっちのは辛い、などと、自分をコンシューマーとし、教会をサービス提供者のように思っている人がいるが、そのような人は、自分の立場が分かっていない。
神こそコンシューマーであり、私達はサービス(礼拝)を捧げる側である。

主を敬う心をもって正しく礼拝を捧げるなら、主は炎をもってその礼拝を受け入れて下さるが、身勝手に捧げるならば、主は、その人自身を焼きつくす火として現れる。
その事については、次回見て行きたい。

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
40年前のリベンジ(ヨシュア記3章):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
一時期低くされても(エステル9:20-10:3):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
常にいまし昔いまし後に来られる方(黙示録1:4-8):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声:主の栄光の歩みをするために(レビ記9:1-14):右クリックで保存

七日の任職期間を経、神と人との前に正式に大祭司となったアロンが、最初に為さねばならなかった仕事は、自分自身の贖いのために、祭壇でいけにえを捧げる事であった。
『八日目になって、モーセはアロンとその子たち、およびイスラエルの長老たちを呼び寄せ、アロンに言った、「あなたは雄の子牛の全きものを罪祭のために取り、また雄羊の全きものを燔祭のために取って、主の前にささげなさい。』(レビ記9:1-2)

今、キリスト者である私達が、自らの全てを捧げる「祭壇」は、十字架である。
キリストは、十字架の上で、自分の意思を尽く御父の前に降ろし、十字架の上で、完全にご自身を捧げられた。

任職式においては、七という完全数が満ちるまで、日々、祭壇の贖いと、その人自身の贖いとが、毎日なされたが、同じように、私達も、主が量られた期間が満ちる時まで、日々、自分の十字架を負い、その上で主イエスについて行くべきである。
『それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。』(マタイ16:24-25)

『あなたはまたイスラエルの人々に言いなさい、『あなたがたは雄やぎを罪祭のために取り、また一歳の全き子牛と小羊とを燔祭のために取りなさい、また主の前にささげる酬恩祭のために雄牛と雄羊とを取り、また油を混ぜた素祭を取りなさい。主がきょうあなたがたに現れたもうからである』」。』(レビ記9:3-4)
自分自身の贖いが済んだ祭司が、次に為すべきは、民のための贖い、すなわち、民のために罪祭、燔祭、酬恩祭、素祭を捧げる事であった。
これについては次回見て行くが、これらの事を為さねばならない理由は、明確に、次のように言われている。
「これは主があなたがたに、せよと命じられたことである。こうして主の栄光はあなたがたに現れるであろう」(レビ記9:6)

皆さんは、自分の生活の中に、職場に、家庭に、主の栄光を見たいと思うだろうか。主が直々に、生き生きと、皆さんの家庭や職場において、働かれるのを見たいだろうか。
そうであるなら、その主の臨在を呼びこむためのエッセンスが、このレビ記に記されている。

主の栄光が現れるための、第一ステップは、まず、罪祭と燔祭であった。
祭司は、神と人との間に立って執り成し、祈り、いけにえを捧げる者である。私達もキリストにあって祭司とされたからには、真っ先に、自分自身の罪を対処する必要がある。
もし私達の中に罪が手付かずにそのまま残っているとしたら、その罪が、神と私達との間に隔たりとなってしまい、どんな良き犠牲を捧げても、主は受け入れて下さらない。(イザヤ59:1-4)
だから真っ先に、罪を取り扱う必要があるのだ。

罪を対処した後に、捧げるべき捧げものは、全焼のいけにえである。
現在、私達が捧げる「全焼のいけにえ」とは、「私達自身」である。
『兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。』(ローマ12:1)

そのように、まず、私達の罪を、イエスの血潮によって、御言葉の水の洗いによって取り扱い、続いて、私達自身の思いも意思も感情もキリストに服従させ、自分自身を主に捧げるなら、私達の執り成す祈りを、主は聞いて下さり、人々のための贖いも出来るようになり、主の栄光が現れて下さるのだ。
主の栄光の内を歩む事、主が共におられる事、これこそ、私達が「神の民」と呼ばれるゆえんである。

礼拝説教メッセージ音声:任職のための七日という期間(レビ記8:14-36):右クリックで保存

大祭司の任職において必要なもう一つ過程、それは、動物のいけにえである。
最初に捧げられるのは「罪のためのいけにえ」、その次は「全焼のいけにえ」、そして、「任職のいけにえ」と続くが、この順番は、とても意義深い。
私達も、神と人との間に立つ祭司として主に用いられるには、まず「罪の清め」を経なくてはならず、それを経て後は「全焼のいけにえ」、すなわち、思い、意思、感情全てを主に服従させ、全身全霊をもって主に献身する事が必要であり、そうしてこそ、祭司として相応しく整えられるのである。

任職の雄羊の「任職(mil-loo)」という言葉は、成就、聖別、献身とも訳す事が出来る。
「聖」とは、分離を意味する。故に、祭司に「任職」されるとは、俗なるものから聖なるものへと分離され、神へ全き献身する事を意味する。

私達キリスト者は、キリストにあって王族の祭司とされた(1ペテロ2:20)。
という事は、キリスト者は世と分離し、神へ献身する者、もはや世のためでなく、天のため、自分のためでなく、キリストのために生きる者達である。

『彼はまたほかの雄羊、すなわち任職の雄羊を連れてこさせ、アロンとその子たちは、その雄羊の頭に手を置いた。モーセはこれをほふり、その血を取って、アロンの右の耳たぶと、右手の親指と、右足の親指とにつけた。』(レビ記8:22-23)

祭司の任職式で特徴的なのが、血を、右の耳たぶと、右手の親指と、右足の親指とにつける行為だが、「右」は力と権威を象徴し、「耳」は聞き従う器官、「手」は行う部位、「足」は、歩む部位である。
祭司の耳は、手や足よりも重要である。なぜなら、祭司は神の御声を正しく聞き、民の声を正しく聞く必要があるからだ。

『あなたがたはその任職祭の終る日まで七日の間、会見の幕屋の入口から出てはならない。あなたがたの任職は七日を要するからである。』(レビ記8:33)
この七日の期間、任職のための特別なパンと肉を食べなくてはならない。それは特別なものであるため、他の人は食べてはならず、残ったら、火で焼き捨てなければならない。(レビ記8:25-32)
この七日という期間、世俗に戻る事は許されず、幕屋という聖なる場所にとどまり続け、主の庭に住み、主を思い続ける。
そして、思いも意思も感情も、体も、主の御用として用いられるにふさわしく清められる事に集中し、聖なる者とされる事に集中するのだ。

教会に住みたい、という人がいても、その理由が、さみしさを紛らわせたいとか、居ればなんとなく落ち着く気がするとか、あるいは、教会を何か慈善団体の簡易宿泊所のように思っているような人は、たとい何日教会に住んでも、何の変わる所は無い。
しかし、心のうちに、主を思い焦がれる思いがあるのなら、たとい、仕事などの事情で教会に来れない日が何日か続いても、その人は、どこにおいても主を認め、主に愛され、ますます霊的に成長して行く。
大事なことは、幕屋や教会といった「場所」よりも、その人自身の内に、主を慕い求める心、生ける神を喜ぶ心がある事である。
『なんと幸いなことでしょう。その力が、あなたにあり、その心の中にシオンへの大路のある人は。彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。彼らは、力から力へと進み、シオンにおいて、神の御前に現われます。』(詩篇84:5-7)

礼拝説教メッセージ音声:大祭司の任職式 - 聖別の油そそぎ(レビ記8:1-13):右クリックで保存

レビ記8章は、大祭司の任職式を実際に行った事の記録である。
『「あなたはアロンとその子たち、およびその衣服、注ぎ油、罪祭の雄牛、雄羊二頭、種入れぬパン一かごを取り、また全会衆を会見の幕屋の入口に集めなさい」。
モーセは主が命じられたようにした。そして会衆は会見の幕屋の入口に集まった。そこでモーセは会衆にむかって言った、「これは主があなたがたにせよと命じられたことである」。』(レビ記8:2-5)

この任職式には、イスラエルの全会衆が招集され、立ち会った。これは、神と人との前で公になされるべきものであり、そして、モーセが会衆に「これは主があなたがたにせよと命じられたことである」と宣言したように、これは誰か人間が勝手に考案したものではなく、主がせよと出エジプト記29章にて命じられていた事である。

祭司とは、誰も彼もが好き勝手になれるものではなく、また、努力して勉強すればなれるものでもない。それは、神から任命されるものである。(ヘブル5:1-5)

『モーセはアロンとその子たちを連れてきて、水で彼らを洗い清め、アロンに服を着させ、帯をしめさせ、衣をまとわせ、エポデを着けさせ、エポデの帯をしめさせ、それをもってエポデを身に結いつけ、また胸当を着けさせ、その胸当にウリムとトンミムを入れ、その頭に帽子をかぶらせ、その帽子の前に金の板、すなわち聖なる冠をつけさせた。主がモーセに命じられたとおりである。』(レビ記8:6-9)

祭司にはまず特別な装束を着せられるが、その前に必要な事、それは、水の洗いである。清められないままでは、聖なる装束を身にまとうべきではない。
現代のキリストにあって祭司とされた私達も、洗い清められなくては、祭司の職務に入るべきではない。
私達は、何によって清められるか?
それは、御言葉の水の洗いでもって、である。

『夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである。』(エペソ5:25-27)
私達は、御言葉に従順する事によって、清められる。たとい御言葉に記されている事が自分の望む事でなくても、それに服従する事によって、清められるのだ。
それでこそ、神から聖なる装束を着せられ、聖なる務めに相応しくなる事が出来る。

『モーセはまた注ぎ油を取り、幕屋とそのうちのすべての物に油を注いでこれを聖別し、かつ、それを七たび祭壇に注ぎ、祭壇とそのもろもろの器、洗盤とその台に油を注いでこれを聖別し、また注ぎ油をアロンの頭に注ぎ、彼に油を注いでこれを聖別した。モーセはまたアロンの子たちを連れてきて、服を彼らに着させ、帯を彼らにしめさせ、頭巾を頭に巻かせた。主がモーセに命じられたとおりである。』(レビ記8:10-13)

水で清められ、聖なる装束が着せられると、次は、聖別のための油が注がれる。
「聖」とは元々、「分離」とか「分かたれる」事を意味し、この、聖別の油が注がれる事によって、汚れた者から清い者へ、世俗から聖へと、分離するのである。

油は、聖書ではよく「聖霊」を意味する事で用いられる。
『あなたがたのうちには、キリストからいただいた油がとどまっているので、だれにも教えてもらう必要はない。この油が、すべてのことをあなたがたに教える。それはまことであって、偽りではないから、その油が教えたように、あなたがたは彼のうちにとどまっていなさい。』(1ヨハネ2:26-27)

もし私達の内に、聖霊の油が留まっているなら、何が神に喜ばれ、何が喜ばれないのか、全て、キリストの基準に適する事を、聖霊によって教えられる。
そうして全ての事について知り、ますます聖化される事を心から求め、望むようになって行き、ますます世とは「分離」した者となっていく。

一体どうしたら、この聖霊の油が与えられるか。
それは、「キリストにとどまっている事」である。
『そこで、子たちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、彼が現れる時に、確信を持ち、その来臨に際して、みまえに恥じいることがないためである。彼の義なるかたであることがわかれば、義を行う者はみな彼から生れたものであることを、知るであろう。』(同28-29節)

大祭司であり、油注がれた方であるキリストに留まっているなら、かしらなるキリストから、聖霊の油がどんどん滴ってくる。
そして、キリストの御体なる教会に繋がっているなら、しあわせで楽しい交わりの内で、キリストからの油にますます浸され、とこしえのいのちの祝福の内に、どんどん潤って行くのだ。
『見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。』(詩篇133篇)

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