メッセージ - 201206のエントリ

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
1ペテロ3:8-14:右クリックで保存
韓国語通訳有

礼拝説教メッセージ音声:闇に輝く星々のように(創世記15:1-6):右クリックで保存

主の御言葉は、足のともしびのように近くを照らすだけで、遠い先は見えない。
神の導き方は、次に為すべき事だけが告げられ、人がそれを信じて服従したなら、さらに次の行き先が示され、それを繰り返して行く内に、主が用意されている祝福の全容がより明確に、具体的になっていく。
それ故、御言葉が与えられたら、人の側が応答し服従しないと、いつまで経っても、沈黙の暗闇に閉ざされたままである。

14章にて、アブラムは信仰の試練を見事に克服し、メルキゼデクからの祝福を頂き、ソドムの王の汚れた富を辞退した。
そのため、本日の箇所で神は、アブラムへの祝福の約束を、より具体的に告げられた。

「恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」
神はまず、自らを「盾」であると言われた。
神が盾であるからには、神はすぐ前におられ、敵の放つ火矢を全て防ぎ、罵声からも悪意からも、全て守って下さる。

続く日本語は「あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」だが、原文のニュアンスとは、かなり違う。
KJVでは「I (am) thy shield, (and) thy exceeding great reward. 」、つまり神は、「私があなたの盾、飛び抜けて素晴らしいあなたの報酬である。」と言っておられる。
詩篇15:5でもダビデが言っているように、主ご自身こそ、私達の報いであり、報酬であり、身を守る盾である。

私達が主を信頼したら、その報酬として莫大な富や地所が手に入る、という事ではなく、主ご自身こそが、莫大な富や地所よりはるかに勝る、私達の報酬なのである。

アブラムは答えた。
「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。」

このエリエゼルは「神は助け」「慰め主」という意味、新約で言う「助け主」と同じ言葉で、彼は後に、その名前の通りの事をする。
しかし、アブラムの跡取りは、彼のような「助け主」ではなく、彼自身から生まれる「子」である。
神はそのことを示すために、彼を外に連れ出して言われた。

『「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」』(5節)
アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。

ここで使われている「子孫(ゼラ:子、子孫、種)」は単数形であり、そ単数形の「子孫」が、すなわちキリストの事である。(ガラテヤ3:16)
アダムとエバも、ノアの父レメクも、神が預言された人類を救う「子孫」に望みを託した。
アブラムも同じように約束を信じ、彼の子孫・キリストに望みを託したのである。
旧約の偉人たちは、まだキリストは生まれていなくとも、将来生まれて来る人類すべての救い主に望みを託し、義と認められたのだ。

アブラムは、闇に塗られた夜空に、数え切れないほどの星々が、ちりばめられた宝のように輝いているのを、見たことだろう。
都会にいると分からないが、人の作った灯の無い大自然の夜空は、実に暗く、幾万と輝く星々のその輝きは、実に美しい。
暗闇の中に輝くきれいな星、、、大きな星もあれば小さな星もあり、色とりどりの星がある。

キリストにあって皆さんも、この暗闇の世代の中にあって、キリストのいのちを灯す星として輝いている。
アブラムが空を見上げた時、その星の中に、皆さんも見えたのではないだろうか。

この真っ暗な闇の世界にあって、光の子としてますます輝く皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:創世記に現れたキリスト(創世記14:18-24):右クリックで保存

王たちを打ち破ったアブラムの元に、シャレムの王メルキゼデクが、パンとぶどう酒を携えて迎え出に来た。

14章には、戦争に参加した王たちの名前や地名が多く出て来るが、メルキゼデクはその中のどこにも無い名前であり、シャレムはどこにも無い地名である。
他の王たちの名は、ほぼこの章でしか登場しないが、メルキゼデクは、詩篇においてダビデが記し、新約においてもヘブル書の記者が詳細に記している。
突如現れ、いと高き神の祭司としてアブラムを祝福し、アブラムでさえ十分の一を捧げた彼は、いったい何者だろうか。

「アブラハムは、メルキゼデクにすべてのものの十分の一を分け与えました。メルキゼデクという名の意味は、まず「義の王」、次に「サレムの王」、つまり「平和の王」です。彼には父もなく、母もなく、系図もなく、また、生涯の初めもなく、命の終わりもなく、神の子に似た者であって、永遠に祭司です。
この人がどんなに偉大であったかを考えてみなさい。族長であるアブラハムさえ、最上の戦利品の中から十分の一を献げたのです。」(ヘブル7:2-4)

サレムとは、エルサレムの短縮である。
エルサレムの王であり、いと高き神の祭司としてアブラハムを祝福するお方であり、パンとぶどう酒を提供し、アブラハムでさえ十分の一を捧げたお方。
義の王であり、平和の君であり、父もなく、母もなく、系図もなく、また、生涯の初めもなく、命の終わりも無いお方。。。
それは、キリストでなくて一体誰であろうか。

パンとぶどう酒は、単なる食料の差し入れではない。
パンはイエスの裂かれた体、ぶどう酒はイエスの流された血潮を意味する。
メルキゼデクはこれを持って「天地の造り主、いと高き神に/アブラムは祝福されますように。敵をあなたの手に渡された/いと高き神がたたえられますように。」(19-20)と言って、アブラムを祝福された。

アブラムに勝利をもたらして下さったのは、いと高き神である。
この神が、敵をアブラムの手に渡して下さったからこそ、勝利したのである。

アブラムは続いて、ソドムの王から「人はわたしにお返しください。しかし、財産はお取りください」と持ちかけられた。
しかし彼は、いと高き神にかけて、辞退した。
彼は以前、エジプトの富を手に入れ、財産として罪の誘惑が家の中に入り、ロトと分裂した苦い思いをしている。
世の富、ことさら、ソドムの王のような神の前に罪深い者の富は、受けてはならない。
それは神の名誉ではなく人の名誉をはびこらせる事になり(23節)、誘惑と分裂をもたらし、心配を増し加え、苦々しさを増し加えるものとなる。

アブラムは、祝福の御言葉を信頼して進み出て勝利した所、パンとぶどう酒を携えたメルキゼデクに出迎えられ、祝福され、アブラムは十分の一を捧げた。
同じように私達も、御言葉を信頼して進み出て戦うのであれば、主は勝利を与えて下さり、キリストご自身が祝福をもって迎えて下さるのである。
主が勝利を与えて下さり、祝福を与えて下さったら、私達も十分の一を捧げるのである。

真に人を幸いへと導くものは、不相応な富ではなく、御言葉である。
御言葉に従い、主から御体なるパンと、御血なるぶどう酒をいただき、祝福を受ける皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

先週は平和の和解が2つあり、受洗したいという思いが与えられた方もありました。

主日の今日も、例によって、礼拝後も兄弟姉妹たちが教会に残り、こんな時間まで交わっています。

日々、イエス様が生きて働いておられるのを実感しております。

間に合う今の内に(ルカ16:19-31)
第一礼拝・礼拝全体音声(韓国語通訳あり):右クリックで保存
第二礼拝・説教音声:右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

人は、やがて死ぬ。その日は分からず、生きて自由に判断し、行動できる時間は、量り定められている。
人生は、選択と行動の積み重ねで構成されており、どう積み重ねたかかによって、永遠が査定され、パラダイスという慰めの所に行くか、ハデスという苦しみの所に行くか、二つに一つである。
ラザロも金持ちも、アブラハムを知っていた。彼ら二人はアブラハムの子孫で、遠いながらも兄弟の関係であった。実は、私達も、信仰によってアブラハムの子孫であり、彼らと同じ立場にある。

ラザロは「食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた」。という事は、ラザロは金持ちから直接食べ物を頂くどころか、こぼれ落ちるものさえ、頂く事が出来ていなかったようである。
兄弟姉妹が飢えているなら食べ物を、裸であるなら着る物を与えることが律法では命じられている。
金持ちは、贅沢品の衣服を着、毎日贅沢に遊び暮らす財力があったのに、また、犬さえ彼のおできをなめて慰めをかけていたというのに、金持ちはラザロに食べ物を与えず、食べ物をこぼす事さえなかった。
「やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。」(22節) 金持ちは葬儀も豪勢だったろうが、葬儀で行き先は変えられない。
何によって行き先が決まるのだろうか? 金持ちが必ずハデスに行く訳ではない。事実アブラハムは非常に富んでいる。アブラハムの側に行くことが出来る条件、それは信仰である。
アブラハムは「子よ、思い出してみなさい」と言った。アブラハムの願いは、子が全て自分の側に来る事であるが、それは私の願いでもある。これを読む者皆が、信仰の父・アブラハムの側に行くように願っている。
ハデスに行ってしまった子や家族、知り合いに対しては、いかにアブラハムといえど、肉親といえど、牧師といえど、そしてイエス様といえど、何も為す術は無い。間に合うべき時にそれぞれが為すのみである。
金持ちに関しては、生前ラザロに対して何もしないまま査定の時間が切れ、間に合わなかった。

金持ちは、生きている兄弟達にラザロを遣わし、こんな苦しみの場所に来ることがないよう、よく言い聞かせて下さい、とお願いをしたが、アブラハムの応えは、「彼らにはモーセと預言者がいる」だった。
今、皆さんもモーセと預言者、すなわち、聖書を持っている。皆さんも、御言葉に聞き従うべきである。
御言葉にどう対処し、どこへ行き着くかは、皆さん自身にかかっている。金持ちは自分の考えを「死んでも」降ろさず、自分のよかれを主張し、御言葉に無いことをお願いしては、ことごとく突っぱねられた。
彼の最初の願いは、ラザロの指で舌を冷やすように、であったが、実に興味深い願いをするものだ。
ハデスと舌は、実に関係が深く、人は、舌の用いようによって、火に投げ込まれる事もある。(ヤコブ3章)
この金持ち、舌が達者なようで、アブラハムに「いいえ」と言ったり、口先三寸で何か言いくるめようとした。
生前、彼より弱い立場だったラザロを利用しようと計り、舌を駆使した所で、永遠の査定が覆る訳はない。
ラザロは、金持ちにとって無力だったかもしれない。現代を生きる皆さんにとって、イエス様は無力に見えるかもしれないが、しかし死人の中から蘇えられた、この御方をどう扱うか、今、判断が委ねられている。

金持ちにとって、ラザロが彼の面前に現れた時、彼がパラダイスへ行く事の出来る、最後のチャンスだった。
しかし彼はラザロを軽んじ、律法と預言者を軽んじ、自分の欲望を選択し続け、時間が来てしまった。
今、皆さんの目の前に、ラザロはいるだろうか? 気分いかんで賛美しなかったり、御言葉を「そうじゃなくて」と退けたり、あくまで自分の良かれを手放さないなら、皆さんのラザロは、放って置かれているのだ。
今、皆さんは生きて、ここで礼拝を捧げているが、やがて、パラダイスかハデスに行く時間が来る。
ハデスに行ってしまった時、はるか上に生前共に礼拝を捧げたあの兄弟この姉妹を見て後悔する者が一人もいないようにと、私は願い、祈っているし、アブラハムも、肉親も、そして、主イエス様も、祈っている。
皆さんの自由意思は、肉親も、牧師も、イエスキリストといえども、侵す事は出来ないが、私は勧める。
どうか、自分の良かれを捨て、皆さんのラザロを捨て置く事なく 御言葉へ従順する事を選択して、パラダイスへと向かう皆さんでありますように。
パラダイスに行った時、礼拝を捧げていたあの時間が本当に幸いだったな、本当に御言葉の通りだったな、と、良い思い出を懐かしみつつ、共に思い返す私達でありますように。イエス様の名前によって祈ります!

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
荒野へ何をしに(マタイ11:2-19):右クリックで保存
韓国語通訳有

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
妻と夫へ(1ペテロ3:1-7):右クリックで保存
韓国語通訳有

何よりも美しい飾り(1ペテロ3:1-7):右クリックで保存

証4つ(音声のみ)

カテゴリ : 
その他音声
執筆 : 
pastor 2012-6-9 2:19

証(音声のみ)
美しい女性1」(川合姉妹):右クリックで保存
美しい女性2」(川合姉妹):右クリックで保存
いのちと死は唇の実」(川合姉妹):右クリックで保存
イエスの血という防護マスク」(川合姉妹):右クリックで保存
 

礼拝説教メッセージ音声:第二の試練 〜 王達の戦争(創世記14:1-17):右クリックで保存

今日の個所を簡単にまとめると、現在で言うイラク周辺諸国の4人の王たちが集結して、現在のイスラエル周辺諸国の5人の王たちに戦いを挑み、勝利して勢いづくが、アブラムの奴隷達の出陣によって4人の王たちは打ち破られ、アブラムは多くの分取りを得た。
ユーフラテス川沿いの王たちが集結してイスラエルを襲うものの、神の軍勢によって滅ぼされてしまう有様は、黙示録の16:12-16、20:7-10と類似性がある。

4人の王たちがソドムを襲った時、ソドムの中に移住していたアブラムの甥のロトも捕らえられ、財産も奪い去られた事が、アブラムに報告された。
アブラムに、2度目の試練が訪れたのである。
前回の試練の時、愛する妻サライがパロの元に連れて行かれるのを、指を咥えて見ているだけだったが、今回、アブラムは信仰によって奮い立った。

「アブラムは、親族の者が捕虜になったと聞いて、彼の家で生まれた奴隷で、訓練を受けた者三百十八人を召集し、ダンまで追跡した。夜、彼と僕たちは分かれて敵を襲い、ダマスコの北のホバまで追跡した。アブラムはすべての財産を取り返し、親族のロトとその財産、女たちやそのほかの人々も取り戻した。」(14-16節)

メソポタミヤ方面から各国を打ち破りつつ、各部族を略奪しながら下ってきたのだから、王たちは相当の気勢・軍勢であったろう。
それに対し、わずか318人の訓練を受けたアブラムの家で育ったしもべ達が戦って勝利し、それも、かなりの距離を追跡して、多くの分捕りをしたのである。
これは、人間業ではあり得ない。主が、敵をアブラムの手に渡された(20節)からこそ、勝利したのである。

前回彼は、神の力ではなく自分の力のみを見て失敗したが、今回彼は自分を見る事なく、御言葉を信頼したからこそ、勝利を得たのだ。

アブラムは、神が「あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。」と言われたからには、この王たちは呪われている、と信じた事だろう。
神は「あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。」と言われたからには、自分は戦死するのではなく生きて子孫を残す、と信じた事だろう。
御言葉を信じて進み出た結果、大勝利し、甥のロトと家族を救っただけでなく、おびただしい分捕りものを手に入れ、莫大な富と名声を手に入れた。

ロトは、目に見える自分の良かれに従い、神に不従順な世に妥協してしまったため、世の滅びのとばっちりを受け、後には財産を失い、着の身着のまま、命からがら走って逃げる事になった。
しかし、アブラムは御言葉に従順して、信仰によって進んだため、勝利し、さらに富と名声を増し加えた。
アブラムのように、御言葉を盾にとって信頼して進み、勝利を得る皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:ヘブロンへ(創世記13:10-18):右クリックで保存
韓国語通訳有

故郷を出て異郷の地を放浪していたアブラムにとって、最後の血縁であったロトと別れなくてはならないのは、どれほど心細かった事だろう。
彼らのいたパレスチナ地方は水が貴重であるため、水のある所を所有できるかどうかは、死活問題であった。
にもかかわらず、アブラムはロトに優先的に選択権を与えた。
それは少しでも平和に、快く、この別れが出来るか、という餞(はなむけ)の意味もあったのかもしれない。

「ロトが目を上げて眺めると、ヨルダン川流域の低地一帯は、主がソドムとゴモラを滅ぼす前であったので、ツォアルに至るまで、主の園のように、エジプトの国のように、見渡すかぎりよく潤っていた。」(13:10)

ロトが選んだ基準は「目に良い場所」であった。
主の園・エデンにおいて、エバが惑わされた原因は、主の御言葉よりも「目に良い」ものを選んだからである。
主の御言葉よりも、目に良いもの、目に良い場所を選択する時、罠がある。
ロトはソドムの近くまで天幕を張りに行ったが、 「ソドムの住民は邪悪で、主に対して多くの罪を犯していた。」(13節)
多少邪悪でも、文明が発達して食べ物に困らない方を選んでしまうのが、生来の人間の習性である。

ロトは自分の目と肉に従って進んで行ったのに対し、アブラムは神様の約束に従った。
彼が住んだカナンの地は、神である主がアブラムに「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」と約束された地である。(12:5-7)

最後の肉親であるロトと別れ、父の家とのつながりが完全になくなった後、神である主は再び現れ、以前より具体的に、より詳細に、約束を告げられた。

「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。」(14,15節)
以前は単に「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」だけだったが、今度はより具体的に、より詳細に、目で見れ、手でさわれ、足で踏み歩ける形で、約束して下さった。

「あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう。」(16節)
子孫がどの程度与えられるかも明確にされ、しかも、その数は大地の砂粒のよう、というのである。
子もいないまま70歳を超えた者に、そのような約束が与えられるのは、途方も無いかもしれないが、神は、明らかにそう言われた。

「さあ、この土地を縦横に歩き回るがよい。わたしはそれをあなたに与えるから。」(17節)
彼は歩きまわったことだろう、ここも自分のもの、あそこも自分と子孫たちのもの、と、喜び胸踊りながら。
神は、ご自身の御言葉に従順した者には次のステップへと導かれ、約束も、祝福も、より具体的に、よりバージョンアップしていくのである。

「アブラムは天幕を移し、ヘブロンにあるマムレの樫の木のところに来て住み、そこに主のために祭壇を築いた。」(18節)
ヘブロンといえば、アブラハム達の墓・マクペラの洞穴が近くにあり、ヨシュアの時代にはエフネの子カレブが相続した地である。

エジプトを出た世代では、ただ二人が信仰によって約束の地を受け継ぐ事ができたが、その内の一人が、カレブである。
彼はそこを手に入れる45年も前、40歳であった彼はその地を歩きまわり、見て、ぜひこの土地を得たいと願った。
主が共におられるなら、そこにはいかに強大な民族がいようとも、問題なく自分のものにできる、と信じていたのに、当時の民の不従順により、それはかなわなかった。
それから45年経ち、85歳になった彼はなお強健で、日々の出入りにも、戦闘にも耐えられた。
そこで彼はヨシュアに、その地を下さい、と願い、彼はついに信仰によってヘブロンを占領した。

ヘブロンは、信仰ある者に相続する事が許されている地である。
皆さんにとってヘブロンはどこだろうか?
恐れず、信仰によってヘブロンを勝ち取る皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

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