メッセージ - 201201のエントリ

礼拝説教メッセージ音声:聖霊の導きに従う(2コリント1:12-22):右クリックで保存
韓国語通訳有

「このような確信に支えられて、わたしは、あなたがたがもう一度恵みを受けるようにと、まずあなたがたのところへ行く計画を立てました。」(15節)
パウロが当初、コリントに行きたいと書いた動機は、真実な心からでした。
ところが、その通り行かなかったのです。
パウロはアジアで大変な目に遭い、コリントを通らずに撤退せざるを得ませんでした。
それでコリントの人たちの中に、パウロは私たちの所に来ると言っておきながら来なかったではないか、と、つぶやく者達がいたようです。

パウロは最初の手紙の最後に「主がお許しになるのであれば」あなた方の所にしばらく滞在したい、と、書いておりました。(第一コリント16章7節)
私達は色々な計画をたてますが、かならずしも、その通りになるとは限らず、全ては主のご支配にあります。
また私達は不真実であり、御言葉に対して「然り」と同時に「否」と言う事もあります。
しかし、主イエス様は「然り」と同時に「否」と言うような事は、なされないお方です。
「 神の約束はことごとく、この方において「しかり。」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン。」と言い、神に栄光を帰するのです。」(20節)

そして主は、私達に聖霊の油を注いでくださいました。(21節)
コリントの中には、パウロがエルサレム教会で按手を受けてない事を理由に彼の使徒性を疑い、パウロは正統ではないと、言う者もおりました。
しかし、パウロの力強さや、いかなる困難でもなおキリストを伝えている「行いの結果」を見るに、明らかに、キリストから与えられた聖霊による事が分かります。
私達が神様から任職の油を受ける時、それは神様から来るのであって、人間から来るものではありません。
人間的な力でミニストリーをやろうとしても、続かないのです。

聖霊は、私達を助けてくださる助け主であると同時に、私達が御国を受け継ぐ事の保障です。
 「あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。
この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。」(エペソ1章)

今、私達に与えられている聖霊は、助け主であり、御国を受け継ぐ事が保障されている事の手付金であり、天の王国の前味わいです。
車のナビゲーションどおりに進めば目的地に着くように、天の王国に入りたいのであれば、主が与えてくださった聖霊の御声に従って歩んで行けば、ラクに着くのです。
しかし聖霊の声を無視し、思い込みや沸き立つ「我」によって、御声を上塗りしてしまうなら、当然のように、変な所へたどり着いてしまいます。

どうか、御言葉と御霊によって歩み、ますます天の王国、天の支配へと近づいて行く皆さんでありますように。
イエス様の御名前によって祝福いたします。
アーメン。

礼拝説教メッセージ音声:死の苦しみの向こう側(2コリント1:8-11):右クリックで保存
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「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。」(マルコ8:35)

この御言葉は、自分を省みず福音のために滅私奉公せよ、という意味ではありません。
ここで使われている「いのち」はギリシア語でpsyche、サイコロジー(心理学)の語源です。
つまり、自分の心理(思いや意志、感情など)を救おうとせず、イエス様と福音を優先させるなら、むしろ自らを救う、という事です。

たとえば、思いや意志・感情としては、赦したくないような人がいる時でも、イエス様の「赦しなさい」というお言葉の故に、自分の「心理」を降ろして御言葉に従うなら、十字架から復活させた神の力が働き、自分にはどうしても出来なかった「赦し」が、何の苦労も要らず出来てしまうのです。
そうして今までその人を憎んでいた苦しみや時間、束縛から解放され、結果、「心理」を救う事になるのです。

キリストは、神の御姿であられるのに、仕える者の姿を取り、死に至るまで、従順でした。(ピリピ2:6-11)
世界には、”いわゆる”救い主や神は数多くいますが、そのどれよりもイエス様がすごいのは、彼はまず、従順に仕える者の姿を取られ、しかも、死に至るまで御心に従われた事です。
そして彼は、御父はどんな苦しみからも救って下さるお方であり、死からも救って下さるお方だ、というほどの信頼がありました。
イエス様がそのように歩まれたからこそ、私たちも、彼の歩まれた道に習い、仕える者の姿を取り、従順になる事ができるのです。

パウロはアジアで、死ぬ以外は何も考えられないような状況から救われましたが、このように、もはや自分からは何の手出しもできない、まな板の上の鯉のような状況へと置かれる事が、私達にもあります。
それこそ十字架の経験であり、そのような時こそ、実は幸いです。
十字架上のイエス様の死と同一になり、自分で握り締めていた「私」の存在の保証を自分から手放し、救いは、天地を創られた全能なる神から来る、という事を、実体験として知る事ができるからです。

自分が今まで支配していたその領域を、完全に自分から手放して神様に明け渡す時、その領域は神様の支配に移り、自分ではどうしても出来なかった解決がなされ、しかも、自分の小さい頭で考えていた解決よりも、はるかに素晴らしい最善が、その領域でなされるのです。

自分を降ろし、イエス様と福音を優先させる事によって、イエス様をよみがえらせた、あの復活のパワーにあって強められ、いのちに満ち溢れて生かされる皆さんでありますように。
主イエス・キリストの御名によって祝福いたします。
アーメン。

礼拝説教メッセージ音声:苦しむ事の意味(2コリント1:3-7):右クリックで保存
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人は苦しみに遭うと、真っ先に何を考えるでしょうか。
なんでこんな苦しい目に遭わなくてはならないのか、自分は何か悪いことをしただろうか、あるいは、自分がこんな苦しみに遭うのは不当だ、と訴えるかもしれません。
しかし、私達が苦しみにあう事には、大きな意味があります。

まずその第一の意味は、神を知る事ができる、という事です。
 「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」(詩編119:71)
神を知る事こそ、どんな祝福にまさる祝福です。
なぜなら、あらゆる良き事の源であり、全ての祝福の源は、神だからです。

ヨブは正しく生きていましたが、サタンの唆しを神が許され、ある時、立て続けに災いに遭って、全てを失いました。
ヨブの友人達は、ヨブが何か悪いことをしたからこんな苦しみに遭っているのだ、と、何の疑いもなくヨブを戒めましたが、ヨブはそんなことはないと、あくまで、自分の義を主張し、最後には、自分をこんな目に遭わせるような神が間違っている、神と議論したい、とまで言い出しました。
そしてついに神が現れ、圧倒的な御技をヨブに示し、そうして彼は、神を知るに至りました。

人にとって幸いとは、何でしょうか。
初期のヨブのように、金持ちになって子宝に恵まれる事でしょうか。
ヨブにとって何よりの幸いは、災いを通して、全ての祝福の源なる神を知った事でした。

苦しみに遭う事のもう一つの意味は、同じ苦しみの内にある人々を思いやることが出来るようになり、その人達を慰める事が出来るようになる事です。
「わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります。また、わたしたちが慰められるとき、それはあなたがたの慰めになり、あなたがたがわたしたちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです。」(第二コリント1章から16節)

最も意味のある苦しみを受けられたお方が、イエス様です。
イエス様は天上でふんぞり返って、人間を見下ろして支配するような神ではなく、天から降りて来られ、人として同じく共に生活し、人として苦しみを受け、人として罪を処罰され、人として死に、そして、蘇ってくださった神です。
だから私達は文句なしに、このお方こそ主であり、このお方こそ私達の救い主であると告白する以外に、無いのです。

イエス様は人として誘惑に遭われ、神としての力は使わず、あくまで「人の子」として、御言葉をもって誘惑に打ち勝ち、私達に勝利の道を示してくださいました。
私達の大祭司イエス様は、私達の弱さに同情できないお方ではありません。(へブル4:15-5:2)
全ての点において、彼は私達と同じ人間となられ、肉体を持たれ、試みを受けられ、弱さを体験されたからこそ、私達に心底同情し、執り成す事が出来る事が出来るのです。

神は、どのような苦しみの中からも、私達を慰める事ができるお方です。
もし皆さんの内に苦しみがあるのであれば、それを通して神を知る事が出来ます。
そして神は、どのような苦しみの中にある皆さんをも、慰め、助け出すことが出来るお方です。
ぜひこのお方により頼み、苦しみを乗り超えてさらに神を知り、より深みのある人へと成長する皆さんでありますように。
イエス様の御名前によって祝福いたします。
アーメン。

新潟への手紙

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » パスター日記
執筆 : 
pastor 2012-1-23 22:30

久しぶりに時間が出来、新潟の兄弟姉妹の事を覚えつつ、手紙を書いています。

書いていくうちに色々な御言葉が示され、主からこんなにも愛されているのだなあと、しみじみと思いました。

一人ひとりに与えられている御言葉の素晴らしさに圧倒されています。

これから与えられている御言葉が彼らとどう関わりを持ち、どう形づけて行くのか、主と共に見守るのが、とても楽しみです。

礼拝説教メッセージ音声:第二コリントの手紙の発端(2コリント1:1-2):右クリックで保存
韓国語通訳有

コリントの人達には分裂や不品行など戒めるべき点が多くあったため、第一コリントの手紙の内容は、かなり厳しい内容となってしまいました。
そのような事を書く事は、パウロにとって辛い事だったに違いありません。
彼自身、あの手紙を送った事によって、コリントの聖徒達がどうなったのか、非常に気がかりでした。
その第一の手紙を書いた後、エフェソでただならぬ騒動があって、そこを出て行かざるを得なくなり(使徒19章)、傷心のパウロは、コリントの兄弟姉妹の状況をテトスから聞こうと、トロアスで彼を待っておりました。(2コリント2:12-13)

しかしテトスは中々来なかったため、パウロはついに我慢ができなくなってマケドニアへ向かった所、彼はそこでテトスと会うことができ、しかも、彼から嬉しい知らせを受け取りました。(2コリント7:5-9)
パウロが慰められたのは、彼の厳しい手紙のために彼を嫌って離れるのではなく、むしろ悲しんで自らを悔い改めたからです。
コリントの人達がパウロの愛を汲み取り、ますますパウロを慕うようになったのは、パウロにとって、とても嬉しいことでした。(7章7節)

このように、悔い改めに導かれ、良くなって行く人はいたのですが、相変わらず、パウロを使徒と認めず批判ばかりしている人もいました。
第二コリントの随所に、その反対者に対する反論が見受けられ、また手紙の終わりのほうには、そのような反対者達に対して、パウロは再びコリントに行く準備ができており、その際には面と向かって厳しい事を言わない事を望む、と書いております。(12:20-13:2、13:10)

第二コリントの手紙の特徴は、ロマ書や第一コリントのように、教理的・学問的ではなく、直情的・個人的で、特に「働き人」としてパウロが受ける様々な困難や苦しみを、そして、同時に主からいただく大きな助けと慰めについても、書き綴っております。

コリント人の中には、パウロの使徒性を疑う者や、彼の性格が気に食わないといった、御言葉とは関係無い中傷をする者がありました。
それに対し、彼は第二コリントの最初の書き出しを「神の御心によって、キリスト・イエスの使徒とされたパウロ」としております。
彼は好きで使徒となったのではなく、むしろ強引に、暴力的にキリストから召し出され、使徒にさせられたのです。(使徒9章)

主が召した働き人を、あらぬ事で誹謗中傷する人々は何時でもおりますし、また、そのように誹謗中傷されてしまう働き人も、いつでもおります。
神に召し出された奉仕者に、諸々の困難や迫害は、確かにつきものです。
しかし、それでも奉仕をやめられないのは、それを上回る恵みと憐れみが注がれるからであり、その命の実りは永遠に残る栄誉であり、それを得る事ができるからこそ、働きを止められないのです。

召し出された働き人には、確かに艱難はあります。
しかし、勇敢であってください。
皆さんの内におられるお方は、いかなる艱難をも慰めの出来ることのお方であり、そしてこのお方は、世に勝ったからです。
どうか、このお方、すなわち、私たちの主イエスキリストにあって、強められ、働き人として多くの実を結ぶ皆さんでありますように。
イエス様の御名前によって祝福いたします。
アーメン。

いつもは第一礼拝と第2礼拝は同じ箇所からメッセージを語りますが、今日は導きにより、第2礼拝は全く別のメッセージが語らされました。

どういうメッセージが語られたのかは、パソコンやスマフォでホームページにアクセスすれば、お聴きいただけます。

この教会は本当に不思議です。

主は、御言葉を必要としておられる方を導いてくださり、その方がこの教会を訪れると、その人にとって必要な御言葉が、色々な方法を通して示されるのです。

どういう事なのか詳しく知りたい方は・・・。

どうぞ横浜に来た暁には、天声キリスト教会にお越し下さい。

第一礼拝・礼拝全体音声「追うべきでしょうか?(1サムエル30:1-8)」(韓国語通訳あり):右クリックで保存

第二礼拝・説教音声「悪霊からの解放(マルコ5章)」:右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

※ 本日の第2礼拝メッセージは、主の導きにより、サムエル記ではなくマルコ書から与えられました。

「ダビデとその兵が町に戻ってみると、町は焼け落ち、妻や息子、娘たちは連れ去られていた。ダビデも彼と共にいた兵士も、声をあげて泣き、ついには泣く力もなくなった。」(1サムエル30:3-4)
弱肉強食の世で生き残るために奔走する中、些細なきっかけで、突然家族や財産を失う、という事がある。
ダビデと六百人の部下達は、サウル王を恐れて異邦の地に逃れ、異邦の王アキシュの信頼とステータスを得るために、騙し合いと奪い合い・殺し合いの日々を連ねている中、ダビデ達が出かけている、わずか三日の間に、アマレクの略奪隊に襲われ、大切な家族も、積み立てて来た財産も、全て奪われて行ったのだ。
ダビデ達は泣き疲れるほど泣いた末、部下達は、ダビデを石で撃ち殺そうと言い出した。
ダビデはそれまで、昼夜襲ってくる危険とプレッシャーに耐えつつ部下達を守り養って来たのに、不可抗力の災いがたまたま起きると、部下達は、ミスリードしたダビデは死んでお詫びしろ、となってしまったのだ。

そもそも、ダビデがイスラエルを離れ、異邦の地で自活する道を選んだのも、また、異邦の王の信頼とステータスを得ようと奔走したのも、恐れに支配され、主に頼らずに自分の心に頼ったためだった。(27:1)
私達も、信仰によらず行動し、神の領域から離れて自分の良し悪し判断に頼る時、このような絶望の極地へと陥ってしまう事はあるが、そんな時、どうすれば良いか。
ダビデは、彼の神、主によって力を奮い起こし、そして祭司の所へ行って、主に伺った。(30:6-7)
「この略奪隊を追跡すべきでしょうか。追いつけるでしょうか。」
ダビデは、非常に控えめに、勇気を振り絞って問いかけをしたのに対し、主は「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる。」と、明確に、しかも問うた以上の答えを示して下さった。
ダビデ達は追跡を始め、ちょうど案内してくれるエジプト人と主が出会わせて下さったおかげで、最短ルートで、しかも攻めるには最善な時に到着し、しかも自分たちの持ち物や妻子達は無事で一切傷がなく、分捕られた分をはるかに超えて、非常に多くを逆に分捕る事ができた。

この勝利と分捕りは、明らかに主に導かれての事であるが、部下の中には「われわれが」分捕った物を、一緒に行けなかった者達に分けてやるわけにはいかない、と言う者も出てきたが、ダビデは「主が」私達に賜った物を、そのようにしてはならない、と言った。(30:21-25)
私たちは主にあって奮い立ち、導かれるなら、必ず祝福が待っている。しかし、祝福された時こそ、なお気をつけて、我々の力で為したなどと奢らず、全ては主が守り勝利させてくださる事を、忘れぬべきである。
ダビデは、戦いに行った者も行けなかった者も、共に同じく分け合うようにし、イスラエルの掟として定めた。
教会はキリストの体であり、皆の益となるために、それぞれ違った賜物が与えられている。(1コリ12:4-13)
だから、教会というキリストの共同体においては、主が与えて下さった祝福は、皆で分かち合うべきであり、誰か一人だけが豊かになり、誰か一人だけ仲間はずれにされる、という状況は、改善しなくてはならない。

皆さんは人生において、どんなものを略奪されて来ただろうか。
サタンが支配する世から、欲深く世渡り上手な人間から、騙され、搾取され、分捕られて来ただろうか。
「あの略奪隊を追うべきでしょうか。追いつけるでしょうか。」
私は世の中で10数年働いて後、献身するよう促されたが、ムリだと思いつつも、燃やされるものがあった。
弱肉強食の世で立ち働き、確かに多くを分捕られたが、そんな事より、この日本という国が、霊的な略奪隊によって、好き放題に分捕られている現状に、また、何もして来れなかった自分が、悔しかった。
そこで2009年8月1日未明、この礼拝堂で暗闇の中、何度も「追いつけるでしょうか。本当にこの道で良いのでしょうか?」と問うていたが、主の声など一切無く、ただ静けさと沈黙の中、この御言葉と、それに対する熱い涙だけがあり、それで私は信仰を持ってこの道を進み、霊的分捕りをするために、追う事にした。

キリストを信じてから略奪されたなら、主にあって奮い立ち、きっちりと主に伺い立て、取り戻すべきである。信仰を持って奮い立ち、行って多くを分捕り返す皆さんでありますように。イエスの名によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:コリントへのパウロ最後の挨拶(1コリント16:13-24):右クリックで保存
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第一コリントの最後で、パウロは非常に簡潔な勧めを書いております。
すなわち、目を覚ましている事、かたく信仰に立つ事、そして男らしく強くあるという事。
そして、それらを愛をもって行いなさい、という事です。(13,14節)

このコリントという町は道徳的に退廃しており、偶像崇拝の盛んな街ですから、色々と目を奪う物も多くあり、誘惑も多いからですが、何より大切なのは、全てを愛をもって行いなさい、という事です。
愛がなくては、どんな信仰も、身を捧げるような献身も、意味がありません。
13章でも愛は全ての賜物より優れている事を語っておりますし、愛は結びの帯として完全である事をコロサイ3:14でも語っております。

15節に登場するステファナは、アカヤ地方の初穂で、聖徒たちのために熱心に奉仕をしてくださいました。
16節で「どうか、あなたがたもこの人たちや、彼らと一緒に働き、労苦してきたすべての人々に従ってください。」と勧めておりますが、ステファナは最初に救われて信仰暦が長い、だから服従しなさい、という事ではなく、聖徒たちのために熱心に奉仕をしているから、そのような人に服従しなさい、という事です。
主と聖徒達のために労をし、多くを捧げておられる聖徒達を、私達もねぎらい、尊敬し、助るべきです。

「すべての兄弟があなたがたによろしくと言っています。あなたがたも、聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。」(20節)
当時、聖徒達の挨拶として、口づけをする習慣が、ありました。
しかしいつしか、聖職者の階級づけがなされればなされるほど、このような親密な挨拶はどんどん縁遠くなって行きました。
現代日本を生きる私達は、口付けはしないにしても、聖徒たちの間の交わりにおいて、親密さを忘れないようにしたいと思います。

21節以降は、パウロが直筆で手紙を書いております。

パウロが真っ先に書いた事は、22節「主を愛さない者はだれでも、のろわれよ。」です。
極めてストレートに、きつい事を言っているかのように見えます。
しかし主が、私達をどんなに良くして下さったか、主がどんな思いで私達を愛して下さったのかを、知れば知るほど、その主を愛さないような者は、呪われるが良い、と思うものです。
22節の「愛」という言葉は、アガペーの完全な愛ではなく、フィレオの親密で親しい愛です。
主は私達を、命を捨ててまで愛して下さいました。
その主を、完全な愛ではないにしても、親う感情すら無い者は、誰でも呪われよ、と、パウロは極めて正直な告白をしているわけです。

主を愛する人達には大きな祝福がありますが、主から離れる者には呪いが待っているという法則を、パウロは誰よりも知っていました。
たとい厳しい口調で嫌われてしまったとしても、たといその人が呪われる事になっても、最終的に主に立ち返るのであれば、その一時的な呪いは、永遠の祝福に変わるのです。
第一コリントの最後は、主イエスにあって大きな愛でコリントの人達を愛している、という、パウロの愛の告白によって、手紙は終わります。
パウロは一貫して、この、本当にどうしようもないようなコリントの人達を、愛していたのです。

結局、私達はキリストイエスにあって、愛するしかありません。
パウロは時にはきつく、時には優しく語りましたが、愛とはそのように、真剣なものです。
第2コリントの手紙を見ると、コリントの人たちの中には悔い改めた者もいましたが、相変わらず悔い改めない者もおりました。
福音を伝える事において、ある人からは多くの喜びと実を得ますが、別の人からは落胆と失望ばかり受けてしまうような事も、ありえる事です。
それでも、キリストイエスにあって落胆せずに、いのちの働きをし続けるしかありません。

いつも落胆せずに、忍耐を持って主の働きをする皆さんでありますように。
イエス。キリストの御名によって、祝福いたします。
アーメン。

礼拝説教メッセージ音声:御心に従って(1コリント16:1-12):右クリックで保存
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いよいよ第一コリント最終章に入り、パウロはこれからの予定と、諸々の指示を書いております。
「わたしがそちらに着いてから初めて募金が行われることのないように、週の初めの日にはいつも、各自収入に応じて、幾らかずつでも手もとに取って置きなさい。」(2節)
募金を用意しておくようにと促しておりますが、この時点でエルサレムに経済的な困難が生じていたからです。

コリント人にとっては、エルサレムという地は海の向こうの遠い国かもしれませんが、そこにいる聖徒達は、同じ主イエスキリストにある尊い兄弟姉妹である事には変わりありません。
パウロはこの指示の直前に、死者の復活や、また、その死を乗り越えられた、主イエスキリストの話をしておりました。
死者の復活や永遠は、日常生活を営む上ではあまり実感が湧きませんが、永遠の視点から今置かれている状況を見ると、日常の一日一日が非常に大切だと、昨日も学んだ通りです。

天の御国においては、もはや何の不足も、貧しさも、病や死も、ありません。
だからこそ、兄弟姉妹のために献金したり、援助したり、という尊い奉仕は、今、この地上においてしか、することができないのです。

5節以降にパウロはこれからの予定を述べておりますが、「主がお許しになるなら」という条件付きです。

パウロの伝道旅行は全て、主の導かれるままでした。
第二次伝道旅行の時、アジア州を伝道して回ろうとしても、あっちに行っては聖霊に阻まれ、こっちに行ってはイエスの霊がそれを許さなかったりして、自分達の望んだとおりの働きが出来ず、さんざん1000km以上もさ迷って後、やっと次の伝道地であるマケドニアが示された、という事がありました。

主の働きは、人の願いやビジョンによってではなく、主の御心に従って動くものです。
働きの門は、大いに開いてるように見えるけれども、ある日突然、反対者によって強制的に別の地に行かなくてはならなかった、という事を、パウロは何度も経験しているのです。

私達も、明日はどうなるか分かりませんし、願い通りに行かないかもしれません。
しかし、主の御心はこれだ、と示されたのであれば、私の側の願いは降ろし、主の御心を選択しなくてはなりません。

どうか、いつでも主の御心に従える準備をし、主の忠実な僕として、御業を建て上げていく皆さんでありますように。
イエス様の御名前によって、祝福いたします。
アーメン。

礼拝説教メッセージ音声:死は勝利にのまれた(1コリント15:50-58):右クリックで保存
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「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」(54,55節)

今日の箇所は、葬儀の時によく開かれる箇所です。
私たちが身にまとっているこの血肉の体は、朽ちていくものであり、神の国を相続できるものではありません。
朽ちるものは必ず、朽ちないものを着なければなりません。
キリスト者にとっての死は、朽ちてゆく肉体の命が終わり、永遠に朽ちない体が着せられる時まで、眠りにつくものです。
ですからキリスト者にとって、死は忌むべき敗北に終わるものではなく、勝利と復活の希望が持てるものです。

第一の人、アダムから脈々と続く人類の子孫は、呪いの内にあり、罪と死に支配される人生でした。
人は、死から逃れるため、食料を得、病と闘い、時には他人を蹴落としつつ、日々労苦して「死」から逃れる作業をしております。
イエス様はそんな人の有様を救うために、第二のアダムとして来られ、死に勝利する者の先駆けとして、ご自身のからだを人類の罪の身代わりとして死に明け渡し、三日目によみがえり、死に対して勝利されました。
世は、死によって支配されておりますが、しかし、主イエスの愛の命が洪水のように押し寄せて、圧倒的に死を飲み込んでしまい、全てに勝利するのです。

キリストにあって後の世に移された時、もはや死も、涙も、苦労する事も、一切なくなります。
だからこそ今、もしキリストにあって苦労をしているのであれば、それは、永遠に朽ちることの無い栄誉を勝ち取るチャンスであり、またとなく尊い体験をしているわけです。

この人生でさえ、昔を思い起こしてみて、苦労したり涙したりした日々を思いかえすならば、それは良い思い出であり、また、誇りなのではないでしょうか。
なぜなら、そこを通ったからこそ、今の、より成長した、より誇りの持てる自分がいるからです。
ですから今、もしキリストにあって、悲しんだり、悩んだり、貧しかったり、蔑まれたりしているのであれば、幸いです。
永遠に残る栄誉、すなわち、キリストにある苦労の思い出づくりは、今しか出来ないからです。

今、キリストにあって、貧しく、弱く、罵られたり、苦労に満ちているのであれば、それを誇りに思ってください。
今生かされている命を、大切に生き、キリストのため神の国のために大いに働き、永久に朽ちない栄誉を勝ち取る皆さんでありますように。
イエス様の御名前によって祝福します。
アーメン。

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