メッセージ - 201111のエントリ

今、新潟のファミレスで、新幹線を待ちつつ兄弟姉妹達と交わっています。

賛美集会「水はぶどう酒に」とても祝福されました!

私は奉仕で夢中で、来た方々とあまり交われなかったのですが、他の兄弟姉妹に聞いてみますと、イエス様は色々な人に、いやしや解放を、方向性の示しや疑問の答えを、与えて下さったようです。

私はピアノ奏楽を担わせていただきましたが、練習して来たのとはまったく別の演奏が、また私の技術ではない事が与えられました。

やはり、あの時あの場所は祈られていたので、特別でした。

集会としての「水はぶどう酒に」は昨日終わりましたが、イエス様が水から変えて下さったぶどう酒の効用は、これからじっくり効きだします。

もはや人の祭りを求める事は終え、イエス様を主とする日々を保ちつつ歩む皆さんでありますように!

礼拝説教メッセージ音声:たゆまず善を行いなさい(マタイ5:43-48):右クリックで保存
韓国語通訳有

今日は、最近いただいた恵みの分かち合いをします。

最近、ある人が主にあって建て上げられる事を願って、その人のために祈り、時間や労力を注いだり、お金の便宜を図ったりました。
ところがその人は、このように言いました。
「私は別にそうして欲しくなかった、あなたが勝手にそうしただけだ」

私はその人が主にあって成長する事を望んでいましたが、その方は別の事を願っていて、私がその方のためにする事は、あたかもその方にとっては邪魔であるかのようでした。
その方のために骨折った事への感謝はなく、むしろ「あなたが勝手にした」と受け止められた事で、怒りと悲しみの苦々しい思いに溢れて、祈りました。

暫く祈っていると、心に浮かんでくる言葉がありました。
「あなたは、わたしが命がけであなたを救うために流した血を、踏みにじった事は無いのか?」

私はその言葉を受けた時、心刺され、さも自分は何の間違えも罪も無いかのように、さも、自分が何か尊いものであるかのように、高ぶっていた自分が悲しくなりました。
私は邪悪で罪深く、まさにその日、主が流して下さった血潮を、軽んじる事をしました。
それなのに、今私はこうして恵みと哀れみによって生かされています。
「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」(ローマ5:8)

私は罪と穢れにまみれているのに、そしてそれは今もそうであるのに、そんな私に、主は何をささげて下さったのか。
主は、尊い血潮を、尊いご自身のいのちを、私達のために、父なる神に捧げて下さいました。
それを思うと、私は申し訳なくて申し訳なくて、ただ「主よ、ごめんなさい」と心一杯に呼ぶしかありませんでした。
主が命じられた事を守ろうとする時、時には無駄に思える事があるかもしれません。
しかし、主は良い人にも悪い人にも太陽を登らせ、雨を降らせて下さる良いお方です。

主が望んでおられる事は、自分の敵を愛し、迫害する者のために祈る事。それでこそ、天におられる御父の子となる事が出来る。(マタイ5:43-48)
だから私達も、そのような主の足跡を辿る事に、間違いは無いのです。
もし皆さんが、主のために奉仕をする時、その動機が主を愛するがため、主に捧げたいがために成すのであれば、人々が何を言おうと、主はその捧げ物を受け取り、とこしえの記念としてくださいます。(マルコ14:3-9)

主が十字架にかかられる直前まで、主がなさろうとする事を12弟子は理解しておらず、ベタニヤのマリヤだけが理解していました。
マリヤは、主が自ら死へと向かっている事を悟ったけれども、他の弟子達は分かっていないので、彼女自らにしか出来ない事をしました。
彼女は300デナリ(1デナリは一日分の給与)の香油のつぼを割り、一滴残らず主に注ぎ尽くしました。
主は、そんなマリヤの心を隅々までご存知でしたが、他の弟子達はそれとも知らず、なぜこんな、無駄な事をしたのか、と憤りました。

私達が主の御心を知り、自分しか出来ない事をする時、周りはそれを悟らず、無駄なことをしている、と怒るかもしれません。
しかし主は、皆さんの心を隅々までご存知で、むしろ皆さんを弁護し、褒めて下さいます。
イエス様は、この事は彼女にとって永遠に記念となると言われました。

永遠に残る事とは、人の考え付いた善行ではなく、主のために注ぎ尽くす事。
主の御心を探り、主のために、その日その時にしか出来ない事をする事。
それは人の目には無駄に見えるかもしれませんが、主の目には尊く、永遠に残る事です。

主が求めておられる事を悟り、人の言葉に左右されず、たゆまず主のために注いでいく皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

いよいよ明後日が「水はぶどう酒に」です。そのため、明日から新潟入りします。

人の思いがどうであろうと、主が命じられた通り、忠実に水汲みをしてきました。

あとは明後日、主がそれを喜びのぶどう酒へと変えてくださるだけです。

とても楽しみです。

天声教会から何名か新潟へ奉仕に出ますが、天声教会における集会は平常どおり行っております。

礼拝説教メッセージ音声:訴えあう事について(1コリント6:1-8):右クリックで保存
韓国語通訳有

コリントの教会は、分裂分派争いがあり、不品行はひどいし、さらには、兄弟姉妹同士の裁判沙汰もあったようである。
パウロはそれらに対し、表面的に「してはいけません」と注意するだけでなく、主イエスにある私達がどういう立場であるのか、真理に立てばそうした事がいかに稚拙であるかを、示して来た。
この6章は、兄弟姉妹同士が訴え合う事について叱責しているが、ここにおいても、真実に照らして何が問題であるのかを示している。

「あなたがたは知らないのですか。聖なる者たちが世を裁くのです。世があなたがたによって裁かれるはずなのに、あなたがたにはささいな事件すら裁く力がないのですか。」(2節)
私達人間は、今はしばし、御使いよりも低いものとされているが、後に世界は、私達神の子の支配化に置かれるようになる。(ヘブル2:7)
それなのに、聖徒達の間に争い事が起こると、聖徒同士が御言葉に照らして戒めあうのではなく、世の裁判官を選んで裁判してもらい、自分達の失態を、世に晒している。

そもそも、訴え事が起こるのは、大体人の貪欲さが原因である。
自分の思っていた通りに人が動かない時、欲におびき寄せられだまされる時、自分に栄光を帰するための栄誉欲が満たされなかった時など。

『群衆の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」イエスはその人に言われた。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」
そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」』(ルカ12:13-15)

自分の兄弟から、いくらかでも財産を取りたいという、貪欲に由来する争いごとは、イエス様は取り合わなかった。
むしろ、貪欲に注意して警戒するよう注意し、そして、多くの持ち物を頼りとする愚かな金持ちのたとえ話へと続けた。

世に属する朽ちてゆく富のために、聖なる兄弟姉妹をないがしろにしたりして、自分を滅びに定めるような事は、実に愚かな事である。
財産を得るために、兄弟姉妹をないがしろにしたり、争ったりする者は確かにいるが、イエス様が命じられたのは、兄弟姉妹同士は、互いに愛し合いなさい、という事だった。

「そもそも、あなたがたの間に裁判ざたがあること自体、既にあなたがたの負けです。なぜ、むしろ不義を甘んじて受けないのです。なぜ、むしろ奪われるままでいないのです。」(7節)
これは、右の頬を打たれたら左の頬も差し出しなさい、という主の言葉に通じるものがあるが、その箇所(マタイ5:39)をよく読むと、まず「悪いものに歯向かってはならない」という言葉が先にあり、そこから、右の頬を打たれたら左の頬も、、、と続く。
つまり、悪い事をした者に「抵抗しない」事は、その者を「悪い者」と定め、その者の裁きを、正当にさばいて下さる神様にお委ねする事になるのだ。

兄弟姉妹がもし悪い事をしたら、御言葉を根拠に、柔和な心で訓戒する事、それが愛する兄弟姉妹への対処である。
そうする事で、もしかしたら悪魔に囚われているその人を、神様はあるいは悔い改めに導いてくださるかもしれない。(2テモテ2:23-26)
最も良くないのは、コリント人がしているように、愚かな議論をもって兄弟姉妹に争いを引き起こしたり、兄弟姉妹を言葉巧みに自分の所に引き込んで分裂を促したりする事である。

しっかりと御言葉を身につけ、互いに愛し合い、赦し合い、仕えあいつつ、互いに徳を立て上げて行く皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

思い出深い日

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » パスター日記
執筆 : 
pastor 2011-11-20 20:12

今日は収穫感謝祭で、なおかつ洗礼式、聖餐式でした。

第2礼拝が終わった後、皆で、教会のある兄弟が仕事で担当する物件におしかけて、祈ったり賛美したり祝福して来ました。

その後、今日はめでたい日という事で、焼き鳥屋の働き人たちが腕を振るってサムギョプサル・パーティを開いて下さり、お腹も霊も満たされて帰ってきた所です。

色々と初の試みで、洗礼を受けられた方ももちろん、私にとっても、思い出深い日となりそうです。

主に捧げられる良き実となるために(ルカ3:16-17)
第一礼拝・礼拝全体音声(韓国語通訳あり):右クリックで保存
第二礼拝・説教音声:右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

「ヨハネはみなに答えて言った。私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりもさらに力のある方がおいでになります。私などは、その方のくつのひもを解く値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。 また手に箕を持って脱穀場をことごとくきよめ、麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」(ルカ3:16-17)

バプテスマを授けていたヨハネは、自分よりも、自分の後に来られるお方こそが重要であると強調した。
パウロも同様の事を1コリント1:10-18で述べており、バプテスマを授けた人や、知者や指導者などの人間が重要なのではなく、十字架につけられたキリストこそ、私達が拠り所とするお方である、と言っている。
このお方は、私達に聖霊と火とのバプテスマを授け、また、もみがらと実とをふるい分けられる。

本日捧げられた野菜や木の実、種などの収穫物は、見ての通り、美しく麗しく良いものである。
見た目が鮮やかで、香りもかぐわしく、祭壇に並んでいるのを見ると、幸せな気持ちになってくる。
これらのものは、全て天の写しであり、地上の物は影にすぎない。
天の倉に納められる、真の「良い実」とは、御国の子達である私達であるが、しかし、この世という「畑」には、悪魔が蒔いた毒麦も同時に育っていると書かれてある。(マタイ13:36-43)
しかし世の終りの時、つまずきを与える者や不法を行なう者達はみな、御国から取り集められ火の燃える炉に投げ込まれ、正しい者達は天の御国で太陽のように輝く。

キリストにつながる私達こそ、良き実を結ぶ者達であり、結んだ良き実は主の倉への奉納物となる。
また同時に、私達自身が、主に捧げられる、生きた供え物として捧げられなくてはならない。
「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」(ロマ12:1)
主の倉へ入れられる有用な供え物となるには、私達の肉という、余分な殻は、脱穀されなくてはならない。
例えば栗は、イガがついたままでは、当然口には入らない。まず、とげとげしたイガを取り、煮詰められ、種の堅い殻も、渋い皮も剥ぎ落とされて、やっと食用になる。
そのように私達も、主の御前にとげとげした外側も、内にある堅い部分も、内にある渋い部分も、全て除かれ、焼き尽くされなくては、主の入用にはならない。

ヨシュア記においても、まず割礼を施して余計な部分を取り除き、過越の小羊を祝った時、マナが降るのが止み、その時から、地の産物を豊かに得る事が出来るようになり、そしてそこから、勝利につぐ勝利の生活へと転じた。(ヨシュア5:1-12)
過越祭でほふられる小羊は、まことの小羊キリストをあらわし、その裂かれた肉を共に食す事は聖餐のパンを予表し、流された血潮のしるしは、十字架の血である杯を予表している。
土地の収穫を得るには、自分の手で働く事が必要で、それは、今までのように受け身で食物を受けるのではなく、主に信頼しつつ自らの手で働き収穫するという、一日一日が主とのコラボレーションの生活である。

これからは、分捕られてきた物を主と共に分捕り返し、世に対して、サタンに対して勝利を重ねる時である。
もちろん主を心の王座から引きずり降ろし、逆らってしまったら、敗北に転じてしまう事を忘れてはならない。
「ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。」(ヨシュア1:7,8)
日々、御言葉を宣言して実行し、勝利に勝利を重ねる皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!

今週は、焼き鳥屋もブティックも共に最高売り上げを更新しました。

足りなくなった時は主が必ずこのように必要を満たし、「私に信頼しなさい」と、色々な事を通して教えておられる気がします。

礼拝説教メッセージ音声:交わりの純度を保つために2(1コリント5:9-13):右クリックで保存
韓国語通訳有

パウロは、不品行な者を悔い改めさせもせず相変わらず交わりを容認させているのは、高ぶっている事だと指摘し、その者を主イエスの権威によってサタンに引き渡した。
それは、彼の肉が滅ぼされるためであり、それによって彼の霊が救われるためである。

コリントの町は、現代日本のように偶像礼拝に満ち、不品行に満ちていた。
そのような事をする人達と一切付き合ってはならない、という事なら、確かに、この世界から出て行かなくてはならない。
しかし、兄弟と言われるものの中で、そのような事をする者とは付き合ってはならない、食事を一緒にしてもならない、と命じている。(11節)

私は会社に勤めている時、お酒を飲むのが好きだったが、その時この御言葉を読んで、酒が好きな私は、兄弟姉妹と付き合う資格も無い、と見出し、兄弟姉妹と交わるとき、この言葉を思い出すたびに、ちくちくと心刺された。
他の兄弟姉妹の中にも、他の罪、例えば性的不品行など、中々止められず、心刺されている方も、いるかもしれない。

そういう人たちが、自分を御言葉に照らしてさばき、罪があると認め、主に救われたい、解放されたいと願うなら、もちろん主は癒しや解放の御業を為して下さるお方である。
しかし、御言葉が何を述べているかを聞きながら、不品行や酒、偶像礼拝などを、兄弟姉妹の交わりに持ち込み、止めないのであれば、その者は、教会の交わりを乱す者である。
そのような者とは付き合ってはいけないし、一緒に食事をしてはならない。

パウロが第1コリントを書いたのは、コリントの不品行の者が悔い改め、そして実際に訪問する時、叱責とむちをもって行きたくなかったからだった。
「あのようなことを書いたのは、そちらに行って、喜ばせてもらえるはずの人たちから悲しい思いをさせられたくなかったからです。わたしの喜びはあなたがたすべての喜びでもあると、あなたがた一同について確信しているからです。」(2コ2:3)
罪を改めなさい、と言うのは、言う側も、言われる側も、悲しく嫌ではあるが、もしそれで罪が除かれるなら、パウロもコリント人も、喜びが沸き起こるのである。

そして実際、その手紙によって悔い改めが沸き起こった。
その人(パウロに裁かれサタンに引き渡された者と思われる)は、多数の者から受けたあの罰で十分で、むしろその人が悲しみに打ちのめされてしまわないよう赦して力づけ、そして、ぜひともその人を愛するようにと、後に書いている。(2コリント2:5-8)

兄弟姉妹の交わりとは、義なる交わりであり、聖なる交わりである。
罪を許さない、という厳しい面があるが、もし罪を悔い改めるのであれば、愛によって覆うものでもある。
何事でも、愛を基準に愛を根拠に為すべきである。
なぜなら、愛は多くの罪を赦し、また、憐れみは裁きに対して勝利するからだ。

交わりに愛と憐れみを満たし、ますます教会の純潔と一致を保つ皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:交わりの純度を保つために(1コリント5:1-8):右クリックで保存
韓国語通訳有

キリストに呼び出された者達の集まりは、聖なる集いである。
それなのに、コリントの教会には、父の妻を妻としているような者がおり、しかもその者は悠然と教会を出入りし、兄弟姉妹達は、そのような者を悲しみつつ取り除こう、という事をしなかった。

そこでパウロは、主イエスの権威によってさばき、その者をサタンに引き渡した。(1コリント5:4-5)
彼がこのような対応を取らざるを得なかったのは、コリントの教会では自浄作用が機能しておらず、本来、教会がするべき事を誰もしないから、パウロが霊においてその者を裁いたのである。
兄弟姉妹を敢えてサタンに引き渡すのは、その者の肉的な部分が滅び、また、その者の行く様を見て他の者達が戒めを受け、そして、彼の霊が主の日に救われるためである。(5節)

教会とは、何でもかんでも許して、愛して、受け入れて、、、という集団ではない。

敢えて主の嫌われる事を平気でするような汚れた者が同居したまま、自分も健全に保っていける、と思っているなら、それは誇り高ぶっている。
過ぎ越しのパンにはパン種を入れてはならないのと同じように、教会全体が主に受け入れられる捧げものとなるためには、そのような者は除かなくてはならない。
主の忌み嫌われる行いを悔い改めず、他の聖徒達に悪い影響おを与え続ける者に対しては、このようにすべき事を、パウロは模範として示してくれたのだ。

主が忌み嫌われる事を行っている兄弟姉妹は、すぐに追い出すのではなく、その前に、戒めなくてはならない。

「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。
聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。
それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。
はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」(マタイ18:14-18)

「現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです。」(7節)
キリストは、私達の罪の身代わりとなるために、過越の小羊として、既にほふられた。
その聖なる愛さんの場に罪を持ち込むという事は、どれほど重い罪だろう。

「だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない、純粋で真実のパンで過越祭を祝おうではありませんか。」(8節)
キリストのおられる交わりの純度を保つために、時には兄弟姉妹を戒める勇気を、常に持っておきたい。

今日は愛知県の聖徒から、等級が「秀」階級が2Lの、上等なみかんを送っていただきました。

すごく甘くておいしく、なつかしい味で、聖徒達と共に喜び、祝福を祈りつついただきました。

次週の収穫感謝祭で、主への捧げものに加えさせていただきます。

ありがとうございました。

さて、早いもので賛美集会「水はぶどう酒に」がいよいよ1週間後となりました。

詳細は以下URLをご覧下さい。
http://voh.plala.jp/modules/pico/index.php?content_id=6

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