メッセージ - 201110のエントリ

今日は、なんだかこわいメッセージになってしまいました。

自分としてはこわい事はあまり語りたくないのですが、でも御言葉に書いてある事を促されるままに語りだすと、その内容がどうあれ、勝手に止める訳にはいかないのです。

勝手に止めて、それ以外の事を語ろうにも、それ以外の事が頭に浮かばず、その事だけがハッキリ自分の中にあるので、その事を流しださずにはおれない感じです。

礼拝説教メッセージ音声:働きは主のもの(ローマ15:18-21):右クリックで保存
韓国語通訳有

「キリストがわたしを通して働かれたこと以外は、あえて何も申しません。キリストは異邦人を神に従わせるために、わたしの言葉と行いを通して、
また、しるしや奇跡の力、神の霊の力によって働かれました。」(ローマ15:18-19)

パウロに神様から与えられた働きの領分は、異邦人に福音を伝えるという事だったが、それを為したのは、自分ではなくキリストだと、彼は告白している。
同様に、私達一人一人に託された、神様から与えられた働きの領分も、キリストが召し、キリストが為してくださるからこそ、成就するのだ。

そういうわけで、「私は何もしなかった、イエス様が全部して下さった」と言うのは、少し違う。
キリストからの呼びかけに「私」が応じなければ、神はみわざを為されないのだ。

むしろ私達は「私には栄光は無く、イエス様にこそ全ての栄光があるのだ」と言うべきであり、キリストだけを誇れるのだ。
神の国の働きは、キリストと私の共同作業である。

パウロは、誰もキリストを伝えていない所に真っ先に伝えに行くのが、彼の領分であった。(20節)
しかしそれは、私パウロが未開地に行って教会の土台となるのだ、という意味ではない。
彼が据えに行った土台とは、イエス・キリストである。
「神から賜わった恵みによって、わたしは熟練した建築師のように、土台をすえた。そして他の人がその上に家を建てるのである。しかし、どういうふうに建てるか、それぞれ気をつけるがよい。
なぜなら、すでにすえられている土台以外のものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台はイエス・キリストである。」(コリント3:11)
建築家自身がビルの土台になりに行く訳ではないように、私達もキリストという土台を据えるだけである。

仕事や家庭など、あらゆる領域にキリストという土台を据え、日々、神の国のために働く皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

世の中には、無愛想になったり脅したりする事で、周りの人を動かしたり、支配しようとする人がいます。

きっと小さい時からそういう行動パタンが身についてしまったのでしょう。

そういう人と関わり、間違いを指摘し、正してあげるには、根気とエネルギーが要るので、親や友人の中でそういう人がいないと、この性格のまま固まってしまうのです。

しかし彼らに待っているのは、悲惨なほどの孤独です。

ただキリストだけが全てを解決する手がかりですが、キリストを伝えても伝えても受け入れず、相変わらず頑ななままでいて、悲惨な孤独に陥る行動パタンに束縛されたままなのを見ているのは、悲しいです。

私もかつては、頑なにキリストの言葉を受け入れませんでしたが、砕かれに砕かれた末に、主から差し伸べられた手を握った時、私の頑なで冷え切っただった心は愛で溶かされ、暖かにされました。

誰もが、キリストから延べられた手を握り返すよう、祈りに覚える次第です。

のほほん

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » パスター日記
執筆 : 
pastor 2011-10-20 17:54

最近、久しぶりに信仰の忍耐が試されています。

必要としているものがあるのだけれど、それが中々与えられない。

何かが詰まっているのか、何かが足りないのか分からないけれども、期日は迫っている。

思えば仕事をしていた頃は、これういった似た忍耐をするのは、しょっちゅうだったような気がしますけれど、なんで忍耐が「久しぶり」なのだろうかと、考えて見ました。

やはり主にあって、ノホホンとする度合いも、のほほんとしている時間も、増えてきているのだなあ、と思います。

以前だったら心配で不安で仕方なくなる、というような事が起こっても、なぜかノホホンとして、そうこうしているうちに解決する。

支配権を自分で握り締めるのを止め、主にお任せする事が増えている。

そう感じます。

私が毎日のように講壇で語っているように、イエス様は助け主、このお方に信頼していきたいと思います。

礼拝説教メッセージ音声:召された者としての働くべき領分(ローマ15:8-17):右クリックで保存
韓国語通訳有

私達にはそれぞれ、神の国の為に働くべき領分があるが、それを明確に知っているだろうか。
パウロは異邦人に福音を伝える者という神から与えられた領分を明確に心得ており、それも御言葉によって確信を得ていた。

異邦人も救われるという教えは、当時としては画期的な事で、ユダヤ人の中にはにわかには受け入れられない事だった。
そこでパウロは様々な預言者、すなわちダビデやモーセ、イザヤなどの言葉を通して、異邦人も救いの望みがあり、主を喜び賛美するようになると、御言葉を元に実証している。(9-12節)

「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。」(13節)
主イエス様はユダヤ人だけでなく、異邦人にも希望の源であり、そして、この東の果てにいる私達をも救い出して下さった。
それも、パウロが2000年前に異邦人に福音を伝える事に尽力してくれたからである。

「わたしが神から恵みをいただいて、異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を務めているからです。
そしてそれは、異邦人が、聖霊によって聖なるものとされた、神に喜ばれる供え物となるためにほかなりません。」(15,16節)

私達も捧げられた、という事は、その所有権は神に移ったという事であり、私達は神の所有として、あらゆる悪しきものから隔絶されている。
自分自身を神に受け入れられる、きよい、生きた供え物として神にささげ、そして祭司として多くの人達をも神に捧げるつとめを為す皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:忍耐と励ましの神(ローマ15:1-7):右クリックで保存
韓国語通訳有

もし皆が皆、自分の満足ばかり追い求めていくなら、世と何ら変わらず、兄弟姉妹の間に何の立て上げも無いし、簡単に争いが起こってしまう。
「わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。」(ローマ15:1)

強いと思っている人は、弱い人の躓きとなっても、何とも思わないような傲慢に陥りやすいが、そうであってはならず、その人の弱さを担うべきである。
なぜなら、もし自分は強い、という事であるなら、それは主から与えられたものだから。

忘れてはならない。私達は元々、弱く貧しい者だったが、今こうして弱さが補われ、裸の恥が覆われているのは、ただ、主イエス様の恵みによるものである。
私達の主・イエス様は、元々富んでおられ、そして私達は、貧しかった。
そこをなんと、主は、ご自身が貧しくなる事によって、私達の貧しさを買い取って下さり、私達を富む者、強い者として下さったのだ。
「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」(2コリント8:9)
私達召し出された者達を、主がそのようにしてくださったからには、私達も、兄弟姉妹を富ませるため建て上げるべきである。

「キリストも御自分の満足はお求めになりませんでした。「あなたをそしる者のそしりが、わたしにふりかかった」と書いてあるとおりです。」(3節)
イエス様は、神の家を思う熱心さのゆえにそしられ、また、引用元の詩篇69編はダビデの作だが、彼も同じように、神の家を思う熱心さのゆえにそしられた。
私達も、神の家を思う熱心があるなら、人々からそしられるリスクは十分にある。
しかし、私達には希望がある。

「 15:5 どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。」
世においては艱難があり、一筋縄では行かない事が多々あるが、私達の神は、忍耐と励ましの神である。
「励まし」という言葉はパラクレーシス、すなわち「傍にいて助けて下さる」という意味である。
また、「互いに同じ思いを持つように」を直訳すると「互いに同じ思いが与えられますように」となる。
つまり、忍耐と励ましの神様は、聖霊としていつも共にいて助けて下さり、そして、互いに同じ思いとなるようにと、その「同じ思い」が天から与えられるのである。

教会には、実に色々なバックグラウンドを持った人達が集まっているが、中には、正反対の価値観を持ったものがいるかもしれないし、ちょっとこの人はうちの教会から出て行ってくれないかな、という人もいるかもしれない。
そういった人たちと一つになるには、自分の頑張りや歯の食いしばりによるのではなく天から、忍耐と励ましの神が、その思いを与えてくださるのである。
私達が一つになる目的は「それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。」(6節)

主イエス様は、神の栄光のために、私達を受け入れてくださった。(7節)
それだから皆さんも、キリストの栄光のために、兄弟姉妹を受け入れますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:2つの「しない」のすすめ(ローマ14:18-23):右クリックで保存
韓国語通訳有

ローマ14章の趣旨は、裁いてはならない事と、兄弟姉妹を躓かせない事の、2つの勧めである。
パウロの手紙には兄弟姉妹への薦めは多いが、「しない」の勧めは重要である。

それらの二つは、自分の価値観や主張を押し通す事によって引き起こされる。
そのような議論や論理のぶつけ合いは、何も生み出さないどころか、害悪に満ちている。

2テモテ2章を見ると、言葉の論争は人々を滅ぼすもので(14節)、俗悪なむだ話は人々を不敬虔へと導き、その話は癌のように広がって行く、とある。(16,17節)
つまり、教会の会議などで10人そこにいるとして、2人が言葉の論争をしていたなら、その時間中、害毒の悪影響を、残り8人に振り蒔いてしまう事になる。
むしろ私達は、熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励むべきである。(15節)

「だから、平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか。」(ロマ14:19)
兄弟姉妹の間に争いが無く、平和であるというのは、それだけ兄弟姉妹が成長しやすい土壌があるという事である。
争いや不和は、信仰の歩みを2、3歩後退させるが、御言葉による建て上げは、1、2歩進ませる。
後退する方を多く見積もったのは、それだけ私達の肉は、争いや不和をする方が容易だからだ。

「肉も食べなければぶどう酒も飲まず、そのほか兄弟を罪に誘うようなことをしないのが望ましい。」(ロマ 14:21)
肉やぶどう酒を摂取しないのは、これらが悪い食べ物だから、ではなく、兄弟を罪に誘うようなことをしないのが良い、だから食べない方が望ましい、と言うのである。
私達はキリストにあって自由を得ており、何を食べても良いのだが、全ての事が益となる訳ではない。
私達は、何が兄弟姉妹の躓きとなり、何が建て上げる事になるのか、考慮した上で物事を為すべきである。

教会の中において、兄弟姉妹を建て上げる皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

最近、アメージンググレースの曲が妙に心に響いてきます。

この曲を作詞したのはジョン・ニュートンで、彼は若かりし頃、奴隷船で働いていましたが、後には牧師となり、82歳で天に召されました。

彼は晩年、こんなことを述べていたそうです。

"My memory is nearly gone, but I remember two things, that I am a great sinner, and that Christ is a great Saviour."

「薄れかける私の記憶の中で、二つだけ確かに覚えているものがある。一つは、私がおろかな罪人であること。
もう一つは、キリストが偉大なる救い主であること。」

この二つの事は、私も一緒です。

礼拝説教メッセージ音声:躓きとなるものを除きなさい(ローマ14:13-17):右クリックで保存
韓国語通訳有

前回学んだように、裁き合わない事は重要だが、まず、兄弟姉妹の信仰を妨げるもの、躓き(つまづき)となるものを置かないよう、気をつける事の方が、先決である。

躓かせるきっかけとなるものは色々あり、例えば、ある日を大事にするとかしないとか、ある食物は清くある物は汚れている、と言った、信じている事や価値観の相違によって、躓きは起こりうる。
例えば、イカを汚れた食物と信じる人がいて、その事を知りながら、かまわず目の前で食べるのなら、その人を躓かせる事になる。

本来、それ自体で汚れているものは何一つ無く(ロマ14:14)ある人が「汚れている」とするなら、その人にとっては、汚れているのだ。
イエス様も、全ての食物はきよいが、人のうちから出てくるものが人を汚す、と言っている。マルコ7:18-20
つまり、汚れる・汚れないというのは、人の心次第という事である。

しかし、兄弟姉妹に妨げになるものを敢えて置くのはキリスト者として相応しい事ではない。
「あなたの食べ物について兄弟が心を痛めるならば、あなたはもはや愛に従って歩んでいません。食べ物のことで兄弟を滅ぼしてはなりません。キリストはその兄弟のために死んでくださったのです。」(15節)
全ての兄弟姉妹は、例外無く、イエス様がいのちを捨ててまで愛し、救って下さったからである。
イエス様が命を捨てられた程の人なのだから、たかだか、食べ物の事でその人を滅ぼすような事は、あってはならない。

私達が大切にすべきは、何が正しく何が正しくないか、何が清いか汚れているか、ではなく、兄弟姉妹の躓きとなるものを置かない、という事だ。
パウロも、もし肉を食べる事が兄弟姉妹を躓かせるきっかけになるようなら、今後一切肉を食べない、と言っている。(1コリ8:13)

一番良いのは、その人にとって躓きの元となっている知識が解消されるよう、御言葉に基づいて正しく教える事だ。
それはそれとして、強い者は、弱い者の弱さを担うべきである。

「約束の地を取得する段階(ヨシュア4,5章)」

第一礼拝・礼拝全体音声(韓国語通訳あり):右クリックで保存
第二礼拝・説教音声:右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

ヨシュア達が約束の地に入って行く過程は、信仰によって自己を降ろす段階的な過程である。

記念の石を建てる(ヨシュア記4章)

第1の月の10日、民は祭司の担ぐ契約の箱を先頭にヨルダン川へ足を踏み入れ、信仰の第一関門を通った。
川を通るのはバプテスマによる死を意味し、そこを通った者は古い自分に死んだ者とされた。
民が皆ヨルダン川を渡りきった時、主は、部族ごとに一人づつ選び出し、祭司がいる川の真ん中に戻って、記念碑を建てるため石を一つずつ取って来なさいと命じた。
記念碑は、民が全部渡り切ってからでなければ立てる意味が無い。サウル王のように勝手に先走って立ててはならない。(1サム15:12)
いつ川が激流に戻るか分からない中、祭司達と12部族の代表達は、いのちを主に預け、信仰によって川の中に戻り、石を持ってきて、こうして神様と民とのコラボレーションである記念碑が完成した。
この記念の石は、自分達は主の御手によってこの川の底を渡り、この地に入ってきた事を、子孫にいつまでも覚えさせるためである。
部族長達が記念の石を建てたように、現代の私達も、主の御技の記念を建て、周囲の人々や、子供達に、主の御技を伝えるべきである。イエス様が私をどのように救って下さったか、という証は、永遠に残る記念の石であり、敵に対しては脅威のしるしでもある。

割礼を施す(ヨシュア5:1-9)


いよいよ川を渡った後、主から真っ先に示された事は、この民に割礼を施すように、という事である。
それは、荒野にいる間生まれた民は誰も割礼を受けていなかったからであるが、私達が受けるべき割礼は、肉体の一部を切り取るのではなく、自分の高ぶりや強情さを、御言葉という鋭い両刃の剣(ヘブル4:12)によって、取り除く事である。「文字ではなく“霊”によって心に施された割礼こそ割礼なのです。その誉れは人からではなく、神から来るのです。(ロマ2:29)」
こうして心に割礼を受けた者は、人間的な誉れは一切無くなり、ただ神の誉れに与るのみとなる。
「主はヨシュアに言われた。「今日、わたしはあなたたちから、エジプトでの恥辱を取り除いた(ガラ)。」そのために、その場所の名はギルガルと呼ばれ、今日に至っている。」(ヨシュア5:9)
荒野で滅びる原因となった、心頑なさや不信仰という「エジプトの恥辱」を私達も取り除かなくてはならない。

過越祭を祝う(ヨシュア5:10-12)


ヨルダン川を渡ってから4日後の14日、彼らは過越祭を祝った。
過越祭で屠られる犠牲の小羊は、屠られて十字架上で血を流すイエスキリストを表し、その子羊の血の印の内側で、種を入れないパンと焼いた子羊を食す祭りであり、血の徴のある者達は、身分の上下や国籍を問わず、災いは及ばなかったが、子羊の血を塗っていない家は長男が死に絶えた。
救いと滅びの重要な分かれ道は、小羊の血であり、今私達にとって小羊の血とは、イエスの血である。
イエスを主とし、イエスの血が塗られた私達は、イエスと共に十字架で死んだ者とされ、自分に対しては徹底的に死に、キリストに対しては生きた者、滅びから救いへと入れられた者となったのである。

マナが止む
 

過越のいけにえをささげた翌日彼らはその地の産物、「種を入れないパン」と炒り麦を食べ、その翌日からマナが降るのが止まった。食料が毎日天から降ってきたのが、ある日突然止んだのだから、信仰と自分の手で働く事が必要だが、今までのように、受け身で食物を受けるのではなく、主に信頼しつつ、自らの手でも働いて、収穫して食べるという一日一日が主とのコラボレーションの生活に完全に入ったわけである。
主に信頼し従うなら、地は天からの雨で潤い、様々な良き実を実らせ、それらを楽しむ事が出来る。
信仰によって主のために働き、あらゆる良き実を楽しむ皆さんでありますように!

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