メッセージ - 201109のエントリ

新潟にて

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礼拝メッセージ説教音声配信 » パスター日記
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pastor 2011-9-23 23:00

今、新潟で皆を祝福の内に見送った所です。

7月終わりの引越しの時みたいに、見送りが終わったとたん、大粒の雨が降り始めました。

今回、みんながイエス様に救われた時の分かち合いをし、イエス様に感謝を捧げ、とても喜びに溢れた会となりました。

横浜では、聖徒が帰る所を一人ひとり祝福の祈りで送り出していますが、新潟の兄弟姉妹も同じように祝福で送り出していていました。

主がこれから、どう祝福して下さるのか、とても楽しみです。

礼拝説教メッセージ音声:ある人を神が頑なにされる理由(ローマ9:10-18):右クリックで保存
韓国語通訳有

「わたしはヤコブを愛し、/エサウを憎んだ」と書いてあるとおりです。では、どういうことになるのか。神に不義があるのか。決してそうではない。」(ローマ9:13,14)

神がエサウを憎んだのには、理由がある。
ヤコブとエサウが生まれる以前から、祝福されるのは弟ヤコブである、という選びは、確かにあった。
しかし実際は、エサウはアブラハムの子であるゆえに祝福され、400人の奴隷を抱えるほど、持ち物は有り余っていた。(創世記33:9)
では「エサウを憎んだ」とは何か。
この言葉は、旧約の最後の書、マラキ1章からの引用である。

エサウの子孫(エドム)は、選びの民であるヤコブの子孫を助けてその祝福に預かっていれば良かったのに、高慢になり、ヤコブの子孫にひどい仕打ちをした。(オバデヤ書)
つまり時系列で言えば、エサウは当初、神の祝福に与って増え広がって行った。
しかし子孫になるにつれ高慢となり、行状も悪くなって行き、だから、神はエサウを憎んだ、という順番である。
神は、選びの民を祝福する者を祝福し、呪う者を呪われる。(創世記12:3)
そして行状を改めない者に対しては、「主の日は、すべての国に近づいている。お前がしたように、お前にもされる。お前の業は、お前の頭上に返る。」(オバデヤ15節)

もう一つ、神様が約束の子を引き立てるために用いた器が、エジプトのパロである。
「聖書はパロにこう言っている、「わたしがあなたを立てたのは、この事のためである。すなわち、あなたによってわたしの力をあらわし、また、わたしの名が全世界に言いひろめられるためである」。」(ローマ9:17)

エジプトは、ヨセフの統治に任せた結果、世界一強く豊かな国へと祝福された。
にもかかわらず、彼らが神の民にした事といえば、400年もの間奴隷としてこき使った挙句、神の民の祝福を妬んで、男の子が生まれたらナイルに投げるようにさえ指示して、虐待の限りを尽くした。
それだから神はパロの心を頑なにし、エジプトを神の栄光を現す器として、用いられたのである。
エジプトに1回、2回と災いが下るたびに、パロはかえって心頑なとなり、神の言葉を拒んで行き、結局10の災いが下った。

結局、誰の目にも明らかに、神の民は正しくエジプトは間違いである。
そして神は正しく義であり、神に言い逆らう人が不義なのである。

神は確かに人の心を頑なにされるが、人が滅びに至るのは、人の側にも責任はある。
「そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました。」(ローマ1:24)
人があくまで欲望のままに歩むなら、神はその人を、そのまま汚れへと引き渡される。

神は、何も好きこのんで、人を頑なにしたり、滅びの器に定めたりするわけではない。
「わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は言われる。彼がその道から立ち帰ることによって、生きることを喜ばないだろうか。」(エゼ18:23)
むしろ神は、人を憐れもうとするが故に、一人子を世に与え、その大切な一人子を身代わりの十字架につける程の憐れみによって、憐れもうとされたのである。

神は人に、幾度も預言者を遣わし、立ち帰れ、帰れ、と何度も促されてきたのに、イスラエルは立ち返らなかった。
それだから、イスラエルはバビロンに引き渡されたのである。

私たちは、神が不公平だといって、神を計り裁くのではなく、むしろ、神が私達に一人子を賜るほどに愛し、憐れまれたことを、感謝すべきである。

「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。」(エペソ1:4,5)

私たちを、憐れみの器として、世界のはじまる前から愛をもって定めておられた神様に、栄光と祝福がありますように。

久しぶりの配信です。

久しぶりで何ですが、私と川合さんは明日より23日まで新潟に出張する予定です。

それに伴い、その間のメッセージアップは、お休みさせていただきます。

鄭先生は昨日韓国に帰られました。

暫く先生が奉仕して下さっていたので、私は家族一同と久しぶりに会ったり、三浦半島の海岸巡りをしたりと、ゆっくり過ごせました。

礼拝説教メッセージ音声:救いを受け入れない者への神のうめき(ローマ9:1-12):右クリックで保存
韓国語通訳有

パウロはユダヤ人同胞から数多くの迫害を受け、幾度も陰謀によって陥れられたり、時には石打にさえ遭った。
それなのに彼は、同胞を思って深く悲しみ、心痛め、しかも、同胞のためになら、自分がキリストから引き離され、呪われた者となって良いとさえ願うほどだ。
彼はなぜ、そんなにもユダヤ人のためにうめくのだろう。

そのうめきは聖霊によるものであり、そして神のうめきである。
神はイスラエルを救おうと数々の預言者や、一人子イエス様さえ遣わして、救いの道を示して来たが、彼らはその救いを受け入れなかった。
イエス様も、エルサレムに登られた時、都を見て泣かれた。

パウロは8章において、世の何者も引き離すことの出来ないキリストの愛のすばらしさを説いたが、ユダヤ人達はキリストを受け入れないがために、せっかくのその素晴らしい愛と贖いを受けられないという、「大いなるもったいなさ」を嘆いている。

もちろん、ユダヤ人達がキリストを受け入れないからといって、神の約束が無効になるわけではない。
イスラエル人(アブラハムの血縁)だけが救われる、というわけではなく、御言葉の約束を信じる者こそ真にアブラハムの子孫と見なされ、救われるのである。

事実、ユダヤ人が福音を受け入れないから、その福音は世界に広まり、多くの異邦人たちが信じてアブラハムの子孫に加えられている。
神は、神の約束を信じきれずに、人間の力によって先走った結果生み出した「イシュマエル」を祝福するのではなく、神の約束を人間が受け止めた結果生まれた「イサク」を祝福するのだ。

救いが成就するのは、神の側から救いの約束が示された時、人が自由意思をもってそれに応答するなら、である。

しかし、パウロの時代のイスラエルは、神の側から差し伸べられた救いの手を、掴まなかったため、救いを逃してしまった。
同様に、この時代の日本も、神から示された救いの道を掴まず、数々の災いに遭っている。
そんな日本のために神と共にうめき、とりなし、そして約束の御言葉を自らしっかり掴んで、祝福をたくさん掴み取る皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

焼き鳥屋は祈られているので、やはり祝福されています。
祝福を妬む人から、妬むきっかけが取り除かれましたし、大量の什器が余っていたのでどうしようかと思っていたのですが、ちょうど料理屋を開業したいという人と繋がりが持てて、彼我の需要と供給が一致しました。

さて、今韓国から鄭先生が着いたそうです。

以前アナウンスしましたとおり配信は暫くお休みさせていただきますが、朝夕の祈祷会や礼拝は通常通り行い、また水〜金は午後1時から礼拝がもたれます。

礼拝説教メッセージ音声:圧倒的な勝利者(ローマ8:31-39):右クリックで保存
韓国語通訳有

御父は私達全てのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡されたほどに、愛してくださった。(32節)
御子キリストは、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださる。(34節)
御霊は弱い私達を助け、深いうめきによって私達のためにとりなして下さる。(26節)
このように、父、子、聖霊なる神が、私たちのために執り成し、愛し、守っていて下さるのだ。
一体だれが、私たちに敵対できるだろうか。

「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。」(8:35)
世にある限り、魂に訴える困難(艱難、苦しみ、迫害)や、肉体に訴える困難(飢え、裸、危険、剣)があるが、それらはキリストの愛から引き離す事は出来ない。
それらの内にあっても、私達はキリストにあって勝利者以上の勝利者、圧倒的な勝利者である。
それはそれら全ての訴える者どもを私達の主イエス様が打ち破り、勝利され、をして私達も勝利に連なる者とされたからである。

「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、
高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」(ローマ8:38,39)

ここにリストアップされているのは、私達の力ではどうにもならない被造物であるが、それらさえも、神の愛から私達を引き離すことはできない。
主は最終的に死を火の池に投げ込み、後のいのち(zoe)に移っても決してキリストの愛から離される事は無く、諸々の権威を委ねられた御使いも、後に来る竜や獣、アポリュオンなども、
また、崇高なるものも、深遠なるものも、その他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、私たちを引き離すことはできないのだ。

礼拝説教メッセージ音声:想定以上の「益」(ローマ8:26-30):右クリックで保存
韓国語通訳有

あの事を祈るつもりで祈り始めたのに、別の事を祈るよう促され、何時の間にかそちらを祈っていた、あるいは、訳も分からず深いうめきが来て、涙の内に言葉にならない祈りを何時間もしていた、といった事があるだろうか。
それは“霊”(御霊)が導いておられる時だ。
「“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」(ローマ8:26)

御霊は、人の思いや知恵によってではなく、神様の御心によって、人を正しく探りきわめて下さる。
そのため、御霊は私達以上に私達をご存知であり、取り巻く状況がどうであるかを私達以上にご存知であり、私たちの表層意識に上らない事も、私たちが知らない事さえも探り極め、うめきつつ執り成し祈って下さるのだ。

御霊、すなわち弁護者は、永遠に、いつも、私達と一緒にいて下さる。(ヨハネ14:16)
たとい私達が、ちょっと神様には目をつぶっていて欲しいような時でも、御前に都合が悪いような時でもいつも共におられ、御父の御前で弁護していて下さる。
そればかりでなく、私達に全ての事について教えて下さり、そして、イエス様が話してくださった御言葉を思い起こさせて下さるのだ。

「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマ8:28節)

これは「今の状況は私の望むものではないけれど、将来きっと神様は、私の望むあの状況にして下さるだろう」というようなものではない。
神様は、私達が思う「益」よりも遥かに勝る「益」を用意していて下さる。
その「益」とは、「御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められ」(29節)ている事である。
つまり「御子の姿」こそが、私達の目指すべきゴールであり、全ての事を働かせて下さる事の、行き着く先である。
御子の形・・・それは、十字架と復活を通った、栄光のキリストの形であり、イエス様が世の始まる以前から持っていた極めて優れた栄光だ。

この目標に向かって、日々導かれていく皆さんでありますように。

お知らせ

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礼拝メッセージ説教音声配信 » パスター日記
執筆 : 
pastor 2011-9-11 18:12

13日(火)より韓国長老教会の牧師・鄭先生がゲストとして来日し、以下の礼拝にてメッセージの奉仕をしてくださいます。

・14〜16日の朝5時からの早天礼拝と昼13時からの学び会
・18日の主日礼拝
・19日の早天礼拝

それに伴い、その間のメッセージアップはお休みいたします。
その週、私は久しぶりに、ゆったり過ごさせていただきます。

礼拝説教メッセージ音声:宇宙を動かす人間の選択(ローマ8:18-23)
第一礼拝(日本語)礼拝全体音声:右クリックで保存
第二礼拝(韓国語通訳つき)説教音声:右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

「被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。」(ローマ8:19)
つまり被造物は、イエス様を信じる者達の現れを切に待ち望み、罪ある人達の支配から解放されて神の子たちの支配に入る事により、アダム以来の呪いから解放される事を、切望している。

そもそも被造物が滅びの束縛に入り、虚無に服してしまったのは、人が神の御声に従わなかった故である。
「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、/地はあなたのためにのろわれ、/あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、/あなたは野の草を食べるであろう。」(創世記3:17,18)
地が呪われてしまったのは、人間が原因であり、人間が神の御声に従わなかった故だ。
しかも、人間が苦しんで汗して食を得るために、いばらやあざみといった雑草が わざわざ生じるのだ。
そして、被造物全体は、神の子達、すなわちイエス様に罪贖われた人達の現れを待ち望んでいるという。
一体、私達人間とはどれだけ、被造物にとって、そして全宇宙にとって、重要なキーマンなのだろうか。

「神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」」。(創世記1:26)
人は本来、神のかたちに造られ、神と共に、神の子として全被造物を支配するようにと、造られているのだ。
それなのに現在、自然界は人間に敵対するかのように地震や津波によってその業を破壊し、人が労苦から逃れるための業は、放射能やオイル、化学物質などによって逆に人間自身に災いとして跳ね返っている。
もし人が、あくまで創造者の御声に従わず、本来的でない支配を自然界に対して続けるのなら、自然界はますます地震や放射能という”いばらやあざみ”を生じさせ、人々を苦しめるであろう。

被造物は何も好きこのんで人を苦しめるのではない。あくまで人が本来の姿から離れ、罪の業を続けるから、うめいているのであり、むしろ、被造物は神の子たちの現れとその正しい支配を待ち望んでいるのだ。
では、被造物が滅びの束縛から解放され、人の本来あるべき姿「神の子」に戻るにはどうすればよいか?
「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。」(ローマ8:14)
すなわち神の霊によって歩む者こそ、神の子であり、神の子とされた者には、被造物から来る呪いは届かず、むしろ、被造物に望まれる者、歓迎される者となり、土地はエデンの園のように茨ではなくあらゆる良き産物を生らせるのである。全てが与えられる者とは、神の国とその義とをまず第一に求める者である。
また、子とされたからには相続人でもあり、世の始まる以前から用意された、あらゆる良き物を、キリストと共に相続する権利まで与えられている。

では、かんじんの、神の霊に導かれて歩むには、どうしたら良いか?それは、霊に従って歩むか、それとも肉に従って歩むかという二者択一の場面で、常に肉を「否み」霊に従って歩む事を「選び」続ける事である。
肉とは罪を犯す事に何の苦労もいらず、むしろ罪を犯すのが仕事であるが、客観的な事実として、私達の罪の体はイエス様と共に十字架につけられ無力化されている。(ロマ6:6)
私達は罪に対しては死んだ者、神に対しては生きている者である、という、その客観的事実を、自由意志によって「仕分け」する事は、私達の側の責任であり(ローマ6章11節)、私達のこの肉体という器を、罪に捧げるか、それとも義に捧げるか、という責任は、私達の側にある。(12節)

もし霊に従って歩む事を、自由意志によって選択しているなら、いのちの御霊の法則の支配下に入っており、坂道を自転車で下るがごとくラクに御霊の実を結び、主に喜ばれる道を歩む事が出来るようになる。
御霊によって歩むなら、土地は祝福の良き産物を生じ、また相続人として、あらゆる良き物を受け継ぐ。
しかし、肉によって歩む時、土地はいばらとあざみを生じさせ、その行き着く先は死である。
「私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。」(申命記30:19)
結局そういう事なら、より良く生きるためには御霊によって歩む道を選択し、神の子になるしか無いのだ。

礼拝説教メッセージ音声:被造物全体はあなたの選択を待ち望む(ローマ8:18-25):右クリックで保存
韓国語通訳有

被造物全体は、今に至るまで共にうめき、生みの苦しみをしており、そして、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいる。
簡単に言えば、被造物はイエス様を信じる者達の現われを待ち望んでいる、という事だ。

そもそも、被造物が虚無に服し、滅びの束縛に入ってしまったのは、何の故か?
それは、人が神の御声に従わなかった故である。

「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、/地はあなたのためにのろわれ、/あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。
地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、/あなたは野の草を食べるであろう。」(創世記3:17,18)

地は「人の故に」呪われてしまい、いばらやあざみといった雑草は「人のため」に生じる、という事である。
そして、被造物全体は神の子たち、すなわち、イエス様に贖われた「人達」の現れを待ち望んでいる、というのだ。
一体、私達人間は、被造物にとってどれだけ重要なキーマンなのだろうか。
それは次の御言葉から、我々がどれほど大切な存在かが分かる。

「神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。(創世記1:26)

人は本来、神のかたちに造られており、全被造物を支配するようにと、造られているのだ。
人間が全被造物を支配する?そんなの傲慢だ、と思う方もおられるかもしれないが、本来の人は、そのように造られているのだ。
「人が被造物を支配する事が傲慢だ」と思う根底には、そもそも、不完全で罪のある人間がそんな事したら世界はぐちゃぐちゃになるだろう、と、誰もが容易に想像できる前提があるからだ。
事実、自然界は放射能やオイル、工場が出す化学物質など、あらゆる人間のわざによって汚染されている。

だから、人が罪を犯す以前の、神の子としての「本来の人」に戻る必要があり、被造物全体もまた、神の子たちの現れを待ち望んでいるのだ。

では、神の子となるにはどうすればよいのか?
「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。」(ローマ8:14)
神の霊に導かれて歩むには、昨日のメッセージの通り、私達が日々、自由意志によって、肉に歩む事を否み、御霊によって歩む事を選び続ける事である。
(詳細: http://voh.plala.jp/modules/d3blog/details.php?bid=548

御霊によって歩むのであれば、土地は祝福の良き産物を生じる。
しかし、肉によって歩むなら、いばらとあざみが生じる。

結局そういう事なら、より良く生きるためには、御霊によって歩む道を選択し、神の子になるしかないのである。

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