メッセージ - 201108のエントリ

礼拝説教メッセージ音声:最悪を最善に(ローマ3:1-8):右クリックで保存
韓国語通訳有

神はユダヤ人に、神の約束と言葉を委ねられた。
ユダヤ人が選ばれたのは、この民が他の民に勝って力があったからでもなく、正しかったからでもない。
むしろ「あなたがたはかたくなな民である。」とさえ言われている。(申命記9:4-6)
神がユダヤ人を選ばれたのは、ただ、神の一方的な選びのゆえである。

たとい、すべての人を偽り者としても、神は真実な方とすべきである。(4節)
人類歴史は罪にまみれ、御言葉を委ねられたユダヤ人も不実であった。
しかしその結果、神の真実さが明らかにされた。

それでは、人の罪の故に神の義が明らかにされたのだとしたら、それに対して怒りを降す神は、不義なのだろうか?
人間は罪を犯す事によって神の義を現し、神の都合のいい道具として利用され、捨てられてしまうのだろうか?
決してそうではない。
神は、罪を犯した人類を捨てるのではなく、むしろ、赦すために、大切なひとり子を人類の身代わりとして私達に遣わして下さったのだ。
それによって私達はますます、神が良き方であり、憐れみ深く愛なるお方であり、そして尊い御子の犠牲によって義を全うされた事を知った。

神は元々、人が悪をしようが何をしようが関係ない、最善なるお方である。
人は神が差し伸べて下さった救いの手に向かって、罪による反抗しかしてこなかった。
神の良きわざに対して人がした事といえば悪でしか無かったが、神は、人間の為した最悪、すなわち御子を十字架につける事さえも、最善として変えて下さった。

神こそ、人の悪を変えて最善へとして下さるお方であり、私達はこのお方に拠り頼む以外に最善な道は無い。

礼拝説教メッセージ音声:真の割礼(ローマ2:25-29):右クリックで保存
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ユダヤ人は律法を持っている事を誇り、割礼を誇っていたが、知らなければならない程の事も知らなかった。
イエス様が「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」と言われた時、ユダヤ人は、自分達はアブラハムの子孫で誰かの奴隷になった事は無い、と答えた。
しかし、罪を犯す者は誰でも罪の奴隷であり、御子が自由にして下さるなら本当に自由になれるのだ。(ヨハネ8:32)

人は誰しもアダムの子孫であるが故に罪の奴隷で、その奴隷状態から人を解放して下さるのは、イエス様以外にはいない。
イエス様は私達に真の割礼、すなわち、十字架の死と復活によって、私達の生まれつきのどうしようもない罪を脱がせて下さっり、新しいいのちを着させて下さった。
「このキリストにおいてあなたがたはキリストの割礼により、手によらない割礼でもって割礼されて、肉の体を脱ぎ捨て、洗礼においてキリストと共に埋葬され、洗礼においてまた、死人たちの中からキリストを起こした神の力への信仰を通して〔キリストと〕共に起こされた。」(コロサイ2:11,12)

そして私達に不利な債務証書を十字架に釘付け、除去して下さり、私達を束縛していた支配と権勢の服を剥ぎ取り、キリストにおいてこれらを凱旋行進に従え、公然とさらし者にして下さった。(コロサイ2:14,15)

キリストにあって限りない自由の中を歩む皆さんでありますように。イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:自分を吟味せよ(ローマ2:17-24):右クリックで保存
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「他の者を教えているあなたが、なぜ自分自身を教えようとはしないのか。」(21節)
パウロは、ユダヤ人が律法を誇っているくせに自ら律法を違反している現状を指摘し「実際、神の名は、あなたがたのゆえに、異邦人たちの中にあって冒涜されている」(24節)と責めている。

今日、ニュースや雑誌でキリスト教会や牧師が出てくる度に「また何かやらかしたのか」と勘ぐってしまうのを否めないのは、キリスト教会や牧師に関して良くないニュースが多いからだ。
「あなたは他人には教えながら、自分には教えないのですか。「盗むな」と説きながら、盗むのですか。「姦淫するな」と言いながら、姦淫を行うのですか。偶像を忌み嫌いながら、神殿を荒らすのですか。」(21,22)
現在もキリスト者と言われる者達による、盗みや、姦淫や、偶像礼拝や、聖なる場所を荒らす事によって、神の御名が大いに貶められてしまっているが、ローマ2章を学んでいる私達は自分自身を省みたい。

他人をさばく事によって自分自身を罪に定めている(1節)ような事はないだろうか。
他人を教えておきながら自分を教えようとしない事はないだろうか。
私達も、神の御名を貶める側になる危険性を、いつでも孕んでいる。

私達が日々立つべき所は、十字架につけられたキリストの中であり、決して自らの知恵や力、為してきた成果にではない。
神はこの世の知恵を愚かにされ、地からある者や生まれの良い者を辱めるために、あえて、愚かな者を選び出されたのだ。
それは人を誇らせないためである。
人が誇ると傲慢になり、罪を生み、不祥事へと発展する。

私達は日々、十字架で裂かれた義の衣をまとっているかどうかを、確認したい。

礼拝説教メッセージ音声:みことばが刻まれた者(ローマ2:12-16):右クリックで保存
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律法をただ聞くだけの者が神に義とされるのではなく、律法を行なう者たちが義とされるのであり、そこにはユダヤ人ギリシア人、律法のある民ない民の差異は無い。(13節)

しかし律法を全て守り行う事ができる者は、人類上ひとりのお方を除いては誰もいない。

律法を全て成就されたお方は、イエスキリストお一人である。
このお方の内に入る者は誰でも、神の御前に律法を成就したと見なされ、それにはユダヤ人ギリシア人、律法のある民ない民の差異は無い。

イエスキリストを信じた者は、心(肉)に律法が書き記され、もはや言葉で主を説明する必要が無くなる。(エレミヤ31:31-34)

出エジプトの民には石の板による契約が与えられたが、彼らはそれを破ってしまった。

生まれながらの人間は、神の聖なる契約を守る事に多大な苦労を要するが、破る事に何の苦労も要らない。
しかし、キリストにあって心(肉)に律法が書き記された者は、キリストのいのちとひとつとなり、聖なる契約を守る事に苦労も要らず、逆に罪を犯す事に多くの苦労を要する。

私達自身こそがキリストを表現する手紙であり、それは私達の心の中に書き刻まれているのだ。(2コリント3:2)

詳細は音声メッセージで。。。

今日も皆さんにとって良き一日でありますように。
主イエス・キリストの名前によって祝福します!

ある方から、イエス様のこのたとえはどういう解釈が正しいですか?と聞かれました。

ある解釈と別の解釈では、全く正反対の意味で受け取れる箇所です。
御言葉は一人ひとりに与えられた特別の、オーダーメイドの服のようなもので、その人だけにその時にしかフィットしない命の表れがある、と答えさせていただきました。

その人にとってある時期にはこういう命の受け取り方、10年後にはそういう命の受け取り方になるものですし、別の人にとってはまた違ったいのち受け取り方があります。
例えば以前ある教会で民数記からメッセージを語らせていただいた時、私は希望のメッセージを語ったつもりでしたが、聞いた皆にはとても恐ろしい戒めのメッセージとして受け取ったと聞いて、驚いた事もありました。

御言葉は生きていて力があり、「この解釈が正しい」「それ以外は異端である」と、ある時代のある人間ごときが断言して良いものではないと存じます。

大切なのは、知識で理解するのではなく、食物のように、いのちとして頂く事です。

礼拝説教メッセージ音声:頑なな心と悔いた心(ローマ2:1-11):右クリックで保存
韓国語通訳有

「それゆえに、ああ、人をさばくすべての者よ、あなたは弁明の余地なき者である。なぜならば、あなたは他の人をさばくことによって、自分自身を罪に定めているからである。さばくことで、あなたは同じことを為している。」(1節)
ここでパウロに非難されている「あなた」とは、律法を持っている事を自負し他の者達を軽蔑しているユダヤ人達、と考えられているが、具体的にはどういう者か。

それは1章後半にリストされているを行っている者達をさばきながらも、自ら同じことを行なっている者(3節)であり、神の慈愛と忍耐と慣用の豊かさを軽蔑している者達(4節)であり、頑なで悔い改めの無い心の持ち主(5節)であり、他の者を教えているのに、自分を教えない者(21節)である。
そういう者でありながら、なお他人を裁く。パウロはそういう者に対して、自らに罪を招いており弁解の余地は無い、と言っているのである。

頑なで悔い改めない心のままでいると、どうなるか。
「あなたの頑なさ、そして悔い改めのない心のゆえに、あなたは自分自身に対して、神の怒りと正しいさばきが啓示される日における神の怒りを、後生大事に宝物として貯め込んでいる。」(5節 岩波訳)
つまり、頑なで悔い改めない心のままでいる者は、神の怒りとさばきを、宝物として大切に貯め込んでいる事になる。

「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」(詩篇51:17)
「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。」(1サムエル15:23)

詳細は音声メッセージで。。。

今日も皆さんにとって良き一日でありますように。
主イエス・キリストの名前によって祝福します!

最近、映画マトリックスのシリーズを見直しています。
結構聖書に通じるストーリーです。

確かに今私達が生きている世界は陰に過ぎず、この世の栄華も美味しい食事も虚像ですが、そこから召しだされた者達が受け継ぐ真の世界は、遥かにすばらしいです。

昨日はまた私の家に引っ越してきた家族の手伝いをしました。

先週はクィーンサイズのベッドが階段から上げられませんでしたので、昨日は外のベランダからロープを使って、皆で知恵と力を出し合い、ようやく上げる事が出来ました。

これでひとまず落ち着いたようです。

礼拝説教メッセージ音声:約束の地に入れる者2 (民数記14章)
第一礼拝(日本語)礼拝全体音声(メッセージ途中で録音が終了しております):右クリックで保存
第二礼拝(韓国語通訳つき)説教音声:右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

カデシュ・バルネアは「神聖な砂漠を放浪する」という意味があり、神の子とされる者なら誰しもカデシュ・バルネアを経験し、速やかに抜けて約束の地に入る者もいれば、ずっと抜け出せないまま屍を晒す者もいる。
もし神を信じた今のほうが、そうでなかった時より苦しみに溢れているとするならば、それは、信じると言いつつも実は信じ切っておらず、出エジプトの民のようにどっちつかずのまま砂漠をさ迷っているからだ。
この砂漠から抜け出せる者と、抜け出せない者の違いを、民数記14章から学びたい。

斥候の知らせを聞いた民は、カレブの「必ず占領できる」という言葉に耳を貸さず、悪く言いふらす者達の言葉を受け入れ、夜通し泣き明かし「死んだほうがましだ」「妻子はさらわれてしまう」「エジプトに帰った方が私達に良い」と叫び、ついには「一人のかしらを立ててエジプトに帰ろう」とまで言い出した。(民14:1-4)
カデシュ・バルネアとは、目の前の現実に「自分の資力」で対抗しようとするなら、絶望しかない状況である。
このままでは妻も子供も養えず、一家離散だ。だから神ではなくエジプトに頼っていた生活に戻ろう、というのが、人間の考えうるケチなベストである。このカデシュ・バルネアを速やかに抜け出すコツは、目の前にそびえる現実に対抗する基を、「自分」ではなく「自分と共におられる全能なるお方」へと換える事である。

そのような時にモーセとアロンが真っ先にした事は、民と向き合う事ではなく、全能なる「お方」にひれ伏す事であり(5節)、ヨシュアとカレブは民を説得し、全能なる「お方」が自分達と共におられ、このお方に従うよう勧めた(9節)
しかしそれに対し、全会衆はモーセ達やヨシュア達を石で撃ち殺そう、という判断を下してしまった。
彼らを民が石で打とうとした、まさにその時、主の栄光が会見の幕屋から全イスラエルに現れ(10節)、主は、「この民を滅ぼし、あなたを大いなる強い国民にしよう」と言った。それでもモーセは神に執り成した。

13節から19節まで続くモーセの執り成しに、「あなた」という言葉が10回も出て来る事は、注目に値する。
民にも少しはいい所があるでしょう、とか、民がかわいそうだ、ではない。「あなた」の栄誉のため、「あなた」の約束の故に、民を滅ぼさないで下さい、と言っているのだ。
私達は何かと自分や他人の事を挙げて祈りがちだが、自分や他人の問題は脇に置き、まず主の前にひれ伏して、主の栄誉・主の御言葉を第一にして祈る、その祈りこそが、聞かれる祈りである。

主は確かにモーセの執り成しを聞かれ、滅ぼす事を思い留めて下さった。しかしそれは、民が選択した事の責任を見過ごす事でも、取った行動に対する実を自ら刈り取る事から逃れる事でも無い。
主が生きており、栄光が全地に満ちている以上、自分の蒔いた種は必ず自分で刈り取る事になり、主の栄光と徴を見つつ、なお御声に聞き従わない者は、約束の地に入れないと宣告された。(民14:21-23)

宣告された時に悔い改めれば、まだ赦されたかもしれない。しかし民が荒野で死ぬ事が決定的となってしまったのは、民が主の栄光を見、その戒めを聞きながらも、なお「つぶやいた」からだった。(27節)
主は幾度も栄光を見せ、戒めたのに、それでなおもつぶやくなら、自らがつぶやいた通りになってしまう。
信じ切れず恐れ退いて右往左往し、信仰の一歩を踏み出せないでいるキリスト者ほど惨めな存在はない。
キリスト者は、信じて前進すればこそ約束された良き地に入り、豊かな祝福と命を楽しむ事ができるのだ。

以上学んできた事の結論として、約束の地に入れない者とは、全能なる主を信ぜず、信仰者の勧めに耳を貸さず、主に戒められても、なおつぶやく者である。
それに対し、約束の地に入れる者とは、救いの源は自分ではなく主とし、信じて前進する者である。
「私達は、ひるんで滅びる者ではなく、信仰によって命を確保する者です。」(ヘブル10:37-39)
今、皆さんには信じなさい、と勧めます。信仰によって前進し、約束の地に入り、豊かな祝福といのちを楽しむ皆さんでありますように。イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:聖なる者はいよいよ聖とされよ(ローマ1:24-32):右クリックで保存
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「それゆえに神は、自分たちの心の欲望のうちに〔捕らわれた〕彼らを穢れへと引き渡し、彼らのからだを互いに辱めるがままにされた。」(ローマ1:24)
神は、汚れた思いに敢えて留まろうとする者は、汚れた思いの中へと閉じ込め、そのような者同士で、ますます汚れの中へと落ちてゆくに任せられる。
その最たる例として同性愛者を挙げており(26,27節)、男として、女としての自然な用を捨てる者は「しかるべき報いを、己のうちに受けた」。

事実、ソドムとゴモラの町は罪が積みあがるまで放って置かれ、神の定めた目盛りに達した時、たちまちに滅ぼされた。
性を侮る罪はいのちの祝福を侮るため、創世記前半という初期の段階で神はそのような警告を発し、現代でも敢えていのちの祝福を侮るような者達には、エイズや性病などを報いとして受けているのを、我々は見ている。

29〜31節の肉的悪徳リストは、特に人間関係に関する悪徳が列挙されている。
それらは神を認識することを是としなしない者達(28節)が陥るもので、そのような者同士で汚し合い、ますます汚れの中に落ち込んでいくにまかせられるのである。
私達も肉体を持つ以上、このリストのような罪々を犯すことは避け得ないが、問題は「自らそれらを為すのみならず、さらにそれらを為す者たちに同意してもいる」(32節)事である。
すなわち彼らは、そうした事柄を為す者には死が相応しいと知りつつ”敢えて”それらを為し、しかもそれらを為す者達に”同意”もしているのだ。

例えば騙しあいが好きな者同士では「騙し」スキルがより上手な者が勝ち上がり、正直者や弱者から富を巻き上げ、栄えているという不条理を見る。
アサフは悪人が栄える不条理を見て心が騒ぎ、はらわたの裂ける思いをしたが、聖所に至った時、ついに彼らの最後を知り、彼らこそ滅びやすい所に置かれていた事を悟った。(詩篇73編)
悪人達の栄える様、それに引き換え正直でバカを見ている自分自身を眺めては堂々巡りしているのでは、アサフが陥ったように心が騒ぎ、はらわたの裂ける思いがするだけである。
聖所とは神の契約の箱(御言葉)が置かれている場所であり、私達が聖所すなわち御言葉に至る時、そのような者達に定められた法則を悟り、そして御心に添った歩みこそ確かであると知るのである。

「不正を行なう者はますます不正を行ない、汚れた者はますます汚れを行ないなさい。正しい者はいよいよ正しいことを行ない、聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。」(黙示録22:11)

詳細は音声メッセージで。。。

今日も皆さんにとって良き一日でありますように。
主イエス・キリストの名前によって祝福します!

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