メッセージ - 201108のエントリ

今日の礼拝は静岡から主にあるご家族が久しぶりに来られ、にぎやかで楽しかったです。
お子さん達は見違えるように成長しており、やはり親の祈りに支えられ自らも祈っている子供は成長が違うなあと思いました。

今日の礼拝も、御言葉の内容から沢山の喜びと笑いがあり、満たされました。(特に第2礼拝)
主がさらに新しい祝福の領域へと促しているような気がします。

礼拝説教メッセージ音声:見てもいない事柄の監査明細(ヘブル11:1-7):右クリックで保存
韓国語通訳有

ヘブル11:1によると、信仰には、望んでいる事柄を"確信"(フーポスタシス:実体、権利証書)する事と、見えない事実を"確認"(エレグコス:証拠、監査明細)する事の2つの要素がある。

望んでいる事柄を「フーポスタシス(確信)」するとは、例えば、100万円が必要になった時、100万円分を受け取るべき権利証書を持っていて、その証書を差し出すような事である。
信仰のもう一つの面、まだ見ていない事・思いも寄らなかった事柄の「エレグコス(確信)」であるが、この言葉は「監査明細」の意味で徹底的に調べつくされた結果の明細であり、現代ギリシア人は通信簿や車検証明書という意味で用いている。

普段から勉強好きであれば、当然、通信簿の結果は良くなり、嫌いなら悪くなる。
そうした事は、人の外見からは分からないが、通信簿があれば、知ることが出来る。
目に見えない事柄を現す通信簿の内容は、普段から意識していようが、いまいが、客観的な数字として表れ、普段から勉強して通信簿の結果が良ければ、報いとして、より良い地歩を得る資格が与えられる。
同様に、普段から神様が好きで共に歩むなら、私達が思いも寄らないような報いが、ある日与えられる。
1節から7節に登城する人物たちは、人目に見えない日々の歩みについての監査証明を受け、そして賞賛された者達である。

アベルとカインは、普段の生活において、何月何日に神様から試験を受けるから、その日に備えて準備しておこう、とは、恐らく思っていなかっただろう。
しかし彼らがいけにえを捧げた時、普段どういう信仰態度であったかが、如実に示された。
「信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました。神が彼の献げ物を認められたからです。アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。」(11:4)
私達の今時点の信仰は目に見える形では見えないかもしれないが、もし今、信仰の抜き打ちテストを受けたなら、天の通信簿にどう書かれるだろうか。
アベルは死んだが、信仰の賞賛はいつまでも残るものである。(1コリント13:13)

エノクは死を見ることが無く、ある日突然神によって移された。
彼についての記述はあまり無く、彼の生き様はまさしく私達の目に隠されているが、ただ分かる事は、彼は神と共に歩み(創世記5:24)、神に喜ばれていた事(ヘブル11:5)だ。
彼も、まさか自分が死を見ることが無いとは、普段の生活では思ってもいなかっただろう。
しかし、彼が死を見る事無く神に移されたという出来事によって、彼が普段いかに神と親しく共に歩んでいたかが私達の目に明らかにされたのだ。

7節にはノアが登場する。
ノアに告げられた内容や与えら得た命令は、とてつもなく非現実的だった。
大いに栄えている人間やネフィリム達が皆、大雨の洪水によって滅び、自分は多くの生き物を救うために、海の無いところに巨大な船を100年かかって造るのである。
ノアは箱舟を作ることによって世を罪に定め(7節)、もうすぐ洪水が起こると警告を発していたけれども、残念ながら救われたのはノアとその家族のみだった。
信仰者は、その信仰の行動によって、世に罪を示すのである。

神に喜ばれるには、信仰が必要である。
神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならない。(6節)
神は、私達に何か願い事がある時だけに登場する神ではない。
私達の日々の生活の中におられる神として、アベルやエノクのように日々神と共に歩み、御言葉が与えられたなら、その内容がいかであろうともノアのように従う歩みこそ、喜ばれる歩みである。
この人は祝福を受けるに相応しい、合格だ、と、天の通信簿に書かれる皆さんでありますように。
イエス様の名によって祝福します!

子供の頃の夏休みの影響でしょうか、8月10日と20日とでは、10日の違いしか無いのに、精神的雰囲気が全く違いますね。

8月10日という言葉からは、まだまだこれからたくさん遊べるぞ、というある種の希望があるのですが、8月20日という言葉からは、なんだか祭りの終わりがすぐ近くのような、物寂しい響きがします。

さて、11/23の賛美集会「もはや人の祭りは終わり」の、会場が決まった次第は、本日配信の音声メッセージで話しています。

賛美集会の場所は、新潟市民芸術文化会館「りゅーとぴあ」です。

参加されたい方、奉仕されたい方は、のちほど詳細を掲示します。

礼拝説教メッセージ音声:信仰義認(ローマ4:1-8):右クリックで保存
韓国語通訳有

アブラハムはメソポタミヤで生まれ育ち、父テラは偶像を作って売る者で、彼の生まれも育ちも、それまでの行いも、神に認められる要素は何一つ無かった。
彼が義とされたのは何故だろう。

アブラハムは神の「父の家を出て私に従いなさい」と言う言葉に従って住み慣れた生まれ故郷を離れ、妻は不妊の女だったにもかかわらず「わたしはあなたを大いなる国民とする」という言葉を信じた。
彼が義とされたのは、彼の業や行いが正しかったからではなく、彼が信じたからである。
「不信心〔で神なき〕者を義とする方を信じる者にとっては、業を為すことのないままで、その人のその信仰が義とみなされるのである。」(ローマ4:5 岩波訳)

ダビデは、神によってそむきの罪が赦され、罪を覆われ、主が咎をお認めにならない人が、いかに幸いかを、詩篇32編で綴っている。
その幸いを享受するためには、主の御前に自分の全てを隠さず告白しなくてはならない。

告白する前、黙っている時は一日中うめき、骨骨が疲れ果て、御手が昼も夜も重くのしかかる。(詩篇32:3,4)
しかし御前に隠し立てせず告白するなら、主はとがめを赦して下さり、いかにサタンが濁流のように訴えようとも、それは届かず、その者の苦しみを取り除き、救いの歓声で取り囲んでくらさるのだ。(6,7節)

「自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。
自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。
罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉はわたしたちの内にありません。」(1ヨハネ1:7-9)

既にご存知の方もおられると思いますが、11/23(水)に新潟において賛美の集会を行います。

この集会の主人公は徹底的にイエス様とし、人の誰かがイエス様よりも前面に出る事を徹底的に排除するため、私達は主から示されたスケジュール、場所、方法、曲目で運営するのみです。

そのような趣旨であるため、段取りが決まらず準備が進んでいなかったりすると、自分の考えを先走らせて、あれこれお膳立てしたいという思いが何度も到来しました。

しかし、今回の新潟行きで主ご自身が動かれ、御技を働かせて下さったのを、目の当たりにしました。

まさに人間が神を担ぎ上げるのではなく、神自らが栄光を現して下さったのです。

具体的に何をして下さったのかは、明日配信する音声メッセージにて。乞うご期待。

礼拝説教メッセージ音声:信仰による義の実現(ローマ3:21-31):右クリックで保存
韓国語通訳有

律法の条項が100あるとして、100全部守ったら義とされるのだろうか?
答えは、否である。(ローマ3:20)
律法は人に罪の認識を生じさせ、人には違反がある、という事を示すために、付け加えられたものである。(ガラテヤ3:19)
付け加えられたもの、と言うからには、別の本質がある。
それはすなわちイエスキリストで、律法は単に、キリストへと導くための養育係に過ぎない。(ガラテヤ3:23-26)

神は聖であり義なるお方である故、人を罪あるまま受け入れる訳にはいかない。
しかし同時に憐れみに満ちたお方でもある故、人の罪を除いて、義とする方法を示された。
それがすなわち、イエスキリストを信じる信仰による義であり、それは何人たりとも無償で提供されるため、誰も、自分の何かを誇る事は出来ない。

では、信仰によって律法は破壊されてしまうのだろうか?そんな事は無い。
律法の一点一画が滅びるよりは、この天地が滅びるほうが易しい、と主は言われたし、律法の最も小さな事を破るように勧める者は、天においては小さい者だとも言われた。
むしろ、信仰によって、律法を成就するのである。
「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。」(マタイ5:17)
主イエスは私達のために身代わりとなって罪を背負い、代わりに罰され、代わりに全ての代金を払ってくださったばかりでなく、私達の代わりに律法を成就して下さったのだ。
エデンの園で善悪の実を食べない限りは園のどんな実をも食べて良かったように、私たちがイエスから独立して自ら善悪判断をしない限りは、あらゆる良き祝福を享受できるのである。

イエス様に全面的に信頼して、あらゆる良き物を得る皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:徹底的な他力本願(ローマ3:9-22):右クリックで保存
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ユダヤ人は、律法が委ねられているという点で他の民族より優れているが、しかし神の視点から見れば全ての人に罪があり、ユダヤ人だからと言って優れている点は何も無い。
義人はいない。一人としていない。
神を熱心に求める者は、いない。
故に人は、一方的な恵みによる赦しが必要なのだ。

福音とは徹底的な「他力」本願であり、その「他力」の源は、イエスキリストから来る。
神の義はイエス・キリストの信仰に拠り、それは信じる者全てに与えられ、そこには何の差別も無い。(22節)
口語・新改訳は、22節を「イエス・キリストを信じる信仰」と意訳しているが、原文も英訳もここは「イエス・キリストの信仰」である。

神が義とするのは、イエス・キリストの信仰であって、人間の側の信仰ではない。
だからこそ、どんなに弱い人でも、貧しい人でも、知恵の無い人でも、信じる全ての者に救いの希望はあるのだ。

ヨシュアとカレブが約束の地に入れたのは、優れた戦闘能力があったからでも知恵があったからでもなく、単に、信じたからである。
彼ら以外の者達は、立ちはだかる障害に対して「自分」を比較したが、二人は「自分達の内にいます万軍の主」とを比較したから、勝てると確信したのである。
モーセも民の執り成しをする時、「民に」少しはいい所があるでしょう、「民が」かわいそう、等、人間の側の何かを押し出す事は全く無く、ただ「あなた」の栄誉のため、「あなた」の約束の故に、民を救って下さい、と神に執り成している。(民数記14:13-19)

結局救いは自分の何かではない。
救いは、100%イエス(神は救い)というお方に拠るのである。

「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。
行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。」(エペソ2:8,9)

今回も新潟では大きな恵みがありました。

日曜夜に新潟グローリーチャペルに着いてそのまま眠り、その翌早朝の早天礼拝で、ある姉妹から次のような相談を頂きました。

亡くなった身内の遺骨を、どうして良いのか分からない、と。

その遺骨は寺で分骨してもらったのか、位牌の印がついた格子模様の小箱に入っていて、それまでその家に無かった時は何も無く普通に暮らしていたのですが、
ある理由で家に持ち込んだとたんに、悪い霊があばれだし、次男は毎晩、夜中2時に起き出して、色々と変な事をしたり、友人が泊りに来たら、その友人が金縛りに遭ったりしたそうです。

私達は御言葉から、遺骨とは塵に過ぎず(創世記3:19)、その霊は既に全能者の元に還っているため、その模様つきの箱に入っているのは、単なるカルシウムの塊に過ぎない事、
また、骨に限らず、人の思いや信念が形ある物(偶像など)に向けられる時、悪霊が働く足場が作られてしまい、遺骨に霊的なものが宿っていると「信じて」いる者は、それによって悪霊の影響を受けてしまう事を、御言葉から説明しました。

彼女は納得し、私達は急遽、その日のうちに散骨式を執り行わせていただく事になりました。

私達が処理するよりも、遺骨は本当に塵に過ぎないという事を、本人が理解し体験していただくために、本人の手で実際に見、触り、散骨のための袋に入れていただいた所、彼女は束縛されていた思いから本当に解放されて行きました。

その翌日、彼女は本当に晴れ晴れとした思いになったという感謝と、次男も昨晩は目覚めさせられる事無く、平安にぐっすり眠ったそうです。

他にも主が生きて働かれた嬉しい知らせがあるのですが、それはまた後程。。。

礼拝説教メッセージ音声:もはや人の祭りは終わり (ヨハネ2章1−11節)
第一礼拝(日本語)礼拝全体音声:右クリックで保存
第二礼拝(韓国語通訳つき)説教音声:右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

聖書はアダムとエバの結婚に始まって、キリストと教会の結婚に終わるように、結婚は偉大な奥義である。
キリストは十字架の血潮(ぶどう酒)を手付金として御父に支払い、私達をめとって下さった。
私達教会が彼とひとつになる事こそが福音の目的であるため、キリストの十字架抜きの福音はありえない。
それなのに、昨今のキリスト教会の中では、十字架抜きの繁栄の法則が語られ、神は愛だから地獄は無いと言う牧師も現れ、さらにカトリックでは、どの宗教も行き着く先は同じ神である、と公言してしまった。
ニューエイジの主張は、魚座の時代(キリストの支配)は終わって水瓶座の時代(アクエリアス・エイジ)に入り、この黄金時代には宗教体制を全て統合し、かつ不知と惑いの心を解放する時代だと、標榜している。
(あいにく、魚座や水瓶座といった星座も、全宇宙さえも創ったのは、ロゴスなる主イエスキリストだが。)
このように、キリスト抜きに人間が高められる様こそ「人の祭り」の行き着く所であり、こういった動きが活発になって以来、その反動としての災いも活発になっているのは、予め御言葉に示されていた通りである。
私達はこれにNOと宣言し、十字架につけられたイエス・キリストこそ主であると明確に宣言するべきである。

昨今のキリスト教世界では、主の栄光より人の栄光を追求し、主の御言葉よりも人間の教えを優先し、主の御心より人の良かれと思った事を成就させるといった、人間主体の「人の祭り」がはびこっている。
カナの婚礼(ヨハネ2:1-11)のように、イエス様がおられるというのにイエス様の名は単に飾りとなって、人の好き勝手などんちゃん騒ぎという「ぶどう酒」はもはやネタが尽き、カラカラに渇いている状況である。
「祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。」(ヨハネ7:37)

イエス様を主と認めず、彼の力を単に利用しようとする者には、たとえ母であっても、主ははっきり拒絶する。
「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの「時」はまだ来ていません。」(ヨハネ2:4)
「女の方(ギュナイ)」のギリシャ語の呼格は大人の女性への尊敬をこめた呼びかけで、ローマ皇帝アウグストがエジプトの女王クレオパトラを呼ぶのに用いた尊称でもある。
「私よりあなたが偉いとし、自分の力で何とかしようとしているなら、あなたの方で何とかするが良かろう。」
イエスを主としない者には主の「時」は来ず、人が勝手に用意したぶどう酒が尽きようとも、主は動かれない。

人の祭りがはびこっている現代において、我々が取るべきスタンスは何だろうか。
マリヤは人々の前で自分を下ろし「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」』(5節)と言った。
「イエス様、あなたがあれをして、これをして下さい」では、主は何も起こされない。
「主よ、仰せ下さい。何でもします」という姿勢こそ私達が取るべきである!
そうしてこそ主が働かれる余地が生まれ、福音書に書かれてあるあらゆる良きわざを主が為して下さり、そして、人の祭りの運営に長けた世話役には、とうてい信じられない事が起きる。(ヨハネ2:9-10)

その良いぶどう酒の作成方法は、主が「水がめに水を満たしなさい」と言われた時に水を満たし、「今汲みなさい」と言われた時に汲む事。主が命じられる事は、その時意味不明に見えるかもしれない。
しかし、それでも主の命じられる通りに行うなら、人にはとうてい用意する事の出来ない、最良のぶどう酒を主が提供して下さり、そして人の支配する不完全な祭りは終わり、主が支配する完全な祭りに入るのだ。

6つの水がめは人を表し(創世記1:31・エレミヤ18:3)、水は私達を洗い清める御言葉(エペソ5:26)を表す。
私達が主の言葉に従順し、私達という器に御言葉の水が満ちる時、水はぶどう酒へと変わり、私達は最上のぶどう酒を味わい、喜びに満たされる。
ぶどう酒はイエスの流された血潮であり、それによって私達の罪は赦され、病人は癒され、束縛されている人は解放され、貧しい者は富む者へ変えられ、死のとげは抜かれ、呪いは祝福へと変えられるのである。
こんな極上のぶどう酒は見た事が無い、なぜ今まで取っておいたのか、と人が言うようなぶどう酒を、主が整えて下さる、その宴会の手伝いをする皆さんでありますように。イエス様の名前によって祝福します!

本日8/14から8/17まで新潟グローリーチャペルに出張奉仕しますので、その間のメッセージ配信はお休みさせていただきます。

その間、ホームページやメール等の定期的なアップデートはありませんが、横浜天声キリスト教会における朝夕の礼拝や祈祷会などは通常通り行っております。

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