メッセージ - 201108のエントリ

礼拝説教メッセージ音声:罪が増した所に恵みが溢れた(ローマ5:12-21):右クリックで保存
韓国語通訳有

一人の人アダムを通して罪が人類全体に入って来たように、その罪過を覆う恵みの贈り物も、一人の人を通して人類に入って来た。

私たち人類に罪がある事は、律法によって知る事が出来る。
律法に「偽りの証言をしてはならない」と書いてあるから、私達が嘘をついてしまう時に、私たちに罪すなわち違反があると、知る事が出来る。
旧約聖書や律法は、耳に痛いから嫌いだと言って、目を向けない者がいるが、御言葉は好き嫌いで判断するべきではない。
なぜなら律法なしには恵みは在り得ないからだ。

「律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。
こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。」(ローマ5:20,21)

嘘も方便とか、良い嘘もある等、御言葉に人間の教えを混ぜてはならず、たとえ人の命を救うためにつく嘘であろうと、嘘は違反として認めるべきである。
もし人の命を救うために嘘をついたのであれば、自分は人の命を救うために嘘という違反を犯した事を主イエス様に告白し、赦しを請うべきである。
罪は主に告白すれば赦して下さるが、御言葉をねじ曲げるなら、罪の赦しという法則を自ら絶ってしまう事になり、恵みを頂く余地も無くなってしまう。

福音の示す所は、人間には罪がある、だから神は怒りを下し罰を与える、ではない。
人間には罪がある、だから罪は覆われ赦される必要がある、そののために神は大切な一人子を罪の身代わりとされ、私たちはこのお方・イエス様を信じる事によって救われる、、、というのが、福音である。
 

礼拝説教メッセージ音声:命がけで愛された(ローマ5:6-11):右クリックで保存
韓国語通訳有

恋人や友、子のために命を捨てる、というストーリーの映画や小説はよくあるが、その命を捨てる相手が、平気で裏切ったり嘘をついたりする卑怯者であるというストーリーは、ほぼ皆無である。
人間の想定できる愛の枠組みからあまりに離れているし、人間の美意識という枠組みからも外れているからだ。
「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」(ローマ5:8)
神の愛は人の思いを越えて遥かに高く、理解不能なほど懐が深い。

主は私達のために命を捨ててくださった故に私達は愛を知り、兄弟姉妹を愛する手本が私たちに示された。
私達はたとい自分の心が責めても、兄弟姉妹を行いと真実を持って愛すべきである。(1ヨハネ3:16-24)
例えば、兄弟姉妹がお金に困っていて、自分にお金があるけれども、それを施したら財布が空になってしまう、というような時、施さないままでいるなら心は責められるが、施せば責められない。

はたして主は、私たちが施して空になってしまった財布を、そのままにしておかれるお方だろうか?そうではない。
「そして願うならば何でも彼から受けることになる。なぜなら私たちは彼の誡めを守っており、その面前で意にかなうことを行なっているからである。」(1ヨハネ3章22節)
神の御心を行っているのであれば、神は必ず必要を備え願っている事を受ける事ができる。

神は、愛する御子イエス様が命を懸けて救ってくれた私達の事を、どうしてすげなくできるだろうか。
また、尊い御子イエス様が命懸けで私たちを救ってくれたというのに、どうして私たちは、自らを軽んじたり、傷つけたり、自殺したりして良いだろうか。
たとい自分がどんなに薄汚く、みじめで、絶望的に見えようとも、主が命がけて救ってくださったからには、私たちは主の命の値がつけられた者に相応しく、誇り高く生きるのがスジである。

1ヶ月ほど前、ある事について、継続すべきかそれとも止めるべきか、主に御心を求めることがありました。

それについて「もし**の○○が下がったら、継続しなさいという主からの徴だ」と、アブラハムの僕のように、ほぼありえない事を、あまり考えもせずに主に申し立てておりました。

それが、、、今日聞いたところによると、なんと○○は下がっていました!

どのようにそれを継続していくのか、具体的な手段はまだ示されておりませんが、主の鮮やかなGOサインに思わず笑いが込み上げて来ました。

今は詳しく書けませんが、いずれ感謝の報告が出来る日の来ることを、楽しみにしております。。

礼拝説教メッセージ音声:患難が希望を生む(ローマ5:1-5):右クリックで保存
韓国語通訳有

私達は信仰によって義とされ、主イエスキリストを通して神との間には平和がある。
キリストは、隔ての壁すなわち敵意を破壊して下さり、ご自身において私達を新しい人に創り上げ、十字架を通して神と和解させて下さった。(エペソ2:14-18)

私達はキリストにおいて神と和解させられたのみならず、神の子とされた。
子であるからには、全ての良き相続を相続する権利があり、その良き相続を得るにふさわしく整えるため、神自ら、私達に最善の教育を受けさせて下さる。
その最善の教育とは、私達が昨日・今日と経験してきた、日常生活である。

主が私達を教育するために患難を与えられる事もあるが、それは本来、喜ぶべき事である。
患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すからだ。(4節)

日本の教育では90年代以降、いわゆる体罰に対して神経質になり、本来罰すべき時の罰さえ差し控えられる事が多いが、聖書の教える所では、子を懲らす事を控えてはならず、「むちを控える者はその子を憎む者である。子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる」(箴言13:24)とさえ書いてある。
聖書は教育においても真理であるが故、いかに日本の教育が懲らしめを控える現状になろうと、主が私達を教育する時は、懲らしめを控えるという事は無い。

主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれる。(ヘブル12:6-11)
私達はこれを鍛錬として忍耐しなければならない。
なぜなら神は、私達を子として取り扱っておられるから。
もし主からのむちを控えられ、悪い事をしても罰が来ないのであれば、それは私生子であって、本当の子ではない。
主は、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられる。
それは当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのだ。

「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」(ローマ5:3,4岩波訳)

その時その時に主からいただいく教育をしっかり修了し、朽ちる事の無い希望を得て行く皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

信徒さんの韓国料理屋でテレビを見ていたら、島田紳助の引退について、色々な人のインタビューをひたすら流していて、しかも枝野官房長官までインタビューしていました。

インタビューを受けた有名人はほとんど「残念」という言葉でしたが、なんで暴力団とのメールで引退するのかも不思議ですが、
夕方のゴールデンタイムにこぞって一芸人の引退ばかり報道して、しかも官房長官にまで聞くのか、というテレビ局の在り方に、ある種のぞっとするものを感じました。

他に地震や放射能問題、政治問題など、報道すべき事は色々あるでしょうに。

ちなみに私は塩酸タンクに作業員2人が落ちて死亡、というニュースが一番ぞっとしました。

礼拝説教メッセージ音声:笑わせて下さる主(ローマ4:16-25):右クリックで保存
韓国語通訳有

もし、70歳以上の老夫婦に子供が生まれると言うなら、それを信じられる信じられない以前に、笑いが出てくるのではないだろうか。
それはアブラハムもサラも同じだった。

アブラハムは99歳の時、性的に死んだも同然だと認めていたのに、神様から、あなたの子孫をおびただしく増やし、サラから産まれる子孫はおびただしくなる、という約束が与えられた。
彼はそれを聞いた当初、笑ったのだが、神様は、その信じ難い約束を信じられるようにすためにフォローして下さり、彼は最終的に信じるに至った。
彼は信じたからこそ、その日の内に、自分自身だけでなく家の僕や奴隷に至るまで全ての男子に割礼を受けさせた。
男性にとって、包皮の肉を切り取るという行為にはよほどの覚悟が要る。
しかしアブラハムがその日の内に為したのは、与えられた約束への強い確信があったからに他ならない。
そして事実、神は約束を果たして下さり、彼は100歳にして念願の子を得るに至った。

信仰によって救われた私達も、アブラハムの子孫である。
アブラハムやサラのように、たとい老いたとしても、何の喜びがあろうかと思えたとしてもても、情けなくて笑うしかないような状況であったとしても、
主はそんな私達の弱った信仰をフォローして下さり、回復させて下さり、からし種ほどの信仰さえ私達が持ち続けるなら、主は約束を成就させて下さる。

いつもメッセージ概要をツイッターに140字以内で載せていて、そこに載せた内容がそのままFacebookやmixiにも自動反映するようにしています。
その内容に興味を持ってホームページへ来てくれる方が結構いて、この140字に、いかに内容を詰めようかと、いつも心砕いています。

それで昨日、
「そもそも、割礼はなぜ男性器という部位に為されるのだろう。 続き:http://t.co/9d4VKFn」
と投稿したところ、かなりの流入がありました。

「アブラハムはメソポタミヤで生まれ育ち、、、」みたいな見出しでは、やはり人は興味を示さないようで。
mixiニュースやスポニチみたいに、性的・男女系ネタをたくさん書けば流入が良くなるのでしょうけど、、、私はパウロみたいに、ただ愚直に御言葉だけを語って行きたいと思います。

礼拝説教メッセージ音声:割礼の徴(ローマ4:1-8):右クリックで保存
韓国語通訳有

罪が覆い隠され、主がその罪を認めない人の幸いは、何処から来るのだろうか。
それは、割礼によってではなく、無割礼だった時の信仰によってである。
アブラハムは無割礼だった時、彼の信仰が義とされた証印として、割礼の徴を受けた。
「それは彼が、無割礼のままで信じた全ての者達の父となるためであり、彼らにもまた、その義が認められるためである。」(11節)

そもそも、割礼はなぜ男性器という部位に為されるのだろう。

アブラハムに割礼の徴が与えられたのは99歳の時、人のいのちの力としての望みが、費えた時だった。
主は、人の望みが尽きた時に「わたしは全能の神である」と言われ、もはやいのちを生み出す望みの無くなった時に「あなたをおびただしくふやそう」と仰せられた。
さらにダメ押し的に、いのちを生み出す器官たる男性器の肉を切り取るという割礼を命じられ、しかもそれはアブラハムだけでなく彼のまだ見ぬ子孫達にもそうするようにとの事だった。
実際、アブラハムにはその次の年に子が産まれた。
そしてその子孫達すなわち割礼のある者達は、神は全能であり、いのちも救いも力も祝福も、神から来る、という事を、そのしるしを見るたびに思い起こす事だろう。

外見上のからだの割礼が割礼なのではなく、御霊による心の割礼こそ割礼である。(ローマ2:28,29)
いのちも、救いも、力も、祝福も、全能なる神から来ると信じる私達こそ、アブラハムの子孫である。

高校野球は日大三高が10年ぶりに優勝しました。

部員の一日のスケジュール内訳は、練習11時間、食事4時間、授業4時間、睡眠5時間、休みといえば元旦の午前中だけで練習の無い日はないそうです。

部員は50人くらいいるのに、ベンチ入りできるのは十数名、全国から推薦が来る位の人でも、3年間1度もベンチにも入れないという人も多いらしいです。

このように、華々しい舞台に立てるのはほんのわずかで、その陰には、下積みだけで費やして表に出てこなかった、実に多くの才能ある者達がいるのです。

ここまでは良く聞く話ですし、その事を取り上げて、一度きりの青春の全てを野球に注ぎ込んだのは果たして、、、という議論も良くなされますが、彼らの青春はとても貴重だと思います。

ベンチの陰で、あるいはグラウンドの外でじっと見守ってきた人たちこそ、人間の作った仕組みの不条理さや、その下にいる人の気持ちを理解する心が、人一倍育まれて、社会に出て有用な働きをするからです。

主は、38年間シロアムの池沿いで臥せっていた病人を、40年間美しの門の前で物乞いをしていた者を、主から目に泥を塗って癒してもらった生まれつきの盲人が追い出された時、探して訪ねて下さった。

人の目には無駄に見える事でも、このお方にあっては何一つ無駄は無く、最善へと、主の栄光へと導かれるから、私達の歩みに失望は無く希望を持って歩み続ける事が出来ます。

礼拝説教メッセージ音声:祈りの家の喜びの祝い(イザヤ56章、マタイ21:12-17)
第一礼拝(日本語)礼拝全体音声:右クリックで保存
第二礼拝(韓国語通訳つき)説教音声:右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

イザヤ56章によると、祈りの家の喜びの祝いに連なる事が許される者とは安息日を守る者で(2,4,6節)国籍や立場は関係無く、宦官であっても息子・娘達に勝る分け前と名が与えられ、絶えることの無い永遠の名が与えられ、異邦人であっても聖なる山に連なり、いけにえ(祈り)は受け入れられ、祈りの家で楽しむ。

祈りの家に行く事の楽しさ、喜ばしさの味を占めた者は、たとい仕事が忙しくても、疲れても、集まってくる。
祈り会に出ると一日の疲れが吹っ飛ぶし、皆と遅くまで交わって教会のベンチで寝るなら、柔らかいベッドで寝るよりも爽やかにリフレッシュされる。そのため最近、金曜祈祷会で泊まる人が増えている。
兄弟姉妹が一つになって共に住む所には、主が真ん中におられ、とこしえの祝福を命じておられるからだ。

主は散らされた者達を集める神であり(8節)、なんと、野や林の獣にも食べに来いと命じておられる。(9節)
そこには見張り人がいる(9-12節)が、盲目でおしの犬で、夢を見て眠りを貪り、貪欲で、足る事を知らない。
彼らは悟らない牧者で、自分勝手な道・自分の利得に向かい、自前のぶどう酒を持参し、酒を勧め合う。
祈りの家を見張るはずの牧者達が、このように利得を貪り、霊的に眠っているなら、主はどうされるか。

「イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された。そして言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』/ところが、あなたたちは/それを強盗の巣にしている。」(マタイ21:13)
主がそのように強制力を行使してまでして怒ったのは、主が聖と定めた「祈りの家」で、人間による売り買いをはびこらせ、しかも祈りに来る人達の、尊いささげものを、自らのために搾取したからだ。
主が忌み嫌われる事は、主が聖だと定めた事を、私たちも聖とするべきなのにそうしないで、人間的な汚い欲望や教えを混ぜ込み、不純なものにしてしまう事だ。
パリサイ人たちは安息日を聖とする代わりに、働いてはならない事を強調して不自然なまでの規則で埋め尽くし、アブラハムの娘が解放される事から阻んだように(ルカ13:16)、人を救いから阻んだ。
主は、聖徒達の尊い祈りや捧げもの、聖徒達の御言葉を守ろうとする気持ちを利用して逆手に取ったり、それを搾取して私腹を肥やす者がいたら、その両替台や腰掛は倒され、その者達は追い出される。
祈りの家を見張るはずの牧者達が、不純な有様でいると、主はそのようにされるのである。

主が人の薄汚い欲望の座や両替代を引き倒した後、主の元に集って来たのは、目の見えない人や足の不自由な人達で、主は彼らを受け入れ、癒して下さった。
主が受け入れるいけにえは、砕かれたたましい、砕かれた、悔いた心である。(詩篇51:17)
主は低くへりくだった者を受け入れ、癒して下さるのだ。
また、そこにいた子供達は「ダビデの子にホサナ」と叫んでいたが、それを聞いた祭司長、律法学者達は怒った。それは、子供が賛美を口にするなど不敬だ、おこがましい、というのである。
しかし主は、小さくなった者達の賛美をこそ、受け入れてくださるお方だ。

「イエスは彼らを後に残し、都を出て、ベタニヤに行き、そこに泊まられた。」(17節)
ベタニヤには「歌の家」「病む者の家」あるいは「貧困の家」というヘブライ語の意味がある。
祈りの家を不純なものとしてしまった無能な牧者たちが悔い改めず、むしろ主に怒りを燃やすようなら、主は放って置かれ、そこを出てベタニヤ、即ち小さき者の歌う家、病む者の家、貧困な者の家へと宿られる。

主が宿られるその時、荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、サフランのように花を咲かせる。(イザヤ35章)
足なえは鹿のようにとびはね、おしの舌は喜び歌う。荒野に水がわき出し、荒地に川が流れる。
そこに大路があり、その道は聖なる道と呼ばれ、汚れた者はそこを通れない。
楽しみと喜びがついて来、嘆きと悲しみとは逃げ去る。
へりくだった者となって主を宿し、このイザヤ35章の祝福にあずかる皆さんでありますように。

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