メッセージ - 201108のエントリ

礼拝説教メッセージ音声:誰の奴隷になるか(ローマ6:15-23):右クリックで保存
韓国語通訳有

我々は、イエス様によって罪が覆われ恵みの下にいるのだ、神は赦しの神だ、だから罪を犯し続けても問題ない、と言う者がいるが、はたしてそうだろうか。

「もし、わたしたちが真理の知識を受けた後にも、故意に罪を犯し続けるとすれば、罪のためのいけにえは、もはや残っていません。」(ヘブル10:26)
罪の赦しをいただいたのに「ことさらに(口語訳、新改訳)」「故意に(新共同訳)」罪を犯し続けるのであれば、それは「神の子を足げにし、自分が聖なる者とされた契約の血を汚れたものと見なし、その上、恵みの霊を侮辱する」行為であり、重い刑罰が待っている。(ヘブル10:29)
ヘブル書ではそのように警告しているが、ロマ書6章では、それは「罪の奴隷状態」になる事で、その結ぶ実は死であると警告している。

奴隷には主人がいて、その主人に対して自由意志は通用せず、主人の命令には好むと好まざるとに関わらず、従わざるを得ない。
私たちは、何の奴隷となるかによって、結ぶ実も違ってくる。
例えば、たばこを止めたい時にいつでも止められるなら、たばこに対しては自由だが、自由に止められない人は、たばこの奴隷状態であり、その奴隷になり続けるなら、肺ガンなど健康障害という死の実を結ぶ。
同様に「あなたがたは、だれかに奴隷として従えば、その従っている人の奴隷となる。つまり、あなたがたは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかなのです。」(ローマ6:16)

もし罪の奴隷にあれば、ガラテヤ5:19-21の実を結び、それらは恥じるべきものであり、それらの終局は死である。(21節)
「あなたがたは、今は罪から解放されて神の奴隷となり、聖なる生活の実を結んでいます。行き着くところは、永遠の命です。」(22節)

私たちが留まるべきは、キリストが罪の奴隷から解放して下さったという立場である。
「 しかし、神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、今は伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになり、罪から解放され、義に仕えるようになりました。」(17,18節)
もし私たちがキリストの僕(奴隷)となるなら、カナの婚礼でイエス様に使えた僕のように(ヨハネ2章)、イエス様の密かな御技を見る事が出来るばかりでなく、イエス様が用意された極上のぶどう酒を味わう事が出来、それを人々に届けて人々にいのちを与え、喜びに満たす働きをする事が出来るのである。
 

礼拝説教メッセージ音声:債務整理の相談なら(ローマ6:9-14):右クリックで保存
韓国語通訳有

イエス様は人類の罪を、自らの体を身代わりとして死に渡す事によって、罪そのものを罰し、滅ぼして下さった。
イエス様が死なれたのはただ一度、罪に対して死んだのであり、他方、彼が生きる生命は、彼は、神に対して生きている。

「あなたがたもまた、一方で自分たちが罪に対して死んだ者である事を、他方でキリスト・イエスにおいて神に対して生きる者である事を、認めなさい。」(11節 岩波訳)

この「認めなさい」の原意は、会計用語の「仕分け」の意味で、客観的に成っている事を当てはめなさい、という事である。
すなわち、キリストを信じる信仰によって、罪に対しては「死んだ」として仕分けし、神に対しては「生きる」として仕分けなさい、という事だ。

私達がかつて重大な過ちによって莫大な債務を背負ってしまったのを、イエス様が借金を肩代わりして全て払ってくれたため、私達の貸借対照表にある罪の債務は「支払済み」として仕分けするのが、在るべき姿だ。
そんな事はない、私にはまだ怒り癖がある、怠け癖がある、などと、罪の借金が依然としてリアルな支配力を持ったままだと信じている人は、罪に対しての「死んだ」という仕分けが為されていないのである。

日本の将棋では、敵駒を取ったら自分の手駒(武具)として、好きな時に出す事が出来るが、私達の肢体を神の陣営の駒とするか、それともサタンの陣営の駒とするかは、私達の自由意志に委ねられている。(13節)
「それゆえに、罪があなたがたの死ぬべきからだを支配して、その結果、その〔からだの〕欲望にあなたがたが服従することがないようにしなさい。」(12節)

私達はかつて、自らの体を不義の武具としてサタンに捧げ、神に敵対する陣営の奴隷生活をしていたが、イエス様は私達を罪の奴隷から解放して下さった。
イエス様が自由として下さった私たちの肢体を、欲望に委ねて罪の手駒とするのではなく、イエス様に支配していただく神の武具として用いていただく皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

子供の頃はやった漫画に「北斗の拳」というのがありました。

主人公は拳法の達人で、指先ひとつで敵をダウンさせるのですが、その時の名セリフが「お前は既に、死んでいる」でした。

ローマ6章のキーワードは、これです。

私たちはキリストの十字架によって、既に、世に対して罪に対して死んでいるのですが、自分で自分を救おうとバタバタして、もがき苦しんでいるクリスチャン(クルシ・チャン)が多いのです。

イエスがすべての人のために死んだ以上、すべての人が死にました。

死人が鏡で自分を見て、何か希望が見える訳がないですし、十字架のあちら側へと逝ってしまった「世」を眺めて一喜一憂しても意味がないです。

死人は死人らしく安楽し、十字架のこちら側、つまり、私の側におられるイエス様を眺めていればいいのです。

礼拝説教メッセージ音声:あなたは既に死んでいる(ローマ6:1-8):右クリックで保存
韓国語通訳有

罪が増し加わった所に恵みがさらに溢れたのなら、恵みが増すように、さらに罪の中に留まるべきだろうか?
断じてそんな事があってはならない。
イエス様が自らの尊い命を捧げつくして与えてくださった恵みを、敢えて踏みにじるような事など、して良いはずはない。

それ以前に、イエス様にあって罪に対して死んでいる私達が、敢えて罪のうちに留まり続けるなどというのは、できない。
キリストの新しいいのちが息吹かれた者は、罪の内を歩み続けていると、苦しくなるからである。

「それともあなたがたは、キリスト・イエスヘと洗礼を受けた私たちすべては、彼の死へと洗礼を受けたのだ、ということを知らないのか。」(3節)
洗礼(バプテスマ)とは浸し込むという意味で、漬物が漬け汁を染み込むように、私達にはキリストに浸しこまれ、キリストのありとあらゆる性質が染み付いている。
そればかりでなく、キリストの死にも浸しこまれて、キリストのよみがえり、キリストの新しいいのちにも結び付けられ、私達の体内、魂内、霊内にキリストが息吹かれているのだ。

それ故、私達は罪に対して死んでいるため、罪から解放されているばかりでなく、世から来る艱難や生まれながらの呪い、そして死に対してさえ、キリストにあって死んでいるのである。

「しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。」(ガラテヤ6:14)

新政権

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » パスター日記
執筆 : 
pastor 2011-8-29 21:24

野田氏が新代表になる事が決まりましたね。

私は彼がどのような政治家であるのか良く知らないのですが、いつもどおり祭司として上に立てられた権威のために祈りたいと思います。

政治家達が知恵においても行動においても祝福され、日本国民がより幸せになるために良い政治を為し、日本がより発展してゆくように。

また、もし今政治の場に上に立つべきでない者がいたら、その全てが速やかに権威の座から下ろされるように。

礼拝説教メッセージ音声:密かな主との交わり(ヨハネ7:1-18)
第一礼拝(日本語)礼拝全体音声:右クリックで保存
第二礼拝(韓国語通訳つき)説教音声:右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

イエス様の兄弟達は、イエス様が公に有名になろうとしているのだと勘違いしていて、仮庵祭というユダヤの祭りが近づいた時、祭りの時にユダヤに登って行って、公に自分のわざを行うよう勧めた。(ヨハネ7章)
兄弟としては、長男が有名になれば鼻が高い、という思いもあったかもしれないが、イエス様の目的は有名になる事ではなく、イエス様が私達の主となる事である。
だからイエス様は彼らに、「わたしの時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつでも来ている」と答えられた。(6節)
「わたしの時(カイロス:相応しい時機、頃合)」とは、イエス様の支配の時、すなわち、十字架で死なれ、葬られ、3日目に復活し、天に上られ、天の王座で支配される時である。
イエス様は、カナの婚礼の場でマリヤにも「わたしの時はまだ来ていない」と言われたが、それはマリヤがイエス様を主としてではなく、子として、自分よりも下として見ていたからで、イエス様を救い主としていない限り、主の働かれる時は来ておらず、イエス様が働ける余地も、全く無い。人が、自分の思い、意思、感情が主体となっているなら、人の時がいつでも有効になっているため、主の時は、その人にとって、無効である。

世はあなたがたを憎むことができないが、わたしを憎んでいる。わたしが、世の行っている業は悪いと証ししているからだ。(7節)
イエス様は、世の行っている業は「悪い」と証する。すなわちイエス様の言われる所は、世には罪があり、呪いの元にあり、いずれは滅びに至る、というもので、そこから唯一救い出せるのが主イエス様である。
しかし世の人はそんな事は聞きたくなく、人々は教師を換え、好き勝手な教えに飛びつき、互いに空想話に逸れて行って真実から目を背けるようになる。(2テモテ4:3)
この時のイエス様の兄弟達のように、世に属し、世に迎合している人を、世は憎む事はない。
しかしイエス様について行く者は、イエス様と共に世のものではなくなるため、世はその人を憎む。
「あなたがたは祭りに上って行くがよい。わたしはこの祭りには上って行かない。まだ、わたしの時が来ていないからである。」(8節) イエス様は、あなたたち自分達を称えあうような「人の祭り」には、どうぞ好きに登っていきなさい、しかしわたしはそんな祭りには登って行きません、と言っている。

しかし、兄弟たちが祭りに上って行った時、イエスご自身も内密に上って行かれた。(10節) 
祭りの前半の3日半は、イエス様が公には姿を見せず、人々は宗教者を恐れ、イエス様についてひそひそ話しており、イエス様に関する評価は2分していて、ある者は良い人だ、ある者は惑わしている、と言う。
このように、イエス様が表立っていない期間、人々はイエス様について、第3者的に良し悪し意見をなすが、そこにはイエス様はおられない。

しかし7日の祭りの半ばを過ぎると、イエス様は宮に登り、公然と教えられる。
イエス様の言葉は、自身から出る事ではなく、神様から出るものであり(16節)、神の御心を行おうと願う者は、その教えがどこから出ているのかが分かる。(17節)
「自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不義がない。」(18節)結局、人が自分の栄光、人間の栄光を主体として求めるなら、主は働かれる事は無い。しかし、主の栄光を求める者は真実であり、不義は無い。

7の半分(3日半、3年半)という数字は聖書に良く登場する。その期間は艱難がある(黙11:2、ダニ7:25)が、主に親しい者達は、密かな所で主と会い、匿われ、養われる。(黙12:6,14)
「しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。」(ヨハネ14:20)
世には見えない、密やかな主との交わりに入り、その守りに預かる皆さんでありますように。

今日のメッセージでは「時」について少しお話し、一時と二時と半時(合計3時半)の事に触れましたが、礼拝後の学び会でも、偶然、豊川先生が同じ所が出て来ました。

一時と二時と半時(合計3時半)については色々な解釈がありますが、私たちは日々、終末の艱難の時代においてもイエス様に明け渡し、イエス様の用意して下さった密かな隠れ場で養われたいと思います。

礼拝説教メッセージ音声:信仰の偉人たち - アブラハムとサラ(ヘブル11:8-16):右クリックで保存
韓国語通訳有

人は70歳を超えると、住み慣れた場所で余生をゆったり過ごすものだが、アブラハムは75歳の時、主からの召しに応え、さらなる祝福の約束を信じ、見知った土地での家族との平和な暮らしを捨て、どこに行くかも分からずに、主の示されるままに出て行った。
彼の信仰は確かにすごいが、サラもすごい。
もし旦那がある日突然、神から示されたので新しい土地に出て行く、と言い出し、しかもその行き先は分からない、と言うなら、一体どうするだろう。
そこだけを見ると、この夫婦は素晴らしい信仰のように見えるが、最初からそうだったわけではない。
創世記をよく読むと、彼らも最初は信じられなかった事が分かる。(創世記17:15-17)

アブラハムは最初、約束を信ぜず、約束を聞いた時は笑いしか出てこなかった。
しかし最終的に、彼は信じた事の実体として、主から契約の印とした与えられた「割礼」をその日のうちに施す、という行動をした。
割礼は、男性の包皮を切り取るが、それは男性にとってはかなりの覚悟が要る行為である。
アブラハムはその日のうちに、彼自身だけでなく、彼の家にいる男子全てにそのようにさせ、彼の信仰に行いという実体を示した。

サラはどうだったか。
彼女も最初、約束を信ぜず、約束を聞いた時は笑いしか出てこなかった。
しかし彼女は後には主に信頼し、不信仰に恐れる夫の間違った指示にさえ従順を示し、全ての事から救い出して下さる主に全面的に委ねた。(創世記20章)
サラが主に明け渡したからこそ、主はアビメレクに直接介入され、サラは救い出されただけでなく、羊や奴隷、銀1000枚を得た。

そうして彼らは信仰においても整えられ、主は彼らを省みて、主が言われたその時期にサラは男の子を生んだ。

新約聖書に記述されている彼らに対する評価は、かなり良心的だ。
しかし旧約を読むと、彼らの実際はもっと汚くどろどろしている。
旧約は人のおどろおどろしい実態を、ありのままに暴いているが、新約では、人が犯したおどろおどろしい部分は記録から省かれ、信仰の賞賛だけが残っている。

永遠の書物に記載される内容は、人のどろどろや汚い罪の部分は、主イエスにあって無かった事にされ、ただ信仰によって歩んだ結果だけが残り、賞賛だけが残るのである。
しかしもし彼らが信じないで、御言葉を無視して相変わらず自分の力でやりくりしていたなら、そのような良心的な記載はされなかったどころか、永遠の書物からも抹消されていたであろう。

御言葉は、あまねく平等に注がれるが、それを信じ、信仰の実体である行いを示す者は、わずかだ。
御言葉が与えられ、その通り信じて行えば、豊かな祝福を得るけれど、もし恐れたり無気力になったりして、信仰の行いをしないのなら、ただいたずらに歳を取っていくだけである。

アブラハムやサラのように、信仰によって一歩進み、約束された祝福を得て、笑う皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

今日は思いがけず、教会の庭で焼き鳥パーティになりました。

炭火をおこして焼く焼き鳥はとてもおいしかったです。

火の熾し方や味のつけ方、どうすればおいしくなるかなど、色々と研究するのは楽しいです。

新潟グローリーチャペル 聖会 「もはや人の祭りは終わり」音声

第1部 8/15 「もはや人の祭りは終わり
第2部 8/16 「約束の地へ入る者

講師: 林和也師、 川合ゆきえ師
 

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