メッセージ - 201101のエントリ

※本日は不備がありましたため、音声配信は無く、テキスト配信のみとなります。申し訳ございません。

メッセージ:女達への密かな顕現(マルコ16:1-8)

イエス様の復活の後、4人の福音書記者は、実にバラエティに富んだ違った表現でイエス様の表れを記している。
私達、復活の後の時代を生きる者も、バラエティに富んだ表現で自由に復活の主を伝える事ができる。

聖書は、一つの完全に整合性の取れた文章として与えられたものではなく、多くの人達に現れた神のご性質を、それぞれの人が書き記した集大成である。
神が福音を「宣教」という愚かさのうちに伝えられる方法をあえて取って下さったため、実に色々な人間によるバリエーションに富んだ印象と表現で、イエスというお方を見、知る事が出来ているのである。
もし神様が完全に整合性の取れた一連のことばを示されたのであれば、ここまで色々な面から見る事はできなかったであろうし、伝道方法も1か0かといった実に堅苦しいものとなった事だろう。
一人一人が主と出会った仕方も、主から頂いた印象も、導かれ方も、それぞれ違う。
しかし、主が”良きお方”である事は皆が一致している事である。
私達はその主を、それぞれ頂いた環境において、それぞれ頂いた賜物において、自由にイエスというお方の良きご性質を伝えていくべきである。

今日は主の復活の後、女性達へひそかにご自身を現した次第を、色々な角度から見ていきたい。

マタイ28:8-10
この女性達は復活の知らせを受けた後、弟子達の所に行った。
彼女達はイエス様と出会った時の主の第一声は「おはよう」(直訳:喜びあれ)である。
復活の第1声が日常の最も一般的な挨拶言葉である事は興味深い。
もし私達が死んで蘇った時、親しい人に初めて声をかけるとしたなら、どんな言葉をかけるであろうか。
しかし主にとって、復活とは日常の当然の事であったのだ。

ルカ24:9-12
ルカにおいては、彼女達は引き返して弟子達に話したものの、弟子達は信じず、ペテロが墓に走って行った所までは簡潔に書いている。

ヨハネ20:1-18
ヨハネにおいては、女性が墓に行って帰ってきた次第は簡潔に書いており、ペテロとヨハネが墓に行って帰ってきた次第を詳細に書いている。
ペテロよりヨハネのほうが早く走ったとか、ヨハネは躊躇して入れずペテロは堂々と入ったとか、理系のルカにとってはどうでも良いような場面も生き生きと表現している。
弟子達はイエスがいないのを確認し、そのまま帰ってしまうが、マグダラのマリヤは主と親しく出会う事が出来た。

主は女性達に密かに出会い、弟子達には現れなかった。
マグダラのマリヤとの対面においても、彼女は最初イエスだとは分からず、庭師だと思ったほどに、イエスの様子はごく普通の人であった。
復活とは劇的な場面ではあるが、その復活のイエス様はあまりに普通であったので、気付かなかったようである。

女性達は、主が十字架を背負ってゴルゴダの丘に行った時も十字架を負う手伝いもできず、イエスの仲間だと言われて捕らえられる事さえもされず、ただ一緒に泣いてついて行き、十字架と死の場面も何も出来ず、ただそこにいただけであった。
彼女達が内密に、ひそやかにイエス様と対面できたのは、いかなる場面においてもイエス様と”一緒”におり、イエス様の名前を否まなかったからである。
この終わりの時代においても、イエス様と密やかに対面できるのは、ただ泣いてついていく事しかできなくても、いつでもイエス様と”一緒”におり、イエス様の名前を否まない者である。

イエス様の名を最後まで否まず、いつも彼と一緒におり、彼と密やかに出会う事の出来るみなさんでありますように、イエスの名前で祝福します!

横浜天声キリスト教会 copyright 2011

礼拝説教メッセージ音声:爆発的ないのちのパワー(マルコ16:1-8):右クリックで保存
한국어예배 韓国語通訳有

安息日が明けて日曜日、すなわち主日の朝、女達が埋葬されたイエスの体に香油を塗るために墓へ行った。

香油は準備したものの、イエス様と自分達の間を邪魔している、大きな石と封印とローマ兵をどうすれば良いかと心配していた。
しかし、その全ての心配は実にちっぽけで、全く以って無用であった。
兵士達は御使いを見て恐ろしさのあまり死人のようになり、封印は破られ、石は転がされており、そもそも、イエス様は蘇られ、そこにはいなかったのだ。

ある考古学者の発見によると、その封印とは、石が動かないようにする鉄のくさびだったのだが、一瞬にして大きな衝撃が加わった不自然な折れ方をしていたという。

何トンものトラックが何十キロものスピードで衝突したかのような、当時としてはありえない折れ方である。

御使いが封印を打ち破って石を転がしたのは、女達の小さな心配の種を取り除くためではなく、イエスの大いなる復活を示すためである。

イエス様は生きたお方であり、死人というカテゴリの中から探し出す事は、間違いである。
死はイエス様を束縛できないのと同様、信じる我々も、束縛する事はできず死人というカテゴリの中にあるものではない。

イエス様は罪人の手に渡され、死んで3日目に起こされ、ガリラヤへ先んじて行く事は、確かに、予め弟子たちへ伝えられていた。
しかし、女達も弟子達も、彼らの中の一人でも「3日目だから蘇っただろうか」と思うものはなかった。

それだけイエス様は十字架上で、立派に、明確に死に尽したのである。

ヨハネやマリヤたちの目の前ではっきりと死に、槍で突かれ、葬られたのだ。
祭司長達や律法学者達は勝ち誇り、弟子達は敗北し、恐れ、隠れていたのである。

弟子達の誰の目にも絶望的な状況において、御使い達の知らせはありえない出来事だったが、御使いたちは確かに、イエス様が予め言われていた信じがたい事を語った。
十字架の復活を信じる私達も、大きな恐れと喜びと共に、ありえない復活にあずかり、逆転勝利者の側に立てるのである。
それは信じがたいかもしれないが、予め聖書に書かれてある通りである。

状況的には敗北であり死であるようなときも、イエス様が与えてくださった新しいいのちを経験し、永遠の勝利者の側に立つ事ができる。

一方、兵士達は起こった出来事を祭司長達や律法学者達に報告しに行ったが、協議の上、彼らに金を握らせて偽のうわさを流させた。(マタイ28:11-15)

この事から、彼らは「イエス様が蘇った」事を、その時信じた事がうかがえる。
もし信じていなかったら、弟子達が女の言う事をたわごととして追い返したように、兵士達の言う事をたわごととして取り上げなかったはずである。
弟子達は蘇りを信じなかったのに、祭司長達や律法学者達が信じた、というのは不思議だが、実は彼らもイエスがメシヤである事にうすうす勘付いていたのであり、その上で、彼らはイエスを十字架につけたのだ。

彼らは協議して金を掴ませ、偽りで塗りつぶそうとしたが、復活のいのちは押し留められるものでは無い。
イエスの敵は、協議と権力と金と偽りとで、いのちを押し潰そうとするかもしれないが、春になったら生えてくる草や花を人が留められないように、復活の朝のいのちの広がりは、サタンも人ももみ消そうとしても消えるものではない。

その復活のパワーといのちを体験し、いのちに溢れたみなさんでありますように、イエスの名前で祝福します!

横浜天声キリスト教会 copyright 2011

交わり。。。

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » パスター日記
執筆 : 
pastor 2011-1-23 23:50
今日は礼拝の後、教会の皆と静岡から新幹線で来られた姉妹を交え、遅くまで楽しいひと時を過ごしました。

ファミレスにドリンク飲み放題で3,4時間は粘ったかも。
こんなに幸いな交わりの日々が続いて良いのかと、たまに思います。

礼拝音声:愛で満たす主(ヨハネ21章)
週報/メッセージ(説教)概要

イエス様は、5つのパンと2匹の魚によって彼を慕ってきた5千人以上の腹を満たしたように、圧倒的な御技でもって主を慕う者を養い、働き人も養って下さった御力がある事を先週見た。
主はそればかりでなく、たとえ彼を慕う者が間違いを犯し、裏切ったとしても、悔い改めて立ち帰るなら赦し、愛による万全のサポートをもって癒し、霊肉魂の全面において満たして下さるお方である。
今日はそのような主のご性質を見ていきたい。

イエス様が十字架に架けられ、死んで、3日目に甦った後、弟子達は主から与えられていた働きから離れ、以前の生活に戻ろうとした事があった。(ヨハネ21章)
元漁師だった弟子達が主の弟子となった原点は、主の言葉どおりに深みに漕ぎ出して網を下ろし、その結果、船が沈みそうになるほど大漁に捕れた経験と、
「私について来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」(マタイ4:19)という招きの言葉である。
弟子達は主の圧倒的な御技を見、自分が罪深い人間であり、とてもこの聖なるお方に近づくには相応しくないにもかかわらず、人間をとる漁師として任命して下さった、主の懐の深すぎる愛に打ちのめされたから、イエスと共に働くようになったのである。

主は十字架に至るまで忠実であり、決して見捨てるが無く、愛に富んでおられた。
それなのに、弟子達は主を見捨てて逃げ、裏切り、ペテロはイエスを「知らない」と3度言った。
主は3日目に甦えり、弟子達に現れたものの、いつも弟子達と共にいるという訳ではなく、聖霊が力ある形で現れていなかったため、弟子達はなんとなく以前の職業に戻ろうとしていたのである。
そこで彼らはある晩、一晩中漁をしたのだが、魚は全く捕れなかった。
夜明け頃、「右側に網を下ろしなさい」と言う者があり、弟子達がその言葉どおりにすると、舟に引き上げられないほど大漁に魚が取れ、その時、弟子達はその者が主だと気付いた。
主は陸に上がろうとする弟子達のために、炭火をおこし、その上に魚とパンをのせて用意されていた。
イエスはパンを取って弟子達に与え、魚も同じようにされた。
「私がイエスだ」「魚を取るのではなく人間を取る漁師になれ」と、言葉で言えば話が早いのに、そうはせず、偉大なご性質を静かに示し、早朝のささやかな食卓を整え、優しいく繊細なご性質を示された。

ペテロは、主を知らないと3度言った手前、心にわだかまりがあったままであったが、主はそれを面と向かって責める事はなさらず「わたしを"完全に愛し尽して"(アガパオー)いるか?」と聞かれた。
ペテロは自分の愛がいかに危うく、いいかげんであるか嫌というほど知っていたため
「私があなたを親っている事をあなたは知っています」と答えるしか無かった。
主は同じ事を2度言われ、ペテロも同じ答えを2度したが、3度目に主は「わたしを親っているか?」と、ペテロの不完全な愛のレベルに降りて来られた。
主は3度目にそのように聞いて来られたので、彼の思いやり、彼の愛の深さにいたたまれなくなり、ただ「あなたは何もかもご存知です」と答えるしか無かった。

私達に出来る事は、私達の弱さ、愛の無さを、ただ主に知って頂く事だけである。
主は、私達が完全な愛を持っていない事は知っていて下さり、いつでも満たして余らせる事が出来る事を無言で示され、弱さに泣く私達を繊細な愛で溶かし、満たした上で、働きのために送り出して下さるのだ。

全てを満たして余らせて下さる主から、愛と慰めをいただき、潤され、愛で溢れ、その溢れた愛を持って世の中に出て行き、主の愛を伝える皆さんでありますように、イエスの名によって祝福します!

横浜天声キリスト教会 copyright 2011

 

本日は久しぶりに映画を見に行きました。
3D映画「トロン レガシー」です。

80年代に「トロン」を見た時は、技術進歩に夢を見る事ができた少年時代で、ちょうど筑波科学万博の時でした。
映画史上初のコンピューターグラフィック映像を見て胸踊ったものですが、今回観て、映像があまりに進化しすぎていて吹いてしまった。

80年代のアレは、悪役の戦車も、鳥居に似た戦闘機?も、空中列車も、電子ビープ音に飾られたテレビゲームみたいな単色キャラだったのに、今回はリアルすぎて、しかも3Dで飛び出して来て笑ってしまいました。
そういえば3D映像を初めて見て血湧き肉踊ったのも、筑波科学万博の時でした。

20年越しの続編だったし、なんだか懐かしい気持ちにもなれたけれど、、、技術が進歩したからといって人間は幸せになれるものではありませんね。

礼拝説教メッセージ音声:主の交わりから離れてはならない:右クリックで保存

使徒信条に出てくる人物、ポンテオ・ピラトはローマの総督である。
彼はイエス様を死刑にする権限も救う権限も持っていた。
元々彼はイエス様を救い出したかったが、最終的には十字架につけてしまった。
なぜなら、場の空気に負けたからである。

私達の中にも、ポンテオ・ピラトがいる。
世の中に出て、イエス様を忌み嫌っている人達の場の中に放り出されたら、その場の空気に負けて「私もイエス様を知りません」と言ってしまう弱さがある。
使徒信条を告白する時「ポンテオ・ピラト」の名前を言うときには、私達の中にもポンテオ・ピラトがいる事を覚えつつ告白したい。

もう一人、その場の空気に負けて、イエス様を「知らない」と言った者がペテロである。
彼は「あなたを知らないとは死んでも言わない」と力を込めて約束したが、しかし残念ながら彼は「イエスなんて知らない」と力を込めて3回、しかも3回目には呪いをかけて誓ってしまう。
イエス様に「今日、鶏が2度鳴くまでに3度わたしを知らないと言う」と予め言われていたため、彼が鶏が2度鳴くのを聞いた時、大泣きに泣き、自分のふがいなさを嘆き、弱さを悲しんだ。

人間の言葉による約束や人間の愛は弱く、いくら自ら奮い立たせ力を込めて約束したところで、守り切る事ができない。
その証拠に、同じ女性/男性を、50年も60年も愛し続ける者は実に少ない。
聖霊によって強められなくては、イエス様の言葉は守り切るものではない。

聖霊によって強められれば、力を奮い立たせるまでもなくイエス様を力強く証しする言葉が泉のように湧き出てくる。

群集は「十字架から降りれば私達は信じる」と言ったが、もし万一イエス様がそんな事したら、一体誰が人類の罪の身代わりとなる事ができるだろう。
イエス様は十字架につけられた時「父よ彼らをお赦し下さい」と言って取成しをされた。
イエス様が私達の弱さを取り成して下さったから、また、罪の身代わりとなって死んで下さったから、私達は弱さ・罪深さから救われたのである。
そのイエス様を信じる事によって、私達は聖霊に満たされる。

その後、ペテロは再び、イエスの故に大勢の群集の前に引き出される。
鶏が鳴いた時よりもはるかに大勢の権威ある人達に囲まれていたにもかかわらず、ペテロは誰もが驚くほど、また、言葉を返せないほど、大胆にイエス様を告白した。
聖霊に満たされていたからである。

聖霊に満たされるには、どうしたら良いのか。
それは、イエス様の名のある聖徒の交わりから離れない事である。
ペテロは呪いをかけてイエス様を知らないと誓ったが、それでも主の交わりに戻って生き恥を晒した。
イスカリオテ・ユダはイエス様を銀30枚で売り渡し、後に後悔して銀30枚を神殿に投げ入れ、死んでお詫びした。
人間的に見れば、ユダのほうが立派に見えるが、主の前には逆である。
たとえどんなにみじめでも、生き恥を晒しても、主の交わりから離れてはならない。
ユダは絶望し、もう赦されないと勘違いしたが、主の前には赦されない罪は無い。
どんなに惨めになっても、主の交わりから離れてはならないのである。

主の御名から離れなければ、主はやがて助け主である聖霊を与えてくださり、人間には出来なかった主の告白が堂々と出来るようになり、大胆にイエスキリストを告白し、大いなるわざをする事が出来るようになるのである。

横浜天声キリスト教会 copyright 2011

 

礼拝説教メッセージ音声:イエスの葬りに(マルコ15:42-47):右クリックで保存
한국어예배 韓国語通訳有

イエス様を埋葬した本人は、アリマタヤのヨセフである。
彼はイエス様の葬りの時に初めて登場し、立派な議員で、神の国を待ち望んでいる人物だと書かれてあり、社会的に立派な人格者であった事が分かる。

本来、イエス様の埋葬は、付き従って来た弟子達がするのがあるべき姿だが、弟子達はみな散り散りになってしまい、結局イエス様を埋葬したのはこのヨセフとファリサイ派に属するユダヤ人の指導者ニコデモであった。(ヨハネ19:38-42)
ニコデモは以前、夜、ひそかにイエスを訪れた事がある。(ヨハネ3章)

安息日には死刑囚を木に掛けたままであるのは律法に適わないため、その日中に死刑囚を死なせ、木からとり下ろす必要があった。
イエス様は午後3時ごろ息を引き取ったが、日が没してしまうと、働く事の出来ない安息日が始まるため、イエス様をきちんと埋葬する時間はわずかしか無かった。
このままでは、イエス様は無名墓地などに投げ捨てられ晒されたままになってしまう。
アリマタヤのヨセフは意を決し、追放覚悟で、行動に出た。

ヨセフは他の議員達の仕業には賛成していなかった。(ルカ23:51)
しかし当時、イエス様をメシヤと認める者は追放すると定められていた(ヨハネ9:22)ため、ヨセフは表立ってイエスについて行く事が出来ていなかった。
だがイエス様をそのまま放っておく事が彼には到底容認できなかったため、意を決して動いたのだ。
日没まで間が無いため、彼らは素早く動いた。
ニコデモは33キロの埋葬薬を用意し、ヨセフはピラトに願い出て、イエスの体を受け取り、自分の用意していた墓にイエス様を埋葬した。

埋葬作業は相当な重労働で、嫌な作業でもある。
3日後にイエス様は蘇られ、永遠にこの記録は残る事を、我々は知っているが、彼らは知らないのに、また、その地位が奪われる危険があるのに、それらを自ら行ったのである。
それは彼らが「神の国を待ち望んでいた」(マルコ15:43)からであり、イエス様の遺体を晒しておく訳には行かないという衝動と、神様の目から見て正しい事を行わなくてはならないという熱意から、律法を忠実に守り通したのである。

言い伝えによるとヨセフはこの後、最高法院から追放され、イエスの復活と昇天の後、使徒達と共に各地を伝道したという。
彼と同名の、ヤコブの子ヨセフは、エジプトにて大臣にまで登りつめたが、その心はエジプトの地位と富には無く、神様から約束されたカナンの地にあった。(ヘブル11:22)

今日、様々な地位の高い者達の行動を見てきたが、私達は彼らのように、世の富や世の地位などではなく、神の国の富や、神の国の地位を求めるべきである。

信仰によって、モーセは成人したとき、ファラオの王女の子と呼ばれることを拒んで、はかない罪の楽しみにふけるよりは、神の民と共に虐待される方を選び、
キリストのゆえに受けるあざけりをエジプトの財宝よりまさる富と考えました。与えられる報いに目を向けていたからです。(ヘブル11:24-26)

横浜天声キリスト教会 copyright 2011

礼拝説教メッセージ音声:十字架上の平和に溢れた一面(マルコ15:40-41):右クリックで保存
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イエス様の十字架の場面において、ヨハネ以外の弟子達は皆散り散りになってどこかへ隠れていたものの、多くの女達がその場に立ち会っていた。

当時、女性達は低い地位にあったため、イエスの知り合いだという事で捕らえられさえしなかったが、彼女達は最後の立会いができる幸いがあった。
キュレネ人シモンは実際に十字架を背負ったが、彼女達は”イエス様と共に来てただ泣いている”という、彼女達にしか負えない十字架を背負い、イエス様が本当に孤立する事からイエス様を守ったわけである。

十字架上において、イエス様は母マリヤにヨハネを示して「子である」と伝え、ヨハネに対してマリヤを「母である」と示し、イエスが天に昇られた後の母マリヤをよろしく、と、ヨハネに委ねた。(ヨハネ19:25-27)
神様が、12弟子の中で唯一ヨハネを十字架の場面に立ち会う事が出来るように配剤したのは、もちろん彼が十字架の様子を記すためでもあったが、この母マリヤを養うためでもあった。

ヨハネは続けて、イエス様の最後の様子を平和に満ちた文面で記している。
別の福音書は、苦しみ、叫びの後に息を引き取った様子が書かれてあるが、ヨハネはむしろ、思いやりと平安に満たされた全く別の視点で書いた。
イザヤ53章にてイエス様が苦しみの後をみて満足する事が預言されている。
十字架のイエスを描く絵画は多くあり、多くは苦しみにゆがんだ暗い表情をしているが、十字架の上で平安に満ちた表情を描いても良いのでは、と思う。
彼の祈り、願い、情熱、苦しみ、全てが焼き尽くす捧げ物の煙として御父の前に立ち上り、御父はそれによってなだめられ尽したため、最後に「成し遂げられた」と言って、満足と平安の内に逝ったのである。
ヨハネにおける最後の言葉は「成し遂げられた」であるが、「I paid all」(全て支払い尽くした)という英語の珍しい訳もある。

福音書は4つあるが、4人の視点から見る十字架の場面は非常にバラエティに富み、ヨハネが立ち会って福音書を書いてくれた事によって、この平和と思いやりに満ちた十字架の場面を、我々は知る事が出来たのは、実に、女性達やヨハネをその場に配置してくださったためである。
私達も取るに足りない存在かもしれないが、私達一人一人に与えられた場において、与えられた賜物を用い、それぞれにしか表現できない福音を伝える者でありたい。

横浜天声キリスト教会 copyright 2011

礼拝説教メッセージ音声:既に語られている(ヘブライ1章):右クリックで保存
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このヘブライ人への手紙は主イエスの大祭司としてのご性質や信仰について深い洞察が書かれてあるため、これから水曜礼拝で見ていきたいと思う。

旧約の時代、神様は多くの部分に分けて語られ、色々な不思議やしるしや、神様が直接関わられた記事を見る事が出来る。
今の時代、神様の御声をそのまま聞けて理解できるという人は、ある人によってはよくあるかもしれないが、多くの人にとっては無い事である。
しかし今の終わりの時代、神様は「御子によって既に語られている」(2節)。

パリサイ人がイエス様に「しるしを見せてみろ」と議論を仕掛けた事があった。
その時イエス様が答えられたのは「夕焼けなら晴れで朝焼けなら荒れる事を知っているのに、どうして時代のしるしを見分ける事が出来ないのか」という事で、しるしという”非日常”に対し、天気の見分けという”日常”で切り替えされた。
なぜ主は、昔ながらの万国共通の”日常”で切り替えされたのか。
我々に必要な事は、昔ながらの、万国共通の、日常に存在する「御言葉」で十分、という事である。

天気の見分けは「夕焼けなら、明日は晴れ」だが、それと同様、御言葉も「こうなれば、こうなる」という単純法則の宝庫である。
「初物の十分の一を捧げれば、穀物倉は満ち溢れ酒蔵は溢れる」
「主イエスを信じれば、あなたもあなたの家族も救われる」
このような日常にある御言葉から顔を背けて、しるしや不思議に走るのは、「悪い姦淫の時代」とみなされる。

横浜天声キリスト教会 copyright 2011

 

今日は誕生日でした。
色々な方にお祝いいただいて、とても嬉しかったです。
今日は早天、昼の礼拝、夜の礼拝と3回別のメッセージをし、その合間に誕生ケーキをいただいたり、聖書勉強会したり、食事に誘っていただいたり、会員の方から散らし寿司をいただいたり、お腹一杯の誕生日でした。
今日はこれから、年末からたまたま来るようになった中国の姉妹方を連れて、あるお店に案内しに出かけます。
言葉は通じませんが、まあ何とかなるでしょう。
とにかく、こんなに充実した誕生日は初めてでした。

さて、今日、天声教会のツイッターを開始しました。
ツイッターはまだ慣れなくて、何が出来るのかよくわかりませんが、とりあえずよろしくお願いします。

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