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メッセージ - 1歴代誌カテゴリのエントリ

栄光のダビデ王家、その没落して行ってしまった理由(1歴代誌3:1-24)
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(音声データは毎週土曜日にアップ予定です)

第一歴代誌3章は、特に、ダビデ王家の家系が記されており、1−4節はダビデがヘブロンで王であった期間に生まれた子達、5-8節はエルサレムで王であった期間に生まれた子達が記されている。
10節以降、16節まではダビデの子ソロモン以降、歴代の王達が記されており、17節以降は、バビロン捕囚以降の王家の家系が記されている。

3:1 ヘブロンで生れたダビデの子らは次のとおりである。長子はアムノンでエズレルびとアヒノアムから生れ、次はダニエルでカルメルびとアビガイルから生れ、
3:2 第三はアブサロムでゲシュルの王タルマイの娘マアカの産んだ子、第四はアドニヤでハギテの産んだ子、
3:3 第五はシパテヤでアビタルから生れ、第六はイテレアムで、彼の妻エグラから生れた。
3:4 この六人はヘブロンで彼に生れた。ダビデがそこで王となっていたのは七年六か月、エルサレムで王となっていたのは三十三年であった。
・・・
3:9 これらはみなダビデの子である。このほかに、そばめどもの産んだ子らがあり、タマルは彼らの姉妹であった。

この、ヘブロンで生まれた子達で、サムエル記などに特筆されている子達は長子アムノン、三男アブシャロム、四男アドニヤであるが、いずれも災いの物事を起こし、剣で殺された者達であった。
アムノンは三男アブシャロムの妹であるタマルを力づくで犯し、その日、ダビデは一度に、強姦の罪を犯した息子の父親・強姦被害者の娘の父親になってしまった。
しかしその後、アムノンは何のお咎め無しのまま過ごし、ついにはアブシャロムによって殺されてしまった。
アブシャロムは父に歩み寄ろうと多くの努力をするも、父はのらりくらりとかわし続け、ついにはアブシャロムは父王に反逆してクーデターを起こした。
父ダビデ王はそんなアブシャロムに対しても憐れみをもって対応するが、しかし父に反逆して王権ご強奪し、また性的な面で父を嘲ったアブシャロムは、主に呪われた形で殺されてしまった。
四男アドニヤは、ソロモンが次の王になると知らされていたにも関わらず、自分で勝手に王になろうとした。
しかしダビデははっきりとソロモンが王であると宣言し、彼は謹慎処分を受けたにもかかわらず、バテ・シェバをそそのかしてなおも王になろうとしたゆえに、殺されてしまった。

このように見ると、あの偉大な王ダビデの子どもたちは、災い続きであるように見える。
その理由は、ひとえに、ダビデ王自身の罪の刈り取りであるといえる。
主は確かにダビデの罪を見過ごして下さった。しかし、犯罪を犯した人は相応の服役をしなくてはならないように、彼が行った事の報いは、彼自身が受けなくてははらない。
『しかしあなたはこの行いによって大いに主を侮ったので、あなたに生れる子供はかならず死ぬでしょう」。』(2サムエル記12:14)
ダビデが犯した「姦淫」は、産んで増えて行く「いのち」に対する冒涜であり、姦淫をする人は、生まれてくる子や身内の「いのち」から災いを返されてしまうものだ。
ダビデ自身は、彼が犯した姦淫と殺人の報いをその身に受けなかったが、彼が産んだいのちが、その報いを受ける事になってしまい、ダビデは、自分の罪の故に死ぬのではなく、罪を背負い、報いを刈り取りつつ生きなくてはならなくなったのだ。
罪の刈り取りは、必ずある。しかし主は、人が一度罪を犯せば罰の中に永遠に閉じ込めたままにされるお方ではない。懲らしめられて悔い、主に帰ろうとする人を、主は憐れまずにはいられない。(エレミヤ31:18-22)

3:5 エルサレムで生れたものは次のとおりである。すなわちシメア、ショバブ、ナタン、ソロモン。この四人はアンミエルの娘バテシュアから生れた。

この4人は、バテ・シュアから生まれた。サムエル記ではバテ・シェバであるが、なぜ歴代誌ではバテシュアと記されているのか。
たまに、歴代誌の名前の記述と、列王記など他の書の記述が違う事があるのには、それぞれの理由があるであろうが、その理由の一つに、「読み替え」がある。
読み替えとは、似た発音であるけれども、言葉の中の意味付けを違える、言葉遊び的な行為である。
たとえば、サムエル記における「バテ・シェバ」の名前の意味は「誓いの娘」、歴代誌における「バテ・シュア」の名前の意味は「豊かさの娘」である。
もしかすると、歴代誌記者は、ダビデが不当な形であるにせよ妻にしたこの女性が、かえって豊かな子孫の源となった事を示すために、そのような読み替えを行ったのかもしれない。

3:10 ソロモンの子はレハベアム、その子はアビヤ、その子はアサ、その子はヨシャパテ、
3:11 その子はヨラム、その子はアハジヤ、その子はヨアシ、
3:12 その子はアマジヤ、その子はアザリヤ、その子はヨタム、
3:13 その子はアハズ、その子はヒゼキヤ、その子はマナセ、
3:14 その子はアモン、その子はヨシヤ、
3:15 ヨシヤの子らは長子ヨハナン、次はエホヤキム、第三はゼデキヤ、第四はシャルムである。
3:16 エホヤキムの子孫はその子はエコニア、その子はゼデキヤである。

以上の名前は、列王記でも学んだ、南ユダ王国の歴代の王達である。
敬虔なユダヤ人であれば、それぞれの王達のそれぞれのドラマをよく知っているため、この「人名の羅列」を読む時も、一人一人に込められたドラマ、すなわち主に従って祝福されたドラマ、あるいは、主を軽んじて呪われたドラマを、この僅か7節の中に、走馬灯のように見えるのである。

3:17 捕虜となったエコニヤの子らはその子シャルテル、
3:18 マルキラム、ペダヤ、セナザル、エカミア、ホシャマ、ネダビヤである。

バビロン捕囚以降のダビデの血筋の者が、17節以降に記されている。
22節に登場するハトッシは、エズラと共にバビロン捕囚から帰還した、ダビデ王家のものであることが、エズラ8:2に記されている。
歴代誌は、エズラの時代に記されたものと思われるが、3章後半において、いよいよ、リアルタイムに生きる人々の名前が記述されるに至ったわけである。

ダビデの代は姦淫によっていのちが汚され、そして、子どもたちに御言葉伝授をしっかりして来なかった事によって、災い多くしてしまい、ついにはバビロン捕囚の憂き目に遭ってしまった。
エズラは、自分たちは御言葉がなかったから、御言葉を子どもたちに教える事をして来なかったから滅びた、と分かり、テフィリン教育、すなわち、御言葉暗唱教育を始めた。
それが現代に至り、ユダヤ人は13歳までにモーセ五書を暗唱できるようになり、今日、ユダヤ人は金銭的に、権力的に祝福されているのである。
私達クリスチャンも、御言葉教育にこそ力を入れるべきである。

ペレツの子ヘツロンの系図から読む、御国の祝福を強奪した子孫の祝福(1歴代誌2:18-55)
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(音声データは毎週土曜日にアップ予定です)

歴代誌の系図の主人公は、ダビデ王家や祭司の家系であり、前回、それの直系の系図をダビデまで見た。
今回の箇所は、ダビデ王家の父祖・族長ユダが、嫁のタマルとの間に生まれたペレツの子、ヘツロンのいわば傍系の系図である。

ヘツロンの父ペレツは、彼の母タマルの胎にいた時、先に手首だけ出したのに、再び母の胎に入ってしまったゼラフを出し抜いて、先に生まれ出てきた故に、ペレツ(割り込むの意味)という名がつけられた。
母の胎の中のほうが肉的には心地よいかもしれないが、肉の心地よさに浸り込んで、長子の権利を割り込まれてしまったゼラフの系図は、わずかしか記されなかった。
このように、御国は積極的に攻めて勝ち取るものの手によって、奪われるものである。
バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。(マタイ11:12)
私達も、御国の事については、貪欲に勝ち取って奪いとって行くべきだ。

歴代誌の系図は、現代の私達の目から見れば、よくわからない名前の羅列で、読んでいるだけでも飽々して来る人もおられるかもしれない。
しかし今回の箇所には、イスラエルにおける重要な地名が幾つか登場し、その地を建て上げた父祖たちが記されているゆえに、当時のユダヤ人にとっては「ああ、あの地は、このような人達が建設したのか」という示唆を与えるものであり、またここは現代を生きる私達に対しても、主を敬う人の子孫はこんなにも数多くなって、読んでいるだけで飽々して来るほどになる、という事が、少なくとも実感できるだろう。

2:18 ヘヅロンの子カレブはその妻アズバおよびエリオテによって子をもうけた。その子らはエシル、ショバブ、アルドンである。
2:19 カレブはアズバが死んだのでエフラタをめとった。エフラタはカレブによってホルを産んだ。
2:20 ホルはウリを生み、ウリはベザレルを生んだ。

ヘツロンの子・ラムが、その後につづくダビデ王家に至る直系であるが、ラムの兄弟・エラフメエルとラムの子々孫々が、18節から55節に至るまで、多数記されている。
 2:25 ヘヅロンの長子エラメルの子らは長子ラム、次はブナ、オレン、オゼム、アヒヤである。
エラフメエルの子孫の中には、子がないままで死んだ人もいたり(30,32節)、娘しかいなくてエジプト人の奴隷に娘をめとらせて子孫を産んでいった人もいるが(34節)、それでも多くの子達がエラフメエルから生まれた。

 2:42 エラメルの兄弟であるカレブの子らは長子をマレシャといってジフの父である。マレシャの子はヘブロン。
ここに登場するヘツロンの子カレブは、ヨシュア記に登場する有名な信仰者、約束の地をヨシュアと共に信仰によって勝ち取ったあのカレブとは別であると考えられる。
なぜならヨシュア記のカレブは、「エフネの子カレブ」であり、その系図が4:15に記されているからである。
このカレブは、正妻・妾あわせて、多くの子達が生まれ出た。
しかも、その子達には、有力者が多数生まれた。

2:50 これらはカレブの子孫であった。エフラタの長子ホルの子らはキリアテ・ヤリムの父ショバル、
2:51 ベツレヘムの父サルマおよびベテガデルの父ハレフである。
2:52 キリアテ・ヤリムの父ショバル子らはハロエとメヌコテびとの半ばである。
2:53 キリアテ・ヤリムの氏族はイテルびと、プテびと、シュマびと、ミシラびとであって、これらからザレアびとおよびエシタオルびとが出た。
2:54 サルマの子らはベツレヘム、ネトパびと、アタロテ・ベテ・ヨアブ、マナハテびとの半ばおよびゾリびとである。
2:55 またヤベヅに住んでいた書記の氏族テラテびと、シメアテびと、スカテびとである。これらはケニびとであってレカブの家の先祖ハマテから出た者である。

このカレブの子孫からは、ベツレヘムやベテガデル、キルヤテ・ヤリムなど、諸地方の「父」が出、また、氏族の元となる人が出た。

母の胎にいる時から争ってでも御国の祝福を勝ち得たいと行動したペレツの子孫は、とても祝福されている事が、系図からも分かる。
彼らの父祖ヤコブもそうだった。
主は、兄のかかとを掴んで生まれてきたヤコブ、長子の祝福を騙しとってでもつかみとりたいと願ったヤコブが、長子エサウから命を狙われた時、ひとりぼっちで旅しているヤコブに現れて下さった。

 28:13 そして主は彼のそばに立って言われた、「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが伏している地を、あなたと子孫とに与えよう。
 28:14 あなたの子孫は地のちりのように多くなって、西、東、北、南にひろがり、地の諸族はあなたと子孫とによって祝福をうけるであろう。
 28:15 わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう」。
 
この時のヤコブは、杖一本の他は何も持たず、着の身着のまま逃げてきた状態だったが、後に、主は彼を大いに祝福し、二つの陣営を引き連れて帰って来る恵みに与らせてくださった。

まことに、天の御国は行動して奪うものであり、決して口をあけて待っていれば落ちてくるものではない。
むしろ、御国の祝福を得るためにもがかない人は、もがく人によって奪い取られてしまうのだ。

イスラエル-ユダ-ダビデに至る系図のドラマ(1歴代誌2:1-18)
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2:1 イスラエルの子らは次のとおりである。ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン、
2:2 ダン、ヨセフ、ベニヤミン、ナフタリ、ガド、アセル。

以上はイスラエル12部族の父祖たちであり、黙示録に至るまでも残る系図の本流中の本流である。
そして歴代誌では、この中から特にユダ族、レビ族について多くの紙面が割かれ、ユダ族の本流・傍流の系図が、2:3から4:23に至るまで記されている。

2:3 ユダの子らはエル、オナン、シラである。この三人はカナンの女バテシュアがユダによって産んだ者である。ユダの長子エルは主の前に悪を行ったので、主は彼を殺された。
2:4 ユダの嫁タマルはユダによってペレヅとゼラを産んだ。ユダの子らは合わせて五人である。

ユダとタマルは、夫婦ではない。タマルは、ユダにとっては、息子の嫁、という関係である。
ユダはイスラエルの王族の父祖であり、全世界を救うメシヤの家系の家長だが、その大切な一族の初期の段階から、既に人の罪が渦巻くドラマがある。一体なぜ、このような事になってしまったのか。

『そのころユダは兄弟たちを離れて下り、アドラムびとで、名をヒラという者の所へ行った。ユダはその所で、名を「シュアというカナンびとの娘」を見て、これをめとり、その所にはいった。』(創世記38:1-2)
事の発端は、ユダが、神に召された家族の元を離れ、異邦人の地に行き、異邦人の娘を見て、それを妻とした所に始まる。
そのカナンの女・バテシュアは「シュアの娘:叫びの娘」という意味で、ようするに、女の名前は分からない。名前すら記される程のものではなかったのだ。
この異邦人の女との間に最初に生まれた息子・エルは、ユダ自身が名付けたが、2番目・3番目の息子はこのシュアの娘が名付けたようである。(同3-5節) 異邦人の妻と暮らしていく中で、ユダの家長としての権威はますます弱くなり、異邦人の娘の影響力がますます大きくなって行ったのだろう。

長子エルは主の前に悪を行ったので、主は彼を殺されたのみならず、創世記を見ると、次男オナンもまた主の目に悪を行ったので、彼も主に打たれて死んでしまった。
息子が二人死んでしまったので、ユダはタマルが縁起悪いと思ったのだろうか、彼女を三男から遠ざけた。
しかし、息子二人が死んでしまったのは、書いてある通り、息子たち二人が、主に逆らったからである。
そしてこの三男シェラも、主に打たれて死ぬ要素が、十分にあった事を、ユダ自身認めていたのだろう。
ユダは、タマルを遠ざけるよりも、自分達の内にある神に嫌われる性質を遠ざけるべきだったのに、それをせず、一人の弱い立場の女性・タマルを遠くにやって、嫌な事はうやむやのまま、葬り去ろうとした。
しかし、神に属する一族にあっては、罪の問題やいのちを生む事、神へ果たすべき責任を、うやむやのまま先延ばしにして、そのままフェードアウト出来るわけは無いのだ。
ユダは悔い改めを先延ばしにしてしまった結果、後に神と人の前でとても恥ずかしい思いをする事となる。
主は、ユダの家系を神の民へと整えるために、まず、家の清めから始める。すなわち、家の中から、主に逆う者、家全体を災いへと導く事を止めない者を、まず取り除かれる。

『日がたってシュアの娘ユダの妻は死んだ。その後、ユダは喪を終って・・・』(創世記38:12)
この「喪を終って」と訳された語「nacham」は、「慰める、あわれむ」という意味がある。
「叫びの娘」という妻が死ぬ事によって、夫であるユダは、慰めを受けた。。。
どんな人であれ、家族の死は、痛く悲しいものがある。しかし、家の中から「叫びの娘」が除かれ、主に逆らう人達が取り除かれるなら、後々、主をほめたたえる家の将来は、慰めを受けるのだ。

嫁のタマルは、バテ・シュアと違って出生元は記されていない代わりに、名前は記されている。
彼女は、この神の民の家系の恐ろしさ、そして、素晴らしさを思い知っただろう。それで彼女は、いのちを賭けて、子を得るための行動に出る。
ユダはその後、ティムナに上り、自分の羊の毛を切る者のところへ行った。タマルはそれを聞くと、やもめの服を脱ぎ捨て、遊女の格好をし、ユダが通りそうな道の傍らに座った。それは、シェラが成人したのに、ユダは約束どおりに行わず、自分がその妻にされないのを知ったからである。(創世記38:13-14)

ユダは、遊女の格好をしたタマルを見ると、まんまと引っ掛かり、二人は交渉し、そしてペレツとゼラフを産む。
ユダとタマルという父母の馴れ初め話(?)は、最悪な部類に入ると言えるだろう。しかしなんと、タマルの子ペレツは、後にはイスラエルの中で、祝福の代名詞となった。(ルツ4:12)
いかに父母の最悪な行為によって生まれた子でも、祝福の代名詞にまでなれるのが、栄光の家系の不思議であり、神の民の醍醐味であり、キリストによって神の民に加えたらた私達には、慰めである。

2:5 ペレヅの子らはヘヅロンとハムル。

このペレツが、正統なダビデ王家の本流となる。
ペレツは、元々、弟になるはずで、ゼラフが兄となるはずだった。しかし、この双子が母のタマルから生まれる時、ゼラフは手首だけ先に出たので、赤い印を手首につけられたのに、再び母の胎に戻ってしまい、ペレツが先に出てきたので、ペレツが長男となった。
母の胎から出てくる、その数時間の「競争」が、永遠の栄光の家系に入れたか、入れなかったかを切り分けた。
そう、私達も、この世という、永遠の目から見たら「わずか数時間の競争」が、永遠を決定するのだ。

栄光を手にするために努力するか、それとも、肉の心地よさに戻ってそれを逃してしまうか。
まことに系図をみる時、その連続ドラマを、またたく間に見せてくれる。

傍流であるゼラフの系図は、6-8節の3節にしるされている。しかも、悪い意味の教訓のために、である。

2:6 ゼラの子らはジムリ、エタン、ヘマン、カルコル、ダラで、合わせて五人である。
2:7 カルミの子はアカル。アカルは奉納物について罪を犯し、イスラエルを悩ました者である。
2:8 エタンの子はアザリヤである。

このアカルは、ヨシュア記で言う所のアカンである。
彼は、滅ぼしつくすべきものを自分の手元に保持したため、彼のみならず、イスラエル全体が戦いに勝てなくなってしまい、結局、彼のみならず、彼の子達もすべて滅ぼし尽くされてしまった。
神の民の系図の枝から、子々孫々とも、切って捨てられてしまったのだ。
私達も、まことのぶどうの木であるイエス様につながり、神の民の枝とされた。
その私達は、実を結ばないで切って捨てられるものではなく、キリストに繋がり続け、豊かな実を結ぶものとなるべきだ。

2:9 ヘヅロンに生れた子らはエラメル、ラム、ケルバイである。
2:10 ラムはアミナダブを生み、アミナダブはユダの子孫のつかさナションを生んだ。
2:11 ナションはサルマを生み、サルマはボアズを生み、
2:12 ボアズはオベデを生み、オベデはエッサイを生んだ。

9-12節は、ダビデ王家の本流が、ヘツロンからエッサイまで直接記されている。
マタイの系図には遊女ラハブやモアブ人ルツの名も記されているが、ここにはそれは無い。

2:13 エッサイは長子エリアブ、次にアビナダブ、第三にシメア、
2:14 第四にネタンエル、第五にラダイ、
2:15 第六にオゼム、第七にダビデを生んだ。
2:16 彼らの姉妹はゼルヤとアビガイルである。ゼルヤの産んだ子はアビシャイ、ヨアブ、アサヘルの三人である。
2:17 アビガイルはアマサを産んだ。アマサの父はイシマエルびとエテルである。
2:18 ヘヅロンの子カレブはその妻アズバおよびエリオテによって子をもうけた。その子らはエシル、ショバブ、アルドンである。

エッサイの子たち、すなわちダビデの兄弟姉妹たちが記されている。
特にツェルヤの子ヨアブは、有能な将軍であったが、王であるダビデの言葉に何度もそむき、むしろダビデに意見するような傲慢と、罪のない人の血を流し続けたゆえに、殺されてしまった。

以上のように、主を敬い、その御言葉を大切にする人は、主から大切にされ、祝福の子々孫々を得ていくが、主を軽んじ、その御言葉をないがしろにするものは、せっかく栄光の家系に生まれても、その系図という木からは切り離され、火に投げ込まれてしまうのだ。

イシュマエルの子孫とエサウの子孫(1歴代誌1:28-54)
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1:28 アブラハムの子らはイサクとイシマエルである。

アブラハムの子、イサクの子孫が、神の民の直系子孫であるが、今回の箇所は傍系の系図、すなわち、イシュマエルやエサウの子孫の系図が挿入されている。

1:29 彼らの子孫は次のとおりである。イシマエルの長子はネバヨテ、次はケダル、アデビエル、ミブサム、
1:30 ミシマ、ドマ、マッサ、ハダデ、テマ、
1:31 エトル、ネフシ、ケデマ。これらはイシマエルの子孫である。

イシュマエルの子孫がここに記されている事は、将来のイスラエルにとって重要である。
なぜなら今、まさに現代、イスラエルはこのイシュマエルの子孫であるアラブ人によって苦しめられているからだ。
イシュマエルの子孫はどのような性質になって行くのかは、母の胎にいる時に決まっていた。
創世記16:11 主の使はまた彼女に言った、「あなたは、みごもっています。あなたは男の子を産むでしょう。名をイシマエルと名づけなさい。主があなたの苦しみを聞かれたのです。
16:12 彼は野ろばのような人となり、その手はすべての人に逆らい、すべての人の手は彼に逆らい、彼はすべての兄弟に敵して住むでしょう」。

イシュマエルにしても、エサウとヤコブにしても、母の胎にいる時から主はその子がどのようになるかを予告しているが、母がどのように胎教するか、それはとても重要である。

多くの国々では義務教育はだいたい5-6歳から始まるが、イスラエルの律法では、いのちが母の胎に宿った時から既に始まっており、母は、胎児に向かってトーラーを毎日聞かせる。
それで、彼らは生まれた時から既に御言葉の耳が開かれており、13歳の少年になる頃には、モーセ五書全部を暗記しており、大人になる頃には天才となっているのである。
結婚と子育て過ちや、性的な過ちは、後々の子々孫々に、致命的な災の根を残す事となってしまう事を、おそらくエズラは警告し、傍系子孫の系図も記しているのだろう。

1:34 アブラハムはイサクを生んだ。イサクの子らはエサウとイスラエル。

イサクの子、イスラエルの子孫が神の民の直系だが、エサウという「傍系」の系図を、詳細に載せている。

1:35 エサウの子らはエリパズ、リウエル、エウシ、ヤラム、コラ。
1:36 エリパズの子らはテマン、オマル、ゼピ、ガタム、ケナズ、テムナ、アマレク。

テマン人は知恵深い人々として他の箇所に記されている(ヨブ2:11、オバデヤ9)が、アマレクは暴虐な民として神が徹底的に絶ち滅ぼすように命じている。
エサウは俗悪な者としてヘブル12:16に記されており、俗悪な子々孫々を産んでいった。

1:43 イスラエルの人々を治める王がまだなかった時、エドムの地を治めた王たちは次のとおりである。

1歴代誌1:37-54には、エサウの子孫の系図と、その中から出た王達、首長たちが、大勢記されている。
それは、イスラエルにはまだ王がいなかった時、であると書いてあるので、イスラエル(ヤコブ)はエサウの祝福をだまし取ったものの、栄えたのはエサウのほうだったようである。
エサウの子孫が王をつくり、増えていったその時期に、イスラエルはエジプトで奴隷生活を430年も送っていたからだ。

しかし、歴史的視点から見ると、エドムは最終的には滅び、イスラエルは栄え祝福されている。

エドム人(イドマヤ人)はバビロン捕囚の時までは栄えていたのに、イエス様の時代になると少なくなり、最終的に、民族としては歴史から姿を消している。
エドムはなぜ絶滅してしまったのか。
その原因は、オバデヤ書に記されている。

エドムは、他国人がエルサレムを攻めた時、知らぬ顔をし(オバデヤ書11節)、むしろ喜び(同12節)、イスラエルの敵と一緒に門に入って、財宝に手をつけ(13節)、戦禍から逃げようとするイスラエル人の前に立ちはだかって、逃げられなくした。(14節)

詩篇137篇は、バビロン捕囚されたあるユダヤ人が詠んだ詩で、バビロン人が余興でユダヤの歌を歌うよう言われた時、悲しくて歌えなかった様が記されている。
彼は7節でこう詠んでいる。
『主よ、エドムの人々がエルサレムの日に、「これを破壊せよ、これを破壊せよ、その基までも破壊せよ」と/言ったことを覚えてください。』

このように、兄弟が困っている時に、敵の側に立って一緒にいじめるのが、エドム人の特徴であり、その態度が主を怒らせた。
その時以来、主は周辺の国々を用いて、エドム人を立て続けに攻め立て、最後には滅ぼされる。

『オバデヤの幻。主なる神はエドムについてこう言われる、われわれは主から出たおとずれを聞いた。ひとりの使者が諸国民のうちにつかわされて言う、「立てよ、われわれは立ってエドムと戦おう」。』(オバデヤ1節)
『見よ、わたしはあなたを国々のうちで/小さい者とする。あなたはひどく卑しめられる。』(2節)
『主の日が万国の民に臨むのは近い。あなたがしたようにあなたもされる。あなたの報いはあなたのこうべに帰する。』(15節)

私達にももしかしたら、エドムのように、困っているのに逆に苦しめるような、凶悪な身内がいるかもしれない。
しかし主は、主に救いを求める聖徒たちを必ず守られる。
そしてもし、エドムのように、兄弟姉妹が困っているのに、敵の側に立って一緒に攻め立てたりするなら、主はその者に敵対される。

『肉の物、高ぶる者は、主の御前に長く存続できない。悪しき者は正しい人をうかがい、これを殺そうとはかる。主は正しい人を悪しき者の手にゆだねられない、またさばかれる時、これを罪に定められることはない。
主を待ち望め、その道を守れ。そうすれば、主はあなたを上げて、国を継がせられる。あなたは悪しき者の/断ち滅ぼされるのを見るであろう。
わたしは悪しき者が勝ち誇って、レバノンの香柏のようにそびえたつのを見た。しかし、わたしが通り過ぎると、見よ、彼はいなかった。わたしは彼を尋ねたけれども見つからなかった。
全き人に目をそそぎ、直き人を見よ。おだやかな人には子孫がある。しかし罪を犯す者どもは共に滅ぼされ、悪しき者の子孫は断たれる。』(詩篇37:32-38)
 

永遠の系図に残る礼拝する民と、消えていく礼拝しない民(1歴代誌1:1-27)
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バビロン捕囚の後、イスラエルの信仰を復興したエズラが編纂したと言われるこの歴代誌は、系図で始まる。
系図は、イスラエル人にとって、どこに自分のアイデンティティがあるのかの拠り所であり、また系図には、主に依り頼んで栄えた人も、主を軽んじて呪われた人も記されている。

系図はツリー構造であるが、そのツリー(木)の幹にあたる部分と、枝葉にあたる部分があり、歴代誌における「幹」すなわち主人公は、主を礼拝する民、主につながり続けた人達である。それが結果的にユダ族であり、レビ族である。
主を敬い、礼拝を重んじる人々は祝福を受けて栄え、主を軽んじ礼拝を疎かにする民は衰退し、最終的には滅びる。
それこそ、歴代誌が教える重要な教訓である。
おそらく記者であるエズラは、その事を伝えるために、全人類の祖先であるアダムの系図から記し始めた。

1:1 アダム、セツ、エノス、
1:2 ケナン、マハラレル、ヤレド、
1:3 エノク、メトセラ、ラメク、
1:4 ノア、セム、ハム、ヤペテ。

1節から4節のヤペテまでは、接続詞も一切なく、名前だけがそのまま一気に記されている。
この、1−4節は最も根幹的な「幹」にあたり、また5節以降23節までの系図には、名前と次の名前の間に接続詞ワウが挿入され、また、その時代に何が起きたかという説明も所々に挿入されている。
聖書注解を見ると、おそらく「幹」と「枝葉」を区別するためだろう、と言われているが、この、接続詞ワウ無しの名前だけの列挙は、ヘブライ語がわかるユダヤ人には、名前を繋げた事によって浮かび上がって来る意味を読む事が出来る。

ヘブライ語の人名には、それぞれ意味があるのだが、このアダムからノアに至る系図の名前をそのまま列挙して行くと、一つの意味が浮かび上がって来る。
アダムは「人、土」という意味であり、セツは「約束の、授けられた、定着した」という意味、エノシュは「脆い、致命的、悲惨」、ケナンは「悲しみ、哀歌」、マハラルエルは「祝福の神」という意味である。
エレデは「降りてくる」、エノクは「教える、始まる、ささげる」、メトシェラは「彼が死ぬ時、何かが起きる」、レメクは「嘆き、悲しみ」、ノアは「慰め、新しい希望」という意味である。

以上、これらの名前の意味をつなげると、次のようになる。

「人は、約束された(授けられた)。脆さ、致命的な悲惨が。祝福の神は、降りて来て、教え、捧げた。彼が死ぬ時、何かが起きる。嘆き悲しみは、慰められ、新しい希望となる。」

この浮かび上がった意味は、まさしく、イエス・キリストによる人類の救いを表しているではないか。
実は、ユダヤ人が、歴代誌のこのワウ無しの系図を朗読するたびに、そのような意味をも覚えつつ、暗唱しているのだが、イエスキリストを受け入れるユダヤ人がいないのが本当に歯がゆい所である。

続いて系図は、ノアの子ヤペテの子孫になる。

1:5 ヤペテの子らはゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、トバル、メセク、テラス。
1:6 ゴメルの子らはアシケナズ、デパテ、トガルマ。
1:7 ヤワンの子らはエリシャ、タルシシ、キッテム、ロダニム。

ヤペテはヨーロッパ系の白色人種の祖先と言われており、イスラエルに対しては異邦人であったものの、キリスト以降、福音が最も普及し発展した民族であり、以下の預言はまさに実現した。
「神はヤペテを大いならしめ、セムの天幕に彼を住まわせられるように。カナンはそのしもべとなれ」(創世記9:27)
しかし旧約においては、ヤペテの子孫は全く登場しないため、歴代誌の系図では、わずか3節で終わりとなっている。
たとえ旧約の系図から外されてしまっても、イエスキリストを信じるなら、再び接ぎ木されるのだ。

続いて系図は、ノアの子ハムの子孫となる。

1:8 ハムの子らはクシ、エジプト、プテ、カナン。
1:9 クシの子らはセバ、ハビラ、サブタ、ラアマ、サブテカ。ラアマの子らはシバとデダン。
1:10 クシはニムロデを生んだ。ニムロデは初めて世の権力ある者となった。
1:11 エジプトはルデびと、アナムびと、レハブびと、ナフトびと、
1:12 パテロスびと、カスルびと、カフトルびとを生んだ。カフトルびとからペリシテびとが出た。
1:13 カナンは長子シドンとヘテを生んだ。
1:14 またエブスびと、アモリびと、ギルガシびと、
1:15 ヒビびと、アルキびと、セニびと、
1:16 アルワデびと、ゼマリびと、ハマテびとを生んだ。

このハムの子孫たちは、主を敬わない者達、礼拝を阻害する者達として聖書には記されている。
特にニムロデは、歴代誌において重要な悪役の人物である。このニムロデの子孫によって神の民は散らされ、神殿は破壊され、バビロン捕囚に遭い、そうして歴代誌は閉じられるからだ。
主を敬う民に対し、主を蔑む民もいる。カナン人やペリシテ人もそうである。
主の民が、主を敬わない事を続けてしまうと、神は彼らを用いて主の民を懲らしめ、なおも主に従わない事を続けていると、最終的には約束の地から吐き出されてしまうのだ。

続いて、セムの子孫について記されている。歴代誌の系図の本流は、神の民・セムの子孫である。

1:17 セムの子らはエラム、アシュル、アルパクサデ、ルデ、アラム、ウズ、ホル、ゲテル、メセクである。
1:18 アルパクサデはシラを生み、シラはエベルを生んだ。
1:19 エベルにふたりの子が生れた。ひとりの名はペレグ――彼の代に地の民が散り分れたからである――その弟の名はヨクタンといった。
1:20 ヨクタンはアルモダデ、シャレフ、ハザル・マウテ、エラ、
1:21 ハドラム、ウザル、デクラ、
1:22 エバル、アビマエル、シバ、
1:23 オフル、ハビラ、ヨバブを生んだ。これらはみなヨクタンの子である。

ここではエベルから枝分かれしたヨクタンの子孫が記されたが、24節以降27節までは、再び、接続詞ワウなしの名前の列挙となる。
すなわち、系図の本流である。

1:24 セム、アルパクサデ、シラ、
1:25 エベル、ペレグ、リウ、
1:26 セルグ、ナホル、テラ、
1:27 アブラムすなわちアブラハムである。

こうして、信仰の先祖、アブラハムまでの系図がつながった。
主を敬う信仰の人、礼拝する人こそ、人間のファミリーツリーの中で幹となって、栄えて行く者、永遠に残る者である。
私達は、主を敬い、礼拝する民、永遠に残る民として、歩むべきだ。

歴代誌概要(1歴代誌1:1-4)
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講解説教は本日より歴代誌に入る。

歴代誌は、預言者の言行録や、王たちの書、また、諸々の注解など、多くの資料を基にしているが、誰がこれをまとめ、記したかを示す箇所は無い。
ユダヤ人の伝承では、著者をエズラとしている。
歴代誌の内容は、そのままエズラ記に続けるなら内容的に非常にマッチするし、そして、歴代誌の内容は、バビロン捕囚後の諸々の危機に際し、エズラがイスラエルの民を鼓舞した精神と、非常によく一致している。

バビロン捕囚後のイスラエルには、周辺諸国の圧迫という危機があったため、イスラエルのアイデンティティを鼓舞する必要があったし、長らくバビロンにいたために神殿礼拝が軽んじられてしまっている現状に対し、礼拝の復興を鼓舞する必要があったし、また、異邦人との結婚・血筋の混濁がはびこりつつあり、せっかく主がバビロンから開放して新しい歩みだしをして行こうとしていたというのに、またしても捕囚前の堕落した時代に逆戻りしようとしていたため、捕囚前の堕落した王達がいかなる道を辿ったかを示す必要があった。

歴代誌は、まさに捕囚後のイスラエルの民が生きるべきエッセンスが詰まっている。

第一歴代誌1章から9章までは、アダム以来の系図が記されており、イスラエルのアイデンティティはどこにあるのかをまさに示している。
10章から第一歴代誌の終わりまでの所には、神殿がいかに荘厳に造られたかが記されており、神殿こそがイスラエルのアイデンティティである事を強調している。
また、第二歴代誌には、この神殿を、すなわち礼拝を軽んじた王がいかに呪われ、尊んだ王がいかに祝福されたか、その歴史が記されている。

系図はファミリーツリーであるが、歴代誌において幹となっている部族は、レビ族とユダ族である。
それは、バビロン捕囚から帰還しイスラエルに定住しに来た部族がそれだからだ。

10章から第二歴代誌に至るまでは、特にダビデとソロモンの、神殿建設に関わった事が記されている。
サムエル記におけるダビデは、サウルとの葛藤や苦悩、またバテ・シェバとの罪など、人間味溢れる所が豊かに記されているが、歴代誌におけるダビデはむしろ神殿建設のために努力したダビデが記されている。
彼がいかに神殿建設の準備をし、いかに礼拝組織や聖歌隊を編成したか、また、彼の子ソロモンがいかに神殿建設をしたか、列王記には無い詳細な内容が記されている。
そして第二歴代誌は、ソロモン以降の王達の歩みが記されているが、ここで繰り返し強調されている事は、神を畏れ神殿を重んじた王たちは祝福され、それを軽んじた王達は呪われている事である。
まさに、バビロン捕囚後の人々に必要な警告と養いが、歴代誌の中にある。

歴代誌はヘブライ語ではディブレー・ハッヤーミーム、「日々の出来事」の意味である。
ユダヤ教の聖書(タナク、私達が言う旧約聖書)は、トーラー(モーセ五書)、ネビイーム(預言者)、ケトゥビーム(諸書)に分かれており、歴代誌はケトゥビーム(諸書)の最後に位置する。すなわち、ユダヤ人の聖書では、一番最後の書である。
列王記はネビイーム(預言者)の中に入っており、ヨシュア記や士師記などの歴史と、イザヤやエレミヤなどの預言書と同じカテゴリにある。
それに対し、歴代誌は、ケトゥビーム(諸書)、すなわち詩篇や箴言、伝道書など、神様との関係の中で生まれた文学類と同じカテゴリの中にある。

歴代誌、それはユダヤ人の「日々の出来事」であり、私達にとっても「日々の出来事」である。

内容としては、ユダヤ人の系図や神殿、王達の歴史と、私達異邦人には全く関係のないものであるかのように見えがちだが、決してそんな事はない。
なぜなら系図は私達の先祖アダムに始まり、また信仰者の先祖・アブラハム以降の系図は、まさに私達の系図であるからだ。
そして私達が、現代のまことの神殿であるキリストを、いかなる態度で礼拝するべきか、彼を敬うものはいかに祝福され、また軽んじるものはいかに呪われるか、それはそのまま私達に当てはまる事だからである。

歴代誌は、私達と、神様との関係を根底に置きながら、読み進めて行くべきである。
読み進めるにつれて、私達が歩むべき日々の姿を学んでいきたい。

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