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メッセージ - 1歴代誌カテゴリのエントリ

礼拝の基礎を造り祝福のモデルとなったダビデ王(1歴代誌29:20-30)
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いよいよ第一歴代誌の最後である。元々のヘブライ語聖書には第一・第二の区別は無かったが、後代の人が区切りとした所は、ダビデ王が全ての役割を終えて、ソロモンへと王権を渡した所であった。
第一歴代誌は、人類最初の人アダム以降の系図で始まり、そしてダビデ王が神殿建設の整えをし、後に続く王権の基礎となった礼拝中心の国家の体制を整えた所で終わる。
第二歴代誌はソロモンから続く王達の歴史であるが、その王権が栄えたか衰えたかは、100%、ダビデ王が整えた礼拝中心の路線に沿ったか、沿っていなかったかに由来する。

29:20 そしてダビデが全会衆にむかって、「あなたがたの神、主をほめたたえよ」と言ったので、全会衆は先祖たちの神、主をほめたたえ、伏して主を拝し、王に敬礼した。

ダビデ王は神殿のために多くが捧げられた事への感謝祈祷の後、「あなたがたの神、主をほめたたえよ」と言って、人々に主を礼拝する事を促した。
「ほめたたえる」と訳された語はバラク、祝福する、とよく訳される語であるが、元々の意味は「ひざをつく」である。主の前に低くなす、それこそ、人の側の分である。

「あなたがたの神、主をほめたたえよ」、歴代誌におけるダビデ王の最後の言葉は、まさに、ダビデ王の統治を一言であらわしているような言葉だ。
彼は主を礼拝する所を建築する志を持って整え、人々にそのための体制を整えていった。
結局、人にとっての全ては、主を礼拝する事、すなわち、主と出会い主と交わりをしつつ歩んでいくことである。天国とは、永遠に主と交わりを持つ所である。

この主の前に低くなる礼拝は、エズラの時代の礼拝のスタイルである。

ネヘミヤ8:6 エズラは大いなる神、主をほめ、民は皆その手をあげて、「アァメン、アァメン」と言って答え、こうべをたれ、地にひれ伏して主を拝した。

エズラは大祭司の子孫で律法に精通した学者であり、彼はバビロン捕囚から帰って来たイスラエルの民を前に、御言葉を朗読し、その意味を解き明かした。(8節)
ユダヤ式の御言葉への作法の第一は、まず、起立から始まる。彼が聖書を開いた時、会衆は起立した。
起立するという行動は、相手(開かれた御言葉)に対し尊敬を表す行為である。起立するためには、足に力を入れて立つという、少しの体力を使う行動だが、御言葉に対し、「聞く」においても、「朗読する」においても、「反応する」においても、身体を使うのが「ユダヤ式」である。
エズラが主をほめたたえた時、民は皆その手をあげて、「アーメン」を2回、繰り返した。
身体を使う2番目の礼拝行為は、御言葉や賛美に対して「アーメン」と応答する時、「手を挙げる」事である。
3番目の身体を使った行動は、ひれ伏す行為である。

このように、ダビデの時代もエズラの時代も、主を礼拝するときには全身・全霊をもって主を礼拝した。
その結果、主は恵みをその時代にほどこしてくださった。

29:21 そしてその翌日彼らは全イスラエルのために主に犠牲をささげた。すなわち燔祭として雄牛一千、雄羊一千、小羊一千をその灌祭と共に主にささげ、おびただしい犠牲をささげた。

主の前にひざをかがめ、自分を低くする事に続いて、彼らがした事は、主に捧げる事だった。
燔祭とは全焼のいけにえ、すなわち、残らず全部を主に捧げる主への捧げものである。
その結果、与えられるのは、喜びである。

29:22 そしてその日、彼らは大いなる喜びをもって主の前に食い飲みした。彼らはさらに改めてダビデの子ソロモンを王となし、これに油を注いで主の君となし、またザドクを祭司とした。

主に正当に捧げる時、喜びが沸き起こる。
もし、捧げものを、何かの「支払い」のように、自分の財布からの「マイナス」として数えるなら、単なるマイナスでしかない。
しかし、主を愛するゆえにお捧げするなら、それはプラスになる。なぜなら、お捧げする事には喜びが沸き起こり、主は祝福を命じて加えて与えてくださり、結果、収支はプラスとなって、ますます力と富を増し加え、喜びがもっと沸き起こり、ますます主に捧げたいという願いが起こされて行くからだ。

29:23 こうしてソロモンはその父ダビデに代り、王として主の位に座した。彼は栄え、イスラエルは皆彼に従った。
29:24 またすべてのつかさたち、勇士たち、およびダビデ王の王子たちも皆ソロモン王に忠誠を誓った。
29:25 主は全イスラエルの目の前でソロモンを非常に大いならしめ、彼より前のイスラエルのどの王も得たことのない王威を彼に与えられた。

礼拝する人は、栄光が与えられ、栄える事ができる。
その逆に、主を敬わない者、礼拝を軽んじる者は、呪われてしまう。
ダビデ王はまさに祝福のモデルであり、また、続く第二歴代誌の歴代の王達の中で主から離れた王達は、呪いのモデルであった。

29:26 このようにエッサイの子ダビデは全イスラエルを治めた。
29:27 彼がイスラエルを治めた期間は四十年であった。すなわちヘブロンで七年世を治め、エルサレムで三十三年世を治めた。
29:28 彼は高齢に達し、年も富も誉も満ち足りて死んだ。その子ソロモンが彼に代って王となった。
29:29 ダビデ王の始終の行為は、先見者サムエルの書、預言者ナタンの書および先見者ガドの書にしるされている。
29:30 そのうちには彼のすべての政と、その力および彼とイスラエルと他のすべての国々に臨んだ事どもをしるしている。

ダビデ王は死んだが、その名は永遠に記録されている。
実質的には、ダビデよりも、ソロモンのほうが富と知識と栄誉が与えられたであろう。
しかしソロモンは、人生後半、主から離れてしまった。だから現代、ソロモンよりもダビデの栄誉のほうが高いのだ。

私達も、ダビデのように、主に真実を尽くして仕え、たとえ罪を犯しても、その罪を主に正直に告白し、いつでも主に立ち返るなら、主は真実をもって答え、富と知識と栄誉を増し加えてくださるのだ。

神殿のため、主のために捧げる事で沸き起こる大きな喜び(1歴代誌29:1-19)
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いよいよ第一歴代誌の最終章である。
と言っても元々のヘブライ語の聖書には第一・第二の区別は無いが、後代の人はこの歴代誌という書の区切りを、ダビデ王がソロモンに王権を引き継ぎ、神殿を建て上げるという所をハイライトとして区切った。
歴代誌はアダムから始まり、神の民の歴史が記されているが、その歴史書のハイライトが、神殿である、という点は、私達に重要な示唆を与えている。
神殿とは礼拝する所であり、すなわち神様と出会う所、神様と交わりを持つ所である。
聖書の結論である黙示録は、永遠の礼拝によって閉じられている。
すなわち、全ての人にとってのハイライトは、神様との出会い、神様との交わりなのだ。
この、神様との交わりを除いてしまったソロモンから続く王達の呪われた有様が、歴代誌の後半に記されている。

29:1 ダビデ王はまた全会衆に言った、「わが子ソロモンは神がただひとりを選ばれた者であるが、まだ若くて経験がなく、この事業は大きい。この宮は人のためではなく、主なる神のためだからである。
29:2 そこでわたしは力をつくして神の宮のために備えた。すなわち金の物を造るために金、銀の物のために銀、青銅の物のために青銅、鉄の物のために鉄、木の物のために木を備えた。その他縞めのう、はめ石、アンチモニイ、色のついた石、さまざまの宝石、大理石などおびただしい。
29:3 なおわたしはわが神の宮に熱心なるがゆえに、聖なる家のために備えたすべての物に加えて、わたしの持っている金銀の財宝をわが神の宮にささげる。
29:4 すなわちオフルの金三千タラント、精銀七千タラントをそのもろもろの建物の壁をおおうためにささげる。

ダビデは、神殿建設のために、収入の中から取り分けて財産を取って置いたが、主に捧げる心と、仕える事の喜びのあまり、彼は自分の財産からも、さらに多くを捧げた。
会計的に神殿建設用として仕分けた資金ではなく、彼のプライベートで使う財布からも、さらに多くを喜んで捧げたのである。
神は、喜んで捧げる者には喜んで増し加えさせて下さり、惜しんで捧げる者には、その報いもまた惜しまれた形でしか与えられない。

2コリント9:6 わたしの考えはこうである。少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、豊かにまく者は、豊かに刈り取ることになる。
9:7 各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。
9:8 神はあなたがたにあらゆる恵みを豊かに与え、あなたがたを常にすべてのことに満ち足らせ、すべての良いわざに富ませる力のあるかたなのである。
9:9 「彼は貧しい人たちに散らして与えた。その義は永遠に続くであろう」/と書いてあるとおりである。
9:10 種まく人に種と食べるためのパンとを備えて下さるかたは、あなたがたにも種を備え、それをふやし、そしてあなたがたの義の実を増して下さるのである。
9:11 こうして、あなたがたはすべてのことに豊かになって、惜しみなく施し、その施しはわたしたちの手によって行われ、神に感謝するに至るのである。
9:12 なぜなら、この援助の働きは、聖徒たちの欠乏を補うだけではなく、神に対する多くの感謝によってますます豊かになるからである。

献金などの捧げものをする、とは、交わり(コイノニア)に参加するという意味もある。

8:3 わたしはあかしするが、彼らは力に応じて、否、力以上に施しをした。すなわち、自ら進んで、
8:4 聖徒たちへの「奉仕(コイノニア)」に加わる恵みにあずかりたいと、わたしたちに熱心に願い出て、
8:5 わたしたちの希望どおりにしたばかりか、自分自身をまず、神のみこころにしたがって、主にささげ、また、わたしたちにもささげたのである。

主の交わりに奉仕者として加わる、あるいは献金をささげる、とは、神様へ捧げ物を捧げるという意味の他に、その交わりに参加する事であり、その交わりに参加したからには、その交わりの中心であるキリストから豊かな保障を得る権利を得る事なのだ。

ダビデ王は、人々にチャレンジを促す。
29:5 だれかきょう、主にその身をささげる者のように喜んでささげ物をするだろうか」。
29:6 そこで氏族の長たち、イスラエルの部族のつかさたち、千人の長、百人の長および王の工事をつかさどる者たちは喜んでささげ物をした。
29:7 こうして彼らは神の宮の務のために金五千タラント一万ダリク、銀一万タラント、青銅一万八千タラント、鉄十万タラントをささげた。
29:8 宝石を持っている者はそれをゲルションびとエヒエルの手によって神の宮の倉に納めた。
29:9 彼らがこのように真心からみずから進んで主にささげたので、民はそのみずから進んでささげたのを喜んだ。ダビデ王もまた大いに喜んだ。

なんと、多くの人々が、主の奉仕に加わった。
その結果得たのは、大きな喜びである。
私達も、主に大いに捧げるなら、喜びが沸き起こる。
その喜びの内訳の中には、主が共に喜んで下さる主の喜びがあり、主から報いと守りと保障が得られる、という確信が入っている。

29:10 そこでダビデは全会衆の前で主をほめたたえた。ダビデは言った、「われわれの先祖イスラエルの神、主よ、あなたはとこしえにほむべきかたです。
29:11 主よ、大いなることと、力と、栄光と、勝利と、威光とはあなたのものです。天にあるもの、地にあるものも皆あなたのものです。主よ、国もまたあなたのものです。あなたは万有のかしらとして、あがめられます。
29:12 富と誉とはあなたから出ます。あなたは万有をつかさどられます。あなたの手には勢いと力があります。あなたの手はすべてのものを大いならしめ、強くされます。

ダビデ王の感謝の祈りの中心は、全てのものは「あなたのものです」という点である。
王に、国に、与えられた富も、力も、栄光も、見えるものも、見えないものも、全て主のものである。

29:13 われわれの神よ、われわれは、いま、あなたに感謝し、あなたの光栄ある名をたたえます。
29:14 しかしわれわれがこのように喜んでささげることができても、わたしは何者でしょう。わたしの民は何でしょう。すべての物はあなたから出ます。われわれはあなたから受けて、あなたにささげたのです。
29:15 われわれはあなたの前ではすべての先祖たちのように、旅びとです、寄留者です。われわれの世にある日は影のようで、長くとどまることはできません。
29:16 われわれの神、主よ、あなたの聖なる名のために、あなたに家を建てようとしてわれわれが備えたこの多くの物は皆あなたの手から出たもの、また皆あなたのものです。

今、自分が捧げたものは、主から出たもので、全ては主のものである。

29:17 わが神よ、あなたは心をためし、また正直を喜ばれることを、わたしは知っています。わたしは正しい心で、このすべての物を喜んでささげました。今わたしはまた、ここにおるあなたの民が喜んで、みずから進んであなたにささげ物をするのを見ました。

ダビデが告白している通り、主は心をためされるお方であり、そしてシンプルな、正直な心を喜んで下さる。
世の神々は、人間が捧げる「モノ」を喜ぶかもしれない。10円よりも10万円のほうを喜ぶかもしれない。
しかし主は元々富んでおられるお方であり、人が神に捧げる10円も、10万円も、その与える・与えないを支配しておられるお方である。
だから主は、人の心をこそ、計られるのである。

29:18 われわれの先祖アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ、あなたの民の心にこの意志と精神とをいつまでも保たせ、その心をあなたに向けさせてください。
29:19 またわが子ソロモンに心をつくしてあなたの命令と、あなたのあかしと、あなたのさだめとを守らせて、これをことごとく行わせ、わたしが備えをした宮を建てさせてください」。

ダビデは祈った。人々の、この捧げる志がいつまでも続き、その祝福のサイクルがいつまでも続くように、と。
ソロモンのためにも祈った。しかしソロモンは、生涯の途中から、その父の祝福に相応しくない行いを続け、祝福から漏れてしまった。

主との対面は、一対一である。
私達は正直な、まっすぐな心をもって主に捧げるものでありたい。

ソロモンを力づけるダビデ(1歴代誌28:9-21)
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続いてダビデは、自分の子であり、この神殿建設の事業をこれから成していくソロモンを力づける。

28:9 わが子ソロモンよ、あなたの父の神を知り、全き心をもって喜び勇んで彼に仕えなさい。主はすべての心を探り、すべての思いを悟られるからである。あなたがもし彼を求めるならば会うことができる。しかしあなたがもしかれを捨てるならば彼は長くあなたを捨てられるであろう。
28:10 それであなたは慎みなさい。主はあなたを選んで聖所とすべき家を建てさせようとされるのだから心を強くしてこれを行いなさい」。

ダビデが真っ先に命じた事は「あなたの父の神を知り」なさい、という事だった。
主を知れば知るほどに畏敬の念が生じ、正当な恐れが出て、決して、軽がろしく神の国の奉仕を成すという事がなくなる。
続いて、「全き心をもって喜び勇んで彼に仕えなさい」と命じた。

その理由は、「主はすべての心を探り、すべての思いを悟られるからである。」
主は私達の全てを知っておられる。
ヘブル4:12 というのは、神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。
 4:13 そして、神のみまえには、あらわでない被造物はひとつもなく、すべてのものは、神の目には裸であり、あらわにされているのである。この神に対して、わたしたちは言い開きをしなくてはならない。
だから、主の仕事を真心から進んで成していくべきなのだ。
私達は、主を知れば知るほどに、主のための仕事がいかに誇り高く、永遠の意味を持つものであるのかを知り、その働きが世のどの仕事とも全く違う、喜ばしいものである事がわかってくるのだ。

そしてダビデは言った。
「あなたがもし彼を求めるならば会うことができる。しかしあなたがもしかれを捨てるならば彼は長くあなたを捨てられるであろう。」
残念ながらソロモンは、生涯の後半、主を捨ててしまい、そして彼は、父ダビデへの憐れみがあったものの、悔い改めなかった故に、結果的にその子孫は王権を断ち切られてしまった。

28:11 こうしてダビデは神殿の廊およびその家、その倉、その上の室、その内の室、贖罪所の室などの計画をその子ソロモンに授け、
28:12 またその心にあったすべてのもの、すなわち主の宮の庭、周囲のすべての室、神の家の倉、ささげ物の倉などの計画を授け、
28:13 また祭司およびレビびとの組と、主の宮のもろもろの務の仕事と、主の宮のもろもろの勤めの器物について授け、
28:14 またもろもろの勤めに用いるすべての金の器を造る金の目方、およびもろもろの勤めに用いる銀の器の目方を定めた。

ここの12節はKJVでは「And the pattern of all that he had by the spirit」で始まる。
つまり、主はダビデの心に「御霊」で示し、神殿の全ての間取りや寸法、仕様を細かく示し、それのみならず、仕事の内容や用いる器物類のそれぞれの重量、それぞれに用いるべき金銀、仕事をする人員の組み分けやローテーションに至るまで、御霊は細かく示してくださり、ダビデはそれを仕様書に記して、ソロモンへ渡したのだ。その事が18節まで、細かく記してある。

つまり主は、主の働きをする人が、何をどう為すべきか、何を用い、どのように人を配置し、何をどこまで用いるべきか、どこからを用いてはならぬのかに至るまでを、教えて下さるのだ。

28:19 ダビデはすべての工作が計画にしたがってなされるため、これについて主の手によって書かれたものにより、これをことごとく明らかにした。

主は、主のための仕事を、計画から設計に至るまでを、主の霊によって示し、主の手によって建て上げさせてくださる。
そしてダビデは、ソロモンをさらに力づける。

28:20 ダビデはその子ソロモンに言った、「あなたは心を強くし、勇んでこれを行いなさい。恐れてはならない。おののいてはならない。主なる神、わたしの神があなたとともにおられるからである。主はあなたを離れず、あなたを捨てず、ついに主の宮の務のすべての工事をなし終えさせられるでしょう。

これはモーセがヨシュアに対して言った事と同じである。
前の指導者が偉大であれば偉大であるほど、それに続く指導者が恐れを抱くのは、正当なもので、むしろ恐れが無いとするなら、そのほうが問題である。

もし、何か悪いことをして、それがばれやしないか、という事について「恐れてはならない。おののいてはならない。」という言葉を持ち出すのは、不当な御言葉の用い方である。
主がヨシュアやソロモンに対して「恐れてはならない。おののいてはならない。」と言われたのは、主のための大仕事をこれから控えている事への「正当な恐れ」を和らげるためにである。

私達も、主から与えられる仕事を為そうとする時、恐れを感じる事がある。
なにしろ、主は、私達の経験や能力を超えた事を「しなさい」と言われる事が、よくあるから。
しかし、信仰をもって進み行くなら、私達は、主の偉大な愛の御手に守られつつ、主が進ませてくださる事を知るようになり、恐れる事がなくなってくる。
主は、神の国の建て上げのために、私達に必要なものを備え、知恵をそなえ、人材を備えて下さるからだ。
それでダビデは、つぎのように締めている。

28:21 見よ、神の宮のすべての務のためには祭司とレビびとの組がある。またもろもろの勤めのためにすべての仕事を喜んでする巧みな者が皆あなたと共にある。またつかさたちおよびすべての民もあなたの命じるところをことごとく行うでしょう」。

主が進めと言われる所、主が為しなさいと言われる事を恐れずに成し、神の国の建て上げのために大いに用いられるみなさんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

主が選び、主が建てて下さるゆえに建て上げられる主の家(1歴代誌28:1-8)
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28:1 ダビデはイスラエルのすべての長官、すなわち部族の長、王に仕えた組の長、千人の長、百人の長、王とその子たちのすべての財産および家畜のつかさ、宦官、有力者、勇士などをことごとくエルサレムに召し集めた。

今までの章では、ダビデの治世において定められた神殿奉仕者とその分担が、また、行政・政治・経済をつかさどる人々とその組織などの詳細が記されて来たが、その全ては、神殿へと集約して行くのが、第一歴代誌後半の流れである。

28:2 そしてダビデ王はその足で立ち上がって言った、「わが兄弟たち、わが民よ、わたしに聞きなさい。わたしは主の契約の箱のため、われわれの神の足台のために安住の家を建てようとの志をもち、すでにこれを建てる準備をした。

ダビデが生涯、何を志して来たかが、ここに表れている。
まずは、主の契約の箱のため。
ダビデはその直前の時代に起きた事件、すなわち、契約の箱が奪われた事件を聞いて、大切なのは契約の箱という「もの」ではなく、契約そのものだ、という事を良く知っていた。
いくら契約の箱を担ぎ出したところで、契約の内容そのものを守っていないなら、それは取り上げられてしまうのだ。
それは皮肉にも、イスラエルの後の歴史もまた証明してしまっている。

そしてそれは、現代を生きる私達にさえも適用される真理である。
聖書とは、旧契約と新契約から成る、神と私達との間の、契約の書である。
それを守り行うなら幸いを得るが、それを破るなら呪いが待っている。

ダビデは主の宮を建てたいという志が与えられたが、しかし次の理由から、彼は、建ててはならないと主から言われた。

28:3 しかし神はわたしに言われた、『おまえはわが名のために家を建ててはならない。おまえは軍人であって、多くの血を流したからである』と。

ダビデはいつも周囲から戦いを挑まれ、仕方なくであったが、神の宮は、平和の人が建てなくてはならず、主のミニストリーは、戦いや血を流す事によって建て上げられてはならないのだ。
もう一つ、理由は、主の家は、人間は誰一人、建てることが出来ないからだ。

使徒7:48 しかし、いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない。預言者が言っているとおりである、
7:49 『主が仰せられる、/どんな家をわたしのために建てるのか。わたしのいこいの場所は、どれか。天はわたしの王座、/地はわたしの足台である。
7:50 これは皆わたしの手が造ったものではないか』。

ダビデは、自分は快適な杉材の家に住んでいる、主にも、幕屋のような粗末な所ではなく、もっと豪勢な住まいを建てたい、と願ったが、主は、人が匠の技を駆使して巧妙にこしらえた家を喜んで、そこに住むのだろうか。逆である。
むしろ、それを建てた大工に匠の技を与えたのも、知恵を与えたのも、また、杉を山で育てたのも、そのために必要な太陽や雨を創造したのも、全部、主なのである。

28:4 それにもかかわらず、イスラエルの神、主はわたしの父の全家のうちからわたしを選んで長くイスラエルの王とせられた。すなわちユダを選んでかしらとし、ユダの家のうちで、わたしの父の家を選び、わたしの父の子らのうちで、わたしを喜び、全イスラエルの王とせられた。
28:5 そして主はわたしに多くの子を賜わり、そのすべての子らのうちからわが子ソロモンを選び、これを主の国の位にすわらせて、イスラエルを治めさせようとせられた。

ダビデは告白している。主が、わたしを選ばれたのだ、と。
そして、息子ソロモンが神殿を建てるようにと選んでくださったのも、主だ、と。

詩篇127:1 主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。
 127:2 あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。

28:6 主はまたわたしに言われた、『おまえの子ソロモンがわが家およびわが庭を造るであろう。わたしは彼を選んでわが子となしたからである。わたしは彼の父となる。
28:7 彼がもし今日のように、わが戒めとわがおきてを固く守って行うならば、わたしはその国をいつまでも堅くするであろう』と。

主はソロモンについて言われた。「彼がもし今日のように、わが戒めとわがおきてを固く守って行うならば、わたしはその国をいつまでも堅くする」と。
これは全ての人類に対して言える事であり、私達に対しても、そうである。
ソロモンと、その子孫たちは、残念ながらそうではなかった。その結果、王権は取り上げられてしまった。
これは法則である。サウルもそうだったし、旧約に記されている事は、現代の私達に対する戒めだからである。
ヘブル4:1 それだから、神の安息にはいるべき約束が、まだ存続しているにかかわらず、万一にも、はいりそこなう者が、あなたがたの中から出ることがないように、注意しようではないか。

ダビデは招集した全イスラエルの会衆に向けて言った。

28:8 それゆえいま、主の会衆なる全イスラエルの目の前およびわれわれの神の聞かれる所であなたがたに勧める。あなたがたはその神、主のすべての戒めを守り、これを求めなさい。そうすればあなたがたはこの良き地を所有し、これをあなたがたの後の子孫に長く嗣業として伝えることができる。

これもまた、法則である。主はヨシュアに対しても同じことを言われた。
ヨシュア1:7 ただ強く、また雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法をことごとく守って行い、これを離れて右にも左にも曲ってはならない。それはすべてあなたが行くところで、勝利を得るためである。
 1:8 この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。

御言葉を守り行い、祝福のまっただ中を歩む皆様の人生でありますように!

それぞれ与えられた賜物と役割をもってキリストのからだを建て上げる(1歴代誌27:1-34)
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第一歴代誌の終わりが近づいてきたが、第一歴代誌は、ダビデ王が、ソロモンをはじめとするイスラエルの主だった人々全てに対し、神殿建設の最終的な指示をする場面で終わるが、その布石として、色々な分野の組織や長、その数が記されている。

 27:1 イスラエルの子孫のうちで氏族の長、千人の長、百人の長、およびつかさたちは年のすべての月の間、月ごとに交替して組のすべての事をなして王に仕えたが、その数にしたがえば各組二万四千人あった。

27章は、1−15節には軍事面での組織と長たちが記されており、続く16-22節は行政的な長たちが記されている。

 27:16 なおイスラエルの部族を治める者たちは次のとおりである。ルベンびとのつかさはヂクリの子エリエゼル。シメオンびとのつかさはマアカの子シパテヤ。
・・・
 27:23 しかしダビデは二十歳以下の者は数えなかった。主がかつてイスラエルを天の星のように多くすると言われたからである。
 27:24 ゼルヤの子ヨアブは数え始めたが、これをなし終えなかった。その数えることによって怒りがイスラエルの上に臨んだ。またその数はダビデ王の歴代志に載せなかった。

この23-24節の挿話は、21章のダビデによる人口調査とは別物で、それよりも、もっと以前の出来事と思われる。
なぜなら、21章の人口調査はその数は記録されたがここでは「数は載せられなかった」とあり、また、7節に登場するヨアブの兄弟アサエルは、ダビデが全イスラエルの王になる前、サウルの将軍であったアブネルによって殺されているからである。

神のなさる事は、人は数え切れない。
もし数えてそれを人が管理しようとするなら、それは神のわざを人間が塞いでしまう行為であり、神よりも人のほうを上とする主従関係の逆転である。
だから教会の運営も、神が運営して下さるままに為して行くべきであり、決して、人が目標や計画を立ててそれを神に補佐していただくものではない。

25-31節には、王家の財産や経済的な長が記され、32節以降は、ダビデ王の側近で重要な役割を担った人達が記されている。
これらの人々が、ダビデ王の指揮のもと、こぞって神殿建設に携わっていく。

御国の民のの中心は、神殿、すなわち礼拝生活であり、神に捧げる事である。
当時、神殿を中心に、イスラエルに様々な役割を持った人々が使えたように、現在は教会において神は様々な役割を持つ人をお立てになった。

エペソ4:11 そして彼は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を牧師、教師として、お立てになった。

神は一人一人にそれぞれの得意分野を与え、ダビデ王の時代には、ある人には軍事、ある人には経済と、それぞれ神のために役割を果たしていったように、現在の私達も、おのおの計り与えられた賜物の応じて、それぞれが、それぞれ神に対する役割を果たして行くべきである。
次のように記されている通りである。

エペソ4:12 それは、聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ、キリストのからだを建てさせ、
4:13 わたしたちすべての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るためである。
4:14 こうして、わたしたちはもはや子供ではないので、だまし惑わす策略により、人々の悪巧みによって起る様々な教の風に吹きまわされたり、もてあそばれたりすることがなく、
4:15 愛にあって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達するのである。
4:16 また、キリストを基として、全身はすべての節々の助けにより、しっかりと組み合わされ結び合わされ、それぞれの部分は分に応じて働き、からだを成長させ、愛のうちに育てられていくのである。

門衛となって聖なる所を守れ(1歴代誌26:1-32)
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26:1 門を守る者の組は次のとおりである。すなわちコラびとのうちでは、アサフの子孫のうちのコレの子メシレミヤ。

26章は、主の宮の門や宝物庫を守る門衛の組み分けが記されている。
門衛というと今で言う所の警備員である。コンサート会場では、皆の前で歌う人に比べれば警備員は全く見向きもされないかもしれないが、ことに、主の宮において門衛は、歌う人、奉仕をする人に負けず劣らず大切である。
実際、門衛についての記述は、前章の聖歌隊の記述よりも文面が多く割かれている。

門衛は、出入り口に立ち、汚れた者、不法な者が出入りしないように守る。

黙示録21:25 都の門は、終日、閉ざされることはない。そこには夜がないからである。
21:26 人々は、諸国民の光栄とほまれとをそこに携えて来る。
21:27 しかし、汚れた者や、忌むべきこと及び偽りを行う者は、その中に決してはいれない。はいれる者は、小羊のいのちの書に名をしるされている者だけである。

黙示録におけるまことのエルサレムには、不法者は一切入れないように、今、私達という生ける神の宮については、私達自身が、私達の門、すなわち、目や耳、口という出入り口をガードする役割が、私達に与えられている。

2コリント6:15 キリストとベリアルとなんの調和があるか。信仰と不信仰となんの関係があるか。
 6:16 神の宮と偶像となんの一致があるか。わたしたちは、生ける神の宮である。神がこう仰せになっている、/「わたしは彼らの間に住み、/かつ出入りをするであろう。そして、わたしは彼らの神となり、/彼らはわたしの民となるであろう」。
 6:17 だから、「彼らの間から出て行き、/彼らと分離せよ、と主は言われる。そして、汚れたものに触れてはならない。触れなければ、わたしはあなたがたを受けいれよう。
 6:18 そしてわたしは、あなたがたの父となり、/あなたがたは、/わたしのむすこ、むすめとなるであろう。全能の主が、こう言われる」。

この、私達という生ける神の宮をしっかりガードするなら、その人は豊かに祝福される。

26:4 オベデ・エドムの子たちは、長子はシマヤ、次はヨザバデ、第三はヨア、第四はサカル、第五はネタネル、
26:5 第六はアンミエル、第七はイッサカル、第八はピウレタイである。神が彼を祝福されたからである。

主は、門衛をするオベデ・エドムを祝福された、と書いてある。
彼の子孫には、有力者が出て、子孫の数も増えて行った事が続く節にあるが、23章以降に登場する神殿奉仕者の中に、「彼を祝福した」とわざわざ記述された事はなかった。
聖なる門の出入りを守る者は、確かに祝福を受けるのだ。

26:13 彼らはそれぞれ門のために小なる者も、大なる者も等しく、その氏族にしたがってくじを引いた。
26:14 東の門のくじはシレミヤに当った。また彼の子で思慮深い議士ゼカリヤのためにくじを引いたが、北の門のくじがこれに当った。

門衛の奉仕もまた、くじによってその分担が割り当てられ、人の意図は一切排除された。
続いて、聖なるものを保管する宝物倉の奉仕者についてである。

26:20 レビびとのうちアヒヤは神の宮の倉および聖なる物の倉をつかさどった。
26:21 ラダンの子孫すなわちラダンから出たゲルションびとの子孫で、ゲルションびとの氏族の長はエヒエリである。
26:22 エヒエリ、ゼタムおよびその兄弟ヨエルの子たちは主の宮の倉をつかさどった。

私達は、倉である。
善人は良い心の倉から良い物を取り出し。悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。心からあふれ出ることを、口が語るものである。(ルカ6:45)
だから、私達自身という倉に、良い物をたくわえ、悪いものは排除する管理責任は、私達にある。
ネヘミヤは、邪悪な者が神の宮の部屋を私物化して占有している事を許さず、それを外に投げ出したように(ネヘミヤ13:4-9)、私達も自分の中に邪悪な者と結託しているものを外へ投げやるべきである。

預言的賛美(1歴代誌25:1-31)
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25章は、賛美の歌声や色々な楽器をもって主を褒め称える聖歌隊の編成である。

25:1 ダビデと軍の長たちはまたアサフ、ヘマンおよびエドトンの子らを勤めのために分かち、琴と、立琴と、シンバルをもって預言する者にした。その勤めをなした人々の数は次のとおりである。

奉仕はアサフ、ヘマン、エドトンの指揮下にあり、三者はそれぞれレビ族のゲルション、ケハテ、メラリの子孫である。(6:33,39,44)

ここで特筆すべき事は、彼らは神殿において、琴と、立琴と、シンバルをもって「預言」した事だ。
「演奏した」ではなく、楽器をもって預言をしたのだ。

預言と訳された言葉「ナーバー」には預言する事の意味の他、恍惚状態になって霊に導かれた事を語る事の意味もある。
サウルは、悪霊にはげしく臨まれて家の中で「狂いわめいた(ナーバー:預言した)」事が書いてあるように(1サムエル記18:10-11)、霊によくよく気をつけ、吟味するべきである。

預言的な賛美というものがある。
預言は神から言葉を預かって、それを人に届けるものだが、ある人は、この楽器のメロディが伴われた御言葉の宣言 - それは賛美集会とも預言集会とも言える集会 - の中において、心刺され、癒され、解放される。
アサフやヘマン、エトドン、共々、詩篇の作者であるが、彼らが霊に促されて記した預言の詩篇は、現代の私達にはどのようなメロディに載せられて宣言したのかは分からないが、しかし、彼らが霊に促されて記した詩篇は、確かに読むだけで心刺され、癒やされ、解放される力がある。

旧約・ダビデの時代にそれがなされたように、新約でも、預言の集会は教会で為され、その際の注意事項が、パウロにより、第一コリント14章に記されている。

1コリント14:1 愛を追い求めなさい。また、霊の賜物を、ことに預言することを、熱心に求めなさい。
14:2 異言を語る者は、人にむかって語るのではなく、神にむかって語るのである。それはだれにもわからない。彼はただ、霊によって奥義を語っているだけである。
14:3 しかし預言をする者は、人に語ってその徳を高め、彼を励まし、慰めるのである。
14:4 異言を語る者は自分だけの徳を高めるが、預言をする者は教会の徳を高める。
14:5 わたしは実際、あなたがたがひとり残らず異言を語ることを望むが、特に預言をしてもらいたい。教会の徳を高めるように異言を解かない限り、異言を語る者よりも、預言をする者の方がまさっている。

預言は、ダビデの時代は神殿に集う人達全体の徳を高め、教会時代は教会の徳を高めた。

その預言的賛美をするにおいて、ダビデが重視したのは、秩序である。

25:2 アサフの子たちはザックル、ヨセフ、ネタニヤ、アサレラであって、アサフの指揮のもとに王の命によって預言した者である。
・・・
25:6 これらの者は皆その父の指揮の下にあって、主の宮で歌をうたい、シンバルと立琴と琴をもって神の宮の務をした。アサフ、エドトンおよびヘマンは王の命の下にあった。
25:7 彼らおよび主に歌をうたうことのために訓練され、すべて熟練した兄弟たちの数は二百八十八人であった。

その奉仕者は「訓練され」「熟練した」者達であった。
歌において、あるいは楽器の巧みさにおいて熟練され、それのみならず、霊性において熟練していなければ、その奉仕者として立てられない。
1節では、この奉仕はダビデの一存のみならず、長達からも認められた者でなければならなかった。

教会の礼拝における奉仕も、単にテクニックに優れたというだけではなく、霊性において「訓練され」「熟練した」者達でなければ、奉仕はしてはならない。
パウロもまた、異言や預言において重視したのは、秩序であった。

14:23 もし全教会が一緒に集まって、全員が異言を語っているところに、初心者か不信者かがはいってきたら、彼らはあなたがたが気が変になったと言うだろう。
14:24 しかし、全員が預言をしているところに、不信者か初心者がはいってきたら、彼の良心はみんなの者に責められ、みんなの者にさばかれ、
14:25 その心の秘密があばかれ、その結果、ひれ伏して神を拝み、「まことに、神があなたがたのうちにいます」と告白するに至るであろう。
14:26 すると、兄弟たちよ。どうしたらよいのか。あなたがたが一緒に集まる時、各自はさんびを歌い、教をなし、啓示を告げ、異言を語り、それを解くのであるが、すべては徳を高めるためにすべきである。
14:27 もし異言を語る者があれば、ふたりか、多くて三人の者が、順々に語り、そして、ひとりがそれを解くべきである。
14:28 もし解く者がいない時には、教会では黙っていて、自分に対しまた神に対して語っているべきである。
14:29 預言をする者の場合にも、ふたりか三人かが語り、ほかの者はそれを吟味すべきである。
14:30 しかし、席にいる他の者が啓示を受けた場合には、初めの者は黙るがよい。
14:31 あなたがたは、みんなが学びみんなが勧めを受けるために、ひとりずつ残らず預言をすることができるのだから。
14:32 かつ、預言者の霊は預言者に服従するものである。
14:33 神は無秩序の神ではなく、平和の神である。

教会においては、一人の人に預言が与えられたなら、それまで語っていた人は黙るように、パウロは指示した。秩序正しく行われるためである。
コロサイ3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。あなたがたが召されて一体となったのは、このためでもある。いつも感謝していなさい。
3:16 キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。そして、知恵をつくして互に教えまた訓戒し、詩とさんびと霊の歌とによって、感謝して心から神をほめたたえなさい。

現代、教会においては、御言葉のメッセージや預言の言葉に心刺されたり、癒やされたりするが、パウロの時代の教会やダビデの時代の神殿では、預言の言葉や御言葉に、さらに霊に促された奏者によって導かれるメロディが加わり、明るい音色や暗い音色、早いテンポやゆったりしたテンポが御霊により巧みに奏でられ、今の私達には想像できないような、霊において濃厚な礼拝が為されていたのだろう。

ダビデの時代、その奉仕者は血筋においても練達においても申し分の無い奉仕者が立てられたが、いつ、どのような奉仕をするかは、前章の祭司のように、くじ引きにより神から示され、人の意図によってではなかった。

25:8 彼らは小なる者も、大なる者も、教師も生徒も皆ひとしくその務のためにくじを引いた。
25:9 第一のくじはアサフのためにヨセフに当り、第二はゲダリヤに当った。彼とその兄弟たちおよびその子たち、合わせて十二人。
・・・
25:30 第二十三はマハジオテに当った。その子たちおよびその兄弟たち、合わせて十二人。
25:31 第二十四はロマムテ・エゼルに当った。その子たちおよびその兄弟たち、合わせて十二人であった。

現代、当時のような預言的賛美が回復されるよう、私達は、祈りに覚えるべきである。

祭司の奉仕(1歴代誌24:1-31)
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23章に続き、24章は祭司の奉仕分担である。

24:1 アロンの子孫の組は次のとおりである。すなわちアロンの子らはナダブ、アビウ、エレアザル、イタマル。
24:2 ナダブとアビウはその父に先だって死に、子がなかったので、エレアザルとイタマルが祭司となった。

祭司はアロンの血筋であると、主は指定された。
次のように書いてある。
ヘブル 5:1 大祭司なるものはすべて、人間の中から選ばれて、罪のために供え物といけにえとをささげるように、人々のために神に仕える役に任じられた者である。
5:4 かつ、だれもこの栄誉ある務を自分で得るのではなく、アロンの場合のように、神の召しによって受けるのである。
ゆえに、祭司たるものは、血において相応しくない者がなるのでなく、主が指定された血筋によって成るものであり、主に呼びだされたものがなるのである。
私達はキリストを信じる信仰によって、もはや人の血によってではなく、ただ神によって生まれたのであり(ヨハネ1:13)、祭司としての勤めが与えられた。

さらにその子孫の中から、それぞれ部族ごとに分け、その中から勤めのグループを細分化した。

24:3 ダビデはエレアザルの子孫ザドクとイタマルの子孫アヒメレクの助けによって彼らを分けて、それぞれの勤めにつけた。
24:4 エレアザルの子孫のうちにはイタマルの子孫のうちよりも長たる人々が多かった。それでエレアザルの子孫で氏族の長である十六人と、イタマルの子孫で氏族の長である者八人にこれを分けた。
24:5 このように彼らは皆ひとしく、くじによって分けられた。聖所のつかさ、および神のつかさは、ともにエレアザルの子孫とイタマルの子孫から出たからである。

祭司はただ神によって召された者がその勤めをなすが、その、神の家での「つとめ」もまた、人の考えに依らず、ただ神によって「くじ」で選ばれる。

24:7 第一のくじはヨアリブに当り、第二はエダヤに当り、
24:8 第三はハリムに、第四はセオリムに、
・・・
24:19 これは、彼らの先祖アロンによって設けられた定めにしたがい、主の家にはいって務をなす順序であって、イスラエルの神、主の彼に命じられたとおりである。

以上のように、人の知恵によらず、人の選びによらず、ただ主に選ばれた人々が祭司の勤めを果たした。
ルカ1章の、バブテスマのヨハネの父ザカリヤも、アビヤの組の祭司で、くじによって主に奉仕が選ばれ、そして、彼が神殿で奉仕する時に、主のお告げを受けたのだ。

24:20 このほかのレビの子孫は次のとおりである。すなわちアムラムの子らのうちではシュバエル。シュバエルの子らのうちではエデヤ。
・・・
24:31 これらの者もまた氏族の兄もその弟も同様に、ダビデ王と、ザドクと、アヒメレクと、祭司およびレビびとの氏族の長たちの前で、アロンの子孫であるその兄弟たちのようにくじを引いた。

レビ人も、同様に主から選ばれた血筋の者であり、奉仕も、くじによる主の選びによる。
私達は、イエス様にあって、王族の祭司、聖なる国民として選ばれた者である。
神と人との間に立ち、自分の思いではなく主の御心を選び、祭司とされた者としてのつとめを果たしていくみなさんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

秩序正しく行うべき礼拝の奉仕(1歴代誌23:1-32)
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ダビデは、神殿建設の準備を周到に行ったが、晩年は、神の国イスラエルにおける要職の役割分担を細かく定めた。
特に心を注いだのは、神殿奉仕である。

23:1 ダビデは老い、その日が満ちたので、その子ソロモンをイスラエルの王とした。

ダビデは、まず、ソロモンに王位を継がせる。
そして真っ先に定めたのは、神殿奉仕をする者達であり、この23章は、レビ人の組み分けを細かく行った事が記されている。

23:2 ダビデはイスラエルのすべてのつかさおよび祭司とレビびとを集めた。
23:3 レビびとの三十歳以上のものを数えると、その男の数が三万八千人あった。

レビ人として登録されるのは30歳以上の男子である。

23:4 ダビデは言った、「そのうち二万四千人は主の家の仕事をつかさどり、六千人はつかさびと、およびさばきびととなり、
23:5 四千人は門を守る者となり、また四千人はさんびのためにわたしの造った楽器で主をたたえよ」。

正式に奉仕に当る事が出来るのは、30歳以上の男子である。(民数記4:2-3)
彼らは主の家の仕事を「司った」。何を司ったのか。
24節と27節に、「20歳以上」のレビ人達が奉仕の仕事をする事が記されているが、すなわち、30歳以上は20-29歳の若いレビ人達を統率し、教育しつつ、組織的に神殿の奉仕に当たったのだろう。

23:6 そしてダビデは彼らをレビの子らにしたがってゲルション、コハテ、メラリの組に分けた。
23:7 ゲルションの子らはラダンとシメイ。

ダビデはレビ人の奉仕者を、部族ごとに分けて、奉仕分担の組織をたてた。
それぞれの仕事に、それに相応しい奉仕者をたてて、相応しくない者はそこに置かない。
なぜなら主の宮の奉仕は聖なるつとめであり、正しく行うべきものだからだ。

新約・第一コリントにも、礼拝では秩序正しく行うべき事を、パウロは指示している。
14:33 それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。聖徒たちのすべての教会で行なわれているように、
14:40 ただ、すべてのことを適切に、秩序をもって行ないなさい。

新約においては、教会が主の宮であり、そして、私達キリスト者が主の住まわれる神殿である。

3:16 あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。
3:17 もし人が、神の宮を破壊するなら、神はその人を滅ぼすであろう。なぜなら、神の宮は聖なるものであり、そして、あなたがたはその宮なのだからである。

そうであるからには、私達が誠実・自制をもって自らの体を正しく保ち、コントロールし、メンテナンスするべきである。

23:25 ダビデは言った、「イスラエルの神、主はその民に平安を与え、ながくエルサレムに住まわれる。
23:26 レビびとは重ねて幕屋およびその勤めの器物をかつぐことはない。
23:27 ――ダビデの最後の言葉によって、レビびとは二十歳以上の者が数えられた――

ダビデは、レビ人の奉仕を宣言した。
神殿が無かった時代、主の宮は移動式の幕屋であり、レビ人が各々の部族に従って、幕屋を運搬する奉仕分担を神によって指示されたが、神殿が建てられるなら、運ぶ奉仕はなくなる。
しかしその代わり、主の宮において仕事をする奉仕がある。それに当たらなくてはならない。

現代、私達・神の神殿は、組織的に、ひとつとなって、まことの大祭司キリストに熱心に仕える者であり、そして、私達一人ひとりが祭司であり、王である。
誠実に、自制をもって、主への奉仕を秩序正しくしていくべきである。

神の国を建て上げる事が出来るのは、平和な者(1歴代誌22:1-19)
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22:1 それでダビデは言った、「主なる神の家はこれである、イスラエルのための燔祭の祭壇はこれである」と。

ダビデは主のために家を建てたいと願って来たが、主が言われたのは、あなたは家を建ててはならない、むしろ、わたしがあなたのために永遠の家を建てるのだ、と、17章で主が仰せられている。
前回の所では、自らの罪ゆえの災いを被ってしまったが、しかしそれがきっかけで、エブス人オルナンの打ち場こそ、その、主の宮となるべき所だと悟り、ダビデは「これこそ、その場所だ」と言った。
それで早速、ダビデは準備のための行動を起こす。

22:2 ダビデは命じてイスラエルの地にいる他国人を集めさせ、また神の家を建てるのに用いる石を切るために石工を定めた。
22:3 ダビデはまた門のとびらのくぎ、およびかすがいに用いる鉄をおびただしく備えた。また青銅を量ることもできないほどおびただしく備えた。
22:4 また香柏を数えきれぬほど備えた。これはシドンびととツロの人々がおびただしく香柏をダビデの所に持って来たからである。

ダビデ自身は主の宮を建てる事はできなかったものの、準備は出来た。
彼の生涯の前半は、イスラエル周辺を戦いによって平定する事に心血を注ぎ、後半は、神殿建設のための準備に心血を注いだ。

22:5 ダビデは言った、「わが子ソロモンは若く、かつ経験がない。また主のために建てる家はきわめて壮大で、万国に名を得、栄えを得るものでなければならない。それゆえ、わたしはその準備をしておこう」と。こうしてダビデは死ぬ前に多くの物資を準備した。

ダビデは「主のために建てる家はきわめて壮大で、万国に名を得、栄えを得るものでなければならない。」と言ったように、それは全世界の人々を前に、スケールにおいても細微さにおいても美しさにおいても全ての面において抜きん出たものでなくてはならない。
それは、「きよい事」「聖である事」においても、同様である。
この神殿が、きよく、聖なるものとしなくてはならないという点において、ダビデは、神殿を建てる事が出来なかった。

22:7 すなわちダビデはソロモンに言った、「わが子よ、わたしはわが神、主の名のために家を建てようと志していた。
22:8 ところが主の言葉がわたしに臨んで言われた、『おまえは多くの血を流し、大いなる戦争をした。おまえはわたしの前で多くの血を地に流したから、わが名のために家を建ててはならない。

ダビデは主の前に(原意:主の顔の前に)、多くの血を流して来た。
もっとも彼は、いつも周囲から戦いを挑まれて仕方なくであったものの、聖なる宮は、血で汚れた者の手で建設される事は、ふさわしくない。
それは神の前でもそうであるが、同時に、人の前でもそうである。

もしダビデが神殿を建設したとしたら、ダビデが戦った戦争において負けた国々、肉親がダビデによって殺された人が、果たして、彼が建てた神殿を心よく思うだろうか。
神の国の建て上げは、そのような、後ろ指を指されるようなものであってはならない。
神の宮は、平和の人が建てなくてはならず、主のミニストリーは、戦いや血を流す事によって建て上げられてはならない。

22:9 見よ、男の子がおまえに生れる。彼は平和の人である。わたしは彼に平安を与えて、周囲のもろもろの敵に煩わされないようにしよう。彼の名はソロモンと呼ばれ、彼の世にわたしはイスラエルに平安と静穏とを与える。
22:10 彼はわが名のために家を建てるであろう。彼はわが子となり、わたしは彼の父となる。わたしは彼の王位をながくイスラエルの上に堅くするであろう』。

ソロモン(シェロモ)は、シャローム(平安)という言葉が元である。
エルサレムの名は、平和の礎、平和の町という意味もある。神の宮は、平安な人によってこそ建て上げられる。

7:1 このメルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司であったが、王たちを撃破して帰るアブラハムを迎えて祝福し、
7:2 それに対して、アブラハムは彼にすべての物の十分の一を分け与えたのである。その名の意味は、第一に義の王、次にまたサレムの王、すなわち平和の王である。
7:3 彼には父がなく、母がなく、系図がなく、生涯の初めもなく、生命の終りもなく、神の子のようであって、いつまでも祭司なのである。

メルキゼデク、すなわち義の王であられると同時に、平和の王であられるイエス様は「平和の君」として現れて下さった。
それゆえに、罪の中を歩んでいる私達を、罪を犯したからといってすぐに裁くのではなく、立ち返るための憐れみの期間を設けてくださり、それ故、私達は主に立ち返って救われた。
それだから、イエス様こそまことの神殿として、まことの大祭司として、そしてまことの王として相応しいお方である。
神殿は、平和の君によってこそ建て上げられるからである。
イエス様はやがて、戦いに長けた君として来られ、あらゆる死を、あらゆる悪を滅ぼし、悪魔サタンを永遠の火に投げ込み、真の平和をもたらして下さる。

22:11 それでわが子よ、どうか主があなたと共にいまし、あなたを栄えさせて、主があなたについて言われたように、あなたの神、主の家を建てさせてくださるように。
22:12 ただ、どうか主があなたに分別と知恵を賜い、あなたをイスラエルの上に立たせられるとき、あなたの神、主の律法を、あなたに守らせてくださるように。
22:13 あなたがもし、主がイスラエルについてモーセに命じられた定めとおきてとを慎んで守るならば、あなたは栄えるであろう。心を強くし、勇め。恐れてはならない、おののいてはならない。

ダビデは、ソロモンが力強く神殿を建てられるよう祝福し、そして主の道を正しく歩むように諭した。
ソロモンは確かに神殿を立派に建て上げたが、しかしその栄華が極まった時、残念ながら、彼は驕り高ぶり、人生の後半は、主の道から外れてしまった。

22:14 見よ、わたしは苦難のうちにあって主の家のために金十万タラント、銀百万タラントを備え、また青銅と鉄を量ることもできないほどおびただしく備えた。また材木と石をも備えた。あなたはまたこれに加えなければならない。
22:15 あなたにはまた多数の職人、すなわち石や木を切り刻む者、工作に巧みな各種の者がある。
22:16 金、銀、青銅、鉄もおびただしくある。たって行いなさい。どうか主があなたと共におられるように」。

ダビデはこのように、自分は神殿を建てる事は出来なかったものの、力の限り、そのための準備を行った。
私達は、自分自身をきよく、平和の内に保ち、神の国の建て上げにいそしんでいく者でありたい。

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