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メッセージ - 2列王記カテゴリのエントリ

二人の主人に仕えようとして災いに遭ってしまったサマリヤ人(2列王記17:24-41)
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17:24 かくてアッスリヤの王はバビロン、クタ、アワ、ハマテおよびセパルワイムから人々をつれてきて、これをイスラエルの人々の代りにサマリヤの町々におらせたので、その人々はサマリヤを領有して、その町々に住んだ。

北イスラエル王国は、ただ戦争に負けたのではない。負けたのみならず、故郷の地を追い出され、遠い異国へと捕囚の民として連れて行かれたのだ。
なぜそこまで徹底して打ち負かされたのか。それは、神が許されたからである。
アッシリヤの神のほうがイスラエルの神よりも強いのではない。元々、主の他に神々はいない。
ただ、神が許可されたから、アッシリヤは大国となり、イスラエルに勝利する事が出来たのだ。
その証拠に、次の出来事が起きる。

17:25 彼らがそこに住み始めた時、主を敬うことをしなかったので、主は彼らのうちにししを送り、ししは彼らのうちの数人を殺した。
17:26 そこで人々はアッスリヤの王に告げて言った、「あなたが移してサマリヤの町々におらせられたあの国々の民は、その地の神のおきてを知らないゆえに、その神は彼らのうちにししを送り、ししは彼らを殺した。これは彼らが、その地の神のおきてを知らないためです」。

サマリヤに入植した人達は、ライオンがこの国に送られたのは、イスラエルの神である、と、明らかに分かったのだ。
それだからこそ、彼らは本国アッシリヤに「ライオンを掃討する軍隊を送って下さい」ではなく「その地の神のおきてを知らないゆえに、その神は彼らのうちにししを送り、ししは彼らを殺した」と報告したのだ。

17:27 アッスリヤの王は命じて言った、「あなたがたがあそこから移した祭司のひとりをあそこへ連れて行きなさい。彼をあそこへやって住まわせ、その国の神のおきてをその人々に教えさせなさい」。
17:28 そこでサマリヤから移された祭司のひとりが来てベテルに住み、どのように主を敬うべきかを彼らに教えた。

アッシリヤの王は、事態を重く見て、これは神の問題だから、神の祭司を送って、神を畏れ敬う事を教えさせよう、と、対応策を取った。
主を「礼拝」する事よりも、主を「恐れる」事のほうが、重要である。
なぜなら、主を恐れる心なく形式だけの礼拝をする者と、主を礼拝できなくても主を恐れる心を持つ者と、主がどちらを守られるかというと、後者のほうだからだ。
しかし、サマリヤに入植した人々は、主を畏れ敬う心は育たなかった。以下に記されている通りである。

17:29 しかしその民はおのおの自分の神々を造って、それをサマリヤびとが造った高き所の家に安置した。民は皆住んでいる町々でそのようにおこなった。
17:30 すなわちバビロンの人々はスコテ・ベノテを造り、クタの人々はネルガルを造り、ハマテの人々はアシマを造り、
17:31 アワの人々はニブハズとタルタクを造り、セパルワイムびとはその子を火に焼いて、セパルワイムの神アデランメレクおよびアナンメレクにささげた。
17:32 彼はまた主を敬い、自分たちのうちから一般の民を立てて高き所の祭司としたので、その人々は高き所の家で勤めをした。
17:33 このように彼らは主を敬ったが、また彼らが出てきた国々のならわしにしたがって、自分たちの神々にも仕えた。

主を敬うが、それと同時に、自前の神々にも仕える。
サマリヤにおいては、この習慣がイエス様の時代に至るまでもずっと続けられたが故に、イエス様の時代、サマリヤ人は蔑まれるべき者達としてユダヤの人々から見られていたのだ。
イエス様も言われた。
ルカ16:13 どの僕でも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」。

17:34 今日に至るまで彼らは先のならわしにしたがっておこなっている。彼らは主を敬わず、また主がイスラエルと名づけられたヤコブの子孫に命じられた定めにも、おきてにも、律法にも、戒めにも従わない。
17:35 主はかつて彼らと契約を結び、彼らに命じて言われた、「あなたがたは他の神々を敬ってはならない。また彼らを拝み、彼らに仕え、彼らに犠牲をささげてはならない。
17:36 ただ大きな力と伸べた腕とをもって、あなたがたをエジプトの地から導き上った主をのみ敬い、これを拝み、これに犠牲をささげなければならない。

奴隷の国エジプトから開放したのは、イスラエルの神、主である。そのお方を差し置いて別の神々も拝む事は、霊的姦淫である。
浮気する者を浮気された人が許さないように、神も、そのような事をする者は許さない。

17:40 しかし彼らは聞きいれず、かえって先のならわしにしたがっておこなった。
17:41 このように、これらの民は主を敬い、またその刻んだ像にも仕えたが、その子たちも、孫たちも同様であって、彼らはその先祖がおこなったように今日までおこなっている。

今日とは、この列王記が書き終わったバビロン捕囚の時代に至るまで、のみならず、イエス様の時代に至るまで、ずっとそれを続けてきた。
サマリヤに入植した人々は、「その先祖が」おこなったように、今日までおこなっている。
「その先祖」とは、アッシリヤ捕囚時代前の、北イスラエル王国の人々だ。
彼らはまさに、北イスラエル王国が発足したヤロブアム王の時代以降、神である主を礼拝するのと同時に、他の神々を拝んで来た。
そのような事を行い続けて行くなら、滅びが待ち受けている。

ホセア10:1 イスラエルは実を結ぶ茂った/ぶどうの木である。その実を多く結ぶにしたがって、祭壇を増し、その地の豊かなるにしたがって、柱の像を麗しくした。
10:2 彼らの心は偽りである。今、彼らはその罪を負わなければならない。主はその祭壇をこわし、その柱の像を砕かれる。
10:3 今、彼らは言う、「われわれは主を恐れないので、われわれには王がない。王はわれわれのために何をなしえようか」と。
10:4 彼らはむなしき言葉をいだし、偽りの誓いをもって契約を結ぶ。それゆえ、さばきは畑のうねの毒草のように現れる。

イスラエルは栄えるにつれて、傲慢になり、神でないものを神とし、警告を受けてもそれに従わず、かえって自分の道を貫いた。
それで神の裁きが彼らに追いついてしまい、アッシリヤによって散り散りにされてしまった。

私達は、主の御言葉から右にも左にもそれず、昼も夜も御言葉を口ずさみ、ヨシュアのように、またダビデのように、祝福の王道を歩む物でありたい。
詩篇1:1 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
1:2 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。
1:3 このような人は流れのほとりに植えられた木の/時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。

ついに滅亡に追いつかれてしまった北イスラエル王国(2列王記17:1-23)
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今回の箇所でいよいよ北イスラエル王国は滅亡し、人々はアッシリヤへ連行されて行く。
17:1 ユダの王アハズの第十二年にエラの子ホセアが王となり、サマリヤで九年の間、イスラエルを治めた。
17:2 彼は主の目の前に悪を行ったが、彼以前のイスラエルの王たちのようではなかった。
17:3 アッスリヤの王シャルマネセルが攻め上ったので、ホセアは彼に隷属して、みつぎを納めたが、
17:4 アッスリヤの王はホセアがついに自分にそむいたのを知った。それはホセアが使者をエジプトの王ソにつかわし、また年々納めていたみつぎを、アッスリヤの王に納めなかったからである。そこでアッスリヤの王は彼を監禁し、獄屋につないだ。
17:5 そしてアッスリヤの王は攻め上って国中を侵し、サマリヤに上ってきて三年の間、これを攻め囲んだ。
17:6 ホセアの第九年になって、アッスリヤの王はついにサマリヤを取り、イスラエルの人々をアッスリヤに捕えていって、ハラと、ゴザンの川ハボルのほとりと、メデアの町々においた。

ホセアは北イスラエル王国最後の王となった。
彼は大国アッシリヤが攻めてきた時、表向きは従うそぶりを見せても、心の内はそうではなかった。
それに気づかれて、彼は逮捕され、彼らが本拠地としていたサマリヤは包囲され、占領され、そしてイスラエル民族はアッシリヤに連行され、今なお彼らがどこへ行ってしまったのか、その捜索がユダヤ人によって続けられている。
どうしてこのような事が起きてしまったのか。その理由が続く節に書いてある。

17:7 この事が起ったのは、イスラエルの人々が、自分たちをエジプトの地から導き上って、エジプトの王パロの手をのがれさせられたその神、主にむかって罪を犯し、他の神々を敬い、
17:8 主がイスラエルの人々の前から追い払われた異邦人のならわしに従って歩み、またイスラエルの王たちが定めたならわしに従って歩んだからである。

まず真っ先に記された理由は、イスラエルの神である主、すなわたエジプトという奴隷を強要させ続けてきた国から導きのぼり自由にして下さった主を捨て、軽んじるという「恩知らず」という罪に始まり、他の神々を敬い、異邦人のならわしに従って歩んだからである。

私達も主に、悪魔サタンから、罪と死という奴隷状態を強要する者から救っていただいた。それも、御子キリストが私達に代わって、あのむごい十字架につけられる事によって。
そこまでして私達を救って下さった主を軽んじるという事を続けるなら、どれ程恐ろしい災いを招く事だろうか。
また、主から示された御言葉に従う神の子としての歩みを捨てて、世のならわしに従う事も、主に忌み嫌われる事である。

17:9 イスラエルの人々はその神、主にむかって正しからぬ事をひそかに行い、見張台から堅固な町に至るまで、すべての町々に高き所を建て、
17:10 またすべての高い丘の上、すべての青木の下に石の柱とアシラ像を立て、
17:11 主が彼らの前から捕え移された異邦人がしたように、すべての高き所で香をたき、悪事を行って、主を怒らせた。
17:12 また主が彼らに「あなたがたはこの事をしてはならない」と言われたのに偶像に仕えた。

偶像礼拝、それは十戒の第二戒にある程に重要な禁止事項である。
偶像、それは何も神社仏閣に限るものではない。偶像礼拝とは、神でないものを、神以上に、神とする事だ。つまり神よりもお金や特定の人、特定のイデオロギーなどを優先するとするなら、それが偶像礼拝である。
コロサイ3:5 だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。

2列王記17:13 主はすべての預言者、すべての先見者によってイスラエルとユダを戒め、「翻って、あなたがたの悪い道を離れ、わたしがあなたがたの先祖たちに命じ、またわたしのしもべである預言者たちによってあなたがたに伝えたすべての律法のとおりに、わたしの戒めと定めとを守れ」と仰せられたが、
17:14 彼らは聞きいれず、彼らの先祖たちがその神、主を信じないで、強情であったように、彼らは強情であった。
この「強情である」は直訳するなら「うなじのこわい(KJV: hardened their necks)」、首がまがらない、すなわち、自分の思いや願い、自分の道を頑として変えない性質である。
すなわち、主から「道を変えなさい」「悔い改めなさい」という言葉を、預言者を通して語っておられるのに、それを無視し、あくまでわが道を変えない性質である。
預言者、すなわち御言葉を通して主の御旨を教え、戒めてくれる人を軽んじる者は、主を軽んじる事である。

17:15 そして彼らは主の定めを捨て、主が彼らの先祖たちと結ばれた契約を破り、また彼らに与えられた警告を軽んじ、かつむなしい偶像に従ってむなしくなり、また周囲の異邦人に従った。これは主が、彼らのようにおこなってはならないと彼らに命じられたものである。
主の御言葉は、むなしいものの真逆、真理なるものであり、尊い、聖なる、永遠のものである。だから、御言葉に親しく歩むなら、聖なる、尊い、永遠のものへと造り変えられて行く。
しかしもし、むなしいものを求め、それに親しく歩むとするなら、その者本人がむなしい者へとなってしまい、やがては消えてなくなる者になってしまう。

17:16 彼らはその神、主のすべての戒めを捨て、自分のために二つの子牛の像を鋳て造り、またアシラ像を造り、天の万象を拝み、かつバアルに仕え、
17:17 またそのむすこ、娘を火に焼いてささげ物とし、占いおよびまじないをなし、主の目の前に悪をおこなうことに身をゆだねて、主を怒らせた。

17:18 それゆえ、主は大いにイスラエルを怒り、彼らをみ前から除かれたので、ユダの部族のほか残った者はなかった。
彼らは神に捧げるという名目で、自分の息子や娘を火に焼く事さえした。なんのためか。それは結局、自分の欲望のためである。
自分の願望を叶えたいから、あるいは欲望を満たしたいから、自分の子を犠牲にし、占いをし、まじないをし、悪に身を委ねる。それは現代でも文明国と言われている日本でも行われているのではなかろうか。
そのような事は、主の怒りを引き起こしてしまう。

17:19 ところがユダもまたその神、主の戒めを守らず、イスラエルが定めたならわしに歩んだので、
17:20 主はイスラエルの子孫をことごとく捨て、彼らを苦しめ、彼らを略奪者の手にわたして、ついに彼らをみ前から打ちすてられた。
17:21 主はイスラエルをダビデの家から裂き離されたので、イスラエルはネバテの子ヤラベアムを王としたが、ヤラベアムはイスラエルに、主に従うことをやめさせ、大きな罪を犯させた。
17:22 イスラエルの人々がヤラベアムのおこなったすべての罪をおこない続けて、それを離れなかったので、
17:23 ついに主はそのしもべである預言者たちによって言われたように、イスラエルをみ前から除き去られた。こうしてイスラエルは自分の国からアッスリヤに移されて今日に至っている。

主は、すぐに滅ぼされたのではない。何百年も忍耐して待たれたのだ。
ヤロブアムが即位したのがBC931年、サマリヤ陥落したのがBC721年、実に200年以上も、北イスラエル王国に対して忍耐し、何度も預言者を送って立ち返らせようとしたが、結局北イスラエル王国からは一人も主に従う良い王が出たためしはなく、ついに憐れみの期間を使い果たし、滅ぼされ、ばらばらにされ、彼らがどこに行ってしまったのかわからないまま、21世紀の今日に至っているのだ。

主は、誰一人滅びる事を願ってはおられない。だから救いの手を差し伸ばしてくださった。
しかしもしその救いの手を跳ね除けるとするなら、救いようがない。
人は、自由意志によって滅びへの道を行ってしまった。だから、救いも、自由意志によるからだ。

エゼキエル18:30 それゆえ、イスラエルの家よ、わたしはあなたがたを、おのおのそのおこないに従ってさばくと、主なる神は言われる。悔い改めて、あなたがたのすべてのとがを離れよ。さもないと悪はあなたがたを滅ぼす。
18:31 あなたがたがわたしに対しておこなったすべてのとがを捨て去り、新しい心と、新しい霊とを得よ。イスラエルの家よ、あなたがたはどうして死んでよかろうか。
ここに、新しい心と、新しい霊を得るコツが書かれてある。
それは順番に見ていくなら、まず悔い改める事、とがを離れ、主に対して行った全てのとがを捨て去る事。
それでこそ、新しい心、新しい霊が与えられる。
人の心は倉のようなもので、キャパシティがある。だからまず、心の倉からむなしいものを投げ捨てなければ、新しい心が入りようがない。

18:32 わたしは何人の死をも喜ばないのであると、主なる神は言われる。それゆえ、あなたがたは翻って生きよ」。

主は、誰も滅びる事を望んでおられない。それで200年以上も待たれた。
今は恵みの時、主に立ち返るべき時である。この時を軽んじる事なく、御言葉に聞き従い、それを守り行う事によって、何をしても栄える道、祝福の道を右にも左にもそれずに歩んでいく皆さんでありますように。イエス様のお名前によって祝福します!

主から離れるなら祝福からも離れてしまう(2列王記16:10-20)
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アハズ王は、神である主を捨てて、異邦の神々を拝み、しかも自分の子を火にくぐらせる事までした故に、懲らしめの杖として、主はアラムの王レツィンとイスラエルの王ペカの連合軍を備え、南ユダ王国に手ひどく損害を与えられた。
しかしその中でも主は憐れみ、エルサレムは占領される事なく、また、北イスラエル王国に連れ去られてしまった20万の捕虜は、奴隷にされる事を免れ、返してもらう事が出来た。それは、北イスラエル王国が主の預言者の言葉に従ったからだ。
このように主に良くしていただいたにもかかわらず、アハズ王は主に立ち返るという事をしなかった。

16:10 アハズ王はアッスリヤの王テグラテピレセルに会おうとダマスコへ行ったが、ダマスコにある祭壇を見たので、アハズ王はその祭壇の作りにしたがって、その詳しい図面と、ひな型とを作って、祭司ウリヤに送った。
16:11 そこで祭司ウリヤはアハズ王がダマスコから送ったものにしたがって祭壇を建てた。すなわち祭司ウリヤはアハズ王がダマスコから帰るまでにそのとおりに作った。

彼はアッシリヤに助けを求めた。アッシリヤが強国だったからである。しかし、アッシリヤの暴力的な強制力により頼むなら、暴力的な強制力によって悩まされる事になる。
2歴代誌28:20 アッスリヤの王テルガデ・ピルネセルは彼の所に来たが、彼に力を添えないで、かえって彼を悩ました。
28:21 アハズは主の宮と王の家、およびつかさたちの家の物を取ってアッスリヤの王に与えたが、それはアハズの助けにはならなかった。

アハズ王はなぜ、ダマスコにある祭壇をイスラエルにも建てるような事をしたのか。
第二歴代誌のほうに、その動機が記されている。
2歴代誌28:22 このアハズ王はその悩みの時にあたって、ますます主に罪を犯した。
28:23 すなわち、彼は自分を撃ったダマスコの神々に、犠牲をささげて言った、「スリヤの王たちの神々はその王たちを助けるから、わたしもそれに犠牲をささげよう。そうすれば彼らはわたしを助けるであろう」と。しかし、彼らはかえってアハズとイスラエル全国とを倒す者となった。

つまりアハズは、彼を助けて下さった主に対する忠誠は一切なく、ただ、自分を救ってくれるなら神は誰でも良く、また、神は幾つでも良かったのだ。

2列王記16:12 王はダマスコから帰ってきて、その祭壇を見、祭壇に近づいてその上に登り、
16:13 燔祭と素祭を焼き、灌祭を注ぎ、酬恩祭の血を祭壇にそそぎかけた。

行いだけを見る、一見、律法で定められた礼拝を守っているかのように見えるが、捧げる相手が違う。
形式がどんなに立派であっても、肝心の「礼拝の対象」が違っていたら、それは主へ怒りを積み上げる反逆行為でしかない。

彼はさらに、元々主によって定められていた神殿の庭の配置を、また代々行われてきた礼拝形式を、変えてしまう。
16:14 彼はまた主の前にあった青銅の祭壇を宮の前から移した。すなわちそれを新しい祭壇と主の宮の間から移して、新しい祭壇の北の方にすえた。
16:15 そしてアハズ王は祭司ウリヤに命じて言った、「朝の燔祭と夕の素祭および王の燔祭とその素祭、ならびに国中の民の燔祭とその素祭および灌祭は、この大きな祭壇の上で焼きなさい。また燔祭の血と犠牲の血はすべてこれにそそぎかけなさい。あの青銅の祭壇をわたしは伺いを立てるのに用いよう」。
アハズは自分でこしらえさせた祭壇を「この大きな祭壇(KJV: great alter)」と呼び、元々、主に捧げ物を捧げるべき祭壇を、脇へ押しのけてしまった。
こうして、人々から礼拝を取り上げてしまった。

16:16 祭司ウリヤはアハズ王がすべて命じたとおりにおこなった。
祭司ウリヤは王の主に対する背信の罪を指摘するのでなく、かえってそれを助けた。王から祭司から腐敗していた時代である。

16:17 またアハズ王は台の鏡板を切り取って、洗盤をその上から移し、また海をその下にある青銅の牛の上からおろして、石の座の上にすえ、
16:18 また宮のうちに造られていた安息日用のおおいのある道、および王の用いる外の入口をアッスリヤの王のために主の宮から除いた。
これは、アッシリヤに媚びるためであった。しかしアッシリヤはイスラエルに何もしなかったどころか、かえってイスラエルを悩ました。
イスラエルが神殿の尊い金属を取ってアッシリヤに貢いだら、アッシリヤは「こいつは絞ればもっと絞れる」と見做して、もっと締め付けを強くしたのだ。
それが、主に頼まずに、世の力、強力な者にたよろうとする者の道である。
しかし主により頼む人は、そのような暴力とは無縁であり、恵みと祝福に満ち溢れる。

主を軽んじ、多くの災いを招いてしまったアハズ王(2列王記16:1-9)
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前回の所では、北イスラエル王国は戦国時代のように短期間の間に何度も政権が変わる様を見た。今回は再び、南ユダ王国の話である。

16:1 レマリヤの子ペカの第十七年にユダの王ヨタムの子アハズが王となった。
16:2 アハズは王となった時二十歳で、エルサレムで十六年の間、世を治めたが、その神、主の目にかなう事を先祖ダビデのようには行わなかった。
16:3 彼はイスラエルの王たちの道に歩み、また主がイスラエルの人々の前から追い払われた異邦人の憎むべきおこないにしたがって、自分の子を火に焼いてささげ物とした。
16:4 かつ彼は高き所、また丘の上、すべての青木の下で犠牲をささげ、香をたいた。

アハズはなんと、自分の子を火で焼いて偶像の神に捧げるまでの事をした。
自分の願い事が叶うためになら、子さえもいけにえにしてしまうような者は、主から恵みをいただく事はできない。

16:5 そのころ、スリヤの王レヂンおよびレマリヤの子であるイスラエルの王ペカがエルサレムに攻め上って、アハズを囲んだが、勝つことができなかった。
アハズはこの時、助けられはしたが、はなはだしい大損害を被った。

2歴代誌28:5 それゆえ、その神、主は彼をスリヤの王の手に渡されたので、スリヤびとは彼を撃ち破り、その民を多く捕虜として、ダマスコに引いて行った。彼はまたイスラエルの王の手にも渡されたので、イスラエルの王も彼を撃ち破って大いに殺した。
28:6 すなわちレマリヤの子ペカはユダで一日のうちに十二万人を殺した。皆勇士であった。これは彼らがその先祖の神、主を捨てたためである。
28:7 その時、エフライムの勇士ジクリという者が王の子マアセヤ、宮内大臣アズリカムおよび王に次ぐ人エルカナを殺した。
28:8 イスラエルの人々はついにその兄弟のうちから婦人ならびに男子、女子など二十万人を捕虜にし、また多くのぶんどり物をとり、そのぶんどり物をサマリヤに持って行った。

なんと、たった一日で戦士が十二万人も殺され、王の子や側近の者達が殺された。
そればかりでなく、婦人や男女二十万人もの人々が、捕虜にされ、連れて行かれ、また財産も多くぶんどり物として持って行かれてしまった。
その理由は明らかで「これは彼らがその先祖の神、主を捨てたためである。」(28:6)

ここまでされておきながらもエルサレムが守られたのは、ただ、主の憐れみである。
この時、アハズ王に預言者イザヤが遣わされ、主の言葉が伝えられた。
イザヤ7:3 その時、主はイザヤに言われた、「今、あなたとあなたの子シャル・ヤシュブと共に出て行って、布さらしの野へ行く大路に沿う上の池の水道の端でアハズに会い、
7:4 彼に言いなさい、『気をつけて、静かにし、恐れてはならない。レヂンとスリヤおよびレマリヤの子が激しく怒っても、これら二つの燃え残りのくすぶっている切り株のゆえに心を弱くしてはならない。

イザヤを通した主からの指示は「気をつけて、静かにし、恐れてはならない」だった。
主から「落ち着いて静かにしていなさい」と言われたからには、するべき事は、ただ、静かにする事だ。
そしてさらに、イザヤは王国が守られる事を預言する。

7:5 スリヤはエフライムおよびレマリヤの子と共にあなたにむかって悪い事を企てて言う、
7:6 「われわれはユダに攻め上って、これを脅かし、われわれのためにこれを破り取り、タビエルの子をそこの王にしよう」と。
7:7 主なる神はこう言われる、この事は決して行われない、また起ることはない。
7:8 スリヤのかしらはダマスコ、ダマスコのかしらはレヂンである。(六十五年のうちにエフライムは敗れて、国をなさないようになる。)
7:9 エフライムのかしらはサマリヤ、サマリヤのかしらはレマリヤの子である。もしあなたがたが信じないならば、立つことはできない』」。
実際にその通りの事が起きる。北イスラエル王国は、65年後もすると、完全に国としての成り立ちを失ってしまっている。

7:10 主は再びアハズに告げて言われた、
7:11 「あなたの神、主に一つのしるしを求めよ、陰府のように深い所に、あるいは天のように高い所に求めよ」。
主はなんと憐れみ深いお方だろう。
あんなにも主に忌み嫌われる事を行ったにもかかわらず、主はアハズに、あなたは確かに助かる、証拠として何でもしるしを求めなさい、とまで言って下さった。

7:12 しかしアハズは言った、「わたしはそれを求めて、主を試みることをいたしません」。
彼が今までしてきた事を見るなら、「主を試みることをいたしません」などと言える立場ではない。
彼は今まで主に依り頼んで来なかったというのに、主の側が、そこまで降りて来てくださり、譲歩して下さったのだから、主に何でも求めて、主が為してくださる素晴らしい御業を体験するべきなのに、なおも「主に求めません」と言うとは、なんと失礼な事だろう。

7:13 そこでイザヤは言った、「ダビデの家よ、聞け。あなたがたは人を煩わすことを小さい事とし、またわが神をも煩わそうとするのか。
7:14 それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。
驚く事に、ここに処女がみごもる預言、インマヌエル預言、すなわちイエス様が生まれる預言がなされる。
これは、最も不信仰な王が、主に期待しない事の告白をした時に為された。
主は、頑として主に求めない人間の側に、降りて来て下さり、なおも救おうとされたのだ。

これらの預言が為されたにもかかわらず、アハズは、落ち着いて静かにしている事ができなかった。
彼は主に信頼せずに、身勝手な行動に出てしまう。

2列王記16:7 そこでアハズは使者をアッスリヤの王テグラテピレセルにつかわして言わせた、「わたしはあなたのしもべ、あなたの子です。スリヤの王とイスラエルの王がわたしを攻め囲んでいます。どうぞ上ってきて、彼らの手からわたしを救い出してください」。
16:8 そしてアハズは主の宮と王の家の倉にある金と銀をとり、これを贈り物としてアッスリヤの王におくったので、
16:9 アッスリヤの王は彼の願いを聞きいれた。すなわちアッスリヤの王はダマスコに攻め上って、これを取り、その民をキルに捕え移し、またレヂンを殺した。

彼は「わたしはあなたのしもべ、あなたの子です」と告白し、アッシリヤに依り頼んでしまった。
外交儀礼上、口先で言ったのか本気でそう思って言ったのかは分からないが、発した言葉は、力を持つものである。
この事によって、南ユダ王国も、アッシリヤにつけこまれる足がかりをつくってしまった。

主を信頼する所に力がある。しかし、自分勝手な者は、いたずらに力を浪費し、労に労を重ねた挙句、干からびてしまうものだ。

北イスラエル王国の荒んだ末期症状(2列王記15:8-38)
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南ユダ王国ではウジヤ王が51年という長い統治をしている間、北イスラエル王国は、何度も王権と王朝が変わる。

15:8 ユダの王アザリヤの第三十八年にヤラベアムの子ゼカリヤがサマリヤでイスラエルの王となり、六か月世を治めた。
15:9 彼はその先祖たちがおこなったように主の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤラベアムの罪を離れなかった。
15:10 ヤベシの子シャルムが徒党を結んで彼に敵し、イブレアムで彼を撃ち殺し、彼に代って王となった。
15:11 ゼカリヤのその他の事績は、イスラエルの王の歴代志の書にしるされている。
15:12 主はかつてエヒウに、「あなたの子孫は四代までイスラエルの位に座するであろう」と告げられたが、はたしてそのとおりになった。

ゼカリヤもまた、主の御前に悪を行う王であった。そしてその統治は、わずか6ヶ月で終わってしまった。
こうして、野蛮な、荒々しいやり方で王となったエフーから始まったエフー王朝は、4代で終わりをつげた。それもまた、主の預言どおりであった。(10:30)
結局、エフー王朝の王達は全部、主の目に悪を行ってきたのだ。

15:13 ヤベシの子シャルムはユダの王ウジヤの第三十九年に王となり、サマリヤで一か月世を治めた。
15:14 時にガデの子メナヘムがテルザからサマリヤに上ってきて、ヤベシの子シャルムをサマリヤで撃ち殺し、彼に代って王となった。
15:15 シャルムのその他の事績と、彼が徒党を結んだ事は、イスラエルの王の歴代志の書にしるされている。
15:16 その時メナヘムはテルザから進んでいって、タップアと、そのうちにいるすべての者、およびその領域を撃った。すなわち彼らが彼のために開かなかったので、これを撃って、そのうちの妊娠の女をことごとく引き裂いた。
15:17 ユダの王アザリヤの第三十九年に、ガデの子メナヘムはイスラエルの王となり、サマリヤで十年の間、世を治めた。

エフーの玄孫ゼカリヤに謀反を起こして王にのし上がったシャルムの治世は、わずか1ヶ月であった。
彼に対して謀反を起こしたガデの子メナヘムが彼を殺して王となったが、彼は、城門を開かなかった町には、その町の妊婦の腹を切り裂くという残忍な見せしめをした。
自分に逆らう者はこのような残忍な仕打ちが待っているぞと脅す王権は、一時は栄えるかのように見えても、長続きはしない事は、歴史が召命している。

15:18 彼は主の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤラベアムの罪を一生の間、離れなかった。
15:19 時にアッスリヤの王プルが国に攻めてきたので、メナヘムは銀一千タラントをプルに与えた。これは彼がプルの助けを得て、国を自分の手のうちに強くするためであった。
15:20 すなわちメナヘムはその銀をイスラエルのすべての富める者に課し、その人々におのおの銀五十シケルを出させてアッスリヤの王に与えた。こうしてアッスリヤの王は国にとどまらないで帰っていった。
15:21 メナヘムのその他の事績と彼がしたすべての事は、イスラエルの王の歴代志の書にしるされているではないか。

メナヘムは、親アッシリア政策を行った。
「アッシリヤの文書から,プルはティグラテ・ピレセル3世であることが知られている.彼はその記録で,メニヒム(メナヘム)のサマリヤを自分の属国であると主張している.この同盟は,結局はイスラエルがアッシリヤに併合されるという悲惨な結果を招くことになった.」(新聖書辞典より)

15:22 メナヘムは先祖たちと共に眠り、その子ペカヒヤが代って王となった。
15:23 メナヘムの子ペカヒヤはユダの王アザリヤの第五十年に、サマリヤでイスラエルの王となり、二年の間、世を治めた。
15:24 彼は主の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯せたネバテの子ヤラベアムの罪を離れなかった。

メナヘム王朝は、北イスラエル王国で子に王権を渡せた、最後の王朝であった。
これらの時代、主の目に悪を行う事を続け、特に預言者ホセアを通して厳しい叱責を受けている。

15:25 時に彼の副官であったレマリヤのペカが、ギレアデびと五十人と共に徒党を結んで彼に敵し、サマリヤの、王の宮殿の天守で彼を撃ち殺した。すなわちペカは彼を殺し、彼に代って王となった。
15:26 ペカヒヤのその他の事績と彼がしたすべての事は、イスラエルの王の歴代志の書にしるされている。
15:27 レマリヤの子ペカはユダの王アザリヤの第五十二年に、サマリヤでイスラエルの王となり、二十年の間、世を治めた。
15:28 彼は主の目の前に悪をおこない、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤラベアムの罪を離れなかった。

ペカフヤもまた、部下のペカによる反乱によって殺害されてしまい、王権はペカへと移った。
南ユダ王国ではウジヤ王の時代に4回王権が変わった事になる。
メナヘム王朝は、親アッシリア政策であったが、ペカは、アラム(シリヤ)のレツィンと反アッシリヤ同盟を結成した。
こうして強国アッシリヤに攻め寄せられてしまう口実を作ってしまったことになる。

15:29 イスラエルの王ペカの世に、アッスリヤの王テグラテピレセルが来て、イヨン、アベル・ベテマアカ、ヤノア、ケデシ、ハゾル、ギレアデ、ガリラヤ、ナフタリの全地を取り、人々をアッスリヤへ捕え移した。
15:30 時にエラの子ホセアは徒党を結んで、レマリヤの子ペカに敵し、彼を撃ち殺し、彼に代って王となった。これはウジヤの子ヨタムの第二十年であった。
15:31 ペカのその他の事績と彼がしたすべての事は、イスラエルの王の歴代志の書にしるされている。

ペカもまた謀反により殺害され、彼に代わってホセアが王となった。
このホセアが、北イスラエル王国最後の王となり、北イスラエルはアッシリヤによって散り散りにされてしまう事となる。
ガリラヤは異邦人のガリラヤとされ、ゼブルンとナフタリは、はずかしめを受けた。

北イスラエル王国はなんとすさんだ時代を送って来ただろうか。
それはひとえに、主に聞き従わず頑なに自分の好む道を歩み、主からの言葉と預言者を退け続けて来たからだ。

イザヤ8:19 人々があなたがたにむかって「さえずるように、ささやくように語る巫子および魔術者に求めよ」という時、民は自分たちの神に求むべきではないか。生ける者のために死んだ者に求めるであろうか。
8:20 ただ教とあかしとに求めよ。まことに彼らはこの言葉によって語るが、そこには夜明けがない。
8:21 彼らはしえたげられ、飢えて国の中を経あるく。その飢えるとき怒りを放ち、自分たちの王、自分たちの神をのろい、かつその顔を天に向ける。
8:22 また地を見ると、見よ、悩みと暗きと、苦しみのやみとがあり、彼らは暗黒に追いやられる。

まさにイザヤが言っている通りである。おしえとあかし、すなわち、御言葉と主を告白する事をしない者には、夜明けは来ない。
北イスラエルには夜明けは来なかった。おしえとあかしに戻らなかったからだ。
しかしイザヤは、続けて預言している。

イザヤ9:1 しかし、苦しみにあった地にも、やみがなくなる。さきにはゼブルンの地、ナフタリの地にはずかしめを与えられたが、後には海に至る道、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤに光栄を与えられる。
9:2 暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。

ずっと後の時代、イエス様がこのガリラヤ地方で福音をのべ伝え始める。
その間、非常に長い時代、主から離れ、呪われ、蹂躙される時代を送ってきた。
アッシリヤ、バビロン、メディア、ペルシャ、ギリシャの5帝国を経て、6帝国目のローマ時代に、ようやくイエス様が来られた。
ヨハネ4章にサマリヤの女の話が出てくるが、彼女には5人の夫があったが今一緒にいるのは夫ではない、とイエス様から私的された。
イエス様こそ、まことの夫となれるお方である。
このお方こそまことの光、異邦人を照らす希望の光である。

私達は、北イスラエル王国が歩んだような、反逆と殺戮、闇の歴史を歩む必要は無い。
ただイエス様とともに歩むなら、そのような歩みとは無縁の、光と祝福の中で生きる事ができるのだ。

ウジヤ王 - 人生前半は主の道に歩み祝福され、後半は高ぶってしまった王(2列王記15:1-7)
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話は再び、南ユダ王国に移る。
15:1 イスラエルの王ヤラベアムの第二十七年に、ユダの王アマジヤの子アザリヤが王となった。
アザリヤ(新改訳:アザルヤ)は、2歴代誌やマタイ1章の系図では「ウジヤ」となっている。
アザルヤの名前の意味は「主に助けられる」、ウジヤの意味は「主の力」である。

15:2 彼が王となった時は十六歳で、五十二年の間エルサレムで世を治めた。その母はエルサレムの出身で、名をエコリアといった。
15:3 彼は主の目にかなう事を行い、すべての事を父アマジヤが行ったようにおこなった。

列王記における彼と彼の父の評価は「主の目にかなう」であったが、歴代誌を見ると、彼らの人生の後半は主に嫌われる事を行った事が分かる。
また、マタイ1章の系図では、ウジヤはかろうじて名前が載っているものの、彼の父アマツヤは除外されてしまっている。
人の評価と神の評価は違うのだ。列王記はバビロン捕囚直前に、歴代誌は捕囚後に記されたと言われているが、人の目には「この人は神に喜ばれている」と見られていても、後になって初めてそうでなかったと分かる事もあるのだ。

15:5 主が王を撃たれたので、その死ぬ日まで、らい病人となって、離れ家に住んだ。王の子ヨタムが家の事を管理し、国の民をさばいた。
15:6 アザリヤのその他の事績と、彼がしたすべての事は、ユダの王の歴代志の書にしるされているではないか。
15:7 アザリヤはその先祖たちと共に眠ったので、彼をダビデの町にその先祖たちと共に葬った。その子ヨタムが代って王となった。

彼はなぜ主に打たれてしまったのか。歴代誌に詳細に記されている。

2歴代誌26:4 ウジヤは父アマジヤがしたように、すべて主の良しと見られることを行った。
26:5 彼は神を恐れることを自分に教えたゼカリヤの世にある日の間、神を求めることに努めた。彼が主を求めた間、神は彼を栄えさせられた。

ウジヤには、ゼカリヤという霊的に指導し訓戒してくれる霊の父がいたようである。
彼が生きていて、目の前で指導してくれている間は、正しい道に歩み、それによって主は彼を大いに祝福して下さった。
彼は軍事、経済、事業で大いなるものとなったのだが、人は、成功した時こそ、真に気をつけるべきである。

2歴代誌26:16 ところが彼は強くなるに及んで、その心に高ぶり、ついに自分を滅ぼすに至った。すなわち彼はその神、主にむかって罪を犯し、主の宮にはいって香の祭壇の上に香をたこうとした。

主の宮で聖なる香を捧げる事ができるのは、主から選ばれたアロンの子孫、聖別された祭司のみである。
いかに王といえど、主の前には聖別されていない人、選ばれていない人なのだ。

26:17 その時、祭司アザリヤは主の祭司である勇士八十人を率いて、彼のあとに従ってはいり、
26:18 ウジヤ王を引き止めて言った、「ウジヤよ、主に香をたくことはあなたのなすべきことではなく、ただアロンの子孫で、香をたくために清められた祭司たちのすることです。すぐ聖所から出なさい。あなたは罪を犯しました。あなたは主なる神から栄えを得ることはできません」。

彼は祭司から戒められた。確かに御言葉に沿った戒めである。
この時点で彼は主に打たれてはいない。この時に自分のしたいと思っていた事を止め、出ていれば良かったのであるが、彼はその戒めを怒りとともに退けた。

26:19 するとウジヤは怒りを発し、香炉を手にとって香をたこうとしたが、彼が祭司に向かって怒りを発している間に、らい病がその額に起った。時に彼は主の宮で祭司たちの前、香の祭壇のかたわらにいた。
26:20 祭司の長アザリヤおよびすべての祭司たちが彼を見ると、彼の額にらい病が生じていたので、急いで彼をそこから追い出した。彼自身もまた主に撃たれたことを知って、急いで出て行った。

ウジヤは、聖別されていない身で、怒りの心をもって、主に香を焚こうとした。
大祭司アロンの子、ナダブとアビフさえ、御前で異なった香を焚こうとしたなら御前から火が出て打たれたのだ。それはどれ程大きな罪であっただろうか。
主の御前で、ふさわしくない者、ふさわしくない心で、祈りの香、賛美の香、奉仕という香を上らせるのは、忌み嫌われる事である。
私達は、ウジヤのように、怒り狂ったような、ふさわしくない心で主に捧げていないだろうか。

26:21 ウジヤ王は、死ぬ日までらい病人であった。彼はらい病人であったので、離れ殿に住んだ。主の宮から断たれたからである。その子ヨタムが王の家をつかさどり、国の民を治めた。
26:22 ウジヤのその他の始終の行為は、アモツの子預言者イザヤがこれを書きしるした。
26:23 ウジヤは先祖たちと共に眠ったので、人々は「彼はらい病人である」と言って、王たちの墓に連なる墓地に、その先祖たちと共に葬った。その子ヨタムが彼に代って王となった。

ウジヤは王権からも主の宮からも追い出されてしまい、王が葬られるべき所に葬ってもらえなかった。
私達も、高ぶること、怒る事、分を超えてしまうような事によって、彼のようになってはならない。
このウジヤ王が死んだ年、預言者イザヤの本格的な召命があった。

イザヤ6:1 ウジヤ王の死んだ年、わたしは主が高くあげられたみくらに座し、その衣のすそが神殿に満ちているのを見た。
6:2 その上にセラピムが立ち、おのおの六つの翼をもっていた。その二つをもって顔をおおい、二つをもって足をおおい、二つをもって飛びかけり、
6:3 互に呼びかわして言った。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ」。
6:4 その呼ばわっている者の声によって敷居の基が震い動き、神殿の中に煙が満ちた。

主は、人の何かによって汚れを受けるお方ではなく、いと高き、聖なるお方である。
この主を前に、人はいかなる心をもって進み出るべきか。

6:5 その時わたしは言った、「わざわいなるかな、わたしは滅びるばかりだ。わたしは汚れたくちびるの者で、汚れたくちびるの民の中に住む者であるのに、わたしの目が万軍の主なる王を見たのだから」。

イザヤは預言者であったが、絶望した。主の圧倒的な聖にひきかえ、自分はいかに汚れたものか、とくに、くちびるがいかに汚れた者であるのかを。
主は、心砕かれたたましい、砕かれた悔いた心の者に、近づいてくださる。

6:6 この時セラピムのひとりが火ばしをもって、祭壇の上から取った燃えている炭を手に携え、わたしのところに飛んできて、
6:7 わたしの口に触れて言った、「見よ、これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの悪は除かれ、あなたの罪はゆるされた」。
6:8 わたしはまた主の言われる声を聞いた、「わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのために行くだろうか」。その時わたしは言った、「ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください」。

こうしてイザヤはさらに優れた預言者として働きに入る。
私達はいかなる心をもって、主の御前に祈りの香を、賛美の香を、奉仕の香をささげるべきであろうか。
ウジヤ(主の力)とイザヤ(主は救い)。この二人から私達は学ぶ事が出来る。
私達は主の力よりも、主の救いを求めるべきなのだ。

主の憐れみのリミット(2列王記14:23-29)
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話は再び北イスラエル王国に戻る。
14:23 ユダの王ヨアシの子アマジヤの第十五年に、イスラエルの王ヨアシの子ヤラべアムがサマリヤで王となって四十一年の間、世を治めた。
ヤロブアム、ソロモンの後の時代、ダビデ王家のレハブアムにそむいた、あのヤロブアムと同じ名前であるので、彼はよくヤロブアム2世と呼ばれている。
彼の治世は41年、北イスラエル王国で最も長い統治の期間が与えられた。
それでは彼は良い王であったのかというと、そうではなかった。

14:24 彼は主の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤラベアムの罪を離れなかった。
14:25 彼はハマテの入口からアラバの海まで、イスラエルの領域を回復した。イスラエルの神、主がガテヘペルのアミッタイの子である、そのしもべ預言者ヨナによって言われた言葉のとおりである。
彼は主の目に悪い王であったというのに、長い統治が与えられ、またシリヤに取られてしまっていた領域を奪回した。
それも、預言者ヨナに預言されていたとおりに。
なぜ、悔い改めていない、悪い王であるのに、神はこのような恵みを施して下さったのか。
その理由は、ただ、一方的な恵み・憐れみである。

14:26 主はイスラエルの悩みの非常に激しいのを見られた。そこにはつながれた者も、自由な者もいなくなり、またイスラエルを助ける者もいなかった。
14:27 しかし主はイスラエルの名を天が下から消し去ろうとは言われなかった。そして彼らをヨアシの子ヤラベアムの手によって救われた。
主は、イスラエルを誰も助ける者がいないのをご覧になられ、ただ一方的な憐れみを施されたのだ。
そして、どうにもならない状態から脱出し、悔い改めて祝福される道を歩むことを願っておられた。主は、彼らの名が天から消し去られる事を望んでおられなかったからである。
しかし、彼らは主から与えられた恵みの時を浪費し、悔い改めるべき時を、逆につけあがって軽んじた。
悪い行いをしているのに、自分達はいつまでも罰されない、いつまでもそうだろう、と思い込んで、主の戒めを軽んじている者は、やがて、主の恵みの時を使い果たしてしまう。
主の恵みの囲いを浪費させてしまったその時、あたかもライオンが檻が取り除けられた途端に人に飛びかかるように、サタンがその人に飛びかかってたちまちに滅ぼされてしまうのだ。

14:28 ヤラベアムのその他の事績と、彼がしたすべての事およびその武勇、すなわち彼が戦争をした事および、かつてユダに属していたダマスコとハマテを、イスラエルに復帰させた事は、イスラエルの王の歴代志の書にしるされているではないか。
14:29 ヤラベアムはその先祖であるイスラエルの王たちと共に眠って、その子ゼカリヤが代って王となった。

ヤロブアムの子ゼカリヤが王になったのは、BC753年である。それからおよそ30年後、BC721年、北イスラエル王国はアッシリヤによって滅ぼされてしまう。
後の時代から見ている私達は、悔い改めない北イスラエル王国は、いよいよ滅びへのカウントダウンへ入っていくのが分かる。

さて、25節にアミタイの子、預言者ヨナが登場するが、彼は北イスラエル王国にだけでなく、アッシリヤの首都ニネベに対しても預言した事が、ヨナ書に記されている。
ヨナ1:2 「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって呼ばわれ。彼らの悪がわたしの前に上ってきたからである」。
しかし彼は、ニネベに行かず、タルシュシュ行きの船に乗った。
イラクにミニストリーに行きなさい、と言われたのに、スペイン行きの船に乗って人々に紛れ船底に隠れたのだ。
しかし主は、あくまでヨナをアッシリヤの町に行かせ、預言の言葉を伝えさせる。

ヨナ3:4 ヨナはその町にはいり、初め一日路を行きめぐって呼ばわり、「四十日を経たらニネベは滅びる」と言った。
3:5 そこでニネベの人々は神を信じ、断食をふれ、大きい者から小さい者まで荒布を着た。
3:6 このうわさがニネベの王に達すると、彼はその王座から立ち上がり、朝服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中に座した。
3:7 また王とその大臣の布告をもって、ニネベ中にふれさせて言った、「人も獣も牛も羊もみな、何をも味わってはならない。物を食い、水を飲んではならない。
3:8 人も獣も荒布をまとい、ひたすら神に呼ばわり、おのおのその悪い道およびその手にある強暴を離れよ。
3:9 あるいは神はみ心をかえ、その激しい怒りをやめて、われわれを滅ぼされないかもしれない。だれがそれを知るだろう」。
3:10 神は彼らのなすところ、その悪い道を離れたのを見られ、彼らの上に下そうと言われた災を思いかえして、これをおやめになった。

このように、災いの預言が為された時、その人がその預言によって悔い改めるなら、その災いを主は思い直される。
ヨナは、アッシリヤの首都ニネベが悔い改めて滅びを免れる事を、心底面白くなく思った。
なぜヨナが、これほどまでニネベが悔い改めて救われるのを嫌がったのか。それには理由がある。
ニネベはイスラエルの敵、不道徳かつ強力なアッシリヤ帝国の首都であり、もしニネベのために助けるなら、母国イスラエルに滅びを招く手伝いをする事である。

もしこの時、ヨナがニネベで説教していなければ、アッシリヤは悔い改めないまま、神の怒りによって滅んでいたのだろうか?
ひいてはイスラエルが滅びずに済んだのだろうか?
そんな事は無い。

神は「恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いを下そうとしても思い直される方」だ。(ヨナ4:2)
主は、悔い改めない選びの民ではなく、悔い改める異邦の民のほうを助ける。
そして、選びの民がどうしても悔い改めないなら、悔い改めた異邦の民を用いてでも、裁きを遂行される義なるお方だ。
ヨナはうめいたが、愛と憐れみに満ちた神は、もっと葛藤し、さらにうめいておられたのではなかろうか。

ヨナという名は、鳩の意味であり、鳩は聖霊を意味する。
聖霊は、人が滅びに至らないように、深いうめきによって執り成しをされる。
イエス様はたとえを話された。
ルカ13:6 「ある人が自分のぶどう園にいちじくの木を植えて置いたので、実を捜しにきたが見つからなかった。
13:7 そこで園丁に言った、『わたしは三年間も実を求めて、このいちじくの木のところにきたのだが、いまだに見あたらない。その木を切り倒してしまえ。なんのために、土地をむだにふさがせて置くのか』。
13:8 すると園丁は答えて言った、『ご主人様、ことしも、そのままにして置いてください。そのまわりを掘って肥料をやって見ますから。
13:9 それで来年実がなりましたら結構です。もしそれでもだめでしたら、切り倒してください』」。

聖霊は実を結ばない木であっても、なおかばい、執り成し、肥料をやって実がなるようにと、助けてくださる。
しかし、そのような憐れみの時に、リミットがある事は確かである。
そのリミットを無駄遣いし、主の赦しと憐れみに図に乗って主を軽んじ続けるなら、確かに滅びが追いついてしまうのである。

主はうめいておられる。
ルカ13:34 ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人々を石で打ち殺す者よ。ちょうどめんどりが翼の下にひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。
13:35 見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。わたしは言って置く、『主の名によってきたるものに、祝福あれ』とおまえたちが言う時の来るまでは、再びわたしに会うことはないであろう」。

主の戒めと叱責を軽んじ、キリストの系図から除外されたアマツヤ(2列王記14:8-22)
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主の言葉に従ってエドムに大勝利したアマツヤだったが、彼はエドムの偶像を持ち帰りその前にひれ伏した。
そこで神は預言者を遣わし彼を戒めたが、その戒めを彼は蹴ってしまった。
さらに彼は誇り高ぶり、北イスラエルにも戦いを仕掛ける。

14:8 そこでアマジヤがエヒウの子エホアハズの子であるイスラエルの王ヨアシに使者をつかわして、「さあ、われわれは互に顔を合わせよう」と言わせたので、
14:9 イスラエルの王ヨアシはユダの王アマジヤに言い送った、「かつてレバノンのいばらがレバノンの香柏に、『あなたの娘をわたしのむすこの妻にください』と言い送ったことがあったが、レバノンの野獣がとおって、そのいばらを踏み倒した。
14:10 あなたは大いにエドムを撃って、心にたかぶっているが、その栄誉に満足して家にとどまりなさい。何ゆえ、あなたは災をひき起して、自分もユダも共に滅びるような事をするのですか」。
14:11 しかしアマジヤが聞きいれなかったので、イスラエルの王ヨアシは上ってきた。

アマツヤは北イスラエル王ヨアシュから戒められたのに、それをも聞かずに戦争を仕掛けた。
それは、実に、主がそのようにしたからである。
2歴代誌25:20 これは神から出たのであって、彼らがエドムの神々を求めたので神は彼らを敵の手に渡されるためである。

どうしてあの人はあんな事をしようとするのだろう、散々な目に遭う事は確実なのに、と思える事があるが、その本人は100%、自分がこのその道に行けばうまく行くと、信じて疑わないのである。
それはその本人が、主の道に敢えて背き、戒めを聞かないから、主が本人の欲望に任せ、災いに遭わせて立ち返らせるためである。

箴言1:22 「思慮のない者たちよ、あなたがたは、いつまで/思慮のないことを好むのか。あざける者は、いつまで、あざけり楽しみ、愚かな者は、いつまで、知識を憎むのか。
1:23 わたしの戒めに心をとめよ、見よ、わたしは自分の思いを、あなたがたに告げ、わたしの言葉を、あなたがたに知らせる。

言っても聞かないアマツヤは、散々な目に遭う事になる。

14:11b そこで彼とユダの王アマジヤはユダのベテシメシで互に顔をあわせたが、
14:12 ユダはイスラエルに敗られて、おのおのその天幕に逃げ帰った。
14:13 イスラエルの王ヨアシはアハジヤの子ヨアシの子であるユダの王アマジヤをベテシメシで捕え、エルサレムにきて、エルサレムの城壁をエフライムの門から隅の門まで、おおよそ四百キュビトにわたってこわし、
14:14 また主の宮と王の家の倉にある金銀およびもろもろの器をことごとく取り、かつ人質をとってサマリヤに帰った。

アマツヤは打ち負かされた挙句、捕らえられてしまい、エルサレムの城壁を180m近くにわたって打ち壊され、王宮の宝物も神殿の宝物もことごとく奪われ、人質もとられてしまった。
これに懲りて悔い改め、主に立ち返って静かに歩めば良かったのであるが、彼の後の人生は、そうではなかった。

14:15 ヨアシのその他の事績と、その武勇および彼がユダの王アマジヤと戦った事は、イスラエルの王の歴代志の書にしるされているではないか。
14:16 ヨアシはその先祖たちと共に眠って、イスラエルの王たちと共にサマリヤに葬られ、その子ヤラベアムが代って王となった。
14:17 ヨアシの子であるユダの王アマジヤは、エホアハズの子であるイスラエルの王ヨアシが死んで後、なお十五年生きながらえた。

アマツヤはヨアシュが死んで後、十五年、生かされたのに、その後なおも主に逆らったようである。

14:19 時に人々がエルサレムで徒党を結び、彼に敵対したので、彼はラキシに逃げていったが、その人々はラキシに人をつかわして彼をそこで殺させた。
14:20 人々は彼を馬に載せて運んできて、エルサレムで彼を先祖たちと共にダビデの町に葬った。

アマツヤは、家来の謀反によって殺された。
なぜ謀反を起こされたのか。歴代誌には書いてある。

2歴代誌25:27 アマジヤがそむいて、主に従わなくなった時から、人々はエルサレムにおいて党を結び、彼に敵したので、彼はラキシに逃げて行ったが、その人々はラキシに人をやって、彼をその所で殺させた。

彼に謀反の企てが起きたのは、「主に従わなくなった時から」である。
主の戒め、主の叱責を軽んじた故である。
主に嫌われる事をし、主から預言者によって御言葉によって戒められても、それを捨てるなら、主から災いが送られてしまうのだ。

箴言1:24 わたしは呼んだが、あなたがたは聞くことを拒み、手を伸べたが、顧みる者はなく、
1:25 かえって、あなたがたはわたしのすべての勧めを捨て、わたしの戒めを受けなかったので、
1:26 わたしもまた、あなたがたが災にあう時に、笑い、あなたがたが恐慌にあう時、あざけるであろう。
1:27 これは恐慌が、あらしのようにあなたがたに臨み、災が、つむじ風のように臨み、悩みと悲しみとが、あなたがたに臨む時である。
1:28 その時、彼らはわたしを呼ぶであろう、しかし、わたしは答えない。ひたすら、わたしを求めるであろう、しかし、わたしに会えない。
1:29 彼らは知識を憎み、主を恐れることを選ばず、
1:30 わたしの勧めに従わず、すべての戒めを軽んじたゆえ、
1:31 自分の行いの実を食らい、自分の計りごとに飽きる。

アマツヤは、マタイ1章のキリストの系図から、除外されている。
神の国の系図に入れられるのは、血筋によってではなく、信仰によってなのだ。
だから、本来系図に入ってはならないはずのカナンの遊女ラハブや、モアブ人ルツも、マタイ1章の系図に入れられたのだ。

敵に勝利し祝福された後にこそ、真に勝利すべき戦いがある(2列王記14:1-7)
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14:1 イスラエルの王エホアハズの子ヨアシの第二年に、ユダの王ヨアシの子アマジヤが王となった。
14:2 彼は王となった時二十五歳で、二十九年の間エルサレムで世を治めた。その母はエルサレムの出身で、名をエホアダンといった。
14:3 アマジヤは主の目にかなう事をおこなったが、先祖ダビデのようではなかった。彼はすべての事を父ヨアシがおこなったようにおこなった。

14章は再び南ユダ王国の話になる。
ヨアシュの子アマツヤは、父が行ったように行った、とあるが、まさに父ヨアシュが歩んだように、最初は主の御旨に叶う事を行う良い王であったが、それによって祝福され栄えると傲慢になり、主に忌み嫌われる事を行う王となって行ってしまう。

14:5 彼は国が彼の手のうちに強くなった時、父ヨアシ王を殺害した家来たちを殺したが、
14:6 その殺害者の子供たちは殺さなかった。これはモーセの律法の書にしるされている所に従ったのであって、そこに主は命じて「父は子のゆえに殺さるべきではない。子は父のゆえに殺さるべきではない。おのおの自分の罪のゆえに殺さるべきである」と言われている。

主の御旨に叶う歩みをするなら、必ず栄えるのは、列王記を通して聖書が示す法則である。
彼は、モーセの書すなわち神の言葉に従う故に、彼の父の殺害者の子は殺さなかった。

14:7 アマジヤはまた塩の谷でエドムびと一万人を殺した。またセラを攻め取って、その名をヨクテルと名づけたが、今日までそのとおりである。

この出来事は第二列王記ではわずか1節で片付けられているが、この事については第二歴代誌に詳しく記されている。

2歴代誌25:5 アマジヤはユダの人々を集め、その氏族に従って、千人の長に付属させ、または百人の長に付属させた。ユダとベニヤミンのすべてに行った。そして二十歳以上の者を数えたところ、やりと盾をとって戦いに臨みうる精兵三十万人を得た。
25:6 彼はまた銀百タラントをもってイスラエルから大勇士十万人を雇った。
25:7 その時、神の人が彼の所に来て言った、「王よ、イスラエルの軍勢をあなたと共に行かせてはいけません。主はイスラエルびと、すなわちエフライムのすべての人々とは共におられないからです。
25:8 もしあなたがこのような方法で戦いに強くなろうと思うならば、神はあなたを敵の前に倒されるでしょう。神には助ける力があり、また倒す力があるからです」。

彼は栄え、多くの軍隊を得た。そしてエドムに戦いを仕掛ける時、自国の精兵三十万人と、北イスラエルから銀百タラントで雇った兵十万の、合計四十万で戦おうとした。
しかし、そこに神の人が現れる。
戦いを仕掛ける時に、主に喜ばれない者達と同盟を組んで一緒に行ってはならない、というのだ。
私達も、自分の望みを果たすために、悪者と連合したり、邪悪な者にお金を払ってその力を得ようとするなら、主は共に行ってくださらない。
それでも自分の欲望に惹かれて、強引に進み以降とするなら、敵によって、というよりも、神によって倒されてしまう。
神は、敵を倒す事も、敵の手を通して私達を倒す事もおできになり、そのどちらになるかは、私達が神に従順するか、それとも逆らうかにかかっている。

しかし、既に大金を払ってしまった。
主に忌み嫌われる方面へと既に大金を支払ってしまった場合は、どうしたら良いか。

25:9 アマジヤは神の人に言った、「それではわたしがイスラエルの軍隊に与えた百タラントをどうしましょうか」。神の人は答えた、「主はそれよりも多いものをあなたにお与えになることができます」。

預言者は言う。神は、支払ったお金よりも多いものも、与える事がおできになる、と。
従順するなら、実際にそのとおりになる。

25:11 しかしアマジヤは勇気を出し、その民を率いて塩の谷へ行き、セイルびと一万人を撃ち殺した。
25:12 またユダの人々はこのほかに一万人をいけどり、岩の頂に引いて行って岩の頂から彼らを投げ落したので、皆こなごなに砕けた。

預言者の言葉に従順した彼は、余裕の大勝利を得た。

25:10 そこでアマジヤはエフライムから来て自分に加わった軍隊を分離して帰らせたので、彼らはユダに対して激しい怒りを発し、火のように怒って自分の所に帰った。
25:13 ところがアマジヤが自分と共に戦いに行かせないで帰してやった兵卒らが、サマリヤからベテホロンまでの、ユダの町々を襲って三千人を殺し、多くの物を奪い取った。

北イスラエルの傭兵たちは、お金を得てそのまま帰るのでなく激しい怒りを燃やし、このような邪悪な事を行った。
だから神は、このような者たちと一緒に行ってはならない、と預言者を通して言われたのだ。
しかしアマツヤは、戦いに勝利したとたん、さらに悪い事を行ってしまう。

25:14 アマジヤはエドムびとを殺して帰った時、セイルびとの神々を携えてきて、これを安置して自分の神とし、これを礼拝し、これにささげ物をなした。

なんと、彼に勝利をもたらしたイスラエルの神を捨てて、自分に打ち負かされた国の神を持ち帰り、その前にひれ伏したのだ。
私達の中にもあるかもしれない。自分が大いに勝ち得た時、ぶんどった相手の素晴らしく見えるもの、仕組み、力の前にひれ伏してしまうような所が。
勝利し祝福されたその時、私達は気をつけるべきである。

主のボーナスステージの期間を無駄に過ごすなかれ(2列王記13:14-25)
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13:14 さてエリシャは死ぬ病気にかかっていたが、イスラエルの王ヨアシは下ってきて彼の顔の上に涙を流し、「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」と言った。

エリシャが死の病にある時、北イスラエル王ヨアシュは誰を訪れ、涙を流した。
「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」ということばは、エリシャが、彼の師であるエリヤが火の戦車、火の騎兵によって天に上げられたのを見た時に叫んだ言葉だった。(2列王記2:12)
エリシャはなぜ、エリヤの霊のふたつ分を得ることが出来たのか。その理由が2章に書いてある。

2Ki 2:9  彼らが渡ったとき、エリヤはエリシャに言った、「わたしが取られて、あなたを離れる前に、あなたのしてほしい事を求めなさい」。エリシャは言った、「どうぞ、あなたの霊の二つの分をわたしに継がせてください」。
2Ki 2:10  エリヤは言った、「あなたはむずかしい事を求める。あなたがもし、わたしが取られて、あなたを離れるのを見るならば、そのようになるであろう。しかし見ないならば、そのようにはならない」。
2Ki 2:11  彼らが進みながら語っていた時、火の車と火の馬があらわれて、ふたりを隔てた。そしてエリヤはつむじ風に乗って天にのぼった。
2Ki 2:12  エリシャはこれを見て「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」と叫んだが、再び彼を見なかった。

エリシャは、他の預言者達がエリヤの昇天を受け入れ、あきらめたのに、なおエリヤにすがりついて離れなかった。
そして、エリヤが天に上げられる様を見ることが出来たから、その願いが聞き入れられた。
エリシャには、決してあきらめず、求め続け、見続ける忠実さがあったから、願ったとおりに与えられたのだ。
ひるがえって、ヨアシュ王はどうだったか。

13:15 エリシャは彼に「弓と矢を取りなさい」と言ったので、弓と矢を取った。
13:16 エリシャはまたイスラエルの王に「弓に手をかけなさい」と言ったので、手をかけた。するとエリシャは自分の手を王の手の上におき、
13:17 「東向きの窓をあけなさい」と言ったので、それをあけると、エリシャはまた「射なさい」と言った。彼が射ると、エリシャは言った、「主の救の矢、スリヤに対する救の矢。あなたはアペクでスリヤびとを撃ち破り、彼らを滅ぼしつくすであろう」。

預言者は、最後の力を振り絞って王の手を取り、これらの言葉を宣言した。
彼が最後のちからを振り絞って言ったこの言葉には、どれほど重みがあっただろう。

13:18 エリシャはまた「矢を取りなさい」と言ったので、それを取った。エリシャはまたイスラエルの王に「それをもって地を射なさい」と言ったので、三度射てやめた。
13:19 すると神の人は怒って言った、「あなたは五度も六度も射るべきであった。そうしたならば、あなたはスリヤを撃ち破り、それを滅ぼしつくすことができたであろう。しかし今あなたはそうしなかったので、スリヤを撃ち破ることはただ三度だけであろう」。

エリシャが「矢を取りなさい」と言った「矢」は、複数形である。だから、ヨアシュは、エリシャが最後の力を振り絞って宣言したこの「勝利の矢達」を、本当に勝利できる矢と信じ、期待して、何度でも射るべきだったのに、彼は3度しか射なかった。

三日坊主という言葉がある。せっかく預言者の戒めによって良い行いを続けても3日しか続けない人がいる。

主の時がある。祈り求め続けるべき時、そして、その祈りが報いられる時。
ゲームには大体、ボーナスステージという、得点やアイテムなどを一気に稼げるステージがあるが、主が「しなさい」と言われたその時が、私たちのボーナスステージである。
ゲームをする人は、ボーナスステージの期間になまけるような人はおらず、大体、期間が満ちるまで、時間を惜しんで動き回るものであるが、もし、私たちが主から「滅ぼし尽くせ」と言われたなら、時間を惜しんで滅ぼし尽くすべきであるし、もし、「足の下で踏む所がことごとくあなたのものとなる」と言われたなら、期間が満ちる最後の瞬間まで、縦横無尽に踏み尽すべき時なのだ。

13:20 こうしてエリシャは死んで葬られた。さてモアブの略奪隊は年が改まるごとに、国にはいって来るのを常とした。

当時の北イスラエル王国は、アラムのみならず、モアブにまでも好き放題荒らされていた。
霊的な「怠け」を続けているなら、このように、敵が好き放題になってはびこってしまうのだ。

13:21 時に、ひとりの人を葬ろうとする者があったが、略奪隊を見たので、その人をエリシャの墓に投げ入れて去った。その人はエリシャの骨に触れるとすぐ生きかえって立ちあがった。

エリシャの名の意味は「私の救いなる神」であった。
イエス様の名の意味も、「救いの神」であるが、まさにエリシャは、「信じる者は死んでも生きる」イエス様をあらわす預言者であった。

13:22 スリヤの王ハザエルはエホアハズの一生の間、イスラエルを悩ましたが、
13:23 主はアブラハム、イサク、ヤコブと結ばれた契約のゆえにイスラエルを恵み、これをあわれみ、これを顧みて滅ぼすことを好まず、なおこれをみ前から捨てられなかった。

イスラエルの歴史は、まことに主に反逆し続ける歴史であったが、それでも主は、彼らの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブと結ばれた契約のゆえに、彼らに対するあわれみを注ぎ続けて来た。
南ユダ王国の王は、彼らの先祖ダビデの故に、であるが、しかし北イスラエル王国は、さらに何百年も前のアブラハムとの契約を覚え、あわれみを捨てないのだ。
まことに、主を恐れ敬う人には、千代の祝福が約束されている。
もし、義人の子がその世代に主から離れても、親のその信仰故に、主はあわれみを注ぎ、その子の世代に災いを起こしてでも、立ち直らせようと主は為される。
その子にとっては「災い」と見える事でも、それは、主の「あわれみ」が根源にあるのだ。

13:24 スリヤの王ハザエルはついに死んで、その子ベネハダデが代って王となった。
13:25 そこでエホアハズの子ヨアシは、父エホアハズがハザエルに攻め取られた町々を、ハザエルの子ベネハダデの手から取り返した。すなわちヨアシは三度彼を撃ち破って、イスラエルの町々を取り返した。

エリシャの預言どおり、三度、勝利する事は出来た。
北イスラエルはなお、主に立ち返らない事を続けるが、なおも主のあわれみは尽きる事が無い。

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