• カテゴリ 2列王記 の最新配信
  • RSS
  • RDF
  • ATOM

メッセージ - 2列王記カテゴリのエントリ

主の祈りをしたヒゼキヤ - 人任せの信仰から直接主に向かう信仰へ(2列王記19:1-19)
Youtube動画
メッセージ音声

19:1 ヒゼキヤ王はこれを聞いて、衣を裂き、荒布を身にまとって主に宮に入り、
19:2 宮内卿エリアキムと書記官セブナおよび祭司のうちの年長者たちに荒布をまとわせて、アモツの子預言者イザヤのもとにつかわした。

アッシリヤの圧倒的な力と暴力を前に、そして主をののしるかのような言葉に主の宮に入った。
衣を裂くのは、痛みや悲しみを表現する行為であり、粗布をまとうのは、主の御前にへりくだる姿勢である。
しかし彼自身が、主の宮で、何かをした、という記録はなく、そのまますぐに、高官達を預言者の元に遣わした。

19:3 彼らはイザヤに言った、「ヒゼキヤはこう申されます、『きょうは悩みと、懲らしめと、はずかしめの日です。胎児がまさに生れようとして、これを産み出す力がないのです。
19:4 あなたの神、主はラブシャケがその主君アッスリヤの王につかわされて、生ける神をそしったもろもろの言葉を聞かれたかもしれません。そしてあなたの神、主はその聞いた言葉をとがめられるかもしれません。それゆえ、この残っている者のために祈をささげてください』」。

彼は預言者イザヤに、「あなたの神、主は」「聞かれたかもしれません。」「祈をささげてください」と預言者に伝えている。
「わたしの神、主は」「聞かれました」「祈りに入ります」とは言っていない。
その所から、彼はこの時、問題を預言者や信仰の偉大な人に頼って祈ってもらう信仰で、自分から進んで信仰告白したり、直接自分が神の前に訴える力が萎えてしまっている事がわかる。

自分から進んで御前で祈り、問題をそのままぶつけに行く人は独り立ちした信仰者だが、圧倒的な現実的問題を前に心がしなえてしまう時、いかに信仰に歩んで来た人であっても、一人では立てなくなってしまうものである。
そのような時、彼のように、より信仰が偉大な人に祈りを要請する事も大事である。

19:5 ヒゼキヤ王の家来たちがイザヤのもとに来たとき、
19:6 イザヤは彼らに言った、「あなたがたの主君にこう言いなさい、『主はこう仰せられる、アッスリヤの王の家来たちが、わたしをそしった言葉を聞いて恐れるには及ばない。
19:7 見よ、わたしは一つの霊を彼らのうちに送って、一つのうわさを聞かせ、彼を自分の国へ帰らせて、自分の国でつるぎに倒れさせるであろう』」。

人に、ある霊が入る時、強烈な影響を受ける。
夜、眠れない時、ある物事が強烈に気になって、起きだして、夜なのに不要な行動をしてしまったという事は無いだろうか。
その時は、自分の主イエス・キリストの御名によって、その霊を叱りつけるのだ。
イザヤは、恐れるに足りない、と言った。彼らに一つの霊を送り、あるうわさ話を聞かせ、それによって彼らの心を強烈に縛り、自分の国に帰らせるようにする、と、主の言葉を届けた。
実際にその言葉の通りの事が起きる。

19:8 ラブシャケは引き返して、アッスリヤの王がリブナを攻めているところへ行った。彼が王のラキシを去ったことを聞いたからである。
19:9 この時アッスリヤの王はエチオピヤの王テルハカについて、「彼はあなたと戦うために出てきた」と人々がいうのを聞いたので、再び使者をヒゼキヤにつかわして言った、
19:10 「ユダの王ヒゼキヤにこう言いなさい、『あなたは、エルサレムはアッスリヤの王の手に陥ることはない、と言うあなたの信頼する神に欺かれてはならない。

「あなたの信頼する神に欺かれてはならない。」、実に、真理に真っ向から反対する言葉である。
神は果たして、欺くお方だろうか。誘惑するお方だろうか。

ヤコブ1:13 だれでも誘惑に会う場合、「この誘惑は、神からきたものだ」と言ってはならない。神は悪の誘惑に陥るようなかたではなく、また自ら進んで人を誘惑することもなさらない。
1:14 人が誘惑に陥るのは、それぞれ、欲に引かれ、さそわれるからである。

悪魔サタンは、神を貶め、神に信頼させないようにするが、その時こそ、御言葉を宣言して、逆にその者を御言葉の剣へと渡すのである。

19:11 あなたはアッスリヤの王たちがもろもろの国々にした事、彼らを全く滅ぼした事を聞いている。どうしてあなたが救われることができようか。
19:12 わたしの父たちはゴザン、ハラン、レゼフ、およびテラサルにいたエデンの人々を滅ぼしたが、その国々の神々は彼らを救ったか。
19:13 ハマテの王、アルパデの王、セパルワイムの町の王、ヘナの王およびイワの王はどこにいるのか』」。

アッシリヤの王は、自分はあれをした、これをした、と、現実的にして来た実績をひけらかし、自分はいかなる王達も、国々も、神々も、踏み潰して来た、と豪語している。
彼らは、神をののしったのだ。
そうなれば、もはや人と人との戦いではなく、神をののしった人と、神との戦いにそのまま持っていけば、あとは神が全てをして下さる。
ヒゼキヤは、それをそのまま主に持って行った。

19:14 ヒゼキヤは使者の手から手紙を受け取ってそれを読み、主の宮にのぼっていって、主の前にそれをひろげ、
19:15 そしてヒゼキヤは主の前に祈って言った、「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ、地のすべての国のうちで、ただあなただけが神でいらせられます。あなたは天と地を造られました。

先にヒゼキヤは、預言者イザヤという信仰の優れた人に祈ってもらうよう頼んだが、今度は他の誰かに頼らず、自ら主の宮に問題を持って行って、自ら祈った。
彼は先に、預言者に「あなたの神、主は」「聞かれたかもしれません。」「祈をささげてください」と言ったが、今度は彼は自分から、「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主」「あなたは天と地を造られました。」と言って、主の全能性を告白した。
なんと凛々しい信仰となった事だろう。

19:16 主よ、耳を傾けて聞いてください。主よ、目を開いてごらんください。セナケリブが生ける神をそしるために書き送った言葉をお聞きください。
私達も、目の前の現実的な問題を、直接、主の前に持って行って、告白すべきである。主よ、耳を傾けて聞いてください。主よ、目を開いてごらんください、と。
その人が、他の誰かにでもなく、直接主と向き合う時、直接主が動いて下さる。

19:17 主よ、まことにアッスリヤの王たちはもろもろの民とその国々を滅ぼし、
19:18 またその神々を火に投げ入れました。それらは神ではなく、人の手の作ったもので、木や石だから滅ぼされたのです。
19:19 われわれの神、主よ、どうぞ、今われわれを彼の手から救い出してください。そうすれば地の国々は皆、主であるあなただけが神でいらせられることを知るようになるでしょう」。

ヒゼキヤは直接、主がいかなるお方であるかを告白し、主をたたえ、主の支配を求めた。その後に、自分の願いを主に求め、救い出して下さいと求め、そして最後に、全ての国々は主のものである、と告白した。
これは主の祈りの内容と全く同じ順番であり、これこそ、正しい祈りの順番である。

かつてはヒゼキヤが預言者イザヤに祈りを要請したが、今度は逆に、主が預言者イザヤを動かして、ヒゼキヤの元に遣わして言葉を伝えて下さる。
主に直接向かう時、主が預言者や信仰の先輩を動かして、その人を助けて下さるのだ。

詩篇91:1 いと高き者のもとにある/隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人は
91:2 主に言うであろう、「わが避け所、わが城、わが信頼しまつるわが神」と。
91:3 主はあなたをかりゅうどのわなと、恐ろしい疫病から助け出されるからである。
91:4 主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。
91:5 あなたは夜の恐ろしい物をも、昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。
91:6 また暗やみに歩きまわる疫病をも、真昼に荒す滅びをも恐れることはない。

結局、主の前に直接進み出る人をこそ、主は直接助けて下さるのだ。

悪がはびこる時の聖徒の在り方(2列王記18:26-37)
Youtube動画
メッセージ音声

ヒゼキヤの時代、アッシリヤは神の民の敵として、圧倒的な力や武器をちらつかせ、神の民をそそのかしに来た。
この出来事は、聖書の3箇所から、すなわち、この列王記と、歴代誌と、イザヤ書の3つの視点で書き記されている。
それは、異例な事である。なぜ聖書は、そこまで繰り返しこのヒゼキヤの時代の出来事を記して来たのか。
ヘブライ思考において、ハカダされている(繰り返されている)という事は、重要な事だからしっかり心に留めなさい、という事である。
強大な悪がはびこり、神の民を苦しめる。
それは終わりの時代においても、いや、私達の日常生活において起こりうる事であるが、いかにしてそれを乗り切るか、その秘訣が、このヒゼキヤ対アッシリヤの記述に記されているのだ。

18:26 その時ヒルキヤの子エリアキムおよびセブナとヨアはラブシャケに言った、「どうぞ、アラム語でしもべどもに話してください。わたしたちは、それがわかるからです。城壁の上にいる民の聞いているところで、わたしたちにユダヤの言葉で話さないでください」。
18:27 しかしラブシャケは彼らに言った、「わたしの主君は、あなたの主君とあなたにだけでなく、城壁の上に座している人々にも、この言葉を告げるためにわたしをつかわしたのではないか。彼らも、あなたがたと共に自分の糞尿を食い飲みするに至るであろう」。

敵は、自分たちにわかりやすい言葉で語りかけて来る。
それは、暴力的な脅し文句であり、また汚らわしい言葉である。
彼らはなぜ、アラム語ではなく、ユダの言葉で語って来たか。それは、城壁を守る者達を恐れを掻き立てるためであり、城壁を守る者が、主君であるヒゼキヤに対する信頼を無くさせるためである。

18:28 そしてラブシャケは立ちあがり、ユダヤの言葉で大声に呼ばわって言った。「大王、アッスリヤの王の言葉を聞け。
18:29 王はこう仰せられる、『あなたがたはヒゼキヤに欺かれてはならない。彼はあなたがたをわたしの手から救いだすことはできない。
18:30 ヒゼキヤが「主は必ずわれわれを救い出される。この町はアッスリヤ王の手に陥ることはない」と言っても、あなたがたは主を頼みとしてはならない』。

神の民に敵対する者達の本音は、彼らが主に寄り頼む事を止めさせたい、という所に尽きる。
ヒゼキヤは人々に、主に寄り頼み、主に信頼するように伝えて来て、また行動して来た。
しかし、その信仰の志をくじかせてくる。口先で主に依り頼むと言って何になるのか、現実的に力自分たちの力はこんなにすごいのだぞ、と。
そして、さんざん力を見せつけ、脅した後は、甘い言葉で畳み掛けてくる。

18:31 あなたがたはヒゼキヤの言葉を聞いてはならない。アッスリヤの王はこう仰せられる、『あなたがたはわたしと和解して、わたしに降服せよ。そうすればあなたがたはおのおの自分のぶどうの実を食べ、おのおの自分のいちじくの実を食べ、おのおの自分の井戸の水を飲むことができるであろう。
18:32 やがてわたしが来て、あなたがたを一つの国へ連れて行く。それはあなたがたの国のように穀物とぶどう酒のある地、パンとぶどう畑のある地、オリブの木と蜜のある地である。あなたがたは生きながらえることができ、死ぬことはない。ヒゼキヤが「主はわれわれを救われる」と言って、あなたがたを惑わしても彼に聞いてはならない。

暴力的な言葉でさんざん脅し、また暴力を振るわれた後に、甘い言葉でささやきかけてくる。それでころっと騙されてしまう人は多い。
DVの被害に遭っている人が、なかなか警察に通報しないのは、この、暴力の後の甘い言葉に一抹の望みをかけてしまうからだ。

18:33 諸国民の神々のうち、どの神がその国をアッスリヤの王の手から救ったか。
18:34 ハマテやアルパデの神々はどこにいるのか。セパルワイム、ヘナおよびイワの神々はどこにいるのか。彼らはサマリヤをわたしの手から救い出したか。
18:35 国々のすべての神々のうち、その国をわたしの手から救い出した者があったか。主がどうしてエルサレムをわたしの手から救い出すことができよう』」。

サマリヤ、そこは北イスラエル王国の首都だった所である。
ようするに、北イスラエル王国は最後、主により頼まずに、この、セパルワイム、ヘナおよびイワの神々により頼んでいた、という事だ。
神の民が、神である主を捨てて、異邦の神々により頼む。それでは、負けて当然である。
しかしアッシリヤは、あたかも自分たちがその神々に勝った、と豪語している。

18:36 しかし民は黙して、ひと言も彼に答えなかった。王が命じて「彼に答えてはならない」と言っておいたからである。

敵の脅しや甘い言葉に対して、何も答えるな、それは最善策である。
焦ったり、恐れたり、混乱している時、口から発する言葉や決定してしまう事は、ほぼ、物事をもっと悪くしてしまうからだ。

なぜ、敵がこのようにはびこるのだろうか。それは、主の許しの元である。
黙示録13:5 この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた。
13:6 そこで、彼は口を開いて神を汚し、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちとを汚した。
13:7 そして彼は、聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。

神はなぜ、邪悪で汚れた敵がはびこる事を許されるのか。
それは計り知る事はできないが、すくなくとも、敵がはびこっている間、聖徒達には、忍耐と、主への信仰の貫きとを、世に対し、人やサタンに対し、そして、神に対して示す機会となっている事は、否みようがない事実である。
だから、敵がはびこっている時こそ、聖徒達は主に向かい、助けをもとめ、ますます主に近づく必要がある。
黙示録13:10 とりこになるべき者は、とりこになっていく。つるぎで殺す者は、自らもつるぎで殺されねばならない。ここに、聖徒たちの忍耐と信仰とがある。

ヒゼキヤはこの事によってますます主に向かい、主に助けていただき、最終的に彼は有名になって、主の栄光が轟き渡る事となる。
全ての事は主の栄光のため、そして義人と悪人がふるい分けられるためである。
このように悪がはびこっている時、聖徒達がいかにして乗り越えるべきか、その秘訣が、詩篇37篇に記されている。

詩篇37:1 ダビデの歌 悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。不義を行う者のゆえに、ねたみを起すな。
37:2 彼らはやがて草のように衰え、青菜のようにしおれるからである。
37:3 主に信頼して善を行え。そうすればあなたはこの国に住んで、安きを得る。
37:4 主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。
37:5 あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、
37:6 あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。

主に信頼して善を行う事、主を喜びとする事、道を主にゆだねる事、それが、悪人が栄えている時に為すべき時である。
そうすれば、その者共は草のように衰え、青草のようにしおれる。
そして主は、その人の正しい事を真昼のように明らかにされる。

37:7 主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。おのが道を歩んで栄える者のゆえに、悪いはかりごとを遂げる人のゆえに、心を悩ますな。
37:8 怒りをやめ、憤りを捨てよ。心を悩ますな、これはただ悪を行うに至るのみだ。
37:9 悪を行う者は断ち滅ぼされ、主を待ち望む者は国を継ぐからである。
37:10 悪しき者はただしばらくで、うせ去る。あなたは彼の所をつぶさに尋ねても彼はいない。
37:11 しかし柔和な者は国を継ぎ、豊かな繁栄をたのしむことができる。

書いてあった。柔和な者は国を継ぎ、豊かな繁栄をたのしむことができる、と。
主に信頼する柔和な者は、豊かな繁栄を楽しむ事が出来るのだ。
この終わりの時代、悪がはびこっている時代、この時こそ聖徒達はますます聖なるものとされていくべきである。

黙示録22:11 不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ」。
22:12 「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。

圧倒的な暴力が迫ってくる時(2列王記18:13-25)
Youtube動画
メッセージ音声

信仰を奮い立たせて主の前に良いわざを行い、大いに祝福されたヒゼキヤだったが、彼に大きな信仰の試練が臨む。
18:13 ヒゼキヤ王の第十四年にアッスリヤの王セナケリブが攻め上ってユダのすべての堅固な町々を取ったので、
アッシリヤ。それまで同時に歴史を歩んできた北イスラエル王国を滅ぼし、破竹の勢いで、ユダの他の堅固な町々を攻め落として来た。
アッシリヤのやり方は、まず、簡単に落とせる弱い所を攻め落とし、そこを残虐極まるやり方で徹底して痛めつけ、見せしめにし、恐怖によって支配する。
次の節を見ると、ラキシュという町にアッシリヤの王がとどまっているのが分かるが、ラキシュはエルサレムの南西約45キロに位置する、ユダの46の城壁のある町の中で最大最強であった。

征服の模様については,粘土の六角プリズムに記されているセナケリブの年代記に詳しく報じられている.ラキシュの町は二重の城壁で囲まれ,堅固に武装された城門によって守られて,要塞司令部の建物は,居住地の高台に建てられていた.アッシリヤ軍のラキシュに対するすさまじい攻撃と,ラキシュの捕虜と戦利品を検閲する様子が,ニネベのセナケリブの宮殿の石壁を飾っていた浮彫にいきいきと描かれている.また発掘の結果,当時の徹底的な破壊の跡が確認されている.(新聖書辞典より)

18:14 ユダの王ヒゼキヤは人をラキシにつかわしてアッスリヤの王に言った、「わたしは罪を犯しました。どうぞ引き上げてください。わたしに課せられることはなんでもいたします」。アッスリヤの王は銀三百タラントと金三十タラントをユダの王ヒゼキヤに課した。
18:15 ヒゼキヤは主の宮と王の家の倉とにある銀をことごとく彼に与えた。
18:16 この時ユダの王ヒゼキヤはまた主の神殿の戸および柱から自分が着せた金をはぎ取って、アッスリヤの王に与えた。

目の前に迫る、現実的で圧倒的な暴力を前に、さすがのヒゼキヤも恐れをなし、「なんでもします」と申し出た。
アッシリヤは大量の金銀を課し、ヒゼキヤは自分の家と神の宮の宝物から何とか捻出して捧げたが、結局それは何の役にも立たなかった。
暴力で成り立っている者は、お金を差し出しますから暴力を止めてください、と言って差し出してしまうと、もっと搾り取れると思われて、もっと暴力を振るわれてしまうのだ。

18:17 アッスリヤの王はまたタルタン、ラブサリスおよびラブシャケを、ラキシから大軍を率いてエルサレムにいるヒゼキヤ王のもとにつかわした。彼らは上ってエルサレムに来た。彼らはエルサレムに着くと、布さらし場に行く大路に沿っている上の池の水道のかたわらへ行って、そこに立った。
この「布さらし場に行く大路に沿っている上の池の水道のかたわら」は、いわくつきの場所である。

ヒゼキヤの父のアハズの世代、北イスラエル王国とアラムの連合軍が攻めてきた。
イザヤ7:3  その時、主はイザヤに言われた、「今、あなたとあなたの子シャル・ヤシュブと共に出て行って、布さらしの野へ行く大路に沿う上の池の水道の端でアハズに会い、
Isa 7:4  彼に言いなさい、『気をつけて、静かにし、恐れてはならない。レヂンとスリヤおよびレマリヤの子が激しく怒っても、これら二つの燃え残りのくすぶっている切り株のゆえに心を弱くしてはならない。

しかしアハズは、身勝手にアッシリヤにより頼んで、その困難を乗り越えた気でいた。(2列王記16:7-9)
その時、アハズはアッシリヤに「わたしはあなたのしもべ、あなたの子です。」と言って、主のしもべであり主の子である事を捨ててしまった。
そのつけが回って来て、今、あの「布さらし場に行く大路に沿っている上の池の水道のかたわら」に、アッシリヤの将軍が立って、イスラエルに攻め入ろうとしている。

18:18 そして彼らが王を呼んだので、ヒルキヤの子である宮内卿エリアキム、書記官セブナ、およびアサフの子である史官ヨアが彼らのところに出てきた。
18:19 ラブシャケは彼らに言った、「ヒゼキヤに言いなさい、『大王、アッスリヤの王はこう仰せられる。あなたが頼みとする者は何か。

彼は「あなたが頼みとする者は何か。」と問うたが、今、ヒゼキヤはまさに、主により頼むか、それとも現実的に力ある者に頼るのか、その分岐点に立たせられている。

18:20 口先だけの言葉が戦争をする計略と力だと考えるのか。あなたは今だれにたよって、わたしにそむいたのか。
18:21 今あなたは、あの折れかけている葦のつえ、エジプトを頼みとしているが、それは人がよりかかる時、その人の手を刺し通すであろう。エジプトの王パロはすべて寄り頼む者にそのようにする。

口先だけの信仰告白の言葉であるのか、それとも、行いを伴った信仰の実践を見せるか、それも試されている。
ヒゼキヤが、いつのタイミングでエジプトにより頼んだのかは定かではないが、しかし彼がエジプトに頼んだ動機は、24節にはっきり書いてある。
「あなたはエジプトを頼み、戦車と騎兵を請い求めている」
つまりヒゼキヤは、アッシリヤという力に長けた敵に相対するに、力で対抗するために、戦車と騎兵をエジプトに求めたのだ。

しかし、書いてある。
詩篇147:10 神は馬の力を喜ばず、歩兵を好まない。
147:11 主を恐れる者と御恵みを待ち望む者とを主は好まれる。

また、書いてある。
申命記17:16  王となる人は自分のために馬を多く獲ようとしてはならない。また馬を多く獲るために民をエジプトに帰らせてはならない。主はあなたがたにむかって、『この後かさねてこの道に帰ってはならない』と仰せられたからである。

ヒゼキヤは力を求めるあまり、御旨にかなわないエジプトの馬の力や戦車を求めて行っていたのだ。
真理の御言葉で戦う闘いを降りて、力による戦いの土俵に上がってしまうなら、あくまで、力の上下関係の枠組みは出ることが出来ないのだ。
それでアッシリヤはますますつけあがり、ヒゼキヤに、イスラエルに傲慢なけがしごとを言い始める。

18:22 しかしあなたがもし「われわれは、われわれの神、主を頼む」とわたしに言うのであれば、その神はヒゼキヤがユダとエルサレムに告げて、「あなたがたはエルサレムで、この祭壇の前に礼拝しなければならない」と言って、その高き所と祭壇とを除いた者ではないか。

ラブ・シャケはイスラエルの神、主を貶める言葉へと転換した。
ヒゼキヤがすすめる神は、これこれの場所だけで、これこれの形式だけで礼拝させるような神だ、と。
サタンは一部のクリスチャンに対しても、キリスト教会が何か偏屈で窮屈であるかのように見せてきて主日礼拝から離れさせる事に成功させてしまっている。
しかし人は人の都合を主よりも優先させるべきではない。主は、主を敬い主の御旨に合わせる人をこそ祝福されるからだ。

18:23 さあ、わたしの主君アッスリヤの王とかけをせよ。もしあなたの方に乗る人があるならば、わたしは馬二千頭を与えよう。
18:24 あなたはエジプトを頼み、戦車と騎兵を請い求めているが、わたしの主君の家来のうちの最も小さい一隊長でさえ、どうして撃退することができようか。

ヒゼキヤはエジプトの戦車と騎兵に頼ったが、結局、その方面もアッシリヤのほうがはるかに上だったのだ。
こうして、アッシリヤは、圧倒的な力と恐怖心を巧みな弁舌でもって、ヒゼキヤおよびエルサレムに差し迫ってきた。
その上で、主の御言葉を曲げた脅しをかけて来る。
18:25 わたしがこの所を滅ぼすために上ってきたのは、主の許しなしにしたことであろうか。主がわたしにこの地に攻め上ってこれを滅ぼせと言われたのだ』」。

サタンはこのように、力をちらつかせ、脅しをもって、御言葉から、また主から離れさせようと、聖徒達に仕掛けてくる。
あたかも今、ひどい目に遭っているのは、主が嫌がらせをしているかのように。また、主は良い物を出し惜しみして、主の道に歩むことが損であるかのように。
その時、信仰が試されている。
その時、私達は次の詩篇を告白すべきだ。

詩篇147:1 主をほめたたえよ。われらの神をほめうたうことはよいことである。主は恵みふかい。さんびはふさわしいことである。
147:2 主はエルサレムを築き、イスラエルの追いやられた者を集められる。
147:3 主は心の打ち砕かれた者をいやし、その傷を包まれる。
147:4 主はもろもろの星の数を定め、すべてそれに名を与えられる。
147:5 われらの主は大いなる神、力も豊かであって、その知恵ははかりがたい。
147:6 主はしえたげられた者をささえ、悪しき者を地に投げ捨てられる。
147:7 主に感謝して歌え、琴にあわせてわれらの神をほめうたえ。
147:8 主は雲をもって天をおおい、地のために雨を備え、もろもろの山に草をはえさせ、
147:9 食物を獣に与え、また鳴く小がらすに与えられる。
147:10 主は馬の力を喜ばれず、人の足をよみせられない。
147:11 主はおのれを恐れる者と/そのいつくしみを望む者とをよみせられる。
147:12 エルサレムよ、主をほめたたえよ。シオンよ、あなたの神をほめたたえよ。
147:13 主はあなたの門の貫の木を堅くし、あなたのうちにいる子らを祝福されるからである。
147:14 主はあなたの国境を安らかにし、最も良い麦をもってあなたを飽かせられる。
 

主の目にかなう事を行ったヒゼキヤ(2列王記18:1-12)
Youtube動画
メッセージ音声

18:11 アッスリヤの王はイスラエルの人々をアッスリヤに捕えていって、ハラと、ゴザンの川ハボルのほとりと、メデアの町々に置いた。
18:12 これは彼らがその神、主の言葉にしたがわず、その契約を破り、主のしもべモーセの命じたすべての事に耳を傾けず、また行わなかったからである。
北イスラエル王国は滅ぼされてしまった。その理由はまさに、この12節にあるとおり、彼らがその神、主の言葉にしたがわず、その契約を破り、主のしもべモーセの命じたすべての事に耳を傾けず、また行わなかったからである。
しかし、南ユダ王国はなお存続し、その歴史はまだ続く。

18:1 イスラエルの王エラの子ホセアの第三年にユダの王アハズの子ヒゼキヤが王となった。
18:2 彼は王となった時二十五歳で、エルサレムで二十九年の間、世を治めた。その母はゼカリヤの娘で、名をアビといった。
18:3 ヒゼキヤはすべて先祖ダビデがおこなったように主の目にかなう事を行い、

ヒゼキヤ王の父アハズは主の宮を閉ざし、宮の庭に異邦の祭壇を立て、人々から礼拝を遠ざけるという悪を行ったが、ヒゼキヤは王になると同時に、宗教改革を行った。その様子は、第二歴代誌では、29章から31章に渡って、詳細に記されている。

2歴代誌29:3 彼はその治世の第一年の一月に主の宮の戸を開き、かつこれを繕った。
彼は、王座に着くなり、真っ先に行った事は、主の宮を開いた事だった。
彼は、主のための働き人であるレビ人を集めて、宮きよめを命令する。
29:5 彼らに言った、「レビびとよ、聞きなさい。あなたがたは今、身を清めて、あなたがたの先祖の神、主の宮を清め、聖所から汚れを除き去りなさい。

ヒゼキヤはさらに、父祖の罪を告白する。
29:6 われわれの先祖は罪を犯し、われわれの神、主の悪と見られることを行って、主を捨て、主のすまいに顔をそむけ、うしろを向けた。
29:7 また廊の戸を閉じ、ともしびを消し、聖所でイスラエルの神に香をたかず、燔祭をささげなかった。
29:8 それゆえ、主の怒りはユダとエルサレムに臨み、あなたがたが目に見るように、主は彼らを恐れと驚きと物笑いにされた。

7節を見ると、父祖たちの罪が記されている。
すなわち彼らは、礼拝の道を閉ざし、主を迎えるためのともしびを消し、「祈り」という香を捧げる事をやめさせ、燔祭という「捧げ物」を捧げる事をやめさせた。
すると主の怒りが彼らに望んで、彼らは人々の間で、恐れと、驚きと、物笑いにされてしまう。
現代の我々も同じである。もし主を敬うべきクリスチャンが、主への礼拝の道を閉じたり、主を迎える志を閉ざし、祈りを止め、主に捧げる事を止めるなら、その人は、人々の間で、恐れと、驚きと、物笑いにされてしまう。

18:4 高き所を除き、石柱をこわし、アシラ像を切り倒し、モーセの造った青銅のへびを打ち砕いた。イスラエルの人々はこの時までそのへびに向かって香をたいていたからである。人々はこれをネホシタンと呼んだ。

ヒゼキヤは先祖たちがして来なかったことをした。それは、高き所を除く事である。今まで主の目にかなう王は何度か出たが、高き所を除く事はして来なかった。しかし、ヒゼキヤはその点、徹底した。
それも、モーセが造った青銅のへびを砕くほど徹底していた。
モーセの時代、毒蛇にかまれた人々は、この青銅のへびを仰ぎ見て救われた。これは主の恵みを思い返す記念品として残しておいたはずが、いつのまにか礼拝する対象になってしまっていた。モーセの造った「もの」が、逆に、人々からモーセの律法から離れさせるものになったのだ。それで彼は、それを打ち砕いた。
果たして彼は、それによって呪いを受けたのだろうか?真逆である。

18:5 ヒゼキヤはイスラエルの神、主に信頼した。そのために彼のあとにも彼の先にも、ユダのすべての王のうちに彼に及ぶ者はなかった。
18:6 すなわち彼は固く主に従って離れることなく、主がモーセに命じられた命令を守った。
18:7 主が彼と共におられたので、すべて彼が出て戦うところで功をあらわした。彼はアッスリヤの王にそむいて、彼に仕えなかった。
18:8 彼はペリシテびとを撃ち敗って、ガザとその領域にまで達し、見張台から堅固な町にまで及んだ。

主を畏れ敬い、御言葉どおり守り行おうと徹底する人は、確かに、祝福を受ける。
彼はさらに、途絶えていた賛美を回復させ(2歴代誌29:25-30)、人々に主に捧げる事を励行し(2歴代誌29:31-35)、その結果、主がそれらを速やかに為させ成功させて下さったゆえに、大きな喜びが沸き起こった。(2歴代誌29:36)
彼はさらに、過越祭りを回復させた。
このように彼は、主に対する熱心のゆえに、良い王として記録された。

二人の主人に仕えようとして災いに遭ってしまったサマリヤ人(2列王記17:24-41)
Youtube動画
メッセージ音声

17:24 かくてアッスリヤの王はバビロン、クタ、アワ、ハマテおよびセパルワイムから人々をつれてきて、これをイスラエルの人々の代りにサマリヤの町々におらせたので、その人々はサマリヤを領有して、その町々に住んだ。

北イスラエル王国は、ただ戦争に負けたのではない。負けたのみならず、故郷の地を追い出され、遠い異国へと捕囚の民として連れて行かれたのだ。
なぜそこまで徹底して打ち負かされたのか。それは、神が許されたからである。
アッシリヤの神のほうがイスラエルの神よりも強いのではない。元々、主の他に神々はいない。
ただ、神が許可されたから、アッシリヤは大国となり、イスラエルに勝利する事が出来たのだ。
その証拠に、次の出来事が起きる。

17:25 彼らがそこに住み始めた時、主を敬うことをしなかったので、主は彼らのうちにししを送り、ししは彼らのうちの数人を殺した。
17:26 そこで人々はアッスリヤの王に告げて言った、「あなたが移してサマリヤの町々におらせられたあの国々の民は、その地の神のおきてを知らないゆえに、その神は彼らのうちにししを送り、ししは彼らを殺した。これは彼らが、その地の神のおきてを知らないためです」。

サマリヤに入植した人達は、ライオンがこの国に送られたのは、イスラエルの神である、と、明らかに分かったのだ。
それだからこそ、彼らは本国アッシリヤに「ライオンを掃討する軍隊を送って下さい」ではなく「その地の神のおきてを知らないゆえに、その神は彼らのうちにししを送り、ししは彼らを殺した」と報告したのだ。

17:27 アッスリヤの王は命じて言った、「あなたがたがあそこから移した祭司のひとりをあそこへ連れて行きなさい。彼をあそこへやって住まわせ、その国の神のおきてをその人々に教えさせなさい」。
17:28 そこでサマリヤから移された祭司のひとりが来てベテルに住み、どのように主を敬うべきかを彼らに教えた。

アッシリヤの王は、事態を重く見て、これは神の問題だから、神の祭司を送って、神を畏れ敬う事を教えさせよう、と、対応策を取った。
主を「礼拝」する事よりも、主を「恐れる」事のほうが、重要である。
なぜなら、主を恐れる心なく形式だけの礼拝をする者と、主を礼拝できなくても主を恐れる心を持つ者と、主がどちらを守られるかというと、後者のほうだからだ。
しかし、サマリヤに入植した人々は、主を畏れ敬う心は育たなかった。以下に記されている通りである。

17:29 しかしその民はおのおの自分の神々を造って、それをサマリヤびとが造った高き所の家に安置した。民は皆住んでいる町々でそのようにおこなった。
17:30 すなわちバビロンの人々はスコテ・ベノテを造り、クタの人々はネルガルを造り、ハマテの人々はアシマを造り、
17:31 アワの人々はニブハズとタルタクを造り、セパルワイムびとはその子を火に焼いて、セパルワイムの神アデランメレクおよびアナンメレクにささげた。
17:32 彼はまた主を敬い、自分たちのうちから一般の民を立てて高き所の祭司としたので、その人々は高き所の家で勤めをした。
17:33 このように彼らは主を敬ったが、また彼らが出てきた国々のならわしにしたがって、自分たちの神々にも仕えた。

主を敬うが、それと同時に、自前の神々にも仕える。
サマリヤにおいては、この習慣がイエス様の時代に至るまでもずっと続けられたが故に、イエス様の時代、サマリヤ人は蔑まれるべき者達としてユダヤの人々から見られていたのだ。
イエス様も言われた。
ルカ16:13 どの僕でも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」。

17:34 今日に至るまで彼らは先のならわしにしたがっておこなっている。彼らは主を敬わず、また主がイスラエルと名づけられたヤコブの子孫に命じられた定めにも、おきてにも、律法にも、戒めにも従わない。
17:35 主はかつて彼らと契約を結び、彼らに命じて言われた、「あなたがたは他の神々を敬ってはならない。また彼らを拝み、彼らに仕え、彼らに犠牲をささげてはならない。
17:36 ただ大きな力と伸べた腕とをもって、あなたがたをエジプトの地から導き上った主をのみ敬い、これを拝み、これに犠牲をささげなければならない。

奴隷の国エジプトから開放したのは、イスラエルの神、主である。そのお方を差し置いて別の神々も拝む事は、霊的姦淫である。
浮気する者を浮気された人が許さないように、神も、そのような事をする者は許さない。

17:40 しかし彼らは聞きいれず、かえって先のならわしにしたがっておこなった。
17:41 このように、これらの民は主を敬い、またその刻んだ像にも仕えたが、その子たちも、孫たちも同様であって、彼らはその先祖がおこなったように今日までおこなっている。

今日とは、この列王記が書き終わったバビロン捕囚の時代に至るまで、のみならず、イエス様の時代に至るまで、ずっとそれを続けてきた。
サマリヤに入植した人々は、「その先祖が」おこなったように、今日までおこなっている。
「その先祖」とは、アッシリヤ捕囚時代前の、北イスラエル王国の人々だ。
彼らはまさに、北イスラエル王国が発足したヤロブアム王の時代以降、神である主を礼拝するのと同時に、他の神々を拝んで来た。
そのような事を行い続けて行くなら、滅びが待ち受けている。

ホセア10:1 イスラエルは実を結ぶ茂った/ぶどうの木である。その実を多く結ぶにしたがって、祭壇を増し、その地の豊かなるにしたがって、柱の像を麗しくした。
10:2 彼らの心は偽りである。今、彼らはその罪を負わなければならない。主はその祭壇をこわし、その柱の像を砕かれる。
10:3 今、彼らは言う、「われわれは主を恐れないので、われわれには王がない。王はわれわれのために何をなしえようか」と。
10:4 彼らはむなしき言葉をいだし、偽りの誓いをもって契約を結ぶ。それゆえ、さばきは畑のうねの毒草のように現れる。

イスラエルは栄えるにつれて、傲慢になり、神でないものを神とし、警告を受けてもそれに従わず、かえって自分の道を貫いた。
それで神の裁きが彼らに追いついてしまい、アッシリヤによって散り散りにされてしまった。

私達は、主の御言葉から右にも左にもそれず、昼も夜も御言葉を口ずさみ、ヨシュアのように、またダビデのように、祝福の王道を歩む物でありたい。
詩篇1:1 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
1:2 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。
1:3 このような人は流れのほとりに植えられた木の/時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。

ついに滅亡に追いつかれてしまった北イスラエル王国(2列王記17:1-23)
Youtube動画
メッセージ音声

今回の箇所でいよいよ北イスラエル王国は滅亡し、人々はアッシリヤへ連行されて行く。
17:1 ユダの王アハズの第十二年にエラの子ホセアが王となり、サマリヤで九年の間、イスラエルを治めた。
17:2 彼は主の目の前に悪を行ったが、彼以前のイスラエルの王たちのようではなかった。
17:3 アッスリヤの王シャルマネセルが攻め上ったので、ホセアは彼に隷属して、みつぎを納めたが、
17:4 アッスリヤの王はホセアがついに自分にそむいたのを知った。それはホセアが使者をエジプトの王ソにつかわし、また年々納めていたみつぎを、アッスリヤの王に納めなかったからである。そこでアッスリヤの王は彼を監禁し、獄屋につないだ。
17:5 そしてアッスリヤの王は攻め上って国中を侵し、サマリヤに上ってきて三年の間、これを攻め囲んだ。
17:6 ホセアの第九年になって、アッスリヤの王はついにサマリヤを取り、イスラエルの人々をアッスリヤに捕えていって、ハラと、ゴザンの川ハボルのほとりと、メデアの町々においた。

ホセアは北イスラエル王国最後の王となった。
彼は大国アッシリヤが攻めてきた時、表向きは従うそぶりを見せても、心の内はそうではなかった。
それに気づかれて、彼は逮捕され、彼らが本拠地としていたサマリヤは包囲され、占領され、そしてイスラエル民族はアッシリヤに連行され、今なお彼らがどこへ行ってしまったのか、その捜索がユダヤ人によって続けられている。
どうしてこのような事が起きてしまったのか。その理由が続く節に書いてある。

17:7 この事が起ったのは、イスラエルの人々が、自分たちをエジプトの地から導き上って、エジプトの王パロの手をのがれさせられたその神、主にむかって罪を犯し、他の神々を敬い、
17:8 主がイスラエルの人々の前から追い払われた異邦人のならわしに従って歩み、またイスラエルの王たちが定めたならわしに従って歩んだからである。

まず真っ先に記された理由は、イスラエルの神である主、すなわたエジプトという奴隷を強要させ続けてきた国から導きのぼり自由にして下さった主を捨て、軽んじるという「恩知らず」という罪に始まり、他の神々を敬い、異邦人のならわしに従って歩んだからである。

私達も主に、悪魔サタンから、罪と死という奴隷状態を強要する者から救っていただいた。それも、御子キリストが私達に代わって、あのむごい十字架につけられる事によって。
そこまでして私達を救って下さった主を軽んじるという事を続けるなら、どれ程恐ろしい災いを招く事だろうか。
また、主から示された御言葉に従う神の子としての歩みを捨てて、世のならわしに従う事も、主に忌み嫌われる事である。

17:9 イスラエルの人々はその神、主にむかって正しからぬ事をひそかに行い、見張台から堅固な町に至るまで、すべての町々に高き所を建て、
17:10 またすべての高い丘の上、すべての青木の下に石の柱とアシラ像を立て、
17:11 主が彼らの前から捕え移された異邦人がしたように、すべての高き所で香をたき、悪事を行って、主を怒らせた。
17:12 また主が彼らに「あなたがたはこの事をしてはならない」と言われたのに偶像に仕えた。

偶像礼拝、それは十戒の第二戒にある程に重要な禁止事項である。
偶像、それは何も神社仏閣に限るものではない。偶像礼拝とは、神でないものを、神以上に、神とする事だ。つまり神よりもお金や特定の人、特定のイデオロギーなどを優先するとするなら、それが偶像礼拝である。
コロサイ3:5 だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。

2列王記17:13 主はすべての預言者、すべての先見者によってイスラエルとユダを戒め、「翻って、あなたがたの悪い道を離れ、わたしがあなたがたの先祖たちに命じ、またわたしのしもべである預言者たちによってあなたがたに伝えたすべての律法のとおりに、わたしの戒めと定めとを守れ」と仰せられたが、
17:14 彼らは聞きいれず、彼らの先祖たちがその神、主を信じないで、強情であったように、彼らは強情であった。
この「強情である」は直訳するなら「うなじのこわい(KJV: hardened their necks)」、首がまがらない、すなわち、自分の思いや願い、自分の道を頑として変えない性質である。
すなわち、主から「道を変えなさい」「悔い改めなさい」という言葉を、預言者を通して語っておられるのに、それを無視し、あくまでわが道を変えない性質である。
預言者、すなわち御言葉を通して主の御旨を教え、戒めてくれる人を軽んじる者は、主を軽んじる事である。

17:15 そして彼らは主の定めを捨て、主が彼らの先祖たちと結ばれた契約を破り、また彼らに与えられた警告を軽んじ、かつむなしい偶像に従ってむなしくなり、また周囲の異邦人に従った。これは主が、彼らのようにおこなってはならないと彼らに命じられたものである。
主の御言葉は、むなしいものの真逆、真理なるものであり、尊い、聖なる、永遠のものである。だから、御言葉に親しく歩むなら、聖なる、尊い、永遠のものへと造り変えられて行く。
しかしもし、むなしいものを求め、それに親しく歩むとするなら、その者本人がむなしい者へとなってしまい、やがては消えてなくなる者になってしまう。

17:16 彼らはその神、主のすべての戒めを捨て、自分のために二つの子牛の像を鋳て造り、またアシラ像を造り、天の万象を拝み、かつバアルに仕え、
17:17 またそのむすこ、娘を火に焼いてささげ物とし、占いおよびまじないをなし、主の目の前に悪をおこなうことに身をゆだねて、主を怒らせた。

17:18 それゆえ、主は大いにイスラエルを怒り、彼らをみ前から除かれたので、ユダの部族のほか残った者はなかった。
彼らは神に捧げるという名目で、自分の息子や娘を火に焼く事さえした。なんのためか。それは結局、自分の欲望のためである。
自分の願望を叶えたいから、あるいは欲望を満たしたいから、自分の子を犠牲にし、占いをし、まじないをし、悪に身を委ねる。それは現代でも文明国と言われている日本でも行われているのではなかろうか。
そのような事は、主の怒りを引き起こしてしまう。

17:19 ところがユダもまたその神、主の戒めを守らず、イスラエルが定めたならわしに歩んだので、
17:20 主はイスラエルの子孫をことごとく捨て、彼らを苦しめ、彼らを略奪者の手にわたして、ついに彼らをみ前から打ちすてられた。
17:21 主はイスラエルをダビデの家から裂き離されたので、イスラエルはネバテの子ヤラベアムを王としたが、ヤラベアムはイスラエルに、主に従うことをやめさせ、大きな罪を犯させた。
17:22 イスラエルの人々がヤラベアムのおこなったすべての罪をおこない続けて、それを離れなかったので、
17:23 ついに主はそのしもべである預言者たちによって言われたように、イスラエルをみ前から除き去られた。こうしてイスラエルは自分の国からアッスリヤに移されて今日に至っている。

主は、すぐに滅ぼされたのではない。何百年も忍耐して待たれたのだ。
ヤロブアムが即位したのがBC931年、サマリヤ陥落したのがBC721年、実に200年以上も、北イスラエル王国に対して忍耐し、何度も預言者を送って立ち返らせようとしたが、結局北イスラエル王国からは一人も主に従う良い王が出たためしはなく、ついに憐れみの期間を使い果たし、滅ぼされ、ばらばらにされ、彼らがどこに行ってしまったのかわからないまま、21世紀の今日に至っているのだ。

主は、誰一人滅びる事を願ってはおられない。だから救いの手を差し伸ばしてくださった。
しかしもしその救いの手を跳ね除けるとするなら、救いようがない。
人は、自由意志によって滅びへの道を行ってしまった。だから、救いも、自由意志によるからだ。

エゼキエル18:30 それゆえ、イスラエルの家よ、わたしはあなたがたを、おのおのそのおこないに従ってさばくと、主なる神は言われる。悔い改めて、あなたがたのすべてのとがを離れよ。さもないと悪はあなたがたを滅ぼす。
18:31 あなたがたがわたしに対しておこなったすべてのとがを捨て去り、新しい心と、新しい霊とを得よ。イスラエルの家よ、あなたがたはどうして死んでよかろうか。
ここに、新しい心と、新しい霊を得るコツが書かれてある。
それは順番に見ていくなら、まず悔い改める事、とがを離れ、主に対して行った全てのとがを捨て去る事。
それでこそ、新しい心、新しい霊が与えられる。
人の心は倉のようなもので、キャパシティがある。だからまず、心の倉からむなしいものを投げ捨てなければ、新しい心が入りようがない。

18:32 わたしは何人の死をも喜ばないのであると、主なる神は言われる。それゆえ、あなたがたは翻って生きよ」。

主は、誰も滅びる事を望んでおられない。それで200年以上も待たれた。
今は恵みの時、主に立ち返るべき時である。この時を軽んじる事なく、御言葉に聞き従い、それを守り行う事によって、何をしても栄える道、祝福の道を右にも左にもそれずに歩んでいく皆さんでありますように。イエス様のお名前によって祝福します!

主から離れるなら祝福からも離れてしまう(2列王記16:10-20)
Youtube動画
メッセージ音声

アハズ王は、神である主を捨てて、異邦の神々を拝み、しかも自分の子を火にくぐらせる事までした故に、懲らしめの杖として、主はアラムの王レツィンとイスラエルの王ペカの連合軍を備え、南ユダ王国に手ひどく損害を与えられた。
しかしその中でも主は憐れみ、エルサレムは占領される事なく、また、北イスラエル王国に連れ去られてしまった20万の捕虜は、奴隷にされる事を免れ、返してもらう事が出来た。それは、北イスラエル王国が主の預言者の言葉に従ったからだ。
このように主に良くしていただいたにもかかわらず、アハズ王は主に立ち返るという事をしなかった。

16:10 アハズ王はアッスリヤの王テグラテピレセルに会おうとダマスコへ行ったが、ダマスコにある祭壇を見たので、アハズ王はその祭壇の作りにしたがって、その詳しい図面と、ひな型とを作って、祭司ウリヤに送った。
16:11 そこで祭司ウリヤはアハズ王がダマスコから送ったものにしたがって祭壇を建てた。すなわち祭司ウリヤはアハズ王がダマスコから帰るまでにそのとおりに作った。

彼はアッシリヤに助けを求めた。アッシリヤが強国だったからである。しかし、アッシリヤの暴力的な強制力により頼むなら、暴力的な強制力によって悩まされる事になる。
2歴代誌28:20 アッスリヤの王テルガデ・ピルネセルは彼の所に来たが、彼に力を添えないで、かえって彼を悩ました。
28:21 アハズは主の宮と王の家、およびつかさたちの家の物を取ってアッスリヤの王に与えたが、それはアハズの助けにはならなかった。

アハズ王はなぜ、ダマスコにある祭壇をイスラエルにも建てるような事をしたのか。
第二歴代誌のほうに、その動機が記されている。
2歴代誌28:22 このアハズ王はその悩みの時にあたって、ますます主に罪を犯した。
28:23 すなわち、彼は自分を撃ったダマスコの神々に、犠牲をささげて言った、「スリヤの王たちの神々はその王たちを助けるから、わたしもそれに犠牲をささげよう。そうすれば彼らはわたしを助けるであろう」と。しかし、彼らはかえってアハズとイスラエル全国とを倒す者となった。

つまりアハズは、彼を助けて下さった主に対する忠誠は一切なく、ただ、自分を救ってくれるなら神は誰でも良く、また、神は幾つでも良かったのだ。

2列王記16:12 王はダマスコから帰ってきて、その祭壇を見、祭壇に近づいてその上に登り、
16:13 燔祭と素祭を焼き、灌祭を注ぎ、酬恩祭の血を祭壇にそそぎかけた。

行いだけを見る、一見、律法で定められた礼拝を守っているかのように見えるが、捧げる相手が違う。
形式がどんなに立派であっても、肝心の「礼拝の対象」が違っていたら、それは主へ怒りを積み上げる反逆行為でしかない。

彼はさらに、元々主によって定められていた神殿の庭の配置を、また代々行われてきた礼拝形式を、変えてしまう。
16:14 彼はまた主の前にあった青銅の祭壇を宮の前から移した。すなわちそれを新しい祭壇と主の宮の間から移して、新しい祭壇の北の方にすえた。
16:15 そしてアハズ王は祭司ウリヤに命じて言った、「朝の燔祭と夕の素祭および王の燔祭とその素祭、ならびに国中の民の燔祭とその素祭および灌祭は、この大きな祭壇の上で焼きなさい。また燔祭の血と犠牲の血はすべてこれにそそぎかけなさい。あの青銅の祭壇をわたしは伺いを立てるのに用いよう」。
アハズは自分でこしらえさせた祭壇を「この大きな祭壇(KJV: great alter)」と呼び、元々、主に捧げ物を捧げるべき祭壇を、脇へ押しのけてしまった。
こうして、人々から礼拝を取り上げてしまった。

16:16 祭司ウリヤはアハズ王がすべて命じたとおりにおこなった。
祭司ウリヤは王の主に対する背信の罪を指摘するのでなく、かえってそれを助けた。王から祭司から腐敗していた時代である。

16:17 またアハズ王は台の鏡板を切り取って、洗盤をその上から移し、また海をその下にある青銅の牛の上からおろして、石の座の上にすえ、
16:18 また宮のうちに造られていた安息日用のおおいのある道、および王の用いる外の入口をアッスリヤの王のために主の宮から除いた。
これは、アッシリヤに媚びるためであった。しかしアッシリヤはイスラエルに何もしなかったどころか、かえってイスラエルを悩ました。
イスラエルが神殿の尊い金属を取ってアッシリヤに貢いだら、アッシリヤは「こいつは絞ればもっと絞れる」と見做して、もっと締め付けを強くしたのだ。
それが、主に頼まずに、世の力、強力な者にたよろうとする者の道である。
しかし主により頼む人は、そのような暴力とは無縁であり、恵みと祝福に満ち溢れる。

主を軽んじ、多くの災いを招いてしまったアハズ王(2列王記16:1-9)
Youtube動画
メッセージ音声

前回の所では、北イスラエル王国は戦国時代のように短期間の間に何度も政権が変わる様を見た。今回は再び、南ユダ王国の話である。

16:1 レマリヤの子ペカの第十七年にユダの王ヨタムの子アハズが王となった。
16:2 アハズは王となった時二十歳で、エルサレムで十六年の間、世を治めたが、その神、主の目にかなう事を先祖ダビデのようには行わなかった。
16:3 彼はイスラエルの王たちの道に歩み、また主がイスラエルの人々の前から追い払われた異邦人の憎むべきおこないにしたがって、自分の子を火に焼いてささげ物とした。
16:4 かつ彼は高き所、また丘の上、すべての青木の下で犠牲をささげ、香をたいた。

アハズはなんと、自分の子を火で焼いて偶像の神に捧げるまでの事をした。
自分の願い事が叶うためになら、子さえもいけにえにしてしまうような者は、主から恵みをいただく事はできない。

16:5 そのころ、スリヤの王レヂンおよびレマリヤの子であるイスラエルの王ペカがエルサレムに攻め上って、アハズを囲んだが、勝つことができなかった。
アハズはこの時、助けられはしたが、はなはだしい大損害を被った。

2歴代誌28:5 それゆえ、その神、主は彼をスリヤの王の手に渡されたので、スリヤびとは彼を撃ち破り、その民を多く捕虜として、ダマスコに引いて行った。彼はまたイスラエルの王の手にも渡されたので、イスラエルの王も彼を撃ち破って大いに殺した。
28:6 すなわちレマリヤの子ペカはユダで一日のうちに十二万人を殺した。皆勇士であった。これは彼らがその先祖の神、主を捨てたためである。
28:7 その時、エフライムの勇士ジクリという者が王の子マアセヤ、宮内大臣アズリカムおよび王に次ぐ人エルカナを殺した。
28:8 イスラエルの人々はついにその兄弟のうちから婦人ならびに男子、女子など二十万人を捕虜にし、また多くのぶんどり物をとり、そのぶんどり物をサマリヤに持って行った。

なんと、たった一日で戦士が十二万人も殺され、王の子や側近の者達が殺された。
そればかりでなく、婦人や男女二十万人もの人々が、捕虜にされ、連れて行かれ、また財産も多くぶんどり物として持って行かれてしまった。
その理由は明らかで「これは彼らがその先祖の神、主を捨てたためである。」(28:6)

ここまでされておきながらもエルサレムが守られたのは、ただ、主の憐れみである。
この時、アハズ王に預言者イザヤが遣わされ、主の言葉が伝えられた。
イザヤ7:3 その時、主はイザヤに言われた、「今、あなたとあなたの子シャル・ヤシュブと共に出て行って、布さらしの野へ行く大路に沿う上の池の水道の端でアハズに会い、
7:4 彼に言いなさい、『気をつけて、静かにし、恐れてはならない。レヂンとスリヤおよびレマリヤの子が激しく怒っても、これら二つの燃え残りのくすぶっている切り株のゆえに心を弱くしてはならない。

イザヤを通した主からの指示は「気をつけて、静かにし、恐れてはならない」だった。
主から「落ち着いて静かにしていなさい」と言われたからには、するべき事は、ただ、静かにする事だ。
そしてさらに、イザヤは王国が守られる事を預言する。

7:5 スリヤはエフライムおよびレマリヤの子と共にあなたにむかって悪い事を企てて言う、
7:6 「われわれはユダに攻め上って、これを脅かし、われわれのためにこれを破り取り、タビエルの子をそこの王にしよう」と。
7:7 主なる神はこう言われる、この事は決して行われない、また起ることはない。
7:8 スリヤのかしらはダマスコ、ダマスコのかしらはレヂンである。(六十五年のうちにエフライムは敗れて、国をなさないようになる。)
7:9 エフライムのかしらはサマリヤ、サマリヤのかしらはレマリヤの子である。もしあなたがたが信じないならば、立つことはできない』」。
実際にその通りの事が起きる。北イスラエル王国は、65年後もすると、完全に国としての成り立ちを失ってしまっている。

7:10 主は再びアハズに告げて言われた、
7:11 「あなたの神、主に一つのしるしを求めよ、陰府のように深い所に、あるいは天のように高い所に求めよ」。
主はなんと憐れみ深いお方だろう。
あんなにも主に忌み嫌われる事を行ったにもかかわらず、主はアハズに、あなたは確かに助かる、証拠として何でもしるしを求めなさい、とまで言って下さった。

7:12 しかしアハズは言った、「わたしはそれを求めて、主を試みることをいたしません」。
彼が今までしてきた事を見るなら、「主を試みることをいたしません」などと言える立場ではない。
彼は今まで主に依り頼んで来なかったというのに、主の側が、そこまで降りて来てくださり、譲歩して下さったのだから、主に何でも求めて、主が為してくださる素晴らしい御業を体験するべきなのに、なおも「主に求めません」と言うとは、なんと失礼な事だろう。

7:13 そこでイザヤは言った、「ダビデの家よ、聞け。あなたがたは人を煩わすことを小さい事とし、またわが神をも煩わそうとするのか。
7:14 それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。
驚く事に、ここに処女がみごもる預言、インマヌエル預言、すなわちイエス様が生まれる預言がなされる。
これは、最も不信仰な王が、主に期待しない事の告白をした時に為された。
主は、頑として主に求めない人間の側に、降りて来て下さり、なおも救おうとされたのだ。

これらの預言が為されたにもかかわらず、アハズは、落ち着いて静かにしている事ができなかった。
彼は主に信頼せずに、身勝手な行動に出てしまう。

2列王記16:7 そこでアハズは使者をアッスリヤの王テグラテピレセルにつかわして言わせた、「わたしはあなたのしもべ、あなたの子です。スリヤの王とイスラエルの王がわたしを攻め囲んでいます。どうぞ上ってきて、彼らの手からわたしを救い出してください」。
16:8 そしてアハズは主の宮と王の家の倉にある金と銀をとり、これを贈り物としてアッスリヤの王におくったので、
16:9 アッスリヤの王は彼の願いを聞きいれた。すなわちアッスリヤの王はダマスコに攻め上って、これを取り、その民をキルに捕え移し、またレヂンを殺した。

彼は「わたしはあなたのしもべ、あなたの子です」と告白し、アッシリヤに依り頼んでしまった。
外交儀礼上、口先で言ったのか本気でそう思って言ったのかは分からないが、発した言葉は、力を持つものである。
この事によって、南ユダ王国も、アッシリヤにつけこまれる足がかりをつくってしまった。

主を信頼する所に力がある。しかし、自分勝手な者は、いたずらに力を浪費し、労に労を重ねた挙句、干からびてしまうものだ。

北イスラエル王国の荒んだ末期症状(2列王記15:8-38)
Youtube動画
メッセージ音声

南ユダ王国ではウジヤ王が51年という長い統治をしている間、北イスラエル王国は、何度も王権と王朝が変わる。

15:8 ユダの王アザリヤの第三十八年にヤラベアムの子ゼカリヤがサマリヤでイスラエルの王となり、六か月世を治めた。
15:9 彼はその先祖たちがおこなったように主の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤラベアムの罪を離れなかった。
15:10 ヤベシの子シャルムが徒党を結んで彼に敵し、イブレアムで彼を撃ち殺し、彼に代って王となった。
15:11 ゼカリヤのその他の事績は、イスラエルの王の歴代志の書にしるされている。
15:12 主はかつてエヒウに、「あなたの子孫は四代までイスラエルの位に座するであろう」と告げられたが、はたしてそのとおりになった。

ゼカリヤもまた、主の御前に悪を行う王であった。そしてその統治は、わずか6ヶ月で終わってしまった。
こうして、野蛮な、荒々しいやり方で王となったエフーから始まったエフー王朝は、4代で終わりをつげた。それもまた、主の預言どおりであった。(10:30)
結局、エフー王朝の王達は全部、主の目に悪を行ってきたのだ。

15:13 ヤベシの子シャルムはユダの王ウジヤの第三十九年に王となり、サマリヤで一か月世を治めた。
15:14 時にガデの子メナヘムがテルザからサマリヤに上ってきて、ヤベシの子シャルムをサマリヤで撃ち殺し、彼に代って王となった。
15:15 シャルムのその他の事績と、彼が徒党を結んだ事は、イスラエルの王の歴代志の書にしるされている。
15:16 その時メナヘムはテルザから進んでいって、タップアと、そのうちにいるすべての者、およびその領域を撃った。すなわち彼らが彼のために開かなかったので、これを撃って、そのうちの妊娠の女をことごとく引き裂いた。
15:17 ユダの王アザリヤの第三十九年に、ガデの子メナヘムはイスラエルの王となり、サマリヤで十年の間、世を治めた。

エフーの玄孫ゼカリヤに謀反を起こして王にのし上がったシャルムの治世は、わずか1ヶ月であった。
彼に対して謀反を起こしたガデの子メナヘムが彼を殺して王となったが、彼は、城門を開かなかった町には、その町の妊婦の腹を切り裂くという残忍な見せしめをした。
自分に逆らう者はこのような残忍な仕打ちが待っているぞと脅す王権は、一時は栄えるかのように見えても、長続きはしない事は、歴史が召命している。

15:18 彼は主の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤラベアムの罪を一生の間、離れなかった。
15:19 時にアッスリヤの王プルが国に攻めてきたので、メナヘムは銀一千タラントをプルに与えた。これは彼がプルの助けを得て、国を自分の手のうちに強くするためであった。
15:20 すなわちメナヘムはその銀をイスラエルのすべての富める者に課し、その人々におのおの銀五十シケルを出させてアッスリヤの王に与えた。こうしてアッスリヤの王は国にとどまらないで帰っていった。
15:21 メナヘムのその他の事績と彼がしたすべての事は、イスラエルの王の歴代志の書にしるされているではないか。

メナヘムは、親アッシリア政策を行った。
「アッシリヤの文書から,プルはティグラテ・ピレセル3世であることが知られている.彼はその記録で,メニヒム(メナヘム)のサマリヤを自分の属国であると主張している.この同盟は,結局はイスラエルがアッシリヤに併合されるという悲惨な結果を招くことになった.」(新聖書辞典より)

15:22 メナヘムは先祖たちと共に眠り、その子ペカヒヤが代って王となった。
15:23 メナヘムの子ペカヒヤはユダの王アザリヤの第五十年に、サマリヤでイスラエルの王となり、二年の間、世を治めた。
15:24 彼は主の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯せたネバテの子ヤラベアムの罪を離れなかった。

メナヘム王朝は、北イスラエル王国で子に王権を渡せた、最後の王朝であった。
これらの時代、主の目に悪を行う事を続け、特に預言者ホセアを通して厳しい叱責を受けている。

15:25 時に彼の副官であったレマリヤのペカが、ギレアデびと五十人と共に徒党を結んで彼に敵し、サマリヤの、王の宮殿の天守で彼を撃ち殺した。すなわちペカは彼を殺し、彼に代って王となった。
15:26 ペカヒヤのその他の事績と彼がしたすべての事は、イスラエルの王の歴代志の書にしるされている。
15:27 レマリヤの子ペカはユダの王アザリヤの第五十二年に、サマリヤでイスラエルの王となり、二十年の間、世を治めた。
15:28 彼は主の目の前に悪をおこない、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤラベアムの罪を離れなかった。

ペカフヤもまた、部下のペカによる反乱によって殺害されてしまい、王権はペカへと移った。
南ユダ王国ではウジヤ王の時代に4回王権が変わった事になる。
メナヘム王朝は、親アッシリア政策であったが、ペカは、アラム(シリヤ)のレツィンと反アッシリヤ同盟を結成した。
こうして強国アッシリヤに攻め寄せられてしまう口実を作ってしまったことになる。

15:29 イスラエルの王ペカの世に、アッスリヤの王テグラテピレセルが来て、イヨン、アベル・ベテマアカ、ヤノア、ケデシ、ハゾル、ギレアデ、ガリラヤ、ナフタリの全地を取り、人々をアッスリヤへ捕え移した。
15:30 時にエラの子ホセアは徒党を結んで、レマリヤの子ペカに敵し、彼を撃ち殺し、彼に代って王となった。これはウジヤの子ヨタムの第二十年であった。
15:31 ペカのその他の事績と彼がしたすべての事は、イスラエルの王の歴代志の書にしるされている。

ペカもまた謀反により殺害され、彼に代わってホセアが王となった。
このホセアが、北イスラエル王国最後の王となり、北イスラエルはアッシリヤによって散り散りにされてしまう事となる。
ガリラヤは異邦人のガリラヤとされ、ゼブルンとナフタリは、はずかしめを受けた。

北イスラエル王国はなんとすさんだ時代を送って来ただろうか。
それはひとえに、主に聞き従わず頑なに自分の好む道を歩み、主からの言葉と預言者を退け続けて来たからだ。

イザヤ8:19 人々があなたがたにむかって「さえずるように、ささやくように語る巫子および魔術者に求めよ」という時、民は自分たちの神に求むべきではないか。生ける者のために死んだ者に求めるであろうか。
8:20 ただ教とあかしとに求めよ。まことに彼らはこの言葉によって語るが、そこには夜明けがない。
8:21 彼らはしえたげられ、飢えて国の中を経あるく。その飢えるとき怒りを放ち、自分たちの王、自分たちの神をのろい、かつその顔を天に向ける。
8:22 また地を見ると、見よ、悩みと暗きと、苦しみのやみとがあり、彼らは暗黒に追いやられる。

まさにイザヤが言っている通りである。おしえとあかし、すなわち、御言葉と主を告白する事をしない者には、夜明けは来ない。
北イスラエルには夜明けは来なかった。おしえとあかしに戻らなかったからだ。
しかしイザヤは、続けて預言している。

イザヤ9:1 しかし、苦しみにあった地にも、やみがなくなる。さきにはゼブルンの地、ナフタリの地にはずかしめを与えられたが、後には海に至る道、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤに光栄を与えられる。
9:2 暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。

ずっと後の時代、イエス様がこのガリラヤ地方で福音をのべ伝え始める。
その間、非常に長い時代、主から離れ、呪われ、蹂躙される時代を送ってきた。
アッシリヤ、バビロン、メディア、ペルシャ、ギリシャの5帝国を経て、6帝国目のローマ時代に、ようやくイエス様が来られた。
ヨハネ4章にサマリヤの女の話が出てくるが、彼女には5人の夫があったが今一緒にいるのは夫ではない、とイエス様から私的された。
イエス様こそ、まことの夫となれるお方である。
このお方こそまことの光、異邦人を照らす希望の光である。

私達は、北イスラエル王国が歩んだような、反逆と殺戮、闇の歴史を歩む必要は無い。
ただイエス様とともに歩むなら、そのような歩みとは無縁の、光と祝福の中で生きる事ができるのだ。

ウジヤ王 - 人生前半は主の道に歩み祝福され、後半は高ぶってしまった王(2列王記15:1-7)
Youtube動画
メッセージ音声

話は再び、南ユダ王国に移る。
15:1 イスラエルの王ヤラベアムの第二十七年に、ユダの王アマジヤの子アザリヤが王となった。
アザリヤ(新改訳:アザルヤ)は、2歴代誌やマタイ1章の系図では「ウジヤ」となっている。
アザルヤの名前の意味は「主に助けられる」、ウジヤの意味は「主の力」である。

15:2 彼が王となった時は十六歳で、五十二年の間エルサレムで世を治めた。その母はエルサレムの出身で、名をエコリアといった。
15:3 彼は主の目にかなう事を行い、すべての事を父アマジヤが行ったようにおこなった。

列王記における彼と彼の父の評価は「主の目にかなう」であったが、歴代誌を見ると、彼らの人生の後半は主に嫌われる事を行った事が分かる。
また、マタイ1章の系図では、ウジヤはかろうじて名前が載っているものの、彼の父アマツヤは除外されてしまっている。
人の評価と神の評価は違うのだ。列王記はバビロン捕囚直前に、歴代誌は捕囚後に記されたと言われているが、人の目には「この人は神に喜ばれている」と見られていても、後になって初めてそうでなかったと分かる事もあるのだ。

15:5 主が王を撃たれたので、その死ぬ日まで、らい病人となって、離れ家に住んだ。王の子ヨタムが家の事を管理し、国の民をさばいた。
15:6 アザリヤのその他の事績と、彼がしたすべての事は、ユダの王の歴代志の書にしるされているではないか。
15:7 アザリヤはその先祖たちと共に眠ったので、彼をダビデの町にその先祖たちと共に葬った。その子ヨタムが代って王となった。

彼はなぜ主に打たれてしまったのか。歴代誌に詳細に記されている。

2歴代誌26:4 ウジヤは父アマジヤがしたように、すべて主の良しと見られることを行った。
26:5 彼は神を恐れることを自分に教えたゼカリヤの世にある日の間、神を求めることに努めた。彼が主を求めた間、神は彼を栄えさせられた。

ウジヤには、ゼカリヤという霊的に指導し訓戒してくれる霊の父がいたようである。
彼が生きていて、目の前で指導してくれている間は、正しい道に歩み、それによって主は彼を大いに祝福して下さった。
彼は軍事、経済、事業で大いなるものとなったのだが、人は、成功した時こそ、真に気をつけるべきである。

2歴代誌26:16 ところが彼は強くなるに及んで、その心に高ぶり、ついに自分を滅ぼすに至った。すなわち彼はその神、主にむかって罪を犯し、主の宮にはいって香の祭壇の上に香をたこうとした。

主の宮で聖なる香を捧げる事ができるのは、主から選ばれたアロンの子孫、聖別された祭司のみである。
いかに王といえど、主の前には聖別されていない人、選ばれていない人なのだ。

26:17 その時、祭司アザリヤは主の祭司である勇士八十人を率いて、彼のあとに従ってはいり、
26:18 ウジヤ王を引き止めて言った、「ウジヤよ、主に香をたくことはあなたのなすべきことではなく、ただアロンの子孫で、香をたくために清められた祭司たちのすることです。すぐ聖所から出なさい。あなたは罪を犯しました。あなたは主なる神から栄えを得ることはできません」。

彼は祭司から戒められた。確かに御言葉に沿った戒めである。
この時点で彼は主に打たれてはいない。この時に自分のしたいと思っていた事を止め、出ていれば良かったのであるが、彼はその戒めを怒りとともに退けた。

26:19 するとウジヤは怒りを発し、香炉を手にとって香をたこうとしたが、彼が祭司に向かって怒りを発している間に、らい病がその額に起った。時に彼は主の宮で祭司たちの前、香の祭壇のかたわらにいた。
26:20 祭司の長アザリヤおよびすべての祭司たちが彼を見ると、彼の額にらい病が生じていたので、急いで彼をそこから追い出した。彼自身もまた主に撃たれたことを知って、急いで出て行った。

ウジヤは、聖別されていない身で、怒りの心をもって、主に香を焚こうとした。
大祭司アロンの子、ナダブとアビフさえ、御前で異なった香を焚こうとしたなら御前から火が出て打たれたのだ。それはどれ程大きな罪であっただろうか。
主の御前で、ふさわしくない者、ふさわしくない心で、祈りの香、賛美の香、奉仕という香を上らせるのは、忌み嫌われる事である。
私達は、ウジヤのように、怒り狂ったような、ふさわしくない心で主に捧げていないだろうか。

26:21 ウジヤ王は、死ぬ日までらい病人であった。彼はらい病人であったので、離れ殿に住んだ。主の宮から断たれたからである。その子ヨタムが王の家をつかさどり、国の民を治めた。
26:22 ウジヤのその他の始終の行為は、アモツの子預言者イザヤがこれを書きしるした。
26:23 ウジヤは先祖たちと共に眠ったので、人々は「彼はらい病人である」と言って、王たちの墓に連なる墓地に、その先祖たちと共に葬った。その子ヨタムが彼に代って王となった。

ウジヤは王権からも主の宮からも追い出されてしまい、王が葬られるべき所に葬ってもらえなかった。
私達も、高ぶること、怒る事、分を超えてしまうような事によって、彼のようになってはならない。
このウジヤ王が死んだ年、預言者イザヤの本格的な召命があった。

イザヤ6:1 ウジヤ王の死んだ年、わたしは主が高くあげられたみくらに座し、その衣のすそが神殿に満ちているのを見た。
6:2 その上にセラピムが立ち、おのおの六つの翼をもっていた。その二つをもって顔をおおい、二つをもって足をおおい、二つをもって飛びかけり、
6:3 互に呼びかわして言った。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ」。
6:4 その呼ばわっている者の声によって敷居の基が震い動き、神殿の中に煙が満ちた。

主は、人の何かによって汚れを受けるお方ではなく、いと高き、聖なるお方である。
この主を前に、人はいかなる心をもって進み出るべきか。

6:5 その時わたしは言った、「わざわいなるかな、わたしは滅びるばかりだ。わたしは汚れたくちびるの者で、汚れたくちびるの民の中に住む者であるのに、わたしの目が万軍の主なる王を見たのだから」。

イザヤは預言者であったが、絶望した。主の圧倒的な聖にひきかえ、自分はいかに汚れたものか、とくに、くちびるがいかに汚れた者であるのかを。
主は、心砕かれたたましい、砕かれた悔いた心の者に、近づいてくださる。

6:6 この時セラピムのひとりが火ばしをもって、祭壇の上から取った燃えている炭を手に携え、わたしのところに飛んできて、
6:7 わたしの口に触れて言った、「見よ、これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの悪は除かれ、あなたの罪はゆるされた」。
6:8 わたしはまた主の言われる声を聞いた、「わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのために行くだろうか」。その時わたしは言った、「ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください」。

こうしてイザヤはさらに優れた預言者として働きに入る。
私達はいかなる心をもって、主の御前に祈りの香を、賛美の香を、奉仕の香をささげるべきであろうか。
ウジヤ(主の力)とイザヤ(主は救い)。この二人から私達は学ぶ事が出来る。
私達は主の力よりも、主の救いを求めるべきなのだ。

メインメニュー
礼拝ライブ中継

礼拝ライブ中継!

礼拝ライブ中継!

過去の礼拝映像も視聴できます

メッセージ
Twitter
このページを紹介!

 
 
 
 
 
礼拝週報
携帯メールで毎日メッセージを購読!無料!

以下コードを読み込み、空メールを送信すれば登録できます。

パソコン/ウィルコム/スマートフォンで受信:以下にメールアドレスを入力下さい。

メルマガ購読・解除
日々のバイブルメッセージ
   
バックナンバー
powered by まぐまぐトップページへ
Podcast

以下画像をitunesへドラッグすれば、更新が自動的にPodcast配信されるようになります。

※2016/1/1より以前に登録された方は、再度、以下Podcast画像をitunesへドラッグする必要があります。

 主日礼拝ポッドキャスト

定期祈祷会ポッドキャスト

その他音声 ポッドキャスト

天声モバイルサイト!

検索
Copyright ©横浜天声キリスト教会
All Rights Reserved.
 〒231-0058 神奈川県横浜市中区弥生町2-17 ストークタワー大通公園-201
TEL/FAX:045-326-6211

ephes_03-tensei@ yahoo.co.jp
© 2010 Powered by XOOPS Cube 2.1
Welcome Guest