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メッセージ - 定期祈祷会メッセージカテゴリのエントリ

ナバル、アビガイル - 頑なの中で死んで行く性質と、王家へ嫁いで行く高貴な性質(1サムエル記25:1-42)
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審判の問題 - エレミヤ書の9つのGolden Key 2/9(エレミヤ7:12)
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エレミヤはバビロン捕囚の直前から主から預言者として召され、その激動の時代の最っただ中を見聞きし、活躍した預言者である。
エレミヤ書はこの週末の時代を読み解く上で非常に重要な書であるが、このエレミヤ書を読み解く上で重要な節が、9つある。
今回はその2つ目を見ていきたい。

エレミヤ7:12 わたしが初めにわたしの名を置いた場所シロへ行き、わが民イスラエルの悪のために、わたしがその場所に対して行ったことを見よ。
この箇所が、2つ目の鍵である。

主はここで、シロにおいて行われた事を見よ、と言っている。
シロはかつて主の箱が置かれ、礼拝が行われていた所だ。
しかしそこは、祭司の堕落によって、主の箱は取り上げられ、その場所は荒廃してしまった。(1サムエル記2-4章)
その審判を覚えよ、と主は言っている。
二番目の鍵は、すなわち「審判」である。

主が神の民に望んでいた事は、直前の節に書いてある。
7:5 もしあなたがたが、まことに、その道と行いを改めて、互に公正を行い、
7:6 寄留の他国人と、みなしごと、やもめをしえたげることなく、罪のない人の血をこの所に流すことなく、また、ほかの神々に従って自ら害をまねくことをしないならば、
7:7 わたしはあなたがたを、わたしが昔あなたがたの先祖に与えたこの地に永遠に住まわせる。

しかし、神の民がして来た事といえば、その全く逆、主の怒りを引き起こす事だった。
7:8 見よ、あなたがたは偽りの言葉を頼みとしているが、それはむだである。
7:9 あなたがたは盗み、殺し、姦淫し、偽って誓い、バアルに香をたき、あなたがたが以前には知らなかった他の神々に従いながら、
7:10 わたしの名をもって、となえられるこの家に来てわたしの前に立ち、『われわれは救われた』と言い、しかもすべてこれら憎むべきことを行うのは、どうしたことか。
7:11 わたしの名をもって、となえられるこの家が、あなたがたの目には盗賊の巣と見えるのか。わたし自身、そう見たと主は言われる。

主は、主の宮を、強盗の巣とまで言った。
主に向かっての、心からの礼拝が行われるはずの主の宮を、人々は、表向きはきよい有様を取り繕っていて、そこに集う人々から搾取し、奪い、利益をむさぼる所と勘違いして、公然と、羊の毛をかぶった狼が集う所にしてしまっている。
それを主が咎めて、言ったのだ。
エレミヤ7:12 わたしが初めにわたしの名を置いた場所シロへ行き、わが民イスラエルの悪のために、わたしがその場所に対して行ったことを見よ。

悪しき事を行っている人が、いかに栄えているように見えても、神は必ず彼らを裁かれる。
人は必ず、神の御前に出て、さばきを受けなくてはならない事が、聖書には記されている。

黙示録20:12 また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。
20:13 海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そして、おのおのそのしわざに応じて、さばきを受けた。
20:14 それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。
20:15 このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。

神は、それぞれを、地上において行った、行いに応じて裁く、と言われた。

2コリント5:10 なぜなら、わたしたちは皆、キリストのさばきの座の前にあらわれ、善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである。

ここで「裁きの座」と訳された語は、原語では「ベマ」、裁判席の意味もあり、また、表彰台の意味もある。
確かに地上において主に対し悪を行った者は、死後の「さばき」において永遠の苦しみが定められるが、キリストにある者は、そのさばきにおいて、永遠の報いが与えられる。
そしてキリストにある者たちは、表彰台に立たせられ、そこで、地上において為した「行い」に応じて、賞が与えられるのだ。
死んだ後どうなるのかが怖い、と言う人がいるが、キリストと共に歩む生活をしていく内に、いつしかその恐れは消えて平安が与えられていくし、何より、キリストにある者達は、さばきの日、どうなるかは、以下の御言葉で語られている。

1テサロニケ4:13 兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。
4:14 わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。
4:15 わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないであろう。
4:16 すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、
4:17 それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。

主が再臨する時、最初に、キリストにあって眠った者が起こされる。
次に、キリストにあって生きている人は、生きたまま瞬時に変化され、雲の上に引き上げられる。
土に還った人、あるいは大地に、あるいは海に、と、様々な形で死んだ人がいるが、キリストにあって眠らされた人は全て起こされ、復活する。

どのような体で、復活するのだろうか。
死んだ時の姿のままで、ではない。生きている間に、手足が欠けていた人は、その状態で、ではないし、メガネをかけていた人はメガネをかけたままで、でもない。
第一コリント15章を見れば明白であり、すなわち完全な体、聖なる体、変化された体で、である。
主が再臨される時、土に還った体は、一瞬にして、聖なる、完全な、変化された体へと変えられるのだ。

主は確かに来られる。
今、いかに悪がはびこって彼らが栄えて何のむくいを受けていないように見えても、神は必ず報いを携えて来られる。
私達は、悪にならって霊的に眠ってしまう者ではなく、いつも目を覚まして主の来られる事を祈り求め、いつでも「アァメン、主イエスよ、きたりませ。」(黙示録22:20)と告白する「賢い花嫁」でありたい。
 

世の終わりに望む私達が目を向けるべき所:シオン - エレミヤ書の9つのGolden Key 1/9(エレミヤ25:8-14)
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エレミヤはバビロン捕囚の直前から主から預言者として召され、その激動の時代の最っただ中を見聞きし、活躍した預言者である。
エレミヤ書はこの週末の時代を読み解く上で非常に重要な書であるが、このエレミヤ書を読み解く上で重要な節が、9つある。
今回はその1つ目を見ていきたい。

25:8 それゆえ万軍の主はこう仰せられる、あなたがたがわたしの言葉に聞き従わないゆえ、
25:9 見よ、わたしは北の方のすべての種族と、わたしのしもべであるバビロンの王ネブカデレザルを呼び寄せて、この地とその民と、そのまわりの国々を攻め滅ぼさせ、これを忌みきらわれるものとし、人の笑いものとし、永遠のはずかしめとすると、主は言われる。
25:10 またわたしは喜びの声、楽しみの声、花婿の声、花嫁の声、ひきうすの音、ともしびの光を彼らの中に絶えさせる。
25:11 この地はみな滅ぼされて荒れ地となる。そしてその国々は七十年の間バビロンの王に仕える。
25:12 主は言われる、七十年の終った後に、わたしはバビロンの王と、その民と、カルデヤびとの地を、その罪のために罰し、永遠の荒れ地とする。
25:13 わたしはあの地について、わたしが語ったすべての言葉をその上に臨ませる。これはエレミヤが、万国のことについて預言したものであって、みなこの書にしるされている。
25:14 多くの国々と偉大な王たちとは、彼らをさえ奴隷として仕えさせる。わたしは彼らの行いと、その手のわざに従って報いる」。

エレミヤの時代、イスラエルは不信仰ゆえにバビロンの王ネブカデネザルに攻め滅ぼされ、その地は荒廃したが、主は70年という時を定められた。
70年の終わった後、主はイスラエルを攻め滅ぼした国をさばき、イスラエルを顧みてその土地に帰してくださった。
今年、イスラエル建国70年周年の今、終わりの時代に直面している私達が指針とすべき所を、エレミヤ書から学びたい。

エレミヤ書は、預言者エレミヤの召命から始まるが、はじめに彼に見せられた幻は、アーモンドשָׁקֵ֖דシャケードの枝だった。

1:11 主の言葉がまたわたしに臨んで言う、「エレミヤよ、あなたは何を見るか」。わたしは答えた、「あめんどう(アーモンド:シャケード)の枝を見ます」。
1:12 主はわたしに言われた、「あなたの見たとおりだ。わたしは自分の言葉を行おうとして見張っている(シャケァド)のだ」。

イスラエルにあるアーモンドは、全ての木々が寝静まっている真冬に、真っ先に花咲いて新芽が出てくる。
伝道書にも出てくるし、民数記においてはアロンの杖、すなわち、木としては死んだはずの杖から、芽が出て、花が咲き、実を結んだ木であり、イスラエル民族のヒストリーを象徴する木である。
主は、主の言葉が実行される事を、あのエレミヤの時代のみならず、現代もずっと見張って(シャケァド)おられるのだ。

次に見せられた幻は、煮えたぎるなべだった。

1:13 主の言葉がふたたびわたしに臨んで言う、「あなたは何を見るか」。わたしは答えた、「煮え立っているなべを見ます。北からこちらに向かっています」。
1:14 主はわたしに言われた、「災が北から起って、この地に住むすべての者の上に臨む」。

この御言葉の通り、預言者の警告を聞いても耳を貸さなかったイスラエルには、北からバビロンが攻めて来た。
そして、終わりの時代にも、ゴグという北の大国が、メシェクとトバルと連合してイスラエルを攻めてくる事がエゼキエル書38-39章、黙示録20章に記されている。

世の終わりが近づくと、確かに戦争のうわさや地震やききんが起きる事がマタイ24章に記されているが、それはまだ終わりではない。
シオン、すなわちエルサレムがそれら3国に包囲されない間は。
それまで、世界的な大国どうしの戦争や、大小の戦争のうわさを耳にするであろうが、しかし、まだ終わりではない。
私達はこの時、何に目を向けるべきか。

エレミヤ4:6 シオンの方を示す旗を立てよ。避難せよ、とどまってはならない、わたしが北から災と/大いなる破滅をこさせるからだ。

コーエン大学副総長のカン・シンゴン博士は、エレミヤ書を読み解き時代を読み解く9つの鍵の一つ目として、このエレミヤ書4章6節を掲げた。(第44回韓国コーエン講義)
シオンを示す旗を立てよ、と言われている。
シオンの元々の意味は「保護される」「日差しが良い」で、旧約においてはエルサレムの、特に神殿の丘をあらわすが、新約においては啓示を含めた象徴的な単語である。(1ペテロ2:6、啓示録14:1)

終わりの時は、シオンの問題を無視しては通れない。
シオンの方を示す旗を立てよ。
私達はシオンへと心を向けるべきだが、その指針が第一ペテロに記されている。

1ペテロ2:6 聖書にこう書いてある、/「見よ、わたしはシオンに、/選ばれた尊い石、隅のかしら石を置く。それにより頼む者は、/決して、失望に終ることがない」。
2:7 この石は、より頼んでいるあなたがたには尊いものであるが、不信仰な人々には「家造りらの捨てた石で、隅のかしら石となったもの」、

シオンに置かれた尊い礎石、私達が目を向け旗を掲げるべきは、イエス・キリストである。
私達は彼により頼み、のぞみを置くなら、決して失望させられる事は無い。
どんな時代になっても、である。

終わりの時代には、確かにシオンが鍵となる。しかし、成すべき事は、シオニズム運動に加わる事ではなく、イエス・キリストに望みを置く事だ。

1ペテロ2:1 だから、あらゆる悪意、あらゆる偽り、偽善、そねみ、いっさいの悪口を捨てて、
2:2 今生れたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。それによっておい育ち、救に入るようになるためである。
2:3 あなたがたは、主が恵み深いかたであることを、すでに味わい知ったはずである。
2:4 主は、人には捨てられたが、神にとっては選ばれた尊い生ける石である。
2:5 この主のみもとにきて、あなたがたも、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のいけにえを、ささげなさい。

私達は終わりの時代、動かされる事なく、しっかり御言葉にとどまり、混じりけのない御言葉の乳によって養われ、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となり、イエス・キリストにより神によろこばれるいけにえを捧げる者でありたい。

愛のわざを行わず永遠に後悔するハデスの住人(ルカ16:19-31)
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ルカ16:19 ある金持がいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮していた。
16:20 ところが、ラザロという貧しい人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわり、
16:21 その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。
16:22 この貧しい人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた。
16:23 そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。
16:24 そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。
16:25 アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。
16:26 そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』。
16:27 そこで金持が言った、『父よ、ではお願いします。わたしの父の家へラザロをつかわしてください。
16:28 わたしに五人の兄弟がいますので、こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告していただきたいのです』。
16:29 アブラハムは言った、『彼らにはモーセと預言者とがある。それに聞くがよかろう』。
16:30 金持が言った、『いえいえ、父アブラハムよ、もし死人の中からだれかが兄弟たちのところへ行ってくれましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。
16:31 アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』」。

ヨハネ5:38 また、神がつかわされた者を信じないから、神の御言はあなたがたのうちにとどまっていない。
5:39 あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
5:40 しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとにこようともしない。
5:41 わたしは人からの誉を受けることはしない。
5:42 しかし、あなたがたのうちには神を愛する愛がないことを知っている。
5:43 わたしは父の名によってきたのに、あなたがたはわたしを受けいれない。もし、ほかの人が彼自身の名によって来るならば、その人を受けいれるのであろう。
5:44 互に誉を受けながら、ただひとりの神からの誉を求めようとしないあなたがたは、どうして信じることができようか。
5:45 わたしがあなたがたのことを父に訴えると、考えてはいけない。あなたがたを訴える者は、あなたがたが頼みとしているモーセその人である。
5:46 もし、あなたがたがモーセを信じたならば、わたしをも信じたであろう。モーセは、わたしについて書いたのである。
5:47 しかし、モーセの書いたものを信じないならば、どうしてわたしの言葉を信じるだろうか」。

働きも信仰も主から与えられる恵み故に、主にただ感謝するのみ(ルカ17:1-19)
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17:1 イエスは弟子たちに言われた、「罪の誘惑が来ることは避けられない。しかし、それをきたらせる者は、わざわいである。
17:2 これらの小さい者のひとりを罪に誘惑するよりは、むしろ、ひきうすを首にかけられて海に投げ入れられた方が、ましである。
17:3 あなたがたは、自分で注意していなさい。もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、彼をいさめなさい。そして悔い改めたら、ゆるしてやりなさい。
17:4 もしあなたに対して一日に七度罪を犯し、そして七度『悔い改めます』と言ってあなたのところへ帰ってくれば、ゆるしてやるがよい」。
17:5 使徒たちは主に「わたしたちの信仰を増してください」と言った。
17:6 そこで主が言われた、「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、『抜け出して海に植われ』と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう。
17:7 あなたがたのうちのだれかに、耕作か牧畜かをする僕があるとする。その僕が畑から帰って来たとき、彼に『すぐきて、食卓につきなさい』と言うだろうか。
17:8 かえって、『夕食の用意をしてくれ。そしてわたしが飲み食いするあいだ、帯をしめて給仕をしなさい。そのあとで、飲み食いをするがよい』と、言うではないか。
17:9 僕が命じられたことをしたからといって、主人は彼に感謝するだろうか。
17:10 同様にあなたがたも、命じられたことを皆してしまったとき、『わたしたちはふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません』と言いなさい」。
17:11 イエスはエルサレムへ行かれるとき、サマリヤとガリラヤとの間を通られた。
17:12 そして、ある村にはいられると、十人のらい病人に出会われたが、彼らは遠くの方で立ちとどまり、
17:13 声を張りあげて、「イエスさま、わたしたちをあわれんでください」と言った。
17:14 イエスは彼らをごらんになって、「祭司たちのところに行って、からだを見せなさい」と言われた。そして、行く途中で彼らはきよめられた。
17:15 そのうちのひとりは、自分がいやされたことを知り、大声で神をほめたたえながら帰ってきて、
17:16 イエスの足もとにひれ伏して感謝した。これはサマリヤ人であった。
17:17 イエスは彼にむかって言われた、「きよめられたのは、十人ではなかったか。ほかの九人は、どこにいるのか。
17:18 神をほめたたえるために帰ってきたものは、この他国人のほかにはいないのか」。
17:19 それから、その人に言われた、「立って行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのだ」。

ハイルな(尊厳ある)男・ボアズの性質(ルツ記4:9-12)
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ルツ記4:9 ボアズは長老たちとすべての民に言った、「あなたがたは、きょう、わたしがエリメレクのすべての物およびキリオンとマロンのすべての物をナオミの手から買いとった事の証人です。
4:10 またわたしはマロンの妻であったモアブの女ルツをも買って、わたしの妻としました。これはあの死んだ者の名を起してその嗣業を伝え、死んだ者の名がその一族から、またその郷里の門から断絶しないようにするためです。きょうあなたがたは、その証人です」。

ヨハネ19:30 すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、「すべてが終った」と言われ、首をたれて息をひきとられた。

ルツ記4:11 すると門にいたすべての民と長老たちは言った、「わたしたちは証人です。どうぞ、主があなたの家にはいる女を、イスラエルの家をたてたラケルとレアのふたりのようにされますよう。どうぞ、あなたがエフラタで富を得、ベツレヘムで名を揚げられますように。
4:12 どうぞ、主がこの若い女によってあなたに賜わる子供により、あなたの家が、かのタマルがユダに産んだペレヅの家のようになりますように」。

マタイ16:24 それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
16:25 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。

イザヤ58:6 わたしが選ぶところの断食は、悪のなわをほどき、くびきのひもを解き、しえたげられる者を放ち去らせ、すべてのくびきを折るなどの事ではないか。
58:7 また飢えた者に、あなたのパンを分け与え、さすらえる貧しい者を、あなたの家に入れ、裸の者を見て、これを着せ、自分の骨肉に身を隠さないなどの事ではないか。
58:8 そうすれば、あなたの光が暁のようにあらわれ出て、あなたは、すみやかにいやされ、あなたの義はあなたの前に行き、主の栄光はあなたのしんがりとなる。
58:9 また、あなたが呼ぶとき、主は答えられ、あなたが叫ぶとき、『わたしはここにおる』と言われる。もし、あなたの中からくびきを除き、指をさすこと、悪い事を語ることを除き、
58:10 飢えた者にあなたのパンを施し、苦しむ者の願いを満ち足らせるならば、あなたの光は暗きに輝き、あなたのやみは真昼のようになる。
58:11 主は常にあなたを導き、良き物をもってあなたの願いを満ち足らせ、あなたの骨を強くされる。あなたは潤った園のように、水の絶えない泉のようになる。
58:12 あなたの子らは久しく荒れすたれたる所を興し、あなたは代々やぶれた基を立て、人はあなたを『破れを繕う者』と呼び、『市街を繕って住むべき所となす者』と/呼ぶようになる。

聖霊に息吹かれた初代教会の有様(使徒2:37-42)
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使徒2:37 人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに、「兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と言った。
2:38 すると、ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。
2:39 この約束は、われらの主なる神の召しにあずかるすべての者、すなわちあなたがたと、あなたがたの子らと、遠くの者一同とに、与えられているものである」。
2:40 ペテロは、ほかになお多くの言葉であかしをなし、人々に「この曲った時代から救われよ」と言って勧めた。
2:41 そこで、彼の勧めの言葉を受けいれた者たちは、バプテスマを受けたが、その日、仲間に加わったものが三千人ほどあった。
2:42 そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。

マルコ4:14 種まきは御言をまくのである。

1コリント5:6 あなたがたが誇っているのは、よろしくない。あなたがたは、少しのパン種が粉のかたまり全体をふくらませることを、知らないのか。
5:7 新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたは、事実パン種のない者なのだから。わたしたちの過越の小羊であるキリストは、すでにほふられたのだ。
5:8 ゆえに、わたしたちは、古いパン種や、また悪意と邪悪とのパン種を用いずに、パン種のはいっていない純粋で真実なパンをもって、祭をしようではないか。

使徒4:23 ふたりはゆるされてから、仲間の者たちのところに帰って、祭司長たちや長老たちが言ったいっさいのことを報告した。
4:24 一同はこれを聞くと、口をそろえて、神にむかい声をあげて言った、「天と地と海と、その中のすべてのものとの造りぬしなる主よ。
4:25 あなたは、わたしたちの先祖、あなたの僕ダビデの口をとおして、聖霊によって、こう仰せになりました、/『なぜ、異邦人らは、騒ぎ立ち、/もろもろの民は、むなしいことを図り、
4:26 地上の王たちは、立ちかまえ、/支配者たちは、党を組んで、/主とそのキリストとに逆らったのか』。
4:27 まことに、ヘロデとポンテオ・ピラトとは、異邦人らやイスラエルの民と一緒になって、この都に集まり、あなたから油を注がれた聖なる僕イエスに逆らい、
4:28 み手とみ旨とによって、あらかじめ定められていたことを、なし遂げたのです。
4:29 主よ、いま、彼らの脅迫に目をとめ、僕たちに、思い切って大胆に御言葉を語らせて下さい。
4:30 そしてみ手を伸ばしていやしをなし、聖なる僕イエスの名によって、しるしと奇跡とを行わせて下さい」。
4:31 彼らが祈り終えると、その集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされて、大胆に神の言を語り出した。

エペソ6:17 また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。

邪悪な時代の中に輝く、尊厳ある(ハイルな)男と女(ルツ4:1-8)
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ルツ記3章は、いわばルツの「婚活」の場面であるが、その「婚活」は、現代の婚活とは、全く逆のアプローチである。
現代の婚活は、いかに自分が提示する条件に合った、自分好みの相手を見つけ、折り合いをつけ、あるいは妥協しつつ結婚するか、という、いわば自分主体の活動であるが、このルツとボアズという栄光の家系の婚活は、全くその逆で、自分好み・自分主体は一切なく、信仰の先輩のアドバイス主体、そして、御言葉主体である。

ルツは自分の好む事を退け、御言葉に適った相手であるボアズへ求婚したゆえに、ボアズから「しっかりした女(エシェット・ハイル:尊厳ある女 箴言31:10、12:4)」と言われる栄誉を受けた。
ボアズもまた、御言葉主体に歩んだゆえ、尊厳ある有力な男(イシュ・ギボル・ハイル:ルツ記2:1)として、当時、名を馳せた。

邪悪な価値観がはびこる士師記の時勢において、しっかりした信仰を育み、ダビデへと、そしてキリストへとつなぐ栄光の家系の基を築いた「エシェットな(尊厳ある)」男女、ボアズ・ルツのあり方を学びたい。

4:1 ボアズは町の門のところへ上っていって、そこにすわった。すると、さきにボアズが言った親戚の人が通り過ぎようとしたので、ボアズはその人に言った、「友よ、こちらへきて、ここにおすわりください」。彼はきてすわった。

ボアズはルツの願いを叶える手続きをするために、町の門の所へ行った。
当時、町の門の所は、重要な取引や裁判などが行われる場所である。

日本語の聖書では「友よ、こちらへきて、ここにおすわりください」と訳されているが、原文は、「そこの君、こちらに来て、そこに座りなさい」というように、目上の人が目下の人に指示するような感じである。
だから、ボアズはその親戚より目上で、しかも彼は町の長老10人を呼んで座らせる程の有力者だった事が伺える。

4:2 ボアズはまた町の長老十人を招いて言った、「ここにおすわりください」。彼らがすわった時、
4:3 ボアズは親戚の人に言った、「モアブの地から帰ってきたナオミは、われわれの親族エリメレクの地所を売ろうとしています。

ボアズは人々の前で、堂々と手順を踏んだ。
有力者たる人のたしなみは、正当な手順を踏みつつ、人々の前で堂々と物事を行う人である。

物事には、手順がある。集団で物事を行う手順、契約を結ぶ手順、男女関係における手順など。
そうした手順を、正当に踏んで行うなら、誰にも非難されるところは無く、人々から祝福を受けつつ人生を送るのだが、為すべき手順を面倒くさがったり、ないがしろにするような人は、いつまでも人から認められなかったり、重要な事が任せられなかったりする。

4:4 それでわたしはそのことをあなたに知らせて、ここにすわっている人々と、民の長老たちの前で、それを買いなさいと、あなたに言おうと思いました。もし、あなたが、それをあがなおうと思われるならば、あがなってください。しかし、あなたがそれをあがなわないならば、わたしにそう言って知らせてください。それをあがなう人は、あなたのほかにはなく、わたしはあなたの次ですから」。彼は言った、「わたしがあがないましょう」。

もし、このボアズよりも買い戻しの責任が重い親類、名前が無いので仮にAさんとすると、このAさんの存在をルツはもともと知らず、またAさんもルツを知らなかっただろう。
もし彼が買い戻すとなると、ルツ・ボアズ・ナオミが願っていた結果とは、かなり違ってしまう。
しかしボアズは、淡々と律法の決まり事を、そのとおり言う。

4:5 そこでボアズは言った、「あなたがナオミの手からその地所を買う時には、死んだ者の妻であったモアブの女ルツをも買って、死んだ者の名を起してその嗣業を伝えなければなりません」。
4:6 その親戚の人は言った、「それでは、わたしにはあがなうことができません。そんなことをすれば自分の嗣業をそこないます。あなたがわたしに代って、自分であがなってください。わたしはあがなうことができませんから」。

その人は、ルツをも買い戻さなくてはならない、と聞いた途端、及び腰になった。なぜなら、「そんなことをすれば自分の嗣業(相続地)をそこない」かねないからである。
買戻しの話とは、買戻す側にとっては、デメリットしか無いような話である。
なぜなら、落ちぶれてしまった親類の畑を買い戻す時、その畑は自分のものとはならないし、死んでしまった人の妻をめとって、その最初に生まれた男子に死んでしまった親類の名を継がせ、さらに、その買い戻した畑は、買い戻した人のものにはならずに、その子のものとなる。
そして、もし、男子が一人しか生まれないとするなら、Aさんが心配する通り、自分の相続地をそこなう事になりかねないのだ。
それで彼は、「わたしはあがなうことができませんから」と言ったのだ。

神の民の間において、すなわち、現代の私達・教会の中において、絶えてしまいそうな兄弟姉妹を支えるのは、栄誉ある働きである。
しかし、支えるためには力量や富、そして、精神的ゆとりが必要である。
それが無い人が、心に憂いを覚えつつ、やせ我慢して、本当はしたくないのだけれども、心に鞭打って、助けのわざをしようとするのは、健全ではない。
このAさんのように、より助ける力のある人へとゆずるのが、全ての人にとって、良いのである。

4:7 むかしイスラエルでは、物をあがなう事と、権利の譲渡について、万事を決定する時のならわしはこうであった。すなわち、その人は、自分のくつを脱いで、相手の人に渡した。これがイスラエルでの証明の方法であった。
4:8 そこで親戚の人がボアズにむかい「あなたが自分であがないなさい」と言って、そのくつを脱いだので、

足のくつを脱いで、相手に渡す。それは、自分が足の下に置く権利を相手に明け渡す象徴的な行為である。
Aさんは、それをボアズへと渡した。
こうして、当初の彼らの願いどおりの事が、公の門前で、成就した。

イエス様こそ、私達を真に買い戻す力のある御方である。
人間の男性は、せっかく家を支えようとして、愛をもって、家族のために心身を捧げる素晴らしい夫であるとしても、弱さや病、死によって、完全に支えきれない事がつきものである。
しかし、イエス様は、死がなく、罪もなく、完全に私達を支えて下さる、まことの大祭司である。

ヘブル7:22 このようにして、イエスは更にすぐれた契約の保証となられたのである。
7:23 かつ、死ということがあるために、務を続けることができないので、多くの人々が祭司に立てられるのである。
7:24 しかし彼は、永遠にいますかたであるので、変らない祭司の務を持ちつづけておられるのである。
7:25 そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである。
7:26 このように、聖にして、悪も汚れもなく、罪人とは区別され、かつ、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとってふさわしいかたである。
7:27 彼は、ほかの大祭司のように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために、日々、いけにえをささげる必要はない。なぜなら、自分をささげて、一度だけ、それをされたからである。
7:28 律法は、弱さを身に負う人間を立てて大祭司とするが、律法の後にきた誓いの御言は、永遠に全うされた御子を立てて、大祭司としたのである。

私達はたとえ不完全な人間であったとしても、このボアズとルツのように、邪悪な時代の中にあっても尊厳ある(ハイルな)男、女となる事を目指し、キリストにあって家を建て、仕事を建て、この闇の時代において有力者となって行くものでありたい。

聖霊の力:罪について、義について、さばきについてその過ちを認めさせる(ヨハネ16:7-11)
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私達を助けてくださる「助け主」聖霊は、いかにして与えられ、いかなる助けをして下さるのか。

ヨハネ16:7 しかし、わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。
16:8 それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう。

聖霊が来る時、その人に罪について、義について、さばきについて、その三方面から、その過ちを認めさせる。
つまり、聖霊が無い人は、罪の自覚も知らず、義のあこがれも無く、地獄のさばきの恐ろしさも無いのだ。

イエス様はこれら3つについて、一つ一つ説明しておられる。

ヨハネ16:9 罪についてと言ったのは、彼らがわたしを信じないからである。

罪の本質、それは、イエス・キリストを信じない事である。
人は、罪有る、滅びるべき存在であるが、イエス様はそこから贖い救って下さるお方だ。

ヨハネ8:23 イエスは彼らに言われた、「あなたがたは下から出た者だが、わたしは上からきた者である。あなたがたはこの世の者であるが、わたしはこの世の者ではない。
8:24 だからわたしは、あなたがたは自分の罪のうちに死ぬであろうと、言ったのである。もしわたしがそういう者であることをあなたがたが信じなければ、罪のうちに死ぬことになるからである」。

なぜイエス様を信じない事が、罪になるのか。
それは、罪の対極である義についての説明を見ればわかる。

ヨハネ16:10 義についてと言ったのは、わたしが父のみもとに行き、あなたがたは、もはやわたしを見なくなるからである。

イエス様が御父の元に行き、イエス様をもはや地上において見なくなる。なぜそれが「義」なのか。

ヘブル10:10 この御旨に基きただ一度イエス・キリストのからだがささげられたことによって、わたしたちはきよめられたのである。
 10:11 こうして、すべての祭司は立って日ごとに儀式を行い、たびたび同じようないけにえをささげるが、それらは決して罪を除き去ることはできない。
 10:12 しかるに、キリストは多くの罪のために一つの永遠のいけにえをささげた後、神の右に座し、
 10:13 それから、敵をその足台とするときまで、待っておられる。
 10:14 彼は一つのささげ物によって、きよめられた者たちを永遠に全うされたのである。

キリストはただ一度、御父にいけにえとして捧げられた。
全焼のいけにえは、その全身を焼き尽くして地上には何も残らず、その煙が香ばしいかおりとなって御父の元に立ち上って行くが、同じようにキリストはただ一度、御父の元に香ばしいかおりとなって昇られた。
それによって御父はなだめられ、そして今、御父の元で私達の事をとりなしておられる。
だから、イエス様が御父の元に行って、イエス様がもはや地上において見えなくなる事が、「義」とされる事なのだ。

ヨハネ16:11 さばきについてと言ったのは、この世の君がさばかれるからである。

さばきの本質、それは、この世を支配する者が、さばかれる事である。
この世を支配する者・サタンは、昔、エデンの園において人を支配し、神の言葉の支配から人々を奪って、サタンの罪の力・死の力によって、全ての人はサタンの支配下に入ってしまった。

ルカ 4:5 それから、悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて
 4:6 言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。
 4:7 それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう」。
 4:8 イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。

私達もイエス様にならい、御言葉を受け入れ、イエス様の支配下に入って行くなら、私達もイエス様とともに、サタンを踏み砕く側に入るのである。

創世記 3:14 主なる神はへびに言われた、/「おまえは、この事を、したので、/すべての家畜、野のすべての獣のうち、/最ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、/一生、ちりを食べるであろう。
 3:15 わたしは恨みをおく、/おまえと女とのあいだに、/おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、/おまえは彼のかかとを砕くであろう」。

助け主・聖霊が降るなら、罪について、義について、さばきについて、知らされる。
私達は行く先々で、人々の心を刺し、罪と死とサタンの支配から脱却させ、キリストへと導くために、聖霊に満たされて出ていく必要があるのだ。

説教において必要なもの:聖霊の促しと、御言葉と、イエスのあかし(使徒2:14-36)
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弟子達は「異なる舌(ヘテロス・グロッサ)」が与えられ、口が全く変わってしまった。
彼らは確かに、他国人にも分かる言葉が与えられたが、彼らの言葉を聞いた、複数の言語を話す人達が一様にその言葉を聞いた時の感想は、彼らは「神の大きなみわざを語った」という事だった。
弟子達120名が、それぞれ別の言葉で話したのに、一致している事は、神の大きなみわざを語った事である。
これらの事は、人間技では有り得ない。
しかし、そのようなしるしが見せられても、自分になっとくの行く説明を自分でつけようとして、しかも、けちをつける者も出てくる。

使徒2:13  しかし、ほかの人たちはあざ笑って、「あの人たちは新しい酒で酔っているのだ」と言った。

そこでペテロは、十一人の者と共に、聖霊に「押し出され(ヒステミー)」、駆り立てられて、語り出す。
聖霊のわざは、いかんともしがたい衝動に駆られて語り、また行動するものだが、聖霊に押し出された言葉には、必ず、イエス・キリストの証があり、イエス・キリストを栄光化する言葉であう。
またそのわざには、必ず、イエス・キリストのご性質が現れる。
次のように書かれてあるからである。

ヨハネ16:13  けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。
Joh 16:14  御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。
Joh 16:15  父がお持ちになっているものはみな、わたしのものである。御霊はわたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるのだと、わたしが言ったのは、そのためである。

1ヨハネ4:1  愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。多くのにせ預言者が世に出てきているからである。
1Jn 4:2  あなたがたは、こうして神の霊を知るのである。すなわち、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は、すべて神から出ているものであり、
1Jn 4:3  イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。これは、反キリストの霊である。あなたがたは、それが来るとかねて聞いていたが、今やすでに世にきている。

ペテロは言った。
使徒2:15 今は朝の九時であるから、この人たちは、あなたがたが思っているように、酒に酔っているのではない。

そもそも、起こった出来事を見れば酒を飲んでではない事は明らかである。
彼らは風の大音響のために集まったのだし、色々な国の言葉を一瞬で身に付ける事も出来ないし、神様のおおいなるみわざは酔っ払って話せる事ではない。

ペテロはこの大きな奇跡よりも、むしろ、ナザレ人イエスというお方について、時間を割いて丁寧にメッセージし出す。
聖霊の特徴、それは、イエスのあかしである。
ペテロは、ヨエル書の言葉を引用し、この出来事は預言の成就であると宣言する。(16-21節)
それに続き、ペテロは、ナザレ人イエス・キリストについての説教に入る。
教会の説教には必ず、御言葉の引用とイエスのあかしが必要だが、その力の根源は、聖霊が促すものである。

2:22 イスラエルの人たちよ、今わたしの語ることを聞きなさい。あなたがたがよく知っているとおり、ナザレ人イエスは、神が彼をとおして、あなたがたの中で行われた数々の力あるわざ(デュナミス)と奇跡(テラス)としるし(セメイオン)とにより、神からつかわされた者であることを、あなたがたに示されたかたであった。

ペテロが語っている相手の人達は、祭りに集っていた人達である。
彼らが前回エルサレムに来た時は、過越祭であり、ちょうどその最中にイエス様は十字架につけられたので、彼らは、イエス様見ていたのだ。
イエス様は、数々の力あるわざ(デュナミス)と奇跡(テラス)としるし(セメイオン)、これら三つを通し、神から遣わされたお方である事を、示された。

2:23 このイエスが渡されたのは神の定めた計画と予知とによるのであるが、あなたがたは彼を不法の人々の手で十字架につけて殺した。
2:24 神はこのイエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせたのである。イエスが死に支配されているはずはなかったからである。

そのイエス様を、あなた方が、十字架につけたのだとペテロは歯に衣着せずに宣言し、そして、その復活された事を宣言する。

2:25 ダビデはイエスについてこう言っている、/『わたしは常に目の前に主を見た。主は、わたしが動かされないため、/わたしの右にいて下さるからである。
2:26 それゆえ、わたしの心は楽しみ、/わたしの舌はよろこび歌った。わたしの肉体もまた、望みに生きるであろう。
2:27 あなたは、わたしの魂を黄泉に捨ておくことをせず、/あなたの聖者が朽ち果てるのを、お許しにならない/であろう。
2:28 あなたは、いのちの道をわたしに示し、/み前にあって、わたしを喜びで満たして下さるであ/ろう』。
2:29 兄弟たちよ、族長ダビデについては、わたしはあなたがたにむかって大胆に言うことができる。彼は死んで葬られ、現にその墓が今日に至るまで、わたしたちの間に残っている。
2:30 彼は預言者であって、『その子孫のひとりを王位につかせよう』と、神が堅く彼に誓われたことを認めていたので、
2:31 キリストの復活をあらかじめ知って、『彼は黄泉に捨ておかれることがなく、またその肉体が朽ち果てることもない』と語ったのである。

すなわち、ダビデが言っていた「あなたは、わたしの魂を黄泉に捨ておくことをせず、/あなたの聖者が朽ち果てるのを、お許しにならない/であろう。」という言葉は、ダビデ自身がダビデの事を語ったのではない、事実彼は死んだ、だからこの事は、ダビデが「主」と告白したお方、すなわち、イエス様の事を語ったのだ、と論破したのだ。

2:32 このイエスを、神はよみがえらせた。そして、わたしたちは皆その証人なのである。
2:33 それで、イエスは神の右に上げられ、父から約束の聖霊を受けて、それをわたしたちに注がれたのである。このことは、あなたがたが現に見聞きしているとおりである。

ペテロは「あなたがたが現に見聞きしているとおり」と言った。
現に見ている出来事なのだから、彼らには弁解の余地は無い。
ヨエル書からこの出来事の説明がつき、ダビデの詩編から主キリストの復活を論破し、そして目の前に起きたこのしるし、それらをつきつけて、そしてダメ押しをする。

2:36 だから、イスラエルの全家は、この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである」。

あなた方が、十字架につけた。
確かに、これを聞いていた群衆の中には、イエス様を十字架につけろと叫んだ人達もいただろう。
しかし実は、21世紀を生きる「わたしたち」も、イエス様を十字架につけたのだ。
私達人間には全て罪があり、そして彼は、私達の罪のゆえに刺し通されたからだ。(イザヤ53章)

2:37 人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに、「兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と言った。

聖霊に押し出された人のメッセージは、人の心を刺す。
そして悔い改めへと導く。

伝道とは、メッセージとは、人が良く考えだして語るものにあらず、聖霊に押し出されて語るからこそ、力があり、人をゆり動かし、心を刺し、そして造り変えるパワー(デュナミス)があるのだ。
私達も、主の働きのために、聖霊を求めるべきである。

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