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メッセージ - 定期祈祷会メッセージカテゴリのエントリ

どんな密室で言った言葉も、翼ある者が聞いており記録されている(マタイ12:33-37)
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マタイ12:33 木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければ、その実も悪いとせよ。木はその実でわかるからである。
12:34 まむしの子らよ。あなたがたは悪い者であるのに、どうして良いことを語ることができようか。おおよそ、心からあふれることを、口が語るものである。
12:35 善人はよい倉から良い物を取り出し、悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。
12:36 あなたがたに言うが、審判の日には、人はその語る無益な言葉に対して、言い開きをしなければならないであろう。
12:37 あなたは、自分の言葉によって正しいとされ、また自分の言葉によって罪ありとされるからである」。

創世記4:6 そこで主はカインに言われた、「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。
4:7 正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。
4:8 カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。
4:9 主はカインに言われた、「弟アベルは、どこにいますか」。カインは答えた、「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」。

伝道者の書10:20 あなたは心のうちでも王をのろってはならない、また寝室でも富める者をのろってはならない。空の鳥はあなたの声を伝え、翼のあるものは事を告げるからである。

エペソ2:2 かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。

詩篇17:1 ダビデの祈
主よ、正しい訴えを聞き、わたしの叫びにみ心をとめ、偽りのないくちびるから出るわたしの祈に/耳を傾けてください。
17:2 どうかわたしについての宣告がみ前から出て、あなたの目が公平をみられるように。
17:3 あなたがわたしの心をためし、夜、わたしに臨み、わたしを試みられても、わたしのうちに/なんの悪い思いをも見いだされないでしょう。わたしの口も罪を犯しません。
17:4 人のおこないの事をいえば、あなたのくちびるの言葉によって、わたしは不法な者の道を避けました。
17:5 わたしの歩みはあなたの道に堅く立ち、わたしの足はすべることがなかったのです。

詩篇12:1 主よ、お助けください。神を敬う人は絶え、忠信な者は人の子らのなかから消えうせました。
12:2 人はみなその隣り人に偽りを語り、へつらいのくちびると、ふたごころとをもって語る。
12:3 主はすべてのへつらいのくちびると、大きな事を語る舌とを断たれるように。
12:4 彼らは言う、「わたしたちは舌をもって勝を得よう、わたしたちのくちびるはわたしたちのものだ、だれがわたしたちの主人であるか」と。
12:5 主は言われる、「貧しい者がかすめられ、乏しい者が嘆くゆえに、わたしはいま立ちあがって、彼らをその慕い求める安全な所に置こう」と。
12:6 主のことばは清き言葉である。地に設けた炉で練り、七たびきよめた銀のようである。
12:7 主よ、われらを保ち、とこしえにこの人々から免れさせてください。
12:8 卑しい事が人の子のなかにあがめられている時、悪しき者はいたる所でほしいままに歩いています。

神のことばの振動によって成り立った世界と、ことばの振動の実によって生きる私達(ヘブル12:25-29)
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 ヘブル12:18 あなたがたが近づいているのは、手で触れることができ、火が燃え、黒雲や暗やみやあらしにつつまれ、
12:19 また、ラッパの響や、聞いた者たちがそれ以上、耳にしたくないと願ったような言葉がひびいてきた山ではない。
12:20 そこでは、彼らは、「けものであっても、山に触れたら、石で打ち殺されてしまえ」という命令の言葉に、耐えることができなかったのである。
12:21 その光景が恐ろしかったのでモーセさえも、
「わたしは恐ろしさのあまり、おののいている
と言ったほどである。

2ペテロ3:9 ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。
3:10 しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。
3:11 このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、
3:12 極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。
3:13 しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。
3:14 愛する者たちよ。それだから、この日を待っているあなたがたは、しみもなくきずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励みなさい。

ヘブル12:22 しかしあなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の天使の祝会、
12:23 天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者なる神、全うされた義人の霊、
12:24 新しい契約の仲保者イエス、ならびに、アベルの血よりも力強く語るそそがれた血である。

ヨブ記38:4 わたしが地の基をすえた時、どこにいたか。もしあなたが知っているなら言え。
38:5 あなたがもし知っているなら、/だれがその度量を定めたか。だれが測りなわを地の上に張ったか。
38:6 その土台は何の上に置かれたか。その隅の石はだれがすえたか。
38:7 かの時には明けの星は相共に歌い、
/神の子たちはみな喜び呼ばわった


詩篇19:1 もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。
19:2 この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる
19:3 話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、
19:4 その響きは全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。
神は日のために幕屋を天に設けられた。
19:5 日は花婿がその祝のへやから出てくるように、また勇士が競い走るように、その道を喜び走る。
19:6 それは天のはてからのぼって、天のはてにまで、めぐって行く。その暖まりをこうむらないものはない。
19:7 主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。
19:8 主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする。
19:9 主を恐れる道は清らかで、とこしえに絶えることがなく、主のさばきは真実であって、ことごとく正しい。
19:10 これらは金よりも、多くの純金よりも慕わしく、また蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い。
19:11 あなたのしもべは、これらによって戒めをうける。これらを守れば、大いなる報いがある。

19:12 だれが自分のあやまちを知ることができましようか。どうか、わたしを隠れたとがから解き放ってください。
19:13 また、あなたのしもべを引きとめて、故意の罪を犯させず、これに支配されることのないようにしてください。そうすれば、わたしはあやまちのない者となって、大いなるとがを免れることができるでしょう。
19:14 わが岩、わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、心の思いが/あなたの前に喜ばれますように。

ヘブル12:25 あなたがたは、語っておられるかたを拒むことがないように、注意しなさい。もし地上で御旨を告げた者を拒んだ人々が、罰をのがれることができなかったなら、天から告げ示すかたを退けるわたしたちは、なおさらそうなるのではないか。
12:26 あの時には、御声が地を震わせた。しかし今は、約束して言われた、「わたしはもう一度、地ばかりでなく天をも
震わそう」。
12:27 この「もう一度」という言葉は、震われないものが残るために、震われるものが、造られたものとして取り除かれることを示している。
12:28 このように、わたしたちは震われない国を受けているのだから、感謝をしようではないか。そして感謝しつつ、恐れかしこみ、神に喜ばれるように、仕えていこう。
12:29 わたしたちの神は、実に、焼きつくす火である。


ヨハネ1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
1:2 この言は初めに神と共にあった。
1:3 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった

箴言12:13 悪人はくちびるのとがによって、わなに陥る、しかし正しい人は悩みをのがれる。
12:14 人はその口の実によって、幸福に満ち足り、人の手のわざは、その人の身に帰る。

ヨハネ3:8 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。

2コリント4:18 わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。

創世記3:7 すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。

申命記28:34  あなたは、目に見ることで気を狂わされる

1サムエル記15:22 サムエルは言った、/「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、/燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ、従うことは犠牲にまさり、/聞くことは雄羊の脂肪にまさる。
15:23 そむくことは占いの罪に等しく、/強情は偶像礼拝の罪に等しいからである。あなたが主のことばを捨てたので、/主もまたあなたを捨てて、王の位から退けられた」。

箴言18:20 人は自分の言葉の結ぶ実によって、満ち足り、そのくちびるの産物によって自ら飽きる。
18:21 死と生とは舌に支配される、これを愛する者はその実を食べる。

ローマ8:18 わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。
8:19 被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。
8:20 なぜなら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、
8:21 かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。
8:22 実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている。
8:23 それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。
8:24 わたしたちは、この望みによって救われているのである。しかし、目に見える望みは望みではない。なぜなら、現に見ている事を、どうして、なお望む人があろうか。
8:25 もし、わたしたちが見ないことを望むなら、わたしたちは忍耐して、それを待ち望むのである。

箴言13:1 知恵ある子は父の教訓をきく、あざける者は、懲らしめをきかない。
13:2 善良な人はその口の実によって、幸福を得る、不信実な者の願いは、暴虐である。
13:3 口を守る者はその命を守る、くちびるを大きく開く者には滅びが来る。
 

ベエル・シェバを見えなくさせるもの(創世記21:14-21)

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年明け瞬間からの礼拝、ベエル・シェバというキーワードが出てきた。
ベエル・シェバとはどういうものか、少し見たが、そのベエル・シェバが聖書で最初に登場した場面が、この箇所。ここにおいては、ハガル、アブラハムの女奴隷が関係している。
14節だけを見ると、ただならぬ事が起きているようである。

21:14 そこでアブラハムは明くる朝はやく起きて、パンと水の皮袋とを取り、ハガルに与えて、肩に負わせ、その子を連れて去らせた。ハガルは去ってベエルシバの荒野にさまよった。

ベエル・シェバ、七つの井戸(泉)という意味である。水はあるはずであるが、また、町のある所である、というのに、彼女はわざわざ荒野の方面を歩いて行った。
感情的になって、自暴自棄となり、わざわざ荒野へ行かせることがある。

21:15 やがて皮袋の水が尽きたので、彼女はその子を木の下におき、
21:16 「わたしはこの子の死ぬのを見るに忍びない」と言って、矢の届くほど離れて行き、子供の方に向いてすわった。彼女が子供の方に向いてすわったとき、子供は声をあげて泣いた。

この場面だけを見ると、非常に涙をさそう場面である。
アブラハムはなぜひどいことをするのか、と思うだろうか。しかし、この状況だけを見て神様はひどい、アブラハムはひどいとするのは、早計である。
そもそもなぜハガルは追い出されたのか。その理由がある。
実は前にも、追い出された事があり、今回の追い出された事は、彼女たちにとって二度目である。創世記16章において、この時、まだアブラハムも子供が生まれていなかった。ハガルもみごもっていて、まだイシュマエルが生まれていなかった。
なぜこの時、ハガルが追い出されるという事件があったのか。それは、高慢になったからだ。
ハガルの女主人サライがずっとみごもらない、けれど、ハガルがアブラハムと関係を持ったとたんに身籠った。
そのとたんに、女奴隷という身分でありながら、女主人サライを軽んじた。だから、追い出されたのだ。

16:7 主の使は荒野にある泉のほとり、すなわちシュルの道にある泉のほとりで、彼女に会い、

女奴隷ハガルにも御使が現れた。という事は、彼女とその子は、神様の特別保護下にある、という事だ。
なぜなら彼女もアブラハムの子を身籠ったのだから。
そして、アブラハムが自分の子供についても祈っただろう、どうぞ守られるように、どうぞ、大いに増え広がりますように。

ハガルは、身を低くしていなかった。女主人に対して驕り高ぶった態度をとった、だから追い出されて逃げていった。しかしそこに御使いが現れて、言う。

16:8 そして言った、「サライのつかえめハガルよ、あなたはどこからきたのですか、またどこへ行くのですか」。彼女は言った、「わたしは女主人サライの顔を避けて逃げているのです」。

御使いは、わざわざハガルの立場を言う。
「サライのつかえめハガルよ」
御使いは、彼女が、女奴隷である、という身分を強調している。女奴隷であるからには、元々主人の元で見を低くしているなら、何も追い出される事はなかった。
それを、わたしのほうが上だ、と、驕り高ぶったり、女主人を蔑んだ目で見たり態度をしたり。そういう事をしたから、追い出された。
立場を思い起こさせた。すると、ハガルも答える。
「わたしは”女主人サライ”の顔を避けて逃げているのです」。
彼女は、正しい立ち位置を表明した。
こうして正当な立場表明をしたなら、御使いは、
16:9 主の使は彼女に言った、「あなたは女主人のもとに帰って、その手に身を任せなさい」。

直訳するなら、彼女の手の内で、身を低くしなさい、という事である。
女主人の手の望むままに、しっかり仕えなさい、と。
こうしてハガルは再び戻る事ができて、イシュマエルを生み、アブラハムの家で育つのだが、今一度追い出されてしまった。
しかし、主はハガルに、素晴らしい約束を与えられる。

16:10 主の使はまた彼女に言った、「わたしは大いにあなたの子孫を増して、数えきれないほどに多くしましょう」。

これほど心強い約束が与えあっれたなら、もはや恐れる必要はなかった。そして、自分の女奴隷という立場をずっと続けていくべきだった。

そして女主人サラに、イサクが生まれたのだが、そのイサクの事を、ハガルの子イシュマエルが、「からかっている(ツァハァク:蔑み笑う)」のを、女主人サラに見られてしまった。
ハガルは女主人の元で、身を低くしているべきだった。まして女主人に子供イサクが生まれたからには、彼の前にも身を低くしているべきだった、のに、それをしなかった。
イシュマエルがからかっているのを見て、ハガルもある種、もっといじめてやれ、という思いがあったかもしれない。ともかく、イシュマエルのからかいを止めなかった。そしてそれを見られてしまったために、追い出されたのだ。
身を低くしているべき時にしないで、高ぶってしまうと、追い出されてしまう原因となってしまう。
アブラハムも、相当悩んだだろう。しかし、主はアブラハムに、かつてハガルに対して言われた事とまったく同じことを言われる。

21:12 神はアブラハムに言われた、「あのわらべのため、またあなたのはしためのために心配することはない。サラがあなたに言うことはすべて聞きいれなさい。イサクに生れる者が、あなたの子孫と唱えられるからです。
21:13 しかし、はしための子もあなたの子ですから、これをも、一つの国民とします」。

主はこの少年まで、大きな国民としよう、と言われた。ハガルも16:10で、全く同じことを約束された事は、アブラハムも当然知っていた事だろう。
だから安心して、彼女とイシュマエルを送り出す事ができたのだ。
アブラハムは確かに最初、悩んだ末に祈った、祈った結果、主が答えられた、その答えは、あなたの子イシュマエルも、ひとつの国民にしよう、という力強いものだった、だから、アブラハムは送り出すことができたのだ。
アブラハムは「追い出した」のではない。神様の約束つきで「送り出した」のだ。だから、そもそもこの場面、アブラハムが酷いことをした、というのは、早計なのだ。

ところがハガルのほうが自暴自棄になったのだろう、ああ自分は追い出されたのだ、という思い、悲しみ、ひがみ、誇大妄想によって、彼女はわざわざ、ベエル・シェバの「荒野」のほうへ歩いて行く。
ベエル・シェバは「7つの泉(井戸)」という意味で、泉があり、町がある所だ。だから普通に道沿いに行けば、普通に町に出るはずなのに。
実際彼女がさまよい歩いていた荒野、イシュマエルを一人置きざりにして離れた、その場所のすぐそばにも、井戸があった。それなのに、見えなかった。

ベエル・シェバの泉が見えなくなってしまうコツ、それは、感情に目が塞がれてしまっている事。
感情で目が塞がれてしまっていると、せっかくベエル・シェバの土地が与えられても、しかし肝心の泉が、水が見えなくなってしまう。
自分はかわいそうだ、(約束付きで送り出されたのに)追い出されたのだ、と、マイナスに撮って、人の善意を悪意に受け止めるなら、泉が見えなくなってしまう。
心の中が不平不満でいっぱいになるなら、誰でもわかるしるしがあっても、それが見えなくなってしまう。

ベエル・シェバ、その場所は、心が争っている人、不平不満、鬱憤がある人には、泉が見えない。

彼女の場合、感情が高ぶって「自分がかわいそう」「あの人が悪い」「みんな悪い」「なんでわたしだけ」という思いで満たされて、そして、神様の約束を忘れており、感謝を忘れている。
自分の立場を忘れている、となると、ベエル・シェバ、という場所にたとえ行ったとしても、見えなくなってしまう。

彼女には、約束が与えられていた。あなたの子孫は、大いに増やすので、数え切れないほどになる、と、主ご自身から与えられ、しかも、主は聞かれた、という事で「イシュマエル」という名前さえつけた。
イシュマエルの名前の意味は、神は聞かれる、という意味だ。
神は聞かれる、といわれる子供を、手放して、自分は矢の届くほどの距離に離れて、自分は泣いている。
神様の約束を手放し、神は聞かれると言われる子供を手放し、自分かわいそうモードで泣いている、それは、自分で自分を滅ぼしてしまう人の性質。
彼女は「神は聞かれる」という子供を自ら手放してしまった。神様の言葉を聞くべきである。神様の約束を握りしめているべきである。


21:17 神はわらべの声を聞かれ、神の使は天からハガルを呼んで言った、「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神はあそこにいるわらべの声を聞かれた。

神様は、声を上げて泣いたハガルの声ではなく、少年の声を聞かれた。
この少年は泣いていたかは分からないが、天からハガルを呼ばれた。

21:18 立って行き、わらべを取り上げてあなたの手に抱きなさい。わたしは彼を大いなる国民とするであろう」。

神は約束を思い起こさせた。少年の声を聞かれた故である。少年のゆえに、ハガルは助かったのだ。

21:19 神がハガルの目を開かれたので、彼女は水の井戸のあるのを見た。彼女は行って皮袋に水を満たし、わらべに飲ませた。
21:20 神はわらべと共にいまし、わらべは成長した。彼は荒野に住んで弓を射る者となった。

このように、神は彼女の目を開かれて、すぐそばにあった井戸を見つけさせて下さった。
感情が高ぶって、自分の思い込みで頭がいっぱいであるなら、見えないという事がある。
自分が迷子になった、どうしよう、と、標識が目の前にあるのに、それを読むことさえしない。
しかし神はハガルの目を開いてくださった。
このベエル・シェバの泉が見えなくなってしまう、、、感情で塞がれ、それを神様が開いてくださる。

神様が目を開いてくださる場面は、聖書でいくつかある。

そういう場面、人は、何かによって目が塞がれ、祝福も見えず、滅びの道も見えないという事がある。

民数記22章においても、主が目を開かれた場面がある。

民数記22:31-32
22:31 このとき主がバラムの目を開かれたので、彼は主の使が手に抜き身のつるぎをもって、道に立ちふさがっているのを見て、頭を垂れてひれ伏した。
22:32 主の使は彼に言った、「なぜあなたは三度もろばを打ったのか。あなたが誤って道を行くので、わたしはあなたを妨げようとして出てきたのだ。

ここでも、バラムという預言者、目が覆われていた。何によってか。カネに対する欲望によって、である。
それで、主が抜き身の剣をもって目の前に立ちふさがっているというのに、当代の著名な預言者バラムは、それが見えなかった。むしろ、彼が乗っているロバが、御使いの抜き身の剣を見て、その場にうずくまって、行かないようにしたが、バラムは、「進め、進め、なんで思い通りに行かないのだ」と、そのロバを打った。
欲望。自分がこうしたい、あれを手に入れたい、という思い突っ走り、目が覆われて、結局、その先に行けば剣で両断されてしまう、というのに。けれどもロバがそれを見て留まり、彼は命拾いした。
欲望。それは目を見えなくさせ、滅びの道に歩んでいるという事も見えなくさせ、主の道とは反対方向へ突き進んで主が敵対している事も見えない。
世の中の金銀を追い求めるゆえに、主日礼拝が軽んじられる、という事がある。


主がバラムの目を開いてくださったのは何故か。それは、ロバのおかげである。
ロバの信仰がバラムを救った。情けない話であるが、欲望で目がくらむと、見えなくなってしまうのだ。
 

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
新創造を自動化する方法(イザヤ65:17-18)
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イザヤ65:17-18
65:17 見よ、わたしは新しい天と、新しい地とを創造する。さきの事はおぼえられることなく、心に思い起すことはない。
65:18 しかし、あなたがたはわたしの創造するものにより、とこしえに楽しみ、喜びを得よ。見よ、わたしはエルサレムを造って喜びとし、その民を楽しみとする。

2017年はこの御言葉で始まった。
生来の喜びは、すたれてしまうもの。だが、キリストにあって新しくつくられた喜び、新創造ゆえの喜びは、いついつまでも続くもの。
主の創造するもの、は、全て善きものだが、それを人間が、台無しにしてしまった。
不従順は、死を招き、呪いをまねく。人がみずから、不従順により、死を招くようになってしまった。
だから、その死や呪いから逃れるための唯一の手段は、御言葉に対する従順である。
いのちの源であり、創造主の御言葉に従うなら、新創造が働き、その新創造が、その人自身を引っ張っていくようになる。
私達は、いかにすれば新創造になるか、それは、人の力では不可能。死、貧しさ、飢え、という死から逃れるために、人は、奪ったり、騙したり、きたない手段も使う。そうした罪の立ち居振る舞いでは、結局、ますます死を積み立てることにしかならない。
唯一逃れる事ができるのは、神の言葉に対する従順。

コロサイ3章
3:9 互にうそを言ってはならない。あなたがたは、古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、
3:10 造り主のかたちに従って新しくされ、真の知識に至る新しき人を着たのである。

新しい人を着た、現在形受動態だから、ずっと、され続ける事。すなわち、リニューアルされ続ける事である。
世の中のものごとは、どんどん古びていく。服も、建物も、肉体も、どんどん老いていく。
しかし、キリストにある人は、新しい人を、着た。そしてその新しい人とは、古びていく様とは逆行する。
宇宙はエントロピー増大の法則下にあり、秩序あるものは、どんどん無秩序へと崩壊していく方向性がある。
しかし、それに唯一逆らっているのが、いのち。このイエス・キリストが、世界の創造主である。
なぜ、エントロピー増大するのか。それは、人間が鍵。人間が、神の荷姿として作られたのに、神の御言葉に逆らった時、エントロピー増大がはじまり、人は死ぬ存在となり、全被造物も、宇宙全体も、やがて崩壊しなくてはならなくなった。
主が来るとき、全宇宙の粒子は、全部焼け落ちるが、その後に新天新地、すなわち、永遠の神の王国があらわれる。その、神の王国に入るためには、神の御言葉に従う、という事である。

どうやったら、この新しい人を着れる状態になるのか。
それは、キリストを信じ続け、御言葉の通り歩み続けている状態なら、キリストを着続けている状態になる。

3:1 このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。

よみがえりを経験するには、一度、死ななくてはならないというステップがある。古い自分を、自らを、死へと投げなくてはならない。
それが、前提条件である。

そして、上のものを求め続けていく、という事がスタンダードであるべき。
地上の右左を見るなら、誘惑されたり、霊的に箸にも棒にもかからないようなことばかり追求するものであるが、私達が目を向けるべきは「上」であり、そこにはキリストが座しておれれる。

3:3 あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。

私達のいのちは、心臓や脳にはなく、神の内に隠されている。
だから、もし強盗がピストルを向けて「お前の命を奪うぞ」と言っても、あさってな事を言っている。確かに彼らは、心臓を止めることはできても、いのちは神の内に隠されているのであって、既に、死んでいるのだ。

3:4 わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。

キリストが、私達のいのちであり、私達のいのちは、キリストである。
私達はそのまま単体で永遠は生きることはできないが、私達のいのちがキリスト、だから、私達は永遠に生きることができる。

私達はもっと、自分の立ち位置を理解するべきである。
いのちは、既に、天の所に隠されているのだ。
エペソ2:6 キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。
これが、私達の立ち位置。サタンは既に踏みにじられている。もし私達がキリストにあり続けるなら、サタンは、下の存在なのだ。

3:5 だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。
私達は、天にあるからには、もう、それにそぐわない事はしてはならない、と言うことである。
ホームレスが王子様になったなら、もう王子様はダンボールハウスには住まない。だから、以前のそのような以前の「くせ」は、脱ぎ去ってしまいなさい、と言うことである。なかなか昔の生活の呪縛から抜けないでいるかもしれないが、もう、真理の上では、キリストと共に蘇らされて、天の所に座しているのだから、あたかも、罪の奴隷であるかのような生活は、もう脱ぎ捨てなさい、と言われているのだ。

3:7 あなたがたも、以前これらのうちに日を過ごしていた時には、これらのことをして歩いていた。
3:8 しかし今は、これらいっさいのことを捨て、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を、捨ててしまいなさい。

本質が、いのちが変わったのだから、そのような以前の生き方はしてはならない。
以前のホームレス的な考えは、捨ててしまい、止めてしまい、新しい生き方で歩みなさい、神の子らしく、王子らしく歩みなさい、という事だ。

3:9 互にうそを言ってはならない。あなたがたは、古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、

「うそ」とは何か。
「いや、わたしは古いことは止められません」と言う人があるとするなら、それが、うそである。
わたしは女性だけれど、男として生きていきます、それも、うそ。そんな生き方は、創造主の前に、存在しない。
あたかも、情欲のほうが真理よりも上であるかのようにうそぶいて、真理を覆い隠す事を、偽りという。
聖書の言葉のほうがうそだ、という口のほうが、うそを言っている。
真理でない事をもって真理を覆い隠すような、偽りを言ってはならないのだ。
主は、私達を、ご自身に似せられて、最も尊いものだと言っておられるのに、そんなことないよ、と言う言葉が、偽りである。
それを、いかに声高に叫んで、装った所で、そんなものは続きはしない。
女が女で生まれて女として生きる事は、生きやすいこと。男が男で生まれて男として生きる事は、生きやすい。
それをいかに振りをした所で、無理矢理感の重圧に潰されて行ってしまう。

3:9 互にうそを言ってはならない。あなたがたは、古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、
3:10 造り主のかたちに従って新しくされ、真の知識に至る新しき人を着たのである。

古い人は、5節や8節にある。
地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲。
怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉。
以前、そのように歩んできた人々は、それ以外にできなかったし考えられなかったから、やめるのは不可能だったかもしれない。しかしこれらは、キリストにあって生まれ変わった人にとっては、もはや止められる事柄。

「いや、わたしは、この情欲を決して捨てられません」、これが、偽り。
「いや、わたしは礼拝中の居眠りが、やめられません」
「いや、わたしは**が、やめられません」
それ、全部、うそ。だから、9節につながる。

3:9 互にうそを言ってはならない。あなたがたは、古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、
リニューアルされ続けて、いる。
だから、その真理の内に歩み続けてなさい、という事。
神の子として生まれた人は、神の子として、生きていく。その人は、どんどん日毎新しくされ続けていく。

3:11 そこには、もはやギリシヤ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人、奴隷、自由人の差別はない。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである。

国民は関係ない。ユダヤ人は律法を持ち、ギリシヤ人は、知恵を追求する。すくて野人は野蛮人の代名詞であるが、関係ない。キリストにあって、キリストが、全てとなる。

以前のものは、もはや、関係なくなる。
以前のものが、やめられません、それは、うそ。

もし10年前、キリストを受け入れて生まれ変わったはずなのに、相変わらず10年以上前の悪どい汚れた性質を手放さないでいるとしたら、ずっとその日々、キリストにあって過ごしていなかった事の証左にすぎない。
キリストにあって歩み続けているなら、もはや、汚れたものは投げ捨てずにはいられなくなるもの。
怒り、汚い手癖、恥ずかしてく、自分に嫌になっていくのが、正常な反応であり、イエス様に助けを求め続けていく。本当にキリストにあって歩んでいるなら、
でも相変わらずそうした汚れた事を、痛まず、臆面もなく、むしろ楽しんでしているなら、ただ口先だけで仕えるものであって、心はキリストから離れた人である。
神と人とに対して痛みを覚えないとするなら、それはとても問題な事である。

12節以降に、勧めがある。
3:12 だから、あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから、あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身に着けなさい。

3:12 だから、あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから、あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身に着けなさい。
3:13 互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。
3:14 これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。
3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。あなたがたが召されて一体となったのは、このためでもある。いつも感謝していなさい。
3:16 キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。そして、知恵をつくして互に教えまた訓戒し、詩とさんびと霊の歌とによって、感謝して心から神をほめたたえなさい。
3:17 そして、あなたのすることはすべて、言葉によるとわざによるとを問わず、いっさい主イエスの名によってなし、彼によって父なる神に感謝しなさい。

これが、キリストにあって新しく生まれ変わった人の標準である。
以前のものを脱ぎ捨てた人であり、イエス様に引っ張られて、愛という標準に乗っかって、進んでいく。

主は、新しい創造をされる。その新創造の中で、進み行くべきだ。
それを喜び楽しみなさい、という事で、進んできた。
私達はどれほど、この一年で新しくされて行っただろう。
肉的な世的な標準はますます捨て去り、ますます新しくされ続けて行くこれからの年月でありますように。
 

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