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メッセージ - 定期祈祷会メッセージカテゴリのエントリ

未来の喜びを今へと引っ張って来る「希望」(詩篇126篇)
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126:1 主がシオンの繁栄を回復されたとき、われらは夢みる者のようであった。
126:2 その時われらの口は笑いで満たされ、われらの舌は喜びの声で満たされた。その時「主は彼らのために大いなる事をなされた」と/言った者が、もろもろの国民の中にあった。
126:3 主はわれらのために大いなる事をなされたので、われらは喜んだ。
126:4 主よ、どうか、われらの繁栄を、ネゲブの川のように回復してください。
126:5 涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。
126:6 種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。

1コリント15:58 だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。

ガラテヤ6:7 まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。
6:8 すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。
6:9 わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。
6:10 だから、機会のあるごとに、だれに対しても、とくに信仰の仲間に対して、善を行おうではないか。
 

「くちびる(サファー)という境界線」を守り、「口(ペー)という両刃の剣」を用いよ(箴言18:20-21)
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18:20 人は自分の言葉(ペー)の結ぶ実によって、満ち足り、そのくちびる(サファー)の産物によって自ら飽きる。
18:21 死と生とは舌に支配される、これを愛する者はその実を食べる。

5:1 わが子よ、わたしの知恵に心をとめ、わたしの悟りに耳をかたむけよ。
5:2 これは、あなたが慎みを守り、あなたのくちびる(サファー)に知識を保つためである。

5:3 遊女のくちびる(サファー)は蜜をしたたらせ、その言葉は油よりもなめらかである。
5:4 しかしついには、彼女はにがよもぎのように苦く、もろ刃(ペー)のつるぎのように鋭くなる。
5:5 その足は死に下り、その歩みは陰府の道におもむく。

ローマ10:8 では、なんと言っているか。「言葉はあなたの近くにある。あなたの口にあり、心にある」。この言葉とは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉である。
10:9 すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。
10:10 なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。
10:11 聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。
10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。
10:13 なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。
10:14 しかし、信じたことのない者を、どうして呼び求めることがあろうか。聞いたことのない者を、どうして信じることがあろうか。宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか。
10:15 つかわされなくては、どうして宣べ伝えることがあろうか。「ああ、麗しいかな、良きおとずれを告げる者の足は」と書いてあるとおりである。
10:16 しかし、すべての人が福音に聞き従ったのではない。イザヤは、「主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信じましたか」と言っている。
10:17 したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。

子供が成人するまで7300日の親の日々(2コリント11:21-33)
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(音声データは毎週土曜日にアップ予定です)

親は、子供を産んだ日から20歳の成人に至るまでの20年、7300日間、父親は、母親は、今日もまた一日、子供のために働き、ごはんを作り、ケアをする。
時には何もとれない日々もあり、子から受ける苦しみもあり、そして、喜びがある。
パウロは実の息子娘はいなかったが、霊的な息子娘は多数あった。
コリントはその一つだが、パウロはコリントに対しては多くの苦しみがあった。
なぜなら、偽教師、偽兄弟によって、霊的生みの親であるパウロが軽んじられていたからである。

パウロは、コリントの人達をいかに深く愛しているかを伝えた。
「あなたがたに対して、神が抱いておられる熱い思いをわたしも抱いています。なぜなら、わたしはあなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた、つまりキリストに献げたからです。」(2節)

「多くの者が肉に従って誇っているので、わたしも誇ることにしよう。」(18節)
普通、誇るのであれば、自分は何名を救いに導いたとか、どこで誰に学んだか、どんな不思議をして来たかなど、いかに自分が大きな事をしてきたかを誇るだろう。
そういう事なら、パウロはいくらでも誇る所はある。
彼はガマリエルの元でパリサイ派の教育を受け、教会をいくつ建てたか分からない程だし、自分の前掛けを病人に置くだけで病人は癒され、悪霊を何匹追い出したか分からない。
しかしパウロが誇ったのは、なんと、弱さだった。

11:21 言うのも恥ずかしいことだが、わたしたちは弱すぎたのだ。もしある人があえて誇るなら、わたしは愚か者になって言うが、わたしもあえて誇ろう。

パウロは、雄弁な言葉や、生まれや血筋を元に、自分は誰々先生よりも優位である、などといった比較や自己推薦は、愚かである、と、前もって伝えていた(10章12節)。
しかし、コリントの人たちの目はあまりに塞がれているため、彼らを納得させるためには、敢えてそのような愚かな土俵に立たないといけないと感じ、これから自分も使徒としての正当性を主張する「愚か」を我慢してもらいたい、と、前もって断ったわけである。

11:22 彼らはヘブル人なのか。わたしもそうである。彼らはイスラエル人なのか。わたしもそうである。彼らはアブラハムの子孫なのか。わたしもそうである。
11:23 彼らはキリストの僕なのか。わたしは気が狂ったようになって言う、わたしは彼ら以上にそうである。苦労したことはもっと多く、投獄されたことももっと多く、むち打たれたことは、はるかにおびただしく、死に面したこともしばしばあった。
11:24 ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、
11:25 ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、そして、一昼夜、海の上を漂ったこともある。
11:26 幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、
11:27 労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった。
11:28 なおいろいろの事があった外に、日々わたしに迫って来る諸教会の心配ごとがある。
11:29 だれかが弱っているのに、わたしも弱らないでおれようか。だれかが罪を犯しているのに、わたしの心が燃えないでおれようか。

誰かが躓いて、福音から離れてしまったり、あるいは福音を伝えきれないまま死んで行ってしまった人達を思って、どれほど悩み、苦しみ、涙を流して来ただろうか。
親は、それでも、子供を育てなくてはならない。

子供は、いかに親の有益な教えを拒んで、いかに聞き分けなく育っても、7300日が立てば嫌でも成人の年である。
その日々、いかに、子は過ごすだろうか。
親は、いかに子供をあきらめずにいるだろう。

11:30 もし誇らねばならないのなら、わたしは自分の弱さを誇ろう。
11:31 永遠にほむべき、主イエス・キリストの父なる神は、わたしが偽りを言っていないことを、ご存じである。

ヘブル12:1 こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。
12:2 信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。
12:3 あなたがたは、弱り果てて意気そそうしないために、罪人らのこのような反抗を耐え忍んだかたのことを、思いみるべきである。
12:4 あなたがたは、罪と取り組んで戦う時、まだ血を流すほどの抵抗をしたことがない。
12:5 また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、/「わたしの子よ、/主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。
12:6 主は愛する者を訓練し、/受けいれるすべての子を、/むち打たれるのである」。


親は、やがて子供の前からいなくなる時がある。

2テモテ4:1 神のみまえと、生きている者と死んだ者とをさばくべきキリスト・イエスのみまえで、キリストの出現とその御国とを思い、おごそかに命じる。
4:2 御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。
4:3 人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、
4:4 そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。
4:5 しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい。
4:6 わたしは、すでに自身を犠牲としてささげている。わたしが世を去るべき時はきた。
4:7 わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。
4:8 今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。

悪しき者の支配下にある権威と富と土地を分捕り返せ(創世記1:26-28)
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神は私達人間を、神に「似る(ツェレム:影、像)」ように、神の「かたち(デムース:似ている、類似した)」に、創造した。
さらに、海、空、地の全ての生き物を支配するように(創世記1:26)。
「生めよ(パラー)、ふえよ(ラバー)、地に満ちよ(マラー)、地を従わせよ(カバッシュ)。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ(ラダー)」(創世記1:28)

ここに幾つかの命令がある。
まずは「生めよ(パラー)」、すなわち「神の子」は、生んで増えて、地に満ちて行く事は、主の命令である。
「増えよ(ラバー)、地に満ちよ(マラー)」も、命令型動詞である。
命が増え広がって行く事が主の命令であるからには、産む事を躊躇したり、間引きしたりするのは主の御旨に反するのだ。

次に、「征服せよ(カバッシュ:踏みにじる、征服する)」、「治めよ(ラダ:支配する、踏む)」、という命令である。
私達・神の子たちが、世から従わされたり、世からリードされたりする事は、神の本質ではない。
神は私たちに、地の生き物も、海の生き物も、空の生き物も足の下で征服(カバッシュ)せよ!足の下に支配(ラダー)せよ!と命令された。
これを、Lordship, Kingship(ロードシップ、キングシップ)命令、と言う。

神の子、すなわちクリスチャンである私達は、サタンが握りしめてしまっている栄光の富を、ぶんどり返すべきなのだ。
サタンは人間を食い物にし、虐待しているが、私達神の子とされたキリスト者は、サタンを虐待し、踏みにじるべきであり、そして被造物については、正当な支配をなすべきである。

世のビジネスは、不当な支配の価値観の下にあり、富をぶんどり、自分のところに囲い込みをする。
しかし、主にある正当なビジネスは、囲い込みをしない。むしろ、聖書に記されている通り、貧しい人々に分配し、与えていき、そうしてさらに天の父によって養われ、富んでいく。

日本の多くのクリスチャンは、金持ちになる事への躊躇をしてしまう。クリスチャンは富を求めるべきでなく清貧であるべきだ、などなど。
しかしその考えは、サタンが吹き込んだ間違いである。
神の命令は、被造物を正当に支配せよ、という事だった。だからむしろ、権威も富も、サタンからぶんどり取り返し、貧しい人々に分配し、

もし私達が蛇を踏みつけず、サタンの言うことを聞いて、主の御言葉に聞き従わないなら、その者共に踏みつけられてしまう。その様子が、イザヤ51章にある。
イザヤ51:23 わたしはこれをあなたを悩ます者の手におく。彼らはさきにあなたにむかって言った、『身をかがめよ、われわれは越えていこう』と。そしてあなたはその背を地のようにし、ちまたのようにして、彼らの越えていくにまかせた」。

人生の中で、暴君に背中を踏みつけられ、好き放題されてしまう日々はなかっただろうか。
その時、思い出すべきである。神のみ言葉をどう扱っていただろう。
御言葉に逆らい、神に失礼を働いていた時、不法な者に、時間もお金も奪われ、踏みにじられていたのではないだろうか。
御言葉を尊んでそのとおりしていくなら、エバのように踏みにじられる事なく、守られ、必要が満たされる。

神の子は、信仰をもって、新しい地を踏み歩き、そこを自分たちのものとしていくべき者である。

アブラハムは、最後の親類であるロトという「世の人」と別れた直後、主から次の祝福の命令をいただいた。
創世記13:14 ロトがアブラムに別れた後に、主はアブラムに言われた、「目をあげてあなたのいる所から北、南、東、西を見わたしなさい。
13:15 すべてあなたが見わたす地は、永久にあなたとあなたの子孫に与えます。
13:16 わたしはあなたの子孫を地のちりのように多くします。もし人が地のちりを数えることができるなら、あなたの子孫も数えられることができましょう。
13:17 あなたは立って、その地をたてよこに行き巡りなさい。わたしはそれをあなたに与えます」。

縦横無尽に歩き回り、足の下で踏みなさい、そこをあなたとあなたの子孫に与えよう。
信仰の先人は、主の御言葉に従った結果、足の下で踏むところが与えられる祝福を受けた。
ヨシュアもそうである。

ヨシュア記1:3 あなたがたが、足の裏で踏む所はみな、わたしがモーセに約束したように、あなたがたに与えるであろう。
 1:4 あなたがたの領域は、荒野からレバノンに及び、また大川ユフラテからヘテびとの全地にわたり、日の入る方の大海に達するであろう。

私達もヨシュアのように、御言葉に聞き従い、不当な者によって好き放題占拠されてしまっているところを足の下で踏み、そこを奪い返し、主のものとして捧げ、主の民の子々孫々へと祝福の土地として受け継がせていくべきである。

人生の城壁の再建に取り掛かろう(ネヘミヤ2:17-20)
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ネヘミヤといえば、
バビロン捕囚後、エルサレムの城壁を再建した人である。エルサレムの城壁は、イスラエルの罪ゆえに、一度めちゃくちゃにされた。イスラエル民族はあの時、神の民としてのアイデンティティを失った。城壁を失い、神殿を失った。それは、罪に罪を重ね、好き勝手ばかりし、主に対して失礼ばかりを働いて、預言者の忠告を聞かなかったため、敵がのさばり、人生がめちゃくちゃにされ、家財道具も奪われ、貧しい底辺生活へと投げ込まれた。しかし、主は徹底的に神の民を滅ぼさない。

ネヘミヤ、その名は「神の慰め」という意味であり、聖霊の働きと同じである。
彼らは、自業自得と言って良い災いに遭い、何もかも奪われめちゃくちゃにされたが、主はそこから立て直してくださる。

ネヘミヤ1:2 わたしの兄弟のひとりハナニが数人の者と共にユダから来たので、わたしは捕囚を免れて生き残ったユダヤ人の事およびエルサレムの事を尋ねた。
 1:3 彼らはわたしに言った、「かの州で捕囚を免れて生き残った者は大いなる悩みと、はずかしめのうちにあり、エルサレムの城壁はくずされ、その門は火で焼かれたままであります」と。
 1:4 わたしはこれらの言葉を聞いた時、すわって泣き、数日のあいだ嘆き悲しみ、断食して天の神の前に祈って、
 1:5 言った

城壁が崩され、敵のそしりを受け放題、受けてしまっている。
城壁は大事なものである。内外の境界線を立て、防護され、内側の尊い神の民と、その財産は守られる。そのための城壁が、ずっと崩されたままだった。
バビロン捕囚、から期間できたけど、ずっと崩されたまま、何十年も過ぎていた。
城壁を建て直したネヘミヤが総督に任命されたのはBC445年と言われている。バビロン捕囚が終わったのは紀元前537年なので、捕囚が終わって実に92年、誰も、城壁を建て直す人がいなかった、という事だ。
いつかしよう、明日にしよう、誰かがいつかしてくれるだろう、と誰もが思っていて、結局、92年間、城壁は放ったらかしにされていた、という事だ。

ずっと怠けていたのだ。
自分の人生を立て直さない。礼拝を立て直さない。それをずっと続ける間、崩された城壁から、敵が入りたい放題、出入りする。その状態でいるなら、せっかく生活や経済、子供を、立て直そうとしても、敵が入り込んできては、踏みにじられ、嘲られ、奪われて、という状態がさらに何十年も続く。

箴言24:30-34、怠け者がどうなるか。
24:30 わたしはなまけ者の畑のそばと、知恵のない人のぶどう畑のそばを通ってみたが、
24:31 いばらが一面に生え、あざみがその地面をおおい、その石がきはくずれていた。
24:32 わたしはこれをみて心をとどめ、これを見て教訓を得た。
24:33 「しばらく眠り、しばらくまどろみ、手をこまぬいて、またしばらく休む」。
24:34 それゆえ、貧しさは盗びとのように、あなたに来、乏しさは、つわもののように、あなたに来る。

再建すべきなのに、しない。働くべきを、働かない。成すべき事が示され、何が良いことか示されている、けれど、それをやらない。しばらく眠り、しばらくまどろみ、手をこまぬいて、またしばらく休む。そういう、なまけものの畑の有様が「いばらが一面に生え、あざみがその地面をおおい、その石がきはくずれていた。」(箴言24:31)状態である。
畑とは、実りを結ばせるとべき場所。ぶどう畑、主に喜ばれる見をむすぶべきところが、きつね、出入りし放題。実を摘み取り、花をちらし放題、で、いばら、いらくさ生え放題、
それが、眠りを好み、手をこまねく、「なまけもの」敵に、やられ放題、いいように罵られ、奪われ放題。

ネヘミヤは、その状態を聞いて、居ても立ってもいられなかった。
で、王の恵みを得て、王の公認の元、城壁を。さあ再建に取り掛かろう、と、告知したのが、本日の箇所。

2:17 しかしわたしはついに彼らに言った、「あなたがたの見るとおり、われわれは難局にある。エルサレムは荒廃し、その門は火に焼かれた。さあ、われわれは再び世のはずかしめをうけることのないように、エルサレムの城壁を築こう」。

もろもろの「そしり」「はずかしめ」がある。病というそしり、経済的貧困というそしり。悪例に好き放題、声をかけられ放題、怯え放題。というそしりなど。

2:18 そして、わたしの神がよくわたしを助けられたことを彼らに告げ、また王がわたしに語られた言葉をも告げたので、彼らは「さあ、立ち上がって築こう」と言い、奮い立って、この良きわざに着手しようとした。

人々は、この言葉に元気を受けて、再建に取り掛かりはじめた。
そして、ネヘミヤ3章には色々な名前が出てくる。
城壁のこの区画からここまでは誰々が担当した、と書かれており、かなり大勢の人たちが、互いが互いを補い合って再建に取り掛かっている有様が記されている。
再建は、チームワークである。一人でも欠けたり、怠けたり、という事がなく、しっかり、互いが互いの持ち場について取り掛かるものである。

そして、人が再建にとりかかる時、それを快く思わない者が出てくる。

2:19 ところがホロニびとサンバラテ、アンモンびと奴隷トビヤおよびアラビヤびとガシムがこれを聞いて、われわれをあざけり、われわれを侮って言った、「あなたがたは何をするのか、王に反逆しようとするのか」。

敵は、「あなたがたは良くないことを企んでいるのか」と、罵ってくる。
私達の人生が、もうこれ以上そしりを受けないように、もうこれ以上経済が奪われないように、もうこれ以上、敵が我が物顔で罵られないように、そのような頑張りを、何か悪いことをしているかのように、良心に訴えかけて来る者がある。
クリスチャンは、清く貧しく美しくするべきではないのか、それを何だ、お金を得る欲を出しているのか、など。
そのように、心に囁いてくる声があったりするものだが、ネヘミヤはどうだったか。

2:20 わたしは彼らに答えて言った、「天の神がわれわれを恵まれるので、そのしもべであるわれわれは奮い立って築くのである。しかしあなたがたはエルサレムに何の分もなく、権利もなく、記念もない」。

そうである。
神の民の受けるべき分に何の分もなく、権利もなく、記念もない者に、好き放題言われる筋合いは、一切、無い。
私達に属さず、神の国に何の分け前も記念も権利もない者が、投げかけて来るような者たちに対しては、ネヘミヤが言ったように、天の神ご自身が、わたしたちを成功させてくださる、天の神がゴーサインを与えてくださっており、そして実際、それを行う時に、祝福の実が実態として実っているなら、明確な主の示しとして自信をもって取り組めば良いのだ。
再建のわざを「悪いこと」と発する者に対して、何の良心のとがめを受ける必要は、一切無いのだ。

4章を見ると、さらに敵のあざけりがある。

4:1 サンバラテはわれわれが城壁を築くのを聞いて怒り、大いに憤ってユダヤ人をあざけった。
4:2 彼はその兄弟たちおよびサマリヤの兵隊の前で語って言った、「この弱々しいユダヤ人は何をしているのか。自分で再興しようとするのか。犠牲をささげようとするのか。一日で事を終えようとするのか。塵塚の中の石はすでに焼けているのに、これを取りだして生かそうとするのか」。
4:3 またアンモンびとトビヤは、彼のかたわらにいて言った、「そうだ、彼らの築いている城壁は、きつね一匹が上ってもくずれるであろう」と。

ここにおける、敵のあざけりの声に注目してみると、
敵は、現状の惨状、山積みになっている問題にフォーカスさせる。
家の中の、散らかってしまったごみの山を見るに、引っ越し後のダンボールの山積みを見るに、この山積みの問題を、ああ、自分はだめだ、立て直せないのだ、と。
だめだ、と思って、その一日は何もしない、と。
サタンは、惨状、に目を向けさせ、再建の良い技を起こさせないような心持ちを起こさせる。
再建の良きわざを、起こさせないようにさせるのが、敵の目的である。

10節見ると、
イスラエルの民自身が敵のあざけりに同調してしまって、この再建のわざが、ばかげているように思わされてしまっている
のがわかる。

4:10 その時、ユダびとは言った、「荷を負う者の力は衰え、そのうえ、灰土がおびただしいので、われわれは城壁を築くことができない」。
4:11 またわれわれの敵は言った、「彼らの知らないうちに、また見ないうちに、彼らの中にはいりこんで彼らを殺し、その工事をやめさせよう」。
4:12 また彼らの近くに住んでいるユダヤ人たちはきて、十度もわれわれに言った、「彼らはその住んでいるすべての所からわれわれに攻め上るでしょう」と。

このように、味方身内の心がしなえてしまっている、そこにさらに漬け込んで、脅しをかけてくる。
悪魔サタンが私達の中に忍び込んで知らないうちに殺すなど、全能なる主の御前に決してあり得ないのと同じように、彼らが知らないうちに入り込んで、イスラエル人を殺すなど、あり得ない。
あらぬ恐れ、あらぬ恐怖を吹き込んで、この再建の良きわざをやめさせようとする、その敵の囁きがある。

さらに3節。
4:3 またアンモンびとトビヤは、
彼のかたわらにいて言った、「そうだ、彼らの築いている城壁は、きつね一匹が上ってもくずれるであろう」と。

このような、敵、悪魔サタンのあざけりの声を聞いて、ああ、自分が今一生懸命、身を粉にして、リスクを犯して働いている、そうして苦労して築き上げた城壁も、たかだか一匹のきつねで、ぼろぼろにされてしまうのではないか、という、何をやっても無駄、という恐怖心を起こさせてしまうのだが、それはあり得ない。
主の民が築き上げるキリストの城壁、を、サタンは崩すことは決してできない。むしろサタンのほうが、踏み潰されるのだ。

私達は、主の民、
イエス・キリストにつく民、キリストは天地創造の御子。天地の運行を管理し、やがて来られ、悪魔サタンを、悪霊を、偽預言者を、永遠に消えない火に投げ込む。
その悪魔サタンが、キリストにあって立て直そうとする城壁を、いかに邪魔するか。という事にやっきになって、

サヌバラテとかトビヤの声がある。その声に対して、どう対応したか。

4:4 「われわれの神よ、聞いてください。われわれは侮られています。彼らのはずかしめを彼らのこうべに返し、彼らを捕囚の地でぶんどり物にしてください。
4:5 彼らのとがをおおわず、彼らの罪をみ前から消し去らないでください。彼らは築き建てる者の前であなたを怒らせたからです」。

私達を再建するお方は、聖霊。その聖霊を侮辱する者は、ゆるされない。そのような、侮辱する者は、主に訴える!彼らを、カスメ奪われるようにしてください、と。具体的に。
そして心萎えてしまっている人に対しては、ネヘミヤは具体的な行動で答える。

4:13 そこでわたしは民につるぎ、やりおよび弓を持たせ、城壁の後の低い所、すなわち空地にその家族にしたがって立たせた。
4:14 わたしは見めぐり、立って尊い人々、つかさたち、およびその他の民らに言った、「あなたがたは彼らを恐れてはならない。大いなる恐るべき主を覚え、あなたがたの兄弟、むすこ、娘、妻および家のために戦いなさい」。

ネヘミヤは、武器をもたせた。低いところにもし敵が入り込んできたら、返り討ちにしようという意気込みを見せた。敵は、私達の意気込みをこそ恐れる。
敵は、こちらの徹底抗戦の構えを見て、恐れる。
実際15節にはどう書いてあるか。

4:15 われわれの敵は自分たちの事が、われわれに悟られたことを聞き、また神が彼らの計りごとを破られたことを聞いたので、われわれはみな城壁に帰り、おのおのその工事を続けた。

敵は、こちらが、キリストに硬くたち抗戦の構えを見せるなら、敵は何も太刀打ちできない。
なぜならサタンは、私達キリストにある者に実際にできる事といえば、思いの中に偽りの恐れを吹き込むだけで、実際は、触れることはできない、と書いてある。(ヨハネ5章)
実際には、一切の手出しはできないのだ。あの者共は、あたかも、大きな力があるかのような、見せかけをしてくるが、それは偽りだ。
私達はイエス様にあって、怠けに、貧しさに導くような、あたかもいつまで経っても人生は修復されないかのような思い込みをさせるような「者」に対しては、徹底抗戦の構えを見せるべき。
するなら、敵はたちまちにして恥じ入り、すごすご逃げ去る以外にない。
だから、御言葉にに硬く立って戦うべき。霊的武器をもって。兄弟、むすこ、娘、妻および家のために。

さらに、16−17節
4:16 その日から後は、わたしのしもべの半数は工事に働き、半数はやり、盾、弓、よろいをもって武装した。そしてつかさたちは城壁を築いているユダの全家の後に立った。
4:17 荷を負い運ぶ者はおのおの片手で工事をなし、片手に武器を執った。

このように片手に武器、片手に再建の道具を持った。
片手しか仕事できない、仕事がはかどらないのでは、と思われるだろうか。いや、それが最もはかどる仕方である。
むしろ武器を持たずに、いつ敵が攻めてくるだろうかとびくびくしながら仕事するなら、敵は、聞きつけてくる。あの者共は武器を持っていない、簡単に攻め落とせる、と。
そのものの耳に囁いてくる。お前の人生は再建できないのだ、お前は仕事ができないのだ、と。
さらに、武器を持たずに仕事を続けるなら、実際に攻め込んでくる危険性もある、だから、しっかり御言葉で、信仰で武装し、火の矢を消し、剣で攻撃する。それが一番はかどる。

まさにチームワークである。
4:18 築き建てる者はおのおのその腰につるぎを帯びて築き建て、ラッパを吹く者はわたしのかたわらにいた。
4:19 わたしは尊い人々、つかさたち、およびその他の民に言った、「工事は大きくかつ広がっているので、われわれは城壁の上で互に遠く離れている。
4:20 どこででもラッパの音を聞いたなら、そこにいるわれわれの所に集まってほしい。われわれの神はわれわれのために戦われます」。
4:21 このようにして、われわれは工事を進めたが、半数の者は夜明けから星の出る時まで、やりを執っていた。
4:22 その時わたしはまた民に告げて、「おのおのそのしもべと共にエルサレムの内に宿り、夜はわれわれの護衛者となり、昼は工事をするように」と言った。

その結果、仕事はスピーディーに終わる。
6:15 こうして城壁は五十二日を経て、エルルの月の二十五日に完成した。

たった52日で、何十年も放置されていた瓦礫の城壁は立て直された!
そんなものである。
塵屑は山をなしている、片手に仕事、片手に武器?そんなのでははかどらない、と言っている人は、何十年も城壁は再建されない。
また、敵がささやきかけてくる声を真に受けて、武器を持たない、あるいは工事を止めてしまう、そういう人も、城壁は崩れたまま、。
しかし、しっかり武器を持ち、仕事をし、いつでも兄弟姉妹を助ける体制を整えているなら、わずか52日で再建が終わる。

6:16 われわれの敵が皆これを聞いた時、われわれの周囲の異邦人はみな恐れ、大いに面目を失った。彼らはこの工事が、われわれの神の助けによって成就したことを悟ったからである。

皆さんの人生において、再建をしようとする時、色々な、敵のことば、くじけさせる言葉は、あるだろう。
あるいは心に弱気がむくむくと沸き起こるかもしれない。
その時、そのような敵に対して剣を、また、信仰の大盾をもち、主の御名によって祈る。祈りにより、賛美により、御言葉の宣言により、それを薙ぎ払う。
そうして戦って行くなら、速やかに、わずかな日数で、再建が成されていく。

いつまでも片手に剣を、片手に仕事道具を持って、という日々が続くわけではない。
私達は怠け心を取り除き、再建にとりかかろう、の働きをし、人生を、立て直し、また、具体的な的に対しては御言葉で対処し、心に沸き起こってくる弱気には、祈りによって対処し、そうして主の助けを得て、最短で
敵に対しては分捕り返す皆さんでありますように!

エペソ6:10 最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。
6:11 悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。
6:12 わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。
6:13 それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。
6:14 すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、
6:15 平和の福音の備えを足にはき、
6:16 その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。
6:17 また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。
6:18 絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。
6:19 また、わたしが口を開くときに語るべき言葉を賜わり、大胆に福音の奥義を明らかに示しうるように、わたしのためにも祈ってほしい。
6:20 わたしはこの福音のための使節であり、そして鎖につながれているのであるが、つながれていても、語るべき時には大胆に語れるように祈ってほしい。

「イエス様は救って下さる」と信じた人による、力強き執り成しの祈り(マルコ7:24-30)
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(音声データは毎週土曜日にアップ予定です)

7:24 さて、イエスは、そこを立ち去って、ツロの地方に行かれた。そして、だれにも知れないように、家の中にはいられたが、隠れていることができなかった。
7:25 そして、けがれた霊につかれた幼い娘をもつ女が、イエスのことをすぐ聞きつけてきて、その足もとにひれ伏した。
7:26 この女はギリシヤ人で、スロ・フェニキヤの生れであった。そして、娘から悪霊を追い出してくださいとお願いした。

この女は、イエス様は、なんとかして下さるお方だと信じて、イエス様の所に進み出て、12弟子にもイエス様にも冷たくあしらわれながらも、それでも、愛する娘の癒やしのために願い出た。
罪深い地域のギリシア人であったにもかかわらず、信仰の義人である要素が大いにあった。
次のように書いてある。

ローマ10:9 すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。
10:10 なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。
10:11 聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。
10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。
10:13 なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。

7:27 イエスは女に言われた、「まず子供たちに十分食べさすべきである。子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」。
7:28 すると女は答えて言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます」。

彼女は、イエス様の言葉を「そのとおり」と、言ってアーメンした。

7:29 そこでイエスは言われた、「その言葉で、じゅうぶんである(その発言をした故に)。お帰りなさい。悪霊は娘から出てしまった」。
7:30 そこで、女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。

彼女は、一つの信仰の発言ゆえに、イエス様から、癒やしを引き出してしまった。
私達も、信仰をもってイエス様から癒やしを、必要の満たしを、引き出せるのである。
特に、「この人に良くなってもらいたい」と心からの願いをもって祈りに来る祈りを、主はよく聞いてくださる。

5:14 あなたがたの中に、病んでいる者があるか。その人は、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうがよい。
5:15 信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。
5:16 だから、互に罪を告白し合い、また、いやされるようにお互のために祈りなさい。義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。
5:17 エリヤは、わたしたちと同じ人間であったが、雨が降らないようにと祈をささげたところ、三年六か月のあいだ、地上に雨が降らなかった。
5:18 それから、ふたたび祈ったところ、天は雨を降らせ、地はその実をみのらせた。
5:19 わたしの兄弟たちよ。あなたがたのうち、真理の道から踏み迷う者があり、だれかが彼を引きもどすなら、
5:20 かように罪人を迷いの道から引きもどす人は、そのたましいを死から救い出し、かつ、多くの罪をおおうものであることを、知るべきである。
 

福音とは(1コリント15:1-5)
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(音声データは毎週土曜日にアップ予定です)

15:1 兄弟たちよ。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受けいれ、それによって立ってきたあの福音を、思い起してもらいたい。
15:2 もしあなたがたが、いたずらに信じないで、わたしの宣べ伝えたとおりの言葉を固く守っておれば、この福音によって救われるのである。

福音、という日本語、改めて聞くと、よくわからないかもしれない。
福音(エウアンゲリオン)とは、元々、勝利のよき知らせである。自国が戦いに勝利し、伝令が「我らの王は敵に勝利し、自分達の国は勝ったぞ!」「もう圧政に苦しむ必要は無い、恐れる必要は無いのだ!」と、次々と伝えながら走っていく、その言葉がエウアンゲリオンである。

勝利した私達の王とは誰か?それは私達の主イエス様であり、敗北した者とは、悪魔サタンである。
そしてそれは、罪に対しての勝利であり、死に対しての勝利である。

15:3 わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、
15:4 そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、
15:5 ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。

これが福音の根幹である。
イエス様は、わたしたちの罪のために死なれた事によって、私達の罪を十字架上で釘付けにされ、私達の罪そのものを罰して下さった。
そして、三日目によみがえられた事によって、死に勝利して下さった。

15:54 この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。
15:55 「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。
15:56 死のとげは罪である。罪の力は律法である。
15:57 しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。
15:58 だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。

死に対する勝利、これこそ、私達人類にとって究極の救いである。それを達成して下さったお方がイエス様であり、それを伝える言葉が、福音である。
悪魔サタンは、敗北した。悪魔の誘惑の本質は、この、神の言葉を混乱させる事だ。

「主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。」(創3:1) この蛇こそ、天から投げ落とされた、全人類を惑わす者、すなわち悪魔とかサタンとか呼ばれる、あの古い蛇(黙12:9)である。
悪魔の「魔」、その漢字は、广(まだれ:家や庭を意味)の中に、二本の木があり、その間に「鬼」と書くように、悪魔の誘惑の特徴は、いかに人をいのちの木から遠ざけ、善悪の木に向かわせるか、という点にあり、御言葉の肝心な所を抜いたり、不純物を混ぜたりして、人に不安の波紋を起こさせ、御言葉否定へと導く。
神が言われたのは、 岷爐里匹量擇らも」 ◆峪廚い里泙淇べてよい」、「しかし善悪の知識の木からは」 ぁ崋茲辰匿べてはならない」だった。(創世記2:16-17)
しかし悪魔であるこの古い蛇は、『 岷爐砲△襪匹量擇らも」 ぁ崋茲辰匿べてはならない」と、ほんとうに神が言われたのですか』(創3:1)、と言っており、肝心の、△鉢を除いてしまっている。
蛇は、神様から与えられているあらゆる良き祝福には、全く言及せず、たった一つのしてはならない事にクローズアップさせ、あたかも神は、我々に制限を大きく課しているかのような錯覚を、吹き込ませた。
御言葉をしっかり覚えていないと、容易に騙されてしまう。エバはその掻き乱しに、まんまと乗ってしまった。

創世記3:2 女はへびに言った、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、
3:3 ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」。
3:4 へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。
3:5 それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。
3:6 女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。

こうして人類に死が、呪いがもたらされてしまった。
しかし神は、そんな人間を捨てる事なく、救うために、御父は愛するひとり子を犠牲にし、イエス様は、自らの命を投げ出してまで私達人類を救って下さった。
そして神は、悪魔サタンをやがて一瞬にして焼き滅ぼされ、永遠の炎に閉じ込められる。

黙示録20:7 千年の期間が終ると、サタンはその獄から解放される。
20:8 そして、出て行き、地の四方にいる諸国民、すなわちゴグ、マゴグを惑わし、彼らを戦いのために召集する。その数は、海の砂のように多い。
20:9 彼らは地上の広い所に上ってきて、聖徒たちの陣営と愛されていた都とを包囲した。すると、天から火が下ってきて、彼らを焼き尽した。
20:10 そして、彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄との池に投げ込まれた。そこには、獣もにせ預言者もいて、彼らは世々限りなく日夜、苦しめられるのである。

私達を惑わしたサタンの行く所は、硫黄の燃えている火の池ゲヘナであり、そこで生きたままで投げ込まれる。
イエス様の勝利は、完全・完璧であり、イエス様を主とした私達が行く所は天国で、私達はそこで永遠にイエス様と共に生きるのだ。

黙示録21:1 わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。
21:2 また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。
21:3 また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、
21:4 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。

神の国よりも世の何かを優先させてしまう事の危険(ルカ12:13-21)
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(音声データは毎週土曜日にアップ予定です)

12:13 群衆の中のひとりがイエスに言った、「先生、わたしの兄弟に、遺産を分けてくれるようにおっしゃってください」。
12:14 彼に言われた、「人よ、だれがわたしをあなたがたの裁判人または分配人に立てたのか」。

イエス様は、つれない返事をされたのはなぜか。それは、次の言葉に答えがある。

12:15 それから人々にむかって言われた、「あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。たといたくさんの物を持っていても、人のいのちは、持ち物にはよらないのである」。

彼は、貪欲の動機をもって、イエス様の求めたからだ。
世の事柄は、良いものでも悪いものでもない。ただ、それを用いる人の心によって、よくも悪くもなる。

12:16 そこで一つの譬を語られた、「ある金持の畑が豊作であった。
12:17 そこで彼は心の中で、『どうしようか、わたしの作物をしまっておく所がないのだが』と思いめぐらして
12:18 言った、『こうしよう。わたしの倉を取りこわし、もっと大きいのを建てて、そこに穀物や食糧を全部しまい込もう。
12:19 そして自分の魂に言おう。たましいよ、おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ』。
12:20 すると神が彼に言われた、『愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか』。
12:21 自分のために宝を積んで神に対して富まない者は、これと同じである」。

たとえの中の人は、神に対して富まない者だった。この地上の富や宝を求め、それをたましいの喜びとし、安心する根拠とはしても、永遠のいのちの源であるイエス様を求めなかった。

49:16 人が富を得るときも、その家の栄えが増し加わるときも、恐れてはならない。
49:17 彼が死ぬときは何ひとつ携え行くことができず、その栄えも彼に従って下って行くことは/ないからである。
49:18 たとい彼が生きながらえる間、自分を幸福と思っても、またみずから幸な時に、人々から称賛されても、
49:19 彼はついにおのれの先祖の仲間に連なる。彼らは絶えて光を見ることがない。
49:20 人は栄華のうちに長くとどまることはできない。滅びうせる獣にひとしい。

富んではいても、獣に等しい人は、世の中にごまんといる。
その代表格が、ソロモンである。
彼は世界一、知恵が与えられ、富と栄誉が与えられたが、彼自身は「むなしい」の一言で人生を終えてしまった。
ソロモンの性質とは、いかなるものか。

2:1 わたしは自分の心に言った、「さあ、快楽をもって、おまえを試みよう。おまえは愉快に過ごすがよい」と。しかし、これもまた空であった。
2:2 わたしは笑いについて言った、「これは狂気である」と。また快楽について言った、「これは何をするのか」と。
2:3 わたしの心は知恵をもってわたしを導いているが、わたしは酒をもって自分の肉体を元気づけようと試みた。また、人の子は天が下でその短い一生の間、どんな事をしたら良いかを、見きわめるまでは、愚かな事をしようと試みた。

2:4 わたしは大きな事業をした。わたしは自分のために家を建て、ぶどう畑を設け、
2:5 園と庭をつくり、またすべて実のなる木をそこに植え、
2:6 池をつくって、木のおい茂る林に、そこから水を注がせた。
2:7 わたしは男女の奴隷を買った。またわたしの家で生れた奴隷を持っていた。わたしはまた、わたしより先にエルサレムにいただれよりも多くの牛や羊の財産を持っていた。
2:8 わたしはまた銀と金を集め、王たちと国々の財宝を集めた。またわたしは歌うたう男、歌うたう女を得た。また人の子の楽しみとするそばめを多く得た。
2:9 こうして、わたしは大いなる者となり、わたしより先にエルサレムにいたすべての者よりも、大いなる者となった。わたしの知恵もまた、わたしを離れなかった。
2:10 なんでもわたしの目の好むものは遠慮せず、わたしの心の喜ぶものは拒まなかった。わたしの心がわたしのすべての労苦によって、快楽を得たからである。そしてこれはわたしのすべての労苦によって得た報いであった。
2:11 そこで、わたしはわが手のなしたすべての事、およびそれをなすに要した労苦を顧みたとき、見よ、皆、空であって、風を捕えるようなものであった。日の下には益となるものはないのである。

彼は、せっかく神様から与えられた知恵を脇において、酒をもって肉体を元気つけようとした。
また、きよい聖なる事のみならず、愚かな事をしようと試みた。
クリスチャンの中にも、いる。自分は聖書の聖なる事だけでなく、愚かなこと、酒をも求めよう、その両方を得てこそ、真の知恵が与えられるのだ、と。
そのように思う人は、忘れている。人は、快楽に対する耐性が無い、という事を。
いかにサムソンのように腕力があっても、いかにソロモンのような知恵があっても、共々、快楽によって身を滅ぼしてしまった。
ましてや、私達はいかなるものだろう。
 

父・子・御霊がひとつとなり、私達とひとつとなる(ヨハネ14:6-21)
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(音声データは毎週土曜日にアップ予定です)

父・子・御霊なる、三位一体の神の性質と役割が、ヨハネ14章に示されている。
御子なるイエス様があかしされた。

14:6 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。
14:7 もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである」。

イエス様こそ、私達を父の元へと導く事の出来る、唯一の道である。イエス様こそ、真理、命である。
そしてイエス様を知った者は、父を知った、とイエス様は宣言された。
しかし人は、見なければ満足しない。

14:8 ピリポはイエスに言った、「主よ、わたしたちに父を示して下さい。そうして下されば、わたしたちは満足します」。
14:9 イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。
14:10 わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。わたしがあなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである。

ピリポは父を、まだ見ていない、と思い込んでいた。
しかし、そうではない。「わたしと父とは一つである」(ヨハネ10:30)と、イエス様が言われた通り、「イエス様とは別者なる父」ではないのだ。
イエス様を見たものは、父なる神様を見たのであり、イエス様を知った者は、父なる神様を知ったのである。

14:11 わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。もしそれが信じられないならば、わざそのものによって信じなさい。
14:12 よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。

イエス様を信じる者は、わざが、実体となって来る。
イエス様のわざを見て多くの人が信じたように、私達も、イエス様のわざ、それも、もっと大きな業を行う。
なぜなら、イエス様が、父なる神のもとに行くからである。

14:16 わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。
14:17 それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。

 父は、御子キリストによって、助け主聖霊をつかわされる。
15:26 わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。

そして、助け主聖霊は、イエスキリストをあかしする。
14:26しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
15:26 わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。

キリストは御父におり、御父から聞くままを為す。キリストを見た者は、御父を見たのである。
14:8 ピリポはイエスに言った。「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」
14:9 イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください。』と言うのですか。
14:10 わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。
14:11 わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。さもなければ、わざによって信じなさい。

そして私達も、あかしするのである。
Joh 15:27  あなたがたもあかしするのです。初めからわたしといっしょにいたからです。
こうして、父子御霊の三位一体の主と、私達がひとつとなり、この地上において主のわざを行い、広めて行くのである。

14:18 わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。
14:19 もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである。
14:20 その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう。
14:21 わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」。
 

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