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メッセージ - 定期祈祷会メッセージカテゴリのエントリ

「キリスト」の役割と、血潮の効力(ヘブル9:11-28)
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金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
御国の働きをするしもべの報い(詩篇2:6-9篇)
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安息日の問題 - エレミヤ書の9つのGolden Key 4/9(エレミヤ17:21)
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この週末の時代を読み解く上で非常に重要なエレミヤ書の9つの鍵。
第4番目は、「安息日」の問題である。

 17:21 主はこう仰せられる。『あなたがた自身、気をつけて、安息日に荷物を運ぶな。また、それをエルサレムの門のうちに持ち込むな。

エレミヤの時代、主が「聖としなさい」と命じられていた安息日は、軽んじられ、人々は平気でその日、世の仕事をしては出歩いていた。
そこで主はエレミヤを通して警告を与えたわけであるのだが、現代、この安息日どのように扱うべきか。
ユダヤにおいては、礼拝するべき安息日は土曜日としているが、我々は礼拝する日をどうすべきだろう。
その問題について、御言葉から見ていきたい。

「安息日」はシャバット、すなわち、終わる、とどまる、休む、という意味である。
天地創造の時、神は第七日目に全ての創造のわざを終え、休まれた。それゆえこの日を覚えて「聖」として区別せよ、と仰せられた。
しかしユダヤ人は、この日を「働いてはならない日」という事を強調するあまり、これは仕事になるのか、そうではないのか、という論点の膨大な議論が発生し、諸々の事細かい規定が定められ、それでユダヤ人は、安息すべき日であるというのに、重荷を負う事になる。これは大丈夫だろうか、やっていいのだろうか、と。

そこでイエス様は言われる。

マタイ11:28 すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
11:29 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。

イエス様は、わたしのくびきを負って、わたしに学びなさい、と言われた。
くびきは、二頭の牛が共に負って、共にひとつの働きをする道具である。重荷を捨てなさい、とは言っておられない。つまりイエス様は、あなたが負っている重荷があるなら、わたしが一緒に負う、と言っておられるのだ。
主が重荷を共に負ってくださる。そうすれば、あなた方の心は、休まれる、と。

律法を完成させて下さるイエス様は、律法や諸々の重荷を、一緒に負って下さる、という事を、認知すべきである。

さらに12章で、再び安息日に関する問題が起きている。
マタイ12:1 そのころ、ある安息日に、イエスは麦畑の中を通られた。すると弟子たちは、空腹であったので、穂を摘んで食べはじめた。
12:2 パリサイ人たちがこれを見て、イエスに言った、「ごらんなさい、あなたの弟子たちが、安息日にしてはならないことをしています」。

弟子達はお腹がすいて、ひもじくなって、麦の穂を摘んで食べたのをパリサイ人達は見て、それを糾弾のねたとした。
すなわち、「籾殻を取る」行為は労働であると見做されており、それでパリサイ人達は「安息日にしてはならない事をしている」と、糾弾したのだが、イエス様は弟子達を弁護される。

イエス様は、ご自身を、安息日の主である、と宣言された。イエス様こそ、安息日を定め、安息日のなんたるかを教えて下さる主である、と。
その安息日の主であられるイエス様が、彼に仕える弟子達、安息日に仕えている弟子達を、「罪のない者」と宣言し、また弁護した。

12:7 『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か知っていたなら、あなたがたは罪のない者をとがめなかったであろう。

イエス様が、安息日に籾殻を取って食べた弟子達は「罪がない」とした根拠は、何によるのだろう。

12:3 そこでイエスは彼らに言われた、「あなたがたは、ダビデとその供の者たちとが飢えたとき、ダビデが何をしたか読んだことがないのか。
12:4 すなわち、神の家にはいって、祭司たちのほか、自分も供の者たちも食べてはならぬ供えのパンを食べたのである。
すなわち、あなた方が尊敬するダビデがそうしたでしょう、と。
12:5 また、安息日に宮仕えをしている祭司たちは安息日を破っても罪にはならないことを、律法で読んだことがないのか。
12:6 あなたがたに言っておく。宮よりも大いなる者がここにいる。
12:7 『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か知っていたなら、あなたがたは罪のない者をとがめなかったであろう。
12:8 人の子は安息日の主である」。

さらに神は、預言者ホセアを通して言われた。
やがて、安息日などの全ての例祭をやめさせる時が来る、と。

ホセア 2:11 わたしは彼女のすべての楽しみ、すなわち祝、新月、安息日、すべての祭をやめさせる。

神の恵みの時が到来すると、律法が成就し、すべて安息日や例祭は止めさせられる。
その「時」は、イエス様が十字架上で死なれた時、成就した。
次の御言葉の通りである。

コロサイ 2:14 神は、わたしたちを責めて不利におとしいれる証書を、その規定もろともぬり消し、これを取り除いて、十字架につけてしまわれた。
2:15 そして、もろもろの支配と権威との武装を解除し、キリストにあって凱旋し、彼らをその行列に加えて、さらしものとされたのである。
2:16 だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも批評されてはならない。
2:17 これらは、きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある。

すなわち、ありとあらゆる人を「罪あり」と指摘し、不利に陥れる「律法」という債務証書を、無効にしたのだ!十字架の上で。
こういうわけで、食べ物と飲み物について、あるいは、祭りや新月や安息日のことについて、誰にも批評させてはならない、と、16節に書いてある。

1コリント15:56 死のとげは罪である。罪の力は律法である。
15:57 しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。

死のとげは罪であり、そして人を罪ありとする力あるものは、律法である。
イエス様は十字架上で、罪を、死を、また人を罪ありとする律法を、十字架の上で釘付けにし、我々をそれらに対する勝利者とし、開放して下さったのだ!
イエス様は十字架上で、我々に、恵みの年、解放の年を宣言して下さったのだ。
それ故、私達は、安息日や、その他諸々の律法の膨大な規定から、解放されているのである。

十字架、それは実に偉大な転換点である。

それでは、どうして新約では主日に、すなわち、日曜日に礼拝を行うのか。
旧約のように土曜日にではなく。

イエス様の十字架以降、安息日や諸々の祭りは十字架上に釘付けにされた事は、先のホセア書と第一コリントに書いてあった通りである。
それ以降、復活のイエス様は、日曜日に現れるようになった。
復活の三日目すなわち日曜日(聖書では当日もカウントする)、弟子達が集っていた所に復活のイエス様が現れ、弟子達に聖霊の息吹を吹きかけられた。
その時その場にいなかったトマスには、その八日後、すなわち次の日曜日、弟子達が集っていた所に、トマスも居たため、トマスもイエス様と出会い交わりをする事が出来た。(ヨハネ20:19-29)
黙示録においても、ヨハネは「主の日」に御霊に感じ、主と出会い、主から啓示を頂いた。(黙示録1:10)
それ故、教会では、日曜日を主の日(主日)と言い、初代教会の聖徒達は復活の主と出会うために、主日に主の御名に集い、パンを割き、メッセージを聞き、聖徒の交わりを行っていた。(使徒20:7)

キリスト教は復活の宗教と言われており、主日は、主の復活の日である。
だからキリスト者達はそれを記念し、そして主と出会うために、主日に集うようになって行ったのだ。

結局、旧約の安息日は、来るべきキリストの影にすぎない。(コロサイ2:17)
核心は、安息日の主人であられるキリストなのだ。
 

手をたたいて神に喜びと賛美の態度を示そう(詩篇47篇)
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いつでも「神」を主語とし、何をしても祝福されたヨセフ(創世記39:1-10)
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創世記39:1 さてヨセフは連れられてエジプトに下ったが、パロの役人で侍衛長であったエジプトびとポテパルは、彼をそこに連れ下ったイシマエルびとらの手から買い取った。
39:2 主がヨセフと共におられたので、彼は幸運な者となり、その主人エジプトびとの家におった。
39:3 その主人は主が彼とともにおられることと、主が彼の手のすることをすべて栄えさせられるのを見た。
39:4 そこで、ヨセフは彼の前に恵みを得、そのそば近く仕えた。彼はヨセフに家をつかさどらせ、持ち物をみな彼の手にゆだねた。
39:5 彼がヨセフに家とすべての持ち物をつかさどらせた時から、主はヨセフのゆえにそのエジプトびとの家を恵まれたので、主の恵みは彼の家と畑とにあるすべての持ち物に及んだ。
39:6 そこで彼は持ち物をみなヨセフの手にゆだねて、自分が食べる物のほかは、何をも顧みなかった。さてヨセフは姿がよく、顔が美しかった。
39:7 これらの事の後、主人の妻はヨセフに目をつけて言った、「わたしと寝なさい」。
39:8 ヨセフは拒んで、主人の妻に言った、「御主人はわたしがいるので家の中の何をも顧みず、その持ち物をみなわたしの手にゆだねられました。
39:9 この家にはわたしよりも大いなる者はありません。また御主人はあなたを除いては、何をもわたしに禁じられませんでした。あなたが御主人の妻であるからです。どうしてわたしはこの大きな悪をおこなって、神に罪を犯すことができましょう」。
39:10 彼女は毎日ヨセフに言い寄ったけれども、ヨセフは聞きいれず、彼女と寝なかった。また共にいなかった。

1サムエル記2:17 このように、その若者たちの罪は、主の前に非常に大きかった。この人々が主の供え物を軽んじたからである。
2:18 サムエルはまだ幼く、身に亜麻布のエポデを着けて、主の前に仕えていた。

3:13 わたしはエリに、彼が知っている悪事のゆえに、その家を永久に罰することを告げる。その子らが神をけがしているのに、彼がそれをとめなかったからである。

創世記40:8 彼らは言った、「わたしたちは夢を見ましたが、解いてくれる者がいません」。ヨセフは彼らに言った、「解くことは神によるのではありませんか。どうぞ、わたしに話してください」。

創世記41:16 ヨセフはパロに答えて言った、「いいえ、わたしではありません。神がパロに平安をお告げになりましょう」。

41:25 ヨセフはパロに言った、「パロの夢は一つです。神がこれからしようとすることをパロに示されたのです。
・・・
41:28 わたしがパロに申し上げたように、神がこれからしようとすることをパロに示されたのです。

41:32 パロが二度重ねて夢を見られたのは、この事が神によって定められ、神がすみやかにこれをされるからです。

41:38 そこでパロは家来たちに言った、「われわれは神の霊をもつこのような人を、ほかに見いだし得ようか」。
41:39 またパロはヨセフに言った、「神がこれを皆あなたに示された。あなたのようにさとく賢い者はない。
41:40 あなたはわたしの家を治めてください。わたしの民はみなあなたの言葉に従うでしょう。わたしはただ王の位でだけあなたにまさる」。

41:51 ヨセフは長子の名をマナセと名づけて言った、「神がわたしにすべての苦難と父の家のすべての事を忘れさせられた」。
41:52 また次の子の名をエフライムと名づけて言った、「神がわたしを悩みの地で豊かにせられた」。

45:5 しかしわたしをここに売ったのを嘆くことも、悔むこともいりません。神は命を救うために、あなたがたよりさきにわたしをつかわされたのです。
45:6 この二年の間、国中にききんがあったが、なお五年の間は耕すことも刈り入れることもないでしょう。
45:7 神は、あなたがたのすえを地に残すため、また大いなる救をもってあなたがたの命を助けるために、わたしをあなたがたよりさきにつかわされたのです。
45:8 それゆえわたしをここにつかわしたのはあなたがたではなく、神です。神はわたしをパロの父とし、その全家の主とし、またエジプト全国のつかさとされました。
45:9 あなたがたは父のもとに急ぎ上って言いなさい、『あなたの子ヨセフが、こう言いました。神がわたしをエジプト全国の主とされたから、ためらわずにわたしの所へ下ってきなさい。

平安の問題 - エレミヤ書の9つのGolden Key 3/9(エレミヤ14:13)
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この週末の時代を読み解く上で非常に重要なエレミヤ書の9つの鍵の、第3番目は、「平安(シャローム)」の問題である。

現代、ユダヤ人はこのシャロームが挨拶言葉となっているが、元々はそうではなかった。
彼らが国を失って、いつ死ぬかも分からない毎日であった。それで、朝ごとに「あなたは大丈夫(シャローム)ですか?」と言うのが挨拶言葉になった。
元々はルツ記2:4で、ボアズが人々に「主があなたがたとともにおられますように。」と言って、人々は「主があなたを祝福されますように。」と答えたが、それが本来の挨拶だった。
しかし、ユダヤ人はあまりに切迫した状況を生きていたため、シャッレーシャローム、それがさらに短縮し、シャロームだけになった。

エレミヤ14:13 わたしは言った、「ああ、主なる神よ、預言者たちはこの民に向かい、『あなたがたは、つるぎを見ることはない。ききんもこない。わたしはこの所に確かな平安をあなたがたに与える』と言っています」。

エレミヤは主に切実に求めている。他の預言者達は、シャロームを宣言しています、と。
しかし主は、あいにく彼らは偽預言者だ、シャロームでないのに、シャロームだと宣言している、と、断罪する。

カン・シンゴン博士は言う。旧約聖書を一言で表すなら平安(シャローム)、新約聖書を一言で表すなら「恵み」だと。
ユダヤ人は誰もが求め、偽預言者が乱発している「平安」、これはいかにして与えられるのか。
それは、油そそがれた者、メシヤによってである。

イザヤ61:1 主なる神の霊がわたしに臨んだ。これは主がわたしに油を注いで、貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね、わたしをつかわして心のいためる者をいやし、捕われ人に放免を告げ、縛られている者に解放を告げ、
61:2 主の恵みの年と/われわれの神の報復の日とを告げさせ、また、すべての悲しむ者を慰め、
61:3 シオンの中の悲しむ者に喜びを与え、灰にかえて冠を与え、悲しみにかえて喜びの油を与え、憂いの心にかえて、さんびの衣を与えさせるためである。こうして、彼らは義のかしの木ととなえられ、主がその栄光をあらわすために/植えられた者ととなえられる。

これがイエス様の働きである。イエス様が来られる時、主の恵みの年が成就する。
イエス様は自分の故郷、ナザレの会堂で、これを宣言された。

ルカ4:16 それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。
4:17 すると預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を出された、
4:18 「主の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、わたしを聖別してくださったからである。主はわたしをつかわして、囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に自由を得させ、
4:19 主のめぐみの年を告げ知らせるのである」。
4:20 イエスは聖書を巻いて係りの者に返し、席に着かれると、会堂にいるみんなの者の目がイエスに注がれた。
4:21 そこでイエスは、「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」と説きはじめられた。
4:22 すると、彼らはみなイエスをほめ、またその口から出て来るめぐみの言葉に感嘆して言った、「この人はヨセフの子ではないか」。

ここを、ハイネケンイシューという。ハイネケン(εινεκεν)とは「**のために」という意味で、ビール会社がそのギリシア語を社名に用いた。
しかしこのルカ4章には、イエス様が「何のために(ハイネケン)」来られたのか、その理由が一つ一つ記されている。

1,貧しい者に福音を伝えるために。
2,わたしに油をそそぎ。
3,<新改訳では欠如、原典にはあり>心の虐待された者を癒やすため。
4,捕虜に自由を。
5,目が見えない人に見える事を。
6,抑圧された者を自由に。

これらの働きは、私達キリスト者の働きでもある。
キリスト者もまた聖霊の油注ぎを受け、この地上にイエスキリストの働きをするように召し出されたゆえ、貧しい者に福音を伝え、心の虐待された者を癒やすために、罪とサタンによってがんじがらめにされてしまった人々を自由にするために、また、真理が見えず、イエス様が見えない霊的盲目な人々の目を癒すために、そして、抑圧された人を自由にするために、召し出されている。
これによって、恵みの年が告知されていくのだ。

イエス・キリストの十字架と復活を抜きにして、真の平安は無い。イエス様は復活の日、弟子達に平安を宣言し、聖霊を受けるようにと息を吹きかけられた。
そして私達は、世界へ宣教に出かけることが出来るのだ。
これは全て、恵みによる。

聖書最後の言葉は、次の言葉である。
黙示録22:21 主イエスの恵みが、一同の者と共にあるように。(アーメン)

これが、聖書全体の結論である。
まず、イエス・キリストの恵みがありきで、それによって、父なる神の平安が与えられる土台が整えられる。
イエス様はまことの門であり、この御方を通ってでなければ、誰も父なる神には至らないからである。

イスラエルのシャローム(平安)の問題、それはただ、メシヤであられるイエス・キリストを通してのみ、成就するのだ。

自分の悪を認めて命を得、兄弟の罪を負って栄誉を得るユダ(創世記38:20-26)
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創世記38:20 やがてユダはその女からしるしを取りもどそうと、その友アドラムびとに託してやぎの子を送ったけれども、その女を見いだせなかった。
38:21 そこで彼はその所の人々に尋ねて言った、「エナイムで道のかたわらにいた遊女はどこにいますか」。彼らは言った、「ここには遊女はいません」。
38:22 彼はユダのもとに帰って言った、「わたしは彼女を見いだせませんでした。またその所の人々は、『ここには遊女はいない』と言いました」。
38:23 そこでユダは言った、「女に持たせておこう。わたしたちは恥をかくといけないから。とにかく、わたしはこのやぎの子を送ったが、あなたは彼女を見いだせなかったのだ」。
38:24 ところが三月ほどたって、ひとりの人がユダに言った、「あなたの嫁タマルは姦淫しました。そのうえ、彼女は姦淫によってみごもりました」。ユダは言った、「彼女を引き出して焼いてしまえ」。
38:25 彼女は引き出された時、そのしゅうとに人をつかわして言った、「わたしはこれをもっている人によって、みごもりました」。彼女はまた言った、「どうか、この印と、紐と、つえとはだれのものか、見定めてください」。
38:26 ユダはこれを見定めて言った、「彼女はわたしよりも正しい。わたしが彼女をわが子シラに与えなかったためである」。彼は再び彼女を知らなかった。

ダニエル9:8 主よ、恥はわれわれのもの、われわれの王たち、君たちおよび先祖たちのものです。これはわれわれがあなたにむかって罪を犯したからです。
9:9 あわれみと、ゆるしはわれわれの神、主のものです。これはわれわれが彼にそむいたからです。

1ヨハネ1:8 もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。
1:9 もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。
1:10 もし、罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とするのであって、神の言はわたしたちのうちにない。

創世記44:18 この時ユダは彼に近づいて言った、「ああ、わが主よ、どうぞわが主の耳にひとこと言わせてください。しもべをおこらないでください。あなたはパロのようなかたです。
・・・
44:33 どうか、しもべをこの子供の代りに、わが主の奴隷としてとどまらせ、この子供を兄弟たちと一緒に上り行かせてください、

49:10 つえはユダを離れず、/立法者のつえはその足の間を離れることなく、/シロの来る時までに及ぶであろう。もろもろの民は彼に従う。

自分の大切なものを残忍なものに渡してしまう所だったユダ(創世記38:12-19)
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創世記38:12 日がたってシュアの娘ユダの妻は死んだ。その後、ユダは喪を終ってその友アドラムびとヒラと共にテムナに上り、自分の羊の毛を切る者のところへ行った。
38:13 時に、ひとりの人がタマルに告げて、「あなたのしゅうとが羊の毛を切るためにテムナに上って来る」と言ったので、
38:14 彼女は寡婦の衣服を脱ぎすて、被衣で身をおおい隠して、テムナへ行く道のかたわらにあるエナイムの入口にすわっていた。彼女はシラが成人したのに、自分がその妻にされないのを知ったからである。
38:15 ユダは彼女を見たとき、彼女が顔をおおっていたため、遊女だと思い、
38:16 道のかたわらで彼女に向かって言った、「さあ、あなたの所にはいらせておくれ」。彼はこの女がわが子の妻であることを知らなかったからである。彼女は言った、「わたしの所にはいるため、何をくださいますか」。
38:17 ユダは言った、「群れのうちのやぎの子をあなたにあげよう」。彼女は言った、「それをくださるまで、しるしをわたしにくださいますか」。
38:18 ユダは言った、「どんなしるしをあげようか」。彼女は言った、「あなたの印と紐と、あなたの手にあるつえとを」。彼はこれらを与えて彼女の所にはいった。彼女はユダによってみごもった。
38:19 彼女は起きて去り、被衣を脱いで寡婦の衣服を着た。

箴言5:3 遊女のくちびるは蜜をしたたらせ、その言葉は油よりもなめらかである。
5:4 しかしついには、彼女はにがよもぎのように苦く、もろ刃のつるぎのように鋭くなる。
5:5 その足は死に下り、その歩みは陰府の道におもむく。
5:6 彼女はいのちの道に心をとめず、その道は人を迷わすが、彼女はそれを知らない。
5:7 子供らよ、今わたしの言うことを聞け、わたしの口の言葉から、離れ去ってはならない。
5:8 あなたの道を彼女から遠く離し、その家の門に近づいてはならない。
5:9 おそらくはあなたの誉を他人にわたし、あなたの年を無慈悲な者にわたすに至る。
5:10 おそらくは他人があなたの資産によって満たされ、あなたの労苦は他人の家に行く。
5:11 そしてあなたの終りが来て、あなたの身と、からだが滅びるとき、泣き悲しんで、
5:12 言うであろう、「わたしは教訓をいとい、心に戒めを軽んじ、
5:13 教師の声に聞き従わず、わたしを教える者に耳を傾けず、
5:14 集まりの中、会衆のうちにあって、わたしは、破滅に陥りかけた」と。
 

死んで夫に慰めをもたらす妻と、生きて夫に益をもたらす妻(創世記38:1-12)
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ダビデ、イエス・キリストへと続くユダの家系。
その父祖ユダは、神を敬う家族を離れ、一人、神の国の価値観から程遠いカナンへ下って行き、そこで家庭を築き上げて行こうとした。
しかしそこで得た妻も子供も、全滅してしまう。

38:1 そのころユダは兄弟たちを離れて下り、アドラムびとで、名をヒラという者の所へ行った。
38:2 ユダはその所で、名をシュアというカナンびとの娘を見て、これをめとり、その所にはいった。
38:3 彼女はみごもって男の子を産んだので、ユダは名をエルと名づけた。
38:4 彼女は再びみごもって男の子を産み、名をオナンと名づけた。
38:5 また重ねて、男の子を産み、名をシラと名づけた。彼女はこの男の子を産んだとき、クジブにおった。
38:6 ユダは長子エルのために、名をタマルという妻を迎えた。
38:7 しかしユダの長子エルは主の前に悪い者であったので、主は彼を殺された。
38:8 そこでユダはオナンに言った、「兄の妻の所にはいって、彼女をめとり、兄に子供を得させなさい」。
38:9 しかしオナンはその子が自分のものとならないのを知っていたので、兄の妻の所にはいった時、兄に子を得させないために地に洩らした。
38:10 彼のした事は主の前に悪かったので、主は彼をも殺された。
38:11 そこでユダはその子の妻タマルに言った、「わたしの子シラが成人するまで、寡婦のままで、あなたの父の家にいなさい」。彼は、シラもまた兄弟たちのように死ぬかもしれないと、思ったからである。それでタマルは行って父の家におった。

38:12 日がたってシュアの娘ユダの妻は死んだ。その後、ユダは喪を終って(ナハーム:慰められて)その友アドラムびとヒラと共にテムナに上り、自分の羊の毛を切る者のところへ行った。
ユダは、この妻が死んで、慰められた、と訳せる。
NKJV: 38:12 Now in the process of time the daughter of Shua, Judah's wife, died; and Judah was comforted

箴言19:13 愚かな子はその父の災である、妻の争うのは、雨漏りの絶えないのとひとしい。
19:14 家と富とは先祖からうけつぐもの、賢い妻は主から賜わるものである。
19:15 怠りは人を熟睡させる、なまけ者は飢える。
19:16 戒めを守る者は自分の魂を守る、み言葉を軽んじる者は死ぬ。

箴言11:8 正しい者は、悩みから救われ、悪しき者は代ってそれに陥る。
11:9 不信心な者はその口をもって隣り人を滅ぼす、正しい者は知識によって救われる。
11:10 正しい者が、しあわせになれば、その町は喜び、悪しき者が滅びると、喜びの声がおこる。
11:11 町は正しい者の祝福によって、高くあげられ、悪しき者の口によって、滅ぼされる。

ユダの妻は、死んだ事によって、夫であるユダは慰めを得た。
私達は、そのようになってはならない。

箴言31:24 彼女は亜麻布の着物をつくって、それを売り、帯をつくって商人に渡す。
31:25 力と気品とは彼女の着物である、そして後の日を笑っている。
31:26 彼女は口を開いて知恵を語る、その舌にはいつくしみの教がある。
31:27 彼女は家の事をよくかえりみ、怠りのかてを食べることをしない。
31:28 その子らは立ち上がって彼女を祝し、その夫もまた彼女をほめたたえて言う、
31:29 「りっぱに事をなし遂げる女は多いけれども、あなたはそのすべてにまさっている」と。
31:30 あでやかさは偽りであり、美しさはつかのまである、しかし主を恐れる女はほめたたえられる。
31:31 その手の働きの実を彼女に与え、その行いのために彼女を町の門でほめたたえよ。

私達は、真の夫であるキリストに、有益をもたらす者であるべきだ。

新しく歩んで行こうとする聖徒を惑わすもの(コロサイ2:11-23)
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コロサイ2:11 あなたがたはまた、彼にあって、手によらない割礼、すなわち、キリストの割礼を受けて、肉のからだを脱ぎ捨てたのである。
2:12 あなたがたはバプテスマを受けて彼と共に葬られ、同時に、彼を死人の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、彼と共によみがえらされたのである。
2:13 あなたがたは、先には罪の中にあり、かつ肉の割礼がないままで死んでいた者であるが、神は、あなたがたをキリストと共に生かし、わたしたちのいっさいの罪をゆるして下さった。
2:14 神は、わたしたちを責めて不利におとしいれる証書を、その規定もろともぬり消し、これを取り除いて、十字架につけてしまわれた。
2:15 そして、もろもろの支配と権威との武装を解除し、キリストにあって凱旋し、彼らをその行列に加えて、さらしものとされたのである。

ガラテヤ5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、
5:23 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。
5:24 キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。

コロサイ2:16 だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも批評されてはならない。
2:17 これらは、きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある。
2:18 あなたがたは、わざとらしい謙そんと天使礼拝とにおぼれている人々から、いろいろと悪評されてはならない。彼らは幻を見たことを重んじ、肉の思いによっていたずらに誇るだけで、
2:19 キリストなるかしらに、しっかりと着くことをしない。このかしらから出て、からだ全体は、節と節、筋と筋とによって強められ結び合わされ、神に育てられて成長していくのである。

1コリント12:4 霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。
12:5 務は種々あるが、主は同じである。
12:6 働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。
12:7 各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。

コロサイ2:20 もしあなたがたが、キリストと共に死んで世のもろもろの霊力から離れたのなら、なぜ、なおこの世に生きているもののように、
2:21 「さわるな、味わうな、触れるな」などという規定に縛られているのか。
2:22 これらは皆、使えば尽きてしまうもの、人間の規定や教によっているものである。
2:23 これらのことは、ひとりよがりの礼拝とわざとらしい謙そんと、からだの苦行とをともなうので、知恵のあるしわざらしく見えるが、実は、ほしいままな肉欲を防ぐのに、なんの役にも立つものではない。

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