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メッセージ - 1列王記カテゴリのエントリ

してはならない飲み食いを止めなかったヤロブアム(1列王記13:20-34)
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ヤロブアム王に対し、力あるわざを伴った預言をした南ユダ王国の預言者は、主の言葉を伝えたら、そのまま飲み食いしないで帰らなくてはならない、という事も、主から示されていた。
しかし彼は、北の老預言者の「主」の御名を用いた言葉に騙され、してはならなかった飲み食いを、してしまった。

『彼らが食卓についていたとき、主の言葉が、その人をつれて帰った預言者に臨んだので、彼はユダからきた神の人にむかい呼ばわって言った、「主はこう仰せられます、『あなたが主の言葉にそむき、あなたの神、主がお命じになった命令を守らず、引き返して、主があなたに、パンを食べてはならない、水を飲んではならない、と言われた場所でパンを食べ、水を飲んだゆえ、あなたの死体はあなたの先祖の墓に行かないであろう』」。』(1列王記13:20-22)
この老預言者は、自分で騙しておきながら、同じ口で、その事を言った。なんとも理不尽である。
この老預言者のように、自分の身勝手な願いを満たすために、人を「主」の御名を用いて不当な飲み食いへと導くなら、騙された人は、それによって滅びへと導かれてしまうのだ。

『こうしてその人は立ち去ったが、道でししが彼に会って彼を殺した。そしてその死体は道に捨てられ、ろばはそのかたわらに立ち、ししもまた死体のかたわらに立っていた。人々はそこをとおって、道に捨てられている死体と、死体のかたわらに立っているししを見て、かの老預言者の住んでいる町にきてそれを話した。』(1列王記13:24-25)
あの大活躍した預言者は、ライオンに殺されてしまった。
そして不思議な事に、血に飢えているはずのライオンは、その人を食べもせず、じっと立ったままで、しかも、ろばも逃げずにライオンと一緒に死体のそばに立っていたのだ。(28節)
動物界では、有り得ない事である。
そして、この預言者に起こった事は、実に理不尽な事である。

理不尽な、そして有り得ない事が起こると、人はそれに心を留めるものである。
『そこで預言者は神の人の死体を取りあげ、それをろばに載せて町に持ち帰り、悲しんでそれを葬った。すなわちその死体を自分の墓に納め、皆これがために「ああ、わが兄弟よ」と言って悲しんだ。』(1列王記13:29-30)

どうして、あの人が死ななければならないのだろう。
それに引き換え、どうしてあの人はのうのうと生きながらえているのだろう。
この世界は、そのような疑問でいっぱいである。
ただ、人の生死について、また、悪い行いへの報いの早い・遅いは、私達がとやかく口出しできる事ではない。
全世界の、全ての人間の最善をご存知である主は、全て主権をもって支配しておられるのだ。

歴史を支配される主の采配の見事さは、その時はすぐに分からなくても、何十年、何百年と後になってから分かるようになって、それに人は大いに驚かされるものである。
『彼はそれを葬って後、むすこたちに言った、「わたしが死んだ時は、神の人を葬った墓に葬り、わたしの骨を彼の骨のかたわらに納めなさい。彼が主の命によって、ベテルにある祭壇にむかい、またサマリヤの町々にある高き所のすべての家にむかって呼ばわった言葉は必ず成就するのです」。』(1列王記13:31-32)
実際、ライオンに殺された彼の預言は、300年後に成就する。
彼は、ヤロブアム王が構築した偶像の祭壇は、ヨシヤという名のダビデ王家の人によって破壊され、汚される事を預言していた。
事実、300年後にその通りになり、300年後、自分の行った事を言い当てられた事を知ったヨシヤは、その預言者の墓を守った。(2列王記23:15-20)

かの預言者の非業の死は、多くの人達に、納得の行かない事だったかもしれない。
しかし、彼の、そのような尋常でない事があったからこそ、その後に生まれ出る多くの預言者達には、強烈な教訓となったであろう。
主から与えられた言葉は、決して曲げてはならなず、そして示された事は断然、伝えるべきである、という事の。
そしてその後、この事件は300年もの間、彼が葬られたその墓と共に、ずっと語り継がれる事となった。

当時のヤロブアム王にも、この出来事はすぐに伝え知らされが、残念ながら彼は、この事から何ら教訓も得なかった。
『この事の後も、ヤラベアムはその悪い道を離れて立ち返ることをせず、また一般の民を、高き所の祭司に任命した。すなわち、だれでも好む者は、それを立てて高き所の祭司とした。この事はヤラベアムの家の罪となって、ついにこれを地のおもてから断ち滅ぼすようになった。』(1列王記13:33-34)

ヤロブアムは、偶像礼拝という、「戻ってはならない飲み食い」へと、戻ってしまい、その事は、彼に滅びをもたらすこととなる。
北の老預言者は、南の預言者に「してはならない飲み食い」へと促す「偽りの助言」によって滅びへと導いてしまったが、それと同じように、ヤロブアムも、人々に「偶像礼拝」という「してはならない飲み食い」へと導き、それによって多くの人々を滅びへと向かわせてしまった。

老預言者は、かの預言者に次のように言った。
『あなたが主の言葉にそむき、あなたの神、主がお命じになった命令を守らず、引き返して、主があなたに、パンを食べてはならない、水を飲んではならない、と言われた場所でパンを食べ、水を飲んだゆえ、あなたの死体はあなたの先祖の墓に行かないであろう』(1列王記13:21-22)
この言葉は、かの預言者に対して言われたばかりでなく、まさにヤロブアムに対する警告でもあり、そして北イスラエル王国歴代の王たちに対する警告でもあったのだ。

これらの事は、現代の私達に対する警告でもある。
北イスラエル王国の人達は、この預言者の墓を300年見続け、語り継がれ続けていたのに、結局この事から何の戒めを受けず、偶像礼拝という「してはならない飲み食い」を止めずに、滅んでしまった。
私達はこの事に戒めを受けて、してはならない飲み食いを止めるべきなのだ。

預言者が、元々与えられていた主の命令とは違う事を言って来た場合(1列王記13:11-19)
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主は、北イスラエル王国を偶像礼拝へと導いたヤロブアムの罪を、南ユダ王国から来た無名の預言者を通して指摘し、彼を通してインパクトのあるしるしをもって、警告した。
その事はたちまちうわさとなって人々に伝わったが、その出来事を「主からの警告」として心に留めるのではなく、「大活躍した預言者」という人間に注目して、その人にあやかろうとする人も出て来る。

『さてベテルにひとりの年老いた預言者が住んでいたが、そのむすこたちがきて、その日神の人がベテルでした事どもを彼に話した。また神の人が王に言った言葉をもその父に話した。父が彼らに「その人はどの道を行ったか」と聞いたので、むすこたちはユダからきた神の人の行った道を父に示した。』(1列王記13:11-12)
この老預言者は、ヤロブアムが偶像を安置したベテルの町に住んでいたというのに、その罪を犯したヤロブアムに対しては、何の警告もしていなかった。
それでおきながら、南から来た預言者が、大胆に主の御業を為した事を聞くと、彼に会うために出かけて行った。
このように、「御言葉を伝える」という働き人としての分を果たさないまま、活躍した著名な預言者に会いに出かけて行く働き人は、この時代にもいたのだ。

『「あなたはユダからこられた神の人ですか」。その人は言った、「そうです」。そこで彼はその人に言った、「わたしと一緒に家にきてパンを食べてください」。その人は言った、「わたしはあなたと一緒に引き返すことはできません。あなたと一緒に行くことはできません。またわたしはこの所であなたと一緒にパンも食べず水も飲みません。主の言葉によってわたしは、『その所でパンを食べてはならない、水を飲んではならない。また来た道から帰ってはならない』と言われているからです」。』(1列王記13:14-17)
南ユダの預言者は、ヤロブアムに言った事と全く同じ事を、そのままこの老預言者にも伝えた。
すなわち、彼に主から与えられたミッションは、ヤロブアムが造った祭壇に対して預言する事、そして、語るべきを語り終えたなら、一切飲み食いせず、以前通った道も通らずに帰る事だ、という事を。

『彼はその人に言った、「わたしもあなたと同じ預言者ですが、天の使が主の命によってわたしに告げて、『その人を一緒に家につれ帰り、パンを食べさせ、水を飲ませよ』と言いました」。これは彼がその人を欺いたのである。そこでその人は彼と一緒に引き返し、その家でパンを食べ、水を飲んだ。』(1列王記13:18-19)
老預言者は「欺いた」。
彼は、この南ユダからの預言者に、「主(エホバ)」の名を用い、偽の預言をしたのだ。
南の預言者は、彼の偽預言を疑いもせずそのまま受け入れ、飲み食いしてしまった。

ここで疑問が沸き起こる。
このような場合、どうすべきなのだろうか。
すなわち、はじめに主から命じられていた事とは全く別の、あるいは、真逆の指示が、別の人から主の御名によって来た場合は。

そのような場合は、まず、主ご自身に聞くべきである。
彼は、その老預言者の言葉を一切吟味する事なしに飲み食いし、はじめに与えられていた命令は破ってしまったが、その事は彼にとって災いとなってしまう。
ちょうど、アダムとエバが、主から最初に与えられていた命令、善悪を知る知識の木から「取って食べてはならない、食べるなら必ず死ぬ」という命令があったにもかかわらず、蛇からの「食べても決して死なない、むしろ、食べるなら神のようになれる」という言葉にそそのかされ、食べてしまい、そうして呪いと死を招いてしまったのと同じように。

今、私達はどのようにして主ご自身に聞くべきか。それには、預言などの特別な能力はいらない。
私達には既に、「聖書」という、確固とした預言の言葉が与えられており、それに聞くべきである。

もし、この事は聖書に即しているか、いないかが、すぐに分からない場合は、主イエスはいつも生きておられ、いつも聞いておられるお方である。この御方に祈って聞くのだ。
「主よ、いまこの人は、これこれの事を勧めて来ましたが、自分には良し悪しがわかりません。主よ、あなたが教えて導いて下さい。」と祈るのだ。
もしその時、平安が無く、心がざわざわするなら、拒絶したほうが良い。

相手が、かの老預言者のように、経験も立ち居振る舞いも実績も立派に”見える”人であるなら、無意識的に言葉を信じて受け入れやすい所が私達にもあるが、少しでも「おかしいな」という気持ちがよぎったなら、御言葉を開き、祈り求めるべきである。
御言葉に反しているような事であるなら、相手がどんなに偉く経験豊かな人、あるいは、伝統ある大きな団体であったとしても、それを受けてはならない。

現在、多くの人々が、自称・預言者や、自称・神からの導き者と名乗っている人、あるいは宗教団体に惑わされている。
同性愛は許されるのだ、とか、イエス様以外にも救いはあるのだとか、経験も立ち居振る舞いも実績も立派な「老預言者」が、聖書に反する事を堂々と公言しているのは、メディアでよく目にする。
しかし人は、その言葉を発している人や団体が、あまりに有名であったり実績があったりするのを見て、容易に騙され、信じこまされ、いつの間にか主への反逆と呪いへと、向かわされてしまっているものである。

イエス様は、終わりの時代について、あらかじめ注意された。
『またオリブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとにきて言った、「どうぞお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」。そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。
また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。』(マタイ24:3-7)

現代、イエス様が言われたように、戦争のうわさや、国同士・兄弟姉妹同士の敵対、ききんや地震の頻発のうわさについて、ほぼ毎日メディアから入ってくる。
戦争や地震に備えるのは確かに重要だが、しかし、主が真っ先に「気をつけなさい」と言われた事は、「人に惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう」という事だ。
だから、主の民とされた私達が今、真っ先に気をつけるべきは、人に惑わされないよう気をつける事、なのだ。

私達はこの終わりの時代、決して変わることも裏切る事も無い、真理の御言葉に基づいて行動し、そこから離れずに歩みたい。

ヤロブアムの造った偶像の祭壇に対する預言(1列王記13:1-10)
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ヤロブアムは、イスラエル10部族全体を偶像礼拝へ導くという大きな罪を犯したが、主は彼をいきなり打ち滅ぼすという事はせず、警告し、悔い改めの機会を与えられる。

『見よ、神の人が主の命によってユダからベテルにきた。その時ヤラベアムは祭壇の上に立って香をたいていた。』(1列王記13:1)
この無名の神の人(預言者)は、主(エホバ)の命によって、すなわち、主から直接的な特命を帯びて、南ユダ王国から、来た。
もはや自国・北イスラエル王国には、ヤロブアムの主への違反を戒める者は、誰もいなかったという事だろうか。

彼が言葉を告げた先は、意外な事に、人間に対してではなく、ヤロブアムが造った偶像の祭壇に対して、であった。
主は預言者に、実に色々なものに対して「預言せよ」と言われる。
例えばエゼキエルは、主から「ひからびた骨」や「息」に対して預言せよ、と言われた。
主の言葉を伝える人・預言者に、主から要求される事は、主から託された言葉は忠実に伝える事である。

『神の人は祭壇にむかい主の命によって呼ばわって言った、「祭壇よ、祭壇よ、主はこう仰せられる、『見よ、ダビデの家にひとりの子が生れる。その名をヨシヤという。彼はおまえの上で香をたく高き所の祭司らを、おまえの上にささげる。また人の骨がおまえの上で焼かれる』」。』(1列王記13:2)
この祭壇に対する預言は、ダビデの家から生まれる人、具体的にヨシヤ(「主は支えてくださる」という意味)という名の人によって汚される、というものだった。

このベテルという場所は、南ユダ王国と北イスラエル王国の境付近に位置するが、既に北イスラエルの領土であって、ダビデの子孫のものではなかった。
そこが、南ユダ王国の人によって破壊される、と言う事は、やがてはこの”重要な祭壇”は南ユダ王国の手に渡って、破壊されてしまう、という事だ。
北王国の滅亡と、南王国の繁栄も暗示している。

実際、その事は、およそ300年後に起こった。
そのおよそ300年後、ヨシヤという王が実際に生まれ、その時は北イスラエル王国は既にアッシリヤによって滅ぼされた後で、ヨシヤは、荒んでしまったイスラエルの神・主に対する礼拝の回復を行った善王である。(2列王記22章)
300年も前から、既に、「誰々によって」事が起こされる、と言われたのは、実に驚くべき事だ。

主はさらに、目に見えるしるしをその場で与えられる。
将来、確かに主がその事を行う、という事を示すために。
『その日、彼はまた一つのしるしを示して言った、「主の言われたしるしはこれである、『見よ、祭壇は裂け、その上にある灰はこぼれ出るであろう』」。ヤラベアム王は、神の人がベテルにある祭壇にむかって呼ばわる言葉を聞いた時、祭壇から手を伸ばして、「彼を捕えよ」と言ったが、彼にむかって伸ばした手が枯れて、ひっ込めることができなかった。そして神の人が主の言葉をもって示したしるしのように祭壇は裂け、灰は祭壇からこぼれ出た。』(1列王記13:3-5)

実際に、目に見えるしるしとして、事が起きた。
ヤロブアムは、この預言者を捕らえよと言って、手を伸ばしたが、その手がしなびてしまうという、預言していない事までも、起きた。
主は元々、祭壇に対して預言したのであって、ヤロブアムに対してではなかった。
それは、主が忌み嫌われるのは、偶像の祭壇であって、ヤロブアムではなかったからだったが、主が忌み嫌われる偶像の祭壇を擁護して、主の預言者を害しようとするなら、いかに主が任命された王ヤロブアムであろうと、その指図をする「手」は、しなえさせる、という事だ。
全能の神・主の軍配は、明らかに預言者の側に上がったのは、誰の目にも明らかとなった。

『王は神の人に言った、「あなたの神、主に願い、わたしのために祈って、わたしの手をもとに返らせてください」。神の人が主に願ったので、王の手はもとに返って、前のようになった。』(1列王記13:6)
主は、ヤロブアムの手を、戻して下さった。
それは実に、主の憐れみによる。
ヤロブアムはこの時、「あなたの神、主」と言っており、主は既に「わたしの神、主」でなくなってしまっていた事は、情けない事だが、ヤロブアムはこの事件を機に、全能の主を「わたしの神、主」として、立ち返るべきであった。

『そこで王は神の人に言った、「わたしと一緒に家にきて、身を休めなさい。あなたに謝礼をさしあげましょう」。神の人は王に言った、「たとい、あなたの家の半ばをくださっても、わたしはあなたと一緒にまいりません。またこの所では、パンも食べず水も飲みません。主の言葉によってわたしは、『パンを食べてはならない、水を飲んではならない。また来た道から帰ってはならない』と命じられているからです」。こうして彼はほかの道を行き、ベテルに来た道からは帰らなかった。』(1列王記13:7-10)
この預言者のミッションは、ただ単に言葉を伝えたら終わり、ではなかった。
その場所では、一切飲み食いせず、一切の交わりをせずに帰る所まで、であった。

主の言葉をそこに撒いたなら、一切の人間的な飲み食いはせずに、すぐに帰る。
人間的な言葉や、目をくらませる飲み食いの接待は、一切させる隙を与えるな、そうして、ただ主の言葉だけがそこに置かれるようにせよ、という事だろうか。
私達も、御言葉を伝える時、肉的な飲み食いや、人間的な接待によって、伝えるべき主の言葉を、くらまされるような事が無いようにするべきだ。

この事を通して、主は、ヤロブアムに立ち返って欲しかったのだろう。
もはや多くの人達を惑わして、滅びに導くような事は止めて、力強く憐れみに富まれた主に立ち返って欲しかっただろう。
しかし残念ながら、後の彼は、そうではなかった。
主に「立ち返らない」道を突き進んでしまう彼の名は、後に、悪の王の代名詞的な存在として、後世に記憶されてしまう。
私達はここから、大いに戒めを受けるべきである。

国をこぞって偶像礼拝へと導いたヤロブアム(1列王記12:21-33)
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『ソロモンの子レハベアムはエルサレムに来て、ユダの全家とベニヤミンの部族の者、すなわちえり抜きの軍人十八万を集め、国を取りもどすために、イスラエルの家と戦おうとしたが、』(1列王記12:21)

レハブアムは、新しい王となってから最初に人々からの相談に乗った時、荒々しく威張り散らした故に、人々から見限られ、イスラエル10部族が、彼の元を離れて行ってしまった。
その事に対しレハブアムが取った行動は、軍隊を招集し、離れて行った彼らに戦争を仕掛けようとした事だった。

全くもって、王の器に相応しくない事この上ないが、彼が王とされたからには、きっと、彼が一番、ソロモンの大勢いるであろう子供達の中で、まともだったという事だろう。
ソロモンは余程、跡継ぎに恵まれなかったようだ。彼はこう言っている。
『わたしは日の下で労したすべての労苦を憎んだ。わたしの後に来る人にこれを残さなければならないからである。そして、その人が知者であるか、または愚者であるかは、だれが知り得よう。そうであるのに、その人が、日の下でわたしが労し、かつ知恵を働かしてなしたすべての労苦をつかさどることになるのだ。これもまた空である。』(伝道者の書2:18-19)

愚かな王の、愚かな動機によって、あわや、神の民同士で戦争となる所であったが、主はそれを止めさせる。
『神の言葉が神の人シマヤに臨んだ、「ソロモンの子であるユダの王レハベアム、およびユダとベニヤミンの全家、ならびにそのほかの民に言いなさい、『主はこう仰せられる。あなたがたは上っていってはならない。あなたがたの兄弟であるイスラエルの人々と戦ってはならない。おのおの家に帰りなさい。この事はわたしから出たのである』」。それで彼らは主の言葉をきき、主の言葉に従って帰っていった。』(1列王記12:22-24)

レハブアムは、一人の預言者・シェマヤの言葉に従った故に、イスラエル全体が戦火に巻き込まれる事は免れた。
シェマヤは、当時活躍した預言者であるが(2歴代誌12:5-8)、列王記はこれ以降も、さらに多くの預言者達が登場し、イスラエルに神の御心を伝える。
これ以降の記述を見ていくと分かるのは、イスラエルは、王の命令や王が定めた法令よりも、預言者の言葉どおりに、物事が展開して行く事だ。
すなわち、神の民の中においては、どんなに権威ある人間の思惑よりも、主が伝えられた御言葉の通りに物事が進んで行くのだ。

さて、北イスラエル王国の王となったヤロブアムは、どうだったか。

『しかしヤラベアムはその心のうちに言った、「国は今ダビデの家にもどるであろう。もしこの民がエルサレムにある主の宮に犠牲をささげるために上るならば、この民の心はユダの王である彼らの主君レハベアムに帰り、わたしを殺して、ユダの王レハベアムに帰るであろう」。』(1列王記12:26-27)
彼は恐れたが、その恐れは、的外れである。
なぜなら、主は彼に預言者を通し、彼の家はダビデのように長く続く事が約束されているからだ。ただし、彼が主の道に歩むならば。
だから、彼が為すべきは、ダビデにならい、主の道に歩みつつ統治する事であるのに、彼はこの後、身勝手な「自分を救う方法」を編み出し、主の御旨に反する事をするようになってしまう。

『そこで王は相談して、二つの金の子牛を造り、民に言った、「あなたがたはもはやエルサレムに上るには、およばない。イスラエルよ、あなたがたをエジプトの国から導き上ったあなたがたの神を見よ」。 そして彼は一つをベテルにすえ、一つをダンに置いた。この事は罪となった。民がベテルへ行って一つを礼拝し、ダンへ行って一つを礼拝したからである。』(1列王記12:28-29)
彼はなんと、出エジプトの時に、あの苦々しい災いをもたらした金の子牛を造り、これこそ、あなたがたをエジプトから導き上った神だ、と宣言したのだ。
そうして、イスラエルの何百万という人々が、正統な場所で礼拝を捧げる事を止めさせ、代わりに自分が造った金の子牛を拝ませたのだ。

主は『わたしを信じるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海に投げ込まれた方が、はるかによい。』と言われたが(マルコ9:42)、彼は何百万という人々をつまづかせてしまった。
何という災いな事を、してしまったのだろう。
『わたしの兄弟たちよ。あなたがたのうち多くの者は、教師にならないがよい。わたしたち教師が、他の人たちよりも、もっときびしいさばきを受けることが、よくわかっているからである。』(ヤコブ3:1)

彼は、さらに罪を重ねる。
『彼はまた高き所に家を造り、レビの子孫でない一般の民を祭司に任命した。またヤラベアムはユダで行う祭と同じ祭を八月の十五日に定め、そして祭壇に上った。彼はベテルでそのように行い、彼が造った子牛に犠牲をささげた。また自分の造った高き所の祭司をベテルに立てた。こうして彼はベテルに造った祭壇に八月の十五日に上った。これは彼が自分で勝手に考えついた月であった。そして彼はイスラエルの人々のために祭を定め、祭壇に上って香をたいた。』(1列王記12:31-33)

現代風に言うなら、勝手に新しい教義を編み出し、その中ではイエス・キリストを救い主の座から引き降ろし、自分が造った偶像を「救い主」として拝ませ、牧師としての召命も訓練も無い人を任命して、主日でない別の日を礼拝する日にしてしまったようなものである。
それも、自分自身の「保身」のために。
「保身」とは元々、何か脅威がある時に自分の立場を守るために為すものであるが、ただ、彼の頭の中に「恐れ」があっただけで、そもそも脅威など実存していなかったのだ。

私達も、ヤロブアムの道に迷い込まないよう、気をつけるべきだ。
彼は、主から与えられた言葉に心を置く事をせず、人々の目が気になり、自分の立場が危うくなるのでは、と「根拠なき恐れ」に捕らわれ、それで彼は御旨に逆らう事をしたのだ。

私達も、人の目や自分の人気、自分の立場を失う事を恐れるあまり、御言葉に妥協したり、あるいは御言葉に真っ向から反する事をするなら、かえって災いを招いてしまう。
もし、人の上に立つ立場として、御言葉に反することを人に教えたり、あるいは強要したりするなら、そのような者は、「大きなひきうすを首にかけられて海に投げ込まれた方が、はるかによい」のだ。

今、世の中では、自分の保身や人気取りのために、キリストでないものにも救いがあると言ったり、同性愛は罪ではないと言ったり、そのような「人間の教え」を広める事によって、人々を滅びへと導く者もいるが、とんでもない事である。
むしろ私達は、御言葉に記されている事を人々にそのまま伝え、地の塩、世の光として正しく導く者でありたい。

イスラエル分断の発端(1列王記12:1-20)
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『レハベアムはシケムへ行った。すべてのイスラエルびとが彼を王にしようとシケムへ行ったからである。』(1列王記12:1)

かつて栄華を極めたソロモンは死に、彼の子・レハブアムの代となった。
彼の代で、イスラエルは北と南に分裂してしまうのだが、そのいきさつが、この章に記されている。
尊い神の民・イスラエルの分断は、実にあっけなく起こり、その原因も、実に下らない事が発端となった。

『ネバテの子ヤラベアムはソロモンを避けてエジプトにのがれ、なおそこにいたが、これを聞いてエジプトから帰ったので、人々は人をつかわして彼を招いた。そしてヤラベアムとイスラエルの会衆は皆レハベアムの所にきて言った、』(1列王記12:2-3)
人々は、ヤロブアムをわざわざエジプトから呼び寄せて、レハブアムに上申させた。
ヤロブアムはよほど手腕家で、人々からの信頼と人気もあったのだろう。

『父上はわれわれのくびきを重くされましたが、今父上のきびしい使役と、父上がわれわれに負わせられた重いくびきとを軽くしてください。そうすればわれわれはあなたに仕えます。』(1列王記12:4)
ソロモンの治世の当初、王宮で日々消費される食料も経費も、元々は莫大であったにもかかわらず、それでも人々は飲み食いを楽めていた。(4章)
全イスラエルの産物は、当初、よほど祝福されていたからであろう。
しかし、治世も後半になって来ると、人々は重税と厳しい使役にあえぎ、苦しんでいた。
という事は、祝福は途中で途絶えてしまったのだろう。

なぜ祝福が途絶えてしまったか。その理由は、明白だ。
ソロモンは、彼を祝福して下さった主を捨て、別の神々に走ってしまったからだ。
実入りが少なくなったのにソロモンは乱費を止めなかったため、民はあえぎ苦しみ、それで人々は、王の代が変わったタイミングで、厳しい税や使役を軽くしてもらおうと、ヤロブアムに直訴してもらったのだろう。

『レハベアムは彼らに言った、「去って、三日過ぎてから、またわたしのところにきなさい」。それで民は立ち去った。レハベアム王は父ソロモンの存命中ソロモンに仕えた老人たちに相談して言った、「この民にどう返答すればよいと思いますか」。彼らはレハベアムに言った、「もし、あなたが、きょう、この民のしもべとなって彼らに仕え、彼らに答えるとき、ねんごろに語られるならば、彼らは永久にあなたのしもべとなるでしょう」。』(1列王記12:5-7)
ソロモンの長老達のこの助言は、実に正しい。
イエス様も同じ事を言っている。
『あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者と見られている人々は、その民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、すべての人の僕とならねばならない。人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである。』(マルコ10:42-45)

神の民は元々、人間の王を、持つべきではない。なぜなら、神である主こそ、王であるはずだからだ。(1サムエル記8章)
「王」といえども、主から与えられた「働き」の一つに過ぎず、人々を正統に主へと導く働きをする「主のしもべ」なのだ。
しかしレハブアムは、この長老たちの助言を、良しとはしなかった。

『しかし彼は老人たちが与えた勧めを捨てて、自分と一緒に大きくなって自分に仕えている若者たちに相談して、彼らに言った、「この民がわたしにむかって『あなたの父がわれわれに負わせたくびきを軽くしてください』というのに、われわれはなんと返答すればよいと思いますか」。
彼と一緒に大きくなった若者たちは彼に言った、「あなたにむかって『父上はわれわれのくびきを重くされましたが、あなたは、それをわれわれのために軽くしてください』と言うこの民に、こう言いなさい、『わたしの小指は父の腰よりも太い。父はあなたがたに重いくびきを負わせたが、わたしはさらに、あなたがたのくびきを重くしよう。父はむちであなたがたを懲らしたが、わたしはさそりをもってあなたがたを懲らそう』と」。』(1列王記12:8-11)

レハブアムと共に育った若者たちは、長老たちとは真逆の方向性の助言をした。
すなわち、へりくだって仕える姿勢ではなく、大上段から強権的に押しつける態度を貫く方向の。
レハブアムは、若者たちの助言のほうに気を良くしたのだろうか、こちらを採用してしまう。

『王は荒々しく民に答え、老人たちが与えた勧めを捨てて、若者たちの勧めに従い、彼らに告げて言った、「父はあなたがたのくびきを重くしたが、わたしはあなたがたのくびきを、さらに重くしよう。父はむちであなたがたを懲らしたが、わたしはさそりをもってあなたがたを懲らそう」。』(1列王記12:13-14)
彼は、新しい王として、荒々しく大上段から言い放った瞬間は、さぞやスカッとしただろう。
しかし、その一瞬のスカッとする爽快感を採用してしまうような人は、大事な人から逃げられてしまい、長年築き上げて来た大切なものを一瞬にして破壊してしまうものだ。

『このように王は民の言うことを聞きいれなかった。これはかつて主がシロびとアヒヤによって、ネバテの子ヤラベアムに言われた言葉を成就するために、主が仕向けられた事であった。』(1列王記12:15)
このような破壊的な言葉を、彼をして言わしめたのは、主である。
主は、欲望を遂げるために人を何とも思わないような人を、また、忠告を何度しても聞かないような人に対しては、さらに良くない思いへと引き渡し、自滅して行くに任せられる。
『彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、神は彼らを正しからぬ思いにわたし、なすべからざる事をなすに任せられた。すなわち、彼らは、あらゆる不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ、ねたみと殺意と争いと詐欺と悪念とに満ち、また、ざん言する者、そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。』(ローマ1:28-31)
これら、邪悪な性質の者のリストを見ていると、実にレハブアムが当てはまり、エジプトのパロや、ギデオンの子孫達を殺したアビメレク達に当てはまる。
彼らは皆、その道を行って、主から心頑なにされ、滅びへと導かれて行った者達である。

『イスラエルの人々は皆、王が自分たちの言うことを聞きいれないのを見たので、民は王に答えて言った、/「われわれはダビデのうちに何の分があろうか、/エッサイの子のうちに嗣業がない。イスラエルよ、あなたがたの天幕へ帰れ。ダビデよ、今自分の家の事を見よ」。そしてイスラエルはその天幕へ去っていった。しかしレハベアムはユダの町々に住んでいるイスラエルの人々を治めた。』(1列王記12:16-17)
人々は、レハブアムの、ふにゃふにゃの権威を振り回す様を見て、もうだめだこの人、と思ったのだろう。
こんな器の者に、王として治めてもらう謂れはもはや無いと、レハブアムを見限り、それぞれ自分の所に帰って行った。

『レハベアム王は徴募の監督であったアドラムをつかわしたが、イスラエルが皆、彼を石で撃ち殺したので、レハベアム王は急いで車に乗り、エルサレムへ逃げた。12:19 こうしてイスラエルはダビデの家にそむいて今日に至った。イスラエルは皆ヤラベアムの帰ってきたのを聞き、人をつかわして彼を集会に招き、イスラエルの全家の上に王とした。ユダの部族のほかはダビデの家に従う者がなかった。』(1列王記12:18-19)
こうして、神の民・イスラエルは、実にあっけなく分断し、21世紀の今に至っている。
そしてその発端をつくった人々の動機は、実に下らないものだった。

そうなってしまった根本原因は、ソロモンに帰するのであろう。
しかし、人を大上段に威圧してコントロールしようとする人は、大事な人達に逃げられてしまい、自分の家族や集いを破綻させ、長年築き上げて来た尊いものを一瞬にして破壊してしまうものである。

キリストにあって神の子とされた私達は、この世のもろもろを、正当に統治する事が、主から求められている。
それを忘れて権威を振りかざし、威圧的な態度や脅迫めいた言葉、執拗な嫌味などの”死に属する手段”を用いて物事を支配しようとするなら、自分自身ばかりでなく、周囲をも死へと巻き込んで行ってしまう。
私達は、そのような事を、妻に対し、夫に対し、子供に対し、部下に対して遂行していないだろうか。
それによって、逆に蔑まれたり、避けられたり、逃げられたり、していないだろうか。
主から求められている事は、全く、以下の御言葉の通りである。
『あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者と見られている人々は、その民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、すべての人の僕とならねばならない。人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである。』(マルコ10:42-45)

ソロモンの時代の終焉と共に暗転するイスラエルの歴史(1列王記11:37-43)
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主は、ヤロブアムをソロモンを打つ杖として、またイスラエルの残り10部族を治める王として召しだし、その役割を与えられた。
『わたしがあなたを選び、「あなたはすべて心の望むところを治めて(KJV: thou shalt reign according to all that thy soul desireth)」、イスラエルの上に王となるであろう。』(1列王記11:37)
主はこの時、ヤロブアムに「すべて心の望むところ」と、自由裁量を与えられている。

主が特別な任に召しだされる時は、主は、それを遂行するに必要な能力(賜物)は既に与えられ、また、全て必要な手はずも整えられており、その人は、与えられた能力と自由裁量に従って、御旨を遂行していくものだ。
しかし、その自由裁量の中で、与えられた能力や手はずを、主のためではなく、自分の欲望を満たすためにのみ用いて事を選択し続けるならば、主から特別扱いされているだけに、ペナルティもまた特別である。
それは、ヤロブアムがこの後、どう歩み、その結果どうなってしまうのかを見て行くとわかる。

『もし、あなたが、わたしの命じるすべての事を聞いて、わたしの道に歩み、わたしの目にかなう事を行い、わたしのしもべダビデがしたように、わたしの定めと戒めとを守るならば、わたしはあなたと共にいて、わたしがダビデのために建てたように、あなたのために堅固な家を建てて、イスラエルをあなたに与えよう。わたしはこのためにダビデの子孫を苦しめる。しかし永久にではない』」。』(1列王記11:38-39)
なんと主は、このヤロブアムに、ダビデのように、長く続く堅固な家を立てる、と、ダビデに準じるような約束を与えられている。

ヤロブアムには、これ程の約束が与えられている、というのに、彼の名を知らないクリスチャンは、多いと思う。
なぜなら、彼の家は長くは続かず、わずか二代で断たれてしまったからだ。
なぜなら彼は、祝福の条件である次の言葉、「もし、あなたが、わたしの命じるすべての事を聞いて、わたしの道に歩み、わたしの目にかなう事を行い、わたしのしもべダビデがしたように、わたしの定めと戒めとを守るならば」、という点を全く守らず、警告を受けても改めなかったからだ。

彼にしても、ソロモンにしても、そしてダビデにしても、主を恐れ敬い、主の御言葉に従って歩むという「祝福の条件」を満たす人には、主は大いに報い、祝福を下さるが、その逆の道を歩むなら、その人には約束の祝福は成就しないばかりか、悲惨な目に遭ってしまう。
歴史に「もし」は禁句だが、もしヤロブアムが主の命令に聞き従い、主の目にかなう事を行っていたのなら、ヤロブアムの名は、ダビデに次ぐ栄光の名前になっていた可能性も有り得たわけであり、もし、ダビデが戒めを受けてもなお心頑なにし罪を犯し続けていたなら、彼の名はここまで大きくはならなかったろう。

私達にも全く同様である。
主から素晴らしい祝福の約束をいただき、預言の御言葉をいただいているにもかかわらず、主を軽んじ、御言葉に反して身勝手に生きるなら、主は警告を与え、それでも聞かないなら、与えようとしていた祝福も取り上げられ、それでも悔い改めないなら、聖書の中でそのように歩んだ人達の末路のようになってしまう。
一体、幾人の人達が、主からの素晴らしい召命をいただいておきながら、不従順によってその特別な地位を逃し、歴史の闇へと消えて行ってしまったのだろう。

『ソロモンはヤラベアムを殺そうとしたが、ヤラベアムは立ってエジプトにのがれ、エジプト王シシャクのところへ行って、ソロモンの死ぬまでエジプトにいた。』(1列王記11:40)ソロモンは、主に対して不実だった自分を悔い改める事なく、また、その結果もたらされた「新展開」を素直に受け入れず、自分の王権の脅威と見たヤロブアムを、抹殺しようとした。
しかし、彼の計らいは叶わなかった。

主の御旨に従わない悪い王が、主の御旨に適う新しい王が誕生したのを聞いた時、悪い王は、その新しい王を殺そうとするも、それは叶わず、彼にはエジプトへ逃げられてしまう。
どこかで聞いたことのある話である。
イエス様が誕生された時、ちょうど同じ事が起きた。

当時、ユダヤを治めていた悪い王・ヘロデは、ユダヤの新しい王が誕生したうわさを聞いた時、その赤子を殺害しようとしたが、主はその子をエジプトへ逃れさせ、ヘロデ王が死ぬまで、エジプトでかくまわれた。(マタイ2章)
ソロモンがヘロデ王と同じ行動を取ったのは、情けない話であるが、主がひと度「成す」と定められた事には、いかに強い王が権力を駆使して抹殺しようとしても、無駄なのだ。

『ソロモンのそのほかの事績と、彼がしたすべての事およびその知恵は、ソロモンの事績の書にしるされているではないか。ソロモンがエルサレムでイスラエルの全地を治めた日は四十年であった。ソロモンはその先祖と共に眠って、父ダビデの町に葬られ、その子レハベアムが代って王となった。』(1列王記11:41-43)
こうして、ソロモンの時代は終わった。
列王記はこの章を境に暗転する。
王国は北と南に分裂し、悪い王と良い王の交錯する混乱した時代へと突入する。
そして、その中で一貫して貫かれている法則は、主に従う王は栄え、主に従わない王は災いに満ちている、という点だ。

人はみな、罪があり、間違った方向へ行く事もある。
そんな自分の罪を悲しみ、悔い改めて主に立ち返る人に対して、主は憐れみ深く赦して下さるが、指摘された自分の罪を悲しまずに、むしろ楽しみ、主から戒められても、なお改めないなら、災いに満ちてしまう。
私達はダビデのように、素直に悔い改める性質でありたい。
彼はそのような性質だったからこそ、大いなる栄誉が与えられたのだ。

主がイスラエル内部に備えられたソロモンへの反対勢力・ヤロブアム(1列王記11:26-36)
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前回の所で、主は北に南にイスラエルの敵を備えて、ソロモン王国を懲らしめる杖とした。
主はさらに、イスラエル内部からも、ソロモンの敵を起こされる。

『ゼレダのエフライムびとネバテの子ヤラベアムはソロモンの家来であったが、その母の名はゼルヤといって寡婦であった。彼もまたその手をあげて王に敵した。彼が手をあげて、王に敵した事情はこうである。ソロモンはミロを築き、父ダビデの町の破れ口をふさいでいた。ヤラベアムは非常に手腕のある人であったが、ソロモンはこの若者がよく働くのを見て、彼にヨセフの家のすべての強制労働の監督をさせた。』(1列王記11:26-28)
エフライムは、イスラエルが特に祝福したヨセフの子孫であり、北イスラエル王国の代表的な民族である。
そのヨセフ一族の監督として立てられた手腕家のヤロブアムを、主は、イスラエルを分断する者として用いるため、預言者アヒヤを彼に遣わして、そのための「任命」をされる。

『そのころ、ヤラベアムがエルサレムを出たとき、シロびとである預言者アヒヤが道で彼に会った。アヒヤは新しい着物を着ていた。そして彼らふたりだけが野にいた。』(1列王記11:29)
彼らはただ二人だけの状況で、彼らの会話は誰も聞いていない。
アヒヤはそこで、象徴的な言葉を与える。
『アヒヤは着ている着物をつかんで、それを十二切れに裂き、ヤラベアムに言った、「あなたは十切れを取りなさい。イスラエルの神、主はこう言われる、『見よ、わたしは国をソロモンの手から裂き離して、あなたに十部族を与えよう。(ただし彼はわたしのしもべダビデのために、またわたしがイスラエルのすべての部族のうちから選んだ町エルサレムのために、一つの部族をもつであろう)。』(1列王記11:30-32)

外套を引き裂く事は、王権が引き裂かれる事を暗示する。
かつて、サウル王が主の御言葉を二度目に退けた時、サムエルはサウルに愛想を尽かし、出て行こうとしたが、その時サウルはサムエルを引き留めようとして上着のすそを掴んで、引き裂いた。(1サムエル記15章)
その時、サムエルは言った。
「主はきょう、あなたからイスラエルの王国を裂き、もっと良いあなたの隣人に与えられた。」(1サムエル15:28)
その「もっと良いサウルの隣人」であるダビデも、サウルにいのちを狙われていたが、サウルに復讐する絶好の機会が与えられた時、サウルのいのちを取るのではなく、彼の衣のすそだけを切ったが、結局、王権はサウルの元を離れ、ダビデのものとなった。(1サムエル記24:4)

主に特別な油注がれた人が、主から警告が与えられてもそれを退け、御心にそぐわない事をあくまで続ける場合、その人には、ちょうどサウルやソロモンのような事が起こってしまう。
すなわち、与えられている王権や支配権は、取り上げられてしまい、別の人がそれを得るのだ。
『それは彼がわたしを捨てて、シドンびとの女神アシタロテと、モアブの神ケモシと、アンモンの人々の神ミルコムを拝み、父ダビデのように、わたしの道に歩んで、わたしの目にかなう事を行い、わたしの定めと、おきてを守ることをしなかったからである。』(1列王記11:33)

『しかし、わたしは国をことごとくは彼の手から取らない。わたしが選んだ、わたしのしもべダビデが、わたしの命令と定めとを守ったので、わたしは彼のためにソロモンを一生の間、君としよう。そして、わたしはその子の手から国を取って、その十部族をあなたに与える。その子には一つの部族を与えて、わたしの名を置くために選んだ町エルサレムで、わたしのしもべダビデに、わたしの前に常に一つのともしびを保たせるであろう。』(1列王記11:34-36)
ソロモンは、サウルの場合と違い、彼の父・ダビデが示した忠実の故に、生きている間は王権は取り上げられなかった。
あた主は、ダビデへの憐れみの故に、ソロモンの背信にもかかわらず、一つの部族をダビデの家に残し、かろうじて王権は絶たれないようにされた。

私達は教訓を得るべきである。
主の警告を受けても、それに聞かずにいるなら、支配権は取り上げられ縮小されてしまう。
ソロモンがそのようになってしまったのは、和合してはならぬ者との和合による。
すなわち、異邦の女との結婚によって、悪しき価値観と一つとなってしまい、そのうち御言葉に妥協するようになり、ついには、真っ向から主に忌み嫌われる事をするようにまでなってしまったのだ。
私達にも誘惑が来た時、最初の防衛をおろそかにすると、ずるずる引き込まれてしまい、それを放置していると、やがては取り返しのつかない事になってしまうのだ。

悔い改めないソロモンに与えられた反対勢力(1列王記11:9-25)
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ソロモンは、十戒で第二番目に禁じられていた悪、「偶像崇拝」をしてしまった。
そこへと導いてしまったのは、ソロモンが愛して離れなかった、異邦の女達である。

『このようにソロモンの心が転じて、イスラエルの神、主を離れたため、主は彼を怒られた。すなわち主がかつて二度彼に現れ、この事について彼に、他の神々に従ってはならないと命じられたのに、彼は主の命じられたことを守らなかったからである。』(1列王記11:9-10)
ダビデは、罪を指摘された時、その一度の警告で恐れ悔い改めたが、ソロモンには二度も主が現れて、命じられたのに、改めなかった。
ちょうどサムエルの時代の祭司、エリのように。
エリもまた、彼の子達が主の前に大きな悪を行った事について、二度も警告を受けたのに、悔い改めなかった。

幼いサムエルを通してエリに主の警告が与えられた時、エリは「それは主である。どうぞ主が、良いと思うことを行われるように」と言った。
一見、信心深そうにも見える言葉だが、「主に食い下がらない姿勢」「主との交わりを断絶してしまうような姿勢」は、悔い改めない者に共通する性質だ。

もし、罪を犯したゆえに災いの警告が与えられたなら、アブラハムやモーセ、ダビデのように、主に赦しを乞い願い、あくまで食い下がって主との対話を続けるべきなのだ。(創世記18章、出エジプト記32章、詩篇51編)
しかしソロモンは悪びれもせず、彼女たちを愛して離れなかった。

『それゆえ、主はソロモンに言われた、「これがあなたの本心であり、わたしが命じた契約と定めとを守らなかったので、わたしは必ずあなたから国を裂き離して、それをあなたの家来に与える。』(1列王記11:11)
主は、人の心の内を何もかもご存知である。
警告を受けて改める人であるなら、何度でも警告を与えるであろう。
しかし、ソロモンに与えられた警告は、2度であった。
そして、2度ともソロモンは警告を聞かなかったため、具体的な災いの内容が示されるが、それでも、主の憐れみを垣間見る事が出来る。

『しかしあなたの父ダビデのために、あなたの世にはそれをしないが、あなたの子の手からそれを裂き離す。ただし、わたしは国をことごとくは裂き離さず、わたしのしもべダビデのために、またわたしが選んだエルサレムのために一つの部族をあなたの子に与えるであろう」。』(1列王記11:12-13)
ソロモンに対する警告は、ソロモン王家からイスラエルを取り上げはする、しかし憐れみとして、ソロモンの生きている間はそれをしない、また、一つの部族だけは残される、という事だった。
主は、ひと度、災いの警告を発せられた場合、人がその警告を聞いて、悔い改めた場合には、災いを思い直されるお方である。(ヨナ書)
ソロモンは最終的な警告を聞いたのに、それでもなお改めなかったのだ。
結局、この災いの預言は実現する事となってしまい、実際に歴史で起きた通り、ダビデの時代に統一したイスラエル王国は、北イスラエル王国と、南ユダ王国に分裂してしまって、その時以来、今日なお一つにまとめられていない。
しかし、イスラエルはやがて、一つにまとめられる事は、預言で示されている。(イザヤ11:12、56:8、エゼキエル38:8)

主は彼らを懲らしめる杖として、敵を起こされた。
『こうして主はエドムびとハダデを起して、ソロモンの敵とされた。彼はエドムの王家の者であった。・・・彼らがミデアンを立ってパランへ行き、パランから人々を伴ってエジプトへ行き、エジプトの王パロのところへ行くと、パロは彼に家を与え、食糧を定め、かつ土地を与えた。・・・ハダデはエジプトで、ダビデがその先祖と共に眠ったことと、軍の長ヨアブが死んだことを聞いたので、ハダデはパロに言った、「わたしを去らせて、国へ帰らせてください」。パロは彼に言った、「わたしと共にいて、なんの不足があって国へ帰ることを求めるのですか」。彼は言った、「ただ、わたしを帰らせてください」。』(1列王記11:14-22)

エジプトも、エドムも、ソロモンが政略結婚した相手であった。
しかし結局、そのような人間由来の「結婚して和解し一つとなろう」という試みは何の助けにもならず、かえって、異邦の価値観と一つとなってしまい、自分達に災いをもたらした結果となってしまった。
このような、世の妥協は、逆に霊的にはマイナス効果なのだ。

エドム人ハダデは、イスラエルの南に興った敵対勢力であったが、主はさらに、北にも敵対勢力を備えられた。
『神はまたエリアダの子レゾンを起してソロモンの敵とされた。彼はその主人ゾバの王ハダデゼルのもとを逃げ去った者であった。ダビデがゾバの人々を殺した後、彼は人々を自分のまわりに集めて略奪隊の首領となった。彼らはダマスコへ行って、そこに住み、ダマスコで彼を王とした。彼はソロモンの一生の間、イスラエルの敵となって、ハダデがしたように害をなし、イスラエルを憎んでスリヤを治めた。』(1列王記11:23-25)

スリヤはすなわち、今のシリヤである。
エリアダの子レゾンは、略奪隊の首領としてイスラエルを無差別に荒らしたが、現代のテロに近いものである。
現在、まさにシリヤは、イスラエルに対してテロを仕掛けて悩ませているが、全く同じ事が、当時から起きていたのだ。

このように主は、イスラエルを懲らしめる鞭として、北と南に敵対勢力を備えられ、さらには、内部からも、分裂を促す敵を主は備えられる。
どうしてソロモンがこうなってしまったのか。
それは、異邦の女の誘惑を、真っ向から受け入れてしまい、結局、誘惑に負けてしまったのだ。
だから私達は、「主の祈り」で祈っている通り、誘惑に陥らせられる事なく、悪から救い出されるように、祈っているべきなのだ。
人は、どんなに力強い人でも、どんなに知恵深い人でも、誘惑への抵抗力は無いからだ。

ソロモンの栄光が暗転してしまった原因 - 異邦の女(1列王記11:1-8)
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前章までは、栄華を極めたソロモンの様子を見てきた。
実にきらびやかな有様だったが、所々で律法に対する妥協があり、また、その栄光に陰りも見せていたが、第一列王記は、この章を境に、暗転し、士師記のような混乱期に突入してしまう。

『ソロモン王は多くの外国の女を愛した。すなわちパロの娘、モアブびと、アンモンびと、エドムびと、シドンびと、ヘテびとの女を愛した。主はかつてこれらの国民について、イスラエルの人々に言われた、「あなたがたは彼らと交わってはならない。彼らもまたあなたがたと交わってはならない。彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせるからである」。しかしソロモンは彼らを愛して離れなかった。』(1列王記11:1-2)
ソロモンの栄華が暗転してしまった決定的原因は、ずばり、女である。
本来交わってはならない女を愛して離れなかったため、彼女たちがソロモンの心を転じさせてしまったのだ。
それで彼は、あからさまに、主の忌み嫌う事をするようになってしまった。

男性は女性に夢中になると、引きずり込まれてしまうものであり、ひと度、夢中になってしまったなら、彼女と一緒なら地獄に行く事が分かってはいても、一緒に突入してしまうような所があるのだ。
最も強い男・サムソンはそうだったし、最も知能の高かったソロモンさえ、そうだった。
最初の人・アダムからして、そうだった。
ノアの時代、神の子達は人間の女の美しいのに惹かれてめとり、そうしてネフィリム(原意:伐採者。巨人、いじめっ子、暴君の意味)を生み出して行った故に、地は暴虐に溢れ、それで、あの大洪水が起きて、ひと度世界は滅んでしまったのである。(創世記6-8章)

一緒になってはならない女によって身を滅ぼしてしまうのは、腕力の強さや知能の高さも、一切、関係無い。
その誘惑からは、ただ「逃げる」以外には無いのだ。(創世記39:12、箴言5章、伝道者の書7:26)

『彼には王妃としての妻七百人、そばめ三百人があった。その妻たちが彼の心を転じたのである。』(1列王記11:3)
妻とそばめの数を合わせると、1000。すさまじい数である。
一日にひとりずつ交代交代で相対するとしても、次に会えるのは、999日後という事になる。
そんな事で妻は、また、生まれて来た子供達は、健全でいられるだろうか。

律法に書いてある。
『王となる人は・・・妻を多く持って心を、迷わしてはならない。また自分のために金銀を多くたくわえてはならない。』(17:16-17)
結婚とは、男と女の「ふたりが一つのからだとなる」事であって、決して、1001が1となる事ではない。
彼は妻を多くし、1000の女性達を不幸にし、さらに何人もの子供達は、父親不在の不健全な育ち方をしてしまった。

ソロモンは、そのように育った自分の子供たちを見て、こう言っている。
『わたしは日の下で労したすべての労苦を憎んだ。わたしの後に来る人にこれを残さなければならないからである。そして、その人が知者であるか、または愚者であるかは、だれが知り得よう。そうであるのに、その人が、日の下でわたしが労し、かつ知恵を働かしてなしたすべての労苦をつかさどることになるのだ。これもまた空である。それでわたしはふり返ってみて、日の下でわたしが労したすべての労苦について、望みを失った。』(伝道者の書2:18-21)

労して得たものを、自分の跡取りに継がせるのは、本来、喜びのはずである。
実際ダビデは、ソロモンに、神殿を建設するための莫大な金銀を遺して、喜んで譲渡した。
それなのにソロモンは、自分が労して蓄えたものを、跡取りに譲らなくてはならない事に「絶望」している。
よほど子供たちの中に、この莫大な財産を譲りってやりたい、と思える人が、いなかったのだろう。

『ソロモンが年老いた時、その妻たちが彼の心を転じて他の神々に従わせたので、彼の心は父ダビデの心のようには、その神、主に真実でなかった。これはソロモンがシドンびとの女神アシタロテに従い、アンモンびとの神である憎むべき者ミルコムに従ったからである。このようにソロモンは主の目の前に悪を行い、父ダビデのように全くは主に従わなかった。』(1列王記11:4-6)
ソロモンはなんと、異邦の神々に従ってしまった。
彼に富と栄誉と、知恵を豊かに与えて下さった、まことの神である主を捨てて。
実に、あってはならない事が起きた。
信仰無き女性に惑わされる事は、いかに恐ろしい事だろう。

『そしてソロモンはモアブの神である憎むべき者ケモシのために、またアンモンの人々の神である憎むべき者モレクのためにエルサレムの東の山に高き所を築いた。彼はまた外国のすべての妻たちのためにもそうしたので、彼女たちはその神々に香をたき、犠牲をささげた。』(1列王記11:7-8)
これらの神々が「憎むべき」者と呼ばれているのは、子供を火で焼いて捧げるような事を求める神だからだ。
ケモシュの前で子供を全焼のいけにえとしてささげたことが碑文に記されており,粁3:27のモアブの王の長男を全焼のいけにえとしてささげた記事も同様の慣例を示すものである
モレクの信者たちは,その手の上に子供をのせ,下から火をたいていけにえとした(レビ18:21).モレクの祭司たちは,太鼓をたたき続けて,子供の叫び声を消し,両親の悲しみを和らげたと言う。
また、エルサレムを西から南にかけて囲む谷をベン・ヒノムの谷(ゲー・ベン・ヒンノム)と呼ぶが、この谷のどこかにある小高い丘はトフェテと呼ばれ(粁23:10,エレ7:31)、モレクへの幼児犠牲礼拝が行われた。それはソロモンによって建てられたもので,異教徒の妻たちのために建てられたのかもしれない。また、この谷では火で汚物等を処理したところから,罪と災いの象徴となり,新約聖書の永遠の刑罰を受ける場所「ゲヘナ」という語が生れた.すなわち,ギリシヤ語ゲエンナはヘブル語ゲー・ヒッノームの転訛である.(新聖書辞典)

ソロモンは後に言っている。
『わたしは、その心が、わなと網のような女、その手が、かせのような女は、死よりも苦い者であることを見いだした。神を喜ばす者は彼女からのがれる。しかし罪びとは彼女に捕えられる。』(伝道者の書7:26)
1000人も妻や妾をむかえたソロモンには、その通りだろう。

結局、夢中になって良い女性は、唯一、結婚相手だけである。(箴言5:15-19)
未婚の男性は、将来、ひとつとなって添い遂げる相手について、また、将来築き上げていく家庭が健全な信仰の家庭となるよう、よくよく祈り求めるべきである。

サムソンは、自分の目に喜びとなる女に夢中になった結果、身を滅ぼしてしまった。
洪水前の神の子たちは、人の女の美しさにおびき寄せられた結果、大洪水を招いてしまった。
ソロモンは、妻とすべき女性を誤り、それを多くした結果、ゲヘナをつくってしまった。
アダムは、神の声を退けて妻の声に従った結果、全人類を死と呪いへ導いてしまった。

私達は、夢中になってしまいがちな対象について、そして、ひとつとなるべき伴侶について、よくよく気をつけるべきである。

栄華を極めたソロモン、その短かった栄華(1列王記10:14-29)
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前回の所ではシェバの女王が来訪し、ソロモンに与えられた知恵と栄誉、そして、イスラエルの国民が栄えている有様を彼女たちは目の当たりにして息をのんだが、それに続き今回の箇所でも、ソロモンがいかに栄華を極めていたかが記されている。

『さて一年の間にソロモンのところに、はいってきた金の目方は六百六十六タラントであった。そのほかに貿易商および商人の取引、ならびにアラビヤの諸王と国の代官たちからも、はいってきた。ソロモン王は延金の大盾二百を造った。その大盾にはおのおの六百シケルの金を用いた。また延金の小盾三百を造った。その小盾にはおのおの三ミナの金を用いた。王はこれらをレバノンの森の家に置いた。』(1列王記10:14-17)
毎年、膨大な量の金が外国からもたらされ、ソロモンはそれを用いて、宮殿に置くための盾を造った。
本来、盾は武具であるが、純金は重く、また金属として柔らかいので、戦闘では役に立たない。
だから、これらは武器庫にではなく、宮殿のきらびやかさを示す「飾り」として置かれた。

『王はまた大きな象牙の玉座を造り、純金をもってこれをおおった。その玉座に六つの段があり、玉座の後に子牛の頭があり、座席の両側にひじ掛けがあって、ひじ掛けのわきに二つのししが立っていた。また六つの段のおのおのの両側に十二のししが立っていた。このような物はどこの国でも造られたことがなかった。ソロモン王が飲むときに用いた器は皆金であった。またレバノンの森の家の器も皆純金であって、銀のものはなかった。銀はソロモンの世には顧みられなかった。』(1列王記10:18-21)
ソロモンは、かつてどの国にも造られた事の無かったような贅を凝らした王座に座した。
銀は価値なしと見られる程、金の器物が惜しみなく大量に使用された宮殿に住み、どの国も、かつてなかった程のごちそうが毎日宮殿で振る舞われ、そのような豪勢な暮らしをしていた。

ソロモンは、金銀や象牙などの貴重な品々ばかりでなく、珍しい動物も集めて来た。
『これは王が海にタルシシの船隊を所有して、ヒラムの船隊と一緒に航海させ、タルシシの船隊に三年に一度、金、銀、象牙、さる、くじゃくを載せてこさせたからである。このようにソロモン王は富も知恵も、地のすべての王にまさっていたので、全地の人々は神がソロモンの心に授けられた知恵を聞こうとしてソロモンに謁見を求めた。人々はおのおの贈り物を携えてきた。すなわち銀の器、金の器、衣服、没薬、香料、馬、騾馬など年々定まっていた。』(1列王記10:22-25)

ソロモンの栄華が極みだった時代、国々の王達が、全世界より、陸路からも海路からも栄光を携え上って来た。
物質的な祝福の、最も与えられたソロモンだったが、ただ、その祝福を継続させるには、「主の御言葉に対する従順」の継続もまた必要だ。
ソロモンは残念ながら、栄えるにつれて、主への従順を失って行ってしまった。

『ソロモンは戦車と騎兵とを集めたが、戦車一千四百両、騎兵一万二千あった。ソロモンはこれを戦車の町とエルサレムの王のもとに置いた・・・ソロモンが馬を輸入したのはエジプトとクエからであった。すなわち王の貿易商はクエから代価を払って受け取ってきた。エジプトから輸入される戦車一両は銀六百シケル、馬は百五十シケルであった。このようにして、これらのものが王の貿易商によって、ヘテびとのすべての王たちおよびスリヤの王たちに輸出された。』(1列王記10:26-29)
律法には記されている。
王たる者は、馬を多く得るために、再びエジプトへの道へと帰ってはならない、と。また、自分のために、金銀を多く蓄えてはならない、と。(申命記17:16-17)
なぜ馬を多く得るために「再び」「エジプトへの道を帰ってはならない」のか。

エジプトはかつて、イスラエルの子・ヨセフによって、世界一の強国となったにもかかわらず、後には、イスラエルの民を奴隷として搾取し、それによって得た富をイスラエルには還元せず、ただ自分のために蓄えた。
エジプトは、馬や戦車などの軍事的強制力でもって他人を抑え、奴隷として搾取し、さらには、イスラエルの民が増えて脅威となったならもっと過酷な労働を課して減らそうとし、それでもだめなら、男子が生まれたらナイル川に捨ててまで、減らそうとした国である。

そのように、馬を増やして強制力を強くする事や、自分のために金銀を増やす事は、エジプトの流儀であり、そのような流儀に「戻って」はならないのだ。
これは、クリスチャンも同じである。
人々を強制力で縛り、搾取し、自分のために富を蓄える事は「世のやり方に戻る事」であり、そこに戻るとするなら、主がエジプトを撃って神の民を救われたように、主は、そのような事をする者達を撃ち、搾取されてあえいで苦しんできた人々を、救って下さるのだ。
だから「その道に帰ってはならない」と言われたのだ。

ソロモンの治世の後半は、残念ながら、「エジプト化」してしまい、重税を課して人々は苦しんでしまった。(1列王記12:4)
人生、いくら生きた所で100年足らずである。
永遠から比べれば遥かに短いその人生の期間である。
その短い人生で、あの手この手を尽くして栄え、たとえ、全世界の富を手に入れたとしても、それで主の御心を損ねて、いのちを損じてしまったら、何もならない。

この章が、ソロモンの栄華の極みであるが、1列王記のこの章を最後に、栄光の記述は終わってしまう。
私達は、金銀を追いかけて滅びる者ではなく、主を追い求め、主に喜ばれ、主の恵みといつくしみのほうから逆に追いかけられる者でありたい。

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