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メッセージ - ヨシュア記カテゴリのエントリ

礼拝説教メッセージ音声:アシェル、ナフタリ、ダン、そしてヨシュアに割り当てられた相続地(ヨシュア記19:24-51):右クリックで保存

五番目に相続地を”くじ”によって受けたのは、アシェル族であった。
『第五に、アセルの子孫の部族のために、その家族にしたがって、くじを引いた。・・・それから、その境はラマに曲り、堅固な町ツロに至る。』(ヨシュア記19:24-29)
このアシェル族について、ヤコブは次のように預言している。
『アセルはその食物がゆたかで、/王の美味をいだすであろう。』(創世記49:20)
彼らの食物は豊かで、王の美味を生み出す、これはどういう事だろう。

彼らの相続地の中には、海沿いに堅固な町”ツロ”があり(29節)、この町は、海洋貿易によって多くの富がもたらされる所で、「食物は豊かで、王の美味を生み出す」にふさわしい所であった。
しかし、ダビデの時代には、その地はフェニキヤ人の国となってしまっている。ダビデはこのツロの王ヒラムと同盟を結び、ソロモンの時代には、神殿建設のために必要な材木を取り寄せるよう要請した。(1列王記5章)
アシェル族は、ツロを一旦占領したのに奪還されてしまったのか、あるいは、最初から占領できていなかったのか、とにかく、ツロは本来アシェルが占領して、彼らが神の神殿のために必要な資材を提供すべき地であったはずのに、その役回りを、異邦の王ヒラムに取って代わられてしまったようである。
せっかく良き地が与えられたのに、除き去るべき敵を徹底して除き去らずに、かえってその場所が奪われてしまい、栄誉ある仕事の役回りも、他に奪われてしまって残念である。

『第六に、ナフタリの子孫のために、その家族にしたがって、くじを引いた。』(ヨシュア記19:32)
ヤコブはナフタリについて、次のように預言している。『ナフタリは放たれた雌じか、/彼は美しい子じかを生むであろう。』(創世記49:21)
この「子じか」には、「歌」や「ことば」の意味もあり、「彼は美しい歌(ことば)を生む」とも訳せる。
ナフタリの地、それは、イエス様が住まわれた所であり、宣教を開始した所でもある。(マタイ4:12-17)
ヤコブはナフタリを、美しい歌、美しい言葉を生み出す地として祝福し、モーセも、恵みと祝福に満ちた地として祝福した。
それは彼らは、メシヤのおとずれを、ナフタリに見ていたからなのかもしれない。

『第七に、ダンの子孫の部族のために、その家族にしたがって、くじを引いた。その嗣業の領域には、ゾラ、エシタオル、イルシメシ、・・・メヤルコン、ラッコン、およびヨッパと相対する地域があった。』(ヨシュア記19:40-46)
ダン族の相続地は、エフライムとユダの相続地の間、海沿いに得たが、聖書地図をよく見てみると、ダンの相続地は、海沿いのその場所と、北側とに2箇所ある事に気づく。
彼らは、くじで割り当てを受けた部族にしては珍しく、北方へと攻め入って、領地を獲得したからだ。
『ダンの子孫の領域は、彼らのために小さかったので、ダンの子孫は、上って行き、レセムを攻めてそれを取り、つるぎにかけて撃ち滅ぼし、それを獲てそこに住み、先祖ダンの名にしたがって、レセムをダンと名づけた。これがダンの子孫の部族の、その家族にしたがって獲た嗣業であって、その町々と、それに属する村々とである。』(ヨシュア記19:47-48)
士師記をみると、ダン族は、さらに積極的に他に攻め行っていっているが、後には、ならず者が暴力に任せて他を奪うような、邪悪な性質となってしまった。(士師記18章)
ヤコブが預言した通りである。
『ダンはおのれの民をさばくであろう、/イスラエルのほかの部族のように。ダンは道のかたわらのへび、/道のほとりのまむし。馬のかかとをかんで、/乗る者をうしろに落すであろう。』(創世記49:16-17)

『こうして国の各地域を嗣業として分け与えることを終ったとき、イスラエルの人々は、自分たちのうちに、一つの嗣業を、ヌンの子ヨシュアに与えた。すなわち、主の命に従って、彼が求めた町を与えたが、それはエフライムの山地にあるテムナテ・セラであって、彼はその町を建てなおして、そこに住んだ。』(ヨシュア記19:49-50)
全イスラエルへの相続地の割り当ては、こうして終了した。
しかしその最後に、ヨシュアへの相続が与えられている。
テムナテ・セラの名前の意味は、有り余るほどの部分、という意味である。主ご自身が、彼に報いて、有り余る程に与えて下さったのだ。

ヨシュアが求めたのは「山地」であるが、信仰の偉人たちは、どうやら山地が好きなようだ。
カレブも「あの山地を下さい」と願ってヘブロンを得たし、そのヘブロンは、アブラハムが甥のロトと分かれた後に定住した地である。
ロトはアブラハムと別れた後、低地の潤った所、ソドムという不品行で栄えた都へと住居を移してしまい、そのうち、アブラハムと共に歩んだ時に得た財は全て失って、後には身一つで命からがら山地へと逃げる事になってしまった。
私達も、この終わりの時代には、ソドムのような邪悪さによって潤った低地に住むのではなく、むしろ、信仰者が住む山地に住居を構えるものでありたい。

礼拝説教メッセージ音声:シメオン、ゼブルン、イッサカル族に割り当てられた相続地(ヨシュア記19:1-23):右クリックで保存

相続地を二番目に”くじ”によって受けたのは、シメオン族であった。
『シメオンの子孫の嗣業は、ユダの子孫の領域のうちにあった。これはユダの子孫の分が大きかったので、シメオンの子孫が、その嗣業を彼らの嗣業の中に獲たからである。』(ヨシュア記19:9)
彼らはユダ族の領地のまっただ中に相続地を受けており、聖書地図を見ると、ユダ族の領地の中に、あたかもドーナツの”輪”の部分のような形で立地している。
これは、イスラエル十二部族の父・ヤコブが、次のように預言した通りである。
『シメオンとレビとは兄弟。彼らのつるぎは暴虐の武器。わが魂よ、彼らの会議に臨むな。わが栄えよ、彼らのつどいに連なるな。彼らは怒りに任せて人を殺し、/ほしいままに雄牛の足の筋を切った。彼らの怒りは、激しいゆえにのろわれ、/彼らの憤りは、はなはだしいゆえにのろわれる。わたしは彼らをヤコブのうちに分け、イスラエルのうちに散らそう。』(創世記49:5-7)
シメオンとレビは、シェケムの男に妹ディナが汚された事の復讐のために”割礼”という主の聖なる契約を利用して、シェケムの男たちを欺き、彼らが割礼を受けて弱っている時に、男達を皆殺しにし、女子供や家畜を分捕るという蛮行を行った。(創世記34章)
それ故ヤコブは、彼らのその激しい怒りを呪い、その言葉の通りにシメオン族はユダ族の中へと”散らされる”形となってしまった。

シメオン族の次に割り当てを受けたのは、ゼブルン族であった。
『第三にゼブルンの子孫のために、その家族にしたがって、くじを引いた。その嗣業の領域はサリデに及び・・・、そしてカッタテ、ナハラル、シムロン、イダラ、ベツレヘムなど十二の町々と、それに属する村々があった。これがゼブルンの子孫の、その家族にしたがって獲た嗣業であって、その町々と、それに属する村々とである。』(ヨシュア記19:10-16)
ヤコブの彼らに対する預言を見ると、「ゼブルンは海べに住み、/舟の泊まる港となって、/その境はシドンに及ぶであろう。」(創世記49:13) となっているが、しかし彼らが実際に得た領地は、海沿いではないし、また、シドンからもかけ離れている。
そして、未だにゼブルン族が海沿いの地を勝ち取ったという歴史は、存在しない。
このような、預言の”未成就”は、どうして起こるのか。

それは、預言を受けた本人が、主から与えられた「こうすれば、こうなる」という条件を無視し続けたり、あるいは、祝福に見合わない行動をし続けたりする時、そのようになってしまう。
例えば、主はヤロブアムに対して、ダビデのように長く続く堅固な王家を建てる約束を与えられたが、それは実現せず、結局、彼の二代目の時に、一族郎党皆殺しにされてしまった。
なぜなら、彼はせっかく主から祝福の約束が与えられたというのに、それに見合わない事を行い続け、主を怒らせ続けたからだ。
彼は、金の子牛像を礼拝対象にさせたり、勝手に考案した月日を礼拝の日として定たりと、主の忌み嫌われる事をし続けて止めず、預言者からしるしを伴う警告が与えられても、なお悔い改める事をしなかったのだ。

主は元々、アブラハムに、エジプトからユーフラテス川に至るまでの広大な地を与えると約束されたが、実際のイスラエルは、それら全てを勝ち取っていく行動を、しなかった。
ゼブルン族も、海沿いの地、シドンを攻めて行く事を、ついぞしなかったため、結局、彼らにはヤコブの祝福は実現しなかったのだ。

『第四にイッサカル、すなわちイッサカルの子孫のために、その家族にしたがって、くじを引いた・・・。その境はタボル、シャハヂマ、ベテシメシに達し、その境はヨルダンに至って尽きる。十六の町々と、それに属する村々があった。』(ヨシュア記19:17-22)
イッサカルは、ヤコブから以下の預言をもらっている。
『イッサカルはたくましいろば、/彼は羊のおりの間に伏している。』(創世記49:14)
彼はその預言の通り、マナセ族の二つの領地という”羊のおり”の、ちょうど間に相続地を得ている。

イッサカルは五男であるのに、そのはるか下の弟、十一男であるヨセフの子・マナセの相続地の間に住まわせてもらっている形となっている。
また、シメオンは次男であるのに、これまた四男の弟であるユダが勝ち得た多くの中から、余り物をもらった形となった。
ゼブルン族も、本来的には海沿いの領地を勝ち得るはずが、それをせずじまいになってしまった。

現代を生きるキリスト者も、何もせずに、ただ手をこまねいているような人は、かろうじて、他の積極的な聖徒の傘下で養われるしかない。
与えられている賜物、与えられている力は積極的に活用し、地上において多くのタラントを稼ぎ、永遠の天においては、さらに多くを任される皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:ベニヤミン族に割り当てられた領地(ヨシュア記18:11-28):右クリックで保存

ヨシュア記18章の後半以降、残り7部族への相続地の割り当てが記されている。
その中で、真っ先にくじが割り当てられたのは、ベニヤミン族であった。
『まずベニヤミンの子孫の部族のために、その家族にしたがって、くじを引いた。そしてそのくじによって獲た領地は、ユダの子孫と、ヨセフの子孫との間にあった。』(ヨシュア記18:11)

モーセは死ぬ時、ベニヤミン族を次のように祝福している。
「主に愛される者、/彼は安らかに主のそばにおり、/主は終日、彼を守り、/その肩の間にすまいを営まれるであろう」(申命記33:12)
モーセが「その肩の間にすまいを営まれる」と預言した通り、彼らはユダ族とヨセフ族という”両肩”の間に相続地を得た。

彼らへの相続地は、あまり広い地域ではないが、後のイスラエルにとっての要所がいくつかある。
『またギベオン、ラマ、ベエロテ、ミヅパ、ケピラ、モザ、レケム、イルピエル、タララ、ゼラ、エレフ、エブスすなわちエルサレム、ギベア、キリアテ・ヤリム。すなわち十四の町々と、それに属する村々。これがベニヤミンの子孫の、その家族にしたがって獲た嗣業である。』(ヨシュア記18:25)

ギベオンやラマは、ベニヤミンの母・ラケルが死んだ所とされ、その付近に彼女の墓があったと考えられており、エレミヤは、その地方が後にバビロンによって滅ばされる事を「嘆き悲しみ、いたく泣く声がラマで聞える。ラケルがその子らのために嘆くのである。」(エレミヤ31:15)と預言している。
ラケルは、ベニヤミンを産む時、とても難産で苦しんだため、その子を「ベン・オニ(私の苦しみの子)」と名づけたが、父ヤコブは「ベニヤミン(右手の子)」と名づけた。(創世記35:16-20)
ベニヤミンは、生まれたと同時に母が死んだので、母との思い出が無かったであろうが、彼の子孫は、その母が死んだ場所、墓のある場所が、主から相続地として与えられたわけである。

また、ミツパという場所は、後に、イスラエルが戦いや集会の時に集う場所として、よく用いられた。(士師記10:17、20:1、1サムエル記7:5)
そしてなんと、エルサレムも、ベニヤミンの相続地の中に含まれている。
エルサレムはダビデの町として、代々ユダ族の王が住んで来たため、ユダ族にくじが当てられたと思われがちだが、元々は、ベニヤミン族にくじが当てられた土地である。
なぜそこはユダ族が住む所となったのか。

ベニヤミン族はいつまでもエルサレムに住むエブス人を追い出さずにいた。
また、ベニヤミン人サウル王の時代になってもそこは手付かずのままであったため、結局、その後のダビデ王が、そこに住んでいるエブス人を追い払ったために、結局ダビデの町となったのだ。(2サムエル5:5-9)
そして、後にはこのエルサレムに神殿が建設され、ベニヤミン族は、神殿に礼拝しに行くのに近いというメリットが与えられた。
また、ソロモンの後の時代にイスラエルが北と南に分割された後も、ベニヤミン族はユダ族の側についたため、「主に愛される者、/彼は安らかに主のそばにおり、/主は終日、彼を守り」というモーセの預言が成就したのだ。

ベニヤミン族は、ヤコブの祝福によって、大きな力が与えられているのに(創世記49:27)、積極的に攻めて行かず、結局この狭い地域しか与えられなかった。
また、エルサレムという素晴らしい地が与えられているのに、そこも長らく攻め落とさずにいたため、ユダ族のダビデによって、先取りされてしまった。
私達は、主から与えられた力をもって、積極的に祝福を勝ち取っていくものでありたい。

礼拝説教メッセージ音声:いつまで行かないのか(ヨシュア記18:1-10):右クリックで保存

『イスラエルの人々の全会衆は、その地を征服したので、シロに集まり、そこに会見の幕屋を立てた。』(ヨシュア記18:1)
シロという場所は、イスラエル全領土のほぼ真ん中、エフライムの相続地の中に位置し、ここに会見の天幕が設置されて以降、ダビデの時代までそこは人々がいけにえを捧げに来る礼拝の場所となった。
ヨシュアはそこで、イスラエル全体を呼び寄せ全体会議を開いた。

『その時、イスラエルの人々のうちに、まだ嗣業を分かち取らない部族が、七つ残っていたので、ヨシュアはイスラエルの人々に言った、「あなたがたは、先祖の神、主が、あなたがたに与えられた地を取りに行くのを、いつまで怠っているのですか。』(ヨシュア記18:2-3)
カナンの相続地は、順番待ちして得る類のものではなく、積極的に進み行く人が、早い順に獲得するものである。
事実、ルベンやガド、マナセの半部族は、早期に求めたために早く得たし、また、ユダ族やヨセフ族は、積極的に攻め行ったために、広く良い地を得た。

これら五部族が、先に占拠してしまったから、もう残りは無かった、というものでもない。
なにしろ、主がアブラハムに約束された土地は、「エジプトの川から、かの大川ユフラテまで。」(創世記15:18)という、広大な地である。
だから、もしこれら七部族が、ユダ族達のように積極的に攻め行っていたなら、聖書の巻末等にあるイスラエル十二部族の相続地図は、もっともっと広いものとなっていただろう。

しかしこの七部族は、ヨシュアが老年になったこの時まで、ずっと手をこまねいて、獲得しに行かなかった。
だからヨシュアは「主が、あなたがたに与えられた地を取りに行くのを、いつまで怠っているのか」と叱責したのだ。

キリスト者の中にも、天の御国の働きのために、積極的に自ら動いて働く聖徒もおれば、自分の手は動かさず、ただ他の兄弟姉妹が働いて得た恩恵に乗っかるのみの人もいる。
しかし自分の手を動かさない者は、着実に貧しくなって行き、努めて働く人は、確かな報いを主から得られる。(箴言10:4)
『なぜなら、わたしたちは皆、キリストのさばきの座の前にあらわれ、善であれ悪であれ、”自分の行ったことに応じて”、それぞれ報いを受けねばならないからである。』(2コリント5:10)

私達は、少しでもラクしようと考えたり、いかに手を動かさないかを思案したりするような、”けち”な考えではなく、むしろ、ユダ族やマナセ族のように積極的に多くを勝ち取り、得たものは気前よく他の聖徒達に引き継がせ、さらに積極的に勝ち得て行くものでありたい。
『人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのでなく、キリストの僕として心から神の御旨を行い、人にではなく主に仕えるように、快く仕えなさい。 あなたがたが知っているとおり、だれでも良いことを行えば、僕であれ、自由人であれ、それに相当する報いを、それぞれ主から受けるであろう。 』(エペソ6:6-8)
『見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。 』(黙示録22:12)

礼拝説教メッセージ音声:言い訳をして戦いに行かない一部のヨセフ族達(ヨシュア記17:14-18):右クリックで保存

『ヨセフの子孫はヨシュアに言った、「主が今まで、わたしを祝福されたので、わたしは数の多い民となったのに、あなたはなぜ、わたしの嗣業として、ただ一つのくじ、一つの分だけを、くださったのですか」。』(ヨシュア記17:14)
ヨセフ族、すなわちエフライム・マナセ族には、既に広大な土地が与えられており、その領地の広い境界線も、既に定められている。
それなのに、ヨセフ族の”ある人達”は、ヨシュアの所に来て、くじは”ただ一つ”しかもらえなかったと、不服を申し立てている。

御心にかなった事や、御約束の成就を「求める」事は、大いに推奨されるものではあるが、今回の彼らの要求は、それとは異なるものである。
なぜなら、彼らには既に広大な良き地が約束として与えられ、あとは、彼らがそれを手に入れるための行動を起こすだけなのに、彼らはそれをせず、約束として与えられたものにケチをつけているからだ。

『ヨシュアは彼らに言った、「もしあなたが数の多い民ならば、林に上っていって、そこで、ペリジびとやレパイムびとの地を自分で切り開くがよい。エフライムの山地が、あなたがたには狭いのだから」。ヨセフの子孫は答えた、「山地はわたしどもに十分ではありません。かつまた平地におるカナンびとは、ベテシャンとその村々におるものも、エズレルの谷におるものも、みな鉄の戦車を持っています」。』(ヨシュア記17:15-16)
彼らが自分の口で告白した通り、主に祝福され、多く増え、また多くの力も与えられているのだから、その力を用いて、まだ敵がのいる相続地を切り開いて行きなさい、と、ヨシュアは言っているのだが、彼らは、いえ、相手は鉄の戦車を持っているから、できません、と言うのだ。
『ヨシュアはまたヨセフの家、すなわちエフライムとマナセに言った、「あなたは数の多い民で、大きな力をもっています。それでただ一つのくじでは足りません。山地をもあなたのものとしなければなりません。それは林ではあるが、切り開いて、向こうの端まで、自分のものとしなければなりません。カナンびとは鉄の戦車があって、強くはあるが、あなたはそれを追い払うことができます」。』(ヨシュア記17:17-18)

現代のキリスト者の中にも、このヨセフ族の”ある人達”のように、「主が与えた」という御言葉の約束を頂いておきながら、そして、あとは行ってそれを勝ち得るだけでありながら、色々な言い訳ばかりをして、それをせず、かえって文句を言ったり、別のものを求めたりする”霊的怠け者”の信仰者がいる。
『なまけ者は、「道にししがいる、ちまたにししがいる」という。・・・なまけ者は手を皿に入れても、それを口に持ってゆくことをいとう。』(箴言26:13)

私達の内には、生まれながらの肉なる性質や、過去の傷、抱えている病といった、滅ぼすべき”ペリジびと”や”レパイムびと”、鉄の戦車を持った”カナン人”がいる。
しかしそれらは、私達の内におられる、まことのイエシュアであるイエス様と共に「滅ぼし可能」なのだ。

それなのに、「自分の病は鉄のようだ」とか、「自分のトラウマは戦車級だ」とか言い訳して、他人には「自分に合わせてくれ」と要求ばかりしている人は、いつまでも改善されない。そればかりか、やがてはそれらに飲み込まれてしまうのだ。
事実、士師記1章を見ると、ヨセフ族はヨシュアから言われていた通りに敵を滅ぼさなかったため、その者達は後々、力をつけてしまい、苦々しい事になってしまった。

パウロは言っている。
『こういうわけで、あなたに注意したい。わたしの按手によって内にいただいた神の賜物を、再び燃えたたせなさい。というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。』(2テモテ1:6-7)
ヨシュアも、ヨセフ族に言った。あなたには既に大きな力が主から与えられている、それをもって、鉄の戦車を制圧せよ、と。

そして主イエスは、私たちに言っている。
『これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。』(ヨハネ16:33)
『全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる。』(マルコ16:15-18)
『わが義人は、信仰によって生きる。もし信仰を捨てるなら、/わたしのたましいはこれを喜ばない」。しかしわたしたちは、信仰を捨てて滅びる者ではなく、信仰に立って、いのちを得る者である。』(ヘブル10:38-39)

私達に与えられた聖霊は、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みとの霊である。
それを奮い立たせ、私達の内に元から住んでいる滅ぼすべきもの、すなわち、病や過去のトラウマなどの”鉄の戦車”を、信仰によって戦いを仕掛け、追い払い、勝利し、私達の内には、ますます広大な安息の地を得て行く皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:マナセ族の積極的な信仰(ヨシュア記17:1-13):右クリックで保存

ヨシュア記17章には、マナセ族への相続地の割り当てが記されている。
『マナセの部族が、くじによって獲た地は、次のとおりである。マナセはヨセフの長子であった。マナセの長子で、ギレアデの父であるマキルは、軍人であったので、ギレアデとバシャンを獲た。』(ヨシュア記17:1)

マキルは軍人であった(戦士であった)と記されているが、このマキルの子孫達が積極的にカナンの地を占領した活躍の様は、民数記に記されている。
イスラエルがまだヨルダン川を渡っていなかった時、ルベン、ガド族に相続地が先行して与えられたのを見たマナセは、それに便乗し、積極的にヨルダン川北東地域を攻め取ってそこに自分達の名をつけ、モーセ公認の元、堂々とそこを得たのだ。
『マナセの子マキルの子孫はギレアデに行って、そこを取り、その住民アモリびとを追い払ったので、モーセはギレアデをマナセの子マキルに与えてそこに住まわせた。またマナセの子ヤイルは行って村々を取り、それをハオテヤイルと名づけた。またノバは行ってケナテとその村々を取り、自分の名にしたがって、それをノバと名づけた。』(民数記32:39-42)

マナセ族は、男のみならず、女達も、主が約束された相続地を求める事に、積極的であった。
『マナセの子マキル、その子ギレアデ、その子ヘペル、その子であったゼロペハデには、女の子だけで、男の子がなかった。女の子たちの名は、マヘラ、ノア、ホグラ、ミルカ、テルザといった。彼女たちは、祭司エレアザル、ヌンの子ヨシュアおよび、つかさたちの前に進み出て、「わたしたちの兄弟と同じように、わたしたちにも、嗣業を与えよと、主はモーセに命じおきになりました」と言ったので、ヨシュアは主の命にしたがって、彼らの父の兄弟たちと同じように、彼女たちにも嗣業を与えた。』(民数記17:3-4)

彼女達は、まだヨルダン川を渡っていない時、父の世代が恐怖したカナン人が、まだヨルダン川の向こう側で跳梁跋扈していた時から、既に、自分達はその者共を追い出し、そこを勝ち取る事を前提に考えていた。
その地を勝ち得た暁には、自分達には男性の相続者がいないゆえ、相続地がもらえなのではと憂慮し、モーセや祭司達、全会衆を前にして、以下の事を主張したのだ。
「わたしたちの父は荒野で死にました。彼は、コラの仲間となって主に逆らった者どもの仲間のうちには加わりませんでした。彼は自分の罪によって死んだのですが、男の子がありませんでした。男の子がないからといって、どうしてわたしたちの父の名がその氏族のうちから削られなければならないのでしょうか。わたしたちの父の兄弟と同じように、わたしたちにも所有地を与えてください。」(民数記27:3-4)

主は、彼女たちの訴えを「もっとも」とされた。
なぜなら彼女たちの主張は、御言葉に叶っているからである。(申命記25:6)
主は、御言葉に叶った訴えは、正面から受け止めてくださるのだ。

思えば、彼女たちのようなケースは、イスラエルの中には他に多くあっただろう。
女の子が生まれる確率が1/2なら、五人子供がいる家庭のうち、五人全員が女の子である確率は、三十二家庭に一つある事になる。
イスラエルには、およそ六十万家庭あるので、その中で、女の子供しか生まれなかった家庭は、かなりの数あっただろう。
それでも、このツェロフハデと娘たちの名が、永遠の書物・聖書に記されたのは、彼女たちは信仰を持って進み出て、主に期待したからであり、その他多くは、期待もせず、勇気をもって訴え出もしなかったのだ。

「主から頂けない」などと言って泣き寝入りしてはならない。
間違った「謙遜」に陥ってはならない。
主はどうせ聞いて下さらない、主は蒔かない所から刈り取りをなさる方だなどと、ねじ曲がった神観を持ってはならない。
期待しない事、ねじまがった神観を持つ事は、罪であり、主はそのような人の持っているものを取り上げ、信仰をもって進み出る人に与えられる。(マタイ25:14-30)

彼女たちは、親の世代の罪の故に、荒野での放浪に四十年間付き合わされるはめになってしまった。
同じように私達も、親や同僚、上司などの罪で、とばっちりを喰らってしまうことがある。
それでも主の約束を保ち続け、それを盾にとって進み出るなら、主はいずれ豊かに報いてくださるのだ。

礼拝説教メッセージ音声:エフライム族への相続地(ヨシュア記16:1-10):右クリックで保存

ヨシュア記16-17章は、ヨセフ族の二部族への相続地の割り当てが記されており、エフライム族への割り当ては16章に、マナセ族への割り当てが17章に記されている。
ヨセフ族は、父イスラエル(ヤコブ)の祝福の故に、エフライム・マナセの二部族へと枝分かれして行った。
その祝福の次第は、創世記に記されている。

『イスラエルはヨセフの子らを見て言った、「これはだれですか」。ヨセフは父に言った、「神がここでわたしにくださった子どもです」。父は言った、「彼らをわたしの所に連れてきて、わたしに祝福させてください」。』(創世記48:8)
父イスラエルがヨセフの子達を祝福してくれる、というので、彼としては、長男のマナセに、より大きな祝福を与えたいので、マナセを父の右手側、エフライムを左手側に連れて来たのだが、父イスラエルは、意外な行動を取った。
『すると、イスラエルは右の手を伸べて弟エフライムの頭に置き、左の手をマナセの頭に置いた。マナセは長子であるが、ことさらそのように手を置いたのである。』(創世記48:14)
右手は力や権力をあらわすため、普通なら長男を右手で祝福するものだが、父イスラエルはわざわざ手を交差させ、意図的に、長男マナセを左手で、次男エフライムを右手で祝福したのだ。
父イスラエルは、弟のほうが兄よりも祝福されるという自分の人生経験から、そのようにしたのかもしれない。
しかし、その後の歴史は、彼が祝福した通りに、エフライムのほうがマナセよりも祝福されたかというと、そうでもなかった。

民数記には、イスラエルの人口調査の記録が、二回あり、一回目は、エジプトを出たばかりの時に行われ、二回目は、それからおよそ四十年を経た後、約束の地カナンに攻め込む直前に行われた。
その第一回目の人口調査では、マナセ部族は32200人、エフライム部族は40500人で、ヤコブの祝福どおり、エフライムのほうが多かった。
しかし、二回目の人口調査(26章)では人数は逆転し、マナセ部族は52700人、エフライム部族は32500人である。
エフライム部族の数は、12部族中、ワースト2位になってしまった程に、その四十年で減ってしまったのだ。

このように、親からより優れた祝福や預言をせっかくいただいていたのに、主の御声を軽んじ、御言葉に反して、身勝手に生きるとしたなら、主は、その与えようとしていた祝福を取り上げ、別の人にその祝福を移してしまうのだ。
確かに、親が祝福する事・牧師が祝福する事には、大きな意義がある。しかし、その人がその祝福の実体を受けるかどうかは、結局、本人次第なのだ。

『このほかにマナセの子孫の嗣業のうちにも、エフライムの子孫のために分け与えられた町々があって、そのすべての町々と、それに属する村々を獲た。』(ヨシュア記16:9)
マナセの嗣業(相続地)の内に、エフライムのために分けられた町々がある、、、実際、聖書地図を見ると、エフライムの相続地は、ヨルダン川西側のマナセ族の土地の下方に、ちょこんと付け足されたような形で、存在している。
また、聖書地図などを見ると気付くと思うが、イスラエル12部族全体への相続地は、面積的にはユダ族とマナセ族だけで、半分以上が占められて、その他の部族への割り当ては、それに比べて遥かに狭いのだ。
なぜこんなにも、相続地の広さに格差があるのか。

それは、前回学んだ通り、主が与えて下さる相続は、御約束を望み見て、積極的に攻め取る者が多くを勝ち得るものなのだ。
ユダ族やマナセ族は、相続地を積極的に攻めに行って多くを勝ち得たが、エフライムや他の部族は、積極的に攻めに行った記録は、特に無い。
私達がやがて相続する天の国も、同じである。
地上で生きている間、霊的に積極的に攻めて行かない者には、わずかな割り当てしか与えられず、積極的に攻めに行く者には、多くが与えられるのだ。

礼拝説教メッセージ音声:多くを勝ち得たユダ族(ヨシュア記15:1-63):右クリックで保存

ヨシュア記中、もっとも節数の多い15章は、ユダ族への相続地の明細である。
1-12節には相続地の範囲が、13-19節にはカレブとオテニエルについての挿話が、20節から63節までは、勝ち得た町々・村々のリストが記されており、その100を超える地名のリストが延々と続くので、読むのも一苦労だが、それだけユダ族は多くの戦いを積極的に仕掛け、勝ち得たリストを読み上げるのが大変な程、分捕って来たわけである。

ユダ族が積極的に多くを勝ち取って行くの様は、彼らの父祖・ヤコブが預言した通りである。
『ユダよ、兄弟たちはあなたをほめる。あなたの手は敵のくびを押え、/父の子らはあなたの前に身をかがめるであろう。ユダは、ししの子。わが子よ、あなたは獲物をもって上って来る。彼は雄じしのようにうずくまり、/雌じしのように身を伏せる。だれがこれを起すことができよう。つえはユダを離れず、/立法者のつえはその足の間を離れることなく、/シロの来る時までに及ぶであろう。もろもろの民は彼に従う。』(創世記49:8-10)

ユダ族を、このように獅子のように攻め入って勝ち取るよう導いたのは、カレブである。
カレブは、45年来憧れてきた領地をヨシュアに求め、彼が信じた通りに見事勝ち取り、アブラハムゆかりの良き地・ヘブロンを得たが、その地へと侵入した彼は、さらに他をけしかけて、積極的に分捕るスピリットを奮い立たせている。
『カレブは言った、「キリアテ・セペルを撃って、これを取る者には、わたしの娘アクサを妻として与えるであろう」。ケナズの子で、カレブの弟オテニエルがそれを取ったので、カレブは娘アクサを、妻として彼に与えた。』(ヨシュア記15:16)

ここでオテニエルは、単にその地を勝ち取ってカレブの娘を得たばかりではない。
彼はさらにカレブの娘をけしかけ、さらに求めている。
『彼女がとつぐ時、畑を父に求めるようにと、オテニエルに勧められた。そして彼女が、ろばから降りたので、カレブは彼女に、何を望むのかとたずねた。彼女は答えて言った、「わたしに贈り物をください。あなたはネゲブの地に、わたしをやられるのですから、泉をもください」。カレブは彼女に上の泉と下の泉とを与えた。』(ヨシュア記15:18)

ここでオテニエルが彼女に求めさせたのは、「畑(KJV: a field、一つの畑)」であったが、彼女は、一つの畑どころか、「泉(KJV: springs of water:数々の泉)」を父カレブに求め、そうして見事、上の泉と下の泉とを彼らは得た。
世の滅ぼし尽くすべき物をむさぼったり、手に入れてはならない隣人の物をほしがる事は、律法で禁じられているが、私達は御言葉につながっているなら、御言葉が約束している祝福を求めるべきであり、また、主が与えると約束して下さったものは、どんどん求めて良いのである。
『あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。』(ヨハネ15:7)

ユダ族は、次の御言葉をよく体現した一族であると言えるだろう。
『バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。』(マタイ11:12)
現代を生きる私達も、同じである。
天の御国の良きものは、ユダ族のように、激しく襲って奪う者にこそ、沢山与えられるのだ。

主は、地上のものや、罪深きものを貪欲に追求する事を、忌み嫌われる。
しかし、神の国の事柄に関しては、大いに主に求め続けるよう、聖書では推奨されている。
『求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。・・・このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。』(マタイ7:7-11)
『イエスは失望せずに常に祈るべきことを、人々に譬で教えられた。「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わぬ裁判官がいた。ところが、その同じ町にひとりのやもめがいて、彼のもとにたびたびきて、『どうぞ、わたしを訴える者をさばいて、わたしを守ってください』と願いつづけた。彼はしばらくの間きき入れないでいたが、そののち、心のうちで考えた、『わたしは神をも恐れず、人を人とも思わないが、このやもめがわたしに面倒をかけるから、彼女のためになる裁判をしてやろう。そしたら、絶えずやってきてわたしを悩ますことがなくなるだろう』」。
そこで主は言われた、「この不義な裁判官の言っていることを聞いたか。まして神は、日夜叫び求める選民のために、正しいさばきをしてくださらずに長い間そのままにしておかれることがあろうか。あなたがたに言っておくが、神はすみやかにさばいてくださるであろう。しかし、人の子が来るとき、地上に信仰が見られるであろうか」。』(ルカ18:1-8)

ヨシュア記のこの章の、分捕った地のリストを全部読み上げるのは、ちょっと大変であるが、私達もユダ族のように、積極的に主に求め、勝ち取り、得たもののリストを読み上げるのが少し大変になる程、多くを勝ち得たいものである。

礼拝説教メッセージ音声:45年憧れ続けた地を得たカレブ(ヨシュア記14:6-15):右クリックで保存

14章後半は、ユダ族がヘブロンの地を勝ち得た際の逸話が記されている。
『時に、ユダの人々がギルガルのヨシュアの所にきて、ケニズびとエフンネの子カレブが、ヨシュアに言った、「主がカデシ・バルネアで、あなたとわたしとについて、神の人モーセに言われたことを、あなたはごぞんじです。』(ヨシュア記14:6)

カレブを覚えているだろうか。
彼はこの45年前の若かりし頃、ヨシュアと共に12人の斥候の一人としてカデシュ・バルネアから遣わされ、彼らが今いるこのカナンの地を偵察し、信仰をもって「是非とも攻め入るべきだ」とモーセとイスラエルの民に進言した者である。

彼も、確かにその地に住む民が強いのを見た。
町々は堅固で大きく、アナクの子孫がいるのも、カレブは見たが、主が共におられるなら、そんなものは恐れる必要はなく、むしろ、その者共はえじきとなって、自分達はこの素晴らしい乳と蜜の流れている良き地を受け継ぐことが出来るのだ、と、ヨシュアと共に胸躍ったものだ。
『そのとき、カレブはモーセの前で、民をしずめて言った、「わたしたちはすぐにのぼって、攻め取りましょう。わたしたちは必ず勝つことができます」。』(民数記13:30)
ところが、カレブがこの地を勝ち得るまでに、あと45年も待たねばならなかった。
それは、民の不信仰の故である。

45年前、他の民は、この地の住人は強いという報告を聞いて、弱気になってしまった。
『「ああ、わたしたちはエジプトの国で死んでいたらよかったのに。この荒野で死んでいたらよかったのに。なにゆえ、主はわたしたちをこの地に連れてきて、つるぎに倒れさせ、またわたしたちの妻子をえじきとされるのであろうか。エジプトに帰る方が、むしろ良いではないか」。彼らは互に言った、「わたしたちはひとりのかしらを立てて、エジプトに帰ろう」。』(民数記14:3-4)

モーセとアロンは、イスラエル六十万全部が、なし崩し的に弱気へと、不信仰へと落ち込んで行くのを見て、ひれ伏して主に執り成し、ヨシュアとカレブは、なお必死に説得し訴えたが、民は彼らを石打にしようとした。
その時、主の臨在が現れ、介入が入り、その地について悪く言いふらした者達は主に打たれ、不信仰に陥った民六十万には、約束の地には入れず、荒野で死んでしまう事と、40年で荒野の放浪とが確定してしまった。
しかし、信仰を貫き通したカレブは、その地を継ぐ事ができると、約束された。
『わたしの栄光と、わたしがエジプトと荒野で行ったしるしを見ながら、このように十度もわたしを試みて、わたしの声に聞きしたがわなかった人々はひとりも、わたしがかつて彼らの先祖たちに与えると誓った地を見ないであろう。またわたしを侮った人々も、それを見ないであろう。ただし、わたしのしもべカレブは違った心をもっていて、わたしに完全に従ったので、わたしは彼が行ってきた地に彼を導き入れるであろう。彼の子孫はそれを所有するにいたるであろう。』(民数記14:22-24)

あれから45年経、85歳になったカレブは、40歳の当時と変わらぬ生気と力を湛えてヨシュアの前に現れた。
『主がこの言葉をモーセに語られた時からこのかた、イスラエルが荒野に歩んだ四十五年の間、主は言われたように、わたしを生きながらえさせてくださいました。わたしは今日すでに八十五歳ですが、今もなお、モーセがわたしをつかわした日のように、健やかです。わたしの今の力は、あの時の力に劣らず、どんな働きにも、戦いにも堪えることができます。』(ヨシュア記14:10)

主に信頼し、主と共に歩む者は、わしのように若々しく、新たにされるのだ。(詩篇103:5、イザヤ40:31)
私達の信仰の父であるアブラハムも、100歳の時に子が生まれたし、また、私達の信仰の母であるサラも、90歳の時に子を産む力が与えられ、異邦の王アビメレクに召し入れられてしまう程に美貌も取り戻した。
モーセが主に召しだされたのも、80歳の時で、彼は120歳まで目がかすまず、気力も衰えなかった。
天声の聖徒の中にも、以前より若々しくなった姉妹達もいるし、白髪が後退して黒髪になった聖徒も、髪の毛が増えた聖徒もいる。

『それで主があの日語られたこの山地を、どうか今、わたしにください。・・・主がわたしと共におられて、わたしはついには、主が言われたように、彼らを追い払うことができるでしょう。』(ヨシュア記14:12)
カレブは、45年間、ずっと憧れて来たあの山地を、今こそ下さい、と、ヨシュアに願い出た。
『そこでヨシュアはエフンネの子カレブを祝福し、ヘブロンを彼に与えて嗣業とさせた。』(同13節)
ヨシュアはそれを祝福し(ほめ称え)、そこを彼のものであると、宣言した。

ヨシュアが宣言した時点で、ヘブロンのアナク人が一斉に倒れた訳ではない。
カレブはその言葉を頂いたら、実際に行動したのだ。
武装し、信仰をもってその地へと出向いて、アナク人を追い払い、勝利したのだ。
キリストにある神の聖徒が、この地上で主イエスの名によって宣言した事は、天においても繋がれており(マタイ18:18)、その宣言された真理を実体化するためには、信仰に基づく行動が必要なのだ。

『こうしてヘブロンは、ケニズびとエフンネの子カレブの嗣業となって、今日に至っている。彼が全くイスラエルの神、主に従ったからである。ヘブロンの名は、もとはキリアテ・アルバといった。アルバは、アナキびとのうちの、最も大いなる人であった。こうしてこの地に戦争はやんだ。』(ヨシュア記14:14-15)
主の約束を信じて行動するなら、いかに85歳の老人であっても、2〜3メートル級の巨人の軍隊を相手に戦って勝利し、いかに紅顔の少年であっても、3メートル近いゴリアテを相手に、石一つで勝利するのだ。
『神はわたしに力を帯びさせ、わたしの道を安全にされました。神はわたしの足をめじかの足のようにされ、わたしを高い所に安全に立たせ、わたしの手を戦いに慣らされたので、わたしの腕は青銅の弓をもひくことができます。』(詩篇18:32-34)
『わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。』(ピリピ4:13)
主は、信じて行動する私達には、鷲のように若くして下さり、青銅の弓をも引く力も与え、サラのように、女としての力と美貌を与えて下さる事のできるお方なのだ。

礼拝説教メッセージ音声:”攻めの信仰者”が得をする(ヨシュア記13:15-14:5):右クリックで保存

ヨシュア記13章の15節以降は、ルベン、ガド、マナセの半部族に割り当てられた相続地の明細が記されている。

『モーセはルベンびとの部族に、その家族にしたがって嗣業を与えたが、その領域は・・・すなわち高原のすべての町々と、ヘシボンで世を治めたアモリびとの王シホンの全国に及んだ。モーセはシホンを、ミデアンのつかさたちエビ、レケム、ツル、ホルおよびレバと共に撃ち殺した。これらはみなシホンの諸侯であって、その地に住んでいた者である。』(ヨシュア記13:15-21)
イスラエルがヨルダン川を渡る前、シホンの王国と戦って勝利し、その地を得た時、ルベン族とガド族が「その土地を下さい」とモーセに願い出たのだが、他の部族がこれから戦おうとしているのに自分達だけが先に安住の地を得ようとする点が咎められたため、彼らは、他の部族と一緒に戦う事を、それも、民の先頭に立って戦う事を約束したために、他の部族に先んじて、その地を得る事が出来た。

『イスラエルの人々はまたベオルの子、占い師バラムをもつるぎにかけて、そのほかに殺した者どもと共に殺した。』(ヨシュア記13:15-21)
バラムは、主から、イスラエルを呪うために出てはならない、と戒められていたのに、それに反したために、主に咎められた。(民数記22-24章)
それなのに彼は、不義の報酬をもらったが故に、イスラエルを誘惑し、堕落させ、彼らを神に打たれるように仕向けてしまった。
平和に暮らしている主の民に、つまづきを与え、堕落させるような者は、挽き臼に結わえられて海に投げ込まれてしまうほうが良い、と、主は言われる。(マタイ18:6)
結局彼は、イスラエルの剣によって滅ぼされる事となったのだ。

『モーセはまたマナセの半部族にも、嗣業を与えたが、それはマナセの半部族が、その家族にしたがって与えられたものである。その領域はマハナイムからバシャンの全土に及び、バシャンの王オグの全国、バシャンにあるヤイルのすべての町々、すなわちその六十の町。またギレアデの半ば、バシャンのオグの国の町であるアシタロテとエデレイ。これらはマナセの子マキルの子孫に与えられた。すなわちマキルの子孫の半ばが、その家族にしたがって、それを獲た。』(ヨシュア記13:29-31)
このマナセの半部族は、ルベンやガドが先に相続地が与えられたのを見て触発されたのか、彼らも積極的に戦いに出て行って、勝利をおさめ、広く良い地を勝ち得た。
彼らが討ち取ったバシャンの王オグは、レファイムの生き残りの巨人で、その寝台は、長さおよそ4メートル、幅およそ176cmの鉄製であった。(申命記3:11)
そんな相手ではあったのに、マナセの半部族は戦いを仕掛け、勝利し、その広き良き地を得たのだ。

続く14章以降は、残る9部族半に対する、ヨルダン川西側方面の相続地割り当ての記録である。
『イスラエルの人々が、カナンの地で受けた嗣業の地は、次のとおりである。すなわち、祭司エレアザル、ヌンの子ヨシュア、およびイスラエルの人々の部族の首長たちが、これを彼らに分かち、主がモーセによって命じられたように、くじによって、これを九つの部族と、半ばの部族とに、嗣業として与えた。』(ヨシュア記14:1-2)
この時代のくじによる取り決めは、じゃんけんなどのように、適当に確率に賭けるようなものではなく、主の指示に従うものであり、御心を求めるものである。(民数記26:55-56、34:13、箴言16:33)
実際、イスラエル六十万の中から、聖絶のものを隠し持っているアカンをピンポイントで当てたのは、この、くじによってであった。

『これはヨルダンの向こう側で、モーセがすでに他の二つの部族と、半ばの部族とに、嗣業を与えていたからである。ただしレビびとには、彼らの中で嗣業を与えず、ヨセフの子孫が、マナセと、エフライムの二つの部族となったからである。レビびとには土地の分け前を与えず、ただ、その住むべき町々および、家畜と持ち物とを置くための放牧地を与えたばかりであった。イスラエルの人々は、主がモーセに命じられたようにおこなって、その地を分けた。』(ヨシュア記14:3-5)
レビ族は、相続地は与えられない代わりに、主ご自身が相続地であり、イスラエル12部族の中から、初物や主への捧げ物の中から取るべき分がある。
また、レビ族が相続地配分から抜ける代わりに、ヨセフの子・エフライムとマナセがヤコブ直系の2部族として扱われ(創世記48:5)、こうして、イスラエル12部族への相続地配分が始まった。

カナン相続地配分の記録は、一見すると、色々な土地のカタカナ名の羅列のようで、読んでいてもあまり面白味は無いかもしれないが、その行間には、色々なドラマが詰まっている。
マナセの半部族やユダ族のように、積極的に戦い出て、広く良い地を勝ち取った部族もおれば、ルベン族やガド族のように”求めた”がために、先んじて与えられた部族もあった。
相続地の獲得は、ただ”くじ運”に任せて、じっと待っているだけでは、優れたものは来ないのだ。

天の御国も、積極的に襲う者達によって、奪われるものである。
『バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。』(マタイ11:12)
私達も、ただなされるがまま・与えられるがままのような、消極的な信仰ではなく、積極的に求め、積極的に攻め立て、積極的に良き地を分捕っていく”攻めの信仰者”でありたい。

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