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メッセージ - 主日礼拝カテゴリのエントリ

自分の家を喜びの園とするために(創世記2:15-17)
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週報/メッセージ(説教)概要

 今年はじめに与えられた御言葉はイザヤ65章から、主は新しい創造をされる事、そして、主が創造されたものは喜びと楽しみ、笑いに満ちたものだという事だった。主は、人が喜ぶ事を望んでおられる故に、主は人を創られると、早速エデン(喜び)の園に置かれた。主はエデンを散歩(ハーラフ)し(3:8)、アダムとエバも主と共に歩み、そこには完全な秩序があり、彼らは何のわだかまりも無く、喜びの交わりをしていた。
主は御言葉によって全てのものを創造され、そして御言葉によって創造されたものは全て「良い」ものだ。
人が御言葉に従って歩む時、主の良き創造の中で大いに喜び楽しむ事ができる。
しかし御言葉に逆らうなら、それを続ける事はできない。御言葉に逆らう時、人は主の御顔から逃げ隠れし、主の御言葉による指摘に対し言い訳をしたり、人のせいにしたり、ついには神のせいにしたりしてしまい(3:8-13)、ついには、エデン(喜びから締め出されてしまう。主が人をエデンから追放した、と言うより、人が「喜びの源」すなわち御言葉を追放し、それ故、みずからエデン(喜び)を追放してしまったのだ。
私たちはどうしたら、主の創造の良き所、エデン(喜び)に留まり続けられるのか。それを本日学びたい。

エデンを「喜びの園」としてキープし続ける責任は、私達・人間の側にある。
『主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。』(創世記2:15)
楽園は、何もしなくて良いバカンス地ではなく、「耕す」事、「守る」事の二つをしなくてはならない所である。
まず、「耕す」と訳された語「アバァド」は「従事する」「仕える」の意味があり、「耳」の意味もある。(出21:6)
喜びの園は、喜びを豊かに実らせ続けるために、主の御言葉を耳で聞き、それに従事するべき所である。
神はまことのぶどう園の農夫であり(ヨハネ15章)、枝の中で実を結ばないものは、剪定する(ヨハネ15:2)。
同様に私達も、御前で実を結ばない「わざ」や「考え方」などを、自分から断ち切り、実を結ぶものには、どんどん肥料を与え、「喜び」を豊かに実らせるように働くべきなのだ。
次に、「守る」のヘブライ語「シャマール」は、持続させガードする事である。すなわち、主の喜びを邪魔するいばらやあざみを刈り取り、ぶどう畑を荒らすきつねを追い出し、入って来ないようガードするのだ。
これを怠ると、次のようになる。『わたしはなまけ者の畑のそばと、知恵のない人のぶどう畑のそばを通ってみたが、いばらが一面に生え、あざみがその地面を覆い、その石垣はくずれていた。』(箴言24:30 -31)
私達は夫婦関係や親子関係、経済などが「喜びの園」となるためには、御言葉によって維持管理すべきであり、それを怠けるなら、いばらやあざみが生え、石垣は崩れ、荒らすきつねが自由に出入りし放題となり、大切な夫婦・親子関係が、経済が荒らされてしまう。だから、主が命じた通り「耕し」「守る」べきである。

また、主はエデンにおいて命じられた。「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬ」(2:16-17)
喜びの園の中央には、「いのちの木」と、「善悪を知る木」があって、主は「善悪を知る木」から取って食べるな、と言われた。それと同じように、私達の家庭も、いのちを選んで食べるか、それとも善悪知識を選んで食べるか、という二者択一がいつも置かれていて、そして善悪を取って食べるなら、死をもたらしてしまう。
イエス様の言葉は霊であり、いのちである。(ヨハネ6:63) 私達が自分の家を、喜びの園としてキープし続けたいのなら、いつも、御言葉を取って食べ続け、自分の独善的善悪判断を捨て続けるべきなのだ。
アブラハムの妻サラは、主の御言葉に付け加えをしてしまい(16章)、喜びも希望も失ってしまった。
主が直接現れ、約束の御言葉を思い起こさせても、彼女は心の中で笑い(ツァハァク)、「わたしは衰え、主人もまた老人であるのに、わたしに楽しみ(エデン)などありえようか」と言った(18:12)。
しかし主は、恵みによって、サラの喜びを失ってしまった心に手(ユッド)を加え、聞けない耳・信じられない心を剪定し、彼女にイサク(イツァハァク = ツァハァク + ユッド)を回復させて下さった。
アダムは、エデンの園をしっかり管理し続け、一定の時を経た後に、主は伴侶を、家庭を与えられた。
結婚生活も家庭も、御言葉によって維持管理できる人が、豊かな喜びの実を結ばせる所である。
もしそこに、手前勝手な善悪判断を持ち込むなら、そこはたちまち責任のなすりつけ合いの場、いさかいの場となり、主の御前にやましくなり、主の臨在を恐れ隠れなくてはならない。家庭というエデンを御言葉で管理し、喜びの実りを豊かに結ばせる皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

決して奪われない喜びを創造して下さる主(創世記18:9-15)
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週報/メッセージ(説教)概要

 年明けの瞬間から始まった天声の礼拝において、イザヤ65章から示された事は、主が新しく創造して下さる「新創造」を、いついつまでも喜び楽しめ、という事だった。主の御手が働かれる所には、喜び、楽しみ、笑いがある。主の御心は、私達がいつも主にあって喜ぶ事だ。(ヨハネ15:11, 17:13, 1テサロニケ5:16)
主は、人を創られると早速、創られた人をエデン(意味:喜び)の園に置かれた。人は本来、主の創造の源である御言葉の中に留まるべきだが、御言葉に背くなら、喜びの園から追放されてしまう。しかし御言葉に留まるなら、主の御言葉による新創造が働き、喜びが帰って来る。今回の箇所は、主が3人の人の姿をとってアブラハムに現れ、喜びを失ってしまった妻・サラに働き、彼女に喜びを返して下さる場面である。

アブラムが99歳の時、主は彼に現れ、アブラムにはアブラハム、妻サライにはサラという新しい名前を与え、またサラには男の子が生まれる事を約束し、その名を「イサク(意味:彼は笑う)」としなさい、と言われた。
その事があってから、まだそんなに日が経っていない時、主は3人の旅人の姿で彼らに現れる。
『そのひとりが言った、「来年の春、わたしはかならずあなたの所に帰ってきましょう。その時、あなたの妻サラには男の子が生れているでしょう」。サラはうしろの方の天幕の入口で聞いていた。』(創世記18:10)
彼らは明らかに只者ではないが、サラはこの不思議な出来事を見ても、まだ心が塞がれていた。
『それでサラは心の中で笑って(ツァハァク:嘲笑、苦笑)言っ た、「わたしは衰え、主人もまた老人であるのに、わたしに楽しみ(エデン)などありえようか」。』(12節) 彼女の心を塞いでいたものは、自分には子が生まれないという、何十年もずっと積み立てて来てしまった現実だった。子が生まれる事を、何十年も望みながらも、ずっと叶えられずに過ごし、年老いて、ついに女の道も途絶えてしまった現実。
その現実をなんとか受け止め、強がって、世間で流行っていた方法に従い、女奴隷にアブラハムの子を生ませてみても、かえってもっと惨めで悔しい思いをするだけだった。だから今更、こんな不思議な人達に「子が生まれる」と言われても、わたしに何の楽しみ(エデン)があろうか、と、心でつぶやくしかなかった。
ところが心にその言葉が浮かんだとたん、彼女は心に巡らしていた「現実」から「真実」に引きずり出される。
『主はアブラハムに言われた、「なぜサラは、わたしは老人であるのに、どうして子を産むことができようかと言って笑った(ツァハァク)のか。主にとって不可能なことがありましょうか。来年の春、定めの時に、わたしはあなたの所に帰ってきます。そのときサラには男の子が生れているでしょう」。サラは恐れたので、これを打ち消して言った、「わたしは笑いません」。主は言われた、「いや、あなたは笑いました」。』(13-15節)
サラはとてつもなく驚いただろう。恐れただろう。しかしそれは幸いである。絶望と倦怠感に淀み切っていた心に、主が御手を触れ、「真実」によってそれを粉々に砕き、新しい創造を与えられるのだから。
そして実際に来年、100歳のアブラハム、90歳のサラの間に、息子イサクが生まれたのだ。

主はなぜ「笑い」にこだわられたのか。ヘブライ語で見ると、主の意図が浮かび上がってくる。
「ツァハァク」(צְ (ツァディ)+חָ (ヘット)+ק (クフ))の意味は「笑い(嘲笑、冷笑など)」だが、その最初に「יִ (ユッド)」が加わるとイツァハァク、すなわちイサクとなる。文字ユッドの意味は「手、働き」であった。
サラは最初、心なしの笑いをした。ため息混じりの苦笑しか出て来なかったが、そこに主の手が加わった。
人の笑いや嘲笑に、主の御手が加わると、主の新しい創造が生まれ、死んだも同様のアブラハムとサラの間にイサクが、すなわち、決して失われない真の笑いが生まれ、そしてその子孫は、星の数のようになる。
なお、ゲマトリア(ヘブライ語の数字変換)から見ると、ツァディは90、ヘットは8、クフは100であるが、100と90は、イサクが生まれた時のアブラハムとサラの歳だ。そして8は、割礼の日の数字である。主は、アブラハムに割礼の契約を与え、サラも、硬い肉的な思い込みに切り込みを入れられ、そうしてイサクが生まれた。
「サラは言った、「神はわたしを笑わせてくださった。聞く者は皆わたしのことで笑うでしょう」。」(21:6)
私達も、どんなに無気力な笑いや冷笑しか出てこなくても、そこに主の御手が働く時、人のわざでは到底有り得ない「いのち」が創造される。そして主が働く時、私達は決して奪われない喜びと笑いに満ち溢れる。
今、日本のインターネット上は、冷笑、苦笑、望みを失った笑いに満ちている。この国を真の喜びで満たす事が出来るお方は、ただ、主イエス様だけである。主によって決して奪われない喜びと笑いに満たされ、そうしてこの国に真の喜びを届けて行く皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

日々、新しく造り変えられていく事を目指して(イザヤ65:17-25)
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週報/メッセージ(説教)概要

 新年おめでとうございます!古いものを過ぎ去らせ、新しくしてくださる主を誉めたたえます。
主を喜ぶ人を、主は喜んでくださり、特に、初物を捧げる人を主は喜ばれ、その人には、さらに増し加えて与えて下さいます。世の中には、新年最初のこの時間を、レジャーやイベントに興じる人々は多いですが、そんな中、誰よりも先んじて主に捧げた皆様を、主が、誰より先んじる祝福を与えて下さいますように!

『見よ、わたしは新しい天と、新しい地とを創造する。先の事は覚えられることなく、心に思い起すことはない。しかし、あなたがたはわたしの創造するものにより、とこしえに楽しみ、喜びを得よ。見よ、わたしはエルサレムを造って喜びとし、その民を楽しみとする。わたしはエルサレムを喜び、わが民を楽しむ。』(17-19)
主は確かに新天新地を創造されますが、イエス様を信じる私達は現在、その前味わいとして、日々、新しくされています。それはイエス様を信じる信仰と、それに基づいた歩みに基づくものですが、主はそんな私たちに「わたしの創造するものにより、とこしえに楽しみ、喜びを得よ。」と言われます。(18節)
「楽しみ喜べ」。命令として言われたからには、私たちは一切遠慮する事なく、主が与えて下さる新創造を、ただ、心の底から喜べば良いのです。
今、私たちは確かに主が創造された世界の中に生きてはいますが、アダムとエバは、その主が創造されたあらゆる良きものを、台無しにしてしまいました。主の言葉に逆らい、自分勝手な行動をしたからです。
彼ら以来、全被造物は破壊され、汚染され、その呪いと悲しみ・うめきの中にあります。全被造物は、神の子達の現れを待ち望んでいます。イエス様を信じて神の子とされた者達のあらわれを。(ローマ8章)

私たちは新創造、すなわち神の子に変えられる事を、実際的な希望として、望んで生きていくべきです。
私たちが全く新しく変えられ、その新創造の中で喜びを得るために支払うべきものがあります。それは、信仰です。祝福と慰め、癒し、力、勝利は、それを主に支払った人達にこそ与えられる特権です。
イエス様を自分の主とする人は、確かに救われ、新しく造り変えられ、喜びと開放感を感じるようになります。
しかし肝心な事は、それをキープし続け、イエス様と共に歩み続けていく事です。
信仰の先人たち、アブラハムやノア、エノクは皆、「神と共に歩み続けた人達」です。彼ら自身が誰よりも強かったり正しかったりしたからではありません。彼らが「主と共に歩んだ」からこそ、彼らは主の民とされ、義人として数えられたのです。私たちはキリストと共に歩み、日々救われ、義とされ、究極的には、キリストの姿形に変えられる事が目標です。 『しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。』(ピリピ3:20-21)

私たちは最終的には栄光の姿、永遠のものに変えられる、という点にこそ希望を持たなくてはなりません。
栄光の体に変えられたの自分の姿を、しっかり見れない所に、失望の原因があるからです。
イエス様に従って歩む歩みの中では、確かに、問題の解決や必要の満たし、勝利や癒しはあるでしょう。
ただ単に、願い事を叶えたいというのであれば、そういう「神々」と呼ばれるものは、世の中沢山あります。
しかし、全てを最善へと導き、最終的には神の御子の栄光の姿形へと変えて下さる神は、唯一、イエス様だけです。ですから、諸々の問題が一時的に解決された事を喜ぶだけでなく、問題が起きたなら、キリストへと向き、御言葉から解決を頂き、キリストの姿へと一歩前進した事をしっかり認知し、それをバネにして、さらにさらにキリストの似姿へと変えられて行く、というサイクルに入る事が必要です。
問題が起きた、それが解決した、また問題が起きた、それが解決した、の連続だけでは、ただ平行線をたどるだけで、進歩がありません。もし主が問題を与えて下さったなら、イエス様を見上げ、御言葉を元に解決して行こうとするなら、その過程で信仰と忍耐と御言葉が自分自身に混ぜられ、その都度、キリストの似姿に変えられて行き、より問題に捕われにくい、より完全に近づいた者とされ、そうしてどんどんキリストに近づいていくのです。
この2017年、皆さんの身に、実生活に、さらに新創造が体現され、さらにキリストに似た者とされ、神である主に喜ばれる者とされていく皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

この上もない大きな喜びを頂くために(マタイ2:1-12)
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週報/メッセージ(説教)概要

 本日はクリスマス、救い主キリストがこの世にご降誕された事を覚え、祝う日である。世間はきらびやかに輝き、親しい人同士でも、商業でも、大いに盛り上がっているが、それらはつかの間の喜びで、すぐに消えてしまう。実際、12月25日を過ぎると、あのお祭り騒ぎは一体何だったのか、と、虚しさを覚える人は多い。
ご存知だろうか。決して奪い去られない喜びがある事を。その喜びの根源は、クリスマスの主人公・キリストである。キリストに会うなら、その心は喜びに満たされ、その喜びを取り去る者は何も無い。(ヨハネ16:22)
最初のクリスマスの時、世の何にも勝る大きな喜びを得た博士達から、その喜びを受けるコツを学びたい。

キリストがご降誕された当時、東方の博士達がエルサレムの宮廷を訪ねて来た。『「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、その方を拝みにきました」。ヘロデ王はこの事を聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。』(2-3節)
預言されていた真の王が来る。それは多くのユダヤ人が待ち望んでいた事、のはずだったが、いざ、その王がお生まれになった事を聞くと、恐れや不安というリアクションが返って来た。彼らは結局、表向きは御言葉を敬ってはいても、実際は、きらびやかな自分の宮廷の中で、自分が王であり続けたいのだ。
いかに自分で自分をきらびやかに飾っても、神の大きな喜びには、あずかれない。当時、その喜びにあずかれた人は、宮廷には誰もいなかった。あずかれたのは、ただ異邦の博士たちだけだった。
博士たちは、ユダヤ人の王がお生まれになった事のしるし(星)を見て、 東方の遠くから旅をして来た。
その目的は、その方を「拝むため」。彼らはこの時、御言葉は知らないで来た。ただ天のしるしを見て、全世界を治める王がご到来した事を、それとなく知り、旅支度を整えて、贈り物を携えて、遠くから来たのだ。
神は、天から「求める心」「敬う心」「捧げる心」を持つ人をご覧になり、特別に扱われる。
彼らがエルサレム宮廷に行くと、ミカ書の御言葉が与えられ、行くべき場所はベツレヘムだと教えられた。
宮廷の者は御言葉を知っても誰も行かなかったが、博士たちは行った。結果、神の直接的な導きを受ける。
『見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。』(9-10節) 神はなんと、天体を動かして博士たちをキリストの元へと導いて下さったのだ。彼らは甚だ大きな喜びで喜んだ。(NKJV:rejoiced with exceedingly great joy)
私達はどのようにしたら博士たちのように神からの特別待遇を受け、はなはだ大きな喜びを得られるか。
それは、彼らのように、救い主キリストを求める心、敬う心、捧げる心を持って、行動する事である。
彼らはまず、天のしるし(サイン)を見、御言葉を求めてエルサレムへ行く行動に出た。そこで御言葉からベツレヘムであると聞くと、それに従って行った。結果、主ご自身が天を動かし、直接的な導きを得た。
私達も同じである。この時代のしるしを見極め、救い主のご到来が近いと悟ったなら、彼を求め、御言葉に聞き、それに従うなら、神は天を押し曲げて降りて来られ、私達は甚だ大きな喜びを喜ぶのだ。

マタイの福音書はイエス・キリストの系図で始まるが、系図の中には、本来神の民でない者なのに神の民に加えられた者がおり、また、本来神の民であるのに、除外されてしまった者達も、紙面の裏に隠れている。
神の民に入る鍵、また、神の民から除外されてしまう鍵は、「主を求める心」があるか、無いかである。
系図は14代で区切られているが、14はダビデ(דוד)の数字であり、ダビデの意味は「愛された者」である。
バビロン捕囚のような時代に生きていたとしても、預言が断たれてしまった時代であっても、そして、どんな血筋であったとしても、主を求める心を持つ人は、その14代(愛される者ダビデ)の家に、加えられるのだ。

「きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。この方こそ主なるキリストである。(ルカ2:11)」 普通、「ダビデの町」と言えば、エルサレムを意味するはずだが、羊飼い達は「ベツレヘムへ行こう(15節)」と言った。羊飼いという卑しい立場でありながら、彼らは預言者ミカの言葉を覚えており、ベツレヘム(パンの家)へ行って、見事、イエス様に辿りついたのだ。主を求める心を持つ人は、全て「主に愛される者(ダビデ)」であり、その人達(ダビデの町)のために、救い主はお生まれになったのだ。
クリスマス、というのに、誰もキリストを求めないような時代の中、博士たちや羊飼いのようにイエス様を求め、神様から素晴らしい特別待遇を味わい、何者も奪えない喜びにあずかる皆さんでありますように!

マリヤとザカリヤに示された人類全体への救い(ルカ1:57-79)
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 ルカ1章は、御使いがザカリヤに現れ彼の子供の誕生を予告する場面(A)に始まり、そして彼に子供が生まれる場面(A')に終わるが、その間に、マリヤに関する記事(B)がサンドイッチされ挟まっている。
サンドイッチ構造で一番注目すべきは、AとA'で挟まれている中身の「B」、すなわち、マリヤの記事であり、そしてマリヤの記事の中心は、前回見たとおり、彼女を通して生まれて来る男の子・イエスである。
サンドイッチのパンの部分(AとA')は、中身(B)を強調するためであるが、その「パンの部分」に注目する事によって、主がマリヤに宿らせたみどり子・イエス様は、どんな性質と役割があるのかを学ぶ事が出来る。
今回、ザカリヤの記事から、主はどのような意図をもってイエス様をこの世に送られたのかを学びたい。

ザカリヤとエリザベツの夫婦は、主の御前に正しく歩んでいたが、子に恵まれないまま老齢に達してしまった。ある日、日毎の香を捧げる役にザカリヤが選ばれ、多くの人々が外で祈っている中、彼が香を捧げるために聖所に入ると、なんと、聖所には御使いが立っていた。恐怖に襲われた彼に、御使いは言う。
「恐れるな、ザカリヤよ、あなたの祈が聞きいれられたのだ。あなたの妻エリサベツは男の子を産むであろう。その子をヨハネと名づけなさい。」(13節) 男の子が生まれる事は、この夫婦にとって長年の念願であった。
主は、御旨を成就するために、敢えて、用いる人の力と願望が尽き果てるまで待つ事がある。
マリヤやハンナのように、自分が大切に握りしめていた願望を、主の前に手放して、主に捧げる時、 主はそれを用いて大きな事に用い、そして多くの人々を救いへと導く手がかりを得られる。神はザカリヤに授ける子の名を「ヨハネ」と指示されたが、その名には、「神は恵み深い」「神の賜物」という意味がある。先々週見た通り、ベレシートの初めに示された神の「おみやげ」は、十字架につけられた御子キリストである。
神がヨハネに計画していた事は、実に、イスラエルの多くの子らを主に立ち返らせ、父の心を子に向けさせ、そうして整えられた民を、「神の贈りもの」であるキリストの元へと導く事なのだ。(16-17)

ところがザカリヤは、御使いに答えた。「どうしてそんな事が、わたし(ギリシア語:エゴ)にわかるでしょうか。わたし(エゴ)は老人ですし、妻も年をとっています」(18節) マリヤは一切エゴを発言しなかったが、ザカリヤは、主の言葉に「エゴの納得」を求め、「エゴの立場表明」した。主から与えられた言葉にエゴを主張する者の口に与えられるしるしは、「閉ざされる事」である。彼は御言葉が成就するまで、話が出来なかった。
しかしその間、主の御言葉通り、妻エリザベツはみごもり、お腹の子もすくすくと成長して行く。そしていよいよ、念願の子が誕生した時、彼は自分(エゴ)の名をその子につけず、神から示されていた通り「ヨハネ」の名をその子につけた。その時、彼の口のもつれはほどけ、その唇の最初の言葉で主に賛美を捧げた。
もはや彼は、自分の願望を突き通すのではなく、主の御言葉とご計画を優先する人となり、自分の願望が叶えられる事に遥かに勝る喜びを得る者、すなわち、主を誉めたたえ、主の喜びを味わう者となった。
「主なるイスラエルの神は誉むべきかな。神はその民を顧みてこれをあがない、私達のために救の角を僕ダビデの家にお立てになった。」(ルカ1:68-69) 彼が喜び称えたのは、神がその民を顧み、あがない(買い戻し)、救って下さるからだ。彼はこの賛歌の中で「救い」を特に強調している。すなわち、主は救いの角をダビデの家に建て(69)、敵の手から救い出し(71,74)、罪の赦しによる救いの知識を与えられる(77)、と。
このように、彼が喜んだのは、老齢でやっと子が誕生したという個人的願望が成就したからではない。彼はイスラエルの民の救いを、そして、いにしえの日にアブラハムに約束された救いの成就をこそ、喜んだのだ。

ルカ1章というクリスマスメッセージの中心部分を見る時、どうしてもマリヤやザカリヤなど「人間」がどう感じたか、という所に目が行きがちで、マリヤやザカリヤなど「人」の願望成就(ひいては私達の願望成就)について語られやすいが、主がこの全ての事を起こされた理由は、個人的願望の成就のためではなく、神の人類全体に対する救済、すなわち、主の恵みと憐れみ、救いを全人類へと示すためだ。
事実、御使いの言葉は主の「恵み」が強調され(28-38)、マリヤは賛美の中で繰り返し主の「憐れみ」を讃え(46-55)、ザカリヤは主の「救い」を繰り返し強調している(67-79)。このアドベントゥスの時期、すなわち主のご到来を待ち望むこの時期、主の救いが全人類に及ぶ事を祈り求める皆さんでありますように!

信仰と恵みが出会うとき体験するキリストの奇跡(ルカ1:26-56)
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 『御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」』(28節)
イエス・キリストの母マリヤに対する受胎告知の場面は、有名である。「アヴェ・マリア」はラテン語で「おめでとうマリア」だが、この「おめでとう」はギリシア語では「カイロー」、挨拶言葉であり、元々は「喜ぶ」「嬉しがる」「良くなる」の意味の動詞である。そしてこの動詞の女性名詞が「カリス」、すなわち「恵み」である。
「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵み(カリス)を受けたのです。」(30節)
この「恵み」は、ヘブライ語ハナン、元々の意味は、「曲げる」「かがむ」で、すなわち、上位にある者が下位に降りて来て一方的に示す好意、慈愛、憐れみのわざを言う。恵みは、上から下に降りてくるものである。
マリヤは主からの一方的な好意をいただいて、聖霊によってイエス・キリストを宿して産んだ。彼女のような幸いを頂ける人は、どういう人だろう。このような恵みは、運命的・宿命的に選ばれて受けるものではなく、おのおのの意志と選択、そして行動によって、誰でも、神様から頂くものである。
マリヤは「ほんとうに私は主のはしためです。どうぞあなたのおことばどおりこの身になりますように」(38節)と御使いに答えた。またエリザベツは、マリヤを次のように評価して言った。「主によって語られた事は必ず実現すると信じきった(ピステウオー)人は、何と幸いな事でしょう」(45節)
つまり、マリヤのように、主からの特別なご好意に預かれる人とは、主の御言葉どおりを信じ、この身・この人生に成りますように、と宣言する人、また、主が語られた事は必ず実現すると信じきる人である。
主が語られた事(御言葉)を「信じる」人に、主の恵み(カリス)は降りて来て、そして奇跡が起きるのだ。

「信じる」はギリシア語はピスティス、ヘブライ語はエムナーであり、エムナーは「アーメン」という動詞の女性名詞である。エムナーが聖書で最初に出てくるのは出エジプト記17:12、イスラエルが戦う時にモーセが背後で祈りの手を上げ、アロンとフルがモーセの祈りの手が「上がっているように支えた」場面である。
エムナーには「上昇する」という概念があり、すなわち信仰は、天に向かって、立ち上るものである。
そしてエムナーの動詞「アーメン」には、元々「サポートする、確認する、忠実である」の意味がある。
聖書に一番最初にアーメンが出てくる場面は、創世記15:6であり、『アブラムは主を「信じた(アーメン)」。主はこれを彼の義と認められた。』とある。この主の御言葉にアーメンする事こそ、主に喜ばれ、義と認められる性質だ。 たとえ御言葉の内容が、いかに信じ難い事であったとしても。
「信じる」には「連合する(to unite)」、「結合する(to band)」の意味もあり、主とたばねられ、連合し、一つになる事である。もし祈りや賛美、献金が信仰によって束ねられるなら、それは天に登って行くが、信仰が結び付けられていないなら、いかに多くの祈りや賛美、献金を捧げても、何にもならない。

以上のように、下から登って行く私達の「信仰」と、神から降りてくる「恵み」とが出会う時、「奇跡」が起きる。
「奇跡」のヘブライ語は、オット(אוֹת: 右からアレフ、ヴァヴ、タウ)であるが、先週見たように、アレフには「神」の意味、ヴァヴは「釘」、タウは「十字架」の意味があった。すなわち神が十字架につけらる奇跡である。
十字架、それは自我の死ぬ所、すなわち、自分のしたい事や考えを下ろし、死に明け渡す場所である。
マリヤのように、自分の思いや考えは下ろし、ただ「あなたのおことばどおりこの身になりますように」という信仰を持つ時、イエス・キリストというお方を、聖霊によってみごもる(宿す)奇跡が与えられる。

マリヤは信じる事により、人によらず、聖霊によって、超自然的にイエス・キリストのいのちを宿した。
聖霊によるのでなければ、誰もイエスを主とはできない。しかし聖霊の促しによって御言葉を受け入れ、信じた人々は、キリストを宿し、神の子になれるという、驚くべき、超自然的な「奇跡」が、私達に起こる。
私達もマリヤのように、聖霊によってキリストのいのちを宿す事が出来るのだ。それは、マリヤが「お言葉どおりこの身になりますように」と言って御言葉を受け入れたように、御言葉(ロゴス)を信仰によって受け入れ、私達の心の内に混ぜ込む事によってである。(ヨハネ1:12)
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救主なる神をたたえます。この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう、力ある方が、わたしに大きな事をしてくださったからです。」(ルカ1:46-49) このマリヤと同じ喜びを体験する皆さんでありますように!

聖書の最初に隠された、世に贈られるひとり子キリスト(イザヤ9:6-7)
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 アドベント(待降節)第二週目、救い主のご到来(アドベントゥス)のために心備えをするこの時である。
預言者イザヤも、預言した。重要なひとりのみどりごが全人類のために与えられる事を。キリストは、ほふり場に引かれて行く小羊のように口を開かず、打たれ、砕かれる事を。そして、彼が罪過のいけにえとなる事によって、主の御心は成し遂げられ、彼は多くの人々の救いとなる事を。(イザヤ書53章)
実は、それらの事も聖書の一番はじめの言葉「בראשׁית(ベレシート:はじめに)」のヘブライ語6文字の中に隠されている。今回も、「ベレシート」に組み込まれた意味を「DNA解析」して掘り起こして行きたい。

「ベレシート(בראשׁית)」は、右からベート、レーシュ、アレフ、シン、ユッド、タヴの順に書くが、ヘブライ語アルファベットには一語一語意味がある。ベレシートを構成するそれぞれの語の意味は次の通りである。
「ベート(ב)」:テント、家、体、家族、中に、真っ最中/ど真ん中。 「レーシュ(ר)」:頭、一人の人、最も高い、最も重要な、チーフ。 「アレフ(א)」:雄牛、優しい、力、飼いならされた/従順な、リーダー、アドナイ、教える。 「シン(שׁ)」:歯、象牙、山頂/とがった、貪り食う、焼き尽くす、破壊する、何か尖ったもの、エルシャダイ(全能の神)。 「ユッド(י)」:手、働き、為した事、終えた仕事。 「タヴ(ת)」:マーク、しるし、xまたは十字、所有権、封を閉じる、契約/捺印、2つを一つにする、最後。 これらをつなげると、次のようになる。
「家、家庭のかしら。最も重要な、一人のチーフ。従順な、力ある、優しい。全能の神、焼き尽くされ、破壊され。仕事を成し遂げた、手。十字架、しるし、契約、二つのものを一つにし、捺印した。」

これはまさにイエス・キリストのご性質と十字架による贖い、そして新契約を正確に表しているではないか!
なんと、聖書の最初の最初から、既にキリストの十字架による贖いの契約が、既に表わされていたのだ。
キリストが全宇宙という「家」のかしらであり、最も重要なチーフである事を先週見た。彼は力ある神の御姿であられるのに心優しくへりくだっており、誰でも彼の所に来て、重荷を降ろす事ができる(マタイ11:28-30)。彼は、御父の言葉に100%従順し、実に十字架の死に至るまで従われた。(ピリピ2:6-8) しかし、彼を砕いて痛める事は父なる神の御心であり、それによって彼は多くの人を義とし仕事を成し遂げた。(イザヤ53章) 彼こそ私達の平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ち壊し、両者を一つのからだとして十字架によって神と和解させ、このキリストにあって組み合わされ、神の建物となる。(エペソ2:13-22)
まさに、次のように書かれてある通りである。『わたしは終りの事を初めから告げ、まだなされない事を昔から告げて言う、『わたしの計りごとは必ず成り、わが目的をことごとくなし遂げる』と。』(イザヤ46:10)

また、ベレシートの最初二文字バル(בר)は「息子」の意味があり、次の三文字目アレフ(א)は「従順」の意味があった。そして最後の三文字「シット(שׁי ת)」には、「とげ、迫害、死」の意味がある。
בראשׁית (ベレシート) = בר (バル:息子) +א (従順) +שׁי ת (とげ、迫害、死)
つまり、息子(キリスト)の、とげのついた茨の冠と、十字架の死に至る従順も、ベレシートの中にある。
また、4,5文字目の二語「シャイ(שׁי)」は、「おみやげ、贈り物、プレゼント」という意味があり、そして最後の文字タヴ(ת)は「十字架」の意味がある。すなわち息子(キリスト)の十字架こそ、私達への贈り物である。
בראשׁית (ベレシート) = בר (バル:息子) +א (従順) +שׁי (シャイ:贈り物) +ת (十字架)

神のひとり子キリストこそ、全人類に対するプレゼントであり、彼は神に打たれ、彼の死に至るまでの従順によって、私たち人類に、救いがもたらされた。そして彼の、十字架の死に至るまでの従順のゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を、彼に賜わった。まさに次のように書かれてある通りである。
『ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。』(イザヤ9:6)
クリスマスでは、よくキリスト教会で宣言されるこの預言の言葉。それは世の始め(ベレシート)から既に定められていた事である。創造をはるかに超えた神の偉大なご計画と、そして人を救おうとされた深い愛を覚えつつ、このアドベントの時を過ごす皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

ベレシートの中に組み込まれていた神の家と、頭なる御子(ミカ5:2)
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 教会暦では今週よりアドベント(待降節)が始まる。イエス・キリストがこの世に来られた事を祝うクリスマスを前に、救い主のご到来(アドベントゥス)のために心備えをするシーズンである。イエス様がベツレヘムでお生まれになる事は、預言者ミカによってあらかじめ預言されていた。
『ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたの内から、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出る事は、昔から、永遠の昔からの定めである。』(ミカ5:2)
神は永遠の昔から、世界の基の置かれる前から、この宇宙という大きな「家」の中で、キリストというまことの花婿と、その妻であるキリスト者が共に住まうようにと、愛をもってあらかじめ定めておられた。(エペソ1:4)
まさしく「はじめ(ベレシート)」からである。実は、聖書の一番はじめの言葉、ベレシートの中に、既にその意味が隠されているのだ。今回、この「ベレシート(בראשׁית)」というヘブライ語6文字の中に組み込まれた意味の一つ一つを明かして行き、ベレシートというヘブライ語の「DNA解析」をして行きたい。

ベレシートに秘められている意味の一つは、「家(בית)」である。
בראשׁית (ベレシート) = בית(ベイト:家) + ראשׁ (ロシュ:頭、支配者)
ベイトには家、家庭の他、神殿の意味もあり、今日で言うところの「教会」である。はじめに神は、天(複数形)と地とを創造された。その諸天とは「大空」と「宇宙」、そのさらに上にある「天国」であり、その3つの天を全てひっくるめ、大きな「家」として創造され、そしてその支配者(ロシュ)として君臨しておられる。
ちなみに「宇宙」という漢字は「大きな家」としての意味があり、ヘブル思考を反映している。漢字は太古から存在した言語で、聖書の内容とよく一致する語が沢山あるが(香港のチェ先生は、論文で聖書を背景にした漢字の単語を200挙げている)、元々一つだった言語がバベルの事件で分解した後に、ノアから語り継がれた先祖達が、漢字に意味付けをして行ったのだろう。
宇宙は大きな家である。神は大家庭である教会を構築するために宇宙を創られ、神の御子なるイエス・キリストを、ベツレヘム(「ベイト(家)」+「レヘム(パン)」)に出生するように、永遠の昔から定めておられた。

ベレシートに秘められている意味のもう一つは、「バル(בר):息子」である。
בראשׁית (ベレシート) = בר(バル:息子) + אשׁית (シット:(私は)置く)
神は、はじめのはじめから、息子(御子キリスト)を、かしらとして置かれていた。『御子は、見えない神のかたちであって、全ての造られたものに先だって生れたかたである。万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これら一切のものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている。そして自らは、そのからだなる教会のかしらである。』(コロサイ1:15-18)

ベレシートに秘められている意味のもう一つは、「バラ(ברא):創造」である。
בראשׁית (ベレシート) = ברא(バラ:創造) + שׁית (シット:置く)
ベレシートから最初の字「ベット(ב)」を除いた「ראשׁית(ロシット)」は、「はじまる」の意味の他に、「建てる、作る」という意味もある。すなわち、この宇宙という「大きな家」を神がはじめられ、御子キリストを”かしら”とし、完全な秩序をもって建てられた。そして神が特に御心に留められる「教会という大家庭」は、御子キリストをかしらとしてこそ、完全な秩序が保たれるのである。

預言者ミカは、ベツレヘム(パンの家)・エフラテ(実り多き地)から、イスラエルを支配する者が生まれる事を預言し、それは、太古よりの定めであると預言した。イスラエル(イスラ+エル)、それは「神と相撲を取る者」、「神のように支配する者」であり、すなわち信仰によって神と共に歩む私達こそ霊的イスラエルである。
ベツレヘム・エフラテのように最も小さい者であっても、メシヤがお生まれになる事が大昔から定められていたように、私達も、どんなに最も小さい者であっても、信仰により全宇宙の主人であるイエス様が出生し、実り多きパンの家となる事が出来るのである。このイエス様にあって豊かにされる皆さんでありますように!

大地が喜んで実りを結ばせるために(創世記1:24-31)
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 本日は収穫感謝祭、主があらゆる良き産物を実らせ、私たちに与えて下さった事を感謝する日である。
人は、大地の実りに喜び沸き立つが、実は全被造物は、キリストにある人々のために創られたのであり、神はその事を、世界の創られる前から既にご計画しておられた。(マタイ25:34、ヨハネ17:24、黙示録13:8)
「神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。」(エペソ1:3-5)
神はまさに、人が居住すべき環境を整えるために六日間を通して、全世界という大舞台を整えた。この創造の六日間は、第一日は第四日に、第二日は第五日に、第三日は第六日に対応するという「キアズム・パートナー」の関係にある。すなわち、神はまず光と闇を切り分け、天に光と闇を司る「光るもの」を設けられ(第一日・四日目)、また、大空と海とを切り分けて、空と海に生きる生き物を創られた(第二日・五日目)。
そして第三日、神は海と陸とを切り分ける事と、地の上に青草や種をもつ草や種のある実を結ぶ果樹を生えさせる事とを、行った(9−13節)。果実が分化し、増え広がる命令である。主がそのように命じられたとたん、大地からはあらゆる種類の、色とりどりな木や草を生えさせ、良き果実を実らせた。それは、第六日に創られる地上の生物達と、そして神の似姿である「人」の食料として与えられるためである。
神は第二日には「良し」を言われなかったが、その代わり、第三日には「良し」を二回言われた。
そして、第六日、神は地上を生きる生き物を創造し、また、神の似姿、神のかたちとしての「人」を創造された。『神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。』(28節)
そして神は、第三日に生えさせた大地の実りを、食物として彼らに与えられた。『神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。また地のすべての獣、空のすべての鳥、地を這うすべてのもの、すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える」。そのようになった。』(29−30節)
そして神は、神の似姿としての「人」と、全生物のために、自ら進んで祝福し、いのちが増え広がる事を応援し、その全てのいのちの営みの有様をご覧になられた結果、「はなはだ良い」と評価された。(31節)

今、世界が「はなはだ良い」状態からかけ離れているのは、人が、創造者である主の御言葉に反し、主から離れ、好き勝手に歩んでいる故だ。今、全被造物はうめきつつ、「神の子」たちの現れを待ち望んでいる。
主が「良い」と認め祝福して下さる人とは、創造者なる主の言葉を守り行い、主と共に歩む「神の子」である。
罪が入る前の人類に、主は「生めよ、増えよ」の祝福を与えたが、それと同じ祝福を受けたのがノアであり、アブラハムである。彼らに共通する事は、創造者の言葉を信じて守り行ない、主と共に歩んだ事だ。
彼らのように、父なる神様の御言葉に従って歩み、神の霊に導かれて歩む「神の子」こそ、祝福を受けるに相応しい。神は、彼らのような神の子たち繁栄し、増え広がり、地を治めていく事を望んでおられ、そればかりでなく、動物達も、大地も、全被造物も、それをうめきつつ望んでいる。(ローマ8:19,22) そして、御言葉に従順しない人には、土地はいばらやあざみを生えさせ、彼らは土地を耕して労苦して地の産物を得なくてはならない(3:17-19)。しかし御言葉に従順する人には、大地は喜びつつ作物を生じさせるのだ。

人類に罪が入る前、神は人に、全種類の実は、「善悪を知る知識の木」以外は好きなように食べて良いと言われた。御言葉に従っている間、人は一切、不足に憂う事や不安が無く、ただ神が下さった自由の中に生きていた。主に命じられる通りに行っている限りは、呪われるべきものは全く無いのだ。
全被造物は、人のために創られ、そして人は、キリストのために創られたのだ。全被造物は、人がキリストにあって贖われる事を切望し、慰められる事を求めている。もし私達が御言葉に従い、神と共に歩むなら「神の子」であり、大地も全被造物も私達を喜んで受け入れ、良いものを生えさせるが、創造主に逆らって歩むなら、地は呪われ、いばらやあざみを生えさせる。御言葉に従い、神の子として全被造物から歓迎され、キリストに喜ばれる者として歩む皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

神を証しする宇宙の天体 (創世記1:14)
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 先週、合衆国大統領選において、ドナルド・トランプ氏が次期大統領に就任する事が決まった。天声でトランプ氏が大統領になるようにと具体的に祈り出したのは9月初めからだったが、それは、彼の対立候補・ヒラリー氏の掲げる政策が、神が定めた創世記1章の祝福、すなわち、「男と女とが、産んで、増えて地に満ちて行く事」に真っ向から反するものであり、対してトランプ氏は、 妊娠中絶・同性愛に対して真っ向から反対し、さらには彼は、合衆国は建国当初のキリスト教精神に戻らなければ未来はない、と言っていた。
彼の言動には確かに色々な問題があったものの、そのような彼の未熟さは取り除かれ、彼の神様に対する誠実さによって今後の合衆国が運営されて行くようにと、祈っていたが、神様は憐みを注いで下さった。
メディアも世界も皆、ヒラリー氏が当選する、と定めていたのに、合衆国民は、トランプ氏を選んだのだ。
これで合衆国は、罪を増し加えて行く事が抑えられ、聖書に基づく価値観が推し進められていく道が開かれた。これからも、主の支配が、主のいのちの統治が、正しく全世界に増し加わって行くよう祈りたい。

この宇宙の事、地球の事、天地自然の事、そして、人の営みには、「時」があり、シーズンがある。
明日14日は、月が地球に最も接近する「スーパームーン」であるが、過去の歴史においても世界が大きく動く時は日食や月食、惑星直列などの「天のしるし」が現れる事が多かった。古来より、このような「天のしるし」と、異変・政変が起きる事の法則性を元に、占星術や占いじみた色々なものが発展して来たが、元々、太陽や月、日、星などの天の星々は、主が生きておられる事を証するためのものである事が書かれてある。
『天の大空に「光(マ・オール)」があって昼と夜とを分け、「しるし(オト)」のため、「季節(モエド)」のため、「日(ヨム)」のため、「年(シャナー)」のためになり、天の大空にあって地を照らす光となれ』(創世記1:14)
主は、昼と夜を区別するために、天に「光体(マ・オール)」を創られた。主は第一日目に、光そのもの(オール)を創られ、宇宙は光と闇とで分けられた。人は、星や銀河など宇宙から来る可視光から宇宙を観測・分析できるが、天体現象は、そうした「見えるもの」だけでは説明がつかない。宇宙空間の物体が無い所は、実は何も存在しない所ではなく、「銀河を留めて置くほど強力な引力を持つ、見えない闇の何か」が満ちていなくては説明つかないという。それは「ダークマター」と呼ばれているが、未だ解明されていない。
それは目で見る事は出来ないが、そこに存在する事は知っているという点から「風」に例えられているという。ともかく宇宙は、神が分けた光と闇で充満しており、その光も闇も、共に、宇宙を保全しているのだ。

神は光の「発光体(マオール)」を、すなわち太陽、月、星々を創られ、それらに4つの役割を与えられた。
その一つ目の役割は、「しるし(オト)」であり、これは「象徴」「しるし」、英語では「sign」と訳される。
二つ目は「季節(モエド)」、季節と訳されているが、込められている意味は「証」「約束」「証人」、すなわち、約束された出会い、約束された日、約束された時間、約束された場所など、「祭(まつり)」をあらわす。
すなわち月や日、星は、主の「証人」であり、主はそれら天体の「光るもの」を、無造作には創られず、主はイスラエルの民に、日、週、月、年ごとの祭りを行って主を覚える事を命じられた。(レビ記23章)
三つめは「日(ハ・ヨム)」、「日」と訳される事が多いが、24時間の日の他に、年、一定の期間をあらわす。
「ヨム」という単語は、13節以前に4回使われたが、この14節、天体の光るものが創られてから初めて冠詞「ハ」がつけられた。すなわち、この14節で、はじめて一日24時間という概念が生まれた、という事である。
「ヨム」は「熱」の意味が元となっている。私たちが生きる地上が光に、熱に覆われているのは、私たちを保護して下さるためだ。先の「ダークマター」の性質の一つとして、熱を発さない、という天があるが、神は冷たい闇から温かい光を取り出し(3節)、それによって地上を囲い、保ち、保全しておられるのだ。
四つ目は「年(シャナー)」、英語で「Year」、地球は太陽の周囲を、365日と5時間48分46秒で周る。
それが一年であり、だから4年に一度、うるう年がある。神の秩序は、天地が創造されて以来、狂った事は無い。ただヨシュアとイザヤの祈りを聞かれた時以外は。なぜなら太陽、月、星は、主を証するものだから。

このように主は太陽や月などの「光るものを「しるし」として、主を「証」するものとして、そして主を覚えるものとして定められた。アブラハムは夜空を見上げ、自分の子が星々のようになる事を信じ喜んだ。今、この暗闇の世を、光の子として輝かせる皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

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