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メッセージ - 主日礼拝カテゴリのエントリ

主日礼拝
祝福に入るための3つの動詞(申命記28:1)
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成田エクレシア礼拝 音声

 出エジプト記は、神の民が、神の敵である不当な者達の下で奴隷状態となっている所を、主が救い出して下さる記述であった。主は圧倒的な力でエジプトを打ち、神の民を脱出させて下さった内容を、先週見たが、脱出したらそれでハッピーエンドかというと、そうではない。むしろ、もっと長い旅路のスタートなのだ。
私達は、エジプトやパロなど、「目に見える敵」に対する勝利や解放が達成したら、これでもう大丈夫、あとは好きにやって良い、と思ってはならない。エジプトを脱出しても、神が約束した地に入れたのは、わずかだった。むしろ私達の中に身についている、滅びに至らせる奴隷根性や、貧乏ぐせ、縮こまった考え方、恐怖してしまう思考パターンから「脱出(エクソダス)」してこそ真の解放であり、祝福のパターンに入るのだ。
神の国から離れた所(エジプト、世)で身につけてしまった奴隷根性といった「滅びぐせ」を拭い去るために、主が用意された所が「荒野」である。荒野はヘブライ語で「מדבר(ミッドバル)」、「דבר(ダバル:言葉)」に場所を表す前置詞「מ(メム)」がついて、この言葉となった。だからヘブライ語的には、荒野は「言葉」が場所取りをする所で、この荒野での40年の行程を記したのが、民数記(ベミッドバル:「荒野にて」)である。
民数記は、まことにダバル(言葉)と密接に関わる書である。民数記10章までは、人間ダバルは一切無く、ただ神のダバルのみで、何の事件も起きていないのに対し、11章以降、神のダバルを人間ダバルで押しのける人々が打たれたり死んだりする事件が起こり始める。災いに遭う人は、例外なく、神の言葉を退けて人間言葉を主張した人々だ。結局人は、どの言葉を場所取りさせるかによって、生か死かを決定する。
主が約束して下さった地に至る途上、私達が身につけてしまった奴隷根性などの「滅びぐせ」を抜き取るために、主が用意された場所がミッドバル(荒野)で、そこは、御言葉を聞いて従う場所である。そこは、御言葉を「聞いて」「従う」なら、生きる。しかし、神の言葉ではなく「人間言葉」を聞いて従うなら、死ぬ。
今回の韓国コーエンでは、カン先生からは申命記を、キム先生からはマタイ福音書を学んだが、マタイ福音書全体をあらわすのは、申命記28章で、特に、以下の1節が重要な箇所である、という事だった。
『もしあなたが、あなたの神、主の声に「よく聞き従い」、わたしが、きょう、命じるすべての戒めを「守り」「行う」ならば、あなたの神、主はあなたを地のもろもろの国民の上に立たせられるであろう。』(申命記28:1)
申命記28章は、祝福と呪いの宣言章であるが、祝福の最たる条件が、以下の三つのとても重要な動詞、「聞く(שָׁמַע シャマー)」「守る(שָׁמַר シャマール)」「行う( עָשָׂהアサ)」から成り立っている。

1.「よく聞き」: この原文はシャマー(聞く)の2回繰り返しの強調「シャモア・ティ・シャマ」である。ヘブライ語は反復する事で強調の意を表す。神の民が祝福を受けるためには、真っ先に、神の言葉を「聞く」事だ。『信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。』(ローマ10:17)
2,「守る」: このヘブライ語シャマールは、茨など棘のついた生け垣で囲う、という意味が転じて「守る」という意味になった。御言葉を聞いたなら、その御言葉を巡らし囲う事によって、世とサタンから守るのである。
御言葉という防御が無い人は、世の有毒な情報や、心を傷つける悪意ある闇の言葉、そして、サタンの誘惑や攻撃が、そのまま入って来てしまう。しかし思いと心を御言葉で垣根を巡らしているなら安全である。
3,「行う」; アシャーは「する」の意味の他、「つくる」、「(実を)結ぶ」の意味があり、天地創造の創世記1章では、7回も使われている。私達に蒔かれた御言葉という種は、「行う」事によって、実が結ばれるのだ。
種まきのたとえにおいては、私達人間は土地であり、御言葉を聞いてそれを守り行う(アシャーする)人は100倍、最低でも30倍の実を結ぶが、聞いても守り行わない人は、道端、岩地、茨の地のような人である。
4つの土地の人は全員、神のことばを「聞いた」のであるが、それを行ったのは「良い地」の人だけであった。
『良い地に落ちたのは、御言を聞いたのち、これを正しい良い心でしっかりと守り、耐え忍んで実を結ぶに至る人たちのことである。』(ルカ8:15) この御言葉で示されている通り、種まきのたとえで、唯一実を結ぶ人には、この祝福される三つの動詞「シャマー(聞く)、シャマール(守る)、アシャー(行う、結ぶ)」がある。
どんな岩地のような、茨のような人でも、聞いて、守り行うなら、最低30倍の実を結ばせる事ができる。私達は、約束の安息の地に入るまでの途上、荒野(ミッドバル)を通って行かなくてはならない。そこでは、ただ神のダバルを聞いて守り行っていくなら、速やかに入る事ができるが、もし人間言葉にまみれ、御言葉を守り行わないなら、入れない。御言葉のテフィリンで囲い、良い地に入っていくみなさんでありますように!

主日礼拝
否定される事への恐れを取り扱われる主(出エジプト記7章-12章)
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 主の民が、主の敵である不当な者達の下で奴隷となっているのを、主が救い出して下さる箇所が出エジプト記である。主は今の私達も「世」というエジプトから、「サタン」というパロから救い出して下さる。今回も、私達に奴隷を強いる者から、そして、私達自身が身につけてしまった奴隷根性や貧乏ぐせ、縮こまった考え方や、特に今回は、否定される事への恐怖からエクソダス(出エジプト)させて下さる主の導きを学びたい。

主は、恐れて弱気であったモーセを徐々に鍛えられた。彼がパロと対面し、主の言葉を伝える度に、主のわざは誠実に成され、しかしパロはなおも頑固になり、主の民を奴隷として虐げる事を止めず、主を認めない。それで次々と災いに遭って行く。反対に、モーセと神の民は、ますます主にあって自信を得て行く。
結局モーセは、パロとの交渉において9回もパロに断られる。普通、9回も拒否されれば、凹むところだが、この箇所を読んでいると、拒否された所で心のダメージはあまり無く、むしろ「ああ、また拒否した。本当に学習しない人だなあ、今度は主はどんな事を起こされるのだろう」と期待するようになって来る。
私達もそうである。奴隷状態だった時に身に着けてしまった、すぐ凹む心、「どうせ言っても無駄だ」「拒否されたくない」「だから、やらない」「勇気出してやってみた、けどやっぱり拒否された」「また傷が一つ増えた」「もう引き籠もろう」といった心のパターンも、主はその傷を癒やし、回復し、自信をつけさせ、大胆にさせて下さり、ついには、積極的に主の言葉を伝え、主のわざを積極的に為す者へと造り変えてくださる。
主に造り変えられるなら、相手がどんなに断ったとしても、心が傷つけられる事なく、むしろ、主はこの状況をどのように最善へ変えて下さるのだろう、という「期待」を持つようになって行く。モーセがそうだった。
第一の災いの場面においては、主は、モーセが直接対決する形にはせず、兄のアロンに命じる事によって災いを降らせ、怖がり屋のモーセでも、主のわざが出来るようにして下さった。第二の「かえるの災い」では、パロがモーセにかえるを取り除くよう、祈りの要請をするようになり、第三の災いでは、モーセに対抗する呪法師の口から「これは神の指です」と言わせるまでになった。第四・第五の災いは、モーセの言葉によって災いが降るようになり、そして主は、神の民とエジプトとを明確に区別しておられる事を示された。第六の災いでは、呪法師達にも腫物が現れ、彼らはもうモーセと張り合う事を止めた。
第七の「雹の災い」以降、モーセが杖を向ける事によって災いが降るようになって行く。しかも、モーセの警告を聞いて主の言葉を恐れたエジプトの家臣達は、彼らのしもべや家畜たちを避難させたが、主の言葉を心に留めなかった者達は避難させず、甚大な被害を被った。第八の「いなごの災い」の予告場面では、家臣達のほうからパロに進言し、彼らに主に仕えさせて下さい、とお願いするまでになる。
第九の「闇の災い」の時には、パロは「行け。主に仕えよ。ただお前達の羊と牛は、留めておけ。幼子はお前達と一緒に行ってもよい。」と言ったが、モーセは大胆にも「あなた自身が私達の手にいけにえと全焼のいけにえを与えて、私達の神、主に捧げさせなければなりません。私達は家畜もいっしょに連れて行きます。ひづめ一つも残すことはできません。」と交渉をし、それが決裂しても、悠然と退出した。(10:24-29)
そして最後の災いの直前には、主は、エジプトにイスラエルに好意を持つようにされ、モーセもエジプトの民や家臣から非常に尊敬されるようになった。そして最後の災い、エジプトの全ての初子が死ぬ災いを宣言する時、モーセは怒りに燃えてパロの所から出ていき、パロは黙って見送るしか無かった。

このようにモーセは、主の御業を為す事に段々自信を持つようになって行き、最後は、エジプトの民からも尊敬され、そして彼らが出ていく時、ユダヤ人は大胆にエジプト人に金銀財宝をねだり、エジプト人は喜んで彼らに与えた。主はまことに、働き人を段々と力づけ、主の働きをする事に大胆にならせて下さる。
最初、モーセは、「やっても無駄だ」「もっと悪くなった」「もうやりたくない」といった思考パターンだったが、最後には「パロがあんなに拒否してくれたお蔭で、こんなに良くなった」と、むしろ拒否してくれて感謝しているのではないだろうか。それは「主の御業が多くなり、主が真実である事を私達が知るため」だ。(11:9)
私達も、御言葉を行う事ゆえに、夫や妻、子供、友人から拒否されるかもしれない。しかし御言葉を伝えるなら、あとは主が全てを「良し(トーブ)」へと導いて下さるのだ。たとえ拒否されたとしても、むしろ、主はどんな方法の最善へと導いて下さるのだろう、と、希望が湧いてくるのだ。そして私達は、どんどん貧乏根性や縮こまった考えから解放され、勇気づけられ、大胆になって行き、大いに用いられるようになって行く。

主日礼拝
御業を行う為に徐々に勇気を与えて下さる主(出エジプト記7:1-8:19)
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成田エクレシア礼拝 音声

 主の民が、主の敵である不当な者達の下で奴隷状態になっている所を、主が開放させて下さる箇所が、出エジプト記である。主は現代の私達も、「世」というエジプトから、「サタン」というエジプトの王パロから、救い出して下さる。今回も、私達に奴隷を強いる者から、また、私達自身が、身につけてしまった奴隷根性や貧乏ぐせ、縮こまった考え、ケチケチ精神などからエクソダス(出エジプト)させて下さる主の導きを学びたい。

前回、モーセは弱さ故に主の言葉通り伝えられず、しるしも行えなかった。しかし主はパロの口を操作し、「しるしを行って見せよ」と言わせ、それで彼は主から命じられた通り、杖を蛇に変えるしるしをパロの前で行う事が出来た。まさに「主の上げ膳据え膳」によって、私達にも自信をつけさせて下さる主の恵みを見た。
ところで蛇といえばサタンを思い出すが、主のわざを示すしるしが、なぜ「蛇」なのか?主はサタンに活動許可を与える事も、尻尾をつかんで封じる事もできるのだが、それは私達・主に遣わされた働き人にも、与えられた権威である(マルコ16:18)。モーセが持っていたのは、羊飼いの杖であり、それは元来、羊を牧するためのものだが、それを手離して地に投げやると、蛇になる。私達が、羊達を正しく治める権威を行使せず、地に放り投げるなら、それは蛇となり、悪童達の野放し状態となって手がつけられなくなってしまうのだ。
子供達や部下達を、わがままな怠け状態に、罪をし放題の状態で放置し続けるなら、彼らの罪を満足させるための奴隷となって、家も組織も破綻し滅んでしまう。サタンを踏みつける事を躊躇したり、同調したり、見てみぬふりをして野放しにし続けるならは、蛇から良いようにされてしまうが、主は「蛇の尻尾を掴め」と言われる。そうであるからには、私達は主イエス・キリストの御名によって掴み、奴隷根性に勝利すべきだ。
パロはこれらを見たにもかかわらず、ますます心頑なになってしまうが、失敗ではない。さらなる主の御業を起こす引き金となるからだ。私達も主から示された通りに御言葉を発言し、しるしを行うべきである。それをしたなら、主が敵を「攻撃」してくださる。これ以降、主は、しもべモーセを通してエジプト攻撃へと転じる。

主がモーセを通して降される災いの内、最初の3つはモーセがアロンに命じる形で災いを降らせ、続く3つの災いはモーセが宣言すると起こり、その後の3つの災いは、モーセの手の杖で行わせている。
主はモーセに、御業を行う「自信」を徐々につけさせ、トレーニングしておられたのだ。私達にも同様である。
モーセはパロに警告を与える。主の民に礼拝をさせよ、さもないとナイルの川と水を打ち、血に変える、と。
しかしパロは警告を聞き入れない。それで主は、モーセがアロンに伸ばさせた杖を通して、ナイル川の水を血に変え、全エジプトの生活に支障が出る形で、災いが降された。ナイル川は、ヘブル人の男の子が投げ込まれ、殺され、その血が混じっている。主はそれに正しく報復をされたのだ(黙示録16:5-7)。
しかしパロは心を頑なにして、心に留めなかった。それは、第二の災い・かえるの災いが降るきっかけとなる。モーセは同様に警告を与えたが、パロは聞き入れず、それで、エジプト中かえるだらけになる。
かまども、かごもこね鉢も、寝台も。この災いで若干の進展がある。パロはモーセに、かえるを取り除くように、祈りの要請をしたのだ。パロは「あす」を指定し、モーセはその通りにすると約束した。モーセは帰ると、主に叫んで求めた(8:12)。かえるが時間指定で全滅するなど、人には不可能な事なので必死になったが、主に不可能は無い。モーセが約束した通り、主は翌日、かえるを死に絶えさせた。モーセはまた一つ経験し、主のわざを行う事で大胆になって行く。パロは災いの収束を見ると、感謝もせず、約束も守らず、心を頑なにしてイスラエルに礼拝させなかった。パロはこうして、エジプトに、さらなる災いを招いてしまう事となる。
『主はモーセに言われた、「あなたはアロンに言いなさい、『あなたのつえをさし伸べて地のちりを打ち、それをエジプトの全国にわたって、ぶよとならせなさい』と」。』(8:16) 第三の災いは、ぶよの災いである。
モーセはアロンに地のちりを打たせると、それは人や動物にまとわりつく虫となってエジプト全土に満ちた。
この災いは、呪法師達にも真似出来ず、彼らは『これは神の指です』と言った。こうしてモーセは、ますます主の御業を為す事に自信を持つようになって行く。主はまことに、そのように働き人を力づけて下さる。
主は真実であり、主が為しなさい、と言われるなら、それは100%為すべきだ。奴隷状態から抜けだせない人とは、主から命じられた御言葉を実行しない人、攻撃すべき敵を攻撃しない人、権威に立たず今まで通り奴隷のままいる事である。私達は主が創世当初に命じられたように、主の御言葉に従って統治するべきなのだ。へびをも掴み、御言葉の剣を振りかざして敵を攻撃し、神の民を救う皆さんでありますように!

主の上げ膳・据え膳(出エジプト記5章)
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成田エクレシア礼拝 音声

 聖書の中で、エジプトは神の民を奴隷にする「奴隷の家」と表現されている。そこから神が解放して下さった記述が出エジプト記であり、主は「わたしはあなた方を奴隷の家から贖い出した、あなたの神、主である」と何度も語られた。主は私達をも、「世」というエジプトから、そして「サタン」というエジプトの王パロから、救い出して下さる。今回も先週に続き、奴隷を強いる者および「奴隷根性」から脱出する術を学びたい。

モーセはかつてエジプトにひどい目に遭わされ、恐れていたが、神の言葉によって奮い立ってエジプトに戻り、パロと対峙する。『パロに言った、「イスラエルの神、主はこう言われる、『わたしの民を去らせ、荒野でわたしのために祭をさせなさい』と」。』(出エジプト記5:1) 日本では、横暴な支配者からの要求を最優先にさせられ、礼拝がままならない事が多いため、この種の真理を貫く戦いが頻繁に行われるかもしれないが、この種の戦いは、神の言葉を正確に宣言する所から始まる。モーセはまずそれに成功した。
『パロは言った、「主とはいったい何者か。わたしがその声に聞き従ってイスラエルを去らせなければならないのか。わたしは主を知らない。またイスラエルを去らせはしない」。』(2節) パロの答えは、実に想定内だった。ただし、こう言えばこう返ってくる、と想定して、諦めて何も伝えないのは、100%の敗北である。
兎にも角にも主の言葉を宣言する事が、勝利の第一歩である。モーセはこのパロの迫力に飲まれてしまう。
『彼らは言った、「ヘブルびとの神がわたしたちに現れました。どうか(「ナア」:お願いですから)、わたしたちを三日の道のりほど荒野に行かせ、わたしたちの神、主に犠牲をささげさせてください。そうしなければ主は疫病か、つるぎをもって、わたしたちを悩まされるからです」。』(3節) 神は果たして、礼拝が出来ずに悲しむ民を、疫病か剣をもって悩まされるだろうか?真逆である!4:22-23を見ると、神の子である彼らに礼拝させるのを拒むなら、神は「パロの長子を殺す」と言っておられた。モーセの言葉は、優しさでも謙遜でもなく「卑屈」であり、サタンは、卑屈な言葉に対して、もっと調子に乗って無理難題を吹きかけてくる。
御言葉をアタマで覚えていたとしても、いざ偉い人の前で、ここぞという時に宣言しようとすると、頭が真っ白になったり、せっかく蓄えた御言葉が出なかったり、あるいは、間違って言ってしまったりする事がある。
御言葉は本来、心の中に「存在(ハヤー)」させ、その存在があふれるばかりにさせなければいけないのに(申命記6:6)、それをしていない状態だと、このようになってしまうのだ。サタンは、御言葉の存在があやふやな状態の人には、調子に乗って、御言葉とは真逆の事を要求して来る。エバの時もまさにそうだった。
『エジプトの王は彼らに言った、「モーセとアロンよ、あなたがたは、なぜ民に働きをやめさせようとするのか。自分の労役につくがよい」』(4節) パロはモーセの怖気づいた様に力を得、ますます神の民を虐げる。
パロはさらに調子づいて、そんな事を言うなら、もうレンガ造りの材料は与えないが、徹夜残業してでも元々のノルマは達成せよ、と突きつける。日本はまさにそういう霊が働いている。主日に礼拝に行く人を「なまけもの」と呼び、無私で働く事が美徳であるかのようにして、家庭を、いのちの営みを、貶める。
主にあって王であり、祭司であるキリスト者が、パロの「自分の労役につくがよい」という言葉に「はい」と言ってひれ伏し、王かつ祭司の務めを放棄してパロの労役に勤しむとするなら、何と本末転倒な事だろう。
しかし残念ながら、実に多くのキリスト者が、本来の務めを放棄し、パロが命じる苦役に奔走しているのだ。

モーセは長年、奴隷のような縛りを受けて気弱になり、口下手になってしまっていたため、最初の会合は、いわば「失敗」に終わったかもしれないが、主はそんな人間の弱さをちゃんとご存知で、フォローして下さる。
ちょうど、子供のたった一度の失敗をもって、親が子供を永遠に見放すなどという事は、あり得ないように。
モーセは、この最初のパロとの会合で、主の言葉どおりの「しるし」を行う事が出来なかったが、7章8-10節を見ると、主は、パロの口を通して「しるしを行って見せよ」と言わせ、杖をへびにするしるしを披露できた。
主は、私達の弱さ故に御言葉をその通り宣言できないとしても、しるしを行う機会を逃してしまったとしても、敵の思考や唇をも支配して、お膳立てし、私達に御言葉を語らせ、しるしを行わさせてくださるのだ!
 主が私達の弱さを知り、主の御言葉を伝え、御業を成そうとする者には、敵を支配してでも、私達が成功するまで、そう下さる。そうであるからには、何度でもチャレンジするべきである。最も良くないのは、主の「上げ膳据え膳」に乗らず、あきらめて何もしない事、元の奴隷に戻って、口を開かない事である。自信をもって御言葉を伝え、御業を為していく皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

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私達に出来なかった清めを躊躇なくして下さる聖霊(ローマ8:1-13)

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 暫くネヘミヤから聖霊の性質を学んでいた。ネヘミヤの名は「神の慰め」という意味で、そのまま聖霊のご性質である。彼が来る前のエルサレムは霊的にも物理的にも荒れ放題だった。霊的指導者のはずの大祭司エルヤシブが、トビヤという汚れた者と結託し、礼拝を疎かにし、神殿にトビヤの私物を置き、民も罪と結託するようになって、神殿で働くべきはずのレビ人は、泣く泣く自分の畑へ逃げ帰った。そこにネヘミヤは来て、トビヤの私物を、聖なる場から放逐して清め、主への捧げ物を回復し、怠慢な指導者達を詰問した。
ネヘミヤによってでなければ汚れた者の占拠状態が改善されなかったのと同様、御霊によってでなければ、私達という神殿のきよめは出来ず、罪の性質も、根付いてしまった汚れたクセも追い出せない。『なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。』(2節) 

肉の頑張りによって肉に刺さった罪に勝とうとしても、無駄なのだ。肉にある者は、律法の要求うを決して全うできないからだ。しかし御霊に従って歩む人は、律法の要求が全うされる、と書いてある。(3-4節)
律法は、人を造り変える事も、永遠のいのちの救いへ導く事も、できない。事実、律法を持っていたイスラエルの歴史は、堕落と災いと、悔い改めと祝福と、また堕落、というサイクルの繰り返しだった。しかし私達は、キリストを信じる信仰によって新しく生まれ、罪と死の法則から解放された。ただしその「生まれ変わり」が実体となって、見える形で表れるのは、聖霊による新生と更新との洗いによって、なのだ。(テトス3:4-6)
ネヘミヤの時代、エルヤシブという肉と罪と結託する者に、人々は泣く泣く従うしかなかったが、ネヘミヤは見事、汚れを一発で除き去り、神殿も民の生活も刷新したのと同様、聖霊は、私達が泣く泣く従うしか無かった罪と死の法則に対抗し、私達にはできない「清め」をして下さる。私達は肉の力では太刀打ちできないが、ネヘミヤ、すなわち、慰め主・聖霊なら、対抗して勝利して下さるのだ!
悪しきものを追い出すのは、聖霊である(マタイ12:28)。聖霊はその人の中で働いて良いわざを為し、悪魔に押さえつけられている人々を癒す(使徒10:38)。いくら肉で力を込めても、奇声で叫んでも、術者のように手を動かしてみても、悪霊は出ていかないし、私達の中の汚れたクセも出ていかない。しかしネヘミヤは躊躇なく悪を出て行かせたのと同じように、聖霊が私達を支配するのであれば、私達の中で場所取りしていた罪や、止められなかった汚れたクセは難なく追い出して下さり、解放のわざを為して下さる。

どうしたら聖霊が与えられるのかは、度々メッセージして来たように「求め、探し、叩く事」(ルカ11:9-13)であるが、本日学ぶべき重要な性質は「従う心」である。『肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊の事を思うからである。』(5節) 教会はキリストの花嫁であり(エペソ5:22-24)、花婿キリストに従う立場にある。
もし自分は花嫁だと主張し、立派に花嫁の格好をしていても、夫に従わず、ただ下さい下さいと言っているだけなら、夫は何かをするだろうか。何時間祈祷しても聖霊が与えられないとするなら、服従する気が元々あったかどうか疑った方がいい。私達は、主人であるキリストの御言葉に従った上で、聖霊を求めるべきだ。
聖霊との関係は「人格的な交わり」、すなわち由意志のある者同士の交わりであり、聖霊の言われる事に聞き従う心を持って歩む人には、主は喜んで聖霊の賜物を増し加えて与えて下さる。聖霊充満とは、聖霊に自分自身を支配させていただく状態なのだ。サウルは一時的に充満だったが、服従する気がさらさら無かったため、聖霊は続けて留まらず、かえって、逆らうことを好む霊、すなわち、悪霊充満になってしまった。
たとえ私達が、肉に負けてしまう事があるとしても、御霊が私達の内に宿っているなら、それによって死ぬべき体をも生かして下さる。御霊は、肉の行いを殺すからである(11-13節)。神殿の中の、汚れたトビヤの私物は、エルヤシブという悪と結託した祭司の支配下にあった人達には、捨てきれなかったが、ネヘミヤはポイポイ捨てた。それと同様に、私達も聖霊に従うなら、私達が罪と結託して手放せなかった汚れたものをも、聖霊はポイポイ捨ててくださる。肉にはできなかった事が、聖霊には出来るからだ!
この素晴らしい聖霊が与えられたいだろうか。そうであるなら、「従順する心構え」を持ちつつ、聖霊が与えられるように「求め、探し、たたく」事を続けるのであるなら、聖霊は必ず与えられる。
聖霊が与えられるなら、今までどうしようも出来なかった罪の問題は、聖霊が解決して下さり、罪の悲しみからますます開放され、御霊の自由にどんどん入り込んで行く事が出来る。そのようにますます御霊にあって歩み、いのちにあって祝福されて行く皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

きよめのわざを行うネヘミヤと聖霊(ネヘミヤ記13:15-31)
第一礼拝 Youtube動画 / 音声
賛美集会〜第二礼拝 Youtube動画
賛美集会音声
第二礼拝音声
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 ネヘミヤ(名の意味:「慰め主」)による城壁再建の記事より、私達の人生を再建させて下さる聖霊の働きを学んでいる。彼の働きによりエルサレムの住民は悔い改め、御言葉を守り行う決心をしたが、彼が不在の間、その決心は早くも破られてしまっていた。捧げ物がなおざりになり、レビ人が世の仕事へ逃げ帰り、空いた神殿の部屋には異邦の者の私物が置かれていた。それをネヘミヤは憤り、きよめ、回復させた。
ネヘミヤはさらに、エルサレムに蔓延していた霊的怠慢を正し、きよめのわざを為して行く。

その頃、安息日に仕事をしている者や、果物や魚など色々な商品をエルサレムに運び込んで売っている者がいた。『そこで私は、ユダの主だった人たちを「詰問(リーブ:論じ合う、争う)」して言った。「あなたがたはなぜ、このような悪事を働いて安息日を汚しているのか。』(17節) 聖霊もまた、主に礼拝を捧げるべき時が軽んじられ、世的な物事の売り買いがさかんにされている事を、黙ってはおられない。
イスラエルはかつて安息日を破り続けた結果、バビロン捕囚の事件が起き、主を軽んじる邪悪な不品行の者達が殺され、捕らえ移された事によって、その地は安息を受けた。(2歴代誌36:11-21) 主の安息を敬わず、聖としない人は、神が取り除き、強制的に安息を取り戻される歴史があったのに、金儲けの事しか考えずに安息日を軽んじた者達。安息日は誰も働かないから、自分が売れば自分の独占市場だ、と考える者達が出てきたのだが、それは、神を侮る事としてネヘミヤは速やかに、断固として、対応をした。
彼は安息日の始まる直前、城門を閉め、安息日が終るまで開いてはならないと命じ、商品が一切持ち込まれないようにした。売る者達は城壁の外で窺っていたので、ネヘミヤは彼らに言う。「なぜあなた方は、城壁の前で夜を過ごすのか。再びそうするなら、私はあなたがたに手を下す。」(21節) それ以降、誰も安息日には来なくなった。礼拝を泥棒するハゲタカは、一度追い出してもまだウロウロするものなので、来なくなるまで徹底して追い払わなくてはならない。聖霊は、神への道を邪魔し礼拝を泥棒する者には、断固として立ち向かう。聖霊に満たされたパウロは、福音を邪魔し礼拝への道を邪魔する者を呪うと、その者はたちまち見えなくなって、それを見た人々はすっかり驚き、信じた。(使徒13:9-12)

『その頃また、私はアシュドデ人、アモン人、モアブ人の女をめとっているユダヤ人達のいるのに気がついた。彼らの子どもの半分はアシュドデの言葉を話し、あるいは、それぞれ他の国語を話して、ユダヤの言葉がわからなかった。』(23-24節) この者達に対するネヘミヤの態度は、かつて無い程に厳しい。『そこで、私は彼らを詰問してのろい、そのうちの数人を打ち、その毛を引き抜き、彼らを神にかけて誓わせ』(25節)
ネヘミヤは今まで、同邦人を呪ったり、打ったり、毛を引き抜いて侮辱したような事は無かった。異邦の女との結婚はそこまで深刻な問題である。聖霊が詰問し、のろい、打ち、はずかしめを与え、強制的に決心させるような、最も厳しい取り扱いをするのは、神から引き離し罪を犯させる異邦のものと、結婚する事である。
「イスラエルの王ソロモンは、このことによって罪を犯したではないか。」(25節) 神はソロモンを誰よりも栄えさせ、誰よりも知恵を与えたのに、異邦の女達が彼に罪を犯させてしまった。ソロモンは思ったかもしれない。自分の知恵と権力をもって女達を改宗させればいい、とにかくこの美しき女達がほしい、と。
しかし知恵や権力で人を改宗できる訳ではない。ソロモンは年老いた時、女達が彼の心を転じさせ、ついに彼は異邦の女達の住居や、異邦の神々の祭壇を、税金を使って造らせるに至った。(1列王記11:1-8)
ネヘミヤがあれ程強行だったのは、ソロモンの二の舞を踏んで欲しくない、という熱心さからだったのだ。

『大祭司エリアシブの子ヨイアダのひとりの子はホロニびとサンバラテの婿であったので、わたしは彼をわたしのところから追い出した。』(28節) なんと大祭司エルヤシブの孫の一人が、城壁再建を妨げた異邦人サヌバラテと婚姻関係を結んで、妥協し共存して行こうとしていたのだ。その結果、多くの罪をエルサレムの中に招き、礼拝が疎かにされ、レビ人が逃げ、呪いを招いていたのだ。『わが神よ、彼らのことを覚えてください。彼らは祭司の職を汚し、また祭司およびレビびとの契約を汚しました。』(29節)
今やキリストにあって、私達が祭司であり、レビ人であり、聖霊は私達の異邦の思考や享楽との結合を徹底して取り扱われる。神に喜ばれないあらゆるものを除き、誘惑が来ないように自ら整え、神との清らかな歩みをして行く皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

聖なる神の宮に俗悪な者の私物を置くなかれ(ネヘミヤ記13:1-14)
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 前回、城壁再建後のエルサレムの霊的再建をさせたネヘミヤの記事から、私達の霊的城壁を再建させて下さる聖霊の働きを学んだ。エズラやネヘミヤの働きによって御言葉へと心向けられた人々は、悔い改めの涙を流し、御言葉を守ってゆく事の決心を新たにした。しかし13章へと読み進めていくと、ネヘミヤが不在の間に、その決心が早くも破られてしまっていた事が分かる。ネヘミヤが戻って早速建て直しの働きに入るのだが、その手法は少々、手厳しい。聖霊も同じである。ひと度救われた人が、聖なる生活をして行く事を決心したにも関わらず、霊的怠慢で再び以前の生活に戻ってしてしまう時、確かに聖霊は取り扱って下さるが、その手法もネヘミヤ同様、少々手厳しい。今回もネヘミヤ記から聖霊の働きを見て行きたい。

時の大祭司エルヤシブは、アモン人トビヤと縁組しており、彼のために、神殿の大きな部屋をあてがっていた(5節)。アモン人は主の民に敵対してきたので神の集会から排除すべき(1-3節)であり、しかもトビヤは、かつて城壁再建の仕事を嘲り、次の言葉を放った者である。「彼らの築いている城壁は、狐一匹が上っても崩れるであろう」(4:3) このような者に、神殿の部屋を提供する。それは相当深い関わりがあっての事だ。
『そのへやはもと、素祭の物、乳香、器物および規定によってレビびと、歌うたう者および門を守る者たちに与える穀物、ぶどう酒、油の十分の一、ならびに祭司のためのささげ物を置いた所である。』(5節) 
この事は、先週の箇所で、主の前に誓った内容であったが(10:39)、早速なおざりにされてしまったのだ。
本来主の働きをする働き人に提供されるべき十分の一の捧げものが置かれる部屋に、トビヤの私物が置かれ、主への捧げ物が閉め出されている。ここに、現在の私達が気をつけるべき点がある。私達キリスト者は、神の御霊が住まわれる神の宮(1コリ3:16)であり、神に捧げられた「生きた供え物」である。(ロマ12:1)
本来、尊い神の言葉で満たすべき私達の心と思いが、汚れた享楽や淫らで異邦的な思案に占拠され、人生再建のわざをあざけり、気落ちさせる者に場所を提供し、聖霊を締め出してしまっていないだろうか。
『わたしは非常に怒り、トビヤの家の器物をことごとくそのへやから投げだし、命じて、すべてのへやを清めさせ、そして神の宮の器物および素祭、乳香などを再びそこに携え入れた。』(8-9節) ネヘミヤは憤って強制力を発動し、きよめを遂行した。本来、祈りの家を見張るべき指導者が、世と妥協し、宮が汚されるままに任せるなら、主イエス様も憤られ、聖霊も憤られ、宮きよめを行使するために、強制力を発動される。
私達も、自分自身という宮を見張る事を怠り、トビヤの私物を自分の中にのさばらせているなら、少々手厳しい扱いを受け、ものずごく恥ずかしい思いをするかもしれないし、何か大きな損失を被るかもしれない。

そもそも、主への捧げ物で満たされるべき部屋が空疎になり、トビヤの私物が占拠してしまった根本原因は、主への捧げ物がなおざりになっていた事である。『わたしはまたレビびとがその受くべき分を与えられていなかったことを知った。これがためにその務をなすレビ人および歌うたう者達は、各々自分の畑に逃げ帰った。』(10節) 捧げ物(献金)が、なおざりになると、神の働き(人)が、なくなる。日本は特にそうである。
『それでわたしはつかさたちを「責めて(リーブ)」言った、「なぜ神の宮を捨てさせたのか」。そしてレビびとを招き集めて、その持ち場に復帰させた。』(11節) ここのリーブは法廷用語として「争う」の意味があり、互いの立場から論じ合うことを意味する。ネヘミヤの強行な働きに反対者が立って争いがあったのかもしれないが、ネヘミヤは見事勝利し、レビ人を復帰させ、十分の一を回復させた。私達も、異邦的な快楽に浸っていたいという「肉」があって争う時、私達が御霊の法則に乗るのであるなら、肉は御霊によって殺され、私達は生きる(ローマ8:1-15)。しかし、もし御霊を無視するなら、相変わらず奴隷の恐怖のままである。

ネヘミヤはさらに、神の宮の部屋を「忠実な(アーマン)者と認められていた」人達に守らせた(13節)。
ここのアーマンは「支持する、確認する、信頼する」の再帰態(させられるの意)で、このアーマンが元となってアーメンが派生する。アブラハムは神を信じた(アーマン)故に、それによって彼は義とされた。(創15:6)
聖霊が私達の内側を宮をきよめした後、信仰によって守らせる。もはや以前の汚れが入って来ないように。
強制力によってきよめを受けた場合、少々痛いかもしれないが、しかしそれは幸いである。その後さらに神と親しい、きよく聖なる生活へと入って行けるからだ。一番良いのは、最初の決心から離れず、聖なる生活をキープし続けて行く事だ。聖なる生活を続け、災いから遠い日々を送っていく皆さんでありますように!

霊的城壁を再建するネヘミヤと聖霊(ネヘミヤ記7-10章)
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 前回、ネヘミヤが城壁を再建させた記事から、私達を建て直して下さる聖霊のご性質を学んだ。続く箇所は、霊的に安定した生活を定着させるよう奮闘した記事が記されている。いかに城壁が回復し、生活水準が上がっても、御言葉に従わず霊的に堕落した生活を続けているなら、城壁は再び壊されてしまうからだ。今回、ネヘミヤ記7章以降より、私達の霊的生活を回復させて下さる聖霊のご性質を学びたい。

城壁が再建されて後、ネヘミヤが真っ先にした事は、適切な指導者を任命した事で、その基準は「忠信な(エメス:堅実な、真実な)、神を恐れる者」(7:2)である。ネヘミヤの前任者は、兄弟姉妹から搾取したり奴隷にするような、神を恐れない人だったため (5章)、その者達は外し、神の基準に立った正しい統治をさせたのだ。さらに神は、ネヘミヤの心に、指導者や代表者の「系図」を調べる思いを入れられた。(7:5)
それは、系図によって出所の裏付けが取れた、正しい人が働きをするようにするためである。
自分自身のアイデンティティである系図を失っていた者は、祭司職から外された(7:64)。聖霊が教会において働かれる時も、同じように、霊的に正しい人を奉仕の任に就かせ、そうでない者は降ろす働きをされる。
聖霊は私達の中の異邦的な価値観を取り除き、思いを清め、人生の采配が正しくできるようにして下さる。

8章では、人々が自ら進んでエズラに御言葉を求めた記事が記されている。『彼らはその書、すなわち神の律法を明瞭に読み、その意味を解き明かしてその読むところを悟らせた。』(8:8) 聖霊もまた人の心に、御言葉への飢え渇きを起こし、御言葉が自分に言わんとする所を、理解させる。(エペソ3:16-19)
人々が御言葉を理解した時、彼らが最初に示した反応は「悲しみ」だった(7:9)。エズラがその時宣言したのはモーセ五書であり、そこには祝福と呪いの法則があり、それに照らすなら、今まで自分達が歩んできた道がまさに「呪われる道」に一致していた事を、御言葉から知ったのだ。千年以上前に書かれた御言葉に、まさに今の自分達の事が書かれてあり、今この呪われている理由が、実に的確に記されていたのだ。
聖霊は私達に、自分の罪の現状を思い知らせ、悲しみと悔い改めの心を起こさせる。(ゼカリヤ12:10)
しかし、ネヘミヤ(慰め主)はこの時言う。悲しんではならない、今は喜びなさい、と。『彼らに言った、「あなた方は去って、肥えたものを食べ、甘いものを飲みなさい。その備えのない者には分けてやりなさい。この日は我々の主の聖なる日です。憂えてはならない。主を喜ぶ事はあなた方の力です」。』(ネヘミヤ8:10)
御言葉を知った当初、罪の悲しみが起きるが、聖霊は畳み掛けるように責める事はなさらず、まず、良いものを食べ飲みなさい、憂うのではなく、主を喜びとしなさい。それこそあなたの力だから、と言われる。
  『こうして民はみな、行き、食べたり飲んだり、ごちそうを贈ったりして、大いに喜んだ。これは、彼らが教えられたことを理解したからである。』(8:12) この時、御言葉に従って行った仮庵祭は、非常に大きな喜びであった。(8:13‐18) 聖霊は罪を示し、悲しませるが、御言葉を行う事の喜びで、大いに喜ばせて下さる。

こうして大きな喜びの中で仮庵祭を祝ったが、祭りが終わった二日後、彼らは悔い改めの集会を開いた。
これは、エズラやネヘミヤに促されてでなく、自発的に行ったのだ。祭りの間は喜ぶべき時であって、悔い改めの断食をすべきではない。しかし彼らは、祭りの間も、罪に対するけじめをきっちりつけなければ収まりがつかなかったのだろう。9章は、御言葉に基づいた背信の告白と、悔い改めの内容が記されている。
聖霊もまた、良いものを食べさせて元気づいたなら、悔い改めるべき事のけじめをつけるように導かれる。
今までの呪われる性質に、きっちりけじめをつけなければ、またすぐに城壁や生活が破壊されてしまうのだ。
9章は、ただ自分達が主に罪を犯して来た事と、それ故今自分達は苦しみの中にいる告白で終わり、「つきましては救って下さい」という願いは無い。ただ、この事は決して忘れません、と告白する。(10:29-30) 
それで彼らは決心する。今後異邦人と結婚しない事(10:30)、主の安息を守り(31)、礼拝を守る事(32‐39)を。
聖霊もまた、私達に、霊的で清い生活をして行くよう、決心を促す。もはや異邦的な考えに混じり合う事なく、主への安息を守り、礼拝する事を途絶えさせないように、と。
このような「霊的な城壁」の再建なくしては、物理的な城壁は全く意味を為さない。主が共におられるのでなければ、城壁を見張るのも空しく、早く起きて遅く休んで仕事をするのも空しいのだ。しっかりと霊的城壁を築き、安息と主の備えが豊かにされる皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

ネヘミヤの働きから見る聖霊の働き(ネヘミヤ記1-6章)
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 前回、ネヘミヤ記とナホム書から、聖霊のご性質、すなわち人を慰め、建て直す一面を学んだ。ネヘミヤの名はナハム+ヤ(慰め+主)、名前そのものがまさに「慰め主」であり、彼がした事を学ぶ事は、すなわち聖霊のわざを学ぶ事と同じである。今回もネヘミヤ記から、聖霊の慰め主としての性質を細かく学びたい。

1,うめきと執り成し ネヘミヤ記1章は、エルサレムの城壁が破壊されてしまった状況を聞いたネヘミヤがうめき、執り成し祈った様が記されているが、このうめきと執り成しこそ、聖霊様のご性質である。
『御霊もまた同じように、弱いわたしを助けて下さる。なぜなら、私達はどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉に表せない切なるうめきをもって、私達のためにとりなして下さるからである。』(ロマ8:26)
2,王から権威を得て派遣された ネヘミヤは、主に祈りつつ王に願い求めた所、王は彼を派遣する事を快諾し、援助してくれた(2:1-8)。同じように聖霊も、天の王であられる父なる神様から遣わされた。それはイエス様が、十字架の死と復活によって栄光をお受けになり、御父に願った故である。(ヨハネ14:16)
3,修復すべきものを隅々まで探る ネヘミヤは到着すると、早速破壊されている所をくまなく調べ、探りまわった(2:9-16)。同様に聖霊も私達の内側をくまなく探り、掃き清めながら、失われている価値を探す。そしてその人が悔い改め、価値あるものを見出したなら、御使いと共に大いに喜ばれる。(ルカ15:8-10)
4,回復の励ましをされる ネヘミヤは、エルサレムが長らく瓦礫のような状況の中で生活し、もはや復旧する気持ちが萎え果ててしまっている彼らに言う。『あなたがたの見るとおり、われわれは難局にある。エルサレムは荒廃し、その門は火に焼かれた。さあ、われわれは再び世のはずかしめをうけることのないように、エルサレムの城壁を築こう』(2:17) 聖霊は、罪に汚れた心を、きよい状態へと回復させ(詩篇51:10)、無秩序状態から秩序を回復させる思いを吹き込んで下さる。そして働こうとする人を、励まして下さる。
5,志と力を与え、事を行わせて下さる ネヘミヤ記3章は、ネヘミヤによって心突き動かされた人達が、エルサレム城壁の40工区を、約41のチームで分担し、工事を開始した様が記されている。このように神は一人一人に志を立てさせ(ピリピ2:13)、知恵と英知と知識とあらゆる仕事において、神の霊で満たして下さる(出エジプト記31:2-3)。何をして良いのか分からない時、志を立てさせて下さるよう求めるべきである。
6,敵の脅しに心萎えてしまった人達への適切な対処 4章では、再建が進んで行くのを敵が歯ぎしりして脅しかけて来る様があり、また働き人達も、城壁が崩れている現状を見て心萎えてしまった様がある。
ネヘミヤは彼らのために、敵を一手に引き受けて代理戦争はしない。その代わり、各々に武器を持たせる。
「あなたがたは彼らを恐れてはならない。大いなる恐るべき主を覚え、あなたがたの兄弟、むすこ、娘、妻および家のために戦いなさい。」(4:14) 聖霊も同様である。聖霊は私達に代わって代理戦争するのではなく、私達に御霊の武具を持たせ、そしてすすめる。主の大能の力を得て、全ての聖徒のために忍耐の限りを尽くして、戦いをしなさい、と。(エペソ6:10-18) 敵はそれで、あっさりと引くものなのだ(ネヘミヤ4:15)。
6,悔い改めへの導き 5章では、エルサレムの中で異邦人のごとき搾取がはびこり、兄弟が兄弟を奴隷状態にしていた事が発覚する。その時、飢饉(3節)が起きた理由は、搾取された兄弟姉妹達の叫びが天に届いたからだ(ヤコブ5:4)。ネヘミヤはそのような事をしていた者達を叱責し、全ての借金を免除してやった。
聖霊もまた同じ事をして下さる。聖霊が来ると、罪について、義について、さばきについてその誤ちを認めさせ(ヨハネ16:8)、不正な事をする性質・祝福を阻む邪悪な性質を指摘し、改めさせ、回復させて下さる。
7,敵のはかりごとを見破る 6章に入り、完成が間近になると、敵のそそのかしが一層頻繁になって来る。
この再建の働きは、王に対する反逆だ、と言いふらされている、だから来て相談しよう、と持ちかけて来たり、また預言者を買収し、律法に違反させようとそそのかして来たりするのを、ネヘミヤは見破り、それを逆に主に訴えた(6:1-9,10-14)。私達も預言の霊が与えられる時、人の隠し持っている罪が示され、心の秘密があらわにされ、示された相手は、神が確かにおられると言って礼拝するようになる。(1コリント14:24-25)

こうして城壁は五十二日を経て完成した。敵がこれを聞いた時、恐れ、大いに面目を失った。彼らはこの工事が、神の助けによって成就したことを悟ったからである(6:15-16)。ネヘミヤが来て以来、驚く程のスピードで工事が完成したように、私達も聖霊の働きに委ねる時、驚くような建て直しが行われる。
その時、敵の面目は失われ、私達には、城壁がそこに存在する事による心の平安が与えられるのだ。

慰め主である聖霊の働き(ヨハネ14:16-17)
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 『わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主(パラクレートス)を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さる』(ヨハネ14:16) 聖霊の別の名は「助け主」と言う。これは「パラクレーシス(懇願、励まし、激励、慰め)」が元となった言葉である。今回、慰めて下さるお方としての聖霊のご性質を学びたい。
パラクレートスを辞書でひくと「力強い味方,肩を持ってくれる者,同情をもって弁明してくれる人,取り成す者」の意味である。このお方が私達の内に住み、共に働いて下さる(17節)。聖霊は、深いうめきの感情と同情心をもって、私達を弁護し、私達の人生や人格の中で、破壊されてしまった所を建て直して下さる。
この御方すなわち「真理の御霊」は、御父から遣わされる。世はそれを見もせず、知りもせず、受ける事が出来ないが、私達キリスト者と共にいつまでもおられ、神の真理へと私達を導く。(16−17節)

ネヘミヤは、まさにその働きをしている。彼の名前の意味は、「慰める主」)で、聖霊のわざそのものを行う。
エルサレムの城壁が崩され門が火で焼かれたままの状態で、捕囚から戻って来た民も大きな悩みとはずかしめの中あるのを聞いた時、彼は座って嘆き悲しみ、断食して主に祈った(ネヘミヤ1:2-4)。
また、エルサレムの民に代わって罪を告白し(6-7)、御言葉の約束を宣言し(9-10)、憐れみを求めた(11)。
これはまさに、御霊の御思いである。『御霊もまた同じように、弱いわたしを助けて下さる。なぜなら、私達はどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉に表せない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。』(ローマ8:26) 御霊は切なる心をもって、人を建て直す働きをされる。
ネヘミヤが来る前、エルサレムは長い間、荒れ果てた状態のまま放置されていた。そもそも、エルサレムが荒れ果ててしまったのも、彼ら自身が主をないがしろにし、警告を無視し、罪の暴走を邁進し続けたから、いわば、自業自得の故であるが、ネヘミヤはそんな彼らを、心裂かれる思いをもって建て直しの働きに入る。
聖霊も全く同じである。主を無視し、罪の暴走に邁進して、人生へし折られてしまった私達の荒廃した様を同情し、うめきの心をもって回復のわざを為し、私達の人生が慰められるようにと、働かれる。
ネヘミヤは民を励まし、回復の工事を正しく、そして最善の形で導き、敵の計略を見抜いて、その甘言や讒言に勝利し、また、人々の主に喜ばれない罪の性質を取り除き、そうしてわずか52日で城壁を復旧した。
聖霊もまた、私達を同様にされる。聖霊は、壊れ果てて自力では立ち直れない私達を回復させるために、最善の正しい道で建て直して下さる。聖霊の導きによって、私達に敵の策略を見破らせ、戦う術を身に着けさせ、罪の性質を取り除き、自分では到底不可能だと思えていたような建て直しを速やかに為して下さる。
この御方にあって導かれるなら、私達の城壁は堅固になり、もはや悪しき者に好き放題される事はなくなる。

「慰め」についてのもう一つの面を、ナホム書から学びたい。ナホムの名前の元は「ナハム(慰め)」、そのまま「慰め」という意味であるが、ナホム書の内容は名前とは裏腹に、アッシリヤに対する手厳しい災いの預言で満ちている。実際、彼の預言どおりにアッシリヤは滅んだ。一体、何が「慰め」なのだろう?
アッシリヤは、残虐さを売り物に、各国を脅し、イスラエル以外の多くの国々にも「意地悪」をして来た(イザヤ20章)。一時は預言者ヨナの警告でへりくだるも、すぐその心を忘れ、神に挑戦する程になった(イザヤ36-37章)。それで神はアッシリヤを処罰する。アッシリヤが破壊される時、それを聞く者は手を叩いて喜んだ。誰も彼もアッシリヤによって絶えずいじめられていたから、とナホム書は締めくくられる。(ナホム3:19)
主の民の敵が、正当な裁きを受ける事も、実は「慰め(ナホム)」なのだ。もちろん私達は、アッシリヤのように好き好んで邪悪に走るようなよほどの相手でない限り、誰かが主の裁きによって滅ぶ事を、求めるべきではない。私達の戦いは対人戦ではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、天にいる諸々の悪霊達に対してのものである。人を裁くのは主の領分であり、私達は、サタンの勢力に対抗する者達である。
ナホムがアッシリヤが裁かれる言葉を宣言したように、私達も『御霊の剣、すなわち神の言』(エペソ6:17)を取って、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、天にいるもろもろの悪霊に対してさばきを宣言し、この者共によって惑わされている人々や、虐げられている人々に「慰め」をもたらすべきなのだ。

この助け主である御霊にあって歩んで行く内にますます回復し、ますます城壁が堅固にされ、ネヘミヤのように、破綻してしまっている人を慰め回復する働きをし、ナホムのように、聖霊の与える御言葉の剣をもって暗闇の勢力と戦って慰めをもたらす皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

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